村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2014年11月

米国ミシシッピー州のファーガソン市で黒人青年を射殺した白人警官が不起訴となったことがきっかけで、全米に暴動が起きています。もっとも文明が進んだ国で、いまだに人種差別が克服できていないわけです。いや、もっとも文明が進んだ国だからこそ人種差別も進んでいるともいえます。
 
この暴動は日本にとってもいろいろと教訓となります。
 
アメリカは、ヘイトスピーチに対する法的規制こそありませんが、ポリティカルコレクトと称して、ヘイトスピーチに対する社会的制裁はきわめてきびしいものがあります。そういう国でも、人種差別は少しもなくならないわけです。
ということは、日本でヘイトスピーチの法的規制をしてもあまり効果はないということになるはずです。
 
ところで、オバマ大統領はこの暴動に関して、日本に言及しました。
 
「暴動は犯罪行為」オバマ大統領が非難
 アメリカのオバマ大統領は、ミズーリ州の黒人少年射殺事件で発砲した白人警察官が不起訴となったことに対しての暴動について、「犯罪行為だ」と非難しました。
 
  「建物を燃やし、車に火をつける。物を壊して住民に危害を加える。これは破壊行為で、正当化されない犯罪行為だ」(アメリカオバマ大統領)
 
 オバマ大統領は暴動について、このように述べ、「やった人間は訴追されるべきだ」と厳しく非難しました。
 
 一方で、「日本のように国民の大半が日本人という国では、このような問題は起こりにくい」と述べ、多様な人種が集まるアメリカならではの社会問題だと指摘。黒人を中心に警察官の対応が人種によって異なるという深く根ざした不満があることに一定の理解を示した上で、「短絡的な選択をせず、地元自治体との対話など、長期的な選択をすべきだ」と沈静化を呼びかけました。(2610:21
 
オバマ大統領の言い方だと、アメリカで人種差別が深刻なのは多様な人種が集まるからだということになります。
逆にいえば、日本にも多様な人種が集まってくれば、同じような問題が起こるはずだということです。
そうでしょうか。アメリカの人種差別にはアメリカ特有のものがあると思われます。
 
そもそも白人が黒人を奴隷にする奴隷制というのは、ヨーロッパにもアメリカと同じようにあっていいはずですが、ヨーロッパには黒人奴隷はほとんど“輸入”されませんでした。それどころか、ヨーロッパはアメリカに奴隷制をやめるように強く要求し、リンカーン大統領はそれに応えるために奴隷制廃止をしたのです。
つまり、黒人奴隷に対する態度は、アメリカとヨーロッパでまったく違います。
 
それから、先住民に対してもアメリカは特殊です。
カナダにも先住民がいましたが、カナダの場合はアメリカのように先住民の虐殺はありませんでした。オーストラリアとニュージーランドの場合も、白人入植者は先住民の土地を奪って建国したわけですが、そこに差別はあっても虐殺はありませんでした。
 
なぜアメリカがこのように特殊かというと、アメリカへの白人入植者は“神の国”をつくるという信念の持ち主が多かったということがあります。つまりアメリカは狂信者がつくった国だったのです。
 
“神の国”をつくるといえば、イスラエルも同じです。
ですから、アメリカとイスラエルはきわめて強い精神的な絆で結ばれているわけです。
 
ともかく、銃による先住民虐殺でつくった国なので、銃と建国の精神が結びついており、だからアメリカは銃を手放すことができないわけです。
 
アメリカは“神の国”を目指しながら、現実には“銃と人種差別の国”になっています。
アメリカの外交や軍事にもそれは表れています。
アメリカの外交と軍事がテロリストを生んでいることを見ても、それは明らかです(より正確にはアメリカとイスラエルの外交と軍事がテロリストを生んでいます)
 
日本がアメリカのために集団的自衛権行使をするのはまったく愚かなことです。

解散の理由を、安倍首相が合理的な判断のできる人間だという前提で考えていては、いつまでたってもわかりません。安倍首相の普通でない心理を理解する必要があります。
 
NPO法人代表理事が小学校4年生になりすましてウェブサイトを開設するという出来事があり、安倍首相のフェイスブックがこれについてコメントしました。
 
小4なりすまし「最も卑劣な行為」 首相がFBで批判
 安倍晋三首相は25日未明、小学4年生になりすましたNPO法人代表理事(すでに辞任)の大学生が今回の衆院解散を疑問視するウェブサイトを開設した問題について「批判されにくい子供になりすます最も卑劣な行為だと思います」とのコメントを、自身の交流サイト「フェイスブック」に書き込んだ。
 
