
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会公式サイトより
7月23日、東京オリンピックの開会式が行われましたが、「意味不明」「史上最低」などさんざんな評判です。
コロナのせいで人が密になる演出はできないという制約はありましたが、だったらその分、ドローンの編隊飛行や花火をもっと派手にすることはできたはずです(しなかったのはやはり“中抜き”のせい?)。
演出の中心人物が何度も変わったために統一感がなくなったということもあるかもしれません。
たとえば「君が代」と国旗掲揚のあとで「イマジン」があるのは、どう考えても矛盾しています(「イマジン」には「想像してごらん、国などないと」という歌詞があります)。
しかし、開会式がだめな根本的な理由は、制作チームの“思想”にあります。
この思想というのは、おそらく「渡辺直美ブタ演出」で辞任した佐々木宏氏、「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」で解任された小林賢太郎氏の思想であり、さらには安倍晋三前首相、森喜朗前組織委会長、菅義偉首相の思想でもあるでしょう。
開会式の最初に、ランニングマシンでトレーニングする女性が出てきます。さらにマシンで自転車こぎをする女性、ボートこぎをする男性が離れた場所に出て、プロジェクションマッピングで季節の変化が表現され、赤いロープを使ったパフォーマンスがあります。
これだけ見ていると、まったく理解できませんが、NHKのナレーションによると、「コロナ禍のアスリートたちの心の内を表現しているといいます。不安やあせり、悲しみ、葛藤、選手たちに襲いかかる、乗り越えるべきハードルを表しています」ということです。
そして、ランニングマシンからおりてしばらく悩んでいた女性が立ち上がり、再び走り出すと、「壁に直面しても何度も立ち上がり、挑み続けるアスリートの姿は人々の心を動かし、結びつけてきました。希望を持って前を向けば、離れていても心はつながることができる。そんなメッセージが込められています」というナレーションがあります。
コロナ禍で世界はたいへんなことになり、東京五輪も1年延期になったのですから、開会式の冒頭でコロナ禍に触れるのは当然のことです。
ところが、「コロナ禍におけるアスリートの苦悩」に焦点を当てたのが間違いです。
苦悩といえば、たとえば「飲食店店主の苦悩」が深刻です。もちろん肉親をコロナで亡くした人もたくさんいます。それらに比べたら「アスリートの苦悩」は小さなものです。そのため誰にも共感されず、「意味不明」になってしまったのです。
パンデミックによる世界の感染者数は約1億9000万人、死亡者数は約400万人です。開会式で表現するべきは、この悲惨な状況と、医療従事者の苦悩です。
400万人の死者をどう表現すればいいかというと、小林賢太郎氏は「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」のために紙を切り抜いた人形を大量につくったそうですが、皮肉なことにその手法が役に立つかもしれません。
肉親を亡くした人々の悲しみ、コロナと戦う医療従事者の苦悩を、ダンスやパフォーマンスやプロジェクションマッピングで表現することは、クリエーターとして大いにやりがいのある仕事です。
その表現がうまくできれば、世界の人々は開会式に引きつけられたでしょう。
アスリートの立場はどうなるのかというと、パンデミックの中でアスリートの出番はありません。医療従事者やワクチン開発者や、ロックダウンや自粛生活に協力する人たちのがんばりで、コロナに打ち勝つ希望の光が見えたときが、アスリートの出番です。
そうすると、開会式のどこかでアスリート代表が世界の人に向かって、オリンピックを開催できることへの感謝を述べることがあってもいいはずです(本来はバッハ会長が言うべきですが、言いそうもないので)。
スポーツは人々に夢や希望を与えるということがよく言われますが、よく考えると、夢や希望がある世の中でスポーツが楽しまれるので、スポーツに世の中を変える力を期待するのは違うのではないでしょうか。
ともかく、冒頭の部分は15分ほどですが、ここで失敗して、見ている人は誰もがうんざりしました。
