沖縄防衛局の田中聡局長が「これから犯す前に犯しますよと言いますか」などと発言したことで更迭されました。女性と沖縄の両方への差別的な発言と見なされたのです。
田中聡局長はこういう経歴の人だそうです。
「田中氏は大阪大卒。1984年に旧防衛施設庁に入り、防衛省の広報課長や地方協力企画課長を経て、8月15日付で沖縄防衛局長に就いた。(共同)」
一般には、教養のない人が差別主義に陥りがちで、高学歴者は差別主義的でないと思われているかもしれませんが、私は逆に、高学歴者こそが差別主義的だと考えています。高級官僚というのは、高学歴の上に社会的地位の高い職業なので、それに輪をかけて差別主義的です(あくまで一般論ですが)。田中局長はそのいい例でしょう。
警察官僚というのも犯罪者に対して差別的で、そのために犯罪対策がうまくいきません。というか、犯罪対策そのものが犯罪者差別となっているのです。
「犯罪者差別」という言葉はもしかして私の造語かもしれませんが、「犯罪者差別」という言葉を使うと現実が見えてきます。今の警察司法は犯罪者を救済するという観点がないからだめなのです。
沖縄の基地問題の解決はなかなかうまくいきません。それはこの問題を実質的に担当している外務官僚と防衛官僚が沖縄に差別的であるからでしょう。
また、マスコミの記者も高学歴者ですから、沖縄への差別意識が抜けないのではないかと思われます。
たとえば、田中局長の発言ですが、もともとは居酒屋でのオフレコ発言です。琉球新報がそれを報じたことで問題になりました。琉球新報は、これはオフレコにはしておけないと判断したのでしょう。本土のマスコミはそうした判断はできなかったのです。
本土のマスコミがいかに沖縄に差別的であるか、私は1995年の沖縄米兵少女暴行事件のときに思い知りました。
沖縄米兵少女暴行事件というのは、3人の米兵が12歳の女子小学生を集団強姦した事件で、沖縄では大規模な県民総決起集会が行われるなど、大騒ぎになりました。ところが、東京にいる私は沖縄で起こっている騒ぎがなにごとかまったくわからないのです。もとの少女暴行事件が本土では、まったく報じられないか、ごく小さな記事でしか報じられなかったためです。
少女の集団暴行事件を報道するのに沖縄とか本土とかの区別はないはずですが、本土のマスコミはそうではなかったのです。
今でも本土のマスコミは沖縄への差別的態度を改めようとしません。
たとえば「沖縄県民の反対する辺野古移設」という表現が常套句のようによく出てきます。しかし、辺野古移設に反対しているのは沖縄県民だけではありません。沖縄県民以外にも反対している人はいっぱいいます。それに、沖縄県民も日本国民なのですから、「沖縄県民の反対する辺野古移設」という表現は明らかに間違っていて、「(多くの)日本国民の反対する辺野古移設」と表現するべきでしょう。
ちなみに辺野古移設を強行しようとすると、かつての成田空港建設反対闘争のような事態になるのではないかといわれていますが、成田空港建設反対闘争は全国的規模で行われて、「千葉県民の反対する成田空港建設」などという表現のあるはずはありませんでした。
また、「沖縄県民の怒り」という表現もマスコミの得意とするところですが、沖縄県民以外が怒っていないということはないのですから、これも「日本国民の怒り」と表現するべきではないでしょうか。
官僚もマスコミも差別主義に冒されているため、日本国民の基地負担軽減がなかなか実現されません。