村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2012年09月

イジメ問題がいまだにマスコミをにぎわせています。
イジメというのは単純なようでいて深い問題です。この機会に、イジメについて考察を深めるのも意義のあることかと思います。
 
イジメについての疑問のひとつは、被害者は加害者に対してなぜ拒絶なり反撃なりをしないのかということでしょう。
それについての一応の答えは、拒絶するとよけいにイジメられるからというものです。
しかし、拒絶しないためにどんどんイジメがエスカレートしていくという現実もあるわけです。
なぜいやなことをいやと言えないのでしょうか。
これについて考えるのにちょうどいい材料があったので、紹介したいと思います。朝日新聞家庭欄の「ひととき」という投書欄に載った文章です。
 
「いや」を言う勇気〈ひととき〉
 小学生の時、クラスに意地悪な女の子がいて、学校に行くのが憂鬱(ゆううつ)だった。
 ある日、彼女は私に「シール、ちょうだいよ」と言った。当時、シールなどを集めるのが人気で、私にとっても大切な宝物だったから、すぐに「いいよ」と差し出せなかった。ためらう私に、彼女は「じゃあ、明日。絶対にね」と言って帰って行った。彼女の要求は理不尽だったが、応じなければ、ますます意地悪をされるかもしれない。
 沈んだ気持ちのまま、放課後、仲良しの芳子ちゃんの家に遊びに行った。その話をしたのだろう。突然、芳子ちゃんのママが言った。「どうして、シールをあげる必要があるの? そんなのおかしいでしょう、いやって言いましょう」
 私はその言葉に勇気をもらった。翌日、私が言うことを聞くと信じてやってきた彼女に、ありったけの勇気を出して拒否した。あの時の彼女の驚いた顔は今も覚えている。その後、彼女は何も言ってこなかった。
 私立中学に進学した芳子ちゃんとは卒業以来会うこともなく、芳子ちゃんのママにも会っていない。けれど、あれから私は強くなったように思う。芳子ちゃんのママ、ありがとう。
三重県松阪市 (氏名略 女性) 会社員 49歳
朝日新聞デジタル2012980300
 
男同士のイジメには、腕力の強さということもかかわってきますが、この場合のように女の子同士のイジメだと、腕力は関係ないので、もっぱら精神力の問題としてとらえてもいいはずです。
いや、「精神力」という言葉はちょっと違うかもしれないので、「気が強い」「気が弱い」という言葉に変えます。
つまりイジメというのは、基本的には気の強い者が気の弱い者をイジメるというものです。
「気が強い・弱い」というのは、「体力がある・ない」とか、「筋肉質である・ない」というのと同じで、ある程度は生まれつきのものだと思います。もちろん経験を積むことで鍛えられていきますが(「気が弱い」というのは「やさしい」というプラスの面もあります)。
 
しかし、この文章を読むと、もうひとつの要素があることがわかります。つまり、「人のささえ」です。
ささえる人がいてくれれば、気の弱い人も気丈にふるまえるということです。
この投書主の場合、友人のママが「いやと言いたい」という気持ちをささえてくれたので、「いや」と言うことができたわけです。
 
そして、「いや」と言ったら、イジメはおさまりました。
このことは、イジメの解決策について多くのことを教えてくれると思います。
 
たいていのイジメは、被害者が気を強く持って、いやなことをいやと言えばおさまるのではないかと思います。
 
男同士のイジメの場合、腕力もひとつの要素になってきますが、それはあくまでひとつの要素で、クラスで腕力のない者はみんなイジメられるかというとそんなことはありません。むしろ気の弱さのほうが大きな要素ではないでしょうか。
 
この投書で印象的なのは、勇気を出して拒否したら、イジメっ子がひどく驚いたというところです。イジメっ子にはまったく予想外だったのでしょう。
人間はある程度つきあうと、この人間はこういう場合にこういう反応をするということが読めるようになります。このイジメっ子も自分の読みに自信を持っていたのでしょう(そういう意味では人間通です。これもひとつの能力です)。ただ、友人のママがささえになったということまでは読めなかったわけです。
 
この投書主の場合、たまたま友人の家に遊びに行ったことで幸運に恵まれたわけですが、こういうことはめったにありません。
ただ、ここでまともな判断力を持っている人なら思うはずです。友人のママの役割は本来親が果たすものではないのかと。
 