 首相は問題のウェブサイトの画像も紹介しながら、「選挙目当ての組織的な印象操作ではないでしょうが、選挙は政策を競い合いたいと思います」と訴えた。
 
首相がいちいちこんなことにコメントしていていいのかと思われるでしょうが、これこそが安倍首相らしいところです。
 
「BLOGOS」というサイトに「首相が解散決めたきっかけは枝野氏との論争」というキャッチコピーの記事がありました。
 
安倍首相、解散決断で「民主党をぶっ潰す」
 
その中にこんな記述があります。
 
首相が解散を決意したのは1030日の衆院予算委員会での民主党、枝野幸男幹事長との“バトル”がきっかけとされる。
 
政治資金をめぐる閣僚の不祥事が相次ぎ、首相のイライラは爆発寸前に高まっていた。そこに枝野氏が朝日新聞掲載の首相発言を元に首相を追及したところ、首相は「朝日の報道は捏造」と逆襲。さらに枝野氏の政治資金の記載漏れや「革マル派」が浸透している団体から献金を受けていることを引き合いに出して枝野氏を逆に追及した。
 
「枝野氏とのバトルを境に、首相は戦闘モードに切り替わった。閣僚の不祥事を追及され続け、積もりに積もった鬱憤が爆発。そんなに言うなら解散して民主党を壊滅に追い込んでやると腹を括ったのです」(鈴木氏)
 
これを読んだときは、そんなことで解散を決意するだろうかと思いました。与党は絶対多数なので民主党をつぶす必要はないですし、それに選挙をすれば民主党は議席をふやすはずです。
しかし、よくよく考えると、これこそが真実だと思えてきました。
 
ちなみに安倍首相と枝野幹事長のやりとりはこちらです。
 
 
 
枝野幹事長はちゃんと反論していますが、これは「枝野へブーメラン」ということで、ネットの中ではけっこう受けました。安倍首相も自身のフェイスブックで2度にわたって枝野幹事長と革マル派の関係について書いているので、よほど得意だったのでしょう。
 
安倍首相は打たれ弱い性格です。
一方、攻撃的な性格でもあります。
このふたつは無関係ではありません。
自分が打たれたとき、攻撃することで精神のバランスを保っているのです。
 
安倍首相が枝野幹事長とやりあった当時、安倍首相は閣僚スキャンダルをきびしく追及されていました。
一方、なにかを攻撃しようとしても、攻撃する対象がありませんでした。
 
靖国参拝は封じられていましたし、慰安婦問題でも河野談話の継承を言明していました。中国とも、習近平主席と会談する手はずになっていました。
昨年の春、閣僚が靖国神社の春季例大祭に参拝して中国、韓国から批判されたとき、安倍首相は「わが閣僚はどんな脅しにも屈しない」と大見得を切りましたが、今は中国、韓国を刺激するようなことはなにも言えません。
朝日新聞が慰安婦問題で誤報を認めたとき、ようやく安倍首相は朝日新聞という批判の対象を見つけましたが、それぐらいでした。
 
そうした状況で、安倍首相は枝野幹事長に反撃したとき、まさに「これぞ自分の生きる道」と思ったのです。
 
安倍首相は精神的に窮地に陥ると、身体症状が出てきます。閣僚スキャンダルで追い詰められて、身体症状はかなり悪化していました。そうしたとき、枝野幹事長を攻撃して身体症状が改善するという体験をしたのでしょう。
人間は自分の心がなかなかわからないものですが、安倍首相の場合は体を通じてわかるわけです。
 
自分が健康を取り戻すには、誰かを攻撃するしかない。攻撃する対象は野党しかない。首相の立場では野党攻撃ばかりしていられないが、選挙になれば思う存分、野党攻撃ができる――というわけで、安倍首相は解散することにしたのです。
 
これはもちろん私の推測ですが、いちばんありそうなことに思えます。
 
ほかに納得のいく解散理由はありません。たとえば、財務省の力をそぐための解散だという説がありますが、解散しても財務省の力をそぐことにはなりません。財務省の息がかかった議員に対して、公認しないとか、刺客を送るとかするならわかりますが。
 
