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日本銀行の黒田東彦総裁は6月6日の講演で、最近の物価上昇に関して「家計の値上げ許容度も高まってきている」と発言し、「庶民の気持ちがわかっていない」との批判を浴びて、結局発言を撤回しました。

この発言も問題ですが、私が気になるのはその少し前の発言です。
6月3日の参議院予算委員会で、参考人として出席した黒田総裁に対して立憲民主党の白真勲参院議員が「最近食料品を買った際、以前と比べて価格が上がったと感じるものがあったのかどうか、ご自身がショッピングしたときの感覚、実感をお聞かせください」と質問したところ、黒田総裁は「私自身、スーパーに行ってですね、物を買ったこともありますけれども、基本的には家内がやっておりますので、包括的にですね、物価の動向を直接買うことによって、感じているというほどではありません」と答弁しました。
ろくに買い物をしたことのない人間が日本の金融政策を決めているのです。

黒田総裁は財務省の出身です。
キャリア官僚は残業が多いので、一人暮らしの場合でも自炊することはまず不可能ですし、実家暮らしなら家事は母親に丸投げでしょう。結婚すると専業主婦の妻に丸投げです。
ですから、キャリア官僚のほとんどは自分で家事をしませんし、当然買い物もしません。それが官僚の文化です。
そして、役所の中は圧倒的に男性が多く、女性はあまり出世できません。
おそらく霞が関は、伝統芸能の世界を別にすれば、日本でもっとも古い性別役割分業が生き残っている世界です。

自分で買い物をしない黒田総裁を擁護する人もいます。
たとえば国際政治学者の三浦瑠璃氏は「黒田総裁は専門家なわけです。専門家がマクロの全体の話を見て言っているのに“私が行った今日のスーパーでは、白菜はこのくらいの値段でしたけど”っていうね、エピソードベースで反論しようというのは一番やってはいけない。これが日本全体の政治や経済に関する議論の質を落としている」と言って、逆に質問した白議員を批判しました。
ちなみに三浦氏の夫は元外務官僚です。

嘉悦大学教授の高橋洋一氏も、黒田総裁の「家庭の値上げ許容度は高まっている」という発言は東京大学の渡辺努教授による「値上げに関するアンケート調査」に基づくもので問題はなく、やはりマクロ経済の議論をしないマスコミを批判しました。
高橋氏も財務省の出身です。

霞が関の文化にひたっていると、問題が見えなくなるようです。

日銀総裁が個人的な実感で政策を決めるのは確かに問題で、最終的にはマクロの数字に基づいて決めるべきですが、自分で買い物をしない人間は、マクロの数字の背後にある現実がわかりません。

黒田総裁の「家庭の値上げ許容度は高まっている」という発言の根拠になったアンケート調査というのは、「馴染みの店で馴染みの商品の値段が10%上がったときどうするか」という問いに対して、2021年8月の調査では、「その店でそのまま買う」が43%、「他店に移る」が57%だったのが、2022年4月の調査では、「その店でそのまま買う」が56%に増え、「他店に移る」が44%に減少したというものです。
変化したといっても13ポイントにすぎませんし、それに今年4月ごろの値上げというのは、日清オイリオが4月1日納入分から家庭用の食用油を1キロ当たり40円以上値上げすると発表し、J―オイルミルズが7月1日納入分から家庭用の食用油を1キロ当たり60円以上値上げすると発表するというように、メーカーによる一斉の値上げです。牛丼にしても、松屋が昨年9月、吉野家が10月、すき家が12月と連続的に値上がりしました。ですから、「他店に移る」を選択する人がへるのは当然です。
日ごろ自分で買い物している人ならこうした個々の値上げのニュースに敏感になりますが、黒田総裁はマクロしか見ていないので、「他店に移る」が13ポイント減少したことを「家庭は値上げを許容している」と誤解してしまったのです。

