村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

まだ震災の被災者への寄付をしていません。神戸震災のときはすぐに寄付したのですが。
寄付をする気にならない理由ははっきりしています。東京に住んでいると、余震、原発、計画停電、物不足などがあって、自分も半分被災者になったような気持ちだからです。7日の夜にも大きな余震があり、また地震酔いが復活してしまいました。
もう少し気持ちが落ち着いてきたら寄付をしたいと思います。
 
ところで、こうした日を送る中で、私はひとつのことに気づきました。
今年は花粉症の症状が出ないのです。
今年は去年よりも花粉の量が2倍から10倍だといわれているので、花粉症になることは覚悟していたのに、これはどうしたことでしょうか。
 
それからもうひとつ妙なことがあります。
私は健康のために週に2回ぐらいスポーツジムのプールで泳いでいるのですが、泳いだあとしばしば鼻炎になり、鼻水が止まらなくてティッシュの山を築いてしまいます。雑菌が体に入るせいか、なにかに対するアレルギーかよくわかりませんが、私は“プール鼻”と呼んでいます。2回に1回ぐらいなるでしょうか。治るのに2日ぐらいかかるので、年中鼻をグズグスいわせている感じです。
震災のあとしばらくプールに行くのはやめていましたが、このところ週2回のペースを復活させました。
ところが、まだ一度も“プール鼻”になっていません。
震災のあと、私は健康になったのでしょうか。
 
ちなみに震災後、私は2キロぐらいやせました。“震災ダイエット”などと冗談をいっています。
 
もちろん震災によって健康になるなどということがあるわけありません。これは要するに、体が危機対応モードになっているということでしょう。いつ危機がくるかわからないというときに風邪など引いていられません。そこでいつもより体が免疫力を高めているのでしょう。
体重がへったのもそのせいかと思われます。気がめいって食欲が落ちたということもありますが、たぶん普段よりよけいにエネルギーを消費しているのです。通常の電源に加えて非常用ディーゼル発電機も動かしている状態といえましょうか(われながらうまい比喩ですね)
 
さっきは「危機対応モード」などというへんな言葉を使いましたが、要するにこれは「気が張っている」という状態ですね。気が張っていると風邪を引かないというのは昔からよくいわれます。
だから、これは健康になったのではなく、むりをしている状態です。早く普通の状態に戻らないといけません。
 
ほかの人はどうなんでしょうか。普通に花粉症になっているのでしょうか。
西日本に住んでる人はまた違うのでしょうね。
 
 
ところで、気が張っていると風邪を引かないということに関連して、私はおもしろい経験をしたことがあります。
昔、京都の実家で父が1人暮らしをしていたころのことですが、いつも父の様子を見てくれている知人から、父の体調がひじょうに悪いので入院させようかという相談の電話がかかってきました。こうなると知人に迷惑はかけられません。私が急きょ京都に向かうことになりました。
ただ、そのとき私は風邪を引いていました。鼻水は出るし、せきも出ます。そんな体調の悪い父に風邪をうつしてしまうと命とりになるかもしれないと思いました。しかし、行かないわけにもいかず、新幹線に乗りました。
そのときはとくに意識しなかったのですが、京都に着くころには風邪の症状はおさまっていました。京都では2泊して、父の様子を見ていましたが、結局入院の必要はないということで東京に戻ることにしました。
新幹線に乗ってしばらくすると、鼻水が出てきました。そして、せきも出てきました。2日間まったく消えていた風邪の症状が復活してきたのです。
ひじょうに不思議な気がしたので、よく覚えています。
 
よく一流の歌手はだいじなコンサートのときは風邪を引かないといわれます。もちろんそうなのでしょうが、そこには風邪を引いても症状が出ないという場合も含まれているのだろうと思います。
 
