村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

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イオンシネマが車椅子ユーザーに対して不適切な対応があったとして謝罪したところ、ヤフコメやXには逆に車椅子ユーザーを非難する投稿があふれました。
私は漫然とそれを見ていて、車椅子ユーザーにも非難されるところがあったのかなと思っていましたが、「車椅子専用席を使うべきだ」とか「映画館のスタッフは介助が仕事ではない」とか「人の善意に甘えるな」といった書き込みを読んでいるうちに、疑問がふくれ上がってきました。それらの書き込みには同情や思いやりがまったく感じられないからです。
そこで詳しく調べてみました。


中嶋涼子という車椅子インフルエンサーの人がXに投稿したのがきっかけでした。その一部を引用します(全文はこちら)。
今日は映画「#52ヘルツのクジラたち」を見てきたんだけど、トランスジェンダーの人が生きづらさを抱え差別を受ける話で辛すぎて発作起きるくらい泣ける映画だったんだけど、その後更に泣ける事があった。

ちょうどいい時間の映画がイオンシネマのグランシアターっていうちょっとお値段張るけどリクライニングできて足があげられるプレミアムシートがある豪華な劇場で4段の段差がある席しかないところで見たんだけど、今まで何度もその劇場に一人で見に行って映画館の人が手伝ってくれてたのに、今日は見終わった後急に支配人みたいな人が来て急に「この劇場はご覧の通り段差があって危なくて、お手伝いできるスタッフもそこまで時間があるわけではないので、今後はこの劇場以外で見てもらえるとお互いいい気分でいられると思うのですがいいでしょうか。」って言われてすごい悲しかった。。

「え、でも今まで手伝って頂いて3回以上ここで見てるんですが?」って言ったら、他の係員に聞いたところそう言った経験はないとおっしゃっていまして、ごめんなさいって謝られて、なんかすごく悔しくて悲しくてトイレで泣いた。

この投稿が少しバズったからでしょうか、イオンシネマを運営するイオンエンターテイメントは「弊社従業員がご移動のお手伝いをさせていただく際、お客さまに対し、不適切な発言をしたことが判明いたしました」「弊社の従業員への指導不足によるものと猛省しております」といった謝罪文をXに発表しました。
そして、そのことが『イオンシネマ、移動の手伝いで「従業員が不適切な発言」と謝罪。車椅子ユーザーの介助巡り議論に』という記事になってヤフーニュースに載ったというわけです。


イオンシネマが謝罪したのですから、イオンシネマに非があることは明らかです。
にもかかわらず車椅子ユーザーに対する非難があふれたのはどうしてでしょうか。
そこにはいくつかの誤解がありました。

多くの人は、中嶋さんは車椅子専用席があるにもかかわらず一般席に座ることを要求してトラブルになったと思い込んでいます。
しかし、この「グランシアタ―」には車椅子専用席はなく、36席すべてが足を伸ばせるゆったりしたリクライニングシートになっていて、料金も3000円(ワンドリンク付き)という豪華なシアターです。
このシアターは「サービス料金適用外」となっているので、障害者割引は使えないはずです。

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中嶋さんは以前に3回以上このシアターを使ったことがあるということです(そのときの写真をアップしているので、少なくとも1回は使っています)。
今回に限って次回からの利用を断られたということで、納得いかないのは当然です。

“活動家”が車椅子の行動範囲を広げるためにあえて映画館に無理難題を要求しているというのも誤解です。中嶋さんはそのシアターが気に入って何回も使っているだけです。

車椅子専用席のあるシアターで観ればいいという意見もありますが、車椅子専用席はたいてい最前列にありますし、同伴者といっしょになれないということもあります。
高い料金を払っていい席で観たいと思うのはおかしくありません。


今年の4月1日から改正障害者差別解消法が施行され、行政機関及び民間事業者において障害者に対する「合理的配慮」が法的義務となります。
「合理的配慮」とはなにかということですが、「実施に伴う負担が過重でないとき」という条件がついているので、事業者が「負担が過重である」と判断して、その判断が客観的に見て合理的であれば、障害者の要求を断ることができます。

「映画館での車椅子の利用」が過重な負担になるかどうかは、その映画館の構造やスタッフの配置によっても違ってくるので、一概にはいえません。

問題は車椅子を人ごと持ち上げるときの負担にありそうです。
中嶋さんはこんなことをXにポストしていました。

過去3回グランシアターで見た時には、女性のスタッフさんが二人で階段を持ち上げてくれて、映画鑑賞後に「せっかくこんな豪華なところで見れたので写真とか撮ってもいいですか?」って言ったら快く写真まで撮ってくれたりしていた状況から、急に4人がかりのスタッフで上映後に入場拒否をされた事が理不尽でした。

調べると、車椅子を人ごと持ち上げる場合は4人以上が推奨されています。
イオンシネマが2人から4人に方針転換したのかもしれません。そのために「過重な負担」になったということはありえます。
ただ、このときは4人いて対応できています。多くのスタッフがいるシネコンで4人の人手が集められないということがあるのでしょうか。

