村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2014年04月

オバマ大統領の訪日と日米首脳会談についての報道を見ていると、どれもこれも煮え切らないものばかりです。
世の中が変わっているから古いモノサシで評価しようとしてもうまくいかず、かといってまだ新しいモノサシがないという状況だからでしょう。
 
古い考え方でいくと、今回のオバマ大統領を国賓として招いての日米首脳会談は大失敗です。TPP交渉がまとまっていなかったので、オバマ大統領はそのことが気になって、日米友好ムードを盛り上げるどころではなかったからです。
 
共同記者会見のとき、安倍首相は「バラク」とファーストネームを使いましたが、オバマ大統領は「シンゾー」と返すことはありませんでした。結局、会見の後半では安倍首相も「オバマ大統領」という言い方に変えました。
つまり「バラク・シンゾー」という個人的な信頼関係を築くことに完全に失敗したわけです。ひじょうにみっともない光景でした。もし民主党政権の誰かの首相のときに同じことがあれば、マスコミは大騒ぎして攻撃するか嘲笑したでしょう。
 
また、アメリカ側が今回の訪日をどう評価しているかということもマスコミはあまり報道しません。
 
オバマ大統領は「尖閣諸島は日米安保条約の適用対象」「集団的自衛権の検討を歓迎し支持する」と言明し、拉致被害者家族とも面会するなど、安倍政権の要望に応えました。そもそも国賓としての訪日というのも安倍政権の強い要望であったわけです。
ところが、オバマ大統領がいちばん望んでいたTPPの合意はできませんでした。
日本からしたら、「やらずボッタクリ」です。アメリカからしたら、せっかく国賓として行ったのに、お土産なしの手ぶらで帰されたようなものです。
当然、アメリカは安倍政権に対して怒っているか不快に思っているでしょう。そして、そういうとき、今まで日本のマスコミはアメリカの意を汲んで、日本の政権のほうを攻撃してきました。「アメリカは怒っている」ということが錦の御旗になっていたのです。
 
しかし、今回は違います。
これは単にマスコミが安倍政権に対して甘いということだけではないと思います。
 
ひとつには、安倍政権は国民の支持率でも議会の勢力でも強固な政権基盤を持っているのに、オバマ政権は支持率でも議会の勢力でも脆弱で、この両者の力関係が影響しています。
 
それからもうひとつは、日本国民の中にナショナリズムが高まっていて、安倍政権はそれをバックにしているということがあります。
これも力関係を変えます。
 
というのは、ナショナリズムというのは国家規模の利己主義で、利己主義というのはひじょうに強力だからです。
鳩山政権は普天間基地移設問題でアメリカと対立しましたが、そのときの根拠は「友愛」であり「沖縄のため」でした。つまり利他主義に立っていたわけです(沖縄は日本ですから利他主義というのもちょっとへんですが)
利他主義というのは弱いものです。
 
麻生財務相は日米首脳会談のあと、TPPが大筋合意にいたらなかったことについて、「オバマが国内でまとめきれる力は今ないだろう」と発言しました。
これは常識的にはひじょうに失礼な発言ですが、それほど問題にはなりませんでした。
なぜ問題にならなかったかというと、麻生財務相は別に反米思想や反オバマ思想から発言したわけではなく、単にTPP合意にいたらなかったのは安倍政権のせいではなくオバマ政権のせいだという、つまり自己正当化の発言だったからです。
 
衛藤晟一首相補佐官は、昨年12月に安倍首相が靖国参拝したことにアメリカ政府が「失望」表明をしたことに対して、「むしろわれわれのほうが失望だ」と発言しました。この発言は取り消されましたが、江藤補佐官は辞任することもなく、アメリカからの反応もありません。
この発言も、なにかの思想からではなく、「英霊のため」でもなく、ただ単に安倍首相の行動がアメリカから批判されたので反射的に自己防衛しようとしたものです。
 
アメリカからすると、こういう利己心からの発言はひじょうに厄介です。批判したり抗議したりすると、火に油を注いでしまうことがあるからです。
 
日本人は戦後、こうした国家規模の利己主義であるナショナリズムをずっと抑制してきましたが、おそらくは北朝鮮による拉致問題がきっかけで、北朝鮮批判という形で最初の復活を果たしました。そして、それが中国批判、韓国批判という形で拡大してきて、とうとうアメリカ批判にまでいたったというわけです。
 
国際社会がナショナリズムがぶつかり合う場だとすれば、日本もようやくそこに仲間入りしたことになります。
 
今回の日米首脳会談が「やらずボッタクリ」だったとしても、ナショナリズムの観点からは日本はよくやったということになります。
ですから、今回の会談を批判する声はあまりありません。
 
これまで日本がアメリカに守ってもらうには、日本はひたすらアメリカに忠勤に励んで、アメリカにその気になってもらわなければなりませんでした。
しかし今では、「日本を守らなければアメリカは国際社会で信用を失うぞ」と日本がアメリカを脅すところにまできています。
 それだけナショナリズムというのは強力です。
 
こうした変化をとらえていないと、今回の日米首脳会議をうまく評価することはできません。
 
しかし、ナショナリズムが所詮は国家規模の利己主義であることを思えば、ナショナリズムの高揚の行き着く先がろくでもない世界であることはわかりきっています。

4月23日、オバマ大統領が国賓として来日し、24日には安倍首相との首脳会談を行ないました。
TPP交渉がまとまらないため、日米共同声明が発表されたのは翌日の25日にずれ込むという異例の事態でした。
 
普通、こうした面倒な交渉は前もって終わらせておき、首脳会談はセレモニーとして盛り上げるものですし、場合によっては首脳会談で決着させるということもありますが、首脳会談が終わっても決着しないというのはよくわかりません。安倍首相とオバマ大統領より、甘利担当大臣とフロマン通商代表のほうが決定力があるというのはおかしな話です(おそらく安倍首相とオバマ大統領は突っ込んだ話し合いができる関係にはないのでしょう)
 
オバマ大統領が「尖閣諸島は日米安保の適用範囲」と言明したことが日本にとっての成果だとされます。
もっとも、オバマ大統領が言っているのは、「尖閣諸島は日本の施政権下の領域」だからということで、尖閣諸島を日本の領土と認めたわけではありません。
同盟国ですら日本の領土と認めてくれないのでは、日本の領有権に関する主張にはぜんぜん説得力がないということです。
安倍首相は日本の子どもに領土教育をするよりも、オバマ大統領に領土教育をするべきです。
 
また、安倍首相は「日本の集団的自衛権にオバマ大統領が歓迎、支持した」と語りました。これも安倍政権にとっては成果なのでしょう。
 
結局、経済よりも軍事に関することで一致した会談だったという格好になりました。これは安倍首相の姿勢のゆえでしょう。オバマ大統領は共同記者会見で中国に配慮した発言をいろいろしています。
 
そもそも安倍首相の軍事や戦争についての考え方が古すぎて、時代に合わなくなっていますし、国益にも反します。
 
たとえば、オバマ大統領の来日に合わせて都内は厳戒態勢になっていました。警視庁は1万6000人を投入して24時間体制で検問を実施したということです。
日本にはいろいろな国の首脳が訪れますが、アメリカ大統領が訪れたときの警戒体制は特別です。このコストだけでもバカになりません。
 
アメリカ大統領が来日したときに厳戒態勢を敷かないといけないのは、アメリカ大統領はもっともテロリストに狙われる存在だからです。
日本がアメリカと軍事的に一体化していくと、日本もテロリストに狙われやすくなります。
 
