一時、給食費未納問題というのが騒がれました。お金があるのに給食費を払わない親がふえているということが話題になり、それに対して、実際は経済苦で払えないのだとか、そもそも未納はふえていないのだとかいう反論があり、結局うやむやになりました。
この問題に完全に決着をつけるには、学校給食はサービスなのか教育の一環なのかということをはっきりさせないといけないと思います。これをあいまいにしていれば、また問題が蒸し返されるかもしれません。
学校給食がサービスであれば、給食費を払わない親はサービスの対価を払わないわけですから、問題なく悪いことになります。
しかし、学校給食が教育の一環であれば、話は違います。親は教育のあり方に抗議するために、給食費不払いという実力行使をしているかもしれないのです。
おそらくほとんどの教育現場で給食は教育の一環と考えられ、残さず食べなさい、好き嫌いをいわず食べなさい、時間内に食べなさい、おとなしく食べなさい、正しいマナーで食べなさいという指導が行われてきたと思います。そうすると、少食な子ども、好き嫌いの多い子どもにとってはつらいことになります。中には、全部食べるまで1人だけ居残りさせられたという話もあります。給食が教育の一環と考えられたために、少なからぬ子どもが給食の時間を苦痛に感じてきたのです。
そうした子どもが大人になり、自分の子どもの給食費を払うとき、素直な気持ちで払えるでしょうか。このお金で給食がつくられ、自分の子どもがまたそれをむりやり食べさせられるのかと思えば、払いたくないという気持ちになってもおかしくないでしょう。
とはいっても、たいていの親は払うでしょう。給食がサービスという面を持っていることは明らかだからです。
しかし、給食に恨みを持っている親がかなり存在していることは多くの人が認めるでしょう。だからこそ、お金があるのに給食費を払わない親がいるということが一時的にせよ広く信じられたのです。
今後、給食費を問題なく徴収していこうとすれば、給食を教育と切り離し、あくまでサービスとして位置づけることが必要だと思います。
そして、そうすることにより給食の時間を苦痛に感じる子どもをなくすこともできるのです。