村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

平岡秀夫法相が13日、殺人事件の被害者遺族宅を訪ねて謝罪したというニュースがありました。いったいどういうことかというと、こんな事情があったわけです。
 
「大津の16歳暴行死 法相陳謝」20111115  読売新聞)
2001年3月に大津市で高校入学目前の青木悠さん(当時16歳)が少年2人に暴行されて死亡した事件を巡って失言したとして、平岡法相が大津市内の母和代さん(62)方を謝罪訪問した13日、面会で遺族の深い悲しみと支援の必要性を繰り返し訴えた和代さんは「謝罪の気持ちは伝わったが、心に響く言葉はなかった」と話した。(西井遼)
事件は少年法改正の直前の01年3月31日に発生。少年2人(当時17歳と15歳)に「高校の合格祝いをしてあげる」と呼び出された悠さんは、市立小の校舎裏で約2時間にわたって2人から暴行を受け、同4月6日に死亡した。
平岡法相は07年6月、少年法改正などについての討論番組で、和代さんらとともに出演した際、加害者について「それなりの事情があったのだろう」と発言した上、和代さんに「加害者に、死の恐怖を味わわせれば幸せか」などと質問もしていた。(後略)
 
 
4年も前のことが蒸し返されたわけです。
確かに面と向かって「加害者に、死の恐怖を味わわせれば幸せか」という発言をするのは失礼ですから、謝罪したほうがいいでしょう。しかし、加害者について「それなりの事情があったのだろう」と擁護する発言をしたのは大いに評価できます。しかも、その発言をした人間が法相を務めているというのは、なかなか画期的なことかもしれません。
 
昔、司法の世界では犯罪被害者や犯罪被害者遺族に対する支援や配慮はないも同然でした。それが犯罪被害者や犯罪被害者遺族の心情にスポットが当てられ、犯罪被害者等基本法が制定されるなど、被害者サイドへの支援は強化されています。
しかし、犯罪加害者への支援はどうかというと、むしろないがしろにされる傾向があります。犯罪少年への罰は強化されましたし、死刑執行もふえました。マスコミも犯罪者のバッシングを強めているようです。犯罪者の更生を支援する保護司はボランティアであって、最近はなり手が少なく、高齢化が問題になっています。保護司の活動がマスコミに取り上げられることもまずありません。
 
もっとも、犯罪者が憎まれ、バッシングされ、抹殺されるのは昔からのことです。それは人間として自然な感情です。しかし、それは、家の中をきれいにしたいからと、ゴミを玄関から道路に掃き出したり、隣の家の敷地に投げ入れたりするのと同じです。昔は犯罪者は所払いや島流しになっていました。家からゴミを掃き出すようなものです。今は刑務所に入れることになっています。つまり、ゴミ集積所に入れておくようなものです。
しかし、それは正しいゴミ対策ではありません。リサイクルがもちろん正しいゴミ対策です。
犯罪者をゴミにたとえるとは失礼千万ですが、これまで人類は犯罪者をそのように扱ってきたということです。
 
こうした考え方を私は天動説的倫理学と呼んでいます。根本的に間違った犯罪対策だということです。
正しい犯罪対策は、犯罪者の事情を理解して、犯罪者の更生を目指すことです。平岡法相の「それなりの事情があったのだろう」という発言は、ですから評価できるのです。
 
 
犯罪者の事情をまったく考慮しない天動説的倫理学のゆきつく果てはどうなるかというと、ゴミ集積所すなわち刑務所が満杯になります。
次のニュースがそれを示しています。
 
「マイケル元専属医早期釈放? カリフォルニア刑務所満杯」 (20111112日 朝日新聞)
米歌手マイケル・ジャクソンさんの急死事件で、過失致死罪で有罪評決が出た元専属医、コンラッド・マレー被告(58)が思わぬ「恩恵」を受けそうだ。29日に言い渡される量刑は最高禁錮4年の可能性があるが、カリフォルニア州の刑務所が過密で、早期に釈放される可能性が出ている。
米連邦最高裁は5月、定員約8万人の同州の刑務所に十数万人が押し込められ、健康を害したり自殺したりする例が出ているとして、受刑者約3万人の削減を命じた。州は10月、凶悪犯ではない受刑者を中心に、州刑務所から郡刑務所に移す法を成立させた。
マレー医師も郡刑務所に移される見通しだが、ロサンゼルス郡のスティーブ・クーリー地方検事は朝日新聞の取材に「郡刑務所も満杯。(医師は)早期釈放となるだろう」と語った。ロイター通信は医師の収監が数カ月となりそうだと報じた。
すでに早期釈放の前例も出ている。飲酒運転などで有罪の米女優リンジー・ローハンさんは保護観察条件の違反で30日の収監を命じられたが、刑務所が満杯のため、今月7日、5時間足らずで出所した。(ロサンゼルス=藤えりか)
 