昔、日本人は野球のナイターを見ながらビールを飲んで、しみじみと「日本は平和だなあ」と思う喜びがありましたが、小泉政権下で自衛隊がイラクのサマワに派遣されたときから、この喜びはなくなってしまいました。日本はテロリストから攻撃対象として名指しされ、またサマワの自衛隊員が危険にさらされていたからです。
 
アメリカが世界一テロリストに狙われる国になったのは、アメリカ自身の親イスラエル・反イスラムの政策が原因です。
安倍首相は「日本と米国は自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値を共有し、そして戦略的利益を共有するグローバルなパートナーであります」と語りましたが、親イスラエル・反イスラムという価値観まで共有しているということはないはずです。
 
たまたま首脳会談のあった24日、NHKの「クローズアップ現代」で「復活するアルカイダ~テロへ向かう世界の若者たち~」というのが放送されました。イラク西部とシリア北部の一帯をアルカイダ系の組織が支配し、欧米各国の若者を勧誘して中東で戦闘員にしているということで、これらの欧米の若者が帰国してテロをするのではないかという危機感が強まっているという内容です。
 
「テロとの戦い」は非対称的な戦いですから、そこに参入するということは、自衛隊とか国防軍だけで終わらず、一般国民がテロの脅威にさらされるということです。安倍首相はそういうことがわかっているのか疑問です。
 
また、こんな気になるニュースもありました。
 
オバマ氏、ハイテク体感 科学未来館でロボット見学
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来日中のオバマ大統領は24日午後、ケネディ駐日大使らと東京都江東区の日本科学未来館を訪れた。
 
 館内で二足歩行ロボット「ASIMO(アシモ)」が自己紹介してお辞儀をすると、大統領もお辞儀を返して笑いを誘った。また、ASIMOが蹴ったボールを足で受け止め、「よくできた。すばらしい」とねぎらった。原発事故のような人が近づけない現場で作業をできるロボットも見学し、開発者から用途や今後の課題の説明を受けた。
 
 経済産業省はこの日、日米ロボット国際会議を開いた。米国防総省の国防高等研究計画局(DARPA)が主催する災害対策ロボットコンテストに日本政府も積極的に協力する方針を表明。コンテストに挑戦する企業を国内で広く公募し、資金も補助すると公表した。
 
 経産省と米国防総省は昨年7月、災害復旧ロボットの共同研究に合意。来年開かれる予定のDARPAのコンテストに日本が参画することを決めた。しかし、軍事費を背景にしたコンテストだけに、参加を打診された日本の大手メーカーの拒否感は強く、企業選びが難航していた。
 
 このため、経産省は公募で選ばれた挑戦者に補助金を出すことにし、参加を促した。(杉崎慎弥、大鹿靖明)
 
アメリカは戦争用のロボットをいっぱいつくっていますが、日本はあくまで平和目的のロボットしかつくらないというのが暗黙の国民的合意ですし、日本人の誇りでもありました。わざわざ経産省が補助金まで出して日本人の誇りをなくそうとしていたとはびっくりです。
もし安倍政権がずっと続けば、ASIMOが銃を手にする日がくるかもしれません。

ACジャパンがテレビで「イイトコメガネ」というCMをやっています。
 
ACジャパンといえば、大震災後のCMラッシュでうんざりさせられたことを思い出します。
「ポポポポ~~ン」という言葉が印象的な「あいさつの魔法」というCMは、音楽とアニメが楽しく、説教くささがないので比較的ましなほうでしたが、それでも「あいさつするたびともだちふえるね」は明らかな誇大広告だから、JAROに通報したいと当時書いた覚えがあります。
 
「イイトコメガネ」は着眼点がよく、まさにいいとこに目をつけたなあと思いましたが、やはり根本的なところで間違っています。
 
 
ぼくももってるイイトコメガネ
人のいいところが見えるのだ
イイトコメガネ
ゆう君のあいさつは元気いっぱいだ
イイトコメガネ
のりちゃんは一人でいる子によく声をかけている
しんちゃんはおもしろいことをいってみんなを笑顔にしている
イイトコメガネ
ちかちゃんはなんでも一生懸命だ
みんないいとこいっぱい
イイトコメガネはみんなの心の中にあるよ!
パパのいいところは……
ACジャパン
 
「イイトコメガネ」という発想はとてもたいせつです。
世の中には「いい人」と「悪い人」がいるとされていますが、実は私たちが「イイトコメガネ」と「ワルイトコメガネ」で見ているからだということもいえます。
「悪い人」をなくそうとするより、みんなで「ワルイトコメガネ」をなくそうとしたほうがうまくいくかもしれません。
 
しかし、このCMは根本的なところで間違っています。
それは子どもに訴えかけているところです。
 
おとなは偏見の動物ですが、子どもはまだ偏見がありません。つまりまだほとんど「ワルイトコメガネ」はかけていないはずなのです。
 
しかも、周りの子どもにも悪い子はほとんどいないはずです。
「よい赤ん坊」と「悪い赤ん坊」がいないのと同じで、小さいうちは「よい子」も「悪い子」もいないのです。
 
しかし、人間はさまざまな経験を積むうちに「悪い人間」になり、「ワルイトコメガネ」をかけるようになります。
 
子どもを対象に「先生に望むこと」というアンケートをすると、たいてい「えこひいきしないでほしい」と「体罰をしないでほしい」という回答が1位、2位になります。
えこひいきする先生とは、「ワルイトコメガネ」をかけた先生です。
 
親が「ワルイトコメガネ」をかけていると、子どもがたいへんです。
子どもを見て、乱暴だ、わがままだ、素直でない、親のいうことを聞かない、嘘をつくなどといって年中叱ります。
 
ですから、このCMはおとなを対象にしてつくるべきなのです。
親や教師に対して、「イイトコメガネ」で子どもを見ようと呼びかけるものなら、価値あるものになったし、より多くの人の共感を得るものになったでしょう。
 
 
ACジャパンは、「おとなに甘く、子どもにきびしい」という傾向があるようです。
大震災直後のCMで、「心は誰にも見えないけれど、心づかいは見える」というのがありました。
 
 
 
これも高校生に訴えかけるCMになっています。
しかし、電車の中で妊婦さんに席を譲るのは、高校生に限らず、20代、30代、40代、50代と、元気な人なら誰でもいいわけです。
このCMを見ると、ACジャパンは妊婦や老人を助けるよりも、高校生に義務感を植えつけることのほうを重視しているのかと思ってしまいます。
 
 
子どもがパパを「イイトコメガネ」で見たら、「いいパパ」なら問題はありませんが、「悪いパパ」たとえば子どもを虐待するパパだったら、事態をさらに悪化させてしまいます。
 
「イイトコメガネ」のたいせつさを訴えるのは、あくまで子どもではなくおとなに対してでなければいけません。

女性教師が勤務先の高校の入学式を欠席して自分の息子の高校の入学式に出席したことが議論を呼んでいます。
教え子の入学式に出れば息子の入学式に出られず、息子の入学式に出れば教え子の入学式に出られない――「ジレンマ」という言葉の用例に使いたいような事態です。
 
もとになったのはこの記事です。
 
担任、息子の入学式へ…高校教諭勤務先を欠席、教育長が異例の注意
  県西部の県立高校で50代の女性教諭が長男が通う別の高校の入学式に出席するため、担任を務める1年生の入学式(8日)を欠席していたことが分かった。新入生の保護者らは「今の教員は教え子より息子の入学式が大切なのか」と困惑している。
 
