村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2013年05月

橋下徹大阪市長が5月27日、外国特派員協会で記者会見をしました。「J-CASTニュース」には『同協会としては異例の数の396人が集まり、一部記者からは「上祐(史浩・元オウム真理教広報部長)以来の盛り上がり」との声も出た』と書かれましたが、上祐史浩氏の名前が出たのには妙に納得してしまいました。オウムを弁護するのにやたら弁が立った上祐氏と橋下氏は似ています。「ああ言えば上祐、こう言えば橋下」というところです。
 
(記者会見の概略はこちらのサイトで読めます)
橋下大阪市長、慰安婦問題について会見(BLOGOS編集部)
 
改めて思ったのは、橋下氏は「言葉の魔術師」あるいは「自己弁護の天才」だということです。
橋下氏は結局、「慰安婦制度は必要」発言については訂正せずに押し通しました。これが常人にはなかなかできないことで、「言葉の魔術師」と思ったゆえんです。
 
橋下氏は最初、「慰安婦制度は必要」発言について、「自分が思っているのではなく、当時の人はそう思っていたという意味だ」と弁明しました。
その次に、「『当時』という言葉を外して報道された。これは誤報だ」といいました。
そして今回の記者会見では、「『戦時においては』『世界各国の軍が』女性を必要としていたのではないかと発言したところ、『私が』容認していると誤報されてしまった」といいました。
 
弁明のしかたがくるくると変わり、「慰安婦」を「女性」と言い換えたりもするので、攻撃するほうはどこに的を絞っていいのかわからなくなり、結局橋下氏は逃げ切ってしまったというわけです。
 
河野談話についても、「否定」や「修正」ではなく「明確化」だという言い方をします。詭弁としかいいようがないのですが、詭弁でもなんでも押し通してしまえばいいというやり方です。
 
こういう橋下氏ですから、この記者会見の内容も正体のつかみにくいものになっています。海外のメディアがあまり取り上げなかったというのも、そのためではないでしょうか。そこで、私なりに会見の内容を解きほぐしてみました。
 
橋下氏はなかなかの戦略家です。この記者会見を切り抜けるために周到な作戦を立てました。それは防御に徹するという作戦です。戦線を思い切って縮小し、最終防衛ラインをこれ以上はないというところまで下げました(私は橋下氏の米軍風俗利用発言を真珠湾攻撃にたとえて以来、橋下氏の動向を戦争にたとえてきましたが、今回もその流れになっています)
 
橋下氏はこの会見のために「私の認識と見解」と題する文章を日本語と英語で用意し、冒頭で読み上げました。この文章は、これまでの橋下氏の言い分とはかなり違っています。目につくのは「人権」と「女性の尊厳」という言葉の多さです。私は数えてみましたが、「人権」という言葉は19(「国連人権委員会」と「国連人権高等弁務官」は除く)、「女性の尊厳」という言葉は12回使われていました。
「嘘も百回いえば真実になる」という言葉がありますが、「人権」も19回いえば“にわか人権屋”でも本物の人権派になれるということでしょうか。
 
また、米軍に対して性風俗の利用を勧めた発言に関しては、撤回し、謝罪しました。アメリカの力は強大ですから、口先のごまかしでは通用しないと見なしての謝罪でしょう。このへんの戦略も的確です。
 
そして、慰安婦に対しても謝罪しています。見逃している人が多いかもしれませんが、ここが実は重要なところです。
橋下氏は「私の認識と見解」においてこう述べています。
 
以上の私の理念に照らせば、第二次世界大戦前から大戦中にかけて、日本兵が「慰安婦」を利用したことは、女性の尊厳と人権を蹂躙(じゅうりん)する、決して許されないものであることはいうまでもありません。かつての日本兵が利用した慰安婦には、韓国・朝鮮の方々のみならず、多くの日本人も含まれていました。慰安婦の方々が被った苦痛、そして深く傷つけられた慰安婦の方々のお気持ちは、筆舌につくしがたいものであることを私は認識しております。
 
 日本は過去の過ちを真摯(しんし)に反省し、慰安婦の方々には誠実な謝罪とお詫(わ)びを行うとともに、未来においてこのような悲劇を二度と繰り返さない決意をしなければなりません。
 
日本の右翼で慰安婦問題にこだわっている人たちというのは、要するに慰安婦にも韓国にも謝罪したくない人たちです。謝罪しないためにいろいろな理屈や“事実”を持ち出し、最終的に「軍や官憲が強制連行に関与したという(日本側の)文書などの証拠はない」ということをよりどころにしています。
この人たちは、民間業者がやったことについては謝罪する必要がないと考えています。
しかし、橋下氏の立場は違います。
 
戦場において、世界各国の兵士が女性を性の対象として利用してきたことは厳然たる歴史的事実です。女性の人権を尊重する視点では公娼(こうしょう)、私娼(ししょう)、軍の関与の有無は関係ありません。性の対象として女性を利用する行為そのものが女性の尊厳を蹂躙する行為です。
 
ですから、橋下氏は「強制連行の有無」ということにはこだわりません。記者との質疑応答で、人身売買については国家の関与は明らかでないという意味のことをいいますが、記者に国家には「不作為の罪」があるのではないかと追及されると、あっさりと国家の責任を認めます。
 
今の価値観で考えれば、そうした人身売買を国家がとめなければならないことは間違いありません。そういう意味では、日本はいかなる意味においても責任を回避することはできません。
 
つまり橋下氏は慰安婦問題については、全面的に謝罪しているのです。
 
安倍首相は第一次安倍政権のときにブッシュ大統領に対して「元慰安婦に申し訳ない」ということを述べましたが、これは本心ではないでしょう。安倍首相も賛同者として名を連ねたアメリカの地方紙への意見広告では、「慰安婦として働いていた女性の多くが高級将校よりも高い収入を得ていた」などとして、いっさいの謝罪の言葉はありません。
 
人間は誰でも自分の過ちを認めたくないし、謝罪もしたくありません。
とりわけ右翼は「中国韓国ごときに謝罪してたまるか」という気持ちがあります。ですから安倍首相も、「侵略の定義」を持ち出してまで中国韓国への謝罪を回避しようとするのです。
 
しかし、もともと橋下氏は政治的信条なしに政治家になった人です。一応右翼の立場をとっていますが、右翼が持っているこだわりというのはないのでしょう。ですから、侵略については前から謝罪していますし、慰安婦について謝罪することも平気なのでしょう。
 
また、右翼は「日本軍だけでなく各国の軍隊も同じことをしていた」といいます。
橋下氏も同じく「各国の軍隊も女性に対する人権蹂躙行為をやっていたのではないか」といいました。
しかし、橋下氏の言い分は右翼の言い分とはまったく違います。右翼は謝罪したくないためにいっているのですが、橋下氏は「日本は謝罪するから、各国も過去を直視してほしい」というふうにいっているのです。
つまりすでに謝罪している橋下氏は右翼とはまったく違う立場にいるのです。
 
このように橋下氏は最初から慰安婦に対して謝罪し、国の責任も認めました。
これを「焦土作戦」といいます。みずから町や村を焼き払って退却し、敵になんの戦果もあげさせない作戦です。
そして、最終防衛ラインに「国家の意思」を持ってきました。
 
最初橋下氏は、「国をあげて」慰安婦制度をやっていたという証拠はないという言い方をしていましたが、この会見では「国家の意思」として女性の拉致、人身売買をしたのかはっきりしないので、それを明確化しなければならないといいました。
 
「国家の意思」ってなんじゃ、といいたくなります。人間に意思があるように国家にも意思があるのかと。
国会決議や閣議決定があれば「国家の意思」かもしれませんが、それ以外に「国家の意思」と認定する条件はなんでしょうか。それがはっきりしなければ「国家の意思」があったかなかったかという議論もできません。
というわけで、突然「国家の意思」を持ち出した橋下氏の作戦勝ちとなりました。
 
ともかく、焦土作戦によって橋下氏自身は逃げ切りましたが、気の毒なのは取り残された友軍です。
橋下氏が立てた「強制連行の証拠はない」という旗印のもとに、大坂の陣に馳せ参じた浪人のように多くの右翼が結集していました。橋下氏はあっさりと彼らを見捨てたのです。
いったい彼らは、これからも「強制連行の証拠はない」という主張を続けていけるのでしょうか。
 
また、今回けっこうちゃんとしたプロガーまでもが橋下氏に釣られて、「強制連行の証拠はない」とか「朝日新聞の誤報が始まりだ」とかいっていました。「中国韓国ごときに謝罪してたまるか」という思いの人がいかに多くいるかということでしょう。
こういう人たちは橋下氏のように慰安婦に対して謝罪できるのでしょうか。
 
