村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2011年11月

シリーズ「横やり人生相談」です。今回もまた家族関係の問題ですが、家族関係の問題については若い人のほうが理解が進んでいるのではないでしょうか。最近は小説や映画やドラマでも、主人公は家族関係の問題を抱えているという設定が多いような気がします。
 
「自分を好きになりたい」相談者 高校2年生女子
高校2年生、16歳女子です。自分の全部が大嫌いです。
 
 私の父は自尊心が強く、他人を見下し、自分の優越感を満たすことを好む人です。自分が正しいと思ったことは、必ず他人も同調させなければ気の済まない性格で、それがかなわなければ、怒りに我を失うほどです。
 
 それは、生まれてから今日まで父を尊敬し信頼し、疑うことなく育ってきた私の精神にも深く刻み込まれました。
 
 この性格を抑えることなく行動し、失った友情もあります。最近、過去の自分を省み、なんと愚かな発言をしたのかと毎日罪の意識に悩まされました。
 
 それに気付いて以来、私は、流されることなく本来あるべき自分を確立できるように努めています。数少ない友人を尊重し、「ありがとう」「ごめんなさい」を常に心掛け、他人の意見を受け入れ、よい所を見つけるようにしています。
 
 しかし、どうしても根底に残る醜い思いが消えないのです。
 
 他の人より認められたい欲望が先走り、他人に対して自分の我を通してしまうことがあります。今まで性格は簡単に変えられると思ってきましたが、幾多の努力を重ねた今、本当に難しいものだと痛感しています。
 
 他人を見下すことでしか自分を愛せないとしたら悲しすぎます。本当の意味で自分を好きになるには、どのような努力が必要でしょうか。(朝日新聞「悩みのるつぼ」20111112)
 
 
この人生相談の回答者は、作家の車谷長吉さんです。
車谷さんは、よい友だちをつくる努力をしてくださいとアドバイスします。よい友だちがいたら自分が好きになれるかもしれませんし、あなたに恋する少年がいたら自分も変わらざるをえないでしょう、というわけです。
なるほど、これはよい方法のようです。ですから、人生相談の回答としてはいいのですが、私の立場からすると不満があります。そのことを書いてみます。
 
車谷さんは相談者の父親についていっさい言及していません。回答文に「父」という言葉が一度も出てこないのです。
しかし、相談者は相談の2行目で父のことを書いています。相談者は、自分で自分が大嫌いなのは父が原因であるに違いないと推測しているのでしょう。ですから、そこに焦点を当てた回答が必要ではないかと思うのです。
 
子どもが親の影響を受けるのは当たり前です。とくに幼児期に受けた影響は、インプリンティングといってもいいぐらいに心に深く刻まれてしまいます。相談者が「それは、生まれてから今日まで父を尊敬し信頼し、疑うことなく育ってきた私の精神にも深く刻み込まれました」と書いている通りです。
 
ちなみに私の父親も、他人を見下し、自分の優越感を満たすことを好む人でした。ただ、そんなに激しい性格ではなく、ネチネチと言うタイプです。
もちろん私も父親の影響を受けています。もしかしてこのブログも父親がネチネチと言っていたみたいな……いや、そんなことはありません。内容がぜんぜん違います。
ともかく、私も相談者と似たような境遇だったので、自分自身の経験からアドバイスできることがあると思います。
 
この相談者は父親の姿を的確にとらえているようです。ですから、問題は半分解決しているといっても過言ではありません。
これから相談者がするべきことは、まず心の中で父親を思いっきり軽蔑することです。それによって、現在いっしょに暮らしている父親の影響を受けないようにするのです(もしかして、自分の親を軽蔑しろなどと若い人にアドバイスするのは私ぐらいかもしれませんが、それはほかの人がみな間違っているからです)
それから、自分の幼児期を回想し、父の言動や父との関わりをひとつひとつ思い出して、それを心の中で否定していくという作業をしなければなりません。いわばインプリンティングをクリーンアップする作業です。
これはけっこう時間がかかりますが、気長にやらなければなりません。やればやっただけ効果があります。
こうして父親と自分の人格を切り離し、自分が父親の上にくるようにします。
 
自分が親より人間的に向上すれば、人類はほんのわずかとはいえ向上することになります。みんながこのようにして親を軽蔑し、親より人間的に向上すれば、人類は大きく向上することになります。
 
世の中には、親を尊敬しているという人がいっぱいいます。
もちろん親に尊敬する部分はあるでしょう。しかし、完璧な人間はいませんから、必ず軽蔑するべき部分もあるはずです。その部分をきちんと軽蔑しないと、その軽蔑すべき部分を自分が受け継いでしまうことになります。
これでは人類の向上はありません。
 
