村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

2012年12月

なにかと話題の本を読みました。
なぜ話題かというと、ひとつにはよく売れているからですし、もうひとつは読む人によって評価がまったく違うからですし、さらには朝日新聞の書評が訂正されるという“事件”があったからでもあります。
 
朝日新聞はこの本を書評欄の「売れてる本」というコーナーで取り上げました。「売れてる本」というコーナーは、「売れているから取り上げるけど、正規の書評欄で取り上げるほどの価値はない本」を取り上げるコーナーです。つまり朝日新聞はこの本をあまり高く評価していないことになります。そして、書評を担当したのはジャーナリストの佐々木俊尚氏です。佐々木氏もこの本をどちらかというと否定的に評価するに違いない立場の人です。つまり朝日新聞はこの本を書評欄で取り上げたものの、否定的に取り上げようという意図があったのではないかと推察されます。
そして、佐々木氏の書評に対して著者の孫崎享が抗議して、朝日新聞がその書評の冒頭10行を削除すると表明しました。
 
「孫崎享著『戦後史の正体』は陰謀史観」書評の一部削除 
 
孫崎享氏による、「戦後史の正体」の朝日新聞書評への反論
 
佐々木俊尚氏という個人の書いた文章について朝日新聞が削除を表明するというのはなんだか妙なことですが、それはさておき、毀誉褒貶のある書物であるということがこのことからもわかります。
 
著者の孫崎享氏は外務省国際情報局長を務め、防衛大学校で7年間安全保障の講義をしたこともある人で、本書はアメリカからの圧力を軸に日本の戦後史を読み解いたものです。
 
はじめに」と目次と序章は次で読むことができます。
 
私自身は、この本は大いに評価します。ただ、評価したくない人もいっぱいいることでしょう。
たとえば朝日新聞もそうです。この本にかかると、朝日新聞の昔の花形記者笠信太郎もアメリカの手先のように描かれます。朝日新聞がこの本を否定的に扱おうとしたのは当然でしょう。
朝日新聞だけでなく学者や言論人の多くにとってこの本は“不都合な真実”を書いたものです。著者も「まえがき」で書いているように、「『米国の意向』について論じることは日本の言論界ではタブーだからです」。
そして、そういう人は本書を否定する理由として「陰謀論の本だ」というふうに主張します。
確かにそういうふうに読めるところもあります。この本を全部信用するわけにはいきません。また、TPPにまで言及していますが、そこまで書く必要はなかったでしょう(「戦後史」というより「今」の問題ですから)
 
とはいえ、その陰謀論的な部分もおもしろいことは事実です。
たとえば、石橋湛山は戦前ジャーナリストとして軍部をきびしく批判した気骨の人で、1956年に首相になりましたが、病気のために2カ月で辞任しました。このことは教科書にも載っていて、誰でも知っているでしょう。しかし、どんな病気で辞任したのかを知っている人はいるでしょうか。また、首相を辞任してから15年間も生きていたことを知っている人はいるでしょうか。
真相を知りたい人は今すぐ書店へ――と書くと本の宣伝になってしまいますから、ここで書きます。
アメリカは石橋首相の自主独立路線を警戒しますが、米国務省北東アジア部長のパーソンズは秘密電報内で「われわれがラッキーなら、石橋は長つづきしない」と書きます。そして、石橋首相は突如肺炎になり、主治医は「肺炎の症状は消えて回復の途上にある。肺炎以外の病気は心配ない。体重の異常な減り方が、肺炎でやせたものとしては理解できない」と述べます。石橋首相は施政方針演説と予算審議ができないということで退陣に追い込まれます。
 
教科書に石橋首相は2カ月で退陣したと書いてあっても、どんな病気で辞めたのかまで書いてないのは、そういう事情だったわけです。「肺炎で辞めた」と書くと、逆に疑問が出てきますから。
 