教育界というのはおかしなところで、子どもに「命のたいせつさ」を教えるべきだという議論がされています。いったいどうやって教えるのでしょうか。ご自分は「命のたいせつさ」を誰かから教わったのでしょうか。
私にいわせれば、「命のたいせつさ」は体が知っているのです。体は自分の判断でちゃんと非常用ディーゼル発電機も稼働させますし、たいせつな人を守るためにせきや鼻水も止めます。
もっとも、せきや鼻水が止まることと、菌やウイルスが出なくなることとはちょっと違います。私の体は菌やウイルスのことまでは知らなかったかもしれません。

ブログで政治的なことを書くというのはどうなんでしょうか。右翼的なことを書くと左翼から反発されるし、左翼的なことを書くと右翼から反発されるという問題があります。しかし、政治的なことはとりあえず多くの人の注目を集めそうですから、これからもある程度は書いていくつもりです。
政治的なことを書く以上、自分の政治的立場を明らかにしておいたほうがいいと思うので、ここで書いておきます。
 
私の政治的立場は、右でもなく左でもなく中道でもなく「上」です。
 
なんかギャグみたいですね。ギャグとして使えることは事実です。
「お前ら、右翼と左翼に分かれて喧嘩してるなんてバカじゃないの。俺なんか『上』だよ」みたいに。
「右でも左でもなく上」なんてすごく単純な発想ですが、今までギャグとしても考えた人はいないのではないでしょうか。政治的人間はいかに頭が硬直しているかということです。
 
「上」という立場から見たら、右翼であれ左翼であれ政治的人間というのは要するに変態です。国家フェチ、権力フェチ、反国家フェチ、反権力フェチなのです。
そして、困ったことにこの変態は自分が変態だという自覚を欠いています。ですから、ひじょうにはた迷惑でもあります。
たとえば、世の中には政治に無関心という人もかなりいます。街頭インタビューで今の首相の名前を聞かれて、「えー、知らなーい」「吉田栄作?」とかいってるギャルがいい例です。政治的人間はこういう人間をバカにするのですね。なんで変態が変態でない人間をバカにするのか。まったく間違っています。
 
さらにいえるのは、政治的人間は非政治的人間よりも不幸だということです。
なぜなら政治的人間はつねに社会のあり方を怒ったり、国のあり方を憂えたりしているからです。怒り、憂いという感情はそれ自体が不幸の構成要素です。
そして、不幸な人間が他人を幸福にすることなどできるわけがないのです。
 
このように右翼や左翼の政治的人間を見下ろすのが「上」という立場なのですが、これは世の中から超然としているということであり、ブログを書いていく上では大いに問題です。誰からも認識されないことになりかねないからです。
かといって、書くたびに政治的立場が違うというのでは、読む人はとまどってしまうでしょう。
そこで、私は政治的なことを書く場合はとりあえず左翼の立場から書いていくことにします。もともと私は左翼的な人間で、左翼のほうにシンパシーがありますし、今は右翼優勢の時代ですから左翼のほうが目立つだろうという計算もあります。
 
もっとも、つねに左翼の立場でいるとは限りません。株式投資の世界では買いポジションから売りポジション、売りポジションから買いポジションに一気に立場を逆転させることを“ドテン”というのですが、私はいつでも左から右、右から左にドテンすることができるからです。
右翼だ左翼だ、ウヨだサヨだとやり合っている人たちには、こういう立場があるのだということを知ってほしいと思います。
 