 県教育局によると、県内の県立高校では、ほかに男女3人の担任教諭が子息の入学式出席を理由に休暇届を提出し、勤務先の入学式を欠席した。
 
 関根郁夫県教育長は11日に開いた県立高校の校長会で「担任がいないことに気付いた新入生や保護者から心配、不安の声が上がった」と、この事実を報告した上で「生徒が安心して高校生活をスタートできる体制づくりと心配りに努めてほしい」と異例の“注意”を促した。
 
 関係者によると、入学式の担任紹介の中で校長が女性教諭の欠席理由を説明。女性教諭は「入学式という大切な日に担任として皆さんに会うことができないことをおわびします」という文章を事前に作成し、当日、別の教諭が生徒らに配ったという。
 
 来賓として入学式に出席した江野幸一県議(刷新の会)は「担任の自覚、教師の倫理観が欠如している。欠席理由を聞いた新入生たちの気持ちを考えないのか。校長の管理責任も問われる」と憤慨。
 
 県教育局は「教員としての優先順位を考え行動するよう指導する」としている。
 
これがヤフーニュースに取り上げられたことで広く話題になったようです。
 
最近「なぜ僕は『炎上』を恐れないのか」という本を出したブロガーのイケダハヤト氏も、欠勤した教師を擁護する立場から記事を書いています。
 
「教員が、教え子より息子の入学式を大切にする」のは当たり前
 
もちろん教師の行動を批判する意見もいっぱいあります。というか、そちらのほうが多いでしょう。
 
では、私はどう考えるかというと、問題のとらえ方がまったく違います。
 
「教え子の卒業式を優先する教師」
「わが子の卒業式を優先する教師」
のどちらが正しいか、という発想から、ぐるりと認識のコペルニクス的転回をはかって、
 
「わが子の卒業式を優先する教師を批判する人」
「わが子の卒業式を優先する教師を批判しない人」
のどちらが正しいか、というふうに考えるのです。
 
そもそも教師の行動には“家庭の事情”が関わってくるので、外から見ただけでよし悪しは判断できません。あるブログに書いてあった例え話ですが、この女性教師がシングルマザーで、息子が長年の不登校からようやく立ち直って入学式に出たために付き添ったというケースも考えられます(実際は週刊文春の記事によると「夫と長男の3人家族」ということです)
 
ですから、教師の行動のよし悪しを考えてもあまり意味はなく、それよりも、この教師の行動を批判する人と擁護する人がいるのはなぜだろう、どちらが正しいのだろうというふうに考えるのです。
 
これはもちろん教育観の問題です。
もし普通の会社員が会社を休んで子どもの入学式に出たということであれば、誰も批判しません。むしろ子ども思いの親ということで賞賛されるぐらいでしょう。
この場合は教師なので問題になっています。
「普通の会社員」と「教師」とどこが違うのでしょう。
 
ここで思い出されるのが、「教師聖職者論」です。
1951年、日教組が教師倫理要綱において教師を「労働者」と規定しました。それに反対する右派勢力が教師は「聖職者」だと主張して、論争が起きました。
この論争は80年代ごろまで続いていたと思います。
 
しかし、「教師聖職者論」は今も生きています。安倍政権が道徳教育の強化をはかるのも、その根底には「教師聖職者論」があります。
 
左翼は「教師労働者論」で、道徳教育には反対ですが、人間教育や全人教育には賛成です。
人間教育と道徳教育のどこが違うかというと、たいした違いはありません。
そういう意味では左翼も「教師聖職者論」に近いものがあります。
 
つまり右翼も左翼もいまだに「教師聖職者論」を引きずっていますし、国民の多くもそうです。
そのため、教師は人目をはばかってパチンコや風俗に行くこともできません(その分、旅先でハメを外すので旅館関係者からいちばんいやがられる職業です)
 
「教師は聖職者のようであってほしい」というのはあくまで願望であって、願望と現実は違います。
教師もただの人間です。
 
ですから今回の論争では、教師もただの人間だと思う人は、教師が息子の入学式に出席したからといって、そういうこともあるだろうなと思うだけですが、「教師聖職者論」を引きずった人は、こんな教師はけしからんといって批判するという図式になっているわけです(また、「教師聖職者論」の人は入学式にも特別な価値を見出しています)。
 
ともかく、教師もただの人間であるということを踏まえない教育論や教育改革論はうまくいきません。
 
今回の論争は、世の人々がどういう教育観や教師観を持っているかを明らかにしたという点で意味があったといえます。

「惰性の思考」というのは恐ろしいもので、「惰性の思考に」引きずられると目の前に変化が生じても見えなくなります。
領土問題、靖国問題、慰安婦問題などはずっと同じ議論が繰り返されているので、これからも同じことが続いていくのだろうという「惰性の思考」に陥りがちです。
しかし、慰安婦問題については、明らかに今までと違うことが起こっています。
 
そもそもは河野談話について政府が検証チームを設置すると発表したことが始まりです。
河野談話については、産経新聞が見直しを強く主張してきました。その主張がとうとう政府に取り上げられた形です。
産経新聞はこう報じました。
 
政府検証チームを設置 官房長官が明言 本人聴取も排除せず
2014.2.28 21:35
 菅義偉官房長官は28日の衆院予算委員会で、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の「河野洋平官房長官談話」をめぐり、作成段階で韓国側とすり合わせを行った経緯を調査する「検証チーム」を政府内に設置すると明言した。その後の記者会見では、検証内容を「国会から要請があれば提出する」と語り、検証過程で河野氏への聴取も排除しない考えも示した。
 
 政府が河野談話の原案を韓国側に示し、指摘に沿って修正した「合作」だったことは1月1日付の産経新聞が報じ、2月20日の予算委でも、談話作成に関与した石原信雄元官房副長官が「当然行われたと推定される」と証言していた。
 
 これを受け、菅氏は28日の予算委で、「すり合わせの実態を解明する必要がある。秘密の中で検討のチームを作り、もう一度(事実関係を)掌握する」と明言した。
 
 談話の根拠でありながら石原氏が「裏付けがない」と証言した元慰安婦16人の聞き取り調査の検証については、非公開が前提だったことなどを理由に「極めて難しい」と述べた。ただ、「どんな状況だったかは、もう一度確認することが必要だ」とも語り、すり合わせの経緯と合わせて調査する考えを示した。
 
 検証チームは秘密保持を前提に少数で構成する方針だ。有識者らも入れ、談話作成当時の状況を客観的に精査する。さらに、策定過程を詳しく検証するため、河野氏本人から事情を聴くことも念頭に置く。
 
 菅氏は記者会見で、河野氏からの聴取について「当時の状況を把握した上で取り扱いを検討したい」と含みをもたせている。日本維新の会は河野氏の国会招致を求めたが、自民党は元衆院議長の招致は前例がないとして難色を示していた。
 
 菅氏は、石原氏が証言した20日の予算委では、検証チームの立ち上げに曖昧な答弁を繰り返した。だが、その後の世論調査で談話見直しや作成経緯の検証を求める意見が約6割に達した上、検証の必要性は安倍晋三首相も同意しており、政府として本格的な取り組みが欠かせないと判断した。
 
このときは安倍政権は河野談話の見直しに動き出したのかと思えました。
ところが3月14日、安倍首相は参院予算委員会で河野談話について、「安倍内閣で見直すことは考えていない」と答弁しました。
菅官房長官も河野談話作成過程の検証結果にかかわらず河野談話の見直しはしないと表明しました。
安倍首相はそれまでの持論を捨てて、方針転換したようです。
 
しかし、検証チームをつくって河野談話の作成過程を検証することは続けるということです。
「見直しはしないが検証は続ける」というのはおかしな話です。
私はこれは、安倍首相の方針転換に納得がいかない人たちのガス抜きのためだと思いました。
あるいは、安倍首相は今だけ河野談話継承を表明しておいて、いずれ河野談話見直しをやるつもりかもしれないとも思いました。
 
