4月26日深夜の「朝から生テレビ」(「激論!ネット世代が日本を変える?!」)を見ていたら、堀江貴文さんが「安倍さんは戦争をやりたいんですか」と田原総一朗さんに質問していました。田原さんははっきりとは答えなかったと思いますが、ホリエモンの素朴な質問には考えさせられました。
安倍首相はかねてから憲法改正、自衛隊の国防軍化、集団的自衛権行使の容認を主張していますが、閣僚が靖国神社の春季例大祭に参拝したことが中国、韓国から批判されると、「尊い英霊に尊崇の念を表する自由を確保していくことは当然のことだ」「わが閣僚はどんな脅しにも屈しない」と強い調子で国会答弁をしました。ホリエモンの質問はこれらを踏まえたものです。
中国と韓国が日本の閣僚の靖国参拝や歴史認識発言に抗議してくるのはいつものことですが、「わが閣僚はどんな脅しにも屈しない」とは強烈な言葉です。高支持率を背景に強行突破をはかるつもりかと思いましたが、その後、アメリカ政府が非公式に懸念を伝えたということが報道され、とたんにトーンダウンしてしまいました。
靖国参拝だけでなく、「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国の関係でどちらから見るかで違う」と国会で述べたことがアメリカの勘に触ったのでしょう。
もっとも、安倍首相はそれで反省するかと思いきや、4月27日、幕張メッセで開催されたニコニコ超会議2を訪れ、自衛隊ブースに陳列された戦車に軍服を着て乗り込むというパフォーマンスをしました。ホリエモン発言はこのパフォーマンスの前ですが、「安倍さんは戦争をやりたいんですか」と聞きたくなるのももっともです。
もちろんホリエモン発言は、安倍首相個人のことだけではなく、いわゆる改憲勢力全般についての疑問でしょう。
もっとも、改憲反対派についてもいろいろ疑問があります。
たとえば改憲反対派は、安倍首相らは日本を「戦争のできる国」にするつもりだとして批判しますが、この理屈はへんです。日本には自衛隊があり、自衛権もあるという憲法解釈が定着しているので、すでに「戦争のできる国」になっているからです。あえてこの表現を使うなら、安倍首相らは日本を「自衛戦争以外の戦争のできる国」にするつもりだ、とでもいうべきでしょうか。
また、改憲反対派は戦争反対の理由として、戦争がいかに悲惨であるかということをいいます。これはもちろん第二次大戦の記憶に基づいています。しかし、今想定される戦争は、たとえば尖閣諸島周辺での局地的な戦争です。長期の総力戦はまったく想定されませんから、あの戦争のことを持ち出して戦争反対を叫んでも、今の若い人にはまったく説得力がないでしょう。
それはともかく、ホリエモンの疑問に戻りますが、安倍首相自身は戦争がやりたいのでしょうか。
安倍首相の言動を見ると、明らかに戦争の方向に進んでいこうとしています。
しかし、本人に聞くと、間違いなく「戦争はやりたくない。平和を望んでいる」というでしょう。
で、それは嘘ではないと思います。
戦争はやりたくないが、戦争を恐れず、いつでも戦争をやるぞという態度でいたい――安倍首相の心理を表現すると、こういうことになるでしょう。
この心理は男ならわかるのではないでしょうか。喧嘩をやりたいわけではないが、喧嘩を恐れず、いつでも喧嘩してやるぞという態度でいたい――こう思っている男は多いはずです。
というのは、実生活で少しでも弱気なところを見せると、人にあなどられて損をすることが多いからです。
逆にいうと、つねに肩をいからせて喧嘩が強そうな態度をしていると、得をすることが多いということになります。
たとえば、みんなが列をつくって並んでいるところに横から割り込んできた男がいれば、普通は注意します。しかし、その男が怖そうでたくましい男であれば、なかなか注意できません。
こういう利益があるので、たいていの男は、いつでも喧嘩してやるぞという気構えでいるのです。
こういう男たちが政治をやると、当然いつでも戦争をやるぞという構えの国家をつくることになります。