イオンシネマの判断が妥当かどうかというのは私には判断がつきません。
私だけではなく一般の人には誰にも判断がつかないはずです。


ただ、「支配人みたいな人」の対応に問題があったのは確かです。

今後の利用を断るなら、「当方の方針が変わりました」などとその理由を説明するべきです。なんの理由も示さずに断られるとショックを受けるのは当然です。

それよりももっと問題なのは、そのときの言い方です。
「今後はこの劇場以外で見てもらえるとお互いいい気分でいられると思うのですがいいでしょうか」と言ったというのですが、これはひどい言い方です。
通常は「たいへん申し訳ありませんが、次からはご利用を控えていただけないでしょうか」と低姿勢で言うところです。
この言い方は、「あなたがいい気分になるように私が判断してあげます」ということで、相手の判断力を無視した上から目線の言い方です。
これは「強者が弱者に『あなたのため』と言いながら本人の意志を無視して介入・干渉すること」というパターナリズムの典型です。
相手が身障者だということで見下し、さらに若い女性だということで見下したのでしょう。
こんな言い方をされれば、普通ならぶち切れてもおかしくありませんが、弱い立場だとそうもいきません。

イオンシネマが「不適切な発言」を認め、「従業員への指導不足」を猛省したのは当然です。


ところが、世の中にはこの「支配人みたいな人」がいっぱいいて、車椅子ユーザーを誹謗中傷する声があふれました。
今の時代は匿名で誹謗中傷しても、発信元を突き止められて損害賠償請求をされることがありますから、人を批判するときは確かな事実に基づかないといけません。
ところが、差別心から発信する人は、自分の差別心を正当化するためにデマを信じたり、自分で勝手に捏造したりします。
「車椅子専用席があるのに一般席に座ることを要求した」というのがその典型です。
「電動車椅子を持ち上げさせた」というのもありました。
「車椅子が通路をふさいでいざというとき避難できない」というのもありましたが、車椅子はたためますし、グランシアタ―はスペースがゆったりです。

その次は道徳的批判です。
たとえばXや5ちゃんねるにあったこんな書き込みです。
障害の有る無しに関わらず、助けてもらう、配慮してもらう事に当たり前に慣れすぎて感謝をしなくなった人は批判されて当然なのよ
今回の炎上も同じ
車椅子ユーザーが批判されてんじゃないの
あの人の傲慢な精神が批判されてんの
障がいをお持ちの方々が健常者と同じように社会生活を過ごしたいと思うのは自然なこと。
でも「障がいを持つ私をもっと大事に扱いなさい」の姿勢はただの傲慢です。
ご迷惑をおかけしますが…の姿勢が大事。
障がい者も健常者も、それは同じですからね。
もう、車椅子ユーザーとか障害者様とか関係なく「わがままで傲慢な奴は助けない」が答えになっちゃってる。 
たとえ障害者差別解消法が新しくなっても合理的配慮が義務化されても、企業はともかく一般の人は助けないと思う。
しょうがないよね、そういう方向に持っていった障害者様がいるんだから。
「障害者差別」と「道徳」が完全に一体化しています。


好きな席で映画を観たいという車椅子ユーザーにはなんの問題もありません。
問題はすべてイオンシネマの側にあります。途中で対応を変え、変えた理由を説明せず、車椅子ユーザーを見下した言い方をしました。

シネコンで車椅子ごと人を運ぶのが「過重な負担」か否かというのは誰にも容易に判断できないのに、シネコンよりも車椅子ユーザーを非難する人があふれたのは、この国の身障者差別状況をよく表しています。

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自民党若手議員らの会合で下着のような露出の多い衣装のセクシーなダンスショーが行われ、少なくとも5人のダンサーがステージやテーブルの周辺で踊って、参加者はダンサーに口移しでチップを渡したり、ダンサーの衣装にチップを挟み込んでお尻に触ったりしていたということです。

昨年11月に和歌山県で自民党青年局近畿ブロック会議が行われ、党の国会議員や地方議員、党関係者など約50人が参加し、その後の懇親会で行われたダンスショーです。
費用は党本部と和歌山県連が負担したということで、当然そこには公費が含まれています。
政治とカネが大きな問題になっているときに、こうしたバカなことが行われたというのに驚きます。

私がこれで思い出したのは、1998年に日本青年会議所の幹部ら33人が旭川駅前のホテル地下の居酒屋で懇談会を催し、そこにコンパニオンを呼んで“女体盛り”を行ったことです。
写真週刊誌「FLASH」によると「なかにはコンパニオンに刺身を股や乳首にくっつけてから食べる会議所会員もいた」ということです。
しかもそのコンパニオンは16歳だったので、ほかの件で補導されたときに青年会議所の“女体盛り”が発覚しました。
青年会議所というのは、実態は経営者の二代目、三代目の集まりです。カネと暇のあるボンボンが、やることがなくてバカなことをしたというところです。
自民党青年局にも政治家の二代目、三代目が多いのでしょう。カネと暇のあるボンボンのやることはいっしょです。
「自分たちは上級国民だから、一般国民と違うことをするのは当然だ」みたいな感覚もあるのでしょう。

そのあとの弁明にもあきれました。
自民党県連青年局長の川畑哲哉県議は、女性ダンサーを招いた理由について「多様性の重要性を問題提起しようと思った」などと弁解しましたが、「多様性」を理由にしたことに批判が殺到し、川畑県議は県連青年局長を辞任すると表明しました(その後さらに離党も表明)。
 自民党青年局長の藤原崇衆院議員と青年局長代理の中曽根康隆衆院議員も辞任を表明しましたが、ただ党の役職を辞任するだけのことです。
自民党の梶山幹事長代行は「事実関係については今、確認をしている最中であります。費用については、公費は出ていないということだけは確認をできております」と語りましたが、どうやって公費と公費以外の区別をつけたのでしょうか。批判をかわすために言っているとしか思えません。
みんなでセクシーダンスを楽しむということがいかにおかしいかということを誰もわかっていないようです。

