村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2012年04月

「獅子はわが子を千尋の谷に突き落とし、這い上がってきた子だけを育てる」という話があります。もちろん現実のことではありません。この話は中国の故事で、獅子というのも想像上の生物です。しかし、私が子どものころは、ライオンが実際にそうしているかのように語られていました。あきれたものです。
ネットで調べてみると、逆にライオンが谷に落ちた子を救助する写真があったので、紹介しておきます。
 
「獅子は千尋の谷に落ちた子供を救助することが判明」
 
「麦は踏まれて強くなる」という話もあります。これは必ずしも間違いではありません。実際に「麦踏み」ということが行われています。麦は背が高くなると耐寒力が低下し、また倒れやすくなるということで行うらしいのですが、全国的に行われているわけではなく、外国ではほとんど行われていないようです。もちろん、農作物全般を見渡しても、芽が出たときに踏みつけるというは、たぶん麦だけです。
「麦は踏まれて強くなる」というのは、子どもをきびしくしつけるのはよいことだという意味でいわれるわけですが、そういう特殊なものを子育ての教訓にするのは疑問です。むしろ農業や園芸から得られる教訓は、幼い芽はたいせつに保護して育てるべきだということでしょう。
 
「鉄は熱いうちに鍛えろ」ということも、やはり子どもはきびしくしつけるべきだという意味でいわれます。しかし、鉄と人間にどんな共通点があるのでしょうか。「ダイヤモンドは長く寝かせるほど大きく育つ」ということわざに従ってもいいのではないでしょうか(この“ことわざ”は私が今つくったものです)
 
「ゾウは子どもを蹴ってしつける」(中村幸昭著)という本があります。この本のタイトルはどこかへんではないでしょうか。
「足蹴にする」という言葉があるように、人間において蹴るというのは悪いイメージです。しかし、四つ足の動物というのは、手がないわけですから、蹴るのはあたりまえのことです。
ただ、考えてみると、ゾウは長い鼻を手のように使うことができます。そのために悪いイメージの「蹴る」という表現を使ってもおかしくはないということでしょうか。
「ゾウは子どもを蹴ってしつける」というタイトルを見ると、ゾウが子どもをきびしくしつける様子などを描いた本だと想像されるでしょう。しかし、この本はそんな内容ではありません。ゾウだけでなくさまざまな動物の子育てを紹介したもので、それももっぱら親が子どもをいかにたいせつに、愛情を持って育てるかを描いた本です。つまり本のタイトルと内容が違うのです。
私も出版業界には多少詳しいので想像できるのですが、タイトルのよし悪しは本の売り上げを大きく左右するので、出版社はタイトルづけに必死になります。出版社は考え抜いた挙句、世間の人々に受けそうなタイトルにして、そのため本の内容とも違うし、著者の考えとも違うタイトルになってしまったのではないでしょうか。
 
 
子どもをきびしくしつけるのは人間だけです。
人間は自分の行為が自然に反していることを薄々感じています。しつけを正当化する理屈はいっぱいありますが、所詮は人間(おとな)が考えだした理屈です。そのため、なんとかして自然界にしつけの根拠を見出そうとして、現実でない話を現実だとしたり(獅子の子育て)、特殊な事例を持ち出したり(麦踏み)、人間となんの関係もないことを持ち出したりし(鉄の鍛錬)、さらには内容とタイトルの違う本を出版したりしているわけです。
 
人間がきびしいしつけをすることにはそれなりの理由がありますが、しつけという行為は、その時点ではするほうもされるほうも不幸です。子どもをしつけるのが楽しいという母親はいないはずです。
最近は家族の絆を第一とする価値観が広がっています。となると、しつけも見直す必要があるはずです。