この投書主は、自分の親のことは一言も書いていませんが、まさか親がいないことはないでしょう。普段から親がささえになってくれていれば、意地悪な子にも平気で「いや」と言えて、学校に行くのが憂鬱になるようなこともなかったはずです。
 
ということは、多くのイジメにおいても、親が子どものささえになっていないのではないかと想像されます。
親がちゃんと子どもを愛して、子どもが自己肯定感を持っていれば、学校でイジメられるようなことにはならないというのが私の考えです(絶対にイジメられないとは断言できませんが)
 
イジメというと、どうしても加害者側に焦点が当たり、担任が指導しろとか、登校停止にしろとか、警察に訴えろとか言われます。しかし、被害者側に問題がないわけではありません。むしろこちらの対策のほうが重要だといえます。
というのは、1人のイジメっ子をなんとかしても、ほかのイジメっ子に出会う可能性がありますし、社会に出てからもイジメられる可能性があるからです。
被害者側がイジメをはねつける強さを持つことがなによりもたいせつです。
そして、そのことについては「親の役割」がたいせつです。
 
ところが、「親の役割」のたいせつさについての認識が、多くの人においてすっぽりと抜け落ちているのです。この投書主においてもそうでした。
これは親から虐待されている子どもが決して親を告発しないことに似ていると思われます。親がマイナスの役割を果たしているとき、それはなかなか認識されないのです。
 
子どもの世界にこれほどイジメが蔓延しているということは、「親の役割」を果たしていない親が世の中に蔓延しているということに違いありません。
このことがもっと認識される必要があると思います。 

陰謀論というのはおもしろいものですが、私は実名でブログをやっているので、そんなことを書くわけにはいきません――と思っていたのですが、考えてみれば、陰謀論と断った上で書けばいいわけです。
というわけで、これから私が書くことを信じるか信じないかはあなた次第です。
 
 
大津市イジメ事件が世間の注目を集めたのは、自殺少年が「自殺の練習」をさせられていたという報道があったからでしょう。私もこれにショックを受けて、ブログで取り上げようかと新聞記事を詳しく読んでみたら、「自殺の練習」というのはアンケートに書かれていたことで、しかも伝聞であることがわかったので、書くのは控えました。
しかし、その後もマスコミはイジメの“実態”を次々と報じましたが、そのほとんどはアンケートに書かれていた不確かなものか伝聞の証言です(目撃証言もありましたが、目撃者が匿名の中学生ですから、報道の信ぴょう性がイマイチありません)
マスコミがこんな不確かなことを大々的に報道するのは実に不可解です。私はそこになにか巨大な闇の力が働いていることを感じざるをえませんでした。
 
「自殺の練習」についてはその後、目撃したという女子中学生のいたことが新聞で報じられました。やはり「自殺の練習」はあったのかと思っていたら、今になってこんな報道がありました。
 
「自殺練習」有力目撃なし 大津いじめ、県警聞き取り 
 大津市で昨年10月、中学2年の男子生徒=当時(13)=が自殺した問題で、生徒が同級生から受けたとされるいじめのうち、「自殺の練習」の強要について、滋賀県警が在校生に聞き取りを行った結果、有力な目撃証言がなかったことが1日、捜査関係者への取材で分かった。県警は同日からいじめていたとされる同級生への事情聴取を開始し、こうしたいじめとの関連が不明瞭な複数の行為について事実の有無を最終確認する方針。
 県警は1日、生徒をいじめていたとされる同級生3人のうち2人から事情聴取を行った。残る1人からも今後、聴取する。
 亡くなった男子生徒が「自殺の練習をさせられていた」という指摘は、全校アンケートの中で16人がいずれも「伝聞情報」として回答していた。7月上旬にこのアンケート内容が報道され、いじめ問題で大津市教委や学校の対応が非難されるきっかけとなった。
捜査関係者によると、県警が、男子生徒と同学年だった約300人への聞き取りを行った結果、「生徒が自殺の練習を無理やりさせられている場面を見た」という在校生はいなかった。
 また、校舎の窓から身を乗り出すよう同級生から要求され、男子生徒が拒否するのを目撃した在校生はいたが、強要容疑を裏付ける証言はなかったという。
 県警は今後、複数の目撃証言がある体育大会での暴行容疑についても同級生から事情聴取を行い、裏付けを進める方針。
 遺族が提訴した民事訴訟で同級生側は「遊びの範囲」といじめを否定している。
20120902 0920分】
 
