野田新首相は代表選の演説で相田みつをの言葉を引用しました。
「どじょうがさ金魚のまねすることねんだよな」
自分をどじょうにたとえたわけです。新幹事長に決まった輿石東氏に教えられた言葉だということですが、演説に引用するぐらいですから、野田氏が相田みつをを好きであることは間違いないでしょう。
一国の指導者が相田みつをを好きだというのはどうなのでしょうか。
相田みつをについては、評価する人とそうでない人と極端に別れる傾向があります。
私は相田みつをの詩を読むと、ほとんどの場合、「プッ」と軽く吹き出してしまいます。
いや、私は相田みつをの詩を読むのは好きですし、おもしろいと思いますし、考えさせられます。そういう意味ではすばらしいと思うのですが、それでも読んだ瞬間に「プッ」と吹き出してしまうのです。
みつをファンの方もたくさんおられますから、あんまりへたなことは書けないのですが、自分なりに吹き出す理由を分析してみますと、ひとつは、「お前はどうなんだ」ということを思うからです。つまり、「立派なことを言ってるけども自分は実践できているのか」ということです。
もっとも、書くことと実践を一致させなければならないという理屈はどこにもありません。文芸評論家は自分は小説を書けなくても人の小説を批判しています。
ただ、相田みつをの詩は人間の生き方に関するものですから、こちらが「お前はどうなんだ」と思ってしまっても、ある程度しかたがないでしょう。
私が吹き出すもうひとつの理由は、「その程度か?」と思うからです。
相田みつをの詩は、表現は工夫されていておもしろいのですが、思想はそれほど深くありません。たとえば、「どじょうがさ金魚のまねすることねんだよな」というのは、要するに「分相応の生き方をしなさい」とか「背伸びはやめなさい」ということを言っているだけです。ただ、表現によって読ませているのです。
思想が深くないというと、ファンの人から怒られそうですから、多少客観的な証拠を挙げましょう。
私はたまたま見ていたのですが、TBSの「タイノッチ」という番組で相田みつをの詩が取り上げられました。お笑い芸人の千原ジュニアがどこかに泊まったとき、相田みつをの詩集が何冊も置いてあって、それを読んでいるうちに頭の中がすっかり相田みつをになってしまって、自分も相田みつを風の詩がつくれると思って、つくってみたそうです。そして、その番組で、「千原ジュニア作相田みつを風の詩」と「本物の相田みつをの詩」を並べて、どちらが本物かを当てるクイズをやったわけです。このクイズは3問か4問あったのですが、「千原ジュニア作相田みつを風の詩」を本物と答える人のほうが多かったのです。
これは千原ジュニアがひじょう才能のある芸人だということでもありますが、相田みつをの詩は千原ジュニアに真似されてしまう程度のものだということでもあります。
ちなみに「タイノッチ」という番組では、のちに歌手の矢沢永吉を取り上げ、「千原ジュニア作矢沢永吉風の名言」と「本物の矢沢永吉の名言」を並べて、本物を当てるというクイズもやりましたが(これもたまたま見ていたのです)、これは偽物が見破られてしまいました。矢沢永吉のような個性的な人の真似をすることは千原ジュニアにもむずかしかったようです。
相田みつをの思想が深くないといっても、相田みつをはそもそも思想家ではないわけで、詩人で書家ですから、筋違いの批判ということでご容赦ください。
問題は、一国の指導者が相田みつをを好きだということです。これはどうなのでしょうか。
私は、これはよいことだと思います。
よく「政治家には哲学が必要だ」ということを言いますが、これはまったくの嘘です。
鳩山由紀夫氏は「友愛」というすばらしい哲学を持っていました。
菅直人氏は「最少不幸社会」というよく考え抜かれた哲学を持っていました。
しかし、こういう哲学は役に立たないばかりか、むしろ足を引っ張った可能性があります。
石原慎太郎氏は、ただのタカ派思想しかありません。
小泉純一郎氏は、「郵政改革は構造改革の本丸」という個人的な思い込みだけの人でした。
しかし、そのために状況に応じた行動ができ、それが国民の支持につながったのです。
相田みつをが好きな野田氏も、哲学がないことで国民の支持を得る可能性があります。