今思えば、ここから「惰性の思考」が始まっていたのです。
 
菅官房長官は検証チームづくりを進めます。
 
慰安婦検証チームは法律家、マスコミ、女性から 菅長官
2014.4.11 20:02
 菅(すが)義偉(よしひで)官房長官は11日の衆院内閣委員会で、慰安婦募集の強制性を認めた河野洋平官房長官談話の作成段階で韓国側とすり合わせを行った経緯を調査する有識者の検証チームについて、法律の専門家やマスコミ関係者、女性などから人選を進めていることを明らかにした。
 
 菅氏は「客観的に見て偏ることなく、『なるほどな』と思われる方にお願いをしている」と強調。同時に「検証は静かな環境で行うべきで公開ではない。国会から要望があれば結果を提出したい」と述べた。
 
私はここに「女性」という言葉が入っているのを見て、「おや?」と思いました。しかし、それ以上は考えませんでした。まさに「惰性の思考」でした。
事態は私が考えるのとまったく違う方向に進んでいました。
 
河野談話検証、今国会中にも結論
2014.4.15 00:03
 政府関係者は14日夜、慰安婦募集の強制性を認めた「河野洋平官房長官談話」の作成過程の検証について、6月22日までの通常国会会期中にも結論を出す意向を示した。談話の作成段階で韓国側とすり合わせを行った経緯などで一定の結論を出す見通し。
 
 政府は検証チームの構成メンバーについて法律の専門家やマスコミ関係者、女性などから人選を進めており、5月の連休明けにも作業に取りかかるとみられる。 
 
政府が検証チームをつくって検証作業をすれば、その結論が国会あるいは国民に報告されるのは当たり前のことです。
では、それがどんな結論になるかというと、安倍首相と菅官房長官がすでに河野談話継承を表明しているのですから、それと合致するものに決まっています。つまり、河野談話は正しく、見直す必要はないというものです。
 
考えてみれば、菅官房長官が2月28日に検証チームの設置を表明したときから、この方針は決まっていたのでしょう。ところが、産経新聞も「惰性の思考」に陥っていたために、まるで河野談話の見直しにつながるような書き方になってしまったのです。
 
検証チームはゴキブリホイホイみたいなものです。河野談話見直しを主張する人たちの期待を集めて、みんなゴミ箱に捨ててしまいます。
 
いつまでも慰安婦問題について日韓でやりあっているわけにはいきません。決着をつけるとすれば、こういう形しかありません。
 
もともと河野談話とアジア女性基金による補償によって慰安婦問題は終了していました。ところが、産経新聞が石原信雄元官房副長官の言葉尻をとらえたりして、「謝罪しなくていいですよ」詐欺を展開して、問題をぶり返してしまったのです(今回の検証チームの報道も詐欺みたいなものです)
 
3月25日、ハーグで日米韓の首脳会談が行われたとき、安倍首相は朴槿恵大統領ににこやかに韓国語で語りかけましたが、あれは慰安婦問題の終了が約束されているので、やましい気持ちがなくなった笑顔だったのでしょう。
 
ネットの中にはいまだに慰安婦問題で騒いでいる人が多いのですが、そういう人は政府の手によってゴミ箱行きになります。

自分がブログを書いていると、ほかのブロガーも気になるものですが、中でもいちばん気になるのがイケダハヤト氏です。
イケダハヤト氏が「なぜ僕は『炎上』を恐れないのか」(光文社新書)という本を出したので読んでみました。
 
イケダハヤト氏はとにかくよく「炎上」する人のようです。
たとえば最近では、201310月、記録的な勢力を持つ台風が東京に上陸しようとしていたとき、こんなときに会社が従業員に出社を求めるのはよくないという記事を書きました。
 
10年に1度の台風」のなか、社員に出社させる会社は「ブラック企業」だ
 
この記事が炎上したそうです。
主張していることはまっとうだと思います。ただ、個人よりも企業優先の風土がある日本ではあまりない発想です。それに、「ブラック企業」という決めつけに反発した人も多いでしょう(私にとっては、これぐらい刺激的なタイトルをつけたほうがいいのかと勉強になりましたが)
 
私がイケダハヤト氏のブログに注目するようになったのは、「BLOGOS」に載った次の記事がきっかけです。
 
たかが挨拶ぐらい、できなくてもいいんじゃない?
 
挨拶はたいせつだというのが社会常識ですから、これも炎上したことでしょう。現時点で142のコメントが寄せられていますが、ざっとその9割が批判的な意見です(常識に反する意見を言うときはつい身構えてしまうものですが、「たかが挨拶ぐらい、できなくてもいいんじゃない?」と軽いタイトルになっているのが逆に刺激的で、これも勉強になります)
 
なぜ挨拶ができなくていいかという論理構成は私と若干違うのですが、それでも基本的には私と同じ考えです。
 
イケダハヤト氏は2013年の夏ごろ、コンビニの従業員がアイスクリームの冷凍ケースの中に入った写真をウェブ上にアップして炎上した出来事をきっかけに同様の出来事が連続したとき、この程度の「バカ」はみんな若いころにやってきたはずで、それを見つけて騒ぐほうがよりバカだという主張をしました。私も同じ考えですが、これもかなり少数派の意見です。
 
イケダハヤト氏はどうしてこうした考えを持つようになったのかに興味があって、「なぜ僕は『炎上』を恐れないのか」を読んでみたわけです。
 
イケダハヤト氏は1986年、神奈川県の生まれで、今年28歳です。
子どものころはこんな様子でした。
 
特に小学生の頃は、自分の容姿にも、能力にも、体力にも自信を持つことができなかったため、人一倍シャイで、臆病で、人前で何かをすることを常に恐れていました。
新しい友だちを作るのも苦手で、クラス替えのたびに憂うつな気分になったことを覚えています。特に、女子と話すことは、19歳のときにいまの妻と出会うまで、苦手であり続けました(不思議なほど気が合う妻と出会えたのは、本当に運がよかったです)
 
要するにイジメられやすいタイプでしょう。しかし、彼はゲームに人一倍のめり込み、「クラスで一番ゲームに詳しい人間」というポジションを獲得します。そして、中学に入学したときに父親に入学祝いとしてパソコンを買ってもらい、すぐに自分のホームページを開設し、サイト運営に習熟します。暗記が得意という能力を生かして受験勉強もがんばり(受験の戦略と勉強のやり方についてかなりのページがさかれています)、早稲田大学政経学部に現役合格します。
そして、大企業に就職するのですが、ここはイケダハヤト氏には合わなかったようです。
 
ぼくがその空気に気づき、「あ、ヤバイかも」と感じ始めたのは、入社後1カ月間の新人研修を終え、部署に配属された初日という至極早い段階でした。
配属後、部長からまず伝えられたことは、「君の仕事は電話を取ることからだ。3コール以内に電話を取るのを目標にしなさい」という命令でした。
ぼくは電話が嫌いです。対面ですら人と話すことが苦手なのに、顔が見えない相手と回線経由でリアルタイムに話すなんて、激しくハイレベルです。メールでいいじゃないですか。ぼく、声も低いですし、ぼそぼそ話しますし……。
「何を大げさな」と思われるかもしれませんが、ぼくは、ほんっとに、電話が苦手なんです。かといって、さすがに「いや、自分苦手なんで無理です」と断ることができるような空気は、「会社」というコミュニティには、一切存在していませんでした。
電話が鳴るたびに心臓がドキッと飛び跳ね、心拍数MAXで受話器を取り、上司に取り次ごうとしたのはいいけれど、内線の回し方がわからずそのまま電話を切ってしまい、電話相手に迷惑を掛ける……。ほとんどトラウマ的な思い出です。いまも電話は嫌いなので、みなさん、ぼくによほどのことがないかぎりは電話しないでください。
 
