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コラムニストの小田嶋隆氏が亡くなりました。65歳でした。

私は氏の「日経ビジネスオンライン」の連載「ア・ピース・オブ・警句」を愛読していました。
「日経ビジネスオンライン」の会員登録をすると、有料記事が月3本まで無料で読めるので、3本とも小田嶋氏のコラムに当てていました。

「日経ビジネスオンライン」は小田嶋氏追悼のために1本のコラムを無料公開しています。
「小田嶋隆さん、お疲れ様でした。そしてありがとう。」


小田嶋氏と私は関心領域が似ているので、このブログを書く上でも参考になりました。
もっとも、氏と私では書き方がまったく違います。私は結論へ向かって最短距離で進んでいくという書き方ですが、氏は注釈に注釈を重ね、次々と脱線していくという書き方で、そこに人柄と見識がにじみ出るおもしろさがありました。

ここ1、2年は軽い脳梗塞を患うなどして病気で休載することがしばしばあり、今年の4月初めからも休載していたので、病状を案じていましたが、とうとう6月24日に亡くなられたということです。
65歳は早すぎますが、小田嶋氏は30代でアルコール依存症になり、39歳から断酒をして立ち直りました。しかし、一時期アルコール漬け生活を送ったことによる身体のダメージは大きかったのでしょう。

小田嶋氏の文章は肩の力が抜けた感じなので、私は勝手に“脱力系”と名づけています。
もちろんこれは力を抜いて書いているわけではなく、書き手の人柄とか人間性とか生き方がそう感じさせるのです。
読んでいると癒されます。


私が思う“脱力系”の書き手の代表格は中島らも氏です。

私は中島らも氏のことを「ぴあ」に載っていた「啓蒙かまぼこ新聞」で初めて知りました。一応かねてつ食品の広告ページなのにぜんぜん広告になっていなくて、わけがわからないのですが、不思議なおもしろさがありました。
それから、らも氏のエッセイをよく読むようになりました。
そして、実体験を書いた小説『今夜、すべてのバーで』で、らも氏がアルコール依存症であることを知りました。
酒浸りで肝臓を悪くしながら、あのおもしろエッセイは書かれていたのです。

一度アルコール依存症になると、節度ある飲酒をするということはできず、完全な断酒をしなければなりません。少しでも酒を口にするともとの依存症に戻ってしまいます。
『今夜、すべてのバーで』という小説は、断酒の苦しみから逃れるため、飲酒の代償行為として書かれたもののようです。
長編小説『ガダラの豚』は、読んでいると作者の「酒を飲みたい」という思いがひしひしと伝わってきて、結末あたりではその思いがかなり高まってきます(もっとも、そう感じるにはそれなりの文章に対する感受性が必要です)。
『永遠(とわ)も半ばを過ぎて』になると、「酒を飲みたい」という思いが極限まで高まって、結晶のようになっています。
私はこれを読んで、断酒は続かないだろうと思いました。
実際、らも氏はそのころから飲酒を始めたようです。
しかし、仕事も続けていました。
おそらくドラッグを併用することで飲酒量をセーブしていたのかもしれません。

らも氏のエッセイにはありとあらゆるドラッグの話が出てきます。私は咳止めシロップに麻薬作用があって依存症になる人がいるということを初めて知りました。
らも氏は2003年に大麻所持などで逮捕され、執行猶予つきの有罪判決を受けました。

らも氏は2004年、階段から転落したのが直接の原因で、52歳で亡くなりました。おそらく酒とドラッグで体はボロボロで、亡くなるのは時間の問題だったでしょう。
自分は悲惨な人生を生きながら、人の心を軽くするような文章を書いていたのが不思議です。


