村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

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静岡県の川勝平太知事が「職業差別」とされる発言をしたことで批判を浴び、辞職を表明しました。
川勝知事は前から暴言、失言を繰り返していましたが、とくに注目を浴びたのはリニア中央新幹線を巡る問題です

川勝知事は大井川の水が減少するなどの理由をつけてリニア中央新幹線の工事をストップさせ、JR東海とバトルを演じてきました。
しかし、一民間企業と一人の知事がやり合っているだけですから、新聞、テレビはあまり報じず、もっぱらネットニュースになるだけです。
そのネットニュースはほとんどが川勝知事に批判的でした。ということは、おそらくJR東海が書かせているのだろうと私は勝手に想像していました。

どうやら川勝知事の言っていることは“いちゃもん”に近いことのようでしたが、そこで浮かび上がったのは、リニア中央新幹線という国家的事業をJR東海という一民間企業がやっていることの不自然さです。

もともとリニアは国鉄が開発をしていましたが、国鉄は分割民営化され、事業の主体がわかりにくくなりました。
リニアは「3時間かかる東京―大阪間を1時間で結ぶ」というのがうたい文句でしたが、そんなに速くする意味があるのかという声があり、採算性も不透明でしたし、安全性やテロの懸念もありました。
ということで、なかなか実現しなかったのですが、JR東海がしびれを切らしたのか、費用は全額負担して一社で完成させることになったのです。

費用は全額負担とはいっても、国から3兆円の融資を受けています。経営危機になれば国としても放っておけず、税金を投入して救済することになるでしょう。
最初から国家事業としてやっていれば、静岡県も妨害することはできません。
事業の基本設計が間違っているのです。

なぜそうなったかというと、安倍晋三首相とJR東海の葛西敬之名誉会長が親密な関係にあったからだといわれます。つまりこれも「安倍案件」のひとつです(安倍政権はリニア新幹線をアメリカに売り込もうとしましたが、成功していません)。

川勝知事がどういう理由でリニアの工事を妨害したのかはよくわかりません。「安倍案件」だからということでもなさそうです。
いちばん納得いく説明は、川勝知事は東海道新幹線に「静岡空港新駅」を設置することをJR東海に求めたのにJR東海はまったくとりあわず、そのため川勝知事が腹を立てたからだというものです。

いずれにしても、リニアの建設は今後も不透明です。
安倍元首相も葛西名誉会長も亡くなった今、リニアも負の遺産になるかもしれません。


この機会に川勝知事の暴言、失言を振り返ってみました。そうすると、それほど目くじら立てるほどのものとも思えません。

2021年10月、川勝知事は参院静岡選挙区補欠選挙の応援演説で「あちら(御殿場市)はコシヒカリしかない。ただメシだけ食って、それで農業だと思っている。こちら(浜松市)にはウナギがある。何でもある」などと発言しました。
浜松市内での演説で、対立候補が御殿場市長経験者だったことからくる発言です。
静岡知事という立場でふたつの土地に上下をつけるのはよくないので、批判されるのは当然ですが、差別意識に基づいた発言とは思えず、ただ愚かなだけの発言です。

今年の3月、磐田市の女子サッカーチームの関係者と面会した際、「磐田は文化が高い。あそこは浜松より元々高かった」と言いました。
さらに、サッカー強豪校の県立藤枝東高に言及し、「藤枝東はサッカーするためにやってきている。ボールを蹴るのが一番重要なこと。勉強よりも何よりも」とも言いました。

どれも愚かな発言ですが、言われたほうは、傷つくというよりもあきれるというところではないでしょうか。
たとえば磐田市と比べて浜松市は文化が低いといっていますが、これは川勝知事個人の価値観でしょう。
たとえば大阪などで在日朝鮮人の多い地域をバカにすると、それは差別だということになりますが、磐田市になにか差別される所以はないはずです。
とすると、この発言は「愚かな発言」ではありますが、「差別発言」とはいえないと思われます。


川勝知事はどういう人かと調べると、早稲田大学政経学部卒業、オックスフォード大学に留学して博士号を取得、早稲田大学教授などをやっていました。ですから、決して頭の悪い人ではないはずです。ただ、75歳という年齢なので、配慮ができなくなっているのかもしれません。


問題の「職業差別」とされる発言ですが、県庁の新入職員に対する訓示におけるものです。
川勝知事は前から「切り取られた」と抗議するので、FNNプライムが『【全文】物議醸す静岡・川勝知事の訓示 新入職員を前に職業差別? 繰り返される失言「みなさんは頭脳・知性高い」』という切り取らない記事を配信しました。そこから引用します。
そしてですね、そのためにはですね、やっぱり勉強しなくちゃいけません。実は静岡県、県庁というのは別の言葉でいうとシンクタンクです。毎日、毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいはモノを作ったりとかということと違って、基本的に皆様方は頭脳・知性の高い方たちです。ですから、それを磨く必要がありますね。で、それは磨き方はいろいろあります。知性を磨くということ。それからですね、やっぱり感性を豊かにしなくちゃいけない、それから体がしっかりしてないといけませんね、ですから文武芸、三道鼎立と。文武両道というのは良く聞くでしょう。しかしですね、美しい絵を見たり、良い音楽を聞いたり、映画を見たり、演劇を見たりした時にですね、感動する心というものがあると望ましい。