親に軽蔑するべき部分を見いだし、親より向上した人間になる。これが人間としての正しい生き方です。
 
ところで、親を軽蔑して、親と喧嘩する人がいますが、これはよくありません。自分も精神的なダメージを受けてしまいます。
親を軽蔑して乗り越えるという作業は心の中だけで行えばいいのです。

ブータン国王夫妻来日に関連して、またも日本の劣化を示すニュースです。といっても、私がいうことは、ほかの人とは違うかもしれませんが。
 
そもそもは一川保夫防衛相が宮中晩餐会を欠席し、同僚議員のパーティに出席して、「私はこちらのほうがだいじだと思って来た」と言ったというニュースがありました。そして今回、蓮舫行政刷新担当相が晩餐会前のパーティで携帯電話を使ったというニュースです。もっとも、蓮舫大臣は、控えの間で使って礼は失していないと言っています。
 
このニュースのなにがくだらないかというと、どうでもいいことだからです。こんなことをニュースにするマスコミもおかしいし、こんなことを徹底追及するなどと息まいている野党もおかしいし、また、2ちゃんねるやブログなどで尻馬に乗ってる人たちもおかしいといえます。
蓮舫大臣は、携帯電話で大声で話して周りのひんしゅくを買っていたということではありません。ただ「携帯電話を使用していたことが分かった」というだけのことです。これをニュースにする神経がわかりません。
 
要するになにがたいせつかがわからなくなっている人たちがたくさんいるのです。これでは日本の政治もよくなりません。
 
もっとも、こうしたニュースに反応する人たちがいるのも理解はできます。
これは「礼儀」に関することです。礼儀について感情的な反応をしてしまう人は少なくないのです。
私たちは誰でも子ども時代に、「きちんとあいさつしなさい」「食べ物を粗末にしてはだめ」「そんなことをしたらみんなに迷惑でしょ」などと礼儀作法についてしつけをされます。そのしつけの仕方がきびしいと、トラウマになります。トラウマとまではいかなくても、不快な思いをします。ですから、礼儀と不快な思いが結びついてしまうのです。
これはつまり、しつけの失敗です。
礼儀というのは本来、人を不快にさせないための手段です。しかし、“失敗しつけ”をされた人にとっては、礼儀は人を不快にするための手段になってしまうのです。こうした人たちは、「礼儀知らず」「礼儀がなっていない」などといってつねに人を非難します。
 
いうまでもないことですが、ほんとうの礼を知っている人は、人を「礼儀知らず」といって非難することはありません。
 
“失敗しつけ”の結果、世の中には人を「礼儀知らず」と非難する人があふれるようになりました。2ちゃんねるにはこうした人がとくに多く見られます。
そして、産経や読売など一部マスコミはこうした人に受けそうなことをニュースにします。そして、そのニュースに乗っかる政治家がいます。
これが劣化した日本の姿です。
“失敗しつけ”は恐ろしい結果を招きます。

ブータン国王夫妻が来日して、日本人の歓迎を受けています。ブータンは人口約70万人という小さな国ですが、日本人は特別な親しみを感じているようです。
まず国王夫妻は美男美女ですし、ブータンは「国民総幸福量」という概念に基づいて国づくりをしているということも日本人に比較的知られていますし、仏教国でもあるということも親しみを感じる理由でしょうが、国の成り立ちも日本に似たところがあります。
 
ブータンは主に高地と山地にある国で、いわば陸の孤島みたいなところです。ですから、島国の日本と共通したところがあると思えるのです。
ブータンは中国(チベット自治区)とインドと国境を接していますが、占領されたことがありません(近代になってイギリスには占領されますが)
日本も元寇は経験しますが、アメリカ以外に他国に占領されたことがありません。
 
ヨーロッパや中東の国は、何度も占領されたり占領したりということを繰り返してきました。そうした過酷な経験をすると人間がすさんできます。素朴さが失われ、知恵と悪知恵が発達します。
そして、文明も発達します。文明は知恵と悪知恵でできています。ヨーロッパ文明も中国文明も戦争の中で発達してきたのです。
 
日本には戦国時代がありましたが、このころの戦争は武士同士の戦争で、農民や町民に被害が及ぶことはほとんどありませんでした(織田信長は例外的に一向宗門徒を虐殺しますが)。ですから、日本人はあまり過酷な経験をすることがなく、素朴なまま生きてこられた民族なのです。
そして、中国文明の成果だけを学びました。
海の向こうの文明を学ぶというノウハウは、明治維新後欧米の文明を学ぶときにも役立ちました。ですから、日本は欧米以外で初めての近代文明国になれたのです。
 