菅総理は左翼的な人間ですから、放射能への恐怖や原発への不信感が人一倍強いと思われますが、一方で原発安全神話を世に広め、自身もそれを信じてきた人たちがいます。
 
私が原子力安全・保安院の記者会見の生中継を初めて見たのは3月13日の未明でした。12日に福島第一の1号機で水素爆発が起こっていたので(そのときはまだ「爆発音がして白煙が上がった」という表現)、事態はどうなっているのかと真剣に見ていると、最初になにやら数字を発表しました。しかし、記者にその数字の単位の意味を聞かれると、答えられないのです。それからも記者がいろいろ質問しますが、居合わせた人間は誰も答えられず、互いに顔を見合わせたりするだけです。
次に東京電力の記者会見の生中継がありました。ここでも最初に、配布した資料の正誤がぼそぼそと読み上げられました。それをさえぎるように記者が質問しましたが、なにひとつまともな答えが返ってきません。さすがに記者もきつい口調になってきましたが、答えがないのは同じです。
私はこのふたつの会見ほどひどい会見を見たことがありません。そもそも記者会見に出てきた人間が原発について専門的知識を持っていないようですし、それに加えて事態をまったく把握していないようなのです。
私はこんな組織が事故対策をやっているなら、これは絶対最悪の事態になるに違いないと思い、真っ暗な気持ちになりました。
 
ただ、そのあと行われた枝野官房長官の記者会見を見て、少し安心しました。枝野長官は明らかに危機意識を持っていたからです。
しかし、その会見で最初に質問した記者は、「原子炉に海水を注入すると炉が使えなくなる可能性があり、その損失の責任をどう思うのか」という意味の質問をしました。記者にも危機感のない人間がいたのです。
ともかく、官邸は海水注入とベントを指示し、それによって最悪の事態は避けられました。東電は海水注入とベントの決断が遅れたことはないと主張していますが、いろいろな報道を見ても、官邸が強く指示したことは間違いないようです。そして、そこに菅総理の意志があったのも明らかでしょう。
 
その後も保安院と東電の記者会見はグズグスでした。今、保安院の会見は西山審議官が一手に引き受けていますが、要するにほかにまともにしゃべれる人がいないのでしょう。東電の会見も見るにたえないもので、最初にNHKが生中継をやめ、続いて民放も生中継をやめてしまいました。ただダラダラと続くだけの会見ですから、当然でしょう。
 
しかし、マスコミは東電と保安院をほとんど批判しません。これはひどいものです。雪印乳業が食中毒事件を起こしたときは記者会見場で社長に罵声が飛び、結局雪印乳業はつぶれてしまいました。しかし、東電は官営企業のようなものですから、官僚依存と広告費依存のマスコミは批判できないのです。
 
東電と保安院を批判できないと、この事態を招いたのは誰のせいだということになり、そこで菅総理や官邸のせいだという論調が出てきます。
たとえば、菅総理が福島原発を視察したせいで事故対策が遅れたのだという主張があります。
しかし、もし東電が総理を歓待することに多くの人手をさいて、事故対策を後回しにしていたとしたら(その可能性はあります)、批判されるべきは東電のそのやり方です。首相視察には「今は取り込んでいますから」といって数人の案内役だけつけておけばいいのです。こんな単純な判断もできない野党や一部マスコミも困ったものです。
 
東電や保安院は自民党政権に育てられた組織です。今も自民党は東電や保安院をほとんど批判しません。もし今も自民党政権が続いていたら、誰が首相であっても、東電や保安院のいうことをそのまま信じて、最悪の事態を招いていた可能性が大いにあると思います。
 
その点、菅総理は原発事故に対処するに最良の総理であったといえるでしょう。
東電が福島原発から人を引き上げたいといったとき、東電に怒鳴り込んでいったのも正解です。東電はむしろ大量に人員を投入しなければいけなかった場面です。
 
菅総理は左翼的な人間であったがゆえに、原発事故にうまく対処し、救国の英雄になりました(事故はまだ継続中なのでこの判断はちょっと早いですが)
 
もっとも、英雄というのは普通勇気ある行動によって英雄になるものですが、菅総理は恐怖心による行動によって英雄になったという、歴史上まれな存在です。
しかし、これからは国民を鼓舞する勇気ある総理が求められることになります。菅総理はどうなのでしょうか。

どうやら私たちは放射能と長いつきあいをしなくてはいけないようです。
そこで問題になるのが、放射能はどの程度恐れるのが正しいのかということですが、この判断がなかなかむずかしい。というのは、私たちはすでに放射能についてさまざまな偏見を持ってしまっているからです。私は放射能の専門家ではありませんが、自分なりの観点から「放射能の恐怖」についての偏った認識について書いてみたいと思います。
 