300人に聞き取りをしても目撃者がいかなかったということは、先に報じられた「目撃した女子中学生」はなんだったのでしょうか。女子中学生がうそをついたのか、新聞がうそを書いたのかということになります。
 
ともかく、「自殺の練習」がなかったということなら、イジメの存在そのものまで怪しくなってしまいます。
というのは、自殺した少年はイジメられているとは誰にも言わなかったからです(担任から2度聞かれても否定しました)。もちろんイジメの加害者側とされるほうも否定しています。自殺した少年の親にもそのときはイジメの認識はありませんでした。となると、同級生の証言に頼るしかありませんが、「イジメていた」か「ふざけていた」かの判断は印象でしかありません。これでは警察もイジメがあったと立証するのは不可能なはずです(しかし、世論に迎合してむりやり立件する可能性が大です)
また、学校や市教委はイジメを隠蔽したと批判されていますが、そもそもイジメがなかったのなら、なにをやっても“隠蔽”になってしまいます。
 
では、なぜアンケートの中にイジメについての伝聞情報が多数あったかというと、同級生が自殺したということは中学生にとってはショックですから、自殺の原因について話し合ううちに噂が噂を呼び、それがアンケートに現れたということでしょう。噂のもとになったことがあったとしても、それは軽いイジメだったかもしれません。
 
イジメの報道が過熱したのも妙なことですが、一方で自殺者遺族を支援するための寄付を受け付けるホームページがいち早く立ち上げられたのも妙なことです。
自殺者遺族は3人の同級生とその保護者と市を相手に損害賠償を求めて訴えており、寄付金はその裁判費用などに当てられるということですが、勝訴すれば賠償金が入るのですし、自殺者遺族の年収レベルもわかりません。また、ホームページを開設したのは自殺者遺族の代理人弁護士である吉原稔法律事務所ですが、自分が受け取る裁判費用のための寄付を自分で募るという格好になります。
このホームページは当初、誰でも開設できる形式のホームページでしたから、これが本物かどうかわからないという苦情が相次ぎ、そのため滋賀弁護士会のホームページからリンクが張られることになりましたが、滋賀弁護士会より「閲覧者に対して、同会が特定事件につき一方当事者の立場を支持するかのような誤解を招く」としてクレームがあり、リンクが削除されるというドタバタ劇がありました。
 
なお、今ホームページで確かめてみると、8月31日時点で一千万円を超える金額が集まっているということです。
 
大津中2いじめ自殺裁判支援
 
ということは、儲け主義の敏腕弁護士がアンケートのあやふやな“事実”をもとに大きな事件をつくりあげたということでしょうか。
 
いや、いくら敏腕でもそう簡単にはいかないでしょう。
やはりキーマンは、自殺者遺族、つまり自殺した男子生徒の父親と思われます。
 
自殺した男子生徒の父親がどんな人物であるかについてはまったく報道がありません。職業もわかりませんし、家族構成もよくわかりません。加害者側とされる生徒やその保護者について多数の情報がさらされているのとは正反対です。
 
この謎の父親がモンスター・ペアレントに違いありません。
モンスター・ペアレントというと学校に無茶なクレームを言ってくる親とされますが、モンスター・ペアレントは学校に対するより前に自分の子どもに対してもモンスターなのです。
自殺した生徒は「家族に厳しく叱られる」と電話で担任に相談していました。もちろんその家族とは父親ことでしょう。生徒は父親よりも担任を信頼していたのです。
(「大津市イジメ事件に新事実」を参照)
 
子どもをきびしく叱っていた父親は、子どもが自殺したときはショックだったでしょうが、間もなく子どもが学校でイジメにあっていたという情報を入手します(そのとき学校内では噂が噂を呼ぶという状態でした)。父親の心の中で「子どもの自殺の原因はイジメだ」という確固たる信念が生まれます。そうなら自分は免罪されるからです。
父親は学校にアンケート内容を知らせるように要求し、警察には3度も被害届を出しに行き、弁護士に相談してイジメ加害者生徒とその保護者と市を訴えます。
この父親のモンスターぶりが弁護士にも乗り移り、弁護士はおそらくマスコミに情報提供を行い、素早く支援ホームページを立ち上げます。
そして、父親のモンスターぶりがマスコミを通じて全国に広がります。
 