ですから、自分の知性がこの人に及ばないなと思ってもですね、知性というものを大切にするということが大事ですね。そのためにはやっぱり勉強しなちゃいけません。それから体を鍛えると。しかし、スポーツが苦手な人もいらっしゃるでしょう。でも、スポーツを楽しむことはできますね。見たり、楽しむこともできます。まぁ無芸大食の人もいるでしょう。しかし、芸術を愛することはできますから、文武芸、三道鼎立ということでですね、豊かな人間になっていただきたいと思います。
問題部分は「毎日、毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいはモノを作ったりとかということと違って、基本的に皆様方は頭脳・知性の高い方たちです」というところだけです。
果たしてこれは「職業差別」でしょうか。

世の中には頭脳労働と肉体労働という区分があって、それを指摘することは差別でもなんでもありません。
「あなたたちは頭脳・知性の高さで選ばれました」とか「あなたたちには頭脳・知性の高さが求められます」とか言っていれば問題はなかったでしょう。
「皆様方は頭脳・知性の高い方たちです」と言うと、転じて「野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノをつくったりする方たちは頭脳・知性の低い方たちです」という意味になりかねません。
とはいえ、決して「野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノをつくったりする方たちは頭脳・知性の低い方たちです」とは言っていないわけで、勝手に発言を捏造して「職業差別」だと主張してはいけません。

JR東海は多額の宣伝広告費を使うので、メディアに影響力を持っています。
川勝知事とJR東海がバトルをしているとき、メディアは圧倒的にJR東海寄りでした。そのため川勝知事の「愚かな発言」を取り上げて、大げさに騒いでいたということがありました。
今回の「職業差別」発言もその流れにあります。
冷静に判断したいものです。

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松本人志氏は文藝春秋と週刊文春編集長を訴えた裁判を前にして、みずからの心境を文書にして発表しましたが、これがなんとも情けないものでした。
このところ松本氏を擁護する声が盛り上がっていましたが、擁護派の人たちもこの文章を読んでがっかりしたのではないでしょうか。
短い文章なので、全文を引用します。

人を笑わせることを志してきました。

たくさんの人が自分の事で笑えなくなり、

何ひとつ罪の無い後輩達が巻き込まれ、自分の主張はかき消され受け入れられない不条理に、ただただ困惑し、悔しく悲しいです。

世間に真実が伝わり、一日も早く、お笑いがしたいです。

 ダウンタウン松本人志
「自分の主張はかき消され」といいますが、松本氏が主張したのは「事実無根なので闘いまーす」ぐらいです。
「何ひとつ罪のない後輩達」のことを思うなら、自分が沈黙せずにどんどん発言するべきです。
「一日も早く、お笑いがしたいです」といいますが、そもそも芸能活動休止を決めたのは自分です。法律の専門家はみな、芸能活動をしながら裁判をすることは十分可能だと言っていました。

この文章でただひとつ評価するところがあるとすれば、「家族」を持ち出さなかったところです。「家族がつらい思いをしている」ということで同情を誘うのがありがちな手法です。

文章の全体が「泣き言」か「繰り言」です。
裁判が始まる直前の文章ですから、本来なら裁判闘争に向けての決意表明をするところです。

この文章を「負け犬の遠吠え」とたとえようと思いましたが、「負け犬の遠吠え」は表面的に強がっているときの表現です。
松本氏の文章には強がっているところがまったくなく、悲観一色です。

松本氏はおそらく裁判で訴えるべきことがないのでしょう。
訴えるべきことがあるなら、最初から記者会見などをしているはずです。
裁判を始めたのも、記者会見をしない口実にするためでしょう。
お笑いをしたいなら裁判などするべきではありませんでした。

それに加えて、Xで「とうとう出たね。。。」と「事実無根なので闘いまーす。それも含めワイドナショー出まーす」と発信したところ、世の中から圧倒的に否定されてしまいました。
そのため松本氏は自分が世の中からずれていることを認識し、発信する自信を失ったのでしょう。