橋下氏としては、自分さえ生き残れればいいということでしょうが、橋下氏に巻き込まれて痛手をこうむった人がたくさん出てしまいました。罪つくりなことです。
 
 
結局のところ、記者会見を切り抜けるという橋下氏の戦略は成功しましたが、米軍関係以外の発言は訂正しなかったので、私たちの認識において橋下氏は「女性を性的に利用することを肯定する男」と、「『人権』『女性の尊厳』を重視して元慰安婦に謝罪する男」というふたつの顔を持つ男になりました。これがこの会見がわかりにくくなった理由です。
もちろん橋下氏はふたつの顔を持つ男ではありません。かつての上祐史浩氏のようにたくみに言葉をあやつって、「その場その場で自分をいちばんよく見せようとする男」というのが実像です。

元慰安婦である韓国人女性2人と橋下徹大阪市長の面談が5月24日に予定されていましたが、元慰安婦側の意向により直前に中止となりました。
これはある意味当然のことだと思います。橋下市長は弁が立ちますし、それに完全アウェイでの面談は不利です。どうしても話が「軍や官憲による強制連行があったか否か」ということに集中してしまうだろうからです。
 
すでにこのブログで述べてきましたが、「軍や官憲が強制連行に関与したという証拠はない」という主張は問題の本質から外れた議論です。
こと従軍慰安婦問題については、日本での議論はまったく本質から外れ、国際社会の認識からも外れた方向に行ってしまっています。
つまりホームとアウェイで問題のとらえ方が違うのです。
 
もし橋下氏が韓国で記者会見を開いたら、なにをいっても袋叩きになってしまうでしょう。アウェイだから当然です。
 
橋下氏は5月27日に外国特派員協会で記者会見する予定になっています。場所はもちろん日本ですが、外国特派員協会が主催し、外国人記者の書き方によっては海外から批判の矢が飛んでくることを考えると、これはむしろアウェイというべきでしょう。
ですから、橋下氏はアウェイの洗礼をうまく切り抜けられるのか、愚かな発言で国際的に“炎上”してしまうのではないかということが懸念されます。
 
たとえば橋下氏は5月25日のテレビ番組でこのような発言をしています。
 
また、橋下氏は番組で「アメリカだってイギリスだって、現地の民間業者のそういう女性を利用していたのは間違いない。ドイツだってフランスだって慰安所方式をとっていた。第2次世界大戦以後も、朝鮮戦争でも慰安所というものはあった。軍と女性の利用というのは絶対、タブー視しちゃいけない。ここに目を背けてしまったら未来につながらない」と持論を重ねて主張。「だから僕は日本の自衛隊はすごいと思う。日本の自衛隊はこういうこと(女性の人権侵害)の話は出てこない。日本以外は各軍がまだ同じようなことを繰り返している」と続けた。
 
もし橋下氏が外国特派員協会の記者会見で同じようなことをいったら、総反発を買うことは必至です。
そもそも「慰安所」は「comfort station」と訳されますが、当時そんな言葉はありませんから、それだけで不当ないいがかりをつけていると思われます。また、その「慰安所」設置に軍が関与したという証拠がないのなら、やはり不当ないいがかりということになります。
いや、そもそも「日本も悪かったが、外国も同じことをしていた」という主張は、日本でしか相手にされません。
 
 
なぜ慰安婦問題がホームとアウェイで認識がまったく違ってしまっているかというと、日本の右翼が国益のことしか考えていないからです(韓国の右翼も同じようなものでしょうが、この問題では加害者側と被害者側という決定的な違いがあります)
 
もし右翼が国益のことしか考えていないなら、その考えが国際的な理解を得られないのは当たり前のことです。
読売新聞や産経新聞が好きな論理に「国益を追求する愛国者であってこそ国際的な尊敬が得られる」というものがありますが、日本の右翼はそれをまにうけているのでしょうか。もしその論理が正しければ、中国人が世界でいちばん尊敬されているはずです。
 
したがって、日本が慰安婦問題で国際社会になにか発信していこうとすれば、国益ではなく人権の立場からでなければなりません。
世の中に思想はいろいろありますが、人権思想は基本ソフトみたいなものです。人権思想を踏まえた思想は互換性がありますが、人権思想を無視した思想は誰にも理解してもらえません。
 
 
橋下氏はまだ政治家になる前、「僕は大学の途中から司法試験を目指したので、憲法学の講義は受けなかった。だから、人権がわからない」という意味のことをいったことがあります。それを聞いた私は、笑いを取るためのジョークだと思いました。人権のわからない弁護士がいるとは思わなかったからです。
しかし、橋下氏はほんとうに人権がわからないか嫌いだったようです。政治家になってからも人権を軽視する発言を繰り返してきました。
そして、それをもてはやす人々が少なからずいました。
 
もっとも、橋下氏は今年4月、週刊朝日が橋下氏のことを「賞味期限切れ」などと茶化した記事を書いたことに激怒して、以前に週刊朝日が橋下氏の出自についての記事を載せたことを蒸し返して、「僕に対して重大な人権侵害をやった」として週刊朝日と朝日新聞社を提訴しました。
橋下氏が「人権侵害」を口にするとは宗旨替えしたのかと思いましたが、このときは「自分の人権」だけがだいじだったのでしょう。
 
しかし、橋下氏は「慰安婦制度は必要」発言以来、国際的な非難を浴びる中で、今度はちゃんと人権を口にするようになりました。国際社会では人権を踏まえないではなにも発言できないということに気づいたのでしょう。
 
もっとも、付け焼刃の人権意識がどこまで通用するのかわかりませんが。
 
 
日本の右翼が慰安婦問題を正しくとらえられないのは、人権感覚がまったく欠如しているからです。
 
いうまでもなく元慰安婦の人たちはきわめてつらい人生を歩んできた人たちですが、日本の右翼はその証言が自分たちに不都合なので、「金目当て」「売名行為」とののしっています。
どうしてそういうことができるのかというと、女性に対する差別、朝鮮人・韓国人に対する差別、さらには売春婦に対する差別と、差別の普通盛り、大盛り、メガ盛りとなっているからです。
こんなことでは国際社会に対してなにも発言できるわけがありませんし、実際のところ誰もなにも発言していません(過去に櫻井よしこ氏や安倍首相らがアメリカの地方紙に意見広告を出すということがあっただけです)
 
右翼も日本でガラパゴス化したもののひとつです。

橋下徹大阪市長の「慰安婦制度は必要」などの発言について、マスコミの世論調査を見ると否定的な評価が圧倒的ですが、ネットを見ると肯定的な声が少なくありません。ネットをやるとバカになるということでしょうか。
 
もちろん海外では橋下発言はほぼ100%批判されています。橋下発言を擁護する人たちは、これは翻訳が悪いからではないかといいます。つまり「慰安婦」を「sex slave」と訳すからだめなのだと。
確かに「性奴隷は必要」と表現すると、それに賛成する人はまずいないでしょう。
 
「慰安婦」を直訳すると「comfort woman」ということになります。しかし、これでは単に「慰める女性」という意味になって、性の相手をするという意味はありません(私の英語力では断言する自信はありませんが、たぶんそうです)。ですから、河野談話の外務省による英訳でも、「"comfort women"」とカッコつきになっています。
ですから、新聞などで「comfort woman」という言葉を使うと一般読者は理解できないはずで、「慰安婦」を本来の意味がわかるように正しく訳さなければなりません。
そこで、「prostitute(売春婦)ないしは「military prostitute」、「forced woman」、さらには「sex slave」という言葉が使われるというわけです。
 
海外のメディアがどういう訳語を使うかはそのメディア自身が決めることで、誰にも指図する権限はありません。ですから、どうしても「sex slave」という訳語を使ってほしくないなら、その訳語は間違いであるということを説得しなければなりません。
英語力のある日本人が説得力のある英文を書いて、海外のメディアに送るとか海外のしかるべき掲示板などに書き込むとかすればいいわけですが、誰かがそれをしたという話はありません。
いや、英語力のない人でも日本語で説得力のある文章を書いて、英語力のある人に翻訳してもらえばいいわけですが、そういうことが行われたという話もありません。
ということは、誰も「慰安婦」を「sex slave」と訳すのは間違いだということを説得力のある文章にできないということです。
 
橋下発言は間違っていないとか、強制連行はなかったとかいっている人たちは、海外への発信力がまったくなくて、ただ国内でウダウダいっているだけです。
 
 
橋下発言は正しいといったり「sex slave」という訳語は間違いだといったりしている人たちは、要するに「軍や官憲による強制連行を裏づける日本側の証拠はなかった」ということを根拠にしています。しかし、民間業者の甘言、強圧による慰安婦集めは行われていたのですから、こんな主張は無意味です(慰安所設置は軍が主導して行い、民間業者は軍の下請けでした)。それに元慰安婦の証言を無視した主張です。
「民間業者がやったことだから日本政府は謝罪する必要はない」というのは、「秘書がやった」と言い訳する政治家の言い分と同じです。
 