 
アメリカはもっとも進んだ文明国ですが、犯罪対策は世界でも最低レベルです。
そして、日本は犯罪対策でアメリカに追随しようとしているのですから、なんともあきれた話です。
 
日本は犯罪被害者や犯罪被害者遺族への支援をある程度やるようになりましたから、これからは犯罪加害者への支援をいかにしていくかが問われることになります。
加害者の事情や心情をどこまで理解できるかで、その人の知性や人間力のレベルがわかってしまいます。マスコミも加害者の事情をもっと報道しなければなりませんし、裁判員も加害者の事情を理解した上で判決を下さなければなりません。
 
今のところマスコミの論調やネット世論は、被害者感情を理由にすれば加害者バッシングが許されると思っているようですが、そういう時代の終わりが近づいています。

TPP論議が混迷する理由のひとつは、誰もが利己的な主張をしているのに、そうでないように見せかけているからです。具体的にいうと、「TPPは自分にとって損だから反対だ」と思っているのに、言葉では「TPPは国益を損なうから反対だ」と言っているわけです。もしみんなが利己的な主張をしたら、その妥協点も見出しやすいものですが、みんなが一見利他的な主張をするので、妥協点を見出すことができません。
もっとも、こうしたことはTPP論議だけではなく、あらゆることで見られます。利己的な主張をすると嫌われるので、誰もが表現に工夫をするわけです。たとえば、「私に迷惑をかけるな」と言う代わりに、「人に迷惑をかけてはいけませんよ」と言います。また、「私のものを盗むな」と言う代わりに、「人のものを盗んではいけませんよ」と言います。こういうふうに言うと、まるで利他的な主張をしているように見せかけながら利己的な目的を達成することができるというわけです。
私はこれを利己的主張の「道徳的粉飾」と呼んでいます。というか、そもそもそれが道徳の本質です。
 
というわけで、TPPに関して、誰もが国のためだと主張するので、わけのわからないことになっていますが、このところ目立つのは、「TPPはアメリカ主導だからよくない」とか「アメリカと交渉するとアメリカのいいようにやられてしまうからよくない」という主張です。
私はこういう主張をうさんくさく思っています。社民党や共産党が言うのならわかりますが、今まで「アメリカ主導のほうが世界が安定するのでよい」と言っていたような人までが主張しているからです。
アメリカ主導がよくないなら、日本主導か日米対等を目指さなければなりませんが、たとえば鳩山政権が普天間問題でアメリカ主導をくつがえそうとしていたとき、鳩山政権の足を引っ張るようなことばかりしていた人たちが(日本人のほとんどがそうでした)、なぜ今さらアメリカ主導がよくないなどと主張するのでしょうか。
また、鳩山政権は東アジア共同体構想を唱えましたが、これもまた日本人はほとんど無視していました。アメリカ主導がいやなら、東アジア共同体構想のほうを推進するべきでしょう。また、TPPは2006年にシンガポール、チリ、ブルネイ、ニュージーランドの4カ国で始まり、2010年からアメリカ主導になったのですが、日本はその前に加わって日本主導にすることもできたはずです。
つまり日本は日本主導の外交をやろうという気持ちはまったくなくて、ずっとアメリカ主導を是として生きてきたのですから、今さらアメリカ主導はよくないなんて主張する人が出てくると、あなたは今までなにをしてきたのですかと言いたくなります。
 
ですから、TPPは確かにアメリカ主導なのですが、それに乗っかるのは日本としてはしかたがありません。その中で少しでも日本に有利になるようにするべきです。
もっとも、ここで日本の交渉力が問題になりますが、もちろん日本の交渉力はアメリカのそれと比べると圧倒的に見劣りがします。私の印象では、橋本龍太郎氏が通産相だった時代にわりと日本はタフに対米交渉をしたと思いますが、それ以外ではぜんぜんだめです。普天間問題を見ればよくわかります。
ですから、私は「ヤクザ魂で日本復活」というエントリーで、対米交渉に当たる官僚は暴力団に体験入門してヤクザ魂を学べというイヤミを書いたわけです。
 