いや、子を持つ親は誰しも心にモンスターを飼っています。モンスターがいるゆえにいつも子どもを叱り、勉強を強要し、子どもを追い詰めています。その心の中のモンスターが一斉に暴れ出し、また、そうした親に育てられている子どもや若者の心にもすでにモンスターが生まれていますから、そうしたモンスターも暴れ出しました。そうして大津市イジメ事件はつくられました。
 
父親は最近もモンスターぶりを発揮しています。
 
確約書で遺族が市を提訴=アンケート部外秘で精神的苦痛-大津いじめ自殺問題
 いじめを受けた大津市立中学2年の男子生徒=当時(13)=が自殺した問題で、男子生徒の父親(47)が7日、学校側から全校生徒を対象に実施したアンケート調査の結果を受け取る際、「部外秘を確約する」との不当な確約書に署名させられたことで精神的苦痛を受けたとして、市を相手に100万円の損害賠償を求める訴訟を大津地裁に起こした。
 訴状によると、父親は自殺の真相に迫ろうと資料を入手したが、確約書のために同級生や保護者へ資料を基にした事実確認ができなかった。
 一方、7月に開かれた市議会では、一般傍聴者に対してもアンケート調査の結果が配布されたことから、確約の必要性や義務はなかったとしている。(2012/09/07-19:17
 
父親はすでに大津市などに約7700万円の損害賠償を求めて提訴しています。不当な確約書に署名させられたことの精神的な苦痛もそこに含めればいいと思うのですが、なぜ別件で100万円の損害賠償を求めるのでしょうか。2件の訴訟にすると、弁護士事務所への支払いが増えて好都合なのでしょうか。
 
ともかく、親や親の予備軍の心に棲むモンスターが巨大な闇の力となって大津市イジメ事件を初めとするイジメ事件を全国でつくりだしたのです。
これが“真相”です。
 
もちろん、以上のことを信じるか信じないかはあなた次第です。

昨日今日の報道によると、どうやら政府は尖閣諸島の土地を205000万円で買い取ることで地権者と合意したようです。となると、石原慎太郎都知事が今までやってきたことはなんだったのかということになります。
 
そもそもは今年4月に石原都知事が尖閣の土地購入計画を発表したことが発端ですが、この時点からおかしなことがいっぱいありました。
まず、この発表が行われたのはワシントンにおいてでした。日中間の問題をアメリカで発表するというのがひじょうに不可解です。
それに、購入金額がまだ決まっていませんでしたし、地権者と政府の賃借契約があるので、実際の購入は契約が切れる来年4月以降のことになります。つまりどう考えても発表のタイミングではないのに発表したのです。とくに購入金額が決まっていないのでは、購入そのものがどうなるかわかりません。
また、石原都知事はこのときに、「政府に吠え面かかせてやる」と発言しました。
領土問題に関しては国内が一致結束しなければならないのに、石原都知事のやっていることは逆です。国内の対立で自分が優位に立つために領土問題を利用しているのです。
 
ですから、最初から怪しい計画であることは明らかでした。このことは購入計画発表直後にこのブログで書いています。
 
「石原『尖閣購入』発言と日本の右翼」
 
ただ、この時点では、石原都知事がアメリカで発表したのは対米コンプレックスのせいではないかと推測していましたが、その後は、尖閣諸島に米軍の射爆撃場があることから、尖閣問題にアメリカを巻き込むことが狙いだったのではないかと私の考えも変わっています(残念ながらアメリカは領土問題には関わってきませんが)
 
ともかく、こんな怪しい購入計画にもかかわらず、石原都知事の購入計画に賛成する人が意外と多く、寄付金が14億円超集まりました。このお金について、石原都知事は「政府に渡す」と語りました。しかし、報道によると、「購入費は今年度予算の予備費からの拠出を閣議決定する予定」とあります。単に国庫に入るなら、それは寄付者の意志とはまったく違うことになってしまいます。
 