マンガ家の吾妻ひでお氏は不条理なギャグマンガや美少女マンガで人気になりましたが、しだいに描けなくなって苦しんでいたようです。
あるとき仕事も家族も捨てて失踪してホームレス生活をするようになり、ガスの配管工事の会社に拾われてそこで働くようになります。そのいきさつを描いた『失踪日記』が高く評価され、日本漫画家協会賞大賞、手塚治虫文化賞マンガ大賞など多数の賞を受賞しました。
私も読んでみると、野外で寝てゴミ箱をあさるという悲惨きわまるホームレス生活を、そんなに悲惨でないように描くというのが絶妙で、深い感動を覚えました。
そして、『失踪日記2 アル中病棟』が出版されて、吾妻ひでお氏もまたアルコール依存症であることがわかりました。

私はアル中の人の作品に引かれる傾向があるのかもしれないと思い、アルコール依存症で入退院を繰り返した戦場カメラマン鴨志田穣氏の『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』を読んでみたら、やはり引かれるものがありました。

そして、小田嶋氏も2018年に『上を向いてアルコール―「元アル中」コラムニストの告白』を出版し、それで小田嶋氏も元アル中であることがわかったわけです。


なぜ私はアル中の人の作品に引かれるのかということを考えてみました。

ひとつには自分も酒飲みなので、酒飲みにシンパシーを感じるということがありますし、アル中の入院や治療の話は他人事とは思えないということもあります。

それから私の考えでは、酒を飲む人と飲まない人では性格とかパーソナリティが微妙に違います。
私の友人は酒を飲む人ばかりです。酒を飲まない人と友だちづきあいができません。もし私が酒を飲めなかったら交友関係がまったく違って、歩む人生も違っていたかもしれません。
ですから、私は酒を飲まない人を表面的にしか知らないのですが、会社勤めをしていたときに酒を飲まない人を何人か見ています。それらの人は、酒を飲む人に比べて、神経質というか、細かいことにこだわる傾向があって、つきあいにくい感じがしました。
もちろんこれは“個人の感想”ですが、酒を飲まない人はストレスの解消がしにくいので、ストレスをため込んでいるのではないかと思っていました。
それから、酒を飲む人は、酔っぱらってしばしば失敗をしたり醜態をさらしたりします。ですから、人の失敗にも寛容になりますが、酒を飲まない人にはそういうところがないはずです。

以上は普通の酒飲みのことですが、アル中で入院する人になるとまた違ってきます。
アルコール依存症に限らず一般的に依存症は「否認の病」と言われます。つまりどう見てもアルコール依存症という状態になっても、本人は「この程度ではアル中とはいえない」とか「いつでもやめられる」と思って、自分がアルコール依存症であることを否認するのです(家族も巻き込むので家族関係の病とも言われます)。

しかし、どうにもならなくなって自分から入院することも強制入院になることもありますが、入院するとさすがに否認するわけにいきません。
つまりこのときに心のバリアが壊れて、ほんとうの自分と向き合うわけです。
そういうことから、アル中を自覚した人の文章には人間味が出てくるということがあると思います。

さらにいうと、アルコール依存や薬物依存の人は世の中から「意志が弱い」ともっとも非難される立場ですから、いわば社会の最底辺です。
そういう立場を自覚すれば、おのずと人に寛容になるはずです。
そうしたところにも私は引かれるのかもしれません。

小田嶋氏はリベラルの立場から安倍政権をよく批判していましたが、上から目線で舌鋒鋭く批判するという感じではなくて、どことなくゆるい感じの批判でした。ですから、安倍支持の立場の人にもけっこう読まれていたのではないでしょうか。

もしかして「人はアル中になることで人にやさしくなれる」ということが言えるかもしれません。
もっとも、「だからアル中になるのは悪くない」などとは言えません。確実に体には悪いからです。
吾妻ひでお氏は食道がんで69歳で亡くなり、鴨志田穣氏は腎臓がんで42歳で亡くなっています。


今回、小田嶋隆氏の文章を真似てみようかと思って書き出したのですが、結局まったく似ても似つかない文章になりました。