現在の年金制度は若者に不利だといわれています。将来的には破綻するという説もあります。とすると、若者が年金に加入しているのはバカらしいということになります。実際のところはどうなのでしょうか。
私は年金の専門家ではありませんし、たいして年金制度に詳しいわけでもありませんが、それでもかなりの自信を持って言うことができます。
若者は年金に加入していて損はない。今は損でも、将来取り戻せる。
 
どうしてそんなことが言えるのかを説明する前に、今の年金制度が若者にとってどうなのかをはっきりさせておかなければなりません。若者には不利だという説を紹介しておきましょう。
 
 
21歳の若者は年金制度で約2200万円損をする
「将来の人口構造を考えれば、日本では今後、絶対に年金は成り立ちません。今払ってる分も、ほとんど戻ってこないでしょう」と主張するのは、政策研究大学院大学の松谷明彦教授。
「国民皆年金が始まった1961年当時は、10人の現役世代で高齢者1人を支えていました。しかし2005年には、現役世代3人に対し高齢者1人になり、2050年になると、現役世代1人に対し高齢者は0.8人。現役世代の所得の半分を高齢者に移転しなければならない状態です。こんな状況で、年金なんて仕組みが成り立つはずがありません」(松谷教授)
ちなみに、経済学者の鈴木亘氏は、著書『年金は本当にもらえるのか?』で、払った金額に対していくらもらえるかの損得勘定を、世代別に算出。その結果、21歳ならば2240万円から2280万円の損となるという。これでは、超低金利でも元本割れのない銀行預金として積み立てたほうがはるかにマシという状態だ。
 
 
年金制度についてはいろいろな意見があって、これはその中のひとつです。私はどの意見が正しいとか判断する能力はありませんが、大局的な見地から、若者が損をすることはないと考えています。
 
ごく大ざっぱに、30年をワンジェネレーションとして、60代の団塊世代を30代の若者世代がささえているというのが現状だとします。この関係は、60代が有利で、30代が不利です。
しかし、30年たてば、当たり前ですが、今の30代は60代になっていて、団塊世代はほぼ死に絶えています。となると、景色もまったく変わってきます。
つまり、30年後は今の30代が支配的な立場に立つのです。
当然、年金制度も自分たちに有利なようにできます。
自分たちに不利な制度にするわけがありません。
具体的にどうやるかというと、若い世代にたくさん支払わせて、自分たちの年金給付をふやせばいいわけです。若い世代が文句を言っても、「自分たちも上の世代のために支払ってきたのだ」と言って突っぱねます。そして、年金を強制加入式にして、年金制度を維持します。
 
要するに今の60代は、自分たちは少なく支払って多く給付されるという虫のいい制度をつくっているわけです。となれば、将来の60代もそれを見習って同じことをするに決まっています。
 
年金の専門家は、30年後も「同じような制度」を維持するという前提で考えているのでしょう。そうすると、少子化が進むと制度の維持は不可能になります。
しかし、私は30年後も「同じように上の世代が有利になる制度」が維持されると考えています。そうすると、今の若い世代も年金に加入していて不利はありません。むしろ有利になります。
 
ただ、そうすると次の若い世代はより不利になりますが、その不利はやはり30年後に取り戻すことができるわけです。
 
たとえていえば、不良の多い学校に入学したらいきなり上級生のカツアゲにあって、お金を取られたとします。これを上級生から取り戻そうとするのはまず不可能です。上級生は結束していますし、喧嘩の経験も積んでいます。では、どうするか。1年待って、新入生が入ってきたら、カツアゲして取り返せばいいのです。そうすれば損はありませんし、得をすることも可能というわけです。
 
よく「将来世代にツケを回すのはよくない」と言います。しかし、そんなことを言いながら、どんどんツケは回されていきます。人類はこれまでずっとそうしてきたのです。
たとえば原発にしても、核廃棄物の処理は将来世代のツケになります。年金も同じことです。
 