なぜ多くの人が石原都知事の購入計画に賛同したのかというと、尖閣諸島沖で中国漁船が海保の巡視船に衝突した事件のとき、日本つまり民主党政権は中国のゴリ押しに屈したという思いがあって、石原さんなら中国に一矢報いてくれるだろうという期待が集まったからでしょう。
しかし、「一矢報いる」とか「一泡吹かせる」とかいう考えは、こちらが強く出れば相手が引き下がってくれるだろうという前提の考えではないかと思われます。
現実はなかなかそうはいきません。こちらが強く出て、向こうもまた強く出てくれば、最後は戦争になってしまいます。ですから、少くとも尖閣諸島周辺で一戦交える覚悟がなければ、「一矢報いる」こともできないのです。
で、私が見るところ、日本人はそこまでの覚悟を持っているようには思えません。というか、そんな覚悟は持たないほうがいいのです。局地戦で終わったとしても、それによって日中間の貿易が滞れば、その経済的損失があまりにも大きいからです。
そういうことを考えれば、尖閣の領土問題は棚上げにするしかないということになります。
 
石原都知事の尖閣購入計画の発表により、香港の活動家が尖閣に上陸する事態を招きました。今回、日本政府が尖閣の土地を買い上げることになり、それがまた中国を刺激する恐れがありますが、それも石原都知事がまいた種です。
 
今回、石原都知事の大衆受けをねらった思慮不足の行動は、日中間に波風を立てただけで終わってしまいました。
これは石原都知事の行動パターンでもあります。大手銀行に対する外形標準課税、新銀行東京設立、2016年夏季オリンピック東京招致など、そのときは大衆受けしても結局失敗し、大きな損失を出してしまいます。
いっときの夢を見させてくれるというのは、小説家でもある石原都知事の才能かもしれません。しかし、今回はこれに夢を見て寄付までしてしまった人はちょっと気の毒です。

9月1日の深夜、たまたまNHKEテレにチャンネルを合わせたら、ビル・ゲイツの講演をやっていて、これがおもしろいのでつい見てしまいました。
ビル・ゲイツは仕事を引退後、財団を設立して社会貢献活動をしています。彼が目指すのは、自然解決することのない問題にお金や英知をつぎ込むことで解決しようというもので、この講演ではマラリア対策とアメリカの公教育の改革について語っています。
ちなみにこの講演はTEDという組織が開催するもので、インターネット上に無料で公開されています。
 
ビル・ゲイツの現在の活動
 
彼の話によると、マラリアは1930年代には世界で年間500万人が死亡する病気で、ヨーロッパやアメリカ合衆国にも広がっていたそうですが、DDTとキニーネが開発されたことで先進国では撲滅され、今では貧困国の病となりました。そのためにマラリア対策に投じられる資金は薄毛治療薬の開発のための資金よりも少なくなっています。貧困国の問題解決よりも金持ちの男性の悩み解消が優先されるからです。こうしたことを踏まえて本来必要なところに資金をつぎ込み、殺虫剤と蚊帳を普及させるなどすれば事態は改善されると彼は言います。
 
彼の話はデータに基づいているので説得力があります。講演のあとの解説で、彼はなにかの問題に取り組むときは、その分野のすべての本をアマゾンで買い集めて読むということです。簡単なようでなかなかできることではありません。
ビル・ゲイツはもちろんIT業界で成功した偉大な人間ですが、この講演を聞くと、偉大な人間はなにをやっても偉大なのだなという気にさせられます。
 
講演の後半は、アメリカの公教育についてです。
アメリカの高校での中退率は3割にもなるそうです。白人以外については中退率5割で、低所得層では大学修了するよりも刑務所に入る率のほうが高いということです。
で、教育をどう改革するかということですが、教える能力の高い教師をふやすことがたいせつだと彼は言います(彼のいう教育改革とは学力向上だけのことで、人間教育とかイジメ対策とかは眼中にないようです)。しかし、教師の能力が伸びるのは最初の3年間だけで、そのあとは何年やっても教え方の質は変わらないという話には納得する人が多いでしょう(ほとんどの教師は毎年同じことをしていますから)
彼は、KIPPという指導要領によらない公立学校を成功した例として紹介します。そして、教師の能力向上は可能だとして、その方策を語ります。
それはつまり、生徒の学力をテストし、テストの結果によってその生徒を教えた教師の教え方を評価する(あるいはその教師に反省させる)というやり方です。単純にフィードバックといってもいいでしょうか。現在、アメリカでもこうしたやり方はほとんど行われていないそうです。
 