日本人は素朴な心を持った文明人です。たとえていえば、都会の文化を身につけた田舎者です。
ですから、日本人は欧米人や中国人とつきあうとき、つねに違和感を覚えます。根本的にはわかり合えず、少し背伸びをしている感があります。そのため、欧米人とつきあうとき武士道や禅などを持ち出して自分をかさ上げしたりします(中国人は欧米人とつきあうときそうした違和感はないのではないかと思います)
 
その点、ブータンは陸の孤島として、過酷な経験をほとんどせずにインドや中国から文明を学んできた国ですから、日本と似ています。日本人が欧米人や中国人よりもブータン人に親しみを感じるのは当然でしょう。
 
反対に、日本人がもっとも親しみを感じないのはイスラエル人でしょう。ユダヤ民族は世界でももっとも過酷な体験をした民族だからです。中東で起こっているイスラエルがらみのさまざまな問題は一般の日本人の理解を超えています。
 
日本人はブータンとイスラエルの両方を見ると、自分の立ち位置が確認できるはずです。

日米首脳会議で野田首相が「すべての物品やサービスを貿易自由化の交渉テーブルにのせる」と発言したか否かがちょっとした問題になっていますが、これについて日本国内の反応がいつもながら情けない限りです。アメリカは発表文は訂正しないということですが、それについて「アメリカはけしからん」という声がぜんぜん上がりません。野田政権の対応を批判するだけです。
もちろん野田政権の対応にも問題はあるでしょうし、野党がそれを衝くのは当然ですが、アメリカの対応に問題のあることは明らかです。言わないことを言ったとされたら、将来なんらかの形で日本が不利になるかもしれません。
ですから、野田政権の対応を批判すると同時に、アメリカの対応も批判しなければなりません。いや、むしろ日本人としては日本政府を批判するよりアメリカ政府を批判するほうに力が入るのが当然です。
しかし、そうはならないのが日本人のメンタリティです。
これは対アメリカだけではありません。尖閣諸島沖で中国漁船が日本の巡視艇に衝突した事件で、日本人の多くは尖閣諸島沖での漁を許す中国政府を批判するより、もっぱらビデオを非公開にした日本政府を批判していたのです(そもそもビデオの公開・非公開など小さな問題です)
これでは日本政府も強気な外交はできません。国内世論が足を引っ張るからです。
アメリカや中国は日本国内の対立を眺めて、内心笑っていられるというわけです。
 
日本政府のやる外交が日本人の心情とまったくかけ離れているなんていうことがあるわけありません。日本人の自信のなさが日本の外交に表れているだけです。
 
自信がなく、内向きになって、ただ国内で強気なことを言っているだけというのが最近の日本人です(ちなみにフジテレビ批判デモというのがありましたが、韓流批判デモや韓国批判デモでなかったところがいかにも日本人的です)
 
もっとも、昔はそうではありませんでした。
日露戦争に勝利してからの日本人は自信を持って外交をし、国際連盟もカッコよく(と日本人は思っていた)脱退したりしていました。
これはやはり軍事力に自信があったからできたことでしょう。連合艦隊は無敵と信じられていました。やはり人間はなにかよりどころがなければなりません。
 
もちろん、敗戦でこの自信は砕け散りました。
しかし、その次に日本人は経済力に自信を持つようになりました。ジャパン・アズ・ナンバーワンといっていたころ、日本政府は「日米は対等のパートナーシップ」ということを公言していました。
しかし、この自信もバブル崩壊後の長い経済停滞ですっかり消滅してしまいました。
 
今、日本人が誇れるものといえば、物づくりの技術、マンガ・アニメなどでしょうか。しかし、それは軍事力や経済力ほどのよりどころにはなりません。
 
では、日本人はこれからも自信のないまま、外交力のない国として生きていかなければならないのでしょうか。
いや、そんなことはありません。
これからは「倫理力」をよりどころとしていけばいいのです。
 
今、世界をおおっているのは、自己中な人間が考え出した「天動説的倫理学」というおバカな考え方です。アメリカはとりわけこのおバカな考え方にはまっていて、犯罪対策もテロ対策も失敗して、悲惨なことになっています。
その点、日本は治安もよく、テロ攻撃の対象になることもなく、災害時の人々の行動も世界から称賛されています。これがつまり日本人の「倫理力」です。
 
ところが、日本のおバカな官僚は犯罪対策やテロ対策をアメリカ化しようとして、マスコミも同調していますので、日本人自身が「倫理力」の価値に気づいていません。
私など、昨日の「平岡法相の画期的発言」というエントリーでも書いたことですが、アメリカの犯罪対策のおバカぶりを見ていると、自然とアメリカに対して「上から目線」になってしまいます。
つまり「倫理力」の価値に気づくと、おのずと日本人は国際社会でも自信を持ってふるまえるようになるのです。
 