イケダハヤト氏は会社の飲み会も苦手で、「会社員不適合者」でした。そうしたサラリーマン生活で癒しを与えてくれたものが、中学生以来の趣味である「ブログの執筆」だったのです。
イケダハヤト氏は会社でウェブマーケティングを担当していて、自分のブログでウェブマーケティングについて書くと好評を博したといいますから、会社員としてもある程度優秀だったのでしょう。
しかし、業界の先輩たちからは「イケダハヤトはマーケティングという単語を使うな」とか「何の経験もないのに偉そうに広告を語るな」と批判され、業界人の集まる飲み会に引っ張り出されて、一方的に攻撃を受けて帰ってくるということもあったそうです。
 
つまり、ウェブでは評価されるが、リアルでは攻撃されるということで、結局イケダハヤト氏はウェブのほうに力を入れ、今では会社員をやめて「一流ブロガー」の地位を確立したというわけです。
本書のサブタイトルは「年500万円稼ぐプロブロガーの仕事術」となっています。
 
本書は一応、ウェブで成功するためのハウツー本という体裁にもなっていて、イケダハヤト氏は成功のための三つの条件を挙げています。
 
1、ひとつのことに「情熱」を持つ
2、それに圧倒的な時間をかける
3、効率性を追求する
 
しかし、これを心がければ誰でも成功できるというものではありません。イケダハヤト氏が成功したのは、明らかに人よりも優れた能力を持っていたからです。クラスでいちばんゲームに詳しい人間になったものそうですし、早稲田大学政経学部に入ったのもそうです。むしろ本書を読んで感じるのは、ウェブで成功するための才能を持って生まれた人間がいるのだなあということです。
 
私は本書を読むことで、イケダハヤト氏が独自の思想を形成した理由がわかりました。
イケダハヤト氏は「会社員不適合者」でしたから、企業の論理に批判的です。そのため、『「10年に1度の台風」のなか、社員に出社させる会社は「ブラック企業」だ』ということが言えるわけです。
また、企業はタテ社会ですから、それに対する反発から、「たかが挨拶ぐらい、できなくてもいいんじゃない?」ということも言えるわけです。
 
ということは、イケダハヤト氏の思想はもっぱら個人的体験に基づいていて、普遍的な原理に結びついていないということになります。それも炎上しやすいひとつの理由でしょう。
 
たとえばイケダハヤト氏は「炎上を恐れるな」と言いますが、ヘイトスピーチをする人が炎上を恐れなくなると困ります。
ヘイトスピーチをする人は「日本を裏で支配する在日と戦う自分」を正義だと思っています。イケダハヤト氏は「台風の中で社員を出社させるブラック企業を批判する自分」を正義だと思っています。この両者の違いを明確にしていないので、「炎上を恐れるな」という主張そのものに説得力がありません。
 
イケダハヤト氏は“コミュ障”気味の性格で、学校では一歩間違うとイジメられっ子になっていたかもしれませんし、企業社会にもなじめませんでしたが、幸い能力に恵まれていたためにネットの世界に居所を見つけることができました。
もちろんこうした勝ち組は少数派です。
おバカなバイト店員を見つけて炎上させているような人は、ネットにおける負け組でしょう(極端な例では、「ネオむぎ茶」のハンドルネームを持っていた西鉄バスジャック事件の犯人である少年、秋葉原通り魔事件の犯人である加藤智大、最近では逮捕されるときに「ヤフーチャット万歳!」と叫んだ柏市通り魔事件の容疑者である竹井聖寿などもネットに居所を見つけようとして失敗した人たちでしょう)。
イケダハヤト氏のような勝ち組は、負け組が束になってきても怖くないのは当然です。
 
ネット社会の力学についてもいろいろと考えさせられる本でした。

トヨタ自動車がAKB48とタッグを組んで販売キャンペーンを始めるということです。
トヨタ自動車といえば日本を代表する企業で、しかもお堅いイメージがあります。日本におけるアイドルの地位がそこまで高まったのかと思いました。
 
トヨタがAKB「チーム8」とタッグ ご当地メンバーとキャンペーン
 
最近のアイドルブームはすごいものがあります。AKB48はミリオンセラーの連発で、CDの売上でも圧倒的ですが、姉妹グループがいっぱいありますし、モー娘。、ももクロ、フェアリーズ、さらにはご当地アイドルもいたるところにいるようで、裾野がどんどん広がっています。
 
クラレが毎年、小学校1年生を対象に「将来就きたい職業」というアンケートをしているのですが、今年4月発表の女子を対象にした調査では、「芸能人・タレント・歌手」が2位でした(1位は「パン・ケーキ屋・お菓子屋)
1999年の調査では6位、2004年は5位、2009年は3位ですから、「芸能人・タレント・歌手」の人気はどんどん上がってきています。
 
女の子「将来就きたい職業」ベスト20
 
一方、ゆるキャラの人気もたいへんなものです。
ゆるキャラグランプリが初めて行われた2010年は、エントリーしたゆるキャラは169体でしたが、2011年は349体、2012年は865体、2013年は1580体と急速に増えています。
 
ゆるキャラグランプリとは?
 
今、日本でいちばん活気があるものといえば、アイドルとゆるキャラです(あとはB級グルメとラーメンぐらいでしょうか)
 
こういうのは個人的な感覚だといわれればそれまでですが、沈滞した日本の中でほかに目立つものはほとんどないのではないでしょうか。
とりわけ下から盛り上がっているということで、国民意識の表れと見なすことができるのではないかと思います。
 
要するに多くの日本人は“カワイイ”ものを愛でることに喜びを感じているのです。
オタクはもちろん草食系男子もここでは元気になります。
 
そうすると、安倍政権の進める改憲、集団的自衛権行使容認、防衛費増大という路線とどうつながっているのかという疑問が生じます。「戦争のできる国」と「アイドルとゆるキャラの国」は水と油です。
 
もちろんこれは、「アイドルとゆるキャラの国」が土台にあって、「戦争のできる国」はその上にあることになります。
 
では、「戦争のできる国」に土台がないのかというと、そんなことはなくて、ヘイトスピーチや反韓反中の排外主義が土台になっているわけです。
こちらもそれなりに活気があります。
 
ヘイトスピーチや排外主義は怒り、憎しみ、嫌悪という感情であって、アイドルとゆるキャラを愛する感情とは正反対です。
つまり土台の部分は二種類あるのですが、上部構造が一種類しかないというふうに考えるとわかりやすいと思います。
図に示すとこういうことになります。
 
 
戦争のできる国      (空白)
――――――――    ――――――
ヘイトスピーチ    アイドル
排外主義       ゆるキャラ
 
 
 
この空白のところには、本来は平和主義が入るのですが、具体的なイメージや政策がありません。鳩山首相の「友愛」は具体的でしたが、なくなってしまいました。
 
そのため、改憲反対や解釈改憲反対や特定秘密保護法反対というように、アンチの形でしか主張することができません。
ですから、平和思想の構築が急務ということになります。
 