ですから、安倍首相の体と心を理解しないと、小学4年生でも解散に疑問を持ってしまうわけです。
いや、小学校4年生はなりすましですが、そんななりすましまで攻撃する安倍首相を見ると、私の説がいよいよ正しいと思えてきます。

「大義がない」とか「わかりにくい」とか言われる今回の解散総選挙ですが、なぜこんなにわかりにくいのかと考えると、結局すべては安倍首相のひ弱な性格からきていると思われます。
もちろん説明不足ということがあるわけですが、説明不足になるのも安倍首相のひ弱な性格からきているわけです。
 
衆議院が解散した1121日、安倍首相は記者会見を行いました。
 
【全文】「この解散はアベノミクス解散」衆議院解散を受け、安倍首相が会見
 
会見の冒頭で安倍首相はこのように語っています。
 
本日、衆議院を解散いたしました。
この解散は「アベノミクス解散」であります。
それを問う選挙であります。
 連日、野党は「アベノミクスは失敗した」と、批判ばかりを繰り返しています。
 私は今回の選挙戦を通じて、私たちの経済政策が間違っているのか、正しいのか。本当に他に選択肢はあるのか。国民の皆さまに伺いたいと思います。
 
このあとずっと、アベノミクスの成果を語ります。
そんなにアベノミクスがうまくいっているなら、解散して信を問う必要なんかないじゃないかと誰もが思います。
ただ、解散理由について質疑応答の中でこのように語ります。
 
そして何と言っても、先ほど申し上げたように、この選挙、消費税増税を18か月延期をしました。 それを「自民党は政権公約に書いていなかったではないか」という批判がありました。だからこそ私たちは選挙を行うんです。
 民主主義の原点は税制であります。税制に重大な変更を行った以上、選挙をしなければならないと考えています。
 
ここに明らかに矛盾があります。
アベノミクスがほんとうにうまくいっていれば、消費税増税は予定通りできたはずです。消費税増税を延期したのは、経済がうまくいっていないからです。だから野党も「アベノミクスは失敗だ」と批判するわけです。
 
この矛盾について安倍首相はこのように説明します。
 
アベノミクスの成功を確かなものとするために、私は消費税10%への引き上げを18ヶ月延期する決断をいたしました。
 
この表現は明らかにごまかしです。そのため「わかりにくい」と言われてしまうのです。
 
安倍首相の立場からは「失敗」という言葉は使えないでしょう。だったら「一時的なつまずき」とか「目標達成の遅れ」というふうに言えばいいわけです。
 
「2年間アベノミクスを推進してまいりましたが、必ずしも思った通りにはいかず、ここで増税すると景気の腰折れを招くおそれがあるので、消費税増税を延期します。そのため財政再建が遅れることを国民の皆様にお詫びします。野党はこれをもってアベノミクスは失敗だと批判しますが、アベノミクスは間違っておらず、一定の成果も得ています。アベノミクスを進めるのか、それとも止めてしまうのか、それを問う選挙です」
 
このように説明すればわかりやすいでしょう。
しかし、安倍首相は「つまずき」や「遅れ」さえ認めようとしないので、わけのわからないことになるわけです。
自分に不都合なことを認められないというのは、心の弱さであり、つまりは安倍首相の性格の問題です。
 
 
そもそも消費税増税を延期するからといって解散総選挙をする必要はなく、そこからすでにわかりにくいわけです。
私はその理由を考えて、安倍政権はマスコミとアメリカに追い詰められているからではないかと結論づけました。
しかし、それは安倍首相がまともな判断力を持っているということが前提です。
マスコミとアメリカはごく当たり前の対応をしているのに、安倍首相が被害妄想に駆られているという可能性もあります。
もしそうであるなら、この解散総選挙が誰にとってもわかりにくいものであるのは当然です。
 
被害妄想かどうかは別にして、安倍首相が精神的に追い詰められているのは明らかです。
 
ニュース23に生出演した安倍首相が、街頭インタビューで批判的な声が多いことに対して、「これ、おかしいんじゃないですか!」とキレたということが話題になったので、その映像を見てみました。
 
news23 安倍首相生出演
 
 
キレるといっても、それほどのことではありません。しかし、全体に精神的に不安定なことはうかがえます。
というのは、やたら民主党批判、野党批判を口にし、それと、やたら経済データを細かく紹介するからです。これは自信のなさの表れです。
 