友人とストリップショーを観にいくのは、勝手にやればいいことです。しかし、党費でストリップショーみたいなものを開催してはいけませんし、それを楽しむ人間もどうかしています。
つまり公私の区別がついていないのです。
裏金の問題も同じです。公私の区別がないから、平気で裏金がつくれます。

安倍政権のときに「政権の私物化」と言って批判しましたが、自民党は「政治の私物化」をずっとやっていたわけです。
それも党の上層部だけでなく、若手議員にも地方議員にも広がっているようです(ダンスショーを企画したのは川畑哲哉和歌山県議)。
自民党は裏金問題などで堕落ぶりがひどいので、若手議員はなぜ改革の声を上げないのかという意見がありますが、若手議員の実態がこれではどうにもなりません。
自民党の女性議員はどうかというと、つまらない不祥事が話題になるばかりで、改革の力などありそうにありません。
つまり自民党は組織全体が腐っているというべきです。


岸田首相は岸田派の解散を表明しましたが、自民党のほかの派閥は解散したりしなかったりです。
かりにすべての派閥が解散したところで、自民党という枠内で仕切りがなくなっただけで、人間は変わりません(それに、どうせまた群れます)。
自民党を改革し、政治を改革しようとすれば、今の議員を入れ替えなければなりません。

今の制度だと現職議員が選挙に強く、地盤を継いだ二世、三世も強いので、古い感覚の議員ばかりになります。
新しい議員や新しい政党がどんどん登場する制度にしなければなりません。
かつて日本新党ができたときブームが起きて、政権交代につながりました。
最近でも、れいわ新選組、参政党、元NHK党などは、勢力は小さくても話題性があります。

具体的にどうすればいいかというと、被選挙権を18歳以上にし、立候補の供託金を大幅に引き下げ、公職選挙法を改正して選挙運動の規制をほとんどなくすことです。そうすれば多くの新党や新人候補が出てきて、今のくだらない議員の多くは落選することになります。
たいして手間も費用もかかりませんから、簡単にできることです。

ただ問題は、それを決めるのは現職議員だということです。自分たちが落選する可能性の高い制度を採用するはすがありません。
選挙区の議員定数を少し増減するだけでも、議席を失いそうな議員が強硬に反対するので、なかなかまとまらないぐらいです。

ネズミたちが話し合ってネコの首に鈴をつけることにしたが、いざやろうとすると不可能なことに気づくという寓話がありますが、ネコに自分で鈴をつけさせることはもっと不可能です。
自民党議員に根本的な政治改革をさせることはそれと同じようなものです(野党議員もたいして変わらないでしょう)。

どんな政治改革論議も、自民党が受け入れなければ実行できないので、最初から論議に枠がはまっています。
これでは国民の関心も盛り上がりません。

検察が自民党の政治資金パーティの問題を追及したものの腰砕けになりました。
そうすると自民党は怖いものがありません。しばらくごまかし続けていればやがて国民の関心も薄れると見ています。
このまま政治が変わらなければ、日本に救いはありません。


ネコに自分で鈴をつけさせることが不可能であれば、ほかに手段はないのかというと、そんなことはありません。
政治資金の問題ならなんとかなりそうです。

1995年に政党助成金制度がつくられましたが、付則で政党への企業・団体献金のあり方について5年後に「見直しを行うものとする」とされました。
しかし、見直しは行われず、政党への企業・団体献金はそのまま行われています。
政治家個人への企業・団体献金は禁止されましたが、政治家個人が代表を務める政治団体への献金は認められています。また、政治資金パーティも認められています。
つまり政治家は政党助成金と企業・団体献金の両方を手にしているのです。

しかも、そこに与野党格差があります。
経団連の献金はほとんどが自民党に行きますし、多くの企業も野党よりは与党に献金します。

その金はどう使われるかというと、ほとんど選挙運動に使われます。
よく「政治活動には金がかかる」と言いますが、あれは嘘で、「政治活動」ではなく「選挙運動」に金をかけているのです。
選挙区に秘書を張りつけておいて、支持者へのあいさつ回りをさせ、後援会の世話をします。
つまり現職議員は毎日選挙運動をしているのです。
これでは新人候補は勝てません(選挙運動ができる公示期間は2週間前後です)。

政党助成金制度を設けた以上、企業・団体献金は禁止するべきなのです(共産党は政党助成金制度も廃止するべきと主張しています)。
しかし、自民党がそんなことをするわけがありません。
世論の圧力で改革をしても、どうせ抜け道をつくるに決まっています。

制度が変えられないなら、献金する者が献金をやめればいいのです。
「企業献金は政党を堕落させるのでよくない」と主張して、経団連に自民党への献金をやめるように圧力を加えます。
経団連が政治をよくしたいなら、強い野党をつくるためにむしろ野党に対して献金するべきなのです。
自民党への献金は経団連の利益のためであり、いわば「公然賄賂」です。そういう献金が自民党を堕落させるのは当然です。

中小企業が自民党に献金するのは、なにかの目的があってというより、なにかのときに不利益にならないようにという「みかじめ料」感覚ですから、やめるのも簡単です。
ただ、自分だけやめるのは不利益になりそうですから、「みんなでやめれば怖くない」にすればいいのです。


実際のところ、自民党がここまで堕落したのは、献金したりパーティ券を買ったりしてきた企業の責任も大です。
企業献金がなくなれば、自民党議員も国民に向き合うようになりますし、選挙での優位も減少して新人候補が当選しやすくなります。
「企業献金は悪」ということを常識にしたいものです。