そもそも「強制連行」がなかったとしても、慰安婦が「sex slave」でないということはいえません。
たとえば奴隷商人が黒人を奴隷船に積み込むとき、いつも「強制連行」をしていたかというと、そんなことはありません。
 
奴隷狩りには、三つの方法がある。
第一は拉致、誘拐である。動物を捕らえるように待ち伏せして、通りがかりの先住民をさらってゆく。第二に白人奴隷商人とアフリカ人首長の契約。首長が他部族に戦争を仕掛け、捕虜を大勢捕らえて商人に渡し、代わりに安物の鉄砲やタバコや酒、ガラス玉と交換する。第三は首長が白人と組んで同胞を売り渡す、支那の買弁的行為である。
 
「強制連行」せずに黒人を奴隷船に乗せた場合、その黒人は奴隷でないなどという理屈はありません。
親に売られた女性は「強制連行」せずとも慰安所に連れていくことができます。
 
その女性は慰安所でどんな生活をしたのでしょう。
 
慰安所では、女性たちは多数の将兵に性的な奉仕をさせられ、人間としての尊厳を踏みにじられました。慰安所の営業時間は朝の9時ないし10時から夜おそくまで長時間にわたるものもありました。兵士相手が夕方6時まで、それから下士官相手が7時から9時まで、その他に将校相手と定められているところもありました。
休日は月に1回、例外的に2回で、無休というところもありました。外出も軍の許可が必要でした。
 
「こんなセックス漬けの生活はもういや!」といっても、慰安所を出ていくことはできません。売られたからです。
こういう人を「sex slave」と呼ぶのは、むしろ適切な表現でしょう(すべての慰安婦が売られた女性というわけではありませんが)
 
ですから、誰も「sex slave」という訳語は間違いだということを説得力のある文章にすることができないのです。
 
 
橋下氏も少し冷静になって、そのことに気づいてきたようです。5月21日のツイッターでこのように発言しています。
 
朝日新聞は、最大のチャンスを迎えている。僕の言葉尻を批判するのも良い。どんどん批判してくれ。しかし、政治家の主張を押さえるのが本来のメディアの役割だろう。これまで保守政治家気取りで、国内で威勢の良いことばかり言っていた政治家は今回皆だんまりだ。
 
現在の安倍政権の閣僚の中にもいる。産経新聞や、保守系雑誌で、慰安婦問題についてかっこいいことばかり言っていた国会議員は何も語らず。おそらく、国内でドメスティックに威勢のいいことを言っている分には良いが、それが世界でどう評価されるのか、僕の一件で皆ビビってしまったのだろう。
 
朝日新聞は、保守気取りの政治家の慰安婦問題に関する主張をしっかりと押さえていくべきだ。そうすれば、慰安婦問題は決着する。日韓関係の根底はこの慰安婦問題だ。慰安婦問題では、もう保守気取りで国内向けに威勢の良いことを言う政治家はいなくなるだろう。
 
結局、日本において慰安婦の問題は、国内視点で語られていた。その中で正当化する論も生まれた。しかし国際スタンダードに視点を置き換えると、戦中の慰安婦を許容することができない。これが国際スタンダード。しかし、この国際スタンダードを用いると、他国も過ちを犯したことになる。
 
結局、日本において慰安婦の問題は、国内視点で語られていた。その中で正当化する論も生まれた。しかし国際スタンダードに視点を置き換えると、戦中の慰安婦を絶対に許容することができない。これが国際スタンダード。しかし、この国際スタンダードを用いると、他国も過ちを犯したことになる。
 
国内視点から国際視点へ。日本は過ちを直視し反省しながら、しかし他国の過ちもしっかりと指摘する。日本だけが不当に侮辱された場合にはしっかりと抗議する。これがこれからの慰安婦問題の対応の仕方だと思う。毎日新聞は、僕の今の論理に反論できないものだから、過去の僕の言葉を引いてネチネチ。
 
橋下氏は産経新聞など日本の保守派の慰安婦問題に関する主張がまったく世界に通用しないことに気づいたようです。
しかし、他国も日本と同じ過ちを犯したことについてはまだ主張するつもりでいるようです。
たとえば、「アメリカだってイギリスだってドイツだってフランスだって、もっと言えば第2次世界大戦後のベトナムでは韓国軍だって、みんな戦場の性の問題として女性を利用していたんじゃないんですか」という発言をしています。
橋下氏は5月27日に外国特派員協会で記者会見する予定になっているので、そこでこうした主張をするつもりのようです。
 
しかし、そんな主張は一蹴されるはずです。というのは、「軍や官憲が関与した証拠」を示していないからです。
 
日本の保守派は、日本軍の不都合なことについては「軍や官憲が関与したという文書などの証拠がない」といって否定し、外国軍の行為については、なんの証拠も示さないで「外国の軍も慰安所を設置していた」などと主張してきました。
橋下氏はまだその矛盾には気づいていないようです。
しかし、やがて気づかざるをえないでしょう。
 
橋下氏が無条件降伏を表明する日は近いでしょう。

橋下徹大阪市長の暴走が止まりません。今や“一人バンザイ突撃”状態になっています。あとはいつ玉砕の知らせが届くかです。
 
もしかして優秀な政治家になれたかもしれない人物がなぜこんなに愚かな発言を連発するのでしょうか。私が思うに、テレビ、新聞雑誌、それにインターネットなどのメディアがあまりにも右寄りになり、そこでの言説をまに受けてしまったからでしょう。
たとえば「たかじんのそこまで言って委員会」という番組があります。私は東京にいるのでほとんど見ていないのですが、おそらくその番組で従軍慰安婦問題を何度か取り上げているはずです。元レギュラーである橋下氏はそこでの議論を聞いて、それが世界でも通用すると信じ込んでしまったのでしょう。しかし、日本でも通用しない大阪ローカルでの議論が世界で通用するはずがありません。
 
橋下氏は5月27日に外国特派員協会で記者会見する予定だということです。そこで今までと同じようなことを言うと、まったく話がかみ合わないことになってしまいます。
 
私は前回「従軍慰安婦問題の本質」という記事を書きましたが、ネットなどを見ていると、慰安婦問題の基本的なことを知らない人がほとんどであることに気づきました。そういう人に「本質」を論じても伝わらないかもしれないので、今回はもうちょっと基本的なことについて書きたいと思います。
 
慰安婦問題については意見対立が激しいので、証拠の提示が重要になります。その点、軍関係などの公文書をもっとも集めているのが次のサイトです。
 
デジタル記念館「慰安婦問題と女性基金」ご案内
 
読むのが面倒な人のために概略がわかるように抜粋します。
 
慰安所の開設が、日本軍当局の要請によってはじめておこなわれたのは、中国での戦争の過程でのことです。1931年(昭和6年)満州事変のさいの軍の資料をみると、民間の業者が軍隊の駐屯地に将兵相手の店を開くということが行われましたが、慰安婦という言葉はまだなく、軍隊自体の動きは消極的でした。
 翌年第一次上海事変によって戦火が上海に拡大されると、派遣された海軍陸戦隊の部隊は最初の慰安所を上海に開設させました。慰安所の数は、1937年(昭和12年)の日中戦争開始以後、飛躍的に増加します。
 
 陸軍では慰安所を推進したのは派遣軍参謀副長岡村寧次と言われています。
 その動機は、占領地で頻発した中国人女性に対する日本軍人によるレイプ事件によって、中国人の反日感情がさらに強まることを恐れて、防止策をとらねばならないとしたところにありました。また将兵が性病にかかり、兵力が低下することをも防止しようと考えました。中国人の女性との接触から軍の機密がもれることも恐れられました。
 
 
慰安所は、このような当時の派遣軍司令部の判断によって設置されました。設置に当たっては、多くの場合、軍が業者を選定し、依頼をして、日本本国から女性たちを集めさせたようです。業者が依頼を受けて、日本に女性の募集に赴くにあたって、現地の領事館警察署長は国内関係当局に便宜提供を直接求めています。
 
 
昭和13年の初め、日本の各地に赴いた業者は「上海皇軍慰安所」のために3000人の女性を集めると語り、募集してまわりました。各地の警察は無知な婦女子を誘拐するものではないか、皇軍の名誉を傷つけるものではないかと反発しました。それで内務省警保局長はこの年223日付けで通達を出し、慰安婦となる者は内地ですでに「醜業婦」である者で、かつ21歳以上でなければならず、渡航のため親権者の承諾をとるべしと定めました。34日には陸軍省副官も通牒を出しました。
 