現在の学校のテストは、生徒の学力を評価するだけのものですが、Aのクラスの学力とBのクラスの学力を比較することで、Aのクラスの担任とBのクラスの担任の教える能力が比較でき、それを手がかりに教師は能力を伸ばしていけるというわけです(この説明はビル・ゲイツの言葉ではなく、私の理解したところです)
 
私はこのやり方には基本的に賛成です。橋下徹大阪市長は学力テストの結果を公表するよう主張し、議論を呼んだことがありましたが、橋下市長の狙いは上から学校や地域の教育委員会を評価しようということと思われ、これにはあまり意味がありません。しかし、個々の教師が自分の教え方を反省する材料に使うなら意味のあることです。
 
 
しかし、私はビル・ゲイツの教育改革論にある程度は賛成しますが、大きなものが抜けていると思います。
それは、「生徒の意志」です。
テストではかれるのは学力だけで、生徒がその教師をどう思っているか、その教科の内容をどう思っているかということははかれません。しかし、いちばんたいせつなのはそこなのです。
 
私は生徒に教師を選ばせればいいと思います。
自分のクラスに生徒が集まらなければ、教師は反省して向上しようとするでしょう。それは単に教え方にとどまらず、生徒に好かれる人間、信頼される人間になるということも含まれますから、自然と人間教育にもつながっていくわけです(とりあえず生徒が教師を人間として教育するわけですが、その教師がまた生徒を人間として教育するという相互的な教育になります)
 
そして、教科の内容も生徒に選ばせればいいと思います。
今は、学校の教科で確実に役に立つのは読み書き計算ぐらいで、そのほかのものは全部あやしいと言っても過言ではありません。
もちろん知識はないよりはあったほうがいいのですが、今の学校ではくだらない知識、偏った知識を注入されている可能性がたぶんにあります。
生徒に好きな教科内容を選ばせれば、教科内容は自然に進化していきます(もちろん教師はなにを教えてもいいという制度です)
 
ビル・ゲイツはウインドウズというすばらしい基本ソフトをつくりあげましたが、これは決して彼や彼の部下たちの努力だけによるものではありません。コンピュータ・ユーザーが自由によいものを選ぶ権利を持っていたからこそ、彼らの努力が報われ、さらなる努力へとつながったのです。
現在、日本のラーメンはきわめて進化した食べ物となっていますが、これは誰かがラーメン屋を教育したからではありません。客が好きな店を選んできた結果です。
日本の自動車会社がすばらしい車をつくれるようになったのも、ユーザーのわがままにひたすら応えてきた結果です。
 
教育内容を進化させるには、生徒が好きな教科を選ぶことができ、教師は生徒のわがままな要求に応えてなにを教えてもよいという制度にすればいいのです。
その結果、どういうことになるかというと、生徒はまず金持ちになりたいと思うので、「いかにしてお金を儲けるか」という教科が人気になるでしょう(ビル・ゲイツもそういう講演をしてほしいものです)。それから、「こうすれば異性にもてる」という教科も人気になるでしょう。あと、「健康で長生きする方法」ということで、医学や栄養学やスポーツ科学が学べることになるはずです。
英語や数学は、金持ちになる手段として学べばやる気をもって学べます。オシャレの方法だの喧嘩に勝つ方法だの労働者の権利だのも学校で学べるようになるでしょう。
 
ビル・ゲイツはユーザーから選ばれることで事業を成功させることができたのに、教育については生徒が選べる制度を提唱しないのは不思議なことです。
私は偉大なビル・ゲイツと比べるとまったく凡庸な人間ですが、少くとも教育については、ビル・ゲイツよりも一歩先を考えていると思います。

いわゆる従軍慰安婦問題がこじれてしまうのは、自分中心の発想を抜けられない人が多いからです。
たとえば、河野談話を見直すべきという人たちの主張を国際社会から見るとどうなるかというと、
「加害者側の資料がないから被害者に謝罪しないと加害者側が言っている」
ということになります(詳しくは前回の「利己主義スパライル」及び「レイプ・イジメ・慰安婦」を参照)
ですから、韓国はもとより国際社会からもまともに相手にされる主張ではないのです。
 
「加害者側の資料がないから被害者に謝罪しないと加害者側が言っている」という記述は、被害者側でも加害者側でもない第三者から見たものです。第三者的立場に立つと、自分の主張のおかしさにすぐ気づくはずなのです。
 