また、60年安保闘争のとき、全学連が右翼の田中清玄から資金提供を受けていたことがのちに発覚し、人々に大きな衝撃を与えました。なぜ右翼が全学連に資金提供したのかというと、全学連は共産党と対立していたので、共産党を弱体化させるためだと説明されていました。
しかし、この説明はあまり説得力がありません。全学連が強大になり、薩長連合みたいに共産党と手を組むという可能性もないではないからです。とにかく、右翼が左翼に資金提供するというのは不可解です。
本書によると、アメリカが岸内閣を倒したかったからだということです。なぜ岸内閣を倒したかったのかというと、岸信介首相は意外と対米自立派だったからだということです。
 
本書には真偽の定かでないことも書かれていますが、事実に基づくことと推測によることはちゃんと区別されています。だから、本書を陰謀論の本として否定するのは間違いだと思います。
 
とくに本書で重要なのは、戦争直後から1951年のサンフランシスコ講和条約と日米安保条約調印までのところです。ここは全部資料に基づいて書かれていますし、説得力があります。本書を否定したい人は、陰謀論など持ち出さないでここを否定しないと意味がないと思います。
 
たとえば、講和条約が調印されたのはサンフランシスコの華麗なオペラハウスでしたが、安保条約調印の署名が行われたのはサンフランシスコ郊外の米国陸軍第六軍の基地の中で、しかも下士官クラブでした。そして、米側は4人が署名していますが、日本側は吉田首相1人でした。こうした事実を知るだけでも意味があるといえます。
 
また、本書では繰り返し、国務省顧問だったダレスの言葉「われわれ(米国)が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する、それが米国の目標である」が引用されます。この言葉を見れば、日米地位協定が聖域化していることもわかりますし、普天間基地の国外県外移設を主張した鳩山由紀夫首相が失脚したこともわかりますし、オスプレイ配備や米兵犯罪に日本政府がなにもできないこともわかります。
 
本書を読んで思い出したのですが、福田赳夫首相は「全方位外交」ということを掲げていました。今では考えられないことでしょう。今は、新しい首相が誕生するたびに「日米同盟は日本外交の基軸である」ということを、まるで踏み絵のように言わされることが儀式化しています。
日本は独立国であることをやめて占領時代に回帰しているかのようです。

総選挙と同時に最高裁判所裁判官の国民審査が行われますが、世の中にこれほどインチキな制度はないでしょう。総選挙に投票するつもりで投票所に行ったら、選挙区投票用紙と比例区投票用紙のほかにもう一枚の紙を渡され、よくわからないので何も書かずに投票箱に入れたら「信任」と見なされてしまうのですから。
 
国民審査が総選挙と同時に行われるということは日本国憲法で決められています。
 
第七十九条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
○2 最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
 
三権分立からすれば、最高裁判所裁判官の国民審査と国会議員選挙は同じ重みのものとして、それぞれ別に行うべきです。憲法がもうすでにインチキとなっています。
そして、法律がそのインチキの仕上げを行います。
 
最高裁判所裁判官国民審査法
第十三条(投票の時及び場所)  審査の投票は、衆議院小選挙区選出議員の選挙の投票所において、その投票と同時にこれを行う。
 
第十五条(投票の方式)  審査人は、投票所において、罷免を可とする裁判官については、投票用紙の当該裁判官に対する記載欄に自ら×の記号を記載し、罷免を可としない裁判官については、投票用紙の当該裁判官に対する記載欄に何等の記載をしないで、これを投票箱に入れなければならない。
 
不信任に×をつけて、信任にはなにも記入しないというやり方は大いにおかしいといえます。本来は「信任・不信任・棄権」の三択であるべきなのに、「信任・不信任」の二択しかなく、棄権がみんな信任にカウントされてしまうからです。
たとえば今回の国民審査の対象となる裁判官は10人ですが、無記入のまま投票箱に入れると10人全員を信任したことになりますし、ある1人の裁判官を不信任にしたいということで1人に×をつけて投票すると、残りの9人は信任したと見なされます。
 