日本人の「倫理力」に気づくには、とりあえずこのブログを読んで「天動説的倫理学」から脱出することが近道です。
日本はもっと死刑執行をふやすべきだと考えているような人は、日本人の「倫理力」に気づくことはできませんから、これからも自信のない日本人として生きていくことになるでしょう。

平岡秀夫法相が13日、殺人事件の被害者遺族宅を訪ねて謝罪したというニュースがありました。いったいどういうことかというと、こんな事情があったわけです。
 
「大津の16歳暴行死 法相陳謝」20111115  読売新聞)
2001年3月に大津市で高校入学目前の青木悠さん(当時16歳)が少年2人に暴行されて死亡した事件を巡って失言したとして、平岡法相が大津市内の母和代さん(62)方を謝罪訪問した13日、面会で遺族の深い悲しみと支援の必要性を繰り返し訴えた和代さんは「謝罪の気持ちは伝わったが、心に響く言葉はなかった」と話した。(西井遼)
事件は少年法改正の直前の01年3月31日に発生。少年2人(当時17歳と15歳)に「高校の合格祝いをしてあげる」と呼び出された悠さんは、市立小の校舎裏で約2時間にわたって2人から暴行を受け、同4月6日に死亡した。
平岡法相は07年6月、少年法改正などについての討論番組で、和代さんらとともに出演した際、加害者について「それなりの事情があったのだろう」と発言した上、和代さんに「加害者に、死の恐怖を味わわせれば幸せか」などと質問もしていた。(後略)
 
 
4年も前のことが蒸し返されたわけです。
確かに面と向かって「加害者に、死の恐怖を味わわせれば幸せか」という発言をするのは失礼ですから、謝罪したほうがいいでしょう。しかし、加害者について「それなりの事情があったのだろう」と擁護する発言をしたのは大いに評価できます。しかも、その発言をした人間が法相を務めているというのは、なかなか画期的なことかもしれません。
 
昔、司法の世界では犯罪被害者や犯罪被害者遺族に対する支援や配慮はないも同然でした。それが犯罪被害者や犯罪被害者遺族の心情にスポットが当てられ、犯罪被害者等基本法が制定されるなど、被害者サイドへの支援は強化されています。
しかし、犯罪加害者への支援はどうかというと、むしろないがしろにされる傾向があります。犯罪少年への罰は強化されましたし、死刑執行もふえました。マスコミも犯罪者のバッシングを強めているようです。犯罪者の更生を支援する保護司はボランティアであって、最近はなり手が少なく、高齢化が問題になっています。保護司の活動がマスコミに取り上げられることもまずありません。
 
もっとも、犯罪者が憎まれ、バッシングされ、抹殺されるのは昔からのことです。それは人間として自然な感情です。しかし、それは、家の中をきれいにしたいからと、ゴミを玄関から道路に掃き出したり、隣の家の敷地に投げ入れたりするのと同じです。昔は犯罪者は所払いや島流しになっていました。家からゴミを掃き出すようなものです。今は刑務所に入れることになっています。つまり、ゴミ集積所に入れておくようなものです。
しかし、それは正しいゴミ対策ではありません。リサイクルがもちろん正しいゴミ対策です。
犯罪者をゴミにたとえるとは失礼千万ですが、これまで人類は犯罪者をそのように扱ってきたということです。
 
こうした考え方を私は天動説的倫理学と呼んでいます。根本的に間違った犯罪対策だということです。
正しい犯罪対策は、犯罪者の事情を理解して、犯罪者の更生を目指すことです。平岡法相の「それなりの事情があったのだろう」という発言は、ですから評価できるのです。
 
 
犯罪者の事情をまったく考慮しない天動説的倫理学のゆきつく果てはどうなるかというと、ゴミ集積所すなわち刑務所が満杯になります。
次のニュースがそれを示しています。
 
「マイケル元専属医早期釈放? カリフォルニア刑務所満杯」 (20111112日 朝日新聞)
米歌手マイケル・ジャクソンさんの急死事件で、過失致死罪で有罪評決が出た元専属医、コンラッド・マレー被告(58)が思わぬ「恩恵」を受けそうだ。29日に言い渡される量刑は最高禁錮4年の可能性があるが、カリフォルニア州の刑務所が過密で、早期に釈放される可能性が出ている。
米連邦最高裁は5月、定員約8万人の同州の刑務所に十数万人が押し込められ、健康を害したり自殺したりする例が出ているとして、受刑者約3万人の削減を命じた。州は10月、凶悪犯ではない受刑者を中心に、州刑務所から郡刑務所に移す法を成立させた。
マレー医師も郡刑務所に移される見通しだが、ロサンゼルス郡のスティーブ・クーリー地方検事は朝日新聞の取材に「郡刑務所も満杯。(医師は)早期釈放となるだろう」と語った。ロイター通信は医師の収監が数カ月となりそうだと報じた。
すでに早期釈放の前例も出ている。飲酒運転などで有罪の米女優リンジー・ローハンさんは保護観察条件の違反で30日の収監を命じられたが、刑務所が満杯のため、今月7日、5時間足らずで出所した。(ロサンゼルス=藤えりか)
 
