俳優の高岡蒼甫さんが韓流ブームやフジテレビを批判し、所属事務所を解雇されたことで話題になっていましたが、本人がブログを開設して、自分自身の状況を説明しました。これを読むと、韓流ブーム・フジテレビ批判という政治的発言と彼自身の状況の落差に驚かされます。
高岡蒼甫「自殺図った」ブログで衝激告白 「中日スポーツ」2011年7月30日 紙面から
ツイッターで韓国ドラマを放送するフジテレビや韓流ブームを批判し、所属事務所との契約を解消した俳優高岡蒼甫(29)が29日、「本人ブログ」を開設。自殺未遂やパニック障害など、衝撃的な過去を激白した。
「事実に基づく真相」というタイトルで、書き出しから「この際だからはじめて話します。パッチギを撮り終えた暫(しばら)く後に自分は自殺を図った。その後半年間仕事を休む」と告白。事実に反することを報道され「マスコミ嫌い」になり「うつ状態」だったこと、昨年6月の映画の舞台あいさつ中に倒れたのはパニック障害が原因だったことも明かした。
今年1月に三島由紀夫原作の舞台作品「金閣寺」に出演したことで「何年かぶりに前向きになれた」というが、東日本大震災後の「放射能の事から目を背けさせたり」する報道などに失望し、「日本を引っ張っていってる人間たちに対する抗議」としてツイッターで発言した、と経緯を説明した。
自殺企図、うつ状態、パニック障害とはまさに“不幸のどん底”です(夫婦関係も気になります)。こんな状況にありながら、政治的社会的発言をする心理とはどんなものでしょうか。
まず考えられるのは、現実逃避ということです。自分自身の状況があまりに悲惨なので、社会問題に逃げたというわけです。
それから、フジテレビや世相という“大きなもの”を批判することで、自分もまた大きな人間になったという錯覚を得たかったのかもしれません。
世の中には政治的発言があふれ返っています。ネットの匿名の書き込みから、学者、政治評論家、論説委員まで、どれもが一応は、世のため人のために発言しているのだというスタンスですが、高岡さんの例を見ると、こうした現実逃避や自己肥大化のための発言も多いのではないかと思われます。
私が思うに、まともな政治的発言というのは2種類しかありません。
ひとつは、自分が幸せなので、不幸な人をなんとかしてあげたいという動機からの発言です。たとえば、「ホームレスに対して行政はもっと手を差し伸べるべきだ」という発言などがそれです。
もうひとつは、自分が不幸なので、自分の不幸をなんとかしたいという動機からの発言です。たとえば、「自分は正社員になれない低賃金のフリーターだが、企業は正社員の採用をふやせ、賃金を上げろ」という発言などがそれです。
こうした発言は、不幸な人をなんとかしたい、不幸な自分をなんとかしたいという動機が明快で、ごまかしがないだけに、実際に世の中をよくする可能性が大いにあります。
問題は、高岡さんのように、自分が不幸なのにそれを棚に上げて、政治的な発言をする場合です。これは動機が不純なだけに、かえって世の中を悪くする可能性があります。
そして、さらに問題なのは、たとえば「大震災の被災者に対して政治や行政はもっとちゃんとやれ」という発言は、いったいどういう動機から発せられているかわからないということです。被災者のためを思っての発言のように見えますが、単に政治や行政を非難することで満足を得たいがための発言なのかもしれません。
ネットの掲示板では、その発言者がどういう状況にあるかぜんぜんわかりません。高名な政治評論家も、幸福とは限りません。あまりに感情的な発言は、本人が不幸である可能性を暗示しています。
高岡さんの場合は、本人が有名人で、ブログで自分の状況を語ったことで、たまたまどんな状況にあるかわかりました。自分が不幸なので、逆に世のため人のための発言をするという典型的な例です。
政治的発言にはつねにそういう可能性があることを理解しておく必要があります。
私自身は、自分が幸福だから、人にも幸福になってもらいたいと思っていろいろな発言をしているので、信じていただいて大丈夫です。