 
最高裁判所裁判官の国民審査のおかしなところをまとめると、次のようになります。
まず総選挙といっしょにやることで、必然的に国民審査のほうが埋没してしまいます。
総選挙は今回のように突然行われるというのがむしろ普通です。そうすると、国民審査の対象となる裁判官がどんな人物でどんな判決に関与したかということを周知させることができません。
どうせ国会議員選挙と同時にするのなら、総選挙ではなく参議院選挙と同時にしたほうがいいはずです。参議院選挙は3年に1度と決まっていますから、周知期間も十分にとれます。
 
そして、投票所では全員に国民審査の投票用紙が渡されます。ほとんどの人は総選挙のことだけを考えて投票所に来ます。そういう人に投票用紙を渡して投票させ、白票は全員信任と見なし、何人かに×がついていてもそれ以外の者は信任と見なすというわけです。
これではどの裁判官も圧倒的に信任されてしまいます。
 
前回、2009年8月の国民審査は不信任率が平均7%程度です。
過去、もっとも高い不信任を受けた裁判官でも15.17%です(197212月の下田武三裁判官)
 
これまでには全員に×をつけようという組織的な呼びかけが行われてきましたが、それでもこの程度です。
特定の裁判官だけ不信任にしようという呼びかけも行われ、その結果、特定の裁判官だけ有意に高い不信任率になりましたが、それもわずかな数字の違いでしかありません。
 
こういうインチキな制度に抗議するために国民審査の投票を棄権しようという呼びかけも行われました。当然棄権することはできます。
しかし、私は一度、棄権すると言ってその場で投票用紙を返したことがありますが、そうすると「選挙のお知らせ」とかいう自宅に郵送されてきた紙を見せてくれというのです。そして、そこに書かれている私の名前か番号をメモしようとしたので(あるいはその紙に印をつけようとしたのかもしれません。昔のことなので記憶が曖昧)、「なぜそんなことをする必要があるのか」と拒否しようとしましたが、なんだかんだと理由を言われて、メモされてしまいました。
棄権すると、自分が棄権者であると記録が残されるということは、心理的なプレッシャーになります。棄権者数を記録することは必要でしょうが、誰が棄権したかを記録する必要はないはずです。こうしたやり方も大いに疑問です(追記・16日に「棄権します」と言って用紙の受け取りを拒否したら、すんなりと通りました。いったん受け取ったので面倒なことになったようです)。
 
ともかく、最高裁判所裁判官の国民審査は、棄権を信任と見なすことによって決して裁判官が罷免されないというインチキな制度になっています。
日本国憲法の細部を決めたのは司法関係者だと思われますが、憲法の段階から自分たちが不利にならないように仕組んでいたのです(総選挙は政治の世界の最大のイベントですから、それと同時にやれば絶対国民審査のほうが埋没してしまいます)
恵まれた環境で育った頭のいい司法関係者は有利に立ち回り、恵まれない環境で育った頭の悪い犯罪者を投獄しているというわけです。犯罪者が単純な悪だとすれば、司法関係者は高度な悪です。
 
今回の総選挙は、一票の格差が「違憲状態」で行われます。これについてマスコミはもっぱら政治家のほうを批判しています。しかし、最高裁が政治家になめられているわけですから、なめる政治家も悪いですが、なめられる最高裁裁判官のほうも悪いのです。最高裁裁判官は自己保身を第一にして、世の中に波風を立てるような判決はまず下しません。
最高裁は自衛隊違憲判決も下しませんでした。そのためやむなく政治家同士が合憲・違憲を議論して、むだな時間を費やしています。
 
今回の総選挙について、どこに投票しても大して変わらないと思う人が多いでしょう。それは最高裁裁判官を頂点とする官僚組織が聖域ないしはブラックボックスに入っているからです。
 
