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「成長なくして分配なし」か「分配なくして成長なし」かという議論がありますが、ニワトリが先か卵が先かみたいにバカげています。
30年間ほとんど成長しなかった国ですから、どちらにしても成長するわけがありません。
成長したいなら、今までにない成長戦略が必要です。

私は、防衛費を大幅に削減して、その分を文教科学振興費に回すというやり方しか有効な成長戦略はないということを「防衛費という『聖域』」という記事に書きました。
辺野古埋め立てとか陸上イージスとかにお金をつぎ込んでいるから日本経済はだめになるのです。

ほかのやり方があるとすれば、外国人労働者を大量に入れることです。
しかし、このやり方は、経営者、株主には利益になりますが、日本人労働者には不利益になるので、その損得を見極めないといけません。

それにしても、一国の経済が30年も停滞するというのは尋常なことではなく、経済政策以外のことも考えないといけません。
藻谷浩介氏は『デフレの正体』において、少子化で労働力人口が減少していることが停滞の原因だと指摘して、説得力がありました。
私はそれ以外に、教育の問題も指摘したいと思います。


「デジタル敗戦」「デジタル後進国」という言葉があって、日本は行政も企業もデジタル化の波に乗り遅れているとされます。日本の行政はいまだにファックスを使っているというので世界中からあきれられました。
文科省は小中学校でプログラミング教育を始めましたが、デジタル強国になるには教育から変えていかねばという考えでしょう。

ところが、日本ではずっと文科省の方針として、小中学校ではスマホの学校への持ち込みが禁止されていました。
やっと2020年に中学校で条件付き持ち込み容認となり、小学校では「原則禁止とはするものの、条件によっては持ち込んでもよしとする」ということになりました。

スマホやPCを使いこなすITリテラシーは、幼いころからやったほうが身につくものです。
台湾のIT担当相であるオードリー・タン氏は幼いころからPCに興味を持ち、8歳から独学でプログラミングを学び始めたということです。
学校で禁止されても家庭で使うことはできますが、学校で禁止されていることを理由に親が子どもにスマホを持たせないというケースもあるでしょう。
文科省は子どものITリテラシーを阻害するようなことをしてきたのです。

文科省はプログラミング教育をする前に、子どもにスマホやタブレットの教室持ち込みを奨励するべきです。授業でわからないことやもっと詳しく知りたいことがあれば、スマホですぐに調べることができて、学力向上にも役立ちます(スマホを買えない家の子がかわいそうだという声がありそうですが、低いレベルで平等にするのは間違っています)。


香川県はネット・ゲーム依存症対策条例を制定し、18歳未満の子どもがゲームをすることを規制しています。
これは文科省の方針ではありませんが、子どもがゲームすることを規制している親は全国的にいっぱいいるでしょう。
「スマホ脳」「ゲーム脳」といった言葉に影響されているのかもしれません。

将棋の藤井聡太四冠は、5歳で将棋を覚えて、たちまちはまりました。おそらく“将棋脳”になっているはずですが、見たところ藤井四冠の人格に問題があるということはまったくありません。

夢中でゲームをやれば集中力が養われます。だらだら勉強していたのでは、集中力は身につきません。

ゲーム業界の市場規模は約2兆円で、高い成長率があります。
日本経済のためにもゲーム業界を担う人材を育てるべきなのに、逆行しています。

ちなみに音楽業界の市場規模は約2700億円です。
ゲームには物語、ビジュアル、音楽などの要素があって、今後クリエイティブな仕事をしたい人はゲーム業界を目指すのが現実的です。
ゲーム機は実質コンピュータなので、幼いころからゲーム機の操作に習熟すると、PCやスマホの操作にも役立ちます。
親は子どもの将来を考えたら、安易にゲームを禁止することはできないはずです。

日本がデジタル後進国になったのは、子どもにスマホやゲームを制限していることが大きな原因ではないかと思います。


若者の少なくなった日本が活気のない国になるのはある程度やむをえないことですが、現状はそれ以上に活気が失われています。つまり若者は数が少ないだけでなく、元気もないのです。

若者に元気がない理由はいろいろと考えられますが、教育の問題に限ると、たとえば「ブラック校則」が挙げられます。
理不尽な校則にがまんして耐えることが小学校から高校まで続くと、誰でも元気がなくなるのは当然です。
こういう経験は、ブラック企業に勤めたときには役立つかもしれませんが、それ以外になんのプラスもありません。