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トランプ前大統領が共和党の大統領候補になるのは確実な情勢です。
「もしトラ」――もしトランプ氏が大統領になったら――ということを真剣に考えなければいけません。

しかし、トランプ氏の行動を予測するのは困難です。
2020年の大統領選でトランプ氏の負けがはっきりしたとき、トランプ氏は「選挙は盗まれた」と言って負けを認めず、支持者を扇動してホワイトハウス襲撃をさせました。
民主主義も国の制度も平気で壊します。

もしトランプ氏が次の大統領選に出たらたいへんです。負けた場合、負けを認めるはずがないからです。またしても大混乱になります。
それを防ぐには、トランプ支持者による特別な選挙監視団をつくって、選挙を監視させるという方法が考えられますが、それをすると、その選挙監視団がまた問題を起こしそうです。
かりにトランプ氏が正当に当選しても、果たして4年で辞任するかという問題もあります。大統領の免責特権がなくなるので、むりやり憲法を改正してもう1期続けることを画策するに違いありません。


マッドマン・セオリーという言葉があります。狂人のようにふるまうことで、相手に「この人間はなにをするかわからない」と恐れさせるというやり方です。
しかし、トランプ氏は戦略としてマッドマン・セオリーを採用しているとは思えません。やりたいようにやっている感じです。
そして、そこにトランプ氏なりのセオリーがあります。

トランプ氏は保守派で白人至上主義者です。その点に関してはぶれません。
ですから、保守派で白人至上主義者のアメリカ国民も、ぶれずにトランプ氏を支持し続けるわけです。
支持者にとっては、トランプ氏が大統領職にとどまってくれるのが望ましく、正当な選挙で選ばれたかどうかは二の次です。


アメリカの白人至上主義者はアメリカを「白人の国」と思っています。
アメリカ独立宣言にはこう書かれています。

「われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等で あり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているという こと」

「すべての人間は生まれながらにして平等」とありますが、先住民や黒人奴隷にはなんの権利もなかったので、先住民や黒人奴隷は「人間」ではなかったわけです。
また、白人女性に参政権がなかったことから、白人女性も「人間」とされていなかったかもしれません(「すべての人間」は英文では「all men」です)。
「創造主(Creator)」という言葉も出てきます。これは当然キリスト教由来の言葉です。異教徒にもこの宣言は適用されるのかという疑問もあります。

ともかく、独立宣言には「すべての人間」に人権があるとしていますが、実際には「白人成年男性」にしか人権はなかったのです。
このときうわべの理念と中身のまったく違う国ができたのです。そのことがのちのちさまざまな問題を生みます。


「白人成年男性の人権」を「普遍的人権」にする戦いはずっと行われてきました。

女性参政権は1910年から一部の州で始まりましたが、憲法で「投票権における性差別禁止」が定められたのは1920年のことです。

アメリカは世界でもっとも遅く奴隷制を廃止した国です。
リンカーン大統領は黒人奴隷を解放した偉大な大統領とされていますが、実際はやっとアメリカを“普通の国”にしただけです。

黒人参政権は、奴隷制の廃止にともなって1870年に憲法で認められ、実際に黒人が投票権を行使して、州議会だけでなく14人の黒人下院議員、2人の黒人上院議員が誕生しました。
しかし、そこから白人の巻き返しが始まり、さまざまな理由をつけて黒人の選挙権は奪われます。
黒人の投票権が復活したのは1964年の公民権法の成立以降のことです。

現在、共和党の支配する州では、非白人の有権者登録を妨害するような制度がつくられています。たとえば、有権者登録には写真つきの身分証が必要だとするのです。貧困層は写真つきの身分証を持っていないことが多いからです。また、車がないと行けないような場所に投票所や登録所を設けるとか、黒人の多い地域では何時間も並ばないと投票できないようにするといったことが行われています。

白人至上主義者にとっては、黒人やヒスパニックが選挙権を得たときにすでに「選挙は盗まれた」のです。
ですから、トランプ氏が「選挙は盗まれた」と言ったときに簡単に同調できたわけです。

アメリカの人口構成で白人はいずれ少数派になりそうです。そこに黒人のオバマ大統領が出現して、白人至上主義者はますます危機感を強めました。その危機感がトランプ氏を大統領に押し上げました。

「ラストベルト」における“しいたげられた白人”の不満がトランプ当選につながったと日本のマスコミはしきりに報道していました。しかし、テレビに出てくる白人を見ていると、失業者はいなくて、大きな家に住み、広い土地を持っています。ぜんぜん“しいたげられた白人”ではありません。そもそも黒人世帯の所得は白人世帯の所得の60%ですし、白人世帯の資産は黒人世帯の資産の8倍です。
日本のマスコミは白人側に立っているので、アメリカの人種差別の実態がわかりません。

アメリカの先住民は、先住民居留地に住むという人種隔離政策のもとにおかれています。先住民女性の性的暴行にあう確率はほかの人種の2倍です。「町山智浩のアメリカの今を知るTV」によると、ナバホ族は居留地に独自の“国”をつくっていますが、連邦政府と交渉しても水道や電気がろくに整備されないということです。
日本のマスコミは先住民差別についてはまったくといっていいほど報道しません。


アメリカは今でも人種差別大国で、白人至上主義はいわばアメリカの建国の理念です。
アメリカの外交方針も基本は白人至上主義です。
「ファイブアイズ」と呼ばれる、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドによって成り立つ情報共有組織があります。この5か国はアングロサクソンの国です。1950年ごろに結成され、長く秘密にされていましたが、2010年の文書公開で明らかになりました。
人種によって国が結びつくというのには驚かされます。ここにアメリカの本質が現れています。