 
朝鮮でも、警察が、日本の内地の警察と同じように、軍の依頼を受けた業者の募集を助けるさいに、警保局の19382月通達に従っていたかどうかは不明です。それでも最初の段階では、朝鮮からもまず「醜業婦」であった者が動員されたと考えるのが自然です。ついで、貧しい家の娘に「慰安婦」となるように説得して、連れていったのでしょう。就職詐欺もこの段階からはじまっていることは、証言などから知られています。業者らが甘言を弄し、あるいは畏怖させるなど、本人の意向に反して集めるケースがあったことも確認されています。さらに、官憲等が直接これに加担するケースも見られました。資料によれば、朝鮮からは、内地では禁じられていた21歳以下の女性が多く連れて行かれたことが知られています。中には167歳の少女も含まれていました。一方で、中国の慰安所には、中国人女性もいました。
 
 
米戦時情報局心理作戦班報告書49号より 『資料集成』5巻、203
「この『役務』の性格は明示されなかったが、病院に傷病兵を見舞い、包帯をまいてやり、一般に兵士たちを幸福にしてやることにかかわる仕事だとうけとられた。これらの業者たちがもちいた勧誘の説明は多くの金銭が手に入り、家族の負債を返済する好機だとか、楽な仕事だし、新しい土地シンガポールで新しい生活の見込みがあるなどであった。このような偽りの説明に基づいて、多くの娘たちが海外の仕事に応募し、数百円の前渡し金を受け取った。」
 
 
慰安所はアジア全域に広がりました。昭和17年(1942年)93日の陸軍省恩賞課長の報告では、「将校以下の慰安施設を次の通り作りたり。北支100ヶ、中支140、南支40、南方100、南海10、樺太10、計400ヶ所」とあります。
 
 
つまり軍が主導して慰安婦制度をつくったのです。
買われた(売られた)女性が悲惨な生活を強いられたのはいうまでもありません。
これが国家による人身売買だとして国際社会から非難されているのです。
 
もしこれが日本人の売春婦を集めただけであればおそらく国際的に非難されることはなかったでしょうが、植民地の若い女性の性を収奪するという最悪の植民地支配だということで、国際的な非難を浴びることになりました。
 
これらのことは公文書などの証拠つきなので反論しようがありません。
それまで慰安所は軍と無関係に民間業者が勝手にやっていたことだと言っていた人たちは沈黙を強いられました――といいたいところですが、彼らはひとつだけ反撃のタネを見つけました。
それは、軍や官憲が家に押し入り、むりやり女性を拉致するという「軍や官憲による強制連行」があったという証拠の文書はないということです。
軍や官憲がやらなくても民間業者がやれば同じことですし、「強制連行」でなくても詐欺や強圧による慰安婦集めも同じようなものです。また、元慰安婦の証言は完全に無視するという一方的な論理ですが、それでも一部の人は鬼の首を取ったようにこの点をついてきます。
これは、アウシュビッツにガス室はなかったと主張する人たちに似ています。アウシュビッツにガス室がなければユダヤ人へのホロコーストもなかったことになるかのような奇妙な論理の持ち主です。
 
ともかく、「軍や官憲が強制連行したという(日本側の)証拠の文書はない」ということを理由に河野談話を見直せと主張する人たちがいて、橋下氏も明らかにそれに影響されています。
しかし、もし外国特派員教会の記者会見で「軍や官憲が強制連行したという(日本側の)証拠の文書はない」などと述べれば、外国人記者たちは「それがどうした」という反応をするだけでしょう。彼らは慰安婦問題を、植民地に対する性的な収奪、植民地の女性の人身売買ととらえているからです。
 
 
また、日本では慰安婦問題を「戦場と性」という角度からとらえている人が多くいます。
戦場ではレイプがつきもので、レイプをへらすために慰安婦は必要だったのだという論理です。
 
しかし、日露戦争を考えてみればわかるように、戦場ではいつもレイプがあるわけではありません。
また、国民党軍、共産党軍のように、防衛戦争を戦っている側にもまずレイプはありません。自国で戦っているのですから当たり前です。
侵略する側にしても、ナチスドイツはフランス、ベルギー、オランダなどではきわめて“紳士的”な占領のしかたをしました。そのためすぐに親ドイツのかいらい政権を樹立して容易に統治できました。
しかし、ソ連に侵攻したときは、スターリン体制にうんざりしていたソ連人は最初ドイツ軍を歓迎する動きすら見せたのですが、ドイツ軍は民族的な差別のせいか、虐殺、略奪、レイプを行い、そのためソ連人はスターリンのもとに団結して徹底抗戦することになりました。ソ連軍はドイツに侵攻したとき、今度は自分たちがレイプしまくりましたが、ドイツ人は自分たちが先にやったことなので、非難するわけにもいきません。
 
とにかく、戦場にレイプがつきものだというのは、多分に日中戦争における日本軍を正当化する論理であって、必ずしも国際的な共通理解ではありません。
 
慰安婦問題を「戦場と性」の問題ととらえているのは日本人だけで、世界は「植民地の性的収奪」あるいは「国家による人身売買」ととらえています。橋下氏が「戦場と性」について論じても、外国人記者は「なにを言ってるんだ」ということになると思われます。
 
また、橋下氏はツイッターで「アメリカの日本占領期では日本人女性を活用したのではなかったのか。自国の事を棚に上げて、日本だけを批判するアメリカはアンフェアだ」と発言しましたが、日本軍とアメリカ軍を対等に比較することはアメリカ人にとって言語道断だということになるでしょう。
パリ解放のときに歓声とキスで迎えられたアメリカ軍と、南京攻略のときに民間人を虐殺した日本軍を比較することなどアメリカ人にとってはまったく考えられないことです。それに、日本はジュネーブ条約の捕虜の待遇に関する条約には加盟していないので、その意味でも対等ではありません。
 
ともかく、日本の右翼は世界でまったく通用しない議論をしてきて、メディアも偏っていました。橋下氏はメディアが生んだ政治家で、メディアの中で成長してきましたが、そのためにピエロになってしまいました。

橋下徹大阪市長は「慰安婦制度は必要」発言以来、失言の上塗りを繰り返して、自爆の規模を拡大しています。
とはいえ、ネットでは橋下氏の発言について「なにが問題なの?」みたいな声が多いのも事実です。
ネット右翼がその典型ですが、バカが集団になるとバカさが増幅してしまいます。
橋下氏もそこを狙って、問題のすり替えをはかっています。
そこで、橋下氏の発言のなにが問題なのかをはっきりさせておきましょう。
 
橋下氏は「慰安婦制度は必要」という自分の発言について、こんな釈明をしています。
 
 日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は15日、旧日本軍の従軍慰安婦を必要だったとした自らの発言について「(慰安婦を)容認はしていない。あってはならないこと。『当時はみんなそう思っていた』と伝えただけだ」と釈明した。
 
しかし、問題の発端となった発言は、正確にはこのようなものでした。
 
認めるところは認めて、やっぱり違うところは違う。世界の当時の状況はどうだったのかという、近現代史をもうちょっと勉強して、慰安婦っていうことをバーンと聞くとね、とんでもない悪いことをやっていたとおもうかもしれないけど、当時の歴史をちょっと調べてみたらね、日本国軍だけじゃなくて、いろんな軍で慰安婦制度ってのを活用してたわけなんです。
 
 そりゃそうですよ、あれだけ銃弾の雨嵐のごとく飛び交う中で、命かけてそこを走っていくときに、そりゃ精神的に高ぶっている集団、やっぱりどこかで休息じゃないけども、そういうことをさせてあげようと思ったら、慰安婦制度ってのは必要だということは誰だってわかるわけです。
 
「慰安婦制度ってのは必要だということは誰だってわかるわけです」と言っています。「『当時はみんなそう思っていた』と伝えただけだ」というのとは明らかに違います。
もし橋本氏が「当時はみんなそう思っていた」ということを伝えたかったのなら、最初の発言は間違いだったとして取り消すべきです。
 
念のためにいうと、軍隊には慰安婦制度が必要であるという主張が間違いであることは明らかです。アメリカ軍はアフガン戦争やイラク戦争において慰安婦を帯同していたわけではありませんし、日本軍にしても日露戦争のときには慰安婦制度などつくっていませんでした。
軍隊に慰安婦が必要だという発言は、女性を侮辱しているだけでなく、世界中の軍隊を侮辱していることになります。
 