ひとついえるのは、わたしたちは政治的立場によって「放射能の恐怖」の感じ方が大きく違うということです。単純にいえば、左翼的な人は「放射能の恐怖」がひじょうに強いのです。
なぜそんなことになるのか。理由は三つあります。
 
まずひとつは、冷戦構造下で左翼はすなわち反米でしたから、反米感情をあおるために左翼はヒロシマ・ナガサキ、第五福竜丸の悲劇を強調してきました。そのとき「放射能の恐怖」もいっしょに強調してきたのです。人を動かすとき恐怖心をあおるのはいちばん手っ取り早い方法だからです。
 
ふたつ目は、左翼は基本的にエコロジストでもあるので、反原発の立場です(右翼は国家単位でものを考えるので地球環境問題は苦手です)。反原発を主張するとき、手っ取り早いやり方として原発事故の恐ろしさ、放射能飛散の恐ろしさを強調することが行われてきました。
 
三つ目は、左翼は原発労働者の被ばくの危険性をつねに強調してきました。なぜ左翼が被ばくの危険性を強調してきたかというと、被ばくを伴う作業をするのは主に下請け労働者だからです。「危険な作業に従事させられる下請け労働者」という左翼の好きな、というか左翼の訴えたい構図を強調するためにも、被ばくの危険性がより強調されたのです。
 
このように左翼は放射能の恐怖を強調することで自分の主張を通そうとしてきたのですが、これはうそやごまかしというわけではありません。レントゲン検査ですら多少なりとも発がんリスクを高めるわけですから、その恐怖には一定の正当性があります。その結果、左翼自身、誰よりも放射能を恐れる人間になったのです。
原発で作業員を雇うときは、最初に徹底的に放射能や放射線は怖くないという洗脳教育をするそうですが(少なくとも左翼はそのように主張してきました)、左翼は自分で自分に「放射能は怖い」という洗脳教育をしてきたのです。
 
私は今は左翼ではありませんが、若いころから長く左翼的な考え方をしてきましたから、そのへんの事情はよくわかります。
たとえば、左翼はプルトニウムを混ぜたMOX燃料の危険性をあらかじめ知っています。だから、福島第一の三号機でMOX燃料が使われているという小さい新聞記事にも当然注目します(これはテレビではまったくといっていいほど触れられません)。そして、広瀬隆さんの情報発信もキャッチします。そうして恐怖心をますます増幅させてしまうのです。
 
今の私は少し考え方が変わってきています。
たとえば、広島は戦後すぐに復興してずっと多くの人が住んでいますし、ひどいケロイドを負って今まで長生きしている人もいます。当時の原爆と今の原発ではウランの量がまったく違うので、比較してはいけないのですが、少なくとも広島の放射能はそれほどのものではなかったといえます。
また、現在福島第一で作業に当たっている人たちは、別に鎖につながれて働いているわけではありません。自分の意志で働いているのです。とすると、労働者の被ばくの問題も、これまで思っていたのとは違うようです。そもそも東芝、日立、関電工の社員を下請け労働者と呼ぶのはかなり語弊があります。
また、プルトニウムの毒性について、CSテレビで「一万倍の毒性だという説がある」といっている人がいてびっくりしました(朝日ニュースターの愛川欽也さんの番組です)。これはさすがに間違いだと思いましたが、間違いなりの“根拠”があるのではないかと調べてみると、どうやらプルトニウムから発生する放射能は半減期が長く、中には一万年以上のものもあるということが“根拠”になっているようです。
私でもこれが間違いであることはわかります。半減期が長いということは、時間当たりに発生する放射線の量が少ないということであり、人体にはむしろ無害です。半減期が人間の寿命と重なるぐらいのものが有害なのです。
 