もっとも、河野談話を受け入れている人がみんな第三者的立場に立っているかというと、そういうことではありません。日本人であっても、いろんな立場があるからです。
 
たとえば、軍国主義時代の日本を、軍部が暴走して無謀な戦争を行い、国民に塗炭の苦しみを味わわせた時代と認識している人がいます。こういう人は軍国日本は本来の日本とは別だと考えていますから、当時の朝鮮で慰安婦が強引な手法で集められたと聞いても、そんなことは当然あっただろうと思うだけです。
つまり、軍国日本が非難されても自分が非難されているという意識はなく、むしろ自分もいっしょになって非難しているぐらいの意識なのです。
ですから、これを“自虐”というのは当たっていません。本人としては“他虐”のつもりだからです。
 
一方、軍国日本に自己を同一化している人がいます。日露戦争時代の日本でもいいし、大正デモクラシーの日本でもいいのに、なぜ軍国日本かと思いますが、おそらく戦後日本の平和主義的な行き方を否定したい思いが強い人なのではないかと私は想像しています。
こういう人にとっては、軍国日本が非難されるのは自分が非難されるのと同じなので、なんとかして軍国日本の行いを肯定しようとします。慰安婦問題にしても、一部の民間業者が勝手にやったことだとか、当時は売春や人買いは当たり前だったとか、証言は信用できないとか、強制連行を命令・指示する資料はないとかです(「強制連行」などという言葉を使うわけがありません。食糧の「現地調達」といって「現地略奪」と言わないのと同じです)。
 
ですから、謝罪するのは当然だとする者と、謝罪するべきでないとする者は、左翼と右翼だというのがこれまでの認識でした。
しかし、今では左翼と右翼という政治的立場にはほとんど意味がない時代になっています。左翼にしても、社会主義革命をやろうと思っている人はほとんどいませんし、左翼と自認している人も少ないのではないかと思われます。
 
私は左翼と右翼という対立軸に代わる新しい対立軸を提唱しています。
 
 
   体罰肯定  体罰否定
管理教育主義  自由放任主義
   厳罰主義  寛容主義
   死刑賛成  死刑反対
   軍拡賛成  軍縮賛成 
国家主義賛成  国家主義反対
  高福祉反対  高福祉賛成
   格差容認  格差反対
    性悪説  性善説
 
 
この対立軸は、「人間を肯定的にとらえるか否か」によって決まってくるというのが従来の私の考えでした。しかし、「私は人間を否定的にとらえている」という人はあんまりいそうにないので、この表現は不適切かもしれません。
そこで、「人の立場に立って考えることができるか否か」という表現に変えることにしました。
たとえば、子どもの立場に立って考えることができる人は当然体罰否定派になりますし、犯罪者の立場に立って考えることのできる人は寛容主義で、死刑反対派になりますし、貧しい人の立場に立って考えることのできる人は高福祉賛成、格差反対の考えになります。
 
慰安婦問題に当てはめると、朝鮮人慰安婦の立場に立って考えることができる人は、謝罪することで少しでも心の傷を癒してあげたいと考えますし、できない人は謝罪しても日本の立場を不利にするだけだと考えます。
また、国際社会の立場に立って考えることができる人は、謝罪しないという主張が決して受け入れられるものでないことがわかります。
 
「人の立場に立って考える」ということはあらゆる場面で有効で、これができると自分自身の利益にもなります。ビジネスにおいては顧客の立場に立って考えることになりますし、夫婦においても相手の立場に立って考えれば夫婦喧嘩もほとんど起こらないはずです。
 
領土問題も、相手の立場に立って考えることができないから生じている面が多分にあります。尖閣諸島や竹島は、相手の立場に立って考えると、当面解決することはできず、棚上げするしかないという結論になるはずです。北方領土については、ロシアが経済的に困窮しているときには、鈴木宗男氏が主導した経済的見返りを条件に二島返還ということも可能だったと思われますが、今となってはよほど大きな経済的見返りが必要です。
 
ともかく、河野談話の見直しを主張している人たちには、「元慰安婦や一般の韓国人の立場に立って考えなさい」と言いたいと思います。そうすれば、日本の国益のためにもどうすればいいかがわかってくるはずです。

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