第二次大戦後、アメリカが白人の国と戦争をしたのはコソボ紛争ぐらいです。あとベトナム、イラク、アフガニスタンのほか、数えきれないくらい軍事力を行使していますが、すべて非白人国が対象です。

同じ白人国でも、西ヨーロッパの国は文化が進んでいますが、東ヨーロッパの国は遅れているので、東ヨーロッパは差別されています。
東西冷戦が終わって、ロシアが市場経済と民主主義の国になったのに、NATOがロシア敵視を続けて冷戦に逆戻りしたのも、東ヨーロッパに対する差別があったからというしかありません(あと東方教会という宗教の問題もあります)。

パレスチナ問題も、イスラエルは白人の国とはいえませんがヨーロッパ文化の国であるのに対し、パレスチナはアラブ人とイスラム教の地域です。そのためアメリカは公平な判断ができません。


アメリカ国内は保守派とリベラルの「分断」が深刻化しています。
単純化していうと、保守派は人種差別と性差別を主張し、リベラルは反人種差別とフェミニズムを主張しています。
もっとも、保守派は表立って人種差別と性差別を主張するわけではありません。本人たちの主観では「道徳」を主張しています。
つまり保守思想というのは「古い道徳」のことです。

自民党の杉田水脈衆院議員が国会で「男女平等は絶対に実現し得ない反道徳の妄想です」と発言したことがあります。この発言は保守思想の本質をみごとに表現しています。「良妻賢母」や「夫唱婦随」といった古い道徳を信奉する人間は必然的に男女平等に反対することになります。

公民権法が成立する以前のアメリカでは、バスの座席も待合室も白人と黒人で区別されていました。黒人は黒人として扱うのが道徳的なことでした。もし白人が黒人を連れてレストランに入ってきたら、その行為はひどく不道徳なこととして非難されました。公民権法が成立したからといって、人間は急に変われません。黒人を黒人として扱うのが道徳的なことだと思っている人がいまだに多くいて、そういう人が差別主義者です。
ですから、差別主義者というのは要するに「古い人間」です。
自分の親も祖父母も黒人を黒人として扱っていた。自分も幼児期からそれを見て学んで、同じようにしている。自分は家族と伝統をたいせつにする道徳的な人間だ――そのような自己認識なので、差別主義者の信念はなかなか揺るぎません。

ですから、差別主義を克服するということは、自分の親や祖父母のふるまいを批判するということであり、自分が幼児期から身につけたふるまいを否定するということです。
もちろんこれはむずかしいことです。
リベラルはこのむずかしいことから逃げて、安易な“言葉狩り”に走ったので、人種差別も性差別もそのまま温存されています。
そのため、保守とリベラルの分断は深まるばかりです。


トランプ氏は過激なことばかり主張しているようですが、実はアメリカがもともと隠し持っていたものを表面化しているだけです。
ですから、バイデン政権とそれほど異なるわけではありません。日本はすでにバイデン政権の要求で防衛費GDP比2%を約束しました。もしかするとトランプ政権が成立すると3%を要求してくるかもしれませんが、その程度の違いです。

とはいえ、トランプ政権になると要求が露骨になり、これまで隠してきた屈辱的な日米関係が露呈するかもしれません。
そのときに日本政府は、国民世論をバックに、中国やグローバルサウスと連携することでトランプ政権とタフに交渉できればいいのですが、これまでの日本外交を考えると、残念ながらとうていできそうにありません。

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ウクライナ戦争が始まって2月24日で丸2年になりましたが、着地点がまったく見えません。
そもそも現在の戦況すらよくわからないので、問題を整理してみました。

ロシア軍は2月17日、激戦地のドネツク州アウディイフカを完全制圧したと発表し、ゼレンスキー大統領も戦略的判断による撤退を認めました。
また、各地でロシア軍は前進しているということです。
どう考えてもロシア軍有利の戦況になっていますが、報道は「ウクライナ軍有利」を思わせるようなものがほとんどです。

「ウクライナ空軍はここ数日でロシアのSu-34戦闘爆撃機など7機を撃墜した」
「早期警戒管制機A50を先月と今月と立て続けに2機撃墜した」
「ウクライナ軍はロシア軍のミサイル艇を撃沈、大型揚陸艦を撃沈、黒海艦隊の3分の1を無力化した」
「ウクライナ軍は2月15日、ロシア軍の最新鋭戦車T-90Mを4両破壊した」
「ウクライナ軍はアウディイフカから撤退を強いられたにもかかわらず消耗戦では勝ちつつある」

これらのニュースを見ていると、「ロシア軍が前進している」というニュースがかき消されてしまいます。
ウクライナ国内で国民と兵士の士気を高めるためにこうした“大本営発表”が行われるのはわかりますが、日本で行われるのは不可解です。誰がメディアを操作しているのでしょうか。


こうしたことは開戦当初から行われていました。
開戦直後、アメリカを中心とした国はロシアにきびしい経済制裁をしました。

・石油ガスなどの輸入禁止
・高度技術製品などの輸出禁止
・自動車メーカーやマクドナルドなど外国企業の撤退
・国際的決済ネットワークシステムであるSWIFTからの排除

これらの制裁によってロシア経済は大打撃を受け、財政赤字が拡大し、ハイテク兵器がつくれなくなるなどと喧伝されました。
しかし、ロシアのGDP成長率は、2022年こそ-1.2%でしたが、2023年は3.6%のプラス成長でした。兵器もかなり製造しているようです。
全然話が違います。