松本氏は裁判に備えて弁護士と何度も打ち合わせをしたでしょう。
それによってどの程度勝ち目があるかもわかったはずです。
その結果がこの文章です。


松本氏がこれほど弱気になっているということを世間はまだ理解していないかもしれません。
松本氏は圧倒的な力を持っている人というイメージだからです。
実際、お笑い界に第一人者として君臨し、吉本興業の力もあって、テレビ界にも圧倒的な存在感を示してきました。
体を鍛えてマッチョでもあり、写真ではいつも人をにらみつけるような顔をしています。
長者番付(高額納税者名簿)が発表されていたころ、松本氏と浜田氏はつねに芸能界の一位、二位を争っていましたから、松本氏はお笑い界だけではなく芸能界でもトップの存在です。
安倍首相も松本氏の番組であるワイドナショーを選んで出演していましたから、松本氏は最高権力者にも近いところにいました。

松本氏はあまりにも力を持ったのが間違いのもとでした。
自分の力を過信したため、女性から性加害を告発されたとき、簡単にはね返せると思って、「事実無根なので闘いまーす」と言ってしまったのです。
吉本興業も「当該事実は一切なく、本件記事は本件タレントの社会的評価を著しく低下させ、その名誉を毀損するものです」と松本氏と同一歩調をとって、松本氏の勘違いを助長しました。

現状を見ると、松本氏の応援団は声を上げていますが、松本氏本人が闘志を失っている状況です。
被害女性が声を上げる#MeToo運動の力は偉大です。
アメリカでは大物映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインも#MeToo運動で告発されたことがきっかけで失脚しました。
日本で芸能界トップの松本氏が失脚しても不思議ではありません。


ところが、ここにきて急に週刊文春に対する批判が強まりました。
最初のきっかけは、松本氏の性加害告発の最初の記事が載った週刊文春45万部が完売したとして竹田聖編集長がコメントを発表したことです。
ここから週刊文春はもうけ主義だという批判が強まり、週刊誌は嘘を書いて訴訟で負けてももうかるのだといったことが言われました。
たとえば堀江貴文氏は自身のYouTubeチャンネルで「週刊文春はいろんな偉そうなことを言ってますけど、金のためにしかやってません。正義感とか1ミリもないと思います。記事になって自殺した人がいてもしょうがねえって言ってるんですよ。それぐらいのほんとうにクズみたいな組織なんで」と語りました。

それから、文芸春秋の新谷学総局長がYouTubeのある企画で「これを刑事事件として立件するのははっきり言って不可能だと思うんですよ」と述べ、その理由を「彼女の証言だけで、客観的なそれを裏付ける証拠もないわけですよね。それで被害届を出して警察で事件にできるかと言うと、不可能」と語りました。
そうすると、刑事事件にならないものを週刊文春が裁くなら、それは「私刑」ではないかという批判が上がりました。
幻冬舎編集者の箕輪厚介氏は週刊文春のインタビューで「SNSでは毎日のように“ネット生贄ショー”が繰り広げられています。今、文春はこのゲームの旗振り役と化している。文春が『この人だ!』と指差せば、世間は生贄を社会的に抹殺すべく暴走してしまう」と語りました。
古市憲寿氏はワイドナショーで「世の中の受け止め方が今すごい真面目になりすぎてる。週刊誌がなんかもう警察兼、検察兼、裁判所みたいな」と語りました。


メディアの現状を見ると、新聞、テレビが当たりさわりのない報道しかしない中で、週刊文春だけが気を吐いています。
こんな週刊文春批判によって週刊文春の力がそがれてしまったらたいへんです。日本はほんとうにだめな国になってしまいます。
なぜ週刊文春批判が高まったのでしょうか。


松本氏は「男らしさ」を一身に背負ったような人です。その松本氏が#MeToo運動とその背後のフェミニズムに負けるというのは多くの男にとって耐えがたいことです。
かといって、声を上げた被害女性を批判するとセカンドレイプと言われます。
そこで、代わりに週刊文春を批判しているのでしょう。

したがって、ここで週刊文春を批判するのはセカンドレイプも同然の行為です。
しかも、週刊文春は巨悪を撃ってきた唯一ともいえるメディアですから、週刊文春批判は亡国の道です。


松本氏が追い詰められているのは、週刊文春のせいではなく、#MeToo運動のせいであり、声を上げた被害女性のせいです。
松本氏が一日も早くお笑いをしたいなら、一日も早くみずからの罪に向き合い、被害女性に謝罪することです。

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3月17日放映のTBS系「ドーナツトーク」で女優の水野美紀さんが「夫婦円満の秘訣」として言った言葉が印象的でした。子どもが生まれたばかりの霜降り明星のせいやさんに対して言った言葉です。

「女の人は産んだから子どものことがわかるだろうって思いがちですよね。男の人は抱っこするのも怖いっていう人がいるんですけど、それはお母さんも同じなんですよ。こっちもほんとうにわからないし、すごい不安抱えながら必死でお世話していると、子どもをかわいいなって眺める瞬間ってないんですよ。唯一お母さんが肩の力を抜いて子どもをかわいいなって眺められる瞬間って、お父さんが抱っこしてるときなんですよ。だから、いっぱい抱っこしてあげてほしいです、赤ちゃんを」

