昔、握り寿司は箸でなく手で食べたほうがおいしいとされ、箸で食べると寿司通にバカにされたものです。しかし今、握り寿司を手で食べる人はめったにいません。手で食べると手が汚れて不愉快だからでしょう。
もともと箸を使うようになったのは、手で食べるよりもそのほうが食べやすかったからに違いありません。西洋でナイフとフォークが発達したのも、手で食べるよりも食べやすかったからであることは明らかです。
つまり箸やナイフとフォークを使うのは、基本的に使う本人にとってそのほうがいいからです(インド人もそのうち手づかみをやめるかもしれません)。
しかし、今では本人にとっていいからではなく、見る人にとっていいことが求められます。つまりテーブルマナーです。
たとえば刺し箸、寄せ箸、迷い箸などはマナーが悪いとされます。しかし、こうした細かいマナーに縛られることでかえって不幸になっている面があるのではないでしょうか。
次は「ヤフー知恵袋」に寄せられた質問です。
家の祖父と祖母はお互いに寄せ箸をします。(器を箸で引き寄せたり、押したりする...
too11583さん
家の祖父と祖母はお互いに寄せ箸をします。(器を箸で引き寄せたり、押したりすること)この事はよくないというのをあるサイトで見るまでは知りませんでした。しかし、判ってからやるのを見ていると非常に情けなく思います。たいした事無いかもしれませんが、皆さんの周りにも同じようなことをする人はいませんか?こんなに気になるのは私だけなんでしょうか?
これに対する回答でベストアンサーに選ばれたのは、「祖父母ともお年のようだから治りようがないでしょう。見て見ぬふりをするしかありません」というものです。
この質問者は、寄せ箸がよくないということをサイトを見て知ったということです。もしそのことを知らなかったら、悩むこともなかったと思われます。
つまり食事のマナーがあるばっかりに(知ったばっかりに)不幸になってしまったという例です。
寄せ箸がいけないのは、もともとはその器をひっくり返してしまう恐れがあるからでしょう。しかし、ひっくり返さない自信があれば、やってもいいはずです。
私は今は刺し箸はしませんが、考えてみると、子どものころはやっていました。里芋など子どもの不器用な手でつかみにくいものは、刺したほうが食べやすいということもあると思います。
見ていて不愉快に思う人がいるからやってはいけないとなると、行動の自由がひとつ失われることになります。
こうしたマナーがどんどんふえていくと、どんどん不自由になっていくことになります。
これを「洗練」とか「上品」といって肯定し、どんどんその方向に進んできたのが文明というものです。
しかし、みんなが同じように上品になるわけではありません。上品な人と下品な人の間に溝が広がることになります。
次は掲示板「発言小町」に寄せられた相談です。
こんな夫と一緒に食事をしなくてもいいでしょうか? くらら 2013年2月15日 9:51
1年以上夫と一緒に食事をしておりません。
私が作って食べ、その後に夫が食べます。
夫は食事マナーが悪く(肘をつく,寄せ等)、私が注意すると「うるさい!」と言うので、
言わないで我慢してきましたが、ある日私がまだ食事中なのにすぐそばで鼻をほじくりました。
そのときから私は夫がいると、食事が喉を通らないようになりました。
育ちが悪くてマナーがなっていないのなら、まだよかったのです。知らないのは仕方がないので。
でも、夫の実家はきちんとした家です。
夫が来ると私は食事をやめて別室に行くので、夫は私が食べているときは台所に入って来なくなりました。
一人で食べるごはんは本当においしいのですが、家族としてこれでいいのかな?とも思います。
本当は以前のように、笑いながら一緒に食事をしたいという気持ちもあります。
もう二度とそんなことはできないのでしょうか?
