
日本では、子どもを持つ母親は肩身の狭い思いをしなければなりません。
たとえば赤ちゃん連れで新幹線に乗ることもたいへんなようです。
5か月の子どもを育てている母親が夫の実家に産後初の帰省をするのに新幹線に乗るに際して、その悩みをネットで相談したということが『「赤ちゃん連れの新幹線、ギャン泣きしたらどうしようと不安です」母親の相談に注目集まる』という記事で紹介されました。
母親は車で帰るか新幹線で帰るか考えて、赤ちゃんの負担の少ない新幹線を選んだのですが、赤ちゃんは泣きだすと疲れるまで泣きやまないことも多く、「周りに迷惑をかけてしまうな、とか、うるさいって怒鳴られたらどうしようと不安で」と、経験者にアドバイスを求めました。
すると、「精神的なことを考えたら時間はかかっても車のほうが楽」とか「ピリピリしてる雰囲気があるから、私なら怖くて赤ちゃんを連れて電車移動できない」とか「本当にどうしようもなくなって、途中下車して30分待ったこともある。自由席切符だから出来ることだね」というように、赤ちゃん連れ新幹線乗車に否定的な声が多くありました。
新幹線に乗ることを応援する声もありますが、そういう声にもたいてい「子どもが泣いたり騒いでるのに放置とかあやそうともしない人はどうかと思うけどね」というただし書きがついています。
「泣いたらデッキに連れ出すべきだ」という声もありますが、「デッキは騒音が大きいので、かえって泣く」という反論もあります。
「泣いてる赤ちゃんを放置している母親はけしからん。ちゃんとあやすべきだ」という声が多いのですが、母親があやしたからといって必ずしも泣きやむわけではなく、そこに母親の悩みがあります。
新幹線と赤ちゃんで思い出すのは、6年前の松本人志氏のツイートです。

これが話題になり、1万件のリツイート、1.9万件の「いいね」がつきました。
松本氏は、子どもに罪はないとする一方で、親に罪を押しつけています。少なくとも「おろおろしろ」と親に重荷を負わせています。
赤ん坊を泣きやます魔法はないので、親は誰もがおろおろしなければならないことになります。
松本氏のような考え方に多く「いいね」がつく世の中では、子ども連れの親は肩身の狭い思いをしなければなりません。
これも少子化が進む理由でしょう。
なお、「公共の場でみんなに迷惑をかけてはいけない」という理由から、泣く可能性のある赤ん坊を電車に乗せるなという意見もあります。
この意見は「公共」の意味がまったくわかっていません。
私的なパーティとかコンサート会場のような特殊な場所なら「赤ん坊を連れてくるな」ということも言えますが、公共の場はみんなに開かれているので、赤ん坊を排除することはできません。
赤ん坊が泣いたときには、眉をひそめたりしないのが公共の場におけるマナーです。
これは、のろのろ歩く老人や車椅子の人に眉をひそめたりしないのと同じです。
松本氏のような人は、公共の場におけるマナーができていません。
昔から「泣く子と地頭には勝てぬ」と言って、人々は泣く子はどうにもならないものとして受け入れてきました。
ところが、現代人は泣く子に勝とうとして、母親に圧力をかけているわけです。
「泣く子」だけではありません。
「騒ぐ子ども」や「遊ぶ子ども」も公共の場から排除され、親は子どもに「おとなしくしなさい」と圧力をかけ、学校では生徒はブラック校則に従わされています。
その結果、日本では年々若者に元気がなくなっています。
これは日本経済停滞の原因にもなっているはずです。
「泣く子」と共存することは日本を元気にする第一歩です。
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