自民党新総裁に選ばれた安倍晋三氏の顔をテレビで見ていて、私は安倍氏が嫌いであることを改めて認識しました。安倍氏の顔と比べると石破茂氏の顔のほうがよほどましで、石破氏がキモカワイイといわれるのも納得です。
政治家の顔の好き嫌いなんかどうでもいいではないかと思われるかもしれませんが、どうせ誰がやっても同じようなものですから、せめて不愉快でない顔の人に総理大臣をやってほしいものです。
自民党から民主党に政権交代しても、政治はほとんどなにもかわらないことがわかりました。民主党政権は最初、「コンクリートから人へ」と言っていましたが、結局「人からコンクリートへ」と戻ってしまいました。脱原発も腰砕けになっていますし、沖縄の基地問題もなにも変わりません。オスプレイ配備にまつわる動きを見ていると、自民党政権時代そのままです。
なぜ変わらないかというと、民主党が目指した政治主導が官僚主導に負けてしまったからです。自民党政権は官僚主導の上に乗っていましたから、今の民主党政権は昔の自民党政権と同じです。
政権交代が起っても大して変わらないのですから、首相が変わってもなおさら変わらない理屈です(小泉政権時代は多少変わりましたが、小泉政権はあくまで官僚のいやがることは避けていました)。
ですから、自民党総裁が安倍氏になっても石破氏になっても、どちらでもいいようなものです(もっとも、安倍氏が自民党総裁になると選挙で自民党と日本維新の会がバッティングしそうで、選挙情勢は変わりそうです)。
とはいいながら、テレビで安倍氏の顔を見ていると、どうしようもなく不愉快になってしまいます。なぜ不愉快になるかと考えてみると、「前に失敗したのになんでこんなに得意そうな顔をしているんだ」という思いがあるからだと思います。あれだけの失敗をした人というのは、もう少し謹慎しているか、出てくるにしても申し訳なさそうにして出てきてほしいものです。
とはいえ、この言い方では単なる感情論ですから、もうちょっと論理的に攻めてみたいと思います。
安倍氏は5年前の失敗についてどう考えているのでしょうか。「みなさんにご迷惑をおかけした」という形での謝罪はしていますが、私の知る限り反省の言葉は述べていません。
安倍氏は、「5年前の失敗は潰瘍性大腸炎という難病のせいだったが、今はアサコールという特効薬ができたのでもう大丈夫だ」という態度であるようです。
潰瘍性大腸炎というのは、厚生省指定の原因不明の難病ということです。「原因不明の難病」というと、たいへんな病気のようなイメージになります。そのため、フジテレビの「とくダネ!」という番組で「お腹が痛くて辞めちゃった」「子どもみたいだね」というコメントがあったことに対して、人の病気をからかうのは許せない、人権侵害だという声も上がっています。
しかし、潰瘍性大腸炎というのは、症状の出現にはストレスが大きく関わっています。ストレスが強くなると症状が強く出て、ストレスがなくなると症状が消えるということを繰り返すのです。ですから、心因性という言葉を使うのは不適切かもしれませんが、病気を身体の要素と心の要素に分けると、心の要素がきわめて大きい病気なのです。
安倍氏は日本消化器学会発行の「消化器のひろば」において専門医と対談して、それがウェブ上に公開されています。
この対談を読むと、ストレスの要素が強い病気だということがわかりますが、安倍氏は自分の病気を心の面からとらえるということをまったくしていません。一部を引用してみます。
安倍 なぜか2回目(1996年)の選挙のほうで大変つらい思いをしました。たびたび強い便意が起こるのですが、選挙カーからおりるわけにはいかないので脂汗をかいて我慢していました。本当に苦しかったですね。最大の危機は1998年、自民党国会対策副委員長を務めていた時でした。点滴だけの生活が続き、体重は65kg から53kg に減りました。そこで政治家の進退を賭けて慶應病院へ3 ヵ月入院しました。政治家は志を遂げるために自分の病気は徹底して秘匿しなければなりません。病気は大きなマイナスです。家内の昭恵は「政治家なんか辞めてください」と涙ながらに訴えるし、身近な人は病気を公表して政界からの引退を勧めましたが、私は治療の結果で決めようと考えていました。腸の全摘手術も検討されました。この時、ペンタサの注腸療法がよく効いて日常生活にほとんど問題がなくなりました。ここで政治家への道へ邁進することを決断しました。
私がひとつ引っかかるのは、なぜか2回目の選挙のほうでたいへんつらい思いをしたというところです。1回目はなにも考えず無我夢中だったが、2回目は国会議員を1期勤めたために落選するのが怖くなったというような心理があったのかと推測されますが、安倍氏自身はそれについてはなにも触れていません。このときに自分の心理を分析し、自分は早くも守りに入っているのではないかといった反省があれば、自分の心を強くすることができたのではないかと思います。
最大の問題は、このとき「ペンタサの注腸療法」なるものがよく効いたので政治家としてやっていけると判断したわけですが、この判断は結果的に間違っていたということについての反省がないことです。
今、安倍氏は「アサコール」という新薬が効いたからもう大丈夫と判断しているようですが、この判断は前回とどこが違うのでしょうか。
反省のない人は同じ失敗を繰り返すに違いありません。
反省ができないのは安倍氏の生き方全般に現れているような気がします。
たとえば、安倍氏は首相在任中に、従軍慰安婦問題について「狭義の強制性はなかった」と発言して、韓国はもとよりアメリカからも批判の声が上がったため、結局海外メディアのインタビューで「強制性」を認め、河野談話見直しの持論も封じ込めました。
しかし、今回の自民党総裁選でまたしても河野談話の見直しを言っています。野党の一議員なら言えても、総理大臣としては言えないということを学ぱなかったのでしょうか。
そもそも従軍慰安婦問題について謝罪したくない人というのは反省欠如体質の人といえるでしょう。
首相当時、「お友だち内閣」という批判を浴びました。これは心の弱さから周りを気心の知れた人間で固めようとしたからではないかと推測されますが、本人がそうした反省を語ることはありません。反省がないと、また同じ失敗を繰り返しそうです。
私は反省しない人間の顔を見るのが嫌いです。