ジャレド・ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』やユヴァル・ノア・ハラリ 著『サピエンス全史』など、新しい視点で書かれた人類史の本が評価されていますが、そこに新たな一冊が加わりました。ルトガー・ブレグマン著『Humankind 希望の歴史』(上下巻)です。
著者のブレグマンはオランダ出身、歴史家であると同時にジャーナリストでもあるという強みがあって、本書でもどんどん現場に取材に行って、具体的に記述しているので、ノンフィクションを読んでいるようなおもしろさがあります。
ブレグマンは西洋思想には根深い性悪説があるといいます。人間の道徳性は薄いベニヤ板みたいなもので、なにか非常事態が起こると人間はパニックになり、攻撃的で利己的な本性をむき出しにするという思想です。そして、こうした偏見に合わない情報は排除され、偏見に合わせてゆがめられた情報で歴史的“事実”が構成されてきたというのです。
ブレグマンは有名な歴史的“事実”とされていることを次々とくつがえしていきます。すべて具体的な話なので読みやすく、目からうろこのことがいっぱいあります。
その具体的な話の中からいくつかを紹介します。
ノーベル文学賞作家のウイリアム・ゴールディングの代表作である『蠅の王』は、二度も映画化された有名な小説です。飛行機事故により少年たちだけが生き残り、漂着した無人島で生活することになります。最初はルールをつくって仲良く暮らしていた少年たちですが、次第に争うようになり、まるで野蛮人のようなふるまいをし、最後は殺し合いまでするという物語です。人間、とくに子どもには“悪”があるということを描いています。
これは無人島で少年たちが助け合って生き抜くジュール・ヴェルヌ著『十五少年漂流記』のアンチとして書かれたものではないかと思います。『十五少年漂流記』は完全に子ども向きの物語となって、まったく顧みられませんが、対照的に『蠅の王』は文学作品として高く評価されています。これも西洋の性悪説思想の表れでしょう。
ブレグマンは『蠅の王』について、最近の科学的研究からこういうことはありえないだろうという記事を書きました。しかし、その科学的研究というのは、家にいる子ども、学校にいる子ども、サマーキャンプに参加している子どもに関するものでした。子どもたちだけが無人島に取り残された場合は違うのではないかと、その記事は批判されました。
そこでブレグマンは、実際に『蠅の王』のようなことがあったのではないかと探し始めました。すると、ある無名の人のブログに「1977年のある日、6人の少年がトンガから釣り旅行に出かけたが、大きな嵐にあい、船が難破して、少年たちは無人島にたどりついた」と書かれていたのを見つけます。調べると、あるイタリアの政治家が国際的な委員会かなにかに提出する報告書に書かれていた話だということがわかります。しかし、その話が事実かどうかはわかりません。その政治家はすでに亡くなっていました。
もしこれが事実なら、1977年の新聞記事に載っているだろうと探してみましたが、なにも見つかりません。ある日、新聞のアーカイブを調べていて年代の数字を間違えて打ち込み、1960年代に迷い込みました。そうすると、そこに探していたものがあったのです。1977年というのはタイプミスだったのです。
1966年10月6日付のオーストラリアの新聞に「トンガの漂流者に関する日曜番組」という見出しの記事がありました。無人島で1年以上孤立していた6人の少年がオーストラリア人のピーター・ワーナー船長に助けられたということの再現番組がつくられたという記事です。
ブレグマンは船長の名前を頼りにオーストラリアまで会いに行き、元少年の1人にも会います。さらに、ある映画製作者が少年たちの物語はもっと注目されるべきだと考えてドキュメンタリーを制作していました。それは放送されなかったのですが、映画製作者は未編集のインタビューフィルムを見せてくれ、さらに彼はオーストラリアのテレビ局が制作した番組のコピーも持っていたので、それも見せてくれました。
ブレグマンの執念の取材でリアル『蠅の王』の実際が明らかになりました。
少年たちは16歳から13歳までの、厳格なカトリックの寄宿学校の生徒でした。
