村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

ブログを始めてちょうど1週間になりました。毎日更新するという目標は達成できていますが、ちょっと方向性の見えないブログになっているのではないかと反省もしています。
 
始めるときは、「科学的倫理学」をベースにさまざまな問題を切りさばいていこうということで、はっきりした方向性がありました。たとえば死刑制度などについても書く用意をしていたのです。
しかし、ブログを始めたのが震災後という時期です。これは圧倒的に大きな要素です。今この時期に死刑制度の是非など論じるのはどう見てもKYでしょう。アクセスも伸びるとは思えません。そこで、みんなの関心のある震災や原発関係について書き、また、常識に挑戦するような書き方ではなく、いやし系の文章を書くよう心がけました。
ということで、なんだか方向性のないブログになってしまったのです。
どうして震災後のこの時期にブログを始めたのかというと、もともとブログを始めようと心の準備をしていて、ちょうど整ったのがたまたまこの時期だったということです。
間の悪い話です。
 
それに私自身、「科学的倫理学」を世の中に広めていくことについて、まだ気の迷いがあります。「科学的倫理学」が正しいことについては圧倒的な確信があるのですが、これは天動説に対する地動説みたいなものなので、今は宗教裁判こそありませんが、まともに世の中に訴えるとそうとうな反発を買うのではないかという気がしています。その一方で、すごく歓迎されるのではないかという気持ちもあり、突入して市街戦になるか、花とキャンディで迎えられるか、判断しかねているところです。
もっとも、正しいことなら訴えていくしかないので、これは私の性格の弱さというしかありません。
 
しかし、匿名ではなく本名で自分の考えを世の中に訴えていくというのは、誰にとってもむずかしいことではないでしょうか。
私は村田基の名で何冊かの小説を出版しましたが、小説というのは「これはフィクションですよ」という逃げ道があります。小説を書いていない時期は、ライターとして雑誌などに物を書いて生活の糧を得てきましたが、これは匿名性の中での仕事なので、ほとんどプレッシャーはありません。
ですから、こんな極小のアクセスしかないブログといえども、村田基という本名で自分の考えを世の中に訴えていくという初めての経験をしていることになります。
この年になって、またよちよち歩きから始めることになってしまったわけです。
ですから、しばらくは自分の考えが世の中にどう受け止められるかを手探りしながら書いていくつもりです。そのため、なんか正体のよくわからないブログになってしまうかもしれません。
気長に見守ってやってください。
 
 
ところで、「科学的倫理学」ってなんだと思う人も多いでしょうね。
「道徳とは利己主義の産物である」
「人間は道徳という棍棒を持ったサルである」
というのが「科学的倫理学」のキャッチフレーズです。私のホームページで概略を説明しています。
 
「思想から科学へ」村田基(作家)のホームページ
 
   
 

夏場の停電はなんとしても避けたいですね。大規模停電はもちろん計画停電であっても、クーラーが止まってのお年寄りの熱中症死や、冷蔵庫が止まっての食中毒など悲惨な事態が起こりかねません。
節電計画において、会社や工場を休みにし、デパートなどの休日をふやすというのは確実な方法です。いくら節電できるか計算ができますし、それを足し算していけばいいわけです。
問題は、一般家庭で使う電力です。いくら節電を呼びかけても、どれだけ節電してくれるか計算が立ちません。猛暑日が続いてクーラー使用がふえると、大規模停電になりかねません。
そこで、私なりのアイデアを提起したいと思います。
 
まずは、関東圏の会社は社員に長期のバカンスを与えてもらいます。普通の夏季休暇は一週間ぐらいでしょうが、思いきって一カ月ぐらいのバカンスにしてもらわないといけません。全部の会社でなくても、二割、三割ぐらいの会社が実行してくれればいいでしょう。
会社を休みにしても社員が東京ですごしていたら、家庭の電力使用量は変わりませんから、社員に関東圏から出ていってもらおうという狙いです。
一家で東京を出て、どこかの行楽地ですごしてもらえば、一世帯の電力消費がゼロ近くになります(冷蔵庫なんかは動いていますが)。一方、客がへって困っている行楽地、観光地がうるおうという一石二鳥の作戦です。
もっとも、一カ月のバカンスをもらっても、行楽地ですごすのは金がかかっていやだという人も多いでしょう。そのために行楽地では格安のバカンスパックを用意してもらいます。豪華な料理を出すのが売りの旅館も普通の食事にして、サービスもほどほどにしてもらいます。長期滞在客で部屋が埋まれば、安くしてもそれなりの利益は出るのではないでしょうか。
バカンスパックの申し込み状況を把握すれば、どれだけ節電できるか計算ができます。
 
