前に「科学VS倫理学」というエントリーで取り上げたニュースですが、より詳しく書かれた記事があったので、もう一度取り上げておきます。読む価値はあると思います。少なくとも格差や貧困が自然になくなることはないということがよくわかります。
この記事もまた、金持ちや社会的地位の高い人間が反倫理的で利己的なふるまいをする理由を、「自立」や「ピンチの時には家族や友人を頼らない傾向」や「気高さ」といった言葉を使って説明していて、金持ちや社会的地位の高い人間に甘いところを見せています。子ども用のキャンディーを人よりもたくさんポケットに入れる行為は「せこい」と表現してほしいものです。
悪い人間ほど出世するというのが私の考えですが、出世して金と権力を手にしたから悪い人間になった(悪い要素が表面化した)という考えも論理的は成立します。しかし、金持ちになったからキャンディーをたくさんポケットに入れるようになったというのは考えにくいでしょう。もとからキャンディーをたくさんポケットに入れるような人間だから出世したと考えるほうが自然ではないでしょうか。
人を押しのけるタイプの人が出世して、お人よしはあまり出世しないというのは、私たちが日ごろ実感していることではないかと思います。
社会の上層部にいるのは悪い人間だということは、必然的に社会の下層部にいるのはよい人間だということになります。このことは、とくに上層部にいる人間にとっては認めたくないことでしょう。
たとえば昨年11月、中国でひき逃げされて倒れている女の子の横を18人の人間が通り過ぎていくという出来事が話題になりました。このとき、19人目に通りかかって助けたのは、廃品回収業の女性でした。
暴力団を例にとるとわかりやすいかもしれません。ヤクザ社会で出世するのは、よい人間ではなく悪い人間です。では、カタギ社会ではどうでしょうか。カタギ社会でも出世するのは、よい人間ではなく悪い人間だと考えればいいわけです。
ブッシュ政権時代、ネオコンといわれる人たちがアフガン戦争とイラク戦争を主導していましたが、このネオコンといわれる人たちはみなマフィアとしか思えないような顔をしていました。
学者や知識人もまた社会の上層部にいる人間です。こういう人間がつくった倫理学がまったくデタラメなものになるのは当然です。
こういう倫理学を私は「天動説的倫理学」と呼んでいます。倫理学のコペルニクス的転回が必要です。