安倍首相の心中を推測し、野党の選挙準備が進まないうちに選挙をして長期政権にするつもりだという説を唱える人もいますが、それは安倍首相がかなりの自信を持っていることが前提です。上の映像を見る限り、そういうことはありません。
 
安倍首相が精神的に追い詰められていることは間違いありませんが、ただ、安倍首相はそういうときこそ攻めに出るべきだと考えているようです。国会答弁でもやたら野党批判を口にしていましたし、解散に打って出たのもその考えからでしょう。
「攻撃は最大の防御」というように、そのやり方は戦略として間違ってはいません。場合によっては、選挙のあと政権基盤が強化されるということもありえます。
 
とはいえ、政権にちょっと逆風が吹いただけで追い詰められてしまう脆弱な精神の持ち主は首相に不適任です。
安倍首相のひ弱な性格が国民の目にどれだけ見えるかが選挙の勝敗を決すると思われます。

高倉健さんが亡くなりました。
私も健さんの映画はずいぶん観てきました。昔は封切りで観たことはあまりなく、たいていは名画座の3本立てやオールナイト上映です。ヤクザ映画には場末の映画館がよく似合いますし、ヤクザ映画特集のオールナイト上映には独特の熱気があって、笑ったり拍手したりで観客同士の連帯感も味わえました。
 
健さんとヤクザ映画は切っても切り離せません。昨年、文化勲章を受章したとき、本人もテレビの前で「やってきたのはほとんど前科のある役ですが」と語っていました(「幸福の黄色いハンカチ」も出所したばかりの男でしたし)
 
考えてみれば、昔の映画の主人公の多くは、ヤクザや犯罪者でした。石原裕次郎や小林旭が演じたのも、たいていは一匹オオカミのヤクザ者です。「明日に向かって撃て!」や「俺たちに明日はない」はもろにギャングが主人公です。
ですから、観客はヤクザや犯罪者に感情移入して観ていたわけです。
 
昔は「ヤクザ=悪」という考え方はありません。
昔のヤクザ映画の基本は、昔気質の「よいヤクザ」がいて、そこに政治家などとつるんだ儲け主義の「悪いヤクザ」が進出して抗争になるというものです。
その後の実録路線は「悪いヤクザ」ばかりになります。それでも、観客はヤクザに感情移入して観ていました。
 
しかし、伊丹十三監督の「ミンボーの女」になると、大きな転換が起きます。観客は「悪いヤクザ」を外側から見るようになるのです。
「ミンボーの女」が公開された1992年には暴力団対策法が施行されています。ですから、警察司法の考え方が映画の世界にも入ってきた格好です。
 
今では警察司法の考え方が世の中をおおっています。ヤクザは暴力団と名前を変え、「暴力団=悪」となっています。
また、「入れ墨=悪」という考え方も広まっています。これも警察が広めたものです。
「入れ墨=悪」という考え方を持っている人は、健さんの唐獅子牡丹に拍手するわけにはいかないでしょう。
 
今では健さんのヤクザ映画を否定的に評価する人もいるかもしれません。
今のテレビはヤクザ映画をやらないので、若い人は健さんのヤクザ映画を知らず、評価する以前かもしれませんが。
 
今の若い人は、ヤクザや犯罪者に感情移入するのはおかしいと思うかもしれません。
しかし、そこにはそれなりの論理があります。
健さんたちの「よいヤクザ」は、決して弱い者をいじめません。むしろ弱い者を守ろうとします。「悪いヤクザ」は弱い者の商売のじゃまをし、土地を取り上げ、そこに歓楽街をつくろうとしたりするわけで、そこが決定的に違います。
犯罪者が主人公の映画も、銀行ギャングなどはしますが、貧しい人の金品を奪うようなことはしません。
 