私はこれを「年齢差別」「若年者差別」「子ども差別」というふうに呼んでいます。
年長者が若者を抑圧し、その若者が年長者になったとき、また若者を抑圧する。人類の歴史において、これがずっと繰り返されているのです。年金制度もその中のひとコマです。
 
もちろんそれがよいことだと考えているわけではありません。むしろ若者は反乱を起こすべきだと思っています。
もっとも、今の日本の教育は若者を政治的に目覚めさせないように努めていて、きわめて成功しています。

「人間は脳の70%しか使っていない」という俗説があります(80%という説もあります)。私は高校生のころに聞いた覚えがありますから、そうとう寿命の長い俗説です。
もちろんこれにはなんの根拠もありません。脳科学のまともな本にそんなことは書いてありませんし、そもそも使わないものがあるというのは生存に不利ですから、進化論的にもありえないことです。
それでもこの俗説が生き延びてきたのは、この説は人間の潜在能力の高さを暗示しているからです。自分には自分でも気づかない能力があると思うのは気分のいいものです。
超能力とか第六感とか霊感とかも同じようなものです。まったく根拠がなくても、あると思うと気分がいいので、フィクションはもちろんのこと、事実と称する形でもよく語られます。
 
心理学の世界でも同じようなことがあります(科学としての心理学ではなくて、いわゆる臨床心理学のことですが)
フロイトの心理学では、人間には無意識があって、心を氷山にたとえると、意識は水面より上の部分で、無意識は水面下の大きな部分だということになります。これは「人間は脳の70%しか使っていない」という俗説とちょうど符合します。そして、無意識の中にはエディプスコンプレックスとかエスとかイドとかタナトスとか、わけのわからないものがいっぱいあるということになっています。
 
ユングの心理学も似ています。
ユングの心理学は世界的にはマイナーなもので、フロイトの心理学と並べるのはおかしいのですが、日本には河合隼雄というすばらしいユング心理学の紹介者がいたので、日本の読書人においてはユングの心理学はけっこう大きい存在です(ユングの心理学というより河合隼雄の心理学といったほうがいいのかもしれませんが)
ユングの心理学では、無意識はさらに個人的無意識と集合的無意識に分けられ、集合的無意識にはアニマやアニムスやグレートマザーなどのさまざまな元型があるということになっています。
 
私はけっこう心理学の本を読むのが好きで、フロイトの心理学についてひと通り知り、さらに河合隼雄の本でユングの心理学について知り、それから森田正馬の本を読みました。
森田正馬というのは、森田療法の創始者である心理学者です。森田療法というのは、世界にも誇りうる日本生まれの心理療法です。
 
森田の心理学では、人間の心のいちばん深いところにあるのは「生の欲望」だとされます。
「生の欲望」というのは言葉の通り、生きたいという欲望ですが、これは単に死なないでいるという消極的なことではなく、よりよく生きたい、幸福になりたい、自分の人生を発展向上させていきたいという積極的なものです。
私はこれを読んだとき、正直いって、やはり日本の心理学は浅いなあと思いました。フロイトやユングの心理学には深いものが感じられますが、それとはぜんぜん違います。
とはいえ、森田の本を読むと、人間の心理について学ぶことが多々ありました。これはフロイトの本やユングの本(正しくは河合の本)を読むのとはぜんぜん違います。フロイトやユングの心理学はおもしろいのですが、その知識は役に立ちません。
現実に、フロイト流の精神分析はノイローゼを治すのに2年も3年もかかりますが、そんなに時間がたつと別の理由によって治っているのかもしれませんし、治らないまま治療をやめているのかもしれません。
一方、森田療法でノイローゼが治ったという人はたくさんいますし、自分はある程度治ったから人を治す手助けをしたいという患者の自助グループもたくさんあります。
 
今の私は、森田とフロイトとどちらを選ぶかといわれたら、迷いなく森田を選びます。
「生の欲望」というのは人間だけではなくすべての生物に共通するもので、いわば科学的でもあります。
一方、フロイトはタナトス(死の本能)ということをいっていますが、生物にタナトスなんていうものがあるはずありません。あったら淘汰されてしまいます。
 
