橋下徹大阪市長が5月27日、外国特派員協会で記者会見をしました。「J-CASTニュース」には『同協会としては異例の数の396人が集まり、一部記者からは「上祐(史浩・元オウム真理教広報部長)以来の盛り上がり」との声も出た』と書かれましたが、上祐史浩氏の名前が出たのには妙に納得してしまいました。オウムを弁護するのにやたら弁が立った上祐氏と橋下氏は似ています。「ああ言えば上祐、こう言えば橋下」というところです。
(記者会見の概略はこちらのサイトで読めます)
橋下大阪市長、慰安婦問題について会見(BLOGOS編集部)
改めて思ったのは、橋下氏は「言葉の魔術師」あるいは「自己弁護の天才」だということです。
橋下氏は結局、「慰安婦制度は必要」発言については訂正せずに押し通しました。これが常人にはなかなかできないことで、「言葉の魔術師」と思ったゆえんです。
橋下氏は最初、「慰安婦制度は必要」発言について、「自分が思っているのではなく、当時の人はそう思っていたという意味だ」と弁明しました。
その次に、「『当時』という言葉を外して報道された。これは誤報だ」といいました。
そして今回の記者会見では、「『戦時においては』『世界各国の軍が』女性を必要としていたのではないかと発言したところ、『私が』容認していると誤報されてしまった」といいました。
弁明のしかたがくるくると変わり、「慰安婦」を「女性」と言い換えたりもするので、攻撃するほうはどこに的を絞っていいのかわからなくなり、結局橋下氏は逃げ切ってしまったというわけです。
河野談話についても、「否定」や「修正」ではなく「明確化」だという言い方をします。詭弁としかいいようがないのですが、詭弁でもなんでも押し通してしまえばいいというやり方です。
こういう橋下氏ですから、この記者会見の内容も正体のつかみにくいものになっています。海外のメディアがあまり取り上げなかったというのも、そのためではないでしょうか。そこで、私なりに会見の内容を解きほぐしてみました。
橋下氏はなかなかの戦略家です。この記者会見を切り抜けるために周到な作戦を立てました。それは防御に徹するという作戦です。戦線を思い切って縮小し、最終防衛ラインをこれ以上はないというところまで下げました(私は橋下氏の米軍風俗利用発言を真珠湾攻撃にたとえて以来、橋下氏の動向を戦争にたとえてきましたが、今回もその流れになっています)。
橋下氏はこの会見のために「私の認識と見解」と題する文章を日本語と英語で用意し、冒頭で読み上げました。この文章は、これまでの橋下氏の言い分とはかなり違っています。目につくのは「人権」と「女性の尊厳」という言葉の多さです。私は数えてみましたが、「人権」という言葉は19回(「国連人権委員会」と「国連人権高等弁務官」は除く)、「女性の尊厳」という言葉は12回使われていました。
「嘘も百回いえば真実になる」という言葉がありますが、「人権」も19回いえば“にわか人権屋”でも本物の人権派になれるということでしょうか。
また、米軍に対して性風俗の利用を勧めた発言に関しては、撤回し、謝罪しました。アメリカの力は強大ですから、口先のごまかしでは通用しないと見なしての謝罪でしょう。このへんの戦略も的確です。
そして、慰安婦に対しても謝罪しています。見逃している人が多いかもしれませんが、ここが実は重要なところです。
橋下氏は「私の認識と見解」においてこう述べています。
以上の私の理念に照らせば、第二次世界大戦前から大戦中にかけて、日本兵が「慰安婦」を利用したことは、女性の尊厳と人権を蹂躙(じゅうりん)する、決して許されないものであることはいうまでもありません。かつての日本兵が利用した慰安婦には、韓国・朝鮮の方々のみならず、多くの日本人も含まれていました。慰安婦の方々が被った苦痛、そして深く傷つけられた慰安婦の方々のお気持ちは、筆舌につくしがたいものであることを私は認識しております。
日本は過去の過ちを真摯(しんし)に反省し、慰安婦の方々には誠実な謝罪とお詫(わ)びを行うとともに、未来においてこのような悲劇を二度と繰り返さない決意をしなければなりません。
日本の右翼で慰安婦問題にこだわっている人たちというのは、要するに慰安婦にも韓国にも謝罪したくない人たちです。謝罪しないためにいろいろな理屈や“事実”を持ち出し、最終的に「軍や官憲が強制連行に関与したという(日本側の)文書などの証拠はない」ということをよりどころにしています。
この人たちは、民間業者がやったことについては謝罪する必要がないと考えています。
しかし、橋下氏の立場は違います。