もうひとつの提案は、クーラーの使用をへらすために東京で大規模な打ち水をやるということです。
私は京都の生まれですが、昔はどの家も夏の夕方になると家の前の道路に打ち水をしたものです。まだ舗装道路ではなかったのですが、打ち水の効果はてきめんで、たちまち涼しくなりました。
最近は東京でも実験的に打ち水が行われて、効果が確認されています。
昔はみんなクーラーなどなしに生活していたわけですが、今の東京はヒートアイランド現象でクーラーなしの生活はほとんど考えられません。クーラーの使用を控えようとしたら、なんとかして気温を下げなければいけません。となると、物理的に打ち水が唯一の方法となります。
暑い日は、日中何度も打ち水をします。今の地面はほとんどアスファルトとコンクリートですから、何度もする必要があります。家の屋根や壁にホースで水をかけるのもいいでしょう。
 
また、散水車で道路に水をまくというのも効率的だと思います。
私は去年の九月にベトナムのハノイに旅行したとき、暑いのに閉口しましたが、街の中を散水車が走って水をまいているのを見ました。一時間もすれば乾いてしまうのですが、やはりそこは少し涼しくなります。
今の日本には散水車はあまりないかもしれません。そしたらタンクローリーを改造するという手もあるはずです。また、消防車に出動してもらうのもいいでしょう。
 
現在、政府や経済界で練られている節電計画でいちばん不確実な要素が家庭でのクーラー使用だと思うので、そこに焦点を絞った案を提起してみました。
もっとも、「クーラーをやめて扇風機にしよう」なんていう呼びかけがいちばん効果的だったりするかもしれませんが。

まだ震災の被災者への寄付をしていません。神戸震災のときはすぐに寄付したのですが。
寄付をする気にならない理由ははっきりしています。東京に住んでいると、余震、原発、計画停電、物不足などがあって、自分も半分被災者になったような気持ちだからです。7日の夜にも大きな余震があり、また地震酔いが復活してしまいました。
もう少し気持ちが落ち着いてきたら寄付をしたいと思います。
 
ところで、こうした日を送る中で、私はひとつのことに気づきました。
今年は花粉症の症状が出ないのです。
今年は去年よりも花粉の量が2倍から10倍だといわれているので、花粉症になることは覚悟していたのに、これはどうしたことでしょうか。
 
それからもうひとつ妙なことがあります。
私は健康のために週に2回ぐらいスポーツジムのプールで泳いでいるのですが、泳いだあとしばしば鼻炎になり、鼻水が止まらなくてティッシュの山を築いてしまいます。雑菌が体に入るせいか、なにかに対するアレルギーかよくわかりませんが、私は“プール鼻”と呼んでいます。2回に1回ぐらいなるでしょうか。治るのに2日ぐらいかかるので、年中鼻をグズグスいわせている感じです。
震災のあとしばらくプールに行くのはやめていましたが、このところ週2回のペースを復活させました。
ところが、まだ一度も“プール鼻”になっていません。
震災のあと、私は健康になったのでしょうか。
 
ちなみに震災後、私は2キロぐらいやせました。“震災ダイエット”などと冗談をいっています。
 
もちろん震災によって健康になるなどということがあるわけありません。これは要するに、体が危機対応モードになっているということでしょう。いつ危機がくるかわからないというときに風邪など引いていられません。そこでいつもより体が免疫力を高めているのでしょう。
体重がへったのもそのせいかと思われます。気がめいって食欲が落ちたということもありますが、たぶん普段よりよけいにエネルギーを消費しているのです。通常の電源に加えて非常用ディーゼル発電機も動かしている状態といえましょうか(われながらうまい比喩ですね)
 
さっきは「危機対応モード」などというへんな言葉を使いましたが、要するにこれは「気が張っている」という状態ですね。気が張っていると風邪を引かないというのは昔からよくいわれます。
だから、これは健康になったのではなく、むりをしている状態です。早く普通の状態に戻らないといけません。
 