「弱い者イジメはしない」
「強い相手と戦う」
 
こういう原理が貫かれているから、観客はヤクザや犯罪者に感情移入したわけですし、全共闘世代からも支持されたわけです。
 
今は、そうした原理よりは法律や規則が優先されるようになっています。「入れ墨=悪」と決められたために、結果的に弱い者イジメになってしまうこともあります。
 
ヘイトスピーチというのも、要するに弱い者イジメです。
 
政府は健さんに国民栄誉賞を授与する検討に入ったという報道があります。
政府は健さんのヤクザ映画をどう評価するのでしょうか。
 
今の時代、健さんの「死んでもらいます」という决め台詞は誰に向けられるのでしょうか。
 

ある投書がきっかけでネット上で議論が巻き起こっています。一見ささいなことのようですが、実はこれが社会のあり方の根本につながっています。
 
「マナーがなってない」のは中高年の方だ! 「若者擁護」の新聞投書めぐりネットでバトル
   「最近の若者はマナーや礼儀がなっていない」とよく批判されているが、むしろマナーや礼儀がなっていないのは中高年の方である――朝日新聞に寄せられた、そんな読者の「本音」がネットで話題になっている。
 
   投稿したのは「牛丼店でアルバイトをしている」という40代の女性で、これを読んだ人たちは、「接客業をしているとこういう結論になる」といった賛同や、マナーや礼儀を知らない人は一定数いて少子高齢化で数の多い中高年が目立っているだけ、などといった反論が出ている。
 
「店でキレて騒いでるのは、おっさんおばさんばかりだよ」
    話題になっているのは20141114日付けの生活面「職場のホ・ン・ネ」への投稿だ。題は「お金投げ置く中高年」となっていて、内容は、若い人は食事を終えた後に「ごちそうさまでした」と言って料金を払ってくれるけれども、レジで言葉もなく、投げるようにお金を置くのは中高年の男性ばかりだ、と書いている。「お金を払って食べてやっている」という感覚なのかもしれないが、そんな親に育てられた子供があいさつしない大人に育つのだと思う、とし、
 
「嘆くべきは常識のない若者ではなく、お手本にならない大人たちではないでしょうか」
 
と疑問を投げかけた。
 
   この投稿は、この欄に117日付けで掲載された投書への反論で、117日付けでは大手企業の社員寮で清掃をしている60代の女性が、「150人程いる20代の独身男性のうち約半数がろくにあいさつもしない」と嘆いていた。
 
   この投書を巡ってネット上では、マナーや礼儀がなっていないのは若者なのか、中高年なのか、といった議論が起きていて、ツイッターや掲示板には、
 
「私も接客業で働いたことあるけど、中高年のおじさんって本当にタチ悪い。何であの年代って横柄なんだろ」
 「若い人にもクズはいるのはあたりまえだが、実際に店でキレて騒いでるのはおっさんおばさんばかりだよ」
 「カスタマーサポートでもクレーマーは大抵40代以降のやつだったなw若い子はおどおどして慣れてない感じだけど敬語だったり謙虚な子がほとんど」
 
などといった意見が出ている。
 
   一方で、少子高齢化社会だから数の多い中高年が目立っているだけであり、若者はマナーや礼儀を知らないばかりか狂暴化しているとし、東京・渋谷での、サッカーやハロウィンの際のバカ騒ぎぶりを挙げる人もいる。
 
「近頃の若者」よりも「近頃の年寄り」を検討すべき
    ただし、「近頃の若い奴らは・・・」と語られ、若者の将来を憂う事はいつの時代にもあったわけだが、ここのところ、若者だけでなく中高年のマナーや礼儀、モラルの低下を指摘する声が大きくなって来ているのも確かだ。
 
   国際政治学者で慶應義塾大学法学部の田所昌幸教授が13113日付けの読売新聞に『「昔はよかった」と言うけれど』(大倉幸宏著)の書評を書いていて、
 
「近年の若者は一般に礼儀正しく、公共の場所でのマナーもよいのに対して、むしろ傍若無人なのは、親父世代に多いように思えてならない」
 
と論じている。いろんな窓口で若い担当者に苦情を言っているのは比較的年配の女性が多い印象だし、電車内で田所教授にいつも絡んでくるのは団塊の世代の男性なのだそうだ。この団塊の世代も「最近の若い者は」というセリフをさんざん聞かされた。若者のマナーやモラルの低下について識者は、都市化や近代化が原因だと結論付けてきたが、果たしてそうなのか、と疑問を投げかけ、
 
「元気のいい高齢者が増えた現代では、『近頃の若者』より、むしろ『近頃の年寄り』の方を検討してはどうかしら」
 
などと提案していた。今回の投書をめぐる議論を通し、田所氏の提案や指摘にあらためて注目が集まりそうだ。
 
これは若者と大人についての昔からよくある話です。
ちなみに私は学生時代にレストランでアルバイトをしたことがありますが、そのときにも若い客よりも中高年の客のほうがやっかいなのは実感していました。
 