人間の心理は確かに複雑ですが、その複雑さは心の深層ではなく表層にあるのです。それは脳の構造を考えてもわかるでしょう。脳の表層である新皮質が主に「人間らしさ」を司っており、脳の中心に当たる脳幹は主に生命維持機能を司っています。
 
「生の欲望」の裏には必然的に「死の恐怖」があります。たとえばガンノイローゼなどは明らかに「死の恐怖」の現れです。森田療法がノイローゼの治療に有効だというのは、これひとつを見ても明らかでしょう。
 
フロイトの心理学は、評論家が世の中のことを論じたりするときに役に立つぐらいです(昔は人の夢を聞いて「それは性的な意味だ」などと夢判断をするのにも役立ちましたが、今そんなことをすると逆にバカにされます)
 
人間の深層心理に複雑で広大なものがあるという説は、「人間は脳の70%しか使っていない」という俗説と同じようなものです。

年度が変わったことでいろいろなニュースがありました。
 
4月1日はエイプリルフールです。私もこのブログになにかホラ話を書こうかと思ったのですが、大震災の痛手が癒えない今はそんな気分にならないのでやめました。多くの人も同じ気分でしょう。しかし、ネットの一部でジョークが書かれ、NHKはそのことで謝罪をしたということです。
 
NHKエイプリルフールジョークでお詫び
NHK広報局が1日のエイプリルフール1 件のジョークとして、同局の公式ツイッターに「NHKと民放が合併し、今後は、着物を着たアナウンサーがやや絶叫気味にニュースを伝える」などと記したことで、おわびを掲載し、文面を削除していたことが2日、分かった。ツイッターは1日午前0時から同10時ごろまで掲載した。しかし、ある特定の地域を連想させる可能性もある表現のため、同広報局によると、視聴者から「笑えない」「不快なジョーク」など数件の抗議があったという。NHKは「一部の方に非常に不快な思いをさせてしまいました。思慮不足で大変申し訳ありません」としている。
 日刊スポーツ[2012422051分]
 
このジョークはNHK自身に関わることだけにレベルが高いです。かなり笑えます。
それにしても、謝罪というのは誰に対しての謝罪なのでしょうか。このジョークが北朝鮮の国営放送をネタにしているのは明らかですから、北朝鮮あるいは総連関係者などに対する謝罪なのでしょうか。私はそういう謝罪は必要ないと思います。絶叫調でニュースを読むことはジョークにされて当然だからです。
 
それに、抗議といっても「数件の抗議」だということです。この手のジョークに抗議があるのはある程度予想されることです。「数件の抗議」など無視してもいいでしょう。むしろ謝罪は悪い前例をつくることになるので、本当は謝罪するべきではなかったと思います。
 
こういうジョークに抗議する人は、まじめな人というか、頭の固い人です。こういう人は、お笑い番組やバラエティ番組が好きな人を軽蔑していたりします。
一方、お笑い番組やバラエティ番組が好きな人は、まじめな報道番組などが好きな人を軽蔑することはありません。
つまり、この両者は非対称です。まじめな番組が好きな人は心が狭く、お笑い番組やバラエティ番組が好きな人は心が広いということになります。
世の中の常識では、まじめな番組が好きな人が偉くて、お笑い番組が好きな人は低く見られますが、私の考えでは逆です(もちろん両方の番組が好きなのがいいのですが)
 