戦場において、世界各国の兵士が女性を性の対象として利用してきたことは厳然たる歴史的事実です。女性の人権を尊重する視点では公娼(こうしょう)、私娼(ししょう)、軍の関与の有無は関係ありません。性の対象として女性を利用する行為そのものが女性の尊厳を蹂躙する行為です。
ですから、橋下氏は「強制連行の有無」ということにはこだわりません。記者との質疑応答で、人身売買については国家の関与は明らかでないという意味のことをいいますが、記者に国家には「不作為の罪」があるのではないかと追及されると、あっさりと国家の責任を認めます。
今の価値観で考えれば、そうした人身売買を国家がとめなければならないことは間違いありません。そういう意味では、日本はいかなる意味においても責任を回避することはできません。
つまり橋下氏は慰安婦問題については、全面的に謝罪しているのです。
安倍首相は第一次安倍政権のときにブッシュ大統領に対して「元慰安婦に申し訳ない」ということを述べましたが、これは本心ではないでしょう。安倍首相も賛同者として名を連ねたアメリカの地方紙への意見広告では、「慰安婦として働いていた女性の多くが高級将校よりも高い収入を得ていた」などとして、いっさいの謝罪の言葉はありません。
人間は誰でも自分の過ちを認めたくないし、謝罪もしたくありません。
とりわけ右翼は「中国韓国ごときに謝罪してたまるか」という気持ちがあります。ですから安倍首相も、「侵略の定義」を持ち出してまで中国韓国への謝罪を回避しようとするのです。
しかし、もともと橋下氏は政治的信条なしに政治家になった人です。一応右翼の立場をとっていますが、右翼が持っているこだわりというのはないのでしょう。ですから、侵略については前から謝罪していますし、慰安婦について謝罪することも平気なのでしょう。
また、右翼は「日本軍だけでなく各国の軍隊も同じことをしていた」といいます。
橋下氏も同じく「各国の軍隊も女性に対する人権蹂躙行為をやっていたのではないか」といいました。
しかし、橋下氏の言い分は右翼の言い分とはまったく違います。右翼は謝罪したくないためにいっているのですが、橋下氏は「日本は謝罪するから、各国も過去を直視してほしい」というふうにいっているのです。
つまりすでに謝罪している橋下氏は右翼とはまったく違う立場にいるのです。
このように橋下氏は最初から慰安婦に対して謝罪し、国の責任も認めました。
これを「焦土作戦」といいます。みずから町や村を焼き払って退却し、敵になんの戦果もあげさせない作戦です。
そして、最終防衛ラインに「国家の意思」を持ってきました。
最初橋下氏は、「国をあげて」慰安婦制度をやっていたという証拠はないという言い方をしていましたが、この会見では「国家の意思」として女性の拉致、人身売買をしたのかはっきりしないので、それを明確化しなければならないといいました。
「国家の意思」ってなんじゃ、といいたくなります。人間に意思があるように国家にも意思があるのかと。
国会決議や閣議決定があれば「国家の意思」かもしれませんが、それ以外に「国家の意思」と認定する条件はなんでしょうか。それがはっきりしなければ「国家の意思」があったかなかったかという議論もできません。
というわけで、突然「国家の意思」を持ち出した橋下氏の作戦勝ちとなりました。
ともかく、焦土作戦によって橋下氏自身は逃げ切りましたが、気の毒なのは取り残された友軍です。
橋下氏が立てた「強制連行の証拠はない」という旗印のもとに、大坂の陣に馳せ参じた浪人のように多くの右翼が結集していました。橋下氏はあっさりと彼らを見捨てたのです。
いったい彼らは、これからも「強制連行の証拠はない」という主張を続けていけるのでしょうか。
また、今回けっこうちゃんとしたプロガーまでもが橋下氏に釣られて、「強制連行の証拠はない」とか「朝日新聞の誤報が始まりだ」とかいっていました。「中国韓国ごときに謝罪してたまるか」という思いの人がいかに多くいるかということでしょう。
こういう人たちは橋下氏のように慰安婦に対して謝罪できるのでしょうか。
橋下氏としては、自分さえ生き残れればいいということでしょうが、橋下氏に巻き込まれて痛手をこうむった人がたくさん出てしまいました。罪つくりなことです。
結局のところ、記者会見を切り抜けるという橋下氏の戦略は成功しましたが、米軍関係以外の発言は訂正しなかったので、私たちの認識において橋下氏は「女性を性的に利用することを肯定する男」と、「『人権』『女性の尊厳』を重視して元慰安婦に謝罪する男」というふたつの顔を持つ男になりました。これがこの会見がわかりにくくなった理由です。
もちろん橋下氏はふたつの顔を持つ男ではありません。かつての上祐史浩氏のようにたくみに言葉をあやつって、「その場その場で自分をいちばんよく見せようとする男」というのが実像です。