経済制裁は、北朝鮮やイランやキューバに対してずっと行われていますが、それによって情勢が変わったということはありません。
ロシアへの経済制裁の効果も大げさに宣伝していたのでしょう。


ロシアからドイツへ天然ガスを送る海底パイプライン「ノルドストリーム」が2022年9月に爆破されるという事件がありました。
西側はロシアの犯行だとしてロシアを非難し、ロシアは西側の犯行だと反論し、激しい応酬がありました。
1か月ほどしたころ、ニューヨーク・タイムズが米情報当局者らによる情報として、親ウクライナのグループによる犯行だということを報じました。
独紙ディ・ツァイトは、爆発物を仕掛けるのに使われた小型船はポーランドの会社が貸したヨットだとわかったとして、ヨットの所有者は2人のウクライナ人だと報じました。
さらに独誌シュピーゲルは、ウクライナ軍特殊部隊に所属していた大佐が破壊計画の調整役として中心的役割を担ったと報じ、ワシントン・ポストは米当局の機密文書に基づき、ウクライナ軍のダイバーらによる破壊計画を米政府が事前に把握していたと報じました。
流れは完全にウクライナの犯行のほうに傾きました。
ところが、このころからぱたっとノルドストリーム爆破に関する報道はなくなりました。当然、ウクライナはけしからんという声も上がりません。
ウクライナにとって不都合なことは隠されます。


しかし、戦況がウクライナ不利になっていることは隠せなくなってきました。
なぜウクライナ不利になっているかというと、主な原因は砲弾の補給がうまくいっていないことです。

東京で行われたウクライナ復興会議に出席するため来日したウクライナのシュミハリ首相はNHKとのインタビューで「ウクライナも自国での無人機の製造を100倍に拡大したほか、弾薬の生産にも取り組んでいますが、必要な量には達していません。ロシアは大きな兵器工場を持ち、イランや北朝鮮からも弾薬を調達していて、ウクライナの10倍もの砲撃を行っているのです」と語りました。
この「10倍」というのは話を盛っているかもしれません。ほかの報道では、ロシアはウクライナの5倍の砲弾を補給しているとされます。

現代の戦争では、銃撃で死ぬ兵士は少なく、ほとんどの兵士は砲撃と爆撃で死にます。
ウクライナ軍の砲弾不足は致命的です。

なぜこんなことになっているのでしょうか。
EUは昨年3月、1年以内に砲弾100万発を供給する計画を立てましたが、約半分しか達成できていないということです。
EUの各国に砲弾製造を割り当てればできるはずです。
できないのは、よほど無能かやる気がないかです。
ゼレンスキー大統領は激怒してもいいはずですが、さすがに支援される立場ではそうもいかないでしょう。
代わって西側のメディアが砲弾供給遅れの責任を追及するべきですが、そういう報道もありません。“支援疲れ”などという言葉でごまかしています。


なぜEUは砲弾の供給を計画通りにやらないのかと考えると、本気で勝つ気がないからと思わざるをえません。
これはアメリカやNATOも同じです。
ロシアは勝つために必死で砲弾やその他の兵器を増産しているので、その差が出ていると考えられます。

アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスなどが新鋭戦車をウクライナに提供したのは、開戦からかなり時間がたってからで、しかも数量が限定的でしたから、ゲームチェンジャーにはなりませんでした。
F-16の提供も遅れたために、今はまだパイロットの訓練中です。
多連装ロケット砲のハイマースや155ミリ榴弾砲も供与されていますが、肝心の弾が不足です。
ロシア領土に届くような長距離ミサイルは供与されていません。
つまり「戦力の逐次投入」をして、しかもその戦力が不足です。
アメリカなどの支援国が本気で勝つ気なら、勝つためにはどれだけの兵器が必要かを計算して、最初から全面援助しているのではないでしょうか。

なぜアメリカなどに勝つ気がないかというと、理由は単純で、ロシアを追い詰めると核戦争になるかもしれないからです。
このところ通常兵器の戦闘が続いているので、核兵器の存在を忘れがちですが、核兵器抜きに戦争は論じられません。

プーチン大統領は開戦初期に何度も核兵器の使用の可能性に言及しました。
この発言は「核による脅し」だとして各国から批判されましたが、その発言の効果が十分にあったようです。
アメリカなどがウクライナ支援を限定的にしていることがわかってからは、プーチン大統領は核について発言することはなくなりました。

ウクライナにとっての理想は、開戦時点の位置までロシア軍を押し戻すことでしょう。
しかし、そんなことになればロシアは多数の戦死者をむだ死にさせたことになるので、プーチン大統領としては絶対認められません。
そのときは核兵器を使うかもしれません。
戦術核を一発使えば、ウクライナ軍に対抗手段はないので、総崩れになるでしょう。

そのとき、アメリカは弱腰と言われたくなければ、「もう一発核を使えばアメリカは核で報復するぞ」と言わねばなりませんが、これは最終戦争につながるチキンレースです。

このチキンレースでアメリカとロシアは対等ではありません。
ロシアはウクライナと国境を接して、NATOの圧力にさらされているので、日本でいうところの「存立危機事態」にありますが、アメリカにとってはウクライナがどうなろうと自国の安全にはなんの関係もありません。
ですから、トランプ元大統領のウクライナ支援なんかやめてしまえという主張がアメリカ国民にもかなり支持されます。