少年たちが発見されたのは船が難破してから1年3か月後でした。
ワーナー船長は回顧録にこう書いています。
「わたしたちが上陸した時、少年たちは小さなコミュニティを作っていた。そこには菜園と、雨水をためるための、くりぬいた木の幹と、変わったダンベルのあるジムと、バドミントンのコートと、鶏舎があり、いつも火がたかれていた。すべて古いナイフを使って手作業で作ったもので、強い決意の賜物だった」
少年たちは2チームに分かれて働くことにし、庭仕事、食事のしたく、見張りのための当番表をつくっていました。ときには喧嘩も起きましたが、時間を置くことで解決しました。
彼らの1日は歌と祈りで始まり、歌と祈りで終わりました。一人の少年が流木と半分に割ったココナッツの殻と、壊れた自分たちの船から取ってきた6本の鋼線を使ってギターをつくり、それを弾いて仲間を励ましました。
救出後、医師が彼らを診察すると、健康状態はこれ以上ないほどよいものでした。
ワーナー船長は、少年たちの物語はハリウッド的な映画に最適だと思い、手始めに地元のテレビ局に売り込みました。しかし、30分のテレビ番組はつくられましたが、それ以上には進みませんでした。
結果、少年たちが無人島で助け合って生き延びた物語は忘れられ、少年たちが互いに争って野蛮人のようになってしまうという物語(フィクションですが)は広く知られるようになったのです。
1971年、アメリカのスタンフォード大学において、監獄に見立てた地下室で普通の学生が囚人役と看守役を演じる心理学実験が行われました。「スタンフォード監獄実験」と呼ばれるものです。
実験開始から2日目、囚人たちは反乱を企て、看守たちは鎮圧しました。それから数日間、看守たちは囚人を服従させるためのあらゆる戦術を考案しました。夜中に2回点呼を行って囚人たちを睡眠不足にさせ、裸で立たせたり、腕立て伏せをさせたり、懲罰房に入れたりしました。囚人たちから離脱者が相次ぎ、残った者も異常な心理状態にあったので、2週間予定されていた実験期間は6日で打ち切りとなりました。
実験の主宰者であるフィリップ・ジンバルド教授は、看守役になにも指示していない、彼らは自発的にサディストになったのだと繰り返し主張しました。「『看守』の制服を着たことの『当然の』結果」とも書いてます。
つまり看守役の学生がサディストになったのは、彼らの性質が悪かったからではなく、悪い状況に置かれたからだというのです。
この実験は評判になり、マスコミに繰り返し取り上げられ、心理学の教科書にも載り、ジンバルドはアメリカ心理学会の会長にもなりました。
しかし、実験の実際は違っていました。
ジンバルドは看守役にさまざまな指示を与えていました。というのは、実験の本来の目的は、囚人役にストレスを与えたときどういう反応をするかを明らかにすることだったからです。
ジンバルドは実験が始まる前から、自分と看守がひとつのチームであるかのように「われわれ」と呼び、囚人を「彼ら」と呼んでいました。そして、自分は看守長の役割を演じ、囚人をもっときびしく扱うように看守に圧力をかけ、きびしさの足りない看守を叱責していたのです。
2001年、BBC(英国放送協会)は2人の心理学者の協力を得て、同じような実験を行いました。ただし、看守と囚人にとくに指示は与えませんでした。
これは4時間の番組として放送され、多くの人がテレビの前に釘付けになりましたが、そこではほとんどなにも起こりませんでした。ブレグマンは「最後まで見るのはたいへんだった。なぜなら、見たこともないほど退屈でつまらなかったからだ」と書いています。
囚人と看守が食堂でタバコを吸ってくつろいでいる場面が多くなりました。数人の看守がもとの体制に戻るように説得しましたが、説得は功を奏しませんでした。
しかし、このBBCの監獄実験は忘れられ、スタンフォード監獄実験は今でもあちこちで引用されています。
「ミルグラムの電気ショック実験」も有名です。これは「アイヒマン実験」ともいわれます。
1961年、イエール大学の助教だったスタンレー・ミルグラムは、さまざまな職業の一般人を集めて心理学実験を行いました。被験者は2人1組となり、1人は先生役、1人は生徒役になります。先生は電気ショック発生装置の前に座らされ、生徒は隣の部屋で椅子に縛られており、声だけが先生に聞こえるようになっています。記憶テストが始まり、生徒が間違えると、スタッフが先生に電気ショックを与えるように命じます。電気ショックは15ボルトという弱い電圧から始まりますが、生徒が間違えるたびにスタッフは電圧を上げるように命じます。