しかし、思想はなくても、ヘイトスピーチをする人たちが好きか、アイドルやゆるキャラが好きかと考えてみれば、問題がすっきりと把握できるのではないでしょうか。

小学校の社会科の教科書で、2013年度の検定に合格した5社すべてが尖閣諸島と竹島についての記述を入れました。中学校と高校の教科書については、文科省は今年1月、学習指導要領の解説書を改定し、竹島と尖閣諸島が「我が国固有の領土」であるとする指導方針を決めているので、教科書会社はその方針を先取りしたものと思われます。
これを「領土教育」というのだそうです。
 
バカが教育をするとバカの拡大再生産をしてしまいます。「領土教育」も例外ではありません。
 
安倍首相は国会でこのように答弁しています。
 
安倍首相、領土明記「極めて重要」=普天間移設、危険防止期す-参院予算委
安倍晋三首相は5日の参院予算委員会で、中学校と高校の学習指導要領解説書に沖縄県・尖閣諸島と島根県・竹島を「わが国固有の領土」と明記したことについて、「極めて重要だ。子どもたちが論争したときに、しっかり日本の考え方を述べることができることが重要だ」と意義を強調した。自民党の佐藤正久氏への答弁。
 佐藤氏は、中韓両国が首相の歴史認識などをめぐり各国で反日の主張を強めていることへの対応をただした。首相は「物静かに礼儀正しくという考え方で対応してきたが、実態がこうなってきている以上、私たちの主張が正しいとそれぞれの国に伝えなければいけない」と述べ、事実と異なる主張には毅然(きぜん)と反論する考えを示した。
(後略)
 
安倍首相は「子どもたちが論争したときに、しっかり日本の考え方を述べることができることが重要だ」と述べましたが、自分だって日本の考え方をしっかり述べてきたはずです。その結果、中国や韓国が日本の言い分を認めたかというと、ぜんぜんそんなことにはなっていません。
 
現在、竹島は韓国に不当占拠され、韓国はますます「独島は韓国領」との主張を強めていますし、尖閣諸島は日本が実効支配しているとはいえ、中国は「魚釣島問題は中国の核心的利益に属する」と表明し、中国公船の公海への侵入が頻発しています。つまり日本政府の領土問題のへの対応は、どう考えても失敗です。
 
安倍首相は自分がやって失敗しているのに、同じことを子どもにもやらせるわけです。
 
子どもにとっても、まったく役に立たない知識を学ばされることになります。
中国や韓国との議論に勝とうと思えば、相手の主張の間違いを論証しなければなりませんが、教科書にはそこまで書いてありません。
しかも子どもは、日本の主張は「教科書に書いてあったから正しい」と思いがちです。これではますます議論に勝てなくなります。
 
そもそも小学生に「領土教育」をするということは、今の小学生がおとなになったときにも領土問題は解決されていないだろうと考えているわけです(硫黄島や父島は解決済みなので「領土教育」はありません)
安倍首相は自分の無能を認めているのでしょうか。
 
領土問題を解決しようとするなら、日本の教科書に書いてもなんの意味もなく、中国や韓国の教科書に書かなければなりません。
そのためには、中国や韓国とちゃんと交渉することです。
 
 
しかし、安倍式「領土教育」に賛成する人もたくさんいます。ネット右翼ばかりではなく、読売新聞や産経新聞も賛成の態度です。
こういう人たちは領土問題に対する考え方が私とは正反対のようです。
 
私は領土問題で中国や韓国といがみ合っている状況をよくないことと思っています。しかし、この状況をいいことだと思っている人もいるのです。
 
そういう人は、日本が中国や韓国に毅然と主張することができているということに喜びを感じています。
肩で風を切って国際社会を歩いている気分なのでしょう。
 
こういう人は当然、領土問題を解決しようという気はありません。むしろ対立が激化するほうがうれしいわけです。
 
「領土教育」をするのも、対立を激化させることが目的だとすると納得がいきます。
 
やはりバカが教育をするとバカの拡大再生産をしてしまいます。
 

ドラマ「明日、ママがいない」をきっかけに児童養護施設への関心が高まったと思われますが、反面、全国児童養護施設協議会などが放送中止を求めて抗議したことでマスコミは児童養護施設を扱いにくくなったとも思われます。
 
そうした中、朝日新聞が児童養護施設についての記事を2日続けて掲載しました。
 
(養護施設の子ども、自立への壁:上)ほしいのは、自分でおれる場所
 
これは児童養護施設全般についての記事ではなく、施設からの自立がどうなっているかということに焦点を絞った記事です。このあたりに腰の引けた感じがあります。
高校を卒業した者が上の学校に行く進学率は全国で77%ですが、施設を出た者が高校より上の学校に行く進学率は約2割で、大きな差があります。こういうデータで示された部分についてしか書けないのでしょうか。
 
この記事で私が注目したのは、この部分です。
 
名古屋市の男性(20)は高校を中退した3日後、15歳で施設を出された。その施設では、高校へ進学しなければ退所するのが「慣例」だった。
 
 小学校で授業についていけなくなっていたが、生きる場所を失うのが怖くて高校へ。なじめずに喫煙や無断欠席を繰り返し、1年生で中退した。
 
 職員の一人(57)は「定員も、職員の数にも限りがある。高校に行かなくても喫煙しても、同じように施設にいられるのか。他の子への影響も考えざるを得ない」。そう言いながら、「学歴も、家族の支えも、お金も持たない子どもが一人で生きていくのはどれほど過酷か」と悩む。
 
高校を中退すると施設を出なければならないとする「慣例」が存在するということ自体、間違っています。
親に代わって子どもを育てるのが施設の役割です。子どもが高校を中退したとか喫煙したとかで親が子どもを家から追い出すということはありません。
高校中退や喫煙という“悪いこと”を裁くのは「司法の論理」です。施設は子どもがどんな“悪いこと”をしても受け入れるという「愛と寛容の論理」で運営されなければなりません。そうしてこそ子どもは安心感を持つことができ、人との信頼関係を築くこともできるのです(もっとも、最近は「司法の論理」が持ち込まれている家庭も多いようです)
 
 
朝日新聞の記事は中途半端でしたが、月刊「選択」4月号に載っていた記事はかなり強烈でした。
 
日本のサンクチュアリシリーズ 475
児童養護施設
ドラマの比ではない「犯罪行為」の巣窟
 
全文の紹介は具合が悪いと思うので、適当に選び出して紹介します。
 
 
「地獄から抜けたと思ったら、ついた場所は別の地獄だった」
 
  埼玉県内の児童養護施設で八歳から十八歳までを過ごした二十代前半の男性は、絞り出すように語った。
 
  現在は、工事現場の警備員をして糊口を凌ぐこの男性は、幼い頃に実の親からの虐待を受け、児童相談所に保護された。その後高校卒業まで私立の施設で育ったが、職員や他の入所児童からの壮絶ないじめを受けたという。
 
  児童養護施設を舞台とした日本テレビのドラマに対する批判が出てCM放映が見合わされたことは記憶に新しい。抗議をしたのは、いわゆる「赤ちゃんポスト」を設置する熊本市の慈恵病院と全国児童養護施設協議会。
 
  しかし、北関東の児童養護施設で働いていた元職員は「協議会はどの面を下げて抗議できるのか」と憤る。恵まれない境遇にいる子どもを社会で育てる―。極めてシンプルな役割を担う児童養護施設の現場は、ドラマ以上の壮絶な状況にある。
 
 
 
施設によってその環境は千差万別だと断ったうえで、前出元職員が語る。
 
 「一部の恵まれた施設を除いて、ほとんどの施設でなんらかの暴力が恒常的に行われている」
 
  児童養護施設での暴力は、職員から子どもへのものだけではない。冒頭の施設出身男性は、「ありとあらゆる暴力を受け、目撃してきた」と重い口を開く。
 
  小学校低学年の頃から、とかく職員の「せんせい」は恐怖の対象でしかなく、約束事を破ったなどとして暴力を受けた。約束というのも就寝前に歯を磨くのを忘れたといった些細なことで、廊下に正座させられ、時には殴られた。
 