こうして今では私の考えも変わってきたのですが、頭ではわかっても体がついてこないというか、今も腹の底に恐怖心がわだかまっています。長年かけて形成された恐怖心は消すのにもそれなりの時間がかかるようです。
 
 
ここで話が変わるようですが、菅総理の心理状態について考えてみます。
市民運動出身の菅さんは、社会主義や共産主義の左翼とは違いますが、左翼的な人間といっても間違いないでしょう。反原発運動からの情報も相当得ているはずで、放射能への恐怖心も人一倍強いと思います。
一時、菅総理は引きこもり状態だとか、うつろな表情でマウスを動かしてるだけだとかいう週刊誌報道があって、その報道の真偽のほどはわかりませんが、私は自分自身と照らし合わせてもありそうなことだと思いました。
今でこそ原発事故は小康状態にありますが、一時はかなり危機的な状態で、放射能の大量放出もあるのではないかと私は思っていました。当然、精神状態は最悪です。
ちょうどそのころ、私と同年代の知人が救急車で運ばれるという出来事がありました。酒と睡眠薬の飲みすぎだったようです。彼もまた私と同じような価値観で生きてきた人間で、見舞いに行って話を聞くと、原発や震災の報道を見ていて気がめいったということでした。
菅総理もそうした精神状態だったかもしれません。
これは一国の指導者としてはひじょうに困ったことです。
しかし、私は菅総理の左翼バイアスのかかった過剰な「放射能の恐怖」こそが日本を救ったのではないかと考えています。
(つづく)
 
 

3月19日のフジテレビ「情報7daysニュースキャスター」で、ビートたけしが被災地で空き巣に入ったり死体から金品を盗んだりする火事場泥棒について、「ああいうのは撃ち殺していいと思うんだよね」と発言しました。それに共感の声が多数上がっているそうです。
火事場泥棒をするのは特殊な人なのでしょうか?
「いいえ、誰でも」
 
公共広告機構(AC)のコマーシャルはくだらないのばっかりですが、金子みすゞの詩だけはいいですねえ。たけしさんもよく味わってください。
 
そもそも火事場泥棒だって、家もなにもかもなくした被災者である可能性が高いのです。それに、被災地で火事場泥棒を撃ち殺していたら、被災者の心はますますすさんでしまいます。避難所にいると、どこかでズドーンという音が。「ああ、今日もまた撃たれたな……」それに、ボランティアで片づけをやっている人が間違って撃たれるかもしれないと思うと、ボランティアに行きにくくなってしまいます。
 
たけしさんの発言の根底にあるのは、「悪いやつをやっつければ世の中はよくなる」という考え方です。そして、自分と悪いやつはまったく別の人間だと考えています。
こうした考え方を私はこんなふうに要約しています。
「あいつは悪い。この人はよい。自分は正しい」
 
一方、金子みすゞならこんなふうに考えるでしょう。
「悪人も善人も正義の人もみな同じ」
 
しかし、たけしさんの発言はけっこう支持されていますし、たけしさんは人気者です。一方、金子みすゞは26歳で自殺し、一時はまったく忘れられた存在になりました。
 
今も学者、評論家、新聞の論説委員、知識人、文化人、その他社会に意見を発表する人のほとんどがたけしさんと同じ立場に立っています。
「あいつは悪い。この人はよい。自分は正しい」
「悪いやつをやっつければ世の中はよくなる」
そして、犯罪者、テロリスト、金権政治家、天下り官僚、悪徳経営者、ヤクザ、ニート、怠け者、利己主義者、差別主義者、変態性欲者、臆病者、がさつ者、うっかり者などを非難するのですが、いくら非難しても決して世の中はよくなりません。
それは当然です。考え方の根本が間違っているのですから。
 
「あいつは悪い。この人はよい。自分は正しい」
この考え方はまさしく自己中心的な、つまり天動説的な道徳観です。
道徳観のコペルニクス的転回による「科学的倫理学」が必要なゆえんです。
 

このページのトップヘ