 
アメリカはもっとも進んだ文明国ですが、犯罪対策は世界でも最低レベルです。
そして、日本は犯罪対策でアメリカに追随しようとしているのですから、なんともあきれた話です。
 
日本は犯罪被害者や犯罪被害者遺族への支援をある程度やるようになりましたから、これからは犯罪加害者への支援をいかにしていくかが問われることになります。
加害者の事情や心情をどこまで理解できるかで、その人の知性や人間力のレベルがわかってしまいます。マスコミも加害者の事情をもっと報道しなければなりませんし、裁判員も加害者の事情を理解した上で判決を下さなければなりません。
 
今のところマスコミの論調やネット世論は、被害者感情を理由にすれば加害者バッシングが許されると思っているようですが、そういう時代の終わりが近づいています。

TPP論議が混迷する理由のひとつは、誰もが利己的な主張をしているのに、そうでないように見せかけているからです。具体的にいうと、「TPPは自分にとって損だから反対だ」と思っているのに、言葉では「TPPは国益を損なうから反対だ」と言っているわけです。もしみんなが利己的な主張をしたら、その妥協点も見出しやすいものですが、みんなが一見利他的な主張をするので、妥協点を見出すことができません。
もっとも、こうしたことはTPP論議だけではなく、あらゆることで見られます。利己的な主張をすると嫌われるので、誰もが表現に工夫をするわけです。たとえば、「私に迷惑をかけるな」と言う代わりに、「人に迷惑をかけてはいけませんよ」と言います。また、「私のものを盗むな」と言う代わりに、「人のものを盗んではいけませんよ」と言います。こういうふうに言うと、まるで利他的な主張をしているように見せかけながら利己的な目的を達成することができるというわけです。
私はこれを利己的主張の「道徳的粉飾」と呼んでいます。というか、そもそもそれが道徳の本質です。
 
というわけで、TPPに関して、誰もが国のためだと主張するので、わけのわからないことになっていますが、このところ目立つのは、「TPPはアメリカ主導だからよくない」とか「アメリカと交渉するとアメリカのいいようにやられてしまうからよくない」という主張です。
私はこういう主張をうさんくさく思っています。社民党や共産党が言うのならわかりますが、今まで「アメリカ主導のほうが世界が安定するのでよい」と言っていたような人までが主張しているからです。
アメリカ主導がよくないなら、日本主導か日米対等を目指さなければなりませんが、たとえば鳩山政権が普天間問題でアメリカ主導をくつがえそうとしていたとき、鳩山政権の足を引っ張るようなことばかりしていた人たちが(日本人のほとんどがそうでした)、なぜ今さらアメリカ主導がよくないなどと主張するのでしょうか。
また、鳩山政権は東アジア共同体構想を唱えましたが、これもまた日本人はほとんど無視していました。アメリカ主導がいやなら、東アジア共同体構想のほうを推進するべきでしょう。また、TPPは2006年にシンガポール、チリ、ブルネイ、ニュージーランドの4カ国で始まり、2010年からアメリカ主導になったのですが、日本はその前に加わって日本主導にすることもできたはずです。
つまり日本は日本主導の外交をやろうという気持ちはまったくなくて、ずっとアメリカ主導を是として生きてきたのですから、今さらアメリカ主導はよくないなんて主張する人が出てくると、あなたは今までなにをしてきたのですかと言いたくなります。
 
ですから、TPPは確かにアメリカ主導なのですが、それに乗っかるのは日本としてはしかたがありません。その中で少しでも日本に有利になるようにするべきです。
もっとも、ここで日本の交渉力が問題になりますが、もちろん日本の交渉力はアメリカのそれと比べると圧倒的に見劣りがします。私の印象では、橋本龍太郎氏が通産相だった時代にわりと日本はタフに対米交渉をしたと思いますが、それ以外ではぜんぜんだめです。普天間問題を見ればよくわかります。
ですから、私は「ヤクザ魂で日本復活」というエントリーで、対米交渉に当たる官僚は暴力団に体験入門してヤクザ魂を学べというイヤミを書いたわけです。
 