この発言に周りから賛同の拍手が起こり、ヒコロヒーさんが「こういうのをネットニュースにしてほしいですよね」と言うと、水野さんが「ほんとにこういうのはならない。“ご意見番が怒ってる”みたいなのばっかり」と応じて、笑いにしました。


これは夫婦の育児分担の話になっていますが、私は母親も育児のことはわからないということが印象に残りました。
母親はまったく育児初心者のところから育児を始めなければならないのです。
父親が協力してくれたら助けになるとはいっても、父親もまた育児初心者です。
育児初心者二人ではあまり意味がなくて、できれば初心者とベテランの組み合わせでありたいところです。

新卒で会社に入ったら、先輩のやり方を見ながら少しずつ仕事を覚えていきます。いきなり大きな仕事を任されることはないはずです。
ところが、育児については、なんの経験もないのにいきなり“命”という大きなものを任されるのです。

こんなことになったのは、核家族化が進んだからです。
本来の人間社会ではこんなことはありませんでした。
「本来の人間社会」とはなにかというと、狩猟採集社会です。
人類の歴史は600万年とも700万年ともいいますが、農耕牧畜が始まったのは約1万年前です。
それまで人類はずっと狩猟採集生活をしてきて、それに適応するように進化してきました。

狩猟採集社会での子育ては、共同繁殖ないし共同養育といわれるものです。
もっとも、最近は「共同養育」という言葉はもっぱら「父母が離婚後も共同で子育てをすること」という意味で使われているようなので、「共同子育て」といったほうがいいかもしれません。

『「核家族は子育てに適していない」と狩猟採集社会を分析した研究者が主張』という記事から部分的に引用します。
ケンブリッジ大学考古学部で進化人類学を専門とするニキル・チョーダリー氏らは、コンゴ共和国に住む狩猟採集民のムベンジェレ族の文化を調査・分析した結果を発表しました。
(中略)
調査の結果として、ムベンジェレ族の乳児は最大15人の異なる養育者から1日約9時間、丁寧な世話と身体的接触を受けていることが判明しました。多数の擁護者がいることによって、子どもが泣きだした際の50%は10秒以内に誰かが対処し、25秒以上対応が遅れたケースは10%に満たなかったとのこと。また、「乳児の3メートル以内に誰もおらず、視線が合わない」という孤独な状況に乳児が置かれた時間は日中の12時間で平均して14.7分のみで、常に誰かの近くに置かれた状態にあったと分析されています。
(中略)
母親以外の複数の養育者が育児に積極的にかかわるスタイルは動物学で「アロマザリング」と呼ばれており、乳児や幼児の健全な心理学的発達をもたらす可能性が高いと考えられてきました。
(中略)
また、同様の子育てスタイルはムベンジェレ族だけではなく、中央アフリカのピグミー、ボツワナのブッシュマン、タンザニアのハヅァ族、ブラジルのヤノマミ族など、さまざまな地域の狩猟採集社会でも共通してみられるもので、乳児が日中の半分以上を母親以外に抱かれていたり、母親が狩りにでかける時間を親戚の家で集まったりと、集団的子育てが行われていることが過去の研究で示されています。

長谷川眞理子総合研究大学院大学学長はわが国の進化生物学界の第一人者でもありますが、「進化生物学から見た"子ども"と"思春期"」において、このように語っています。
また、人類進化の95%は狩猟採集民だったわけですけれども、その中で誰が子どもの世話をするかというと共同繁殖です。いろんな人がかかわって育てていて、親、特に母親が1人でケアするのが普通という社会は存在しません。それから、小さい子たちの周りには異年齢の集団、ちょっと上の子どもたちがたくさんいるし、血縁、非血縁を問わず、いろんな大人がいて、一緒に暮らしている。そういう人たちが入れ替わり立ち替わり子どもを見ているし、食料自体も、親がとってきたものだけでなく、みんながシェアをするので、みんなに支えられて子どもは育つというのが人間の原点です。そうでないとやっぱり無理なんです。脳が大きい、すごく時間をかけて育てなきゃいけない、でも、何もできない時期が何年も続くという存在を、血縁の一番濃い親だけが全部やるなんて無理で、単に食べて生き続けるということだけとっても、さまざまなサポート、ネットワークがあります。