ほかの人はどうなんでしょうか。普通に花粉症になっているのでしょうか。
西日本に住んでる人はまた違うのでしょうね。
 
 
ところで、気が張っていると風邪を引かないということに関連して、私はおもしろい経験をしたことがあります。
昔、京都の実家で父が1人暮らしをしていたころのことですが、いつも父の様子を見てくれている知人から、父の体調がひじょうに悪いので入院させようかという相談の電話がかかってきました。こうなると知人に迷惑はかけられません。私が急きょ京都に向かうことになりました。
ただ、そのとき私は風邪を引いていました。鼻水は出るし、せきも出ます。そんな体調の悪い父に風邪をうつしてしまうと命とりになるかもしれないと思いました。しかし、行かないわけにもいかず、新幹線に乗りました。
そのときはとくに意識しなかったのですが、京都に着くころには風邪の症状はおさまっていました。京都では2泊して、父の様子を見ていましたが、結局入院の必要はないということで東京に戻ることにしました。
新幹線に乗ってしばらくすると、鼻水が出てきました。そして、せきも出てきました。2日間まったく消えていた風邪の症状が復活してきたのです。
ひじょうに不思議な気がしたので、よく覚えています。
 
よく一流の歌手はだいじなコンサートのときは風邪を引かないといわれます。もちろんそうなのでしょうが、そこには風邪を引いても症状が出ないという場合も含まれているのだろうと思います。
 
教育界というのはおかしなところで、子どもに「命のたいせつさ」を教えるべきだという議論がされています。いったいどうやって教えるのでしょうか。ご自分は「命のたいせつさ」を誰かから教わったのでしょうか。
私にいわせれば、「命のたいせつさ」は体が知っているのです。体は自分の判断でちゃんと非常用ディーゼル発電機も稼働させますし、たいせつな人を守るためにせきや鼻水も止めます。
もっとも、せきや鼻水が止まることと、菌やウイルスが出なくなることとはちょっと違います。私の体は菌やウイルスのことまでは知らなかったかもしれません。

ブログで政治的なことを書くというのはどうなんでしょうか。右翼的なことを書くと左翼から反発されるし、左翼的なことを書くと右翼から反発されるという問題があります。しかし、政治的なことはとりあえず多くの人の注目を集めそうですから、これからもある程度は書いていくつもりです。
政治的なことを書く以上、自分の政治的立場を明らかにしておいたほうがいいと思うので、ここで書いておきます。
 
私の政治的立場は、右でもなく左でもなく中道でもなく「上」です。
 
なんかギャグみたいですね。ギャグとして使えることは事実です。
「お前ら、右翼と左翼に分かれて喧嘩してるなんてバカじゃないの。俺なんか『上』だよ」みたいに。
「右でも左でもなく上」なんてすごく単純な発想ですが、今までギャグとしても考えた人はいないのではないでしょうか。政治的人間はいかに頭が硬直しているかということです。
 
「上」という立場から見たら、右翼であれ左翼であれ政治的人間というのは要するに変態です。国家フェチ、権力フェチ、反国家フェチ、反権力フェチなのです。
そして、困ったことにこの変態は自分が変態だという自覚を欠いています。ですから、ひじょうにはた迷惑でもあります。
たとえば、世の中には政治に無関心という人もかなりいます。街頭インタビューで今の首相の名前を聞かれて、「えー、知らなーい」「吉田栄作?」とかいってるギャルがいい例です。政治的人間はこういう人間をバカにするのですね。なんで変態が変態でない人間をバカにするのか。まったく間違っています。
 
さらにいえるのは、政治的人間は非政治的人間よりも不幸だということです。
なぜなら政治的人間はつねに社会のあり方を怒ったり、国のあり方を憂えたりしているからです。怒り、憂いという感情はそれ自体が不幸の構成要素です。
そして、不幸な人間が他人を幸福にすることなどできるわけがないのです。
 
このように右翼や左翼の政治的人間を見下ろすのが「上」という立場なのですが、これは世の中から超然としているということであり、ブログを書いていく上では大いに問題です。誰からも認識されないことになりかねないからです。
かといって、書くたびに政治的立場が違うというのでは、読む人はとまどってしまうでしょう。
そこで、私は政治的なことを書く場合はとりあえず左翼の立場から書いていくことにします。もともと私は左翼的な人間で、左翼のほうにシンパシーがありますし、今は右翼優勢の時代ですから左翼のほうが目立つだろうという計算もあります。
 
もっとも、つねに左翼の立場でいるとは限りません。株式投資の世界では買いポジションから売りポジション、売りポジションから買いポジションに一気に立場を逆転させることを“ドテン”というのですが、私はいつでも左から右、右から左にドテンすることができるからです。
右翼だ左翼だ、ウヨだサヨだとやり合っている人たちには、こういう立場があるのだということを知ってほしいと思います。
 