差別的ブタ演出の佐々木宏氏やホロコーストギャグの小林賢太郎氏には、パンデミックに苦しむ世界の人たちへの思いがなかったのでしょうか。
あるいは、「人類がコロナに打ち勝った証」などと言う安倍前首相や菅首相に影響されすぎたのでしょうか。
冒頭の部分が失敗したので、全体が意味不明と評されていますが、よく見ると、制作チームがなにを目指したかはわかります。
それは「ニッポンすごい」です。
冒頭の15分が終わると、天皇陛下とバッハ会長の入場があり、国旗の入場、MISIAさんによる「君が代」独唱があります。これなどいかにも安倍前首相好みの展開です。
森山未來さんのパフォーマンスとか劇団ひとりさんのコメディとか、意味不明のものが多いのですが、意味のわかるものもあります。それは「ニッポンすごい」を表現しようとしたものです。
日本は“木の文化”だということからか大工の棟梁のパフォーマンスと木遣り唄があります。
50のピクトグラムを表現するパントマイムもあって、これは好評でしたが、ピクトグラムは日本発祥のものです。
歌舞伎の市川海老蔵さんも登場します。
各国選手の入場行進は、ドラクエなどの日本のゲーム音楽をバックにしています。
デヴィ夫人はこうしたことから、開会式を「日本文化の押し売り」と評しました。
制作チームは「ニッポンすごい」を表現しようとしたのですが、日本文化はたいしてすごくないので、「押し売り」と思われてしまったのです。
「ニッポンすごい」が通用するのは日本国内だけです。
それを世界に発信しようとした制作チームが間違っています。
また、それを発信することに注力したために、「復興」の要素が消えてしまいました。
1998年の長野冬季オリンピックの開会式も、「ニッポンすごい」を表現しようとして大失敗しました。
総合演出の浅利慶太氏は大相撲の土俵入りと長野県諏訪地方の祭りである御柱祭をスタジアムで実演させたのですが、ビジュアルだけではなにも伝わらず、ただ退屈なだけのものになりました。
もっとも、北京五輪は「中国すごい」を表現し、ロンドン五輪は「イギリスすごい」を表現して、大成功しました。
これは実際に中国やイギリスが世界史の中ですごかったからです。
ブラジルは中国やイギリスの真似をしてもだめだと理解して、リオ五輪はブラジルの歴史を紹介する一方で、アマゾンの熱帯雨林が地球環境にいかに貢献しているかというグローバルな視点を入れて、それなりに成功しました。
そこで今回の東京五輪ですが、長野冬季五輪からも学ばず、北京、ロンドン、リオという流れからも学ばず、グローバルな視点がないまま「ニッポンすごい」を目指して、失敗したわけです。
これは安倍前首相らの右翼思想の敗北でもあります。
ところで、今回は「君が代」独唱とともに国旗掲揚が行われましたが、夜中に国旗掲揚をするというのは世界の常識にありません。
日本の伝統的右翼はともかく、最近の右翼は国旗についての常識もないようで、幸い今のところはっきりとは指摘されていませんが、ひそかに世界からバカにされているのではないでしょうか。
コメント
コメント一覧 (6)
ランニングマシーンの方は女性ではないですか?
村田基
が
しました
村田基
が
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五輪で正式採用されたのは前回の東京が初めてだったのは事実ですが、それ以前の大会でも同様の試みがされていたとの指摘があります
https://twitter.com/oxyfunk/status/1419484283048054785
世界的に認知されるきっかけになったことは事実なのでしょうが、「日本発祥」と言い切ってよいか留意が必要と思います
村田基
が
しました
知れば知るほど、そこの浅さとその真奥に何もないことがわかってきて、絶望する。
だから、日本文化すごい、って言ってる右翼の連中は日本のこと何も知らないんだなあ、って思う。
日本の凄さといえば、他国のものを節操なくなんでも取り入れることなんだと思う。
そういう節操のなさというか謙虚さがなくなって、自分たちが元々凄いんだ、って言い出したら終わりだね。
村田基
が
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