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新しいブログを開設したのでお知らせします。

このブログはもっぱら時事問題について書いていますが、新しいブログは私の思想について書いたものです。
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「道徳観のコペルニクス的転回」


私の思想がどういうものかは、新しいブログを読んでもらえばわかるわけですが、ここで簡単に説明しておきます。


私は若いころに「どうして世の中から悪をなくすことができないのだろう」ということを考えました。もし悪をなくす方法がわかれば、人類の幸福に大いに貢献することができます。
こんな大問題に思想家たちがまったく取り組んでいないように見えるのは実に不思議でした。

私は、悪をなくすことができないのは、道徳に欠陥があるからではないかと思いました。
理不尽なブラック校則のある学校では校則違反が多発するように、“ブラック道徳”があるので悪が多発するのではないかと思ったのです。
「嘘をついてはいけない」という道徳がありますが、嘘をつかない人間はいないので、行き過ぎた道徳です。「人に迷惑をかけてはいけない」という道徳もおかしなもので、人間は互いに迷惑をかけあっている存在です。
つまり道徳が人間性に合っていないのです。
道徳を人間性に合わせれば、悪の発生は、ゼロとはいかなくてもかなり減少させられるはずです。

倫理学の考え方はそれとは逆です。道徳は人間性を高めるものとされます。悪が存在するのは、道徳に背く人間の意志のせいです。したがって、みんなが自分の意志を正しくすれば悪はなくなるはずです。アリストテレスやカントは、人間は最高善を目指すべきだと説きました。

私は、人間性は変えられないので道徳を変えるしかないという考えです。
とはいえ、漠然と考えているだけでした。

そうして私は、道徳とはなにか、善とはなにか、悪とはなにかということを愚直に考え続けました。すると、あるとき答えがひらめいたのです。その瞬間、思わず「エウレカ!」と叫んで走り出しそうになったのを覚えています。
ひらめいた答えは、コペルニクスによる地動説の発見に似ているので「道徳観のコペルニクス的転回」と名づけました。
これは人類史上画期的な発見と思えました。

ただ、この答えは世の中の常識と正反対です。不用意に表現したのでは、天動説が信じられている世の中で「太陽が動いているのではない。地球が動いているのだ」と叫ぶみたいなもので、今の時代は宗教裁判こそありませんが、狂人扱いされるか無視されてしまいそうです。

そこで、とりあえずこのブログを始めました。「道徳観のコペルニクス的転回」をベースにして時事問題を論じるというものです。
ときどき「道徳観のコペルニクス的転回」にも直接言及して、反応を見ましたが、常識とまったく違うことですから、やはり理解されないようです。
つまり小出しにしては常識に負けてしまいます。常識と正面から戦って、打ち勝たないといけないのです。

というわけで、「道徳観のコペルニクス的転回」をまとまった形で表現したのが新しいブログというわけです。
ほぼ一冊分の本の内容が最初から入っています。


なお、最初に「私の思想」と言いましたが、ほんとうは「思想」ではなく「科学上の理論」といいたいところです。

思想は無力なものです。ミシェル・フーコーは『監獄の誕生』において、監獄と学校をどちらも一望監視システムによって管理されていると論じましたが、この説が教育界に影響を与えた節はみじんもありません。
「道徳観のコペルニクス的転回」も思想として提出したのでは無視されるので、科学上の理論として認定されるように工夫しました。
これが科学として認定されれば、水戸黄門が悪人たちに葵の御紋の印籠を掲げるように、ヴァン・ヘルシング博士がドラキュラに十字架を突きつけるように、私は反対する人たちに対して、「これは科学だ」と主張するだけで黙らせることができます。
もちろん私一人が「これは科学だ」と主張しても意味がないので、進化生物学者を中心とする科学者の参加を待ちたいところです。

わかりやすく書いたので、ぜひ「道徳観のコペルニクス的転回」をお読みください。