確かに日本にはまともな対米交渉力はありませんが、それは昔からのことですから、TPPに参加しない理由にはならないでしょう。
日本がアメリカと対等の関係になるには、日本人の精神を根本的から改めないといけません。

TPPに関する議論が迷走しています。本来なら、TPPによって損する分野と得する分野があるわけですから、各分野の損得をトータルして、国として損か得かで決定すればいいわけですが、なかなかそういう冷静な議論になりません。なぜならないかというのは、プロスペクト理論から説明できます。
 
プロスペクト理論というのは、行動経済学における理論で、要するに百万円得したときの喜びと、百万円損したときの苦痛とを比較すると、損したときの苦痛のほうが大きいという理論です。
ですから、一方で百万円得をし、もう一方で百万円損したとき、計算上はチャラですが、気持ちの上では苦痛が残ってしまいます。そのため人間は小さな損失を回避することに意識を集中し、大きな得をする機会を逃してしまうという不合理な行動をとりがちになります。
プロスペクト理論を発見した経済学者はノーベル経済学賞を受賞していますし、プロスペクト理論は今では確立された学説です。検索すれば簡単に調べられますが、わかりやすいサイトをひとつ挙げておきます。
「プロスペクト理論と利小損大の心理」
 
ですからTPPにおいては、ひじょうに単純化して言うと、TPPによってたとえば農業の1人が百万円損をし、輸出産業の1人が百万円得をするとすると、農業の1人は苦痛が大きいのでTPP反対の声が大きくなりますが、輸出産業の1人は喜びはそれほど大きくないのでTPP賛成の声はそれほど大きくなりません。
さらに言うと、損をする人は生活が苦しくなるだけでなく、転業、廃業を強いられたり、破産、一家離散、自殺などといった未来を想像して、さらに反対の声を大きくしますし、冷静さを欠いた意見も出てきます。
得する人は、生活が豊かになるだけでなく、高級外車購入、豪邸建設などといった未来を想像するかもしれませんが、だからといってそれほど賛成の声を大きくするわけではありません。
ですから、日本全体で見たとき、損をする分野から大きな反対の声が上がり、得をする分野からそれほど大きな賛成の声が上がらないということになり、賛成反対の声の大きさだけで決めると、国としては得なのに損だと判断してしまうことがあるわけです。
そういうことにならないように、プロスペクト理論を踏まえて、反対の声を割り引いて正しく判断しなければなりません。

大阪でダブル選挙が始まり、橋下政治への評価が問われていますが、これは簡単なことではありません。私は、橋下氏が公務員給与引き下げなどで支出を削減し、大阪府の財政を健全化したことは高く評価しますが、ただの人気取り政策みたいなものも多くて、そこは評価できません。
最初のうちはとにかくがむしゃらに改革をして、その姿勢が人気を呼んでいたのだと思いますが、だんだんと人気取りのために改革をするというように、本末転倒になってきた感があります。たとえば教育基本条例などはその典型でしょう。教師バッシングは、学校教育に恨みを持っている多くの人にアピールします。
とはいえ、多くの改革を行ってきたのは事実ですし、リーダーシップもあります。人気があるのも当然でしょう。
 
橋下氏のこうした政治手法はどこからきているのでしょう。私が思うに、それはヤクザ魂です。
週刊誌の報道によると、橋下氏の父親やおじは暴力団関係者であったそうです。そのことを問題にする人もいるかもしれませんが、問題にするべきではありません。それどころか、そのことが橋下氏にプラスになっているに違いないのです。
 
ヤクザというのは、度胸で稼ぐ商売のようなものです。自分が傷つくことを恐れず、場合によっては死ぬことも恐れない。もちろん、刑務所に入ることも恐れない。そういう生き方で稼ぐわけです。
橋下氏の突破力というのも、そうした恐れ知らずの姿勢からきているに違いありません。
 
ちなみに小泉純一郎元首相も、祖父の小泉又次郎はもともととび職人の請負師で、全身にいれずみがあり、「いれずみ大臣」と言われた人ですから、そのヤクザ魂を受け継いでいるといえます。だからこそあれだけの改革ができたし、人気もあったのでしょう。
 
今の日本の指導者に欠けているのは、まさにこのヤクザ魂です。
ヤクザ魂でなくサムライ魂といってもいいのですが、サムライはすでに絶滅しているので、手本がありません。その点、ヤクザはまだ身の回りにいて、手本にすることができます。ヤクザ映画もいっぱいあります。
 
