イソップ童話の有名な「アリとキリギリス」の話には、実はロングバージョンがあります。こんな話です。
アリは暑い夏の間も一生懸命働いていました。一方、キリギリスは毎日、歌ったり踊ったりして楽しくすごし、汗水たらして働くアリをバカにしていました。しかし、やがて冬がきて、キリギリスは寒さとひもじさに耐えかねて、アリの家にやってきます。家の中は暖かくて、食べ物もいっぱいあります。キリギリスは食べ物を恵んでくださいとお願いしました。するとアリたちは、キリギリスを家の中に招き入れ、食べ物ばかりか寝る場所も提供してくれました。キリギリスは感謝して、冬中ずっと歌と踊りでアリたちを楽しませました。
次の年の夏も、アリは汗水たらして働き、キリギリスは毎日遊んでいました。そして、冬になるとまたキリギリスはアリの家にきました。アリはキリギリスを家に招き入れ、キリギリスは冬中アリたちを楽しませました。
毎年同じことが繰り返されていましたが、ある年、一匹のアリが言いました。
「キリギリスさんは夏の間ずっと遊んでいたんだから、冬になって飢え死にしたって自己責任だ。私たちが助ける必要はないよ」
ほかのアリも、前からキリギリスを助けることに釈然としないものを感じていたので、その意見に賛成しました。そのため、キリギリスは食べ物ももらえずに追い出されてしまいました。
そして、キリギリスは飢えと寒さで死んでしまいました。
次の年、冬になってもキリギリスはアリの家にきませんでした。その次の年も同じです。キリギリスの社会に、アリは助けてくれないということが知れ渡ったのです。
アリは歌も踊りもできません。働くこと以外になんの能力もないのです。
キリギリスを追い出したときから、アリはなんの楽しみもない、ただ働くだけの一生を送るようになってしまいましたとさ。
もちろんこれは私のつくり話です。ロングバージョンがあるというのも嘘です。
なぜこんな話をつくったかというと、ギリシャのことを考えていたからです。
今、ギリシャは財政危機で、ユーロ諸国の助けを受けています。助ける側の中心はドイツです。ドイツとギリシャの関係はよくアリとキリギリスにたとえられます。
ドイツの世論は圧倒的に、なぜ自分たちのお金でギリシャを救うのかと、ギリシャ救済に否定的です。ギリシャ人はろくに働かず、放漫な財政運営をしてきたのだから、破綻しても自己責任だという考えです。
こうした考えは、経済危機のたびに表面化します。
たとえば日本でバブル崩壊後、金融機関に資金注入をするべきだという議論が行われたとき、なぜ税金を使ってバブルに踊った金融機関を救済するのかと、世論は圧倒的に反対でした。そのため山一証券をつぶすというショック療法で世論を変えなければなりませんでした。アメリカでもリーマン・ブラザーズをつぶすというショック療法が行われました。
バブルに踊ったり、放漫なことをした者が不幸になるのは自己責任だという考え方は道徳的な考え方です。経済の世界に道徳を持ち込むと、ただ混乱を助長するだけです。そして、かえって自分が不幸になってしまいます。
経済の世界を見ると、道徳がろくでもないものだということがよくわかります。