実は電気ショック発生装置は少しもショックを与えないもので、生徒役は研究チームのメンバーで、演技をしているのでした。
隣室の生徒が金切り声の悲鳴を上げても、スタッフは電圧を上げるように命令し、先生はスイッチの表示が「危険――苛烈な衝撃」と書かれた域に達しても電圧を上げ続け、最高の450ボルトまで上げる者もいました。
結果、被験者の65%が最高の 450ボルトまで上げました。感電死させてもかまわないと思ったのです。
この実験結果は衝撃的でした。ブレグマンは「若き心理学者ミルグラムは、たちまち有名人になった。新聞とラジオとテレビのほぼすべてが、彼の実験を取り上げた」と書いています。
ニューヨーク・タイムズ紙は「何百万という人々をガス室に送ることができるのは、いったいどんな人間だろう。ミルグラムの実験結果から判断すると答えは明らかだ。わたしたち全員である」と書きました。
ブレグマンはこの実験結果を疑い、調べました。
そうすると、被験者全員へのアンケートで「この状況をどれだけ信じられると思いましたか?」という質問があって、生徒がほんとうに苦しんでいると思っていたのは被験者の56%にすぎないことがわかりました。さらに、あるスタッフの分析によると、電気ショックを本物と思った人の大半はスイッチを押すのをやめていたのです。
つまり実験結果はかなり誇張されたものでした。
もっとも、それでも最後までスイッチを押し続けた人も少なからずいました。
ブレグマンはそれについても権威にしたがったのか、命令に従ったのかなど考察しています。
ともかく、「科学的」とされることでも性悪説方向にバイアスがかかっているのです。
本書は歴史書でもあるので、歴史のこともいろいろ書かれています。
戦争の歴史などは今の時代とくに興味深く読めるでしょう。
また、イースタ島についても書かれています。イースタ島の今の住民は、モアイ像にまったく興味を持っていません。つまりモアイ像をつくった文明はほろびてしまったようなのです。
これについてはいろいろな説がありますが、有力なのは、モアイ像を運ぶには木の幹が必要で、そのため島の木を切りすぎて土壌が荒れ、農業生産が減少し、飢えた人々は互いに殺し合って、文明から野蛮に後退してしまったという説です。つまりここでも『蠅の王』みたいなことが起こったというわけです。
ブレグマンはこれにも疑問を持ち、徹底的に調べて、別の結論を導きます。
ノルウェーの、鉄格子も監房もない、看守の姿も見えないリゾートホテルのような刑務所が紹介されます。
オランダの、教室もクラス分けもない、宿題も成績もない学校が紹介されます(生徒は自分で学習計画を立てます)。
この学校にはいじめがないそうです。
子どもにいじめはつきものと考えられていますが、そうではないとブレグマンはいいます。
社会学ではいじめの蔓延する場所を「トータル・インスティテューション(全制的施設)」といい、その特徴は次のようなものです。
・全員が同じ場所に住み、ただ一つの権威の支配下にある。
・すべての活動が共同で行われ、全員が同じタスクに取り組む。
・活動のスケジュールは、多くの場合、一時間ごとに厳格に決められている。
・権威者に課される、明確で形式張ったルールのシステムがある。
この典型は刑務所です。そこではいじめがはびこっています。
学校も全制的施設です。
日本でのいじめ防止の議論は、まったく的外れといわねばなりません。
ブレグマンは徹底的に性悪説を否定し、性善説を肯定します。ここまで振り切っているのはみごとです。
私はブレグマンの考え方に8割方賛成です。
全面的に賛成するわけにはいきません。性善説だけでは社会は維持できないと思うからです。
性善説か性悪説かという問題のとらえ方が間違っているのです。
人間には利己心と利他心があります。これは動物にも共通するものです。
利他心が前面に出れば人はよいことをし、利己心が前面に出れば人は悪いことをします。
つまり善と悪ではなく、利他と利己としてとらえるとうまくいきます。
このことは近く書きたいと思います。