ともかく、総選挙に行く人は、国民審査についてはまったくインチキな制度であることを理解した上で投票行動を決めてください。
 
それから、憲法はすぐには変えられませんから、最高裁判所裁判官国民審査法のほうを少なくとも「信任に○、不信任に×、棄権は無記入」という投票方式に変えるべきだと思います。

総選挙が公示されました。原発、TPP、消費税、公共事業、憲法などが争点になっていますが、各党の公約が入り組んでいて、わけがわかりません。そこで、私なりに争点を整理してみたいと思います(かえって複雑になるかもしれませんが)
 
外交・安全保障については、尖閣問題への対応が注目されていますが、尖閣問題というのは実は小さな問題です。小さな問題を中心に考えると全体が見えなくなります。
では、全体を見るとどうなるのかというと、スーパーパワーであるアメリカを中心に世界は回っているので、対米依存でいくか、対米自立を志すかという問題がいちばんたいせつになります。
鳩山首相は普天間基地の国外県外移設を目指し、東アジア共同体を唱えて対米自立を目指しましたが、ドン・キホーテよろしく散ってしまいました。そのあと、菅首相はもともと左翼ですから対米自立派のはずですが、それはいっさい封印しました。野田首相も同じ路線です。前原氏はもともと対米依存派ですし、岡田氏も似たようなものでしょう。つまり民主党は対米依存です。
 
では、対米自立派は誰かというと、暴走老人の石原慎太郎日本維新の会代表です。石原代表は、「シナになめられ、アメリカの妾(めかけ)で甘んじてきたこの日本を、もうちょっと美しい、したたかな国に仕立て直さなかったら私は死んでも死にきれない。だから老人ながら暴走すると決めた」と語りました。また、「日本は核兵器に関するシミュレーションぐらいやったらいい」「核を持っていないと発言権が圧倒的にない。北朝鮮は核開発しているから、米国もハラハラする」という発言も当然、対米自立を意識したものです。
 
ところが、同じ日本維新の会の橋下徹代表代行は、むしろ対米依存派です。これは集団的自衛権行使を認めるべきだという発言からわかります。日本で語られる集団的自衛権というのは、アメリカがどこかから侵略されたときに日本が助けるという話ではなくて、アメリカがどこかの国に対して軍事行動をするときに日本が助けるという話ですから、対米依存を強める方向になります。
そういう意味では、自民党の安倍晋三総裁も同じです。自主憲法や国防軍を言いながらも、自衛隊を米軍のパシリに差し出すつもりです。
 
あと、対米自立派といえば、もちろん共産党と社民党です。
 
昔は左翼も右翼も基本的には対米自立派でした。左翼は非武装中立、右翼は自主憲法・自主防衛を目指していました。
今、左翼は縮小し、右翼は拡大しましたが、右翼のほとんどが自主防衛を捨てて対米依存に宗旨替えしました。
石原慎太郎代表は暴走ついでにオールド右翼に返ったのでしょう。
とはいえ、一人の暴走老人にできることは限られています。今や対米自立派は絶滅危惧種です。
しかし、対米依存のままいくら中国や韓国とやり合っても、日本は誇りの持てる国になりません。日本の右翼は右翼として機能していません。
 
 
内政については、官僚主導か政治主導かという問題があります。言い換えると行政改革をやれるかどうかです。
民主党政権は政治主導を目指して、玉砕してしまいました。
今、官僚主導打破を明確に目標にしているのはみんなの党です。
日本維新の会も「統治機構を変える」と言っていますが、太陽の党と合併したことで本気度がかなり疑われるようになっています。
安倍晋三自民党総裁は、首相時代に渡辺喜美氏を特命担当大臣に起用して公務員制度改革をやったので、意外と政治主導をやる意志はありますが、これが安倍内閣を短命にしたという説もあります。今、安倍総裁は政治主導や行政改革をあまり主張しませんし、自民党全体の体質として政治主導を目指すということはないでしょう。
小沢一郎氏は官僚と戦う力があると思われますが、日本未来の党の方針はよくわかりません。
 