また、黒田総裁はコロナ禍で消費ができなかったために家計に“強制貯蓄”があることも値上げ許容の理由に挙げましたが、多少貯金が増えたからといって「高くてもいいや」という気持ちになるわけがなく、この点でも消費者心理がわかっていないというしかありません。

企業と家計、生産と消費というのは車の両輪みたいなものですが、霞が関の文化には家計も消費も欠落していて、いわば片翼飛行をしているみたいなものなので、その中にいる人間には経済の全体が見えません。


私がこの霞が関文化のもたらす害悪に気づいたのは、1980年代、有機農業が注目され、スーパーにも有機野菜が多く並ぶようになってきたのに、農水省はそれになんの対応もしなかったときです。有機野菜には基準も規制もないので、「無農薬」という表示があっても信用できません(実際、「無農薬」をうたいながら農薬を使用していることが多いと言われていました)。
有機米が初めて公認されたのは1987年のことで、有機栽培のガイドラインが制定されたのは1991年です。
これだけ存在感のある有機農産物を農水省がなかなか認めないのはなぜかと考えたときに、農水省の役人は自分で買い物をしないからではないかと気づきました。スーパーに行けば、有機野菜が多く並んで、色つやなどからそれが一般野菜と質が違うということがわかります。しかし、農水省の役人はデスクで数字ばかり見ているので、有機野菜のことが認識できないのです(あと、彼ら学校秀才は何ヘクタールの土地に何トンの肥料を入れれば何トンの収穫があるというような機械論的な発想を好むこともあるかもしれません)。

黒田総裁が買い物をしないということは、個人的な問題ではなく、日銀政策委員会9人のメンバーのうち女性は1人であるという構造的な問題ともつながっているはずです。
また、黒田総裁は就任当初から2%の物価上昇を目標に掲げてきましたが、消費者なら誰もが望まない目標です。ということは、日本国民が望まない目標であったわけです。
9年たってようやく目標が達成できそうですが、この目標設定も改めて検討する必要があります。


霞が関や永田町、さらには経済界が男社会であることの経済への悪影響は想像以上に大きなものです。

日本で衰退した産業の代表格は家電メーカーです。昔は日本の家電は世界を席巻したものですが、今では見る影もありません。
家電の価格や性能では外国企業も同じ水準のものがつくれるので、そうなると魅力ある製品、消費者のニーズに合った製品をつくるということがたいせつですが、日本の家電メーカーの社員はほとんどが消費行動をしない男性社員なので、そこで差がついたのではないでしょうか。
日本のいわゆる白物家電には、余計な機能のついたものがよくあります。魅力的な製品をつくろうとして的を外している感じです。
もう10年ほど前ですが、電子レンジを買おうと思ったとき、インターネットにつながった電子レンジがあって、レシピ通りにつくると加熱時間が自動的に設定されるというのですが、材料の量などはレシピ通りというわけにはいかず、結局、最後は加熱加減を人間が目で見て確認しなければならないはずで、無意味な製品だと思ったのを覚えています。自分は料理をしない社員が製品開発をしているのではないかと思いました。
今はこの手のものはIoTといってさらに進化していますが、作り手の自己満足のような感じで、消費者に喜ばれている感じはありません。

日本には高い技術を持った企業はあるのに魅力的な製品をつくることができないという傾向があり、それが日本経済の衰退を招いています。
それは結局、日本は性別役割分業が根強くて、男性が生産を担い、女性が消費を担うというように、生産と消費が分離しているためと思われます。

日本の産業が全体的に衰退する中で、自動車産業だけは気を吐いていて、日本経済は自動車産業の一本足打法などと言われます。
なぜ日本の自動車産業は元気なのかというと、自動車の購買の決定権はたいてい男性が持っていて、つまり生産と消費が一致しているからではないでしょうか。



黒田総裁の「家計の値上げ許容度も高まってきている」という発言は大いに批判されましたが、「買い物は基本的には家内がやっております」という発言については、むしろ擁護する声があって、批判する声はまったく聞きませんでした。
買い物をしない人間が日銀総裁をやっているということは、もっと問題にされていいはずです。