  仲間であるはずの入所児童も敵だった。年長者からは恒常的にいじめ抜かれ、成長するとともに暴力はより過激に、陰湿になった。この男性は、通学していた学校ではいじめの対象になることはなかったため、とにかく学校に長時間居残り、毎日施設に帰るのがいやだったという。
 
  また、中学生、高校生になると、児童が職員に対して暴力を振るうこともあった。特に若い女性職員がターゲットになりやすい。すぐに辞めることも多く職員の入れ替わりは激しかった。
 
  この男性の経験したことは珍しいことではなく、時折事件化してこれまでも問題になってきた。深刻だったのは、一九九五年に発覚した千葉県の恩寵園事件や、九八年に愛知県東海市の私立施設で入所中の児童が集団暴行を受けた揚げ句に障害が残った事件だ。
 
  こうした例では施設運営者側に問題のあるケースが多い。〇六年に発覚した長崎県島原市の太陽寮の事件では、施設長が二千八百万円を横領していたほか、入所女児への性的暴行で告発された。〇九年には神奈川県の幸保愛児園でも、施設長による使い込みや、児童への虐待が行われていたことがわかっている。
 
  これらは氷山の一角だ。たとえば、福岡市内のある施設では最低限の職員しか置かずに人件費を切り詰めている一方、園長が暴力団と見まごう黒塗りの外車を乗り回しているという。
 
  愛知県内の私立の施設では、運営する社会福祉法人理事が関係する食料品店からのみ随意契約で物品を購入している。「より安いルートがあると訴えた職員があっという間にクビになった」(施設関係者)という。児童養護施設に補助金を払っている自治体の監査は形だけで、なぜか市の福祉課OBが事務長に天下っている。
 
  施設協議会の会長を務める鳥取こども学園施設長の藤野興一氏は〇七年の厚生労働省の委員会で、施設内での虐待の存在を認めたうえで「暴力事件を起こした施設職員を排除しても起きてしまうのは、やはり構造的な問題にほかならないわけです」と発言している。
 
  また、厚労省からの改善通知が出ても「全然守られていない」とうちあけ、こう語っている。
 
 「皆さんがどの程度と思っておられるかわかりませんが、本当に壮絶に近い状態だと私は思っています」
 
  これは正直な現場の声なのだろう。一般に虐待を受けて育った子どもは、将来、自らの子どもに虐待を行う傾向が強い。「虐待の連鎖」が施設でも拡大再生産されているのだ。
 
 
 
施設、職員による隠蔽は、染みついた体質だ。児童養護施設を取材したことのあるフリーライターは、「施設内で子どもの話を聞いても、どこかオブラートに包まれたような、杓子定規な答えしか返ってこない。職員から余計なことを話すなと直接言い含められているか、目を気にして自主規制しているという印象だ」と語る。
 
  施設内での虐待を防止するために、〇八年に児童福祉法が改正されて、虐待事案の通告制度が設けられたが機能していない。養護対象児童への虐待を「被措置児童等虐待」と定義し、これを発見した場合に速やかな通告を義務付けた。虐待を発見するのは職員か児童だが、実際に子どもが県や市などの自治体へ通告することは難しい。窓口だけではなく、手紙などでの通報も可能だというが、「犯人探し」を恐れて動けない。
 
 
 真に子どものことを思う熱心な職員が少なからずいることは動かしがたい事実だが、一方で人手不足は恒常的で保育士の資格を持った専門職員の定着率も悪い。
 
 
もちろんこの記事はネガティブな面を強調した記事ですから、これだけで全体像を判断するのもどうかと思いますが、大手メディアの腰の引けた記事とは大違いです。
 
全国児童養護施設協議会が「施設長や職員が、暴力や暴言で子どもたちの恐怖心を煽り、支配・従属させることはありません」という嘘をついてまで「明日、ママがいない」の放送を止めようとしたのは、やはり施設の内実が明らかになることを恐れたためではないかと思われます。
 
とはいえ、施設側を批判すればいいというわけではありません。むしろ施設側には予算と人員をふやさないといけないわけです。
 
心に傷を負った子どもの世話をするのはたいへんです。職員は規律を保つためについつい力によって押さえ込もうとします。そうすると、子ども同士のイジメを生んだり、場合によっては職員に暴力が向かってきます。
全国児童養護施設協議会が「このドラマは甘すぎる。現実はこんなものではない。われわれの仕事はもっとたいへんだ」といって抗議していたら、世の中の共感が得られ、施設の改善にもつながったのではないでしょうか。 

あるものをあると気づくのは簡単ですが、ないものをないと気づくのはけっこうたいへんです。
なんか禅問答のような文章になってしまいましたが、3月3日に千葉県柏市で起きた連続通り魔事件で逮捕された竹井聖寿容疑者についての朝日新聞の記事を読んで感じたことです。
 
柏市通り魔事件は、ナイフで4人を殺傷するという凶悪なものですが、竹井聖寿容疑者は逮捕前に目撃者のふりをしてマスコミに事件の様子を語ったり、警察に任意同行を求められたときに「チェックメイト」とつぶやいたり、逮捕されたときに「ヤフーチャット万歳!」と叫んだりという奇行が報道されていました。そうしたところ、朝日新聞に竹井容疑者の人物像についての記事が載ったわけです。
 
そして、読んでみたところ、肝心のことが書かれていないと思いました。肝心のことが書かれていない記事にはほとんど意味がありません。
しかし、こうした記事が掲載されて、別段クレームもないようですから、肝心のことが書かれていないことに気づかない人が多いのでしょう。
ということで、冒頭に書いたことを感じたわけです。
 
この記事を読んで、書かれていない「肝心のこと」がなにかわかるでしょうか。
 
柏連続殺傷「直前に決意」 容疑者再逮捕
20143260500
 千葉県柏市で起きた連続殺傷事件で、会社員池間博也さん(31)への強盗殺人容疑で逮捕された無職竹井聖寿(せいじゅ)容疑者(24)=同市あけぼの4丁目=が「犯行は直前に自宅で決意した」と供述していることが、県警への取材でわかった。県警は25日、竹井容疑者を強盗致傷など五つの容疑で再逮捕し、発表した。容疑を全て認めているという。
 
 再逮捕容疑は、3日深夜に自宅近くの路上で男子大学生(25)から金品を奪おうとして、ナイフで左手に軽傷を負わせた強盗致傷、別の男性2人から財布や車を奪った2件の強盗、自宅に乾燥大麻を隠し持っていた大麻取締法違反、凶器のナイフを所持した銃刀法違反の計5件。
 
 ■知人「自分を大きく見せたがる」
 
 竹井容疑者の人物像が、知人らへの取材で明らかになってきた。
 
 「チャット、ばんざーい!」。5日、竹井容疑者は逮捕前に自宅を出た際、こう叫んだ。チャットとは、インターネット上で他人との会話が楽しめるサービス。捜査関係者によると、竹井容疑者は中学生のころからチャットを始め、最近は生活時間のほとんどを割いていた。ネット上では「除悪」と名乗り、自己紹介に「過去に類を見ない史上初の存在者」「今のすさんだ時代を変えられるのは私だけ」などと書いていた。
 