 
橋下徹大阪市長も相変わらずおバカぶりを発揮しています。
  
入庁式で橋下流訓示「公務員はルール守れ。君が代、気を付けで歌え」
大阪市の発令式で新入職員を激励する橋下徹大阪市長=2日午前、大阪市北区
 実質的な新年度のスタートとなった2日、多くの官公庁や企業で入庁式や入社式が行われ、フレッシュな新社会人が新しいスタートに身を引き締めた。
 大阪市北区の市中央公会堂では同市の新規採用者発令式が行われた。同市では3月に市立学校の教職員などを対象とした国歌起立斉唱条例が成立したが、式では約140人の新人全員が起立し、混乱はなかった。
 橋下徹市長は「公務員たる者、ルールを守ることを示さないと。皆さんは国民に対して命令する立場に立つ。学生のように甘い人生を送ることはできない」と訓示。退出間際には「君が代を歌うときは、手は横に、気を付け(の姿勢)で」とくぎを刺した。
 新人代表の小笠美佳さん(28)は「市民から注目される分、向けられる目も厳しいと思うが、仕事を早く覚えて市民に貢献したい」。池田真人さん(31)は「自分が仕事をしっかりやることは、改革を目指す市長の仕事にもつながるということを忘れないようにしたい」と話した。
産経ニュース2012.4.2 14:13
 
 どう考えても、国家公務員でなく地方公務員として採用した人間に国歌を歌わせるのは勘違いでしょう。まずは大阪市や大阪市民へ忠誠を誓うべきです。
また、「君が代」を歌うときは気を付けの姿勢でと釘を刺したということですが、そんなことはどうでもいいことです。それよりも市民に接するときの礼儀について訓示するべきでしょう。
国旗国歌にいくら礼儀正しくても、人と接するときの礼儀がなっていないのでは話になりません。
また、「皆さんは国民に対して命令する立場に立つ」と語ったということです。たとえば消防署員は防火体制について指導や命令をすることがあるから間違いではありませんが、基本的に公務員というのは国民や住民に対してサービスするのが仕事です。橋下市長の頭の中が北朝鮮化しているのではないかと心配です。
 
 
4月2日は各社で入社式が行われました。しかし、セブン&アイ・ホールディングスは3月中に行うのが恒例になっています。
  
一足早く…恒例の「セブン&アイ」合同入社式
セブン-イレブンなどを展開するセブン&アイ・ホールディングスが、一足早い入社式を開きました。
 セブン&アイ・ホールディングス、鈴木敏文会長:「一朝一夕に今日の大会社になったわけではない。世界で一番の流通グループに仕立て上げてほしい」
 セブン&アイでは、去年より300人ほど多い778人が社会人の第一歩を踏み出しました。過去最も多い出店をするセブン-イレブンには、去年の倍以上となる323人が入社します。
 新入社員:「(被災地では客に)前向きに接していきたい」「同期のなかで一番になりたい」
 セブン&アイでは1977年以来、入社式を早め、接客などに少しでも早く慣れてもらうようにしています。
テレビ朝日(03/22 11:50)
 
 3月中に入社式を始めたのは、私の記憶ではダイエーが最初ではないかと思います。ダイエーは体育会的体質のモーレツ主義で急成長を遂げた会社です。ダイエーのやり方が流通業に広がったのでしょう(結局ダイエーは没落してしまいましたが)
しかし、3月に入社式をするのは新入社員にとってはうれしくないことです。3月は学校を卒業して、まだ会社にも所属していないという、なにからも束縛されない時期です。普通の人にとって、こういう時期は人生でそんなにありませんから、貴重なものです。また、卒業旅行などをして人生経験を積むこともできます。ほんの少し早く入社したからといって大した意味はありません。入社式を早くするのは会社のわがままです。
しかし、今の世の中、これを会社のわがままといって批判する人はほとんどいません。私ぐらいのものでしょう。
 
4月に一斉に入社式が行われるというのは日本独特の習慣のようです。しかし、東大が秋入学に移行するということで、この習慣も変わってくるかもしれません。
それにしても、秋入学になると、高校を卒業してから半年も空白の時期が生じることになります。なにからも束縛されない時期は貴重だといいましたが、半年は長すぎます。
セブン&アイ・ホールディングスといい東大といい、学生の意見をまったく聞かずにふるまっています。こういうのはわがままといいます。
 