橋下氏の「慰安婦制度は必要」発言は、登庁時におけるぶら下がり取材で村山談話について質問されたことで出てきたものですから、準備されたものでなく、その場で考えながらしゃべったものに違いありません。
「当時はみんなそう思っていた」ということを言おうという気持ちもあったものの、その場の勢いでより強い主張をしてしまったのでしょう。
「誰だってわかるわけです」というのは、子どもが「みんなやってるよ」とか「みんな言ってるよ」というのと同じで、自分の主張を通したいためのごまかしの表現です。
 
そして、一度主張してしまったために、その主張の顔を立てなければならなくなります。今の時代に慰安婦制度が必要だとはいえませんから、風俗業が必要だという話になります。
 
今はそれは認められないでしょう。でも、慰安婦制度じゃなくても風俗業ってものは必要だと思いますよ。それは。だから、僕は沖縄の海兵隊、普天間に行った時に司令官の方に、もっと風俗業活用して欲しいって言ったんですよ。そしたら司令官はもう凍り付いたように苦笑いになってしまって、「米軍ではオフリミッツだ」と「禁止」っていう風に言っているっていうんですけどね、そんな建前みたいなこというからおかしくなるんですよと。
 
橋下氏は「昔は慰安婦制度が必要」「今は風俗業が必要」と一貫した主張をしたわけです。
 
ただ、そのために米軍を引き合いに出してしまいました。今まで従軍慰安婦問題は日本と韓国や中国の間の問題でしたが、橋下氏の発言は真珠湾攻撃みたいなもので、今度はアメリカを巻き込んでの戦いになりました。
で、アメリカとの戦いに勝ち目はありませんから、橋下氏はアメリカに関する発言については火消しに努めています(これを書いたあと、橋下氏はツイッターで「戦場の性の問題として、多くの女性の人権を蹂躙したのは、日本だけではない。世界各国、そしてアメリカも同じだ」などと発言しました。今度はミッドウェー作戦に出たようです)。
 
しかし、橋下氏は歴史認識については安倍首相とほとんど同じと思われています。橋下氏の発言で、アメリカの安倍首相に対する視線はよりきびしいものになるでしょう。
 
 
というわけで、橋下氏の「慰安婦制度は必要」発言はお粗末そのものですが、橋下氏は巧妙に問題のすり替えをはかっています。
つまり、慰安婦問題について「強制連行の証拠はない」「他国も同じようなことをやっていたのに日本だけが非難されるのはおかしい」ということを強調しています。
これは前から安倍首相や産経新聞やその他の右翼が主張してきたことでもあり、これについてはネットでも一定の支持を得ています。
 
しかし、これは国際社会ではまったく相手にされない主張です。これを主張すればするほど国益を損ねます。
なぜ国際社会から相手にされないのでしょうか。
 
従軍慰安婦問題については、実は事実関係についての意見対立はほとんどありません。昔は「慰安所は民間業者が勝手にやっていたことで軍とは無関係だ」という主張がありましたが、今そんなことを主張する人はいません。
 
今、事実として共通認識があるのはこのようなことです。
 
1、軍は慰安所の設置・運営に関与していた。
2、慰安婦を集めることは主に民間業者が行った。
3、民間業者はときに甘言や強圧によって慰安婦を集めた。
4、軍や官憲が直接「強制連行」したり民間業者に「強制連行」させたりしたという日本側の文書などの証拠はない。
 
問題は、民間業者が慰安婦を集めるのに「強制連行」があったかどうかということと、軍や官憲が「強制連行」に関与したか否かということです。
 
民間業者の問題は後回しにして、軍や官憲の関与について述べます。
 
軍や官憲が関与していたかどうかということを右翼はひじょうに重視します。そして、「軍や官憲が関与したという(日本側の)証拠がないのに謝罪するのはおかしい。河野談話は撤回するべきだ」と主張します。産経新聞などもそうです。
しかし、軍や官憲が関与しなかったとしても、民間業者が「強制連行」をしていれば、日本として謝罪するのは当然です。「それは民間業者がやったことだ」などという言い訳は国際社会では通用しません(日本でも通用しないはずですが、日本人にはよほど「官尊民卑」の考えがしみついているのでしょうか)
 
では、民間業者は「強制連行」をしたのでしょうか。
これについては「狭義の強制」と「広義の強制」といった議論もあって、ややこしそうです。
しかし、実際は簡単なことです。
 
「日本軍は植民地の女性を慰安婦にした」
 
これがすべてです。日本の一部の人がどんな言い訳をしても無意味です。国際社会は宗主国と植民地の関係が軍と慰安婦の関係だと見なします。日本軍は慰安婦に対していつでも強制力を行使できる立場にありました(実際に強制力を行使したかどうか、「強制連行」があったかどうかは大した問題ではありません)
ですから、朝鮮人の慰安婦は、一般的な意味の売春婦とは見なされず、日本軍の「性奴隷」と見なされるのです。
 
今、慰安婦問題を議論している人たちの中には、植民地支配の問題が頭からすっぽりと抜け落ちている人たちがいます。そういう人たちは「外国の軍隊でも慰安所を設置していた例があるのに日本だけ非難されるのはおかしい」と主張して、その主張が国際社会からまったく相手にされないことが理解できません。
 
欧米列強は植民地支配によってさまざまな収奪と人権蹂躙を行いましたが、日本はそれに加えて植民地の女性を慰安婦にすることも行いました。だから、それについては日本だけが非難されるのです。「日本だけが非難されるのはおかしい」と主張する人は、まったくバカとしか言いようがありません。
 
日本は、「朝鮮を植民地にするだけではなく、朝鮮の女性を慰安婦にした」ということで国際社会の顰蹙を買い、日本の歴史に汚点をつくってしまいました。
 
河野談話でそのことを謝罪して終わらせようとしたのに、それをぶち壊す人たちがいて、なかなか終わりません。
 
橋下氏は国内の一部の人たちに受けることを考えるのではなく、慰安婦問題についての認識を深め、国際的に慰安婦問題を終わらせるようにしなければなりません。

政府は30代前半までの妊娠・出産が好ましいことなどを周知させるために「女性手帳」の導入を目指しているということです。自民党の改憲草案もそうですが、なにごとにつけ安倍政権は「上から目線」であるようです。
 
女性手帳配り妊娠出産啓発へ 政府「生き方介入でない」
 【見市紀世子】少子化対策を検討する内閣府の有識者会議「少子化危機突破タスクフォース」は7日、妊娠・出産の正しい知識を女性に広めるための「生命(いのち)と女性の手帳」(仮称)の導入を提案することで一致した。内閣府などの関係省庁は今夏にも検討会議をつくって手帳の中身を詰め、来年度中に自治体を通して配り始める方針だ。
 
 少子化は晩産化が一因といわれるが、一般的に30代後半になると女性は妊娠しにくくなり、妊娠中毒症などのリスクも高まる。こうした情報を十分知らずに妊娠の機会を逃す人もいる。そこでタスクフォースは、手帳を使って啓発を進めることで一致した。
 
 妊娠した女性に市町村が配る「母子健康手帳」を参考にする。妊娠・出産に関する医学的な知識や自治体の支援情報を盛り込むほか、予防接種など本人の健康にかかわる記録も書き込めるようにする。
 
 配る時期は、中学1年生で子宮頸(けい)がんワクチンの予防接種を受ける時のほか、高校・大学入学や成人式、就職の時など複数回を想定。年齢に応じて内容を変える方向だ。また男性向けにも同様の啓発を進めるため、やり方を検討する。
 
 今回の議論に対しては、ネット上などで「妊娠や出産の選択に国が口を出すことになるのでは」といった心配の声も出ている。これに対し、内閣府は「個人の生き方に介入する形にならないようにしなければならない。正しい情報がある中で、それぞれが選択できる環境を整えたい」と説明する。
 
 
妊娠した女性に「母子手帳」があるのだから、妊娠前の女性にも同じような手帳を配ろうという発想のようですが、“よけいなお世話”感がぬぐえません。
それに、女性だけに配ろうというのもおかしな話です。30代前半までに妊娠・出産することを奨励したいのなら、男性の協力が不可欠です。
ということで反対の声が多いのも当然でしょう。
 
とはいえ、「女性手帳」を交付するという新しいアイデアは、こちらの想像力を喚起してくれます。たとえば、「男性手帳」もあっていいはずです。「男性手帳」をつくるとすれば、どんな内容にするのがいいか考えてみましょう。
 
「男性手帳」には、とりあえず女性の妊娠・出産に対する理解を深めることが書かれますが、男性にはもっと切実な問題があります。
たとえば自殺率の高さです。男性の自殺はもともと女性よりも多いのですが、山一證券などが倒産した1997年以降に男性だけ自殺者数が急増し、女性の2倍以上になって、そのまま高止まりしています。
 