去年出たProceedings of the Royal Society だったと思うのですが、その論文で、狩猟採集民の集団の構成を調べると、血縁者だけじゃなくて、非血縁者がいっぱいいるし、お母さんの友達とか、お父さんの友達とか、お父さんの弟とか、血縁を超えたいろんなソーシャルネットワークが常に流動的にあることがわかりました。お互いに食べ物をサポートし合う関係というのが、子どもをサポートし合う関係でもあり、みんなでリスクも責任も分散してヒトの子どもも育つということなのでしょう。だから、原点はこれなんだということをもう一回、社会福祉の制度の中に考え入れないとダメだと私は思います。
今は核家族の中で母親と父親が、ひどいときには母親が一人で子育てをしているので、母親が育児ノイローゼになるのはむしろ当然かもしれません。
祖父母が育児の手伝いをしてくれる場合は恵まれていますが、三世代同居世帯がいいかというと、そうとは限りません。祖父母がいると両親の独立や自由が制限されるからです。

核家族化の方向へ進んできた文明は針路を間違ったようです。これからは軌道修正をはからなければなりません。
ところが、今の国の政策はさらに間違った方向へ進もうとしています。


2006年9月に第一次安倍政権が発足し、同年12月に教育基本法が改正されました。
このときは「愛国心条項」が加わったことが批判されましたが、家庭教育に関する第十条も新設されました。
(家庭教育)
第十条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。

保護者に対しては、憲法で学校教育を受けさせる義務が規定されていましたが、ここで家庭教育の責任も規定されたのです。
「家庭教育を支援する」という言葉もありますが、これは親の負担を軽減するものではありません。むしろ負担を重くするものです。

たとえば文科省は改正教育基本法に基づき「早寝早起き朝ごはん」運動というものを展開し、全国協議会をつくって今もやっています。
朝ごはんを毎日食べている子どもはそうでない子どもより、学力調査の正答率や体力合計点が高いというデータを示し、“科学的”にも「早寝早起き朝ごはん」が子どもの健康によいと主張するのですが、では、朝ごはんは誰がつくるかというと各家庭であるわけです。
これでは親の負担が増えるだけです。

では、どうすればいいかというと、共同子育ての観点を取り入れることです。
たとえば朝ごはんが食べられる「子ども食堂」をつくるとか、各家庭に朝ごはんを配達するとか、学校給食で朝ごはんを提供するとかするのです。そうすれば親の負担は軽減されます。


2012年からは自治体で家庭教育支援条例を制定する動きが顕在化し、2023年4月時点で10県6市で制定されました。
こうした動きの背後にあるのは日本会議や統一教会などの宗教右派です。
こうした勢力は家父長制を理想としているので、子育ての責任を全部母親に押しつけます。
文科省の政策もそれと同一歩調をとってきました。


「家庭教育の責任」を規定する教育基本法は、いわば「自助」の子育てを求めています。
これからは「共助」と「公助」の子育てに転換するべきです。
子どもは親だけではなく、たくさんの人間に育てられるのが本来の姿です。
「共同子育て」という考え方を取り入れれば、子育ての負担も軽減されますし、少子化対策にもなります。

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イオンシネマが車椅子ユーザーに対して不適切な対応があったとして謝罪したところ、ヤフコメやXには逆に車椅子ユーザーを非難する投稿があふれました。
私は漫然とそれを見ていて、車椅子ユーザーにも非難されるところがあったのかなと思っていましたが、「車椅子専用席を使うべきだ」とか「映画館のスタッフは介助が仕事ではない」とか「人の善意に甘えるな」といった書き込みを読んでいるうちに、疑問がふくれ上がってきました。それらの書き込みには同情や思いやりがまったく感じられないからです。
そこで詳しく調べてみました。


中嶋涼子という車椅子インフルエンサーの人がXに投稿したのがきっかけでした。その一部を引用します(全文はこちら)。
今日は映画「#52ヘルツのクジラたち」を見てきたんだけど、トランスジェンダーの人が生きづらさを抱え差別を受ける話で辛すぎて発作起きるくらい泣ける映画だったんだけど、その後更に泣ける事があった。

ちょうどいい時間の映画がイオンシネマのグランシアターっていうちょっとお値段張るけどリクライニングできて足があげられるプレミアムシートがある豪華な劇場で4段の段差がある席しかないところで見たんだけど、今まで何度もその劇場に一人で見に行って映画館の人が手伝ってくれてたのに、今日は見終わった後急に支配人みたいな人が来て急に「この劇場はご覧の通り段差があって危なくて、お手伝いできるスタッフもそこまで時間があるわけではないので、今後はこの劇場以外で見てもらえるとお互いいい気分でいられると思うのですがいいでしょうか。」って言われてすごい悲しかった。。

「え、でも今まで手伝って頂いて3回以上ここで見てるんですが?」って言ったら、他の係員に聞いたところそう言った経験はないとおっしゃっていまして、ごめんなさいって謝られて、なんかすごく悔しくて悲しくてトイレで泣いた。

この投稿が少しバズったからでしょうか、イオンシネマを運営するイオンエンターテイメントは「弊社従業員がご移動のお手伝いをさせていただく際、お客さまに対し、不適切な発言をしたことが判明いたしました」「弊社の従業員への指導不足によるものと猛省しております」といった謝罪文をXに発表しました。
そして、そのことが『イオンシネマ、移動の手伝いで「従業員が不適切な発言」と謝罪。車椅子ユーザーの介助巡り議論に』という記事になってヤフーニュースに載ったというわけです。