ブラック校則は昔からありましたが、昔の中学生や高校生は反抗的な態度をとることである程度発散することができました。
ところが、今は高校入試や大学入試で内申書が重視され、さらに推薦入学の枠が広がったので、子どもは教師に反抗的な態度をとることができません。
内申書も試験の点数だけで成績が決まるかというとそうではなく、教師の主観が入る余地があります。

12月18日付け朝日新聞の「声」という読者投書欄に「学校の息苦しさ『評価』が影響」(小学校教員41歳)という投書が載っていました。その一部を引用します。
教員になって10年以上が経ち、通知表の「評価」が息苦しさに与える影響力が大きいことを実感する。授業では教員が評価のために記録することが多い。子ども一人ひとりの気持ちや個性を受け止めたい気持ちとはなじまない。さらに最近は、知識だけではなく、意欲や主体性など内面的なことも評価するようになった。報道などによると、中学校では内申点を上げるために意欲があるように振る舞う子どももいて、ピリピリとした雰囲気になるという。
子どもは教師に反抗的な態度をとることなどまったく考えられません。
子どもは教師の目を気にして、教師の気持ちを忖度しながら学校生活を送っているわけです。
「ブラック校則を改正するよう生徒は学校に働きかけるべきだ」などと言う人がいますが、学校の実情がわかっていません。
生徒がみずから動いてブラック校則が改正されることはないでしょう。

私の学校時代は、内申書は中間試験や期末試験の成績が反映されたもので、教師の主観の入る要素はほとんどありませんでしたし、大学入試に内申書が考慮されることはないとされていました。

高石ともやの「受験生ブルース」(中川五郎作詞)には「大事な青春むだにして/紙切れ一枚に身をたくす/まるで河原の枯すすき」とありますが、「紙切れ一枚に身をたくす」というのは実際その通りだったのです。
いくら教師ににらまれても、入試の点数さえよければ希望の大学に入ることができました。ですから、ある意味気楽でした。

今の生徒は、入試の点数と教師受けと二正面作戦を強いられるのでたいへんです。


教師に受けることを考えていると、おとなの常識の枠を超える発想ができなくなります。
日本の科学技術の学術論文は、多く引用される重要論文の数はへり続けて世界10位にまで後退しました。
これは中学高校の教育のあり方にも原因があるのではないでしょうか。


ここ10年ほど日本の自殺者数はへり続けていますが、若者の自殺だけはへりません。2020年度の小中高生の自殺者数は499人で、1980年の統計開始以来最多となりました。

2020年度に不登校だった小中学生は19万6127人で、やはり過去最多となりました。

小中高校におけるいじめの認知件数は、2020年度は51万7163件で、前年度より15.6%減少しましたが、この減少はコロナ禍で子ども同士の接触がへったためと思われます。2019年度のいじめ件数は過去最多でした。

こうしたデータを見ると、日本の学校教育は明らかに失敗しています。
この失敗の原因はなにかというと、家父長制を理想とする自民党の思想にあります。

家父長制というのは、男性である家長が女性や子どもを支配する家族制度です。
自民党が夫婦別姓を認めようとしないのは家父長制を理想としているからです。
こうした自民党のあり方は、ジェンダー平等の観点から批判されています。

しかし、家父長制というのは「男が女を支配する」と「おとなが子どもを支配する」のふたつの要素から成り立っていて、今批判されているのは「男が女を支配する」の部分だけで、「おとなが子どもを支配する」の部分は批判されません。

自民党は昔から「権利を主張する若者」が大嫌いで、「おとなが子どもを支配する」ことを目指してきました。
そして、内申書重視や推薦入学制によって「教師が生徒を支配する」学校をつくりあげることに成功したのです。
しかし、これもまったくといっていいほど批判されません。
先ほど引用した朝日新聞の投書は珍しいケースです。

「教師が生徒を支配する」学校では、生徒は元気も創造性もなくしてしまいます。
日本経済がだめなのは、こうしたことから若者に元気と創造性がなくなったことも大きな原因ではないかと思います。


では、どうしたらいいかというと、処方箋は簡単です。
自民党は「自由、人権、民主主義」を重視する価値観外交というものを掲げています。
ところが、日本の学校には「自由、人権、民主主義」がまったくありません。
学校に「自由、人権、民主主義」を行き渡らせれば、問題は簡単に解決します。



私はこのたび新しいブログを始めたので、あわせてお読みください。
「道徳観のコペルニクス的転回」