「自殺にみる男女格差」
 
つまり男性の自殺理由には「経済・勤務問題」がひじょうに大きいのです。
ということは、自殺防止にはなにが有効かということもわかります。
男性に対して「命のたいせつさ」と「人生にはお金よりもたいせつなものがある」ということを教えればいいのです。
「男性手帳」にはまずこのことを大書するべきです。
 
それから問題なのは、男性は女性よりも圧倒的に犯罪をする比率が高いことです。一般刑法犯でいうと、10人中8人は男性です。
 
「一般刑法犯の男女別・罪名別検挙人員」
 
男性のほうが女性よりも平均寿命が短いといったことは、たぶんどうにもならないことと思われますが、犯罪率のほうはどうにでもなるはずです。
犯罪をすると、被害者を不幸にするだけではなく、犯罪をした者はもちろんその家族までも不幸にしてしまいます。そのことを周知させることがたいせつです。
また、「法律・ルールを守ること」はもちろん、「人の物を盗んではいけない」「人を殺してはいけない」「人に迷惑をかけてはいけない」といった基本のことも「男性手帳」には書いておきたいものです。
 
そうすると、なんだ、「男性手帳」というのは道徳教本か、ということになるでしょう。
そこで思い出されるのが「心のノート」です。「心のノート」は文部科学省が小中生向けに配布していた道徳の副教材で、民主党政権の事業仕分けによって一時なくなりましたが、このたび安倍政権によって復活することになりました。
ですから、「男性手帳」というのは成人男性向け「心のノート」ということになります。
小中生に配布しているのですから、成人男性に配布して問題のあるはずがありません。
いかにも安倍政権らしいということになるでしょう。
 
むしろ逆に、「心のノート」は成人男性にこそ必要なもので、小中生にはあまり意味がありません。
小中生に必要なのは「体のノート」です。
 
少子化・晩婚化が進むのは、「草食系」という言葉に代表されるように、異性に対する関心や性に対する欲望が減退しているからではないかと思われます。
その理由としては、自民党など保守派が学校で過激な性教育が行われているとして性教育を攻撃し、そのため現場が萎縮してしまって性教育がほとんど行われなくなったことが挙げられます。また、成人雑誌などの販売規制が強化され、インターネットもフィルタリングで遮断されるため、子どもが性的情報に接することがほとんどなくなってしまいました。これでは性的に成熟しないのは当然です。
 
ですから、小中生向けの「体のノート」で、異性の体の仕組みを教え、また性行為の実際についても教えることが必要です。
こうすれば少子化・晩婚化を防ぐことができるでしょう。
「女性手帳」を交付するよりもよほど効果的と思われます。
 
「女性手帳」については、国が個人の生き方に介入することになるのではないかという批判があります。
もし「男性手帳」をつくれば、当然同じ批判が起きるでしょう。
では、小中生向けの「心のノート」についてはどうでしょうか。
当然同じ批判が起こるべきです。
こう考えれば、安倍政権が進めている道徳教育の強化がなぜだめかということがわかるでしょう。
女性であれ男性であれ子どもであれ、国が個人の生き方に介入してはいけないのです。
 
ところで、「体のノート」は性についての事実を教えるものですから、生き方への介入ではないので、ぜんぜん問題はありません。
「男性手帳」は冗談ですが、「体のノート」は冗談ではありません。

「マリア・ブラウンの結婚」(1979年、西ドイツ製作)という映画は、戦後の混乱期をたくましく生きた一人の女性を描いた作品ですが、最後に主人公が死に、そこにラジオのニュースが西ドイツの再軍備決定を告げる中でエンドロールが流れます。主人公の人生の終わりと、西ドイツの戦後の終わりが重なるこのラストシーンが秀逸です。
この映画を観る限り、西ドイツの人にとっても再軍備決定は時代の大きな変化として受け止められていたようです。
 
西ドイツの再軍備は1955年のことです。当時の様子を「ドイツニュースダイジェスト」という雑誌のサイトから引用します。
 
551112日、デオドール・ブランク国防相は志願兵101人に連邦軍への辞令を手渡した。連邦議会ではアデナウアー首相が、「無策によって、祖国と西欧がボルシェビキの支配下に置かれることがあってはならない」と力説。5677日には、16時間に及んだ討議の末、兵役義務法が連邦議会を通過し、18歳から45歳までの全男子国民が12カ月の兵役義務を負うことになった。この法を免れるのは西ベルリン居住者だけ。東ドイツに囲まれた西ベルリンの住民は、すでに敵と対峙する“最前線”にいるとみなされたからだ。
 
各地で再軍備反対の声が上がったことは言うまでもない。敗戦からわずか10年。市民のデモ行進に「Ohne mich / Ohne uns(私はごめんだ!)」のプラカードが揺れた。
 
日本ではこのような明確な形の「再軍備」というのはありません。1950年、警察予備隊が創設され、1952年に保安隊に改編され、1954年に自衛隊となりました。
警察予備隊は戦車(当時の呼称は「特車」)まで備えていましたから、警察予備隊創設が実質的再軍備だとすると、西ドイツより5年も早いことになります(自衛隊発足が再軍備だとしても西ドイツより1年早い)
 
警察予備隊創設はまだ占領下のことです。朝鮮戦争のために日本駐留の米軍が朝鮮に出動し、手薄になった分を補うためにマッカーサー元帥が吉田茂首相に要請しました。吉田茂首相はかりにその要請を拒否したかったとしても、拒否する権限はありません。
その意味では、日本国憲法が押しつけであったのと同じに再軍備も押しつけです。
 
それを押しつけと感じるかどうかは、各人の価値観によって違います。農地解放や財閥解体を押しつけと感じる人はまずいません。
憲法を押しつけと感じる人は再軍備を歓迎しますし、憲法を歓迎する人は再軍備のほうを押しつけと感じます。
 
中立的な観点から、占領下の日本は憲法と再軍備の両方を押しつけられたというのが正確な表現でしょう。
憲法は戦力の保持を禁止していますから、いわば違憲状態を押しつけられたわけです(アメリカは冷戦のために占領政策を途中で変えた)
 
サンフランシスコ講和条約が発効して日本が主権を回復してからは、日本はみずからその違憲状態を解消できるはずですが、実際は半占領状態ですから、そういうわけにはいきません。そのため違憲状態が今日まで続いてしまったのです。
 
この違憲状態をごまかすためにいろいろな言葉が工夫されました。戦車を特車と言い換えたことはすでに触れましたが、歩兵のことを普通科、砲兵のことを特科と言ったりするので、知らないとなんのことかわかりません。
支援戦闘機という言葉もありました。次期支援戦闘機にどの機種を選ぶかということが連日のように新聞を賑わせていたことがありましたが、そのとき私は支援戦闘機の意味がわかりませんでした。
あとでわかったのですが、支援戦闘機というのは戦闘爆撃機のことです。「爆撃」という言葉は攻撃的でよくないので、地上支援もできる戦闘機ということで「支援戦闘機」という言葉を勝手に造語したのです。
 
「戦力なき軍隊」という言葉もありましたが、あらゆるやり方で違憲状態をごまかしてきたのです。
 
本当なら最高裁が自衛隊違憲判決を出してケリをつけるべきだったのですが、最高裁は結局、違憲判決を出すことを回避しました(長沼ナイキ訴訟)
もちろん最高裁は合憲判決を出すわけにもいきません。憲法9条を読めば、どう考えても自衛隊は違憲だからです。
 
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 
たとえば中学生が初めてこの条文を読むと、「自衛隊は戦力じゃないの?」という素朴な疑問がわくに決まっています。
 
もっとも、この条文を読んでも自衛隊は合憲だと主張する人がいっぱいいるわけです。
たとえば自民党の石破茂幹事長は、民主党政権のときの田中直紀防衛大臣に対して、自衛隊合憲の根拠について質問し、まともに答えられなかった田中大臣に恥をかかせましたが、そのとき石破幹事長が自衛隊合憲論の根拠としたのが「芦田修正」です。
憲法草案を審議する衆院の委員会の芦田均委員長が「前項の目的を達するため」という文言を挿入したということで、これを「芦田修正」といいます。
しかし、「前項の目的を達するため」という文言が入っているから戦力が持てるなどという解釈などあるわけがありません。
 
この解釈は簡単です。宗教上の目的のために戦力を保持しない国があるかもしれないし、軍事費を惜しむ目的のために戦力を保持しない国があるかもしれないが、わが国は戦争を放棄するという目的のために戦力を保持しないのだと、戦力を保持しない目的を限定しているのです。
ですから、この文言によって日本は(単に軍事費をケチる国などではなく)平和主義ゆえに軍備を持たない国であることを明確にしたことになります(芦田均氏の意図はわかりませんし、なければよりすっきりしますが)
 