ところで、この記事では「マナーや礼儀」という言葉が使われています。「マナーや礼儀」というのはある程度知識の問題ですから、たとえば婚礼や葬式のときの振る舞いについては、若者よりは大人のほうが「マナーや礼儀」をわきまえているに決まっています。
ですから、これは若者と大人とどちらがよい人間か、どちらが人間として正しいかというふうにとらえたほうがいいと思います。
 
人間には社会的地位の上下がありますが、飲食店とりわけファストフード店の店員にとって、そういうことは関係ありません。ですから、飲食店の店員の目にはより人間そのものの姿が映るといえます。
また、インターネットの議論も基本的に人間の社会的地位は関係ありません。
ですから、ここでの議論はかなり人間の本質をついているはずです。
 
というか、これまでそういう議論がほとんどありませんでした。
たとえば、この議論の発端になった投書は、『大手企業の社員寮で清掃をしている60代の女性が、「150人程いる20代の独身男性のうち約半数がろくにあいさつもしない」と嘆いていた』というもので、だから「近ごろの若者はマナーや礼儀がなっていない」という結論に導かれます。
しかし、この社員寮にいるのは20代の独身男性ばかりですから、誰とも比較していないわけです。もし清掃をしている女性が同じところに20年間ぐらい勤務していて、昔の若者と今の若者を比べて、「近ごろの若者はなっていない」という結論を出すのならわかりますが。
 
あるいは、ここが若い社員と同時に年配の部長や課長もいる社員寮だったらおもしろいでしょう。年配の社員はお掃除のおばさんにちゃんとあいさつするのに若い社員はあいさつしないということなら、「近ごろの若者はなっていない」ということになります(おそらくそうはならないでしょう。年配の人や社会的地位の高い人ほど態度は横柄になるものだからです)
 
それから、電車で年寄りに席を譲らない若者がいて、一方、その若者を怒鳴りつける年寄りがいて、どっちが正しいかみたいな議論もよくあります。
しかし、これは異質のものを比較しているので意味がありません。
比較するなら、席を譲らない若者を怒鳴る年寄りと、席を譲らない若者に礼儀正しく席を譲ってくれるよう頼む年寄りです。もちろん後者のほうが人間として正しいことになります。
 
人間、若いときは純粋で、思いやりの気持ちもありますが、年を取るとともにそうしたものは失われ、悪知恵を身につけ、上の者にはへつらい、下の者には横柄になります。
 
しかし、そうしたことを示すデータというのはめったにありません。せいぜい牛丼屋の店員の個人的な感想ぐらいです。
なぜそうしたデータがないかというと、今の社会は若者ではなく大人が支配している社会だからです。自分たちに不都合なデータを出すわけがありません。
 
また、上の記事では、慶應義塾大学法学部の田所昌幸教授が「元気のいい高齢者が増えた現代では、『近頃の若者』よりも『近頃の年寄り』の方を検討すべし」と提案しているということですが、「近頃」という限定は必要ないでしょう。若者対年寄りの問題は、時代によってそれほど変わるとは思えません。
 
人間は年を取るとともに人間としてだめになっていき、そうした大人が自分のことを棚に上げて道徳教育を推進したりするわけです。
 
中には、子どもと触れ合うことで自分自身を見直し、人間として向上する大人もいますが、残念ながら少数派です。

解散風が吹き始めた当初は、野党に対する牽制かなと思っていたら、あっというまに解散総選挙が既定路線になってしまいました。
それにしても、解散する理由がよくわかりません。
アベノミクスが失敗して、今後不景気になるから今やるのだという説がありますが、もし経済の先行きがそんなに正確に見通せるなら、不景気を回避する正しい経済政策を打ち出すこともできそうなものです。
 
選挙をやると、与党は今よりも議席をへらすのは確実です。それでも解散しなければならない理由とはなんでしょうか。
 
ひとつ考えられるのは、マスコミの論調ががらりと変わって、安倍政権にきびしくなったことです。この論調が今後も続くなら、閣僚のスキャンダルがおもしろおかしく報道され、どんどん内閣の支持率が下がっていきます。麻生政権の末期はそんな感じでした。
もしそうなるなら、今解散するのは正しいことになります。
選挙によって、議席はへらしても過半数を確保すれば、「国民の信任を得た」といって胸を張れますし、マスコミは批判しづらくなります。
 