ということで、一応対米関係と政治主導の観点から自分なりに整理してみましたが、あまり投票の参考にはならなかったようです。
 
脱原発を基準にして投票先を決めるという人は、判断しやすいでしょう。
私自身は、権力を解体する方向を考えて投票先を決めます。
 
強大な権力が存在する社会というのは人間的ではありません。
強力なリーダーシップを求める人がいますが、強力なリーダーシップがいいことをしてくれるとは限りません。「権力は腐敗する。絶対権力は絶対的に腐敗する」という言葉がありますが、強力なリーダーシップも同じです。
反権力の人もいますが、反権力の人が権力を握ると、もっと強大な権力をつくってしまうことがよくあります。これではかえって事態が悪くなります。
権力を次第に解体していく――というのが正しい方向性です。
 
ですから、スーパーパワーであるアメリカの力を減殺していくというのが日本の外交の第一の目的であるべきです(その目的は隠しておいていいのです)
 
自公が過半数になると、安定政権ができますが、これは政官業が癒着した「悪い安定」です。
日本が官僚主導の国であるのは、国民が官僚に対して“お上”意識を持っているからではないかと思われますが、自民党が政権に復帰すると、これまでずっとそうだったように国民は自民党に対しても“お上”意識を持ってしまうでしょう。こうなるとなにも改革ができなくなります。
 
ということで、今のところ私は、自公過半数を阻止するにはどこに投票すればいいかということを基準に考えて投票したいと思っています。

竹中平蔵慶応義塾大学教授の存在感が再び増しています。日本維新の会の橋下徹代表代行のブレーンですし、日本維新の会の公募候補者選定委員長も務めています。また、自民党の安倍晋三総裁のブレーンでもあり、安倍総裁は次期日銀総裁に竹中氏を起用するのではないかとも言われています。
 
私自身は竹中氏について、小泉政権時代に不良債権処理をやったことについては評価するべきだし、規制緩和も基本的にはよいことではないかと思っていました。しかし、「東洋経済オンライン」の竹中氏のインタビューを読んで、トンデモ思想の持ち主だということがわかりました。
 
竹中平蔵()「リーダーは若者から生まれる」
 
このインタビューは、リーダー論を語っていることもあって、政治的な発言が多いのですが、なにを語るにしても、その根底には経済学者としての見識がなければならないはずです。しかし、こういう発言はどうなのでしょうか。
 
私が、若い人に1つだけ言いたいのは、「みなさんには貧しくなる自由がある」ということだ。「何もしたくないなら、何もしなくて大いに結構。その代わりに貧しくなるので、貧しさをエンジョイしたらいい。ただ1つだけ、そのときに頑張って成功した人の足を引っ張るな」と。
 以前、BS朝日のテレビ番組に出演して、堺屋太一さんや鳥越俊太郎さんと一緒に、「もっと若い人たちにリスクを取ってほしい」という話をしたら、若者から文句が出てきたので、そのときにも「君たちには貧しくなる自由がある」という話をした。
 
「みなさんには貧しくなる自由がある」はまさにトンデモ発言です。あまりにもトンデモなので、多くの人はどう反論していいのかわからなくなるかもしれません(それが竹中氏の狙いでしょう)
 
もしかして竹中氏は、「人間は自由の刑に処せられている」というサルトルの言葉を参考にしたのかもしれません。しかし、竹中氏が言っているのは人間の経済活動に関してですから、サルトルの実存主義思想とはなんの関係もありません。
 
経済学は「経済人」ないしは「合理的経済人」という人間観を土台にした学問です。つまり人間は損と得があれば得を選択するものだということが前提になっています(今は経済的に不合理な行動についても研究されていますが、それも進化生物学的な合理性が想定されています)
人間は貧乏になる自由や権利があっても、みずから貧乏を選択することはないのです(一部に破滅的な生き方をする人はいますが、そうした人は人格形成の問題や極度にストレスのかかる状況から必然的にそうするのであって、決して自由や権利を行使しているのではありません)
 