イオンシネマが謝罪したのですから、イオンシネマに非があることは明らかです。
にもかかわらず車椅子ユーザーに対する非難があふれたのはどうしてでしょうか。
そこにはいくつかの誤解がありました。

多くの人は、中嶋さんは車椅子専用席があるにもかかわらず一般席に座ることを要求してトラブルになったと思い込んでいます。
しかし、この「グランシアタ―」には車椅子専用席はなく、36席すべてが足を伸ばせるゆったりしたリクライニングシートになっていて、料金も3000円(ワンドリンク付き)という豪華なシアターです。
このシアターは「サービス料金適用外」となっているので、障害者割引は使えないはずです。

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中嶋さんは以前に3回以上このシアターを使ったことがあるということです(そのときの写真をアップしているので、少なくとも1回は使っています)。
今回に限って次回からの利用を断られたということで、納得いかないのは当然です。

“活動家”が車椅子の行動範囲を広げるためにあえて映画館に無理難題を要求しているというのも誤解です。中嶋さんはそのシアターが気に入って何回も使っているだけです。

車椅子専用席のあるシアターで観ればいいという意見もありますが、車椅子専用席はたいてい最前列にありますし、同伴者といっしょになれないということもあります。
高い料金を払っていい席で観たいと思うのはおかしくありません。


今年の4月1日から改正障害者差別解消法が施行され、行政機関及び民間事業者において障害者に対する「合理的配慮」が法的義務となります。
「合理的配慮」とはなにかということですが、「実施に伴う負担が過重でないとき」という条件がついているので、事業者が「負担が過重である」と判断して、その判断が客観的に見て合理的であれば、障害者の要求を断ることができます。

「映画館での車椅子の利用」が過重な負担になるかどうかは、その映画館の構造やスタッフの配置によっても違ってくるので、一概にはいえません。

問題は車椅子を人ごと持ち上げるときの負担にありそうです。
中嶋さんはこんなことをXにポストしていました。

過去3回グランシアターで見た時には、女性のスタッフさんが二人で階段を持ち上げてくれて、映画鑑賞後に「せっかくこんな豪華なところで見れたので写真とか撮ってもいいですか?」って言ったら快く写真まで撮ってくれたりしていた状況から、急に4人がかりのスタッフで上映後に入場拒否をされた事が理不尽でした。

調べると、車椅子を人ごと持ち上げる場合は4人以上が推奨されています。
イオンシネマが2人から4人に方針転換したのかもしれません。そのために「過重な負担」になったということはありえます。
ただ、このときは4人いて対応できています。多くのスタッフがいるシネコンで4人の人手が集められないということがあるのでしょうか。

イオンシネマの判断が妥当かどうかというのは私には判断がつきません。
私だけではなく一般の人には誰にも判断がつかないはずです。


ただ、「支配人みたいな人」の対応に問題があったのは確かです。

今後の利用を断るなら、「当方の方針が変わりました」などとその理由を説明するべきです。なんの理由も示さずに断られるとショックを受けるのは当然です。

それよりももっと問題なのは、そのときの言い方です。
「今後はこの劇場以外で見てもらえるとお互いいい気分でいられると思うのですがいいでしょうか」と言ったというのですが、これはひどい言い方です。
通常は「たいへん申し訳ありませんが、次からはご利用を控えていただけないでしょうか」と低姿勢で言うところです。
この言い方は、「あなたがいい気分になるように私が判断してあげます」ということで、相手の判断力を無視した上から目線の言い方です。
これは「強者が弱者に『あなたのため』と言いながら本人の意志を無視して介入・干渉すること」というパターナリズムの典型です。
相手が身障者だということで見下し、さらに若い女性だということで見下したのでしょう。
こんな言い方をされれば、普通ならぶち切れてもおかしくありませんが、弱い立場だとそうもいきません。

イオンシネマが「不適切な発言」を認め、「従業員への指導不足」を猛省したのは当然です。


ところが、世の中にはこの「支配人みたいな人」がいっぱいいて、車椅子ユーザーを誹謗中傷する声があふれました。
今の時代は匿名で誹謗中傷しても、発信元を突き止められて損害賠償請求をされることがありますから、人を批判するときは確かな事実に基づかないといけません。
ところが、差別心から発信する人は、自分の差別心を正当化するためにデマを信じたり、自分で勝手に捏造したりします。
「車椅子専用席があるのに一般席に座ることを要求した」というのがその典型です。
「電動車椅子を持ち上げさせた」というのもありました。
「車椅子が通路をふさいでいざというとき避難できない」というのもありましたが、車椅子はたためますし、グランシアタ―はスペースがゆったりです。