とにかく「芦田修正」があるから自衛隊は合憲だなどというのはトンデモ説のたぐいです。
 
石破幹事長は今でも「芦田修正」があるから自衛隊は合憲だと思っているのでしょうか。もしそうなら、九条を改正する理由はなんでしょうか。
 
これまで違憲状態をごまかし続けてきたのをなんとかするのはいいことです。
ただ、ごまかしの上塗りをするのではよけい悪くなってしまいます。
これまでのごまかしの歴史を、最高裁の判断も含めてすべて明らかにして、そこから改憲論を始めるべきです。

これから憲法改正問題が政治の焦点になるようですが、私は現状では憲法改正は不可能だと思います。
 
私は自民党の「日本国憲法改正草案」と産経新聞の「国民の憲法」要綱に一通り目を通しましたが、こんなものが国民の賛成を得るとは思えません。今のところ国民は改憲案の内容までは詳しく知らないでしょうが、今後マスコミの報道がふえると、反対の人がふえていくと思います。
 
道徳の基本的な性質として、批判や攻撃をするほうが有利で、賞賛や防御をするほうが不利になります。改憲派は今まで日本国憲法を批判していればよかったのですが、これからは自分たちの改憲案が批判されることになり、防御しなければならないので、今までより不利になります。
 
それに、憲法前文まで改めるということは根本的な理念の変更ということになりますが、今はそういうことにコンセンサスが得られる状況ではありません。
 
たとえば改憲派は「日本国民は(中略)、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というくだりがとりわけ嫌いなようです。
確かに世界には平和を愛する国ばかりではなく、戦争を好んでいるのではないかという国もあります。たとえば北朝鮮がそうですし、アメリカもそうです。
しかし、北朝鮮にしてもアメリカにしても、政府レベルと国民レベルは違います。国民の多数は、おそらくは平和を愛しているのではないでしょうか。とすると、「平和を愛する諸国民」という表現は間違っていないことになります。
また、「諸国民の公正と信義に信頼して」というのが間違いだとするなら(助詞の「に」は「を」であるべきだと思いますが)、自国民の公正と信義は信頼できるのかという問題が生じます。
「自国民は信頼できるが他国民は信頼できない」というのが右翼脳の発想かもしれませんが、そんな自国中心主義の発想で書かれた憲法は世界に発信できません。外国人に読まれると国の恥になります。
 
ですから、自民党案も産経案も、今の国際社会はこのようになっているという認識が書かれていません。共通認識がないので、書きようがないということでしょう。しかし、国際社会の認識なしに「国のかたち」を論じることはできないはずです。
 
ところで、日本維新の会はまだ改憲案を発表していませんが、「綱領」には一応国際社会についての認識が書かれています。
 
日本維新の会綱領
平成25年3月30日
 
 日本は今、国際的な大競争時代の中で、多くの分野で停滞あるいは弱体化し、国民は多くの不安を抱えている。この大競争時代の中で、国民の安全、生活の豊かさ、伝統的価値や文化などの国益を守り、かつ世界に伍していくためには、より効率的で自律分散した統治機構を確立することが急務である。なぜなら、20世紀には長所とされた中央集権、官僚主導、護送船団型の国家運営が、脱工業化と情報化が急速に進む今や成長の大きな妨げとなっているからである。
 
 日本維新の会は、都市と地域、そして個人が自立できる社会システムを確立し、現下の窮状から脱却することにより21世紀を拓き、世界において常に重要な役割を担い続ける日本を実現する。
(後略)
 
つまり世界は今、大競争時代だというのです。
確かにそうかもしれません。しかし、資源と環境の制約があり、途上国がいずれ先進国並みの豊かさを実現するとなると、いつまでもこうした競争を続けていていいのかという疑問が生じます。
日本維新の会は大競争時代に適応することしか考えていないようですが、今は競争時代からの転換を考えている人も多いのではないでしょうか。
少なくとも競争適応だけでは未来に希望が持てない気がします。
 
ともかく、性善説と性悪説があるのと同じで、国際社会は力と力がぶつかり合う弱肉強食の世界であるのか、互いに信頼して協調していくことができるのか、ふたつの考え方があり、中間的な考えの人も多いので、ひとつの考え方に過半数の賛成が得られるということはないでしょう。
ですから、憲法の根本的な変更はできないと思います。
 
もっとも、自民党案や産経案をつくった人たちも、自分たちの案を丸ごと通そうとは思っていないのでしょうが、こういう案を発表したことで馬脚を現し、改憲の足を引っ張ってしまった格好です。
 
 
そもそもは憲法9条を改正したいというのが改憲派の主眼であるはずです。だったら、そこに集中したほうが成功の可能性が高いと思われます。
 
ところが、今はどうやら憲法96条を先に変更しようという流れになっています。
つまり改憲の発議の条件を、国会議員の三分の二以上から過半数に変更して、発議しやすくする狙いです。
しかし、この改憲自体は誰が考えてもよいこととはいえません。「バカでも発議できる」憲法にしようということですから。
当然、多くの国民も反対であるようです。
憲法記念日に合わせた朝日新聞の世論調査によると、憲法96条の変更について、賛成38%、反対54%でした。
同じく毎日新聞の世論調査によると、賛成42%、反対46%でした。
 
必然性も必要性もない改憲に賛成が得られないのは当然です。改憲派は最初から憲法9条改正にチャレンジするべきでしょう。
 
ところが、改憲派というのはこぞって今まで自衛隊合憲論を唱え、また日本国憲法は自衛権を否定していないという説を唱えてきた人たちなのです(自衛隊違憲論を唱えてきたのはかなり左翼的な人たちだけです)
となると、憲法9条を改正する必要はないことになります。
 
改憲派が憲法9条改正を主張するなら、自分たちが今まで主張してきた自衛隊合憲論は間違いだったと表明するべきでしょう。
「今の憲法下では自衛隊の存在は違憲だ。だからどうしても憲法9条を改正しなければならない」
こう主張すれば、それなりに国民の心を動かすことができるかもしれません。
 
しかし、こう主張した結果、憲法9条の改正に失敗すれば、自衛隊は違憲なのだから解体しなければならないというリスクを負うことになります。
長年ごまかし続けてきたことを解消しようというのですから、これくらいのリスクは覚悟しないといけません。

産経新聞が4月26日、「国民の憲法」要綱なるものを発表しました。まったく興味はありませんでしたが、私は「『自民党改憲草案前文』という駄文」という記事で自民党改憲草案の前文を取り上げて批評したので、その流れで「国民の憲法」要綱の前文についても取り上げてみたいと思います。
 
「国民の憲法」要綱というのは、たとえば天皇を元首と定め、国防軍の保持をうたい、「国民は、国を守り、社会公共に奉仕する義務を負う」とか「家族は、互いに扶助し、健全な家庭を築くよう努めなければならない」と規定したりして議論を呼んでいますが、ここでは前文だけを取り上げることにします。
 
産経新聞80周年「国民の憲法」要綱 前文
 
日本国は先人から受け継いだ悠久の歴史をもち、天皇を国のもといとする立憲国家である。
 
 日本国民は建国以来、天皇を国民統合のよりどころとし、専断を排して衆議を重んじ、尊厳ある近代国家を形成した。山紫水明の美しい国土と自然に恵まれ、海洋国家として独自の日本文明を築いた。よもの海をはらからと願い、和をもって貴しとする精神と、国難に赴く雄々しさをはぐくんできた。
 
 日本国民は多様な価値観を認め、進取の気性と異文化との協和によって固有の伝統文化を生み出してきた。先の大戦による荒廃から復興し、幾多の自然災害をしなやかな精神で超克した。国際社会の中に枢要な地位を占め、国際規範を尊重し、協調して重要な役割を果たす覚悟を有する。
 
 日本国は自由主義、民主主義に立脚して、基本的人権を尊重し、議会制民主主義のうえに国民の福祉を増進し、活力ある公正な社会を実現する。国家の目標として独立自存の道義国家を目指す。人種平等を重んじ、民族の共存共栄をはかり、国際社会の安全と繁栄に積極的に貢献する。
 
 われら日本国民は、恒久平和を希求しつつ、国の主権、独立、名誉を守ることを決意する。これら崇高な理想と誇りをもって、ここに憲法を制定する。
 
自民党改憲草案の前文は箸にも棒にもかからない駄文でしたが、こちらはそれなりの格調を備えています。右寄りの人は満足する内容になっているのではないでしょうか。
 
(自民党改憲草案の前文及び日本国憲法の前文は「『自民党改憲草案前文』という駄文」という記事の中に張ってあります)
 