ともかく、アメリカとしては「ロシアに核兵器を使わせない」という絶対的な縛りがあるので、ロシアを敗北させるわけにいかず、したがってウクライナはどこまでいっても「勝利」には到達できないのです。
このことを前提に停戦交渉をするしかありません。
最終的に朝鮮半島のように休戦ラインをつくることになるでしょうか。


アメリカは東アジア、中東、ヨーロッパと軍隊を駐留させて、支配地域を広げてきました。
まさに「アメリカ帝国主義」です。
しかし、戦争においては、進撃するとともに補給や占領地の維持が困難になり、防御側も必死になるので、いずれ進撃の止まるときがきます。それを「攻勢限界点」といいます。
アメリカ帝国主義もヨーロッパ方面では「攻勢限界点」に達したようです。
核大国のロシアにはこれ以上手出しできません。


もっとも、アメリカ人は自国を帝国主義国だとは思っていないでしょう。
「自由と民主主義を広める使命を持った国」ぐらいに思っています。
現実と自己認識が違っているので、ウクライナ支援をするか否かということでも国論が二分してしまいます。

トランプ氏再登板に備えて、日本人もアメリカは帝国主義か否かという問題に向き合わなければなりません。


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アメリカの社会病理はますます進行し、銃犯罪、麻薬汚染、人種差別などが深刻化しています。リベラルと保守の分断もとどまるところを知らず、内戦の危機までささやかれています。
こうした社会病理の根底にあるのは、人間関係のゆがみです。
そして、人間関係のゆがみの根底にあるのは、おとなと子どもの関係のゆがみです。

「子どもの権利条約」の締約国・地域の数は196で、国連加盟国で締約していないのはアメリカだけです。
つまりアメリカは国家の方針として子どもの人権を尊重しない世界で唯一の国です。
こういう重要なことがほとんど知られていないのは不思議なことです。
子どもの人権を尊重しないことがさまざまな問題を生んでいます。


幼児虐待で死ぬ子どもの数は、日本では多くても年間100人を越えることはありませんが、アメリカでは毎年1700人程度になります。
もちろん死亡する子どもの数は氷山の一角で、はるかに多数の子どもが虐待されています。
西洋の伝統的な考え方として、理性のない子どもは動物と同様と見なして、きびしくしつけするということがあります。子どもの人権という概念がないために、それが改まっていないと思われます。

日本では不登校の子どもをむりやり学校に行かせるのはよくないという考えが広まってきましたが、アメリカでは義務教育期間は子どもは学校に通う義務があり(日本では親に子どもに教育を受けさせる義務がある)、不登校は許されません。しかし、むりやり子どもを学校に行かせようとしてもうまくいかないものです。
そんなときどうするかというと、子どもを矯正キャンプに入れます。これは日本の戸塚ヨットスクールや引きこもりの「引き出し屋」みたいなものです。
『問題児に「苦痛」を与え更生せよ 「地獄のキャンプ」から見る非行更生プログラム 米』という記事にはこう書かれています。
アメリカの非行少年更正業界は、軍隊式訓練や治療センター、大自然プログラム、宗教系の学校で構成される1億ドル規模の市場だ――州法と連邦法が統一されていないがゆえに、規制が緩く、監視も行き届いていない。こうした施設の目的は単純明快だ。子どもが問題を抱えている? 夜更かし? ドラッグ? よからぬ連中との付き合い? 口答え? 引きこもり? だったら更正プログラムへどうぞ。規律の下で根性を叩き直します。たいていはまず子どもたちを夜中に自宅から連れ去って、好きなものから無理矢理引き離し、ありがたみを感じさせるまで怖がらせる。だが、組織的虐待の被害者救済を目的としたNPO「全米青少年の権利協会」によると、懲罰や体罰での行動矯正にもとづく規律訓練プログラムの場合、非行を繰り返す確率が8%も高いという。一方で、認可を受けたカウンセリングでは常習性が13%減少することが分かっている。
大金持ちのお騒がせ令嬢であるハリス・ヒルトンもキャンプに入れられたことがあり、議会でこのように証言しました。
「ユタ州プロヴォキャニオン・スクールでは、番号札のついたユニフォームを渡されました。もはや私は私ではなくなり、127番という番号でしかありませんでした。太陽の光も新鮮な空気もない屋内に、11カ月連続で閉じ込められました。それでもましな方でした」とヒルトンは証言した。「首を絞められ、顔を平手打ちされ、シャワーの時には男性職員から監視されました。侮蔑的な言葉を浴びせられたり、処方箋もないのに無理やり薬を与えられたり、適切な教育も受けられず、ひっかいた痕や血痕のしみだらけの部屋に監禁されたり。まだ他にもあります」
普通の学校はどうなっているかというと、「ゼロ・トレランス方式」といわれるものが広がっています。
これはクリントン政権が全米に導入を呼びかけ、連邦議会も各州に同方式の法案化を義務づけたものです。
細かく罰則を定め、小さな違反も見逃さず必ず罰を与えます。小さな違反を見逃すと、次の大きな違反につながるという考え方です。違反が三度続くと停学、さらに違反が続くと退学というように、生徒個人の事情を考慮せず機械的に罰則を当てはめるわけで、これでは教師と生徒の人間的な交流もなくなってしまいます。

これは私個人の考えですが、昔のアメリカ映画には高校生を主人公にした楽しい青春映画がいっぱいありましたが、最近そういう映画は少ない気がします。子どもにとって学校が楽しいところではなくなってきているからではないかと思います。