その次は道徳的批判です。
たとえばXや5ちゃんねるにあったこんな書き込みです。
障害の有る無しに関わらず、助けてもらう、配慮してもらう事に当たり前に慣れすぎて感謝をしなくなった人は批判されて当然なのよ
今回の炎上も同じ
車椅子ユーザーが批判されてんじゃないの
あの人の傲慢な精神が批判されてんの
障がいをお持ちの方々が健常者と同じように社会生活を過ごしたいと思うのは自然なこと。
でも「障がいを持つ私をもっと大事に扱いなさい」の姿勢はただの傲慢です。
ご迷惑をおかけしますが…の姿勢が大事。
障がい者も健常者も、それは同じですからね。
もう、車椅子ユーザーとか障害者様とか関係なく「わがままで傲慢な奴は助けない」が答えになっちゃってる。 
たとえ障害者差別解消法が新しくなっても合理的配慮が義務化されても、企業はともかく一般の人は助けないと思う。
しょうがないよね、そういう方向に持っていった障害者様がいるんだから。
「障害者差別」と「道徳」が完全に一体化しています。


好きな席で映画を観たいという車椅子ユーザーにはなんの問題もありません。
問題はすべてイオンシネマの側にあります。途中で対応を変え、変えた理由を説明せず、車椅子ユーザーを見下した言い方をしました。

シネコンで車椅子ごと人を運ぶのが「過重な負担」か否かというのは誰にも容易に判断できないのに、シネコンよりも車椅子ユーザーを非難する人があふれたのは、この国の身障者差別状況をよく表しています。

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自民党若手議員らの会合で下着のような露出の多い衣装のセクシーなダンスショーが行われ、少なくとも5人のダンサーがステージやテーブルの周辺で踊って、参加者はダンサーに口移しでチップを渡したり、ダンサーの衣装にチップを挟み込んでお尻に触ったりしていたということです。

昨年11月に和歌山県で自民党青年局近畿ブロック会議が行われ、党の国会議員や地方議員、党関係者など約50人が参加し、その後の懇親会で行われたダンスショーです。
費用は党本部と和歌山県連が負担したということで、当然そこには公費が含まれています。
政治とカネが大きな問題になっているときに、こうしたバカなことが行われたというのに驚きます。

私がこれで思い出したのは、1998年に日本青年会議所の幹部ら33人が旭川駅前のホテル地下の居酒屋で懇談会を催し、そこにコンパニオンを呼んで“女体盛り”を行ったことです。
写真週刊誌「FLASH」によると「なかにはコンパニオンに刺身を股や乳首にくっつけてから食べる会議所会員もいた」ということです。
しかもそのコンパニオンは16歳だったので、ほかの件で補導されたときに青年会議所の“女体盛り”が発覚しました。
青年会議所というのは、実態は経営者の二代目、三代目の集まりです。カネと暇のあるボンボンが、やることがなくてバカなことをしたというところです。
自民党青年局にも政治家の二代目、三代目が多いのでしょう。カネと暇のあるボンボンのやることはいっしょです。
「自分たちは上級国民だから、一般国民と違うことをするのは当然だ」みたいな感覚もあるのでしょう。

そのあとの弁明にもあきれました。
自民党県連青年局長の川畑哲哉県議は、女性ダンサーを招いた理由について「多様性の重要性を問題提起しようと思った」などと弁解しましたが、「多様性」を理由にしたことに批判が殺到し、川畑県議は県連青年局長を辞任すると表明しました(その後さらに離党も表明)。
 自民党青年局長の藤原崇衆院議員と青年局長代理の中曽根康隆衆院議員も辞任を表明しましたが、ただ党の役職を辞任するだけのことです。
自民党の梶山幹事長代行は「事実関係については今、確認をしている最中であります。費用については、公費は出ていないということだけは確認をできております」と語りましたが、どうやって公費と公費以外の区別をつけたのでしょうか。批判をかわすために言っているとしか思えません。
みんなでセクシーダンスを楽しむということがいかにおかしいかということを誰もわかっていないようです。

友人とストリップショーを観にいくのは、勝手にやればいいことです。しかし、党費でストリップショーみたいなものを開催してはいけませんし、それを楽しむ人間もどうかしています。
つまり公私の区別がついていないのです。
裏金の問題も同じです。公私の区別がないから、平気で裏金がつくれます。

安倍政権のときに「政権の私物化」と言って批判しましたが、自民党は「政治の私物化」をずっとやっていたわけです。
それも党の上層部だけでなく、若手議員にも地方議員にも広がっているようです(ダンスショーを企画したのは川畑哲哉和歌山県議)。
自民党は裏金問題などで堕落ぶりがひどいので、若手議員はなぜ改革の声を上げないのかという意見がありますが、若手議員の実態がこれではどうにもなりません。
自民党の女性議員はどうかというと、つまらない不祥事が話題になるばかりで、改革の力などありそうにありません。
つまり自民党は組織全体が腐っているというべきです。