菅総理は左翼的な人間ですから、放射能への恐怖や原発への不信感が人一倍強いと思われますが、一方で原発安全神話を世に広め、自身もそれを信じてきた人たちがいます。
 
私が原子力安全・保安院の記者会見の生中継を初めて見たのは3月13日の未明でした。12日に福島第一の1号機で水素爆発が起こっていたので(そのときはまだ「爆発音がして白煙が上がった」という表現)、事態はどうなっているのかと真剣に見ていると、最初になにやら数字を発表しました。しかし、記者にその数字の単位の意味を聞かれると、答えられないのです。それからも記者がいろいろ質問しますが、居合わせた人間は誰も答えられず、互いに顔を見合わせたりするだけです。
次に東京電力の記者会見の生中継がありました。ここでも最初に、配布した資料の正誤がぼそぼそと読み上げられました。それをさえぎるように記者が質問しましたが、なにひとつまともな答えが返ってきません。さすがに記者もきつい口調になってきましたが、答えがないのは同じです。
私はこのふたつの会見ほどひどい会見を見たことがありません。そもそも記者会見に出てきた人間が原発について専門的知識を持っていないようですし、それに加えて事態をまったく把握していないようなのです。
私はこんな組織が事故対策をやっているなら、これは絶対最悪の事態になるに違いないと思い、真っ暗な気持ちになりました。
 
ただ、そのあと行われた枝野官房長官の記者会見を見て、少し安心しました。枝野長官は明らかに危機意識を持っていたからです。
しかし、その会見で最初に質問した記者は、「原子炉に海水を注入すると炉が使えなくなる可能性があり、その損失の責任をどう思うのか」という意味の質問をしました。記者にも危機感のない人間がいたのです。
ともかく、官邸は海水注入とベントを指示し、それによって最悪の事態は避けられました。東電は海水注入とベントの決断が遅れたことはないと主張していますが、いろいろな報道を見ても、官邸が強く指示したことは間違いないようです。そして、そこに菅総理の意志があったのも明らかでしょう。
 
その後も保安院と東電の記者会見はグズグスでした。今、保安院の会見は西山審議官が一手に引き受けていますが、要するにほかにまともにしゃべれる人がいないのでしょう。東電の会見も見るにたえないもので、最初にNHKが生中継をやめ、続いて民放も生中継をやめてしまいました。ただダラダラと続くだけの会見ですから、当然でしょう。
 
しかし、マスコミは東電と保安院をほとんど批判しません。これはひどいものです。雪印乳業が食中毒事件を起こしたときは記者会見場で社長に罵声が飛び、結局雪印乳業はつぶれてしまいました。しかし、東電は官営企業のようなものですから、官僚依存と広告費依存のマスコミは批判できないのです。
 
東電と保安院を批判できないと、この事態を招いたのは誰のせいだということになり、そこで菅総理や官邸のせいだという論調が出てきます。
たとえば、菅総理が福島原発を視察したせいで事故対策が遅れたのだという主張があります。
しかし、もし東電が総理を歓待することに多くの人手をさいて、事故対策を後回しにしていたとしたら(その可能性はあります)、批判されるべきは東電のそのやり方です。首相視察には「今は取り込んでいますから」といって数人の案内役だけつけておけばいいのです。こんな単純な判断もできない野党や一部マスコミも困ったものです。
 
東電や保安院は自民党政権に育てられた組織です。今も自民党は東電や保安院をほとんど批判しません。もし今も自民党政権が続いていたら、誰が首相であっても、東電や保安院のいうことをそのまま信じて、最悪の事態を招いていた可能性が大いにあると思います。
 
その点、菅総理は原発事故に対処するに最良の総理であったといえるでしょう。
東電が福島原発から人を引き上げたいといったとき、東電に怒鳴り込んでいったのも正解です。東電はむしろ大量に人員を投入しなければいけなかった場面です。
 
菅総理は左翼的な人間であったがゆえに、原発事故にうまく対処し、救国の英雄になりました(事故はまだ継続中なのでこの判断はちょっと早いですが)
 
もっとも、英雄というのは普通勇気ある行動によって英雄になるものですが、菅総理は恐怖心による行動によって英雄になったという、歴史上まれな存在です。
しかし、これからは国民を鼓舞する勇気ある総理が求められることになります。菅総理はどうなのでしょうか。

このページのトップヘ