橋下大阪市長のふるまいもわがままです。こうした企業や権力者のわがままのしわ寄せはすべて若い人のところにいきます。若い人の給料が安くて、年金などが取られっぱなしになりそうなのも、同じ原理によります。
私はこれを年齢差別、若年者差別と呼んでいます。

試写会で映画「アーティスト」を観ました。第85回アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞など5部門を受賞した話題作です。4月7日から全国公開。
 
監督・脚本 ミシェル・アザナヴィシウス
出演 ジャン・デュジャルダン
   ベレニス・ベジョ
 
フランス映画がアカデミー賞を取るというのも珍しいのですが、この映画はなにしろ白黒映画でかつサイレント映画です。今どきそんな映画があっていいのかと思いますし、正直、観るのをためらう気持ちもありました。相当の忍耐力と想像力が必要になるのではないかと思ったからです。
しかし、実際に観ると、そんなことはありません。最初のうちこそ、多少のとまどいはあります。ときどき字幕が入るとはいえ、セリフを頭の中で補って観ていかなければならないからです。しかし、物語の設定が頭に入ってしまうと、ストーリーそのものは単純ですから、セリフがなくても気になりません。
ちなみにサイレント映画とはいえ、BGMはずっと流れています。また、少しですが音声の入る部分もあります(ここはあまり説明するわけにもいきません)
 
主人公のジョージ・ヴァレンティンはサイレント映画のスター男優です。しかし、そこにトーキーの時代がやってきます。主人公は時代の変化についていけません。トーキーなんか子どもだましだ、サイレント映画こそ芸術だといって(「アーティスト」という題名はここからきています)、自分でサイレント映画を製作します。もちろんその映画は大コケします。そこに世界恐慌の引き金となる「暗黒の木曜日」の株価大暴落があり、主人公はおちぶれていきます。
一方、新進女優のペピー・ミラーはトーキーの時代に乗って人気女優になっていきます。
この2人の人物が対照的に描かれ、そこに2人のラブロマンスもからんでくるというストーリーです。
 
私は、時代の変化についていけない主人公に共感してしまいました。私もこの年になると、時代の変化についていけないと感じることが多々あるからです。
時代の変化についていけない人間はどうしても男に多いような気がします。女は男よりも柔軟にできていると思います。
ヴァレンティンはペピー・ミラーに「サイレント映画の俳優は演技が大げさだからだめだ」ということを言われてしまいます。しかし、長年そのやり方でやってきた人間はなかなか変われないわけです。その悲哀がうまく描かれています。
 
若い人はあまりその部分には共感しないかもしれません。そういう人は2人のラブロマンスの映画と思って楽しむのでしょう。
 
この映画は、サイレント時代の俳優を描いた映画ですが、この映画そのものが当時のサイレント映画のようにつくられています。ですから、メタフィクションとでもいうのか、一種の二重構造になっています。
たとえば、映画に出てくる犬というのは実に巧みな演技をします。もちろんそれは、いちばんいい演技をしたシーンをつなぎ合わせて映画をつくるからです。
この映画にも犬が出てくるのですが、この犬がまさに「映画の中の犬」のように巧みな演技をするので笑ってしまいます。
 
ミシェル・アザナヴィシウス監督はスパイもののパロディ映画を撮ったことのある人で、この映画もサイレント映画のパロディということなのでしょう。
 
アカデミー作品賞を最後までこの映画と争ったとされるのが「ヒューゴの不思議な発明」です。「ヒューゴの不思議な発明」もサイレント映画の時代を描いた映画で、不思議な暗合です。
サイレント映画には世界恐慌以前の“古きよき時代”が描かれているので、リーマンショックや欧州債務危機に翻弄されている私たちは引きつけられるのかもしれません。
 

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