ヤクザ魂が必要なのは政治家だけではありません。
日本はTPP交渉に参加することになりましたが、この交渉において、とくにアメリカに対したときの交渉力のなさが危惧されています。今のままではアメリカのいいようにされてしまうかもしれません。
TPPの実際の交渉に当たるのは官僚です。官僚というのは学校秀才ですから、喧嘩の経験もほとんどない人が多いはずです。これでは交渉ごとはうまくできません。
官僚もヤクザ魂を学ばなければなりません。ヤクザ魂でカウボーイ魂に対抗するのです。
そのためにはヤクザすなわち暴力団に体験入門するのがいいと思います。暴力団といってもいろいろありますが、随一の武闘派とされる山口組系弘道会がいいでしょう。警察は官僚の体験入門の斡旋をするべきです。
また、外務省は外交交渉についてアドバイスをしてもらうためにヤクザを顧問に迎えるべきです。
 
橋下氏や小泉元首相の政治手法を評価するなら、その根底にあるヤクザ魂を見なければなりません。
ヤクザ魂で日本復活といきたいものです。

今日いちばん驚いたのが、巨人の球団代表兼ゼネラルマネージャーの清武英利氏がナベツネこと渡辺恒雄氏を告発する会見を行ったというニュースです。この出来事は、巨人という球団の内紛といってしまえばそれまでですが、渡辺恒雄氏は読売新聞グループ本社会長で絶対的権力者ですから、たとえば北朝鮮で金正日を政権幹部が公然と批判したも同然です。ですから、ただちに粛清されても不思議ではありません。
清武氏がそういう力関係の中で告発に踏み切ったのは、どういうことでしょうか。
 
私が最初に思ったのは、希望的観測も含めて、渡辺恒雄氏の独裁体制が崩壊しつつあるのかということでした。渡辺氏は85歳の高齢です。さすがに読売本社内部で反渡辺の機運が高まっていて、それと連動している可能性があると思いました。
もうひとつの可能性として、渡辺氏に健康不安があって、そのことを知った上での告発かもしれないと思いました。
いずれにしても、清武氏は渡辺氏にさからっても勝てる可能性を見ているのではないかというのが、私が最初に思ったことです。
 
次に、清武氏は勘違いしているのかもしれないと思いました。
私は昔はけっこうプロ野球ファンでしたが、最近はあまり興味がなくなり、清武氏がどういう人物かまったく知りません。しかし、ある野球評論家が「球団代表があんなに目立ってはいかん」と批判しているのを聞いたことがあります。
清武氏はみずから中心になってプロ野球に育成枠というのを導入したそうで、巨人の育成枠から何人もの選手が育ったことで清武氏もマスコミに出る機会がふえました。今調べると、著書も2冊ありますし、テレビ東京の「ルビコンの決断」という経済ドキュメンタリードラマでも清武氏の活躍が取り上げられました(名高達男が清武役)
こうしたことから清武氏は、自己イメージがふくれ上がって、自分は渡辺氏にも対抗できるほどの人物であると勘違いしてしまったのかもしれません。
そうであれば、この出来事は清武氏が追放されて終わりということになってしまいます。
 
今は事情がよくわかりませんし、清武氏がどういう人間であるかも少なくとも私にはわかりません。
しかし、もし清武氏か渡辺氏かどちらの味方をするかをどうしても決めなければならないとしたら、私は迷わず清武氏の味方をします。
理由は簡単です。渡辺氏が権力者だからです。「弱きを助け、強きをくじく」というのが正しい倫理学の基本原則です。
 
渡辺氏が読売グループに絶対的権力者として君臨しているのは困ったことです。権力の集中化や絶対化はよくありません。
渡辺氏は政治にも深くかかわっています。鳩山政権や菅政権は読売新聞の論調が違っていたらもっと長持ちしたでしょう。渡辺氏は野田政権は支持しているようですが、個人の恣意がマスメディアを通じて政治を動かしているのはもちろんよいことではありません。
 
渡辺氏のこうしたあり方を同業者は批判しにくいものです。たとえば朝日新聞が渡辺氏批判をしたら、商売敵だから批判するのだろうと思われてしまいます。
ですから、ここはネットの出番ということになりますが、日ごろ「マスゴミ」だのなんだのとマスコミを批判している人たちも、渡辺氏にはそれほど批判的ではないようです。「弱きを助け、強きをくじく」ではなく、権力に弱い人が多いのでしょうか。
 
渡辺氏もさすがに高齢ですから、権力の座からすべり落ちる日も近いでしょうが、その日がきてから批判してもあまり意味がないと思います。

高齢者世帯がふえています。厚生労働省の「2010年国民生活基礎調査(概況)」によると、高齢者のみか、これに18歳未満の子供を加えた「高齢者世帯」が10年時点で1020万7千世帯(推計)と、初めて1千万を突破。全世帯(約4864万)の21%を占めるまでになったということです。
これは、最初から子どものいない高齢者世帯がふえたということも少しはあるでしょうが、それよりも、子どもがいても同居しないケースがふえていると見たほうがいいでしょう。
同居しない理由は、子どもが都会で働いていて、親は慣れた田舎に住み続けたいということももちろんありますが、親と子の関係がうまくいっていないからということも相当数あるものと想像されます。その典型的な例が次の人生相談です。
 