それに加えて、人類の戦争の歴史というものがあります。
戦争考古学によると、人類が戦争をするようになったのは農耕をするようになってからです。農耕社会では、収穫期には半年から一年分の収穫物が貯蔵されますから、命の危険を冒しても戦争によって収穫物を奪おうという者が出てきたわけです。それに対して環濠集落もつくられるようになりました。
戦争に強い集団は戦争に弱い集団を滅ぼすか取り込みます。こうして戦争に強い文化が人類にはびこっていきました。
たとえば戦争に志願すると賞賛され、戦争を忌避すると軽蔑され非難されます。戦死者には名誉が与えられます。靖国神社も戦死者に名誉を与える装置です。
こうした戦争文化がつねに戦争の危険性を高めることになります。
戦争を恐れない姿勢を示す者同士のチキンレースは、戦争を望まなくても戦争の崖を転落してしまうことになるかもしれません。
「安倍さんは戦争をやりたいんですか」と質問したホリエモンは、もちろん戦争をするのはバカバカしいという考えです。「前に朝生に出たとき、尖閣なんか中国にやってもいいじゃないかと言ったら、金美齢さんにメッチャ怒られた」とも言っていました。
ちなみにこのときの朝生は、ネット世代ということで、若いパネラーばかりでした。ネット世代というとネット右翼という言葉があるように右翼的な人が多いのかと思ったら、ぜんぜんそうではなく、私の印象では、基本的にみんな安倍首相の好戦的な姿勢には疑問を持っていたようです。
(そのときのパネラー)
飯田 泰之(明治大学政治経済学部准教授、37)
荻上 チキ(評論家、「シノドス」編集長、31)
乙武 洋匡(作家、東京都教育委員、37)
駒崎 弘樹(NPO法人フローレンス代表理事、33)
慎 泰俊(NPO法人Living in Peace代表理事、31)
津田 大介(ジャーナリスト、メディア・アクティビスト、39)
経沢 香保子(トレンダーズ(株)代表取締役、39)
古市 憲寿(社会学者、東京大学大学院博士課程、28)
堀江 貴文(SNS(株)ファウンダー、40)
堀 潤(市民ニュースサイト「8bit News」主宰、元NHKアナ、35)
TOKYO PANDA(カリスマファッションブロガー、上海在住、29)
尖閣なんか中国にくれてやってもいいというホリエモンの発言は、国益を考えたらむしろ妥当なものです。
というのは、今では戦争をやることそのものが国益に反するからです。
昔は戦争に勝てば戦利品、奴隷、領土、植民地など、大きな利益を手にすることができました。
しかし、今は戦争に勝っても、なんの利益も得られません。せいぜい中国に尖閣は日本領と認めさせることぐらいです。
逆に不利益はきわめて大きいものがあります。
短期の局地戦であっても、戦火が上がった瞬間に株価は大暴落します。そして、中国は日本の最大の貿易相手国ですから、貿易の一時的停止と、そのあとの反日不買運動などによる長期の停滞を考えると、経済的に大損失が発生します。もちろん中国側もほとんど同じです(だからこそ長期の総力戦など考えられないのです)。
それに加えて、自衛隊員と中国軍兵士の人的損害も当然あるはずです。命の尊さを考えれば、これがもっとも大きい問題かもしれません(しかし、他人の命などどうでもいいという考え方もあります。だからこそ人類は戦争をしてきました)。
アメリカはイラク戦争とアフガン戦争に一応勝った形になっていますが、膨大な戦費を使ったのに得たものはほとんどありません。
これが現代の戦争の実態です。
ホリエモンに限らず、まともな感覚を持った人ならわかることです。
ところが、安倍首相など日本の右翼的な人たちはこうした現代の戦争の実態が見えていません。いまだに意識が第二次大戦にとらわれているからでしょう。そのため靖国参拝や「侵略の定義」発言などで国益を損ねています。
もし戦争になったら、もっと国益を損ねることになります。
安倍首相や右翼的な人たちは、第二次大戦へのこだわりを捨て、現代の戦争を直視した政治をしなければなりません。