 7年ほど前からチャット仲間だったという男性は、竹井容疑者について「自分を大きく見せたがる。アウトローにあこがれ、異常な行動や言動が格好いいと思い込み、虚勢を張っているように感じた」と話した。手の甲にたばこの火を押しつける姿をテレビ電話で見せたり、自らの写真を送るときはナイフを持っていたりしたという。
 
 竹井容疑者からは、風呂や食事、寝るとき以外はパソコンの前にいると聞いた。だが、実際の友達の話を聞いたことはなかった。
 
 竹井容疑者は柏市の小中学校に通い、中学1年の1月に隣の我孫子市の中学校に転校。県立高校に進んだが、ほどなく退学したという。チャット仲間の男性は「高校中退後、引きこもり状態だと言っていた。チャットが外の世界との唯一のつながりだったのだろう」と語った。
 
 小学校の同級生だった柏市の会社員男性(24)は「人を笑わせるのが好きな目立ちたがり屋。ただ、程度をわきまえないところがあって、親友はいなかったんじゃないか」と振り返る。悪ふざけで先生をめがけてサッカーボールを蹴り、周りが緊張したことがあったという。
 
 精神科医の斎藤環・筑波大教授は「今の若い世代は自分を認めて欲しいという『承認欲求』が強い。竹井容疑者にとって、それを満たす場所がチャットだったのではないか。限られた人間関係の中で常に注目されたいと、異常な行動や発言がエスカレートしたのだろう」と指摘した。
 
チャットのこと、虚勢を張る行動のこと、学校のこと、友だちのいないことなどが書かれています。
しかし、親のこと、家族のこと、家庭環境のことが書かれていません。
これが「肝心のこと」です。
育った家庭環境のことを書かずに人物像が描けるはずありません。
 
竹井容疑者本人は、自分の家族のことをネットでいろいろ語っています。
 
私は現在、24才のセレブニートであります。父親が不動産・一級建築士です。祖父の土地も豊富にある為、働かずに生きていける環境は常に整ってはいます。
 
私の生い立ちは学生時代はいじめられたりいじめをしたり、家族の暴力、学校の先生の体罰など理不尽な環境の中で生きていきました。
 
家族の不仲による家庭環境の異常性と学校を3回も転校するという環境で育ち、いじめられた過去もあり、いじめた過去もある者でございます。そういった環境とDNAが私をこの地球に生んだのでしょう。
 
もちろん本人が書いていることが事実であるかどうかわかりません。取材すると別の事実が出てくるかもしれませんが、いずれにせよ家族との関係を書かないことには話になりません。
本人ですら「家族の暴力」「家族の不仲による家庭環境の異常性」と今の自分の関係を認識しているのですから、朝日新聞の記事に家族のことがまったく触れられていないのは不可解です。実際に父親の金で生きている「セレブニート」なのかどうかぐらいは書いてもいいはずです。
 
 
話は変わりますが、「黒子のバスケ」脅迫事件というのがありました。マンガ「黒子のバスケ」に関連したものについての脅迫が連続し、書店から本が撤去されたりしましたが、201312月に渡辺博史容疑者が逮捕されました。
3月13日に東京地裁で初公判があり、渡辺博史被告は長々と冒頭意見陳述を読み上げました。その全文が月刊「創」の篠田博之編集長によってウェブ上にアップされました。
 
「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開1
 
読んでみると、これが驚くほど明晰な文章です。自分を客観視することもできています。
その文章の中から、家族関係についての記述を抜き出してみます。
 
バスケマンガと二次創作につきましては、色々な出来事が複雑にリンクしています。31年前に同性愛に目覚め、同じ年に母親から「お前は汚い顔だ」と言われ、26前に「聖闘士星矢」のテレビアニメを見たいとお願いして父親に殴り飛ばされ、24年前にバスケのユニフォームに対して異常なフェチシズムを抱くようになり、22年前にボーイズラブ系の二次創作同人誌を知ったという積年の経緯があります。
 
自分が初めて自殺を考え始めてから今年がちょうど30年目に当たります。小学校に入学して間もなく自殺することを考えました。原因は学校でのいじめです。自分はピカピカの1年生ではなくボロボロの1年生でした。この経緯についてここで申し上げても詮ないので、詳細については省略します。自分を罰し続けた何かとは、この時にいじめっ子とまともに対応してくれなかった両親や担任教師によって自分の心にはめられた枷のようなものではないかと、今さらながら分析しています。
自分は昨年の1215日に逮捕されて、生まれて初めて手錠をされました。しかし全くショックはありませんでした。自分と致しましては、「いじめっ子と両親によってはめられていた見えない手錠が具現化しただけだ」という印象でした。
 
また、刑務所での服役も全く恐くありません。少なくとも娑婆よりは、人生の格差を自分に突きつけて来る存在に出会うことはないでしょう。いじめがあっても刑務官さんたちは、自分の両親や小学校の担任教師よりはきちんと対応して下さるでしょう。刑務所の生活には自由や尊厳がないと言いますが、自分には、それは娑婆でも同じことですから、何も恐くありません。また今回の逮捕を巡る報道により、自分は全ての日本人から見下される存在になり果てましたが、自分の主観では、それは逮捕前も同じで、それが単に顕在化したに過ぎませんから、特に改めて苦痛を感じません。
 
そもそもまともに就職したことがなく、逮捕前の仕事も日雇い派遣でした。自分には失くして惜しい社会的地位がありません。
また、家族もいません。父親は既に他界しています。母親は自営業をしていましたが、自分の事件のせいで店を畳まざるを得なくなりました。それについて申し訳ないという気持ちは全くありません。むしろ素晴らしい復讐を果たせたと思い満足しています。自分と母親との関係はこのようなものです。他の親族とも疎遠で全くつき合いはありません。もちろん友人は全くいません。
 
自分のデタラメな声明文を真に受けた前述の臨床心理士がtwitterで「愛する人を失って云々」などとツイートしていましたが、自分は愛する人を失ったのではなく、愛する人が初めからいないのです。ここ15年くらい殺人事件や交通事故の被害者遺族が、自分たちの苦しみや悲しみや怒りをメディア上で訴えているのをよく見かけますが、自分に言わせれば、その遺族たちは自分よりずっと幸せです。遺族たちは不幸にも愛する人を失ってしまいましたが、失う前には愛する人が存在したではありませんか。自分には愛する人を失うことすらできません。つまり自分には失って惜しい人間関係もありません。自分は留置所から借りたスウェットを着てこの場に立っていますが、それはつまり自分には公判用のおめかし用の衣類を差し入れてくれる人など誰もいないという意味です。
 
愛のない家庭で育った人間の心情がきわめて明快に表現されています。
 
渡辺被告は最後のほうで、「両親の自分に対する振る舞いも躾の範囲に収まることで虐待ではありません」と述べる一方で、「自分は両親や生育環境に責任転嫁して、心の平衡を保つ精神的勝利法をやめる気はありませんし、やめられません」とも述べています。自分を客観視しているようでも、ここには矛盾が見られます。このあたりに渡辺被告が犯行に走った理由があるのかと思います。
 
ともかく、渡辺被告にしても竹井容疑者にしても、家族関係が自分の人間形成に重要であったことを認識しています。
一方、朝日新聞の記事には家族関係のことがいっさい触れられていません。
昔、凶悪犯罪者の犯行動機について「心の闇」という言葉がよく使われましたが、今もそういうごまかしを続けるつもりでしょうか。
 
朝日新聞に限りませんが、新聞の購読層は高齢化しています。つまり24歳の竹井容疑者の親の年代が主に読んでいるわけです。
親の世代にとって不都合なことは書かないということでしょうか。だとすれば、若い世代の新聞離れを加速させるようなものです。

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