 
「娘が反発 音信不通に」読売新聞「人生案内」20111110
80代、無職男性。娘2人は結婚していて、妻と2人暮らしです。ちょっとしたいざこざで、娘たちと連絡がとれなくなりました。
  先日、大学3年になる孫娘が鼻歌を歌いながら食事をしていたので、それを注意しました。小遣いをあげても孫が「ありがとう」の言葉を返さないことがあり、その時も注意しました。
  すると、娘2人が私たち親に対し、「今まで嫌みを言われてきても反抗せずに従ってきたが、もう限界だ。親だから何を言っても許されると思っているのか」と反発してきました。さらに「親に感謝もしているが、お互いに助け合う関係はもう無理だと思っている」と言うのです。
  娘たちは、今後は電話もメールもできないと伝えてきており、現在、こちらから電話しても留守番電話になったままで、返事はありません。
  私たち夫婦には、残された人生もあまりありません。親娘が断絶した状態で死を迎えるとなれば、葬儀の喪主は誰がやってくれるのかとか、後々の年忌法要はどうなるのかなど、心配になります。ご指導をお願いします。(茨城・H男)
 
 
この人生相談の回答者は作家の出久根達郎さんです。
出久根さんは親子の問題について親の味方をすることが多いのですが、今回は、「娘さんにしてみれば、長い間のうっぷんが一度に爆発したのでしょう」と書き、この際言辞を改めて、子どもに従いなさいと結論づけています。
私の考えもこの回答と同じです。おそらく多くの方もそうではないでしょうか。
私がこの人生相談を紹介したのは、回答よりも、この相談者の文章から学べるものが多いと思ったからです。
 
親娘が断絶した原因は、孫娘が食事中鼻歌を歌っていたのを注意したことと、孫にお小遣いを上げたとき「ありがとう」の言葉がないので注意したことのふたつしか書いてありませんが、もちろんそれまでにいろんなことがたまっていたのでしょう。このふたつは最後のきっかけにすぎません。娘さん2人が同じ行動をとっているのですから、相談者の態度に問題があることは明らかです。
しかし、相談者はこんな事態になっても、娘はなぜそんな態度に出たのかということを考えようとしません。孫娘の態度を注意したときも、孫娘はどんな気持ちになるだろうかということを考えません。今、相談者が心配なのは、葬儀の喪主のことと年忌法要のことだけです(奥さんの気持ちも考えていないようです)
色が見えない色盲というのがありますが、相談者は人の心が見えない色盲のような人なのでしょう。自分の言動で人が不愉快になったり怒ったりしていても、なにも感じないのです。娘さんはさぞ不快な思いをしてきたことでしょう。
 
相談者は年を取ったせいで弱気になっているようです。そのため事態を冷静に記述しているので、こちらにも事情がよくわかります。もし相談者が元気であれば、たとえばこんなふうに書くかもしれません。
 
「娘は孫娘を甘やかし、しつけに無頓着です。これでは世の中に出たときに孫娘自身が困ることになると思い、私が食事のマナーについて注意したり、お小遣いを渡したときには「ありがとう」と言うようになどと注意してきました。しかし、娘はそれが気に入らないようで、親娘の縁を切るという態度に出てきました。私の娘に対する教育が間違っていたといえばそれまでですが、娘の態度を改めさせるためにはどうすればいいでしょうか」
 
こんなふうに書いてあれば、娘さんのほうが悪くて、相談者が正しいと判断してしまう人も出てくるかもしれません。
この文章は「しつけ」ということを軸にして書いています。それだけで意味が逆転してくるのです。
 
相談者もずっと2人の娘さんの「しつけ」をやってきたのでしょう。そして、自分のやっていることは正しいと思って、娘さんの気持ちを考えることもなかったのでしょう。
 
相談者は生まれつき人の気持ちがわからない人ではないはずです。家庭の中に道徳を持ち込み、子どもをしつけようとしたことで、子どもの気持ちを無視する態度が身についてしまったのです
 
「家庭の中に道徳を持ち込むな」というが私の持論です。今回の人生相談を見ると、そのことがよくわかるのではないでしょうか。
家庭に道徳を持ち込むから、子どもを不愉快にする言動が生じるのです。道徳がなければ、おのずと明るい会話のある家庭が築けます。
 
そうして親子関係がよくなれば、親子の同居がふえ、高齢者世帯も少なくなるのではないかと私は思っています。

このページのトップヘ