これもマナーがあるばっかりに不幸になってしまった例です。
もっとも、トピ主のこのあとの書き込みを見ると、夫婦間にはいろいろ問題があったようです。それがテーブルマナーの問題に集約されて出てきた格好です。
この解決策としては、夫がマナーをよくするべきだと考える人が多いのではないでしょうか。しかし、妻がマナーのことを気にしないようにするという解決策もありますし、それが私のお勧めです。
私が「洗練」や「上品」には限度があるはずだと考えるのは、赤ん坊には「洗練」も「上品」もないからです。つまり上品な人間をつくるには、子どもにマナーを教えなければなりませんが、教える作業がおとなにとっても子どもにとっても重荷になるなら、ほどほどにしたほうがいいと思うのです。
今ではむりやり子どもにマナーを教えている家庭が多いのではないでしょうか。そのことがまた不幸を生みます。
箸の持ち方直せ、と友人Aが友人Bに注意、喧嘩になってしまい… せい 2013年1月22日 12:46
私と友人Aと友人Bが外食した時の話です。
私と友人Aは箸の持ち方は普通です。Bは良く見たらちょっと
違うかな、という持ち方をしてます。
というか私はそれに全く気がつきませんでした(汗
友人Aが友人Bに「箸の持ち方がおかしい、
社会人になってそれじゃあ
会社の人とか彼氏の両親とかと食事した時恥だから治したほうがいいよ」
と忠告。
友人Bは「うんそうだね…」とこのときは普通に終わったのですが。
それから三ヶ月。何度か食事しましたが友人Bの箸の持ち方がなおってないらしく。
そのたびにAが口うるさく注意してました、この前とうとうBが切れて
「練習はしてるよ。でも中々なおらないんだ」
「え? すぐなおせるもんだよ。あんた練習してないんじゃないの?」と二人喧嘩になってしまいました。
私が仲裁に入りましたが、二人は喧嘩したままです。
こういう場合、どちらについたらいいのかもわかりません。
AはBのためを思って言ってるのはわかりますし、でもBも練習しているのに(実際矯正箸をかって練習してるのみました)一々煩い。と思う気持ちもわかりますし。
どうしたらいいのでしょう? 箸の持ち方なんて一々気にしてみてなかったんで、
気にする人の心理さえわからず困ってます。
友人に口うるさく言えば、喧嘩になって当然です。なぜ口うるさく言ってしまったのかというと、自分が子どものころ親から口うるさく言われたからではないでしょうか。
そもそも食卓でマナーのことを口うるさく言っていては、食卓が楽しいものになりません。人を不愉快にしないためのものがマナーであるはずなのに、マナーを教えるために食卓が不愉快になっては本末転倒です。
世の中の常識は、マナーを身につけるのはよいことで、子どもにきびしくマナーを教えるのもよいことだというものでしょう。
私の考えはそうした常識とは逆ですから、納得いかない人も多いかと思いますが、人を不愉快にしない、食卓を楽しくするという原点を踏まえれば、私の考えも理解してもらえるのではないでしょうか。
テーブルマナーに関して、私の好きなこんな話があります。
洋食のコースでフィンガーボールが出てきて、知らない人が飲み物だと思ってその水を飲んでしまったとします。こんなとき同じ食卓にいる人はどうするのが正しいマナーかと聞かれたら、あなたはどう答えるでしょうか。
正解は「自分も飲む」です。
自分もいっしょに恥をかけば、その人の気持ちが楽になるからです。
それからこんな話もあります。
中華料理はうるさいテーブルマナーのないのが特徴ですが、料理をこぼすのはさすがにみっともない行為です。真っ白いきれいなテーブルクロスだと、なおさらこぼしにくくなります。ですから、客人を招いた主人は最初にわざと自分が料理をこぼしてテーブルクロスを汚すのだそうです。そうすれば客人はテーブルクロスを汚すことを気にせずリラックスして食事できるようになるというわけです。
テーブルマナーというのは、知識として知っているのはいいことですが、こだわるのは愚かなことです。
私自身は、人のマナーを批判することだけはしないように心がけています。