しかし、これは右翼思想の根本的な欠陥なのですが、日本のいいことばっかり書いて、悪いことが書いてありません。
 
たとえば「和をもって貴しとする精神」といいますが、日本には戦国時代もあり、朝廷と幕府の対立もあったわけですし、士農工商の身分制や部落差別などもありました。
また、「先の大戦による荒廃から復興し」とありますが、なぜ国が荒廃するような戦争をやったのかという反省がありません。右翼は近隣国への迷惑を否定するのかもしれませんが、少なくとも日本国民自身がたいへんな目にあったわけですから、それについての反省があっていいはずです。
 
そういう悪い面を直視して反省してこそ、今後進むべき方向が見えてくるわけですが、この前文を読む限りそういう方向は見えてきません。
 
また、日本がそういう素晴らしい国なら、国際社会にも日本ならではの貢献ができるはずですが、「国際社会の安全と繁栄に積極的に貢献する」というありきたりの表現があるだけです。
 
それに、前の憲法は占領軍の「押しつけ」であったから改訂したわけですが、そうした改訂の理由が書いてありません。
 
結局のところ、この前文は「先の大戦」を総括していないので、前向きのことが出てこないのです。
現在、日本は中国や韓国とギクシャクしていますが、この憲法では問題解決に役立つどころか悪化させてしまいそうです。
 
 
ところで、この前文には「幾多の自然災害をしなやかな精神で超克した」という表現があります。
普通、自然災害については、「乗り越えた」とか「克服した」とか書くもので、「超克した」とは書きません。
「超克」という言葉は「近代の超克」を連想させます。
 
「近代の超克」というのは、日米開戦直後の1942年、文芸誌「文学界」が主催して知識人13名が参加した2日間にわたるシンポジウムの名前です。アメリカとの戦争を理論づけるために西洋近代を思想的に批判したもので、右翼思想においてはきわめて重要なものといえるでしょう。
この前文の起草者の誰かがそのことを踏まえてひそかに「超克」という言葉を滑り込ませたのかもしれません。
 
日本の右翼の欠点は、ごく少数の人を除いて、対米従属で、アメリカ批判ができないことです。
本来なら近代史における日本の誇りは、アジア人として英米の植民地主義と戦ったことにあるのですが、日本の右翼はほとんどそのことを言いません。逆に、もっぱら日本の植民地主義を批判する中国や韓国に反論しています。
中国や韓国に対する植民地主義を反省し、アメリカと対等の関係を目指してこそ「国の主権、独立、名誉を守る」ことができるはずです。
 
結局のところ、アメリカになにも言えないので、この前文は国際社会にアピールするものがなにもありません。
日本は素晴らしい国だというだけですから、外国人に読んでもらっても、なんの感想も持たれないでしょう。
 
自分は素晴らしい人間だと主張すると、利己的な人間だと思われて、周りの人から顰蹙を買います。しかし、日本は素晴らしい国だと主張すると、日本国内ではけっこう賛同が得られるので、その主張はどんどんエスカレートしていきます。
これがナショナリズムや愛国心というものです。つまり国家規模の利己主義です。
 
日本国憲法前文はそれを戒めています。
 
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」
 
産経新聞の「国民の憲法」要綱は、日本国憲法の手の平の上にあるようです。

安倍首相はなかなかやります。表情を見るとお腹の調子もいいようです。私は彼を見くびっていました。反省します。
しかし、歴史認識は相変わらずお粗末です。安っぽい右翼雑誌で読んだことを鵜呑みにしているからでしょうか。
 
安倍首相は国会答弁で「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と述べました。「言葉の定義」を持ち出すのは、「証拠がない」と並んで、真実を認めたくないときの常套手段です。
 
これについては朝日新聞の読者投稿欄「声」(4月30日朝刊)にこんな意見が載っていました。
 
安倍首相は侵略解釈を改めよ 無職 三浦永光(埼玉県志木市 74)
 
 安倍晋三首相は22日、先の日本のアジア諸国に対する侵略と植民地支配の責任を認めた村山談話を「そのまま継承しているわけではない」と述べ、また23日、「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国の関係でどちらから見るかで違う」と語った。
 
 しかしこれは事実に反する。国連総会は1974年に「侵略の定義に関する決議」を採択しており、「侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全もしくは政治的独立に対する……武力の行使であって……」など、8条にわたって規定している。これは諸国間で「侵略した」「いや、侵略していない」の争いが生ずるのを防ぐために、統一的な定義を定めたものだ。
 
 また、日本は51年のサンフランシスコ講和条約でアジア太平洋戦争での日本の侵略を裁いた極東国際軍事裁判の判決を受け入れることを明言した。安倍首相の発言はこれらの事実を無視するものだ。中国・韓国が、安倍首相が日本の侵略を否認した発言として反発したのも無理はない。安倍首相は日頃、各国が「国際社会のルール」や「国際法」にのっとって行動すべきことを内外に語っている以上、今回の発言を訂正すべきではないだろうか。
 
国連の「侵略の定義に関する決議」については簡単に検索できます。
 
「侵略の定義に関する決議」
 
また、この決議があるのだから安倍首相の言っていることは間違っていると指摘するブログもいくつもあります。
しかし、マスメディアはこのことを指摘していないのではないでしょうか。おかしな話です。
 
 
安倍首相はまた、こんなふうにも語りました。
「韓国では、靖国について抗議をし始めたのは、いったい、いつなんですか。盧武鉉(ノ・ムヒョン)時代が顕著になったわけでございまして。金大中(キム・デジュン)時代にも、少しありました。それ以前には、ほとんどないんですから。中国においても、そうです。いわゆるA級戦犯が合祀された時も、彼らは、その時の総理の参拝について、抗議はしていなかった。ある日突然、抗議をし始めたわけであります」
 
しかし、これについては韓国の「中央日報」がすぐさま反論する内容の記事を書きました。
 
しかし安倍首相の主張は事実に反する。日本首相の靖国参拝は、初めて公式参拝を宣言した1985年8月15日の中曽根康弘首相から01年の小泉純一郎首相までの16年間、96年の橋本龍太郎首相の1回を除いて一度もなかった。それも自分の誕生日(7月29日)に私的に参拝した。副総理と外相がこの期間に参拝した例も2回にすぎない。
 
  韓国政府も85年の中曽根首相の靖国参拝を、当時の李源京(イ・ウォンギョン)外交部長官が正式に問題に取り上げた。96年の橋本首相の参拝当時は、外務部が公式的に遺憾論評まで出した。
 韓国政府のある当局者は「行かない時は(問題提起)せず、行くから問題提起したが、『以前は抗議せず最近になって抗議を始めた』というのは話にならない」と述べた。
 
安倍首相はなぜ事実を確かめもしないで国会で答弁したのでしょうか。
私の記憶でも、中国や韓国が「ある日突然、抗議をし始めた」などということはありません。すべては中曽根康弘首相の靖国神社公式参拝から始まったのです。
 
それ以前にも三木武夫首相が「私人として」参拝したり、福田赳夫首相が「私人として」と断りながら公用車を使って「内閣総理大臣」と記帳して参拝したりして、多少は問題になっていましたが、その後、靖国神社がA級戦犯14人を合祀し、自民党が1980年の参院選の公約に「公式参拝」「国家護持」を掲げたことで政治の争点となり、1985年8月15日、中曽根康弘首相が「公式参拝」を公言して玉串料を公費から支出して参拝したことで大問題になりました。
(「靖国神社をめぐる出来事についての年表」を参照しました)
 
つまり、そもそもは自民党の仕掛けで日本で問題になったので、それを見て中国、韓国も問題にするようになったのです。
 
中には「日本のマスコミが騒ぐので、中国、韓国が抗議するのだ」ということを言う人もいますが、「首相が公式参拝をしたために、日本のマスコミが騒ぐので、中国、韓国が抗議するのだ」というのが正しい表現です。
 
安倍首相の間違った認識について、韓国の「中央日報」はすぐにそれを指摘しましたが、日本のマスコミは、私の知る範囲ですが、指摘していないように見えます。
 
「選択」5月号に『安倍とメディアの醜悪な「蜜月」』と題する記事があり、今既存メディアは、安倍内閣が驚異的な支持率を維持していることと、「安倍批判」をしてアベノミクス効果で上昇に転じた景気を悪化させたら「戦犯」と批判されかねないという不安があるために「安倍批判」がしにくくなっていると書かれていました。
 
むりに「安倍批判」をすることはありませんが、安倍首相が間違ったことを言ったら、それを指摘するのは当然です。そして、安倍首相も間違った発言を訂正するべきです。そうでないと、国民は間違ったことを正しいと思い込んでしまいます。

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