岸田首相は岸田派の解散を表明しましたが、自民党のほかの派閥は解散したりしなかったりです。
かりにすべての派閥が解散したところで、自民党という枠内で仕切りがなくなっただけで、人間は変わりません(それに、どうせまた群れます)。
自民党を改革し、政治を改革しようとすれば、今の議員を入れ替えなければなりません。

今の制度だと現職議員が選挙に強く、地盤を継いだ二世、三世も強いので、古い感覚の議員ばかりになります。
新しい議員や新しい政党がどんどん登場する制度にしなければなりません。
かつて日本新党ができたときブームが起きて、政権交代につながりました。
最近でも、れいわ新選組、参政党、元NHK党などは、勢力は小さくても話題性があります。

具体的にどうすればいいかというと、被選挙権を18歳以上にし、立候補の供託金を大幅に引き下げ、公職選挙法を改正して選挙運動の規制をほとんどなくすことです。そうすれば多くの新党や新人候補が出てきて、今のくだらない議員の多くは落選することになります。
たいして手間も費用もかかりませんから、簡単にできることです。

ただ問題は、それを決めるのは現職議員だということです。自分たちが落選する可能性の高い制度を採用するはすがありません。
選挙区の議員定数を少し増減するだけでも、議席を失いそうな議員が強硬に反対するので、なかなかまとまらないぐらいです。

ネズミたちが話し合ってネコの首に鈴をつけることにしたが、いざやろうとすると不可能なことに気づくという寓話がありますが、ネコに自分で鈴をつけさせることはもっと不可能です。
自民党議員に根本的な政治改革をさせることはそれと同じようなものです(野党議員もたいして変わらないでしょう)。

どんな政治改革論議も、自民党が受け入れなければ実行できないので、最初から論議に枠がはまっています。
これでは国民の関心も盛り上がりません。

検察が自民党の政治資金パーティの問題を追及したものの腰砕けになりました。
そうすると自民党は怖いものがありません。しばらくごまかし続けていればやがて国民の関心も薄れると見ています。
このまま政治が変わらなければ、日本に救いはありません。


ネコに自分で鈴をつけさせることが不可能であれば、ほかに手段はないのかというと、そんなことはありません。
政治資金の問題ならなんとかなりそうです。

1995年に政党助成金制度がつくられましたが、付則で政党への企業・団体献金のあり方について5年後に「見直しを行うものとする」とされました。
しかし、見直しは行われず、政党への企業・団体献金はそのまま行われています。
政治家個人への企業・団体献金は禁止されましたが、政治家個人が代表を務める政治団体への献金は認められています。また、政治資金パーティも認められています。
つまり政治家は政党助成金と企業・団体献金の両方を手にしているのです。

しかも、そこに与野党格差があります。
経団連の献金はほとんどが自民党に行きますし、多くの企業も野党よりは与党に献金します。

その金はどう使われるかというと、ほとんど選挙運動に使われます。
よく「政治活動には金がかかる」と言いますが、あれは嘘で、「政治活動」ではなく「選挙運動」に金をかけているのです。
選挙区に秘書を張りつけておいて、支持者へのあいさつ回りをさせ、後援会の世話をします。
つまり現職議員は毎日選挙運動をしているのです。
これでは新人候補は勝てません(選挙運動ができる公示期間は2週間前後です)。

政党助成金制度を設けた以上、企業・団体献金は禁止するべきなのです(共産党は政党助成金制度も廃止するべきと主張しています)。
しかし、自民党がそんなことをするわけがありません。
世論の圧力で改革をしても、どうせ抜け道をつくるに決まっています。

制度が変えられないなら、献金する者が献金をやめればいいのです。
「企業献金は政党を堕落させるのでよくない」と主張して、経団連に自民党への献金をやめるように圧力を加えます。
経団連が政治をよくしたいなら、強い野党をつくるためにむしろ野党に対して献金するべきなのです。
自民党への献金は経団連の利益のためであり、いわば「公然賄賂」です。そういう献金が自民党を堕落させるのは当然です。

中小企業が自民党に献金するのは、なにかの目的があってというより、なにかのときに不利益にならないようにという「みかじめ料」感覚ですから、やめるのも簡単です。
ただ、自分だけやめるのは不利益になりそうですから、「みんなでやめれば怖くない」にすればいいのです。


実際のところ、自民党がここまで堕落したのは、献金したりパーティ券を買ったりしてきた企業の責任も大です。
企業献金がなくなれば、自民党議員も国民に向き合うようになりますし、選挙での優位も減少して新人候補が当選しやすくなります。
「企業献金は悪」ということを常識にしたいものです。

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