学校で銃乱射事件がよく起こるのも、学校への恨みが強いからではないでしょうか。


幼児虐待は身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクトの四つに分類されますが、中でも性的虐待は「魂の殺人」といわれるぐらい子どもにダメージを与えます。
アメリカでは1980年代に父親から子どものころに性的虐待を受けたとして娘が父親を裁判に訴える事例が相次ぎました。いかにも訴訟大国アメリカらしいことですが、昔の家庭内のことですから、当事者の証言くらいしか証拠がありません。
ある心理学者が成人の被験者に、5歳のころにショッピングセンターで迷子になって親切な老婦人に助けられたという虚偽の記憶を植えつける実験をしたところ、24人の被験者のうち6人に虚偽の記憶を植えつけることに成功しました。この実験結果をもとに、セラピストが患者に性的虐待をされたという虚偽の記憶をうえつけたのだという主張が法廷で展開され、それをあと押しするための財団が組織されて、金銭面と理論面で父親を援助しました。
この法廷闘争は父親対娘だけでなく、保守派対リベラルの闘争として大規模に展開されましたが、最終的に父親と保守派が勝利し、逆に父親が娘とセラピストに対して損害賠償請求の訴えを起こして、高額の賠償金を得るという例が相次ぎました。
この顛末を「記憶の戦争(メモリー・ウォー)」といいます。
結局、家庭内の性的虐待は隠蔽されてしまったのです。

アメリカでは#MeToo運動が起こって、性加害がきびしく糾弾されているイメージがありますが、あれはみな社会的なケースであって、もっとも深刻な家庭内の性的虐待はまったくスルーされています。


ADHDの子どもは本来2~3%だとされますが、アメリカではADHDと診断される子どもが急増して、15%にも達するといわれます。親が扱いにくい子どもに医師の診断を得て向精神薬を投与しており、製薬会社もそれを後押ししているからです。


アメリカにおいては、家庭内における親と子の関係、学校や社会におけるおとなと子どもの関係がゆがんでいて、子どもは暴力的なしつけや教育を受けることでメンタルがゆがんでしまいます。それが暴力、犯罪、麻薬などアメリカ社会の病理の大きな原因になるのです(犯罪は経済格差も大きな原因ですが)。
そして、その根本には子どもの権利が認められていないということがあるのですが、そのことがあまり認識されていません。

たとえば、こんなニュースがありました。
「ダビデ像はポルノ」で論争 保護者が苦情、校長辞職―米
2023年03月28日20時32分配信
 【ワシントン時事】米南部フロリダ州の学校で、教師がイタリア・ルネサンス期の巨匠ミケランジェロの彫刻作品「ダビデ像」の写真を生徒に見せたところ、保護者から「子供がポルノを見せられた」と苦情が寄せられ、校長が辞職を余儀なくされる事態となった。イタリアから「芸術とポルノを混同している」と批判の声が上がるなど、国際的な論争に発展している。

 地元メディアによると、この学校はタラハシー・クラシカル・スクール。主に11~12歳の生徒を対象とした美術史の授業で、ダビデ像のほかミケランジェロの「アダムの創造」、ボッティチェリの「ビーナスの誕生」を取り上げた。

 ところが、授業後に3人の保護者から「子供がポルノを見ることを強制された」などと苦情が入った。教育委員会は事前に授業内容を保護者に知らせなかったことを問題視。ホープ・カラスキヤ校長に辞職を迫ったという。

この決定はミケランジェロを生んだイタリアで反響を呼んだ。ダビデ像を展示するフィレンツェのアカデミア美術館のセシリエ・ホルベルグ館長は、AFP通信に「美術史に対する大いなる無知だ」と批判。フィレンツェのダリオ・ナルデラ市長もツイッターで「芸術をポルノと勘違いするのは、ばかげている以外の何物でもない」と非難し、「芸術を教える人は尊敬に値する」として、この学校の教師を招待する意向を示した。

 フロリダ州では保守的な価値観を重視する共和党のデサンティス知事の主導で、一定年齢以下の生徒が性的指向を話題とすることを禁止する州法を成立させるなどの教育改革が強行されている。今回の措置には、米作家のジョディ・ピコー氏が「これがフロリダの教育の惨状だ」と指摘するなど、米国内でも波紋が広がっている。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023032800665&g=int
これは「芸術かポルノか」という問題のようですが、実は子どもの「見る権利」が侵害されているという問題です。「芸術かポルノか」ということをおとなが一方的に決めようとするからおかしなことになるのです。

アメリカではSNSが子どもにとって有害だという議論があって、1月末に米議会上院がSNS大手5社の最高経営責任者を招いて、つるし上げに近いような公聴会を行いました。
米保健福祉省は勧告書で子どものSNS利用は鬱や不安などの悪化リスクに相関性があるという研究結果を発表していて、そうしたことが根拠になっているようです。

しかし、SNS利用が「子どもに有害」だとすれば、「おとなに無害」ということはないはずです。程度は違ってもおとなにも有害であるはずです。
子どものSNS利用だけ規制する議論は不合理で、ここにも「子どもの権利」が認められていないことが影響しています。

アメリカの保守派とリベラルの分断は、おとなと子どもの分断からきていると理解することもできます。


文科省は2005年に「問題行動対策重点プログラム」にゼロ・トレランス方式を盛り込みました。
また、日本でも「子どもに有害」という観点からSNS利用規制が議論されています。
しかし、アメリカのやり方を真似るのは愚かなことです。
アメリカは唯一「子どもの人権」を認めないおかしな国だからです。

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