安倍首相は5月29日、日本人拉致被害者を再調査することで北朝鮮と合意したと発表しました。
これがいったいどういう結果になるのかわかりませんが、とりあえず今の印象をいえば、安倍首相は北朝鮮の投げたエサに食いついたのではないかということです。
拉致問題は安倍首相が人気政治家になったきっかけであり、安倍首相の政治家としての原点みたいなものです。当然、安倍首相には強い思い入れがあるはずです。
一方、北朝鮮には拉致問題になんの思い入れもあるはずがありません。
こういう場合、思い入れのあるほうが不利としたものです。
それにしても、このところ安倍カラーが全開です。解釈改憲に突っ走り、反中国の外交に精を出し、残業代ゼロ政策を打ち出し、それに加えて拉致問題というわけです。
今回発表された合意文書の冒頭は、「双方は、日朝平壌宣言にのっとって、不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、国交正常化を実現するために、真摯に協議を行った」となっています。
「日朝平壌宣言」というのは、2002年、小泉首相が平壌を訪問して金正日と会談した際に発表されたものです。双方が署名し、破棄されたことはないので、今でも形式的には有効なのでしょう。
ただ、そのときの平壌での会談の際に、北朝鮮は拉致事件を認め、13人拉致し、うち8人死亡と発表しました。それから日本の世論は拉致問題への怒りで沸騰し、平壌宣言は忘れられた格好になりました。
しかし、今また平壌宣言を持ち出すなら、あのときに平壌宣言を履行する方向に進んでいけばよかったのにと思わざるをえません。もしそうなっていたら、今の東アジア情勢はまったく違うものになっているでしょう。
2年ほど前、安倍晋三氏がまだ首相になる前で、おそらく自民党総裁に選ばれた直後あたり、安倍氏は報道ステーションに出演し、平壌での会談の際の金正日の態度についてこのように語ったのを覚えています。
「拉致について発表するとき、金正日はオドオドして、こちらの目を見ることもできず、もし怒鳴りつけたら飛び上がりそうな様子だった」
国家の指導者が国家の犯罪行為を認めるというのはきわめて異例です(国家体制が変わった場合はよくありますが)。そういう意味では、金正日は勇気ある告白をしたといえます(まだ隠している拉致もありましたが)。
このとき小泉首相が「よく告白してくれた。感動した!」と言って金正日の肩を抱きかかえていれば、金正日は小泉首相に心酔して、北朝鮮はまったく別の国家になっていたかもしれません。
実際のところは、国内世論が拉致問題一色に塗りつぶされ、小泉首相は平壌宣言についてなにも語らず、安倍氏が北朝鮮への強硬策を主張して人気を得ます。
そしてその結果、拉致問題は12年間も解決せず、北朝鮮は核兵器開発に突っ走りました。
平壌宣言には「朝鮮半島の核問題の包括的な解決」もうたわれており(むしろここが主眼であったわけです)、「歴史にもしもはない」と言われますが、12年前の選択に疑問が残ります。
今後、北朝鮮は特別調査委員会を設置して調査するということですが、北朝鮮はすでに拉致の実態を把握しているはずで、このあたりは茶番です(「今まで隠していました」と言うわけにはいかないので、「調査したらわかりました」という体裁にするわけです)。
そして、北朝鮮は拉致問題で真実を発表すると日本が硬化するということを学習してしまいましたから、どういう発表をしてくるかわかりません。おそらく駆け引きの道具ぐらいに思っているのではないでしょうか(それだけに金正日が拉致を告白した瞬間の日本側の対応が肝心だったのです)。
一方、日本側の対応も問題です。
北朝鮮がなんらかの調査結果を出してきたとき、それがどこまで真実かという問題はありますが、日本側も正確なことがわかっているわけではないので、受け入れて許すか、また強硬路線に戻るかという判断をしなければなりません。
安倍首相はかつて北朝鮮への強硬策で人気を得たという経験がありますから、許すという判断ができるか疑問です。
平壌宣言は日朝国交正常化を目指すものですから、どこかの時点で許して、友好関係を築かなければなりませんが、安倍首相のこれまでのやり方と180度違います。
そういうことを考えると、「歴史は二度繰り返す。最初は悲劇として、二度目は喜劇として」という言葉が思い浮かびます。