確かに日本にはまともな対米交渉力はありませんが、それは昔からのことですから、TPPに参加しない理由にはならないでしょう。
日本がアメリカと対等の関係になるには、日本人の精神を根本的から改めないといけません。

TPPに関する議論が迷走しています。本来なら、TPPによって損する分野と得する分野があるわけですから、各分野の損得をトータルして、国として損か得かで決定すればいいわけですが、なかなかそういう冷静な議論になりません。なぜならないかというのは、プロスペクト理論から説明できます。
 
プロスペクト理論というのは、行動経済学における理論で、要するに百万円得したときの喜びと、百万円損したときの苦痛とを比較すると、損したときの苦痛のほうが大きいという理論です。
ですから、一方で百万円得をし、もう一方で百万円損したとき、計算上はチャラですが、気持ちの上では苦痛が残ってしまいます。そのため人間は小さな損失を回避することに意識を集中し、大きな得をする機会を逃してしまうという不合理な行動をとりがちになります。
プロスペクト理論を発見した経済学者はノーベル経済学賞を受賞していますし、プロスペクト理論は今では確立された学説です。検索すれば簡単に調べられますが、わかりやすいサイトをひとつ挙げておきます。
「プロスペクト理論と利小損大の心理」
 
ですからTPPにおいては、ひじょうに単純化して言うと、TPPによってたとえば農業の1人が百万円損をし、輸出産業の1人が百万円得をするとすると、農業の1人は苦痛が大きいのでTPP反対の声が大きくなりますが、輸出産業の1人は喜びはそれほど大きくないのでTPP賛成の声はそれほど大きくなりません。
さらに言うと、損をする人は生活が苦しくなるだけでなく、転業、廃業を強いられたり、破産、一家離散、自殺などといった未来を想像して、さらに反対の声を大きくしますし、冷静さを欠いた意見も出てきます。
得する人は、生活が豊かになるだけでなく、高級外車購入、豪邸建設などといった未来を想像するかもしれませんが、だからといってそれほど賛成の声を大きくするわけではありません。
ですから、日本全体で見たとき、損をする分野から大きな反対の声が上がり、得をする分野からそれほど大きな賛成の声が上がらないということになり、賛成反対の声の大きさだけで決めると、国としては得なのに損だと判断してしまうことがあるわけです。
そういうことにならないように、プロスペクト理論を踏まえて、反対の声を割り引いて正しく判断しなければなりません。

大阪でダブル選挙が始まり、橋下政治への評価が問われていますが、これは簡単なことではありません。私は、橋下氏が公務員給与引き下げなどで支出を削減し、大阪府の財政を健全化したことは高く評価しますが、ただの人気取り政策みたいなものも多くて、そこは評価できません。
最初のうちはとにかくがむしゃらに改革をして、その姿勢が人気を呼んでいたのだと思いますが、だんだんと人気取りのために改革をするというように、本末転倒になってきた感があります。たとえば教育基本条例などはその典型でしょう。教師バッシングは、学校教育に恨みを持っている多くの人にアピールします。
とはいえ、多くの改革を行ってきたのは事実ですし、リーダーシップもあります。人気があるのも当然でしょう。
 
橋下氏のこうした政治手法はどこからきているのでしょう。私が思うに、それはヤクザ魂です。
週刊誌の報道によると、橋下氏の父親やおじは暴力団関係者であったそうです。そのことを問題にする人もいるかもしれませんが、問題にするべきではありません。それどころか、そのことが橋下氏にプラスになっているに違いないのです。
 
ヤクザというのは、度胸で稼ぐ商売のようなものです。自分が傷つくことを恐れず、場合によっては死ぬことも恐れない。もちろん、刑務所に入ることも恐れない。そういう生き方で稼ぐわけです。
橋下氏の突破力というのも、そうした恐れ知らずの姿勢からきているに違いありません。
 
ちなみに小泉純一郎元首相も、祖父の小泉又次郎はもともととび職人の請負師で、全身にいれずみがあり、「いれずみ大臣」と言われた人ですから、そのヤクザ魂を受け継いでいるといえます。だからこそあれだけの改革ができたし、人気もあったのでしょう。
 
今の日本の指導者に欠けているのは、まさにこのヤクザ魂です。
ヤクザ魂でなくサムライ魂といってもいいのですが、サムライはすでに絶滅しているので、手本がありません。その点、ヤクザはまだ身の回りにいて、手本にすることができます。ヤクザ映画もいっぱいあります。
 