竹中氏は貧困国を見たとき、「この国の人は貧しくなる自由を行使しているなあ」と思うのでしょうか。あるいは、失業率のグラフを見て、「今月は先月より失業する自由を選択する人が増えたのか」と思うのでしょうか。
 
また、「頑張って成功した人の足を引っ張るな」という発言もひどいものです。経済行為の中にモラルを持ち出し、しかもそれを成功していない人にだけ求めているからです。
 
昔の経済学者には、世の中の貧困をなんとか解決したいと思って経済学を志した人が少なくありません。河上肇もその一人で、貧乏についての研究を「貧乏物語」として著しましたが、まだマルクス主義の影響を受ける前で、貧乏の解決を富裕層のモラルに求めたところが甘いと批判されました。
竹中氏はちょうど河上肇の真逆をいっているわけです。富裕層がより豊かになることを貧困層のモラルに求めています。
 
竹中氏の考えは経済学とはまったく関係ありません。新自由主義という政治思想というべきでしょうが、これは政治思想としてもお粗末です。
 
とはいえ、アメリカではこうした考えが広く存在するようです。先の大統領選のときに共和党のロムニー候補は、富裕層に選挙支援を求めるパーティにおいて、「何があってもオバマ大統領に投票する人が47%いる。彼らは政府に頼り、自らを犠牲者だと思い、所得税を払っていない」とした上で、「彼らの心配をするのは私の仕事ではない」と述べました。竹中氏はこうしたアメリカ的な考えをそのまま受け入れているのでしょう。
 
竹中氏はタフでディベート力もありますが、こういうトンデモ発言が野放しになっているのはいただけません。

自民党の安倍晋三総裁は“禁じ手”とされる日銀の国債引き受けを求めたとして各方面から批判されました。安倍総裁はそういうことは言っていないと反論しましたが、これがまたブレたとして批判されました。しかし、これはもともと講演会での発言が間違って新聞で報道されたためだと、「J-CASTニュース」が報じました。もしそうなら安倍総裁にとっては気の毒なことです。
 
安倍氏の「日銀国債引き受け」発言 実は「買いオペ」省いた「誤報」だった
 
講演会での発言は、表現がわかりにくかったり、言葉を言い間違えたり聞き間違えられたりして、正しく伝わらないことがあります。
そして私は、やはり安倍総裁の講演会での発言で、問題の小さいバージョンの誤報を見つけてしまいました。
 
1129日、安倍総裁は都内で講演し、尖閣諸島実効支配を強化するために退役自衛艦を海上保安庁に移籍させるという考えを表明しましたが、その際、「物量」という言葉を使ったことに私は引っかかりました。
朝日新聞の記事の全文を示します。
 
「退役自衛艦を海保に移籍し活用」 尖閣防衛で安倍氏
  自民党の安倍晋三総裁は29日、都内のホテルで講演し、尖閣諸島周辺海域に中国公船が領海侵入を繰り返していることへの対抗策として「30年で退役した自衛艦を海上保安庁に移籍させる。即応予備自衛官も海保に編入させていく必要がある」と提案した。
 尖閣問題をめぐり、安倍氏は「我々は物量において阻止しなければいけない。我々は政権をとったら、海保と防衛省の予算を増やしていく」と強調。そのうえで「今から予算をつけても船ができるのは2年後だから間に合わない」と指摘し、退役自衛艦を活用する考えを示した。
 
「物量」という言葉は、太平洋戦争を語るときには欠かせません。「アメリカ軍の物量作戦によって日本軍は次第に敗勢に追いやられた」などと使います。
もっとも、アメリカ軍やアメリカ政府が「われわれは日本軍を打ち負かすために物量作戦を採用する」などと決めたことはありません。おそらくアメリカでは「物量作戦」という言葉もなかったでしょう。ただ戦争に勝つために兵器や軍需物資を目いっぱい生産して供給しただけです。それを日本から見たら「アメリカは物量作戦を展開している」となったわけです。
 