ヤクザ魂が必要なのは政治家だけではありません。
日本はTPP交渉に参加することになりましたが、この交渉において、とくにアメリカに対したときの交渉力のなさが危惧されています。今のままではアメリカのいいようにされてしまうかもしれません。
TPPの実際の交渉に当たるのは官僚です。官僚というのは学校秀才ですから、喧嘩の経験もほとんどない人が多いはずです。これでは交渉ごとはうまくできません。
官僚もヤクザ魂を学ばなければなりません。ヤクザ魂でカウボーイ魂に対抗するのです。
そのためにはヤクザすなわち暴力団に体験入門するのがいいと思います。暴力団といってもいろいろありますが、随一の武闘派とされる山口組系弘道会がいいでしょう。警察は官僚の体験入門の斡旋をするべきです。
また、外務省は外交交渉についてアドバイスをしてもらうためにヤクザを顧問に迎えるべきです。
 
橋下氏や小泉元首相の政治手法を評価するなら、その根底にあるヤクザ魂を見なければなりません。
ヤクザ魂で日本復活といきたいものです。

今日いちばん驚いたのが、巨人の球団代表兼ゼネラルマネージャーの清武英利氏がナベツネこと渡辺恒雄氏を告発する会見を行ったというニュースです。この出来事は、巨人という球団の内紛といってしまえばそれまでですが、渡辺恒雄氏は読売新聞グループ本社会長で絶対的権力者ですから、たとえば北朝鮮で金正日を政権幹部が公然と批判したも同然です。ですから、ただちに粛清されても不思議ではありません。
清武氏がそういう力関係の中で告発に踏み切ったのは、どういうことでしょうか。
 
私が最初に思ったのは、希望的観測も含めて、渡辺恒雄氏の独裁体制が崩壊しつつあるのかということでした。渡辺氏は85歳の高齢です。さすがに読売本社内部で反渡辺の機運が高まっていて、それと連動している可能性があると思いました。
もうひとつの可能性として、渡辺氏に健康不安があって、そのことを知った上での告発かもしれないと思いました。
いずれにしても、清武氏は渡辺氏にさからっても勝てる可能性を見ているのではないかというのが、私が最初に思ったことです。
 
次に、清武氏は勘違いしているのかもしれないと思いました。
私は昔はけっこうプロ野球ファンでしたが、最近はあまり興味がなくなり、清武氏がどういう人物かまったく知りません。しかし、ある野球評論家が「球団代表があんなに目立ってはいかん」と批判しているのを聞いたことがあります。
清武氏はみずから中心になってプロ野球に育成枠というのを導入したそうで、巨人の育成枠から何人もの選手が育ったことで清武氏もマスコミに出る機会がふえました。今調べると、著書も2冊ありますし、テレビ東京の「ルビコンの決断」という経済ドキュメンタリードラマでも清武氏の活躍が取り上げられました(名高達男が清武役)
こうしたことから清武氏は、自己イメージがふくれ上がって、自分は渡辺氏にも対抗できるほどの人物であると勘違いしてしまったのかもしれません。
そうであれば、この出来事は清武氏が追放されて終わりということになってしまいます。
 
今は事情がよくわかりませんし、清武氏がどういう人間であるかも少なくとも私にはわかりません。
しかし、もし清武氏か渡辺氏かどちらの味方をするかをどうしても決めなければならないとしたら、私は迷わず清武氏の味方をします。
理由は簡単です。渡辺氏が権力者だからです。「弱きを助け、強きをくじく」というのが正しい倫理学の基本原則です。
 
渡辺氏が読売グループに絶対的権力者として君臨しているのは困ったことです。権力の集中化や絶対化はよくありません。
渡辺氏は政治にも深くかかわっています。鳩山政権や菅政権は読売新聞の論調が違っていたらもっと長持ちしたでしょう。渡辺氏は野田政権は支持しているようですが、個人の恣意がマスメディアを通じて政治を動かしているのはもちろんよいことではありません。
 
渡辺氏のこうしたあり方を同業者は批判しにくいものです。たとえば朝日新聞が渡辺氏批判をしたら、商売敵だから批判するのだろうと思われてしまいます。
ですから、ここはネットの出番ということになりますが、日ごろ「マスゴミ」だのなんだのとマスコミを批判している人たちも、渡辺氏にはそれほど批判的ではないようです。「弱きを助け、強きをくじく」ではなく、権力に弱い人が多いのでしょうか。
 
渡辺氏もさすがに高齢ですから、権力の座からすべり落ちる日も近いでしょうが、その日がきてから批判してもあまり意味がないと思います。

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