「物量」という言葉には、われわれは精神力では負けなかったという思いもあるでしょう。「多勢に無勢」とか「衆寡敵せず」という昔からある言葉でも日本軍の敗北は説明できるからです(米軍は上陸作戦のときは必ず日本軍の数倍の兵力を用いました)
 
とにかく、軍事に関することで「物量」という言葉が出てくるのは十分ありうることですが、中国に対して「物量」を持ち出すのはどうなのかという疑問があります。なにしろ中国は「世界の工場」であり、今では生産力も日本より上だからです。
 
そんな疑問を感じて、ほかのニュースも見てみると、産経新聞は同じく「物量」という言葉を見出しにまで使っていました。
 
実効支配強化へ古い自衛艦活用を 自民・安倍総裁、中国船領海侵犯に「物量で阻止」
 
しかし、時事通信は「物量」という言葉を使っていませんでした。
 
退役自衛艦を活用=尖閣警備へ緊急対策-自民総裁
 自民党の安倍晋三総裁は29日午前、都内で講演し、尖閣諸島(沖縄県石垣市)の実効支配強化策に関し「今から(海上保安庁の巡視船増強のための)予算をつけても、船ができるのは2年後だから間に合わない。退役した自衛艦を海保に移し、即応予備自衛官を海保に編入させる必要がある」と述べ、衆院選で政権を奪還した場合、緊急に警備態勢を強化する考えを明らかにした。
 安倍氏は、尖閣をめぐる中国の動向に関し「明らかに実効支配を奪いにきている。毎日のように船で(周辺海域に)入ってきて、ここは中国の海だと世界に向けて言っている」と指摘。「中国は『実効支配を確立した』『共同管理しよう』と言うかもしれない。実効支配が半々になってしまったら(米国の対日防衛義務を定めた)日米安全保障条約5条が適用できるかどうかという大きな問題になる」と、強い危機感を示した。
 その上で、安倍氏は「まずは物理力で(中国船による領海侵犯を)阻止しなければならない。われわれが政権を取ったら、海保、防衛省の予算を増やしていく必要がある」と強調した。 (2012/11/29-10:44
 
こちらでは「物理力」となっています。
どちらも同じ安倍総裁の講演を聞いて書かれた記事です。「ぶつりょう」も「ぶつりりょく」も発音が似ていますから、朝日新聞記者と産経新聞記者は「物量」と聞き、時事通信記者は「物理力」と聞いたということでしょう。
 
どちらが正しいかはテープで確認するか、安倍総裁に聞くしかありませんが、私の判断では、安倍総裁は「物理力」と言ったのだと思います。
退役自衛艦を使うということは、「軍事力」ないし「武力」という言葉がふさわしいのですが、海上保安庁の所属になっているので、それを使うわけにはいかないということで、苦しまぎれに「物理力」という言葉を頭の中から引っ張り出したのでしょう(まだ「実力」とか「力」と言ったほうがよかったはずです)
 
朝日新聞記者と産経新聞記者は、『「物理力」という言葉はへんだ。軍事関係だから「物量」に違いない』と瞬間的に判断してしまったのでしょう。
 
まあ、間違ったからといってそれほどの問題にはなりませんが、中には私みたいに、「中国に対して物量で対抗するという安倍総裁の戦略は間違っている」と考える人もいるかもしれません。
 
「物理力」という言葉を使った安倍総裁にも責任の一端はあります。
日本国憲法があるから「戦力」という言葉を使いにくいという問題がありますが、今回のことはそれとは関係ありません。自衛艦と自衛隊員を海上保安庁の看板のもとに使おうという姑息な発想のために、「物理力」というへんな言葉が出てきてしまったのです。
 
国防軍や交戦規定について発言するなど、安倍総裁の頭の中は戦争のことでいっぱいのようです。

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