もうひとつの理由は、アメリカの安倍政権に対する態度がきびしくなり、それをはね返すためにも選挙をやって政権基盤を強くしなければならないのではないかということです。
 
APECで安倍首相と習近平国家主席が笑顔のない会談をし、日本では安倍首相と習近平主席のどっちが勝ったのかといったことが取りざたされていますが、おろかなことです。この会談は前もって合意文書がつくられ、どちらも負けないように設定されていたからです。
 
それよりも注目するべきは、オバマ大統領は日本と中国のどちらを重視していたかということです。
この答えは明白です。日米首脳会談はなかったのに、オバマ大統領と習近平主席は、11日に夕食会を含めて約5時間、12日には昼食も含めて約4時間と、合計約9時間も会談しているからです(日米首脳会談がなかったのは、ブリスベンで行われるG20で日米豪首脳会談が予定されているからでもありますが、それでもオバマ大統領が日本より中国を重視しているのは明らかです)
 
安倍首相はこれまで中国の周辺国をすべて訪問して中国包囲網を築いてきましたが、オバマ大統領にすべてぶち壊しにされた格好です。
 
安倍首相と習近平主席の会談が設定されたのも、アメリカの意向があったからでしょう。会談に先立って谷内正太郎国家安全保障局長が訪中して最終調整を行いましたが、谷内局長は外務省出身で、外務省が対米従属路線なのは周知の事実です。
 
オバマ大統領は安倍政権に対して前からきびしい態度をとっていたのでしょう。それはこのニュースからもうかがい知れます。
 
首相「機嫌の悪いオバマ大統領と会わねばいけない」
  安倍晋三首相は5日夜、都内で自民党幹部らと会食した。出席者によると、米中間選挙で民主党が大敗したことから、首相は来週のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議など一連の外交日程を念頭に「機嫌の悪いオバマ大統領に会わないといけない」と語った。
 
中間選挙に負けたからオバマ大統領は機嫌が悪いだろうということだけではなく、安倍首相はよほどオバマ大統領と会いたくないのだろうと推測できます。
 
安倍首相は中国包囲網も対露外交も靖国参拝も慰安婦問題も全部オバマ大統領に否定され、外交でやりたいことがなにひとつできなくなっているのです。
 
つまり安倍政権は日本のマスコミとアメリカの連合軍に包囲され、この苦境を脱するためには解散総選挙に打って出るしかなかったというのが真相ではないでしょうか(ということは、日本のマスコミはアメリカの意を体して動いているのではないかということでもあるのですが)

資本主義対社会主義の対立がなくなっても、いまだに右翼対左翼の対立があるのはなぜかということを前から考えているのですが、それについておもしろい科学的研究が発表されました。グロ画像を見たときの脳の反応で政治的立場がわかるというのです。
ちなみに私はスプラッターホラーが大好きです。私の政治的立場はどうなのでしょうか。
 
 
グロ画像を見た時の脳の反応で政治的傾向が右なのか左なのかがわかる?(米研究)
 うえっとなるような不快な画像を見た時の脳の反応を見ることで、その人の政治的傾向が保守的(右寄り・コンサバティブ)なのか、革新的(左寄り、リベラル)なのかがわかるという面白い研究結果が報告された。
 
  不快画像というのはいわゆるグロ画像のことで、ウジ虫やバラバラ死体、キッチンの流しのヌメっとした汚れやツブツブが密集したものなどである。
 米バージニア工科大学カリリオン研究所のリード・モンタギュー教授率いる研究チームは、83人の男性と女性を対象に、不快な画像、心地よい画像(赤ちゃんや美しい風景など)、そのどちらでもないニュートラルな画像を取り混ぜて見せてMRI脳スキャンを行った。
 
  被験者はその後、グロ画像の不快感を覚えた度合いを評価し、その後、「銃規制」「同性結婚」「移民問題」などを含む政治理念に関するアンケートに答えた。
 
  その結果、右寄り(保守)も左寄り(革新)も、自己申告したグロ画像に対する“不快度”はほぼ同じだったにもかかわらず、脳スキャン上では、嫌悪の認知、感情の制御、注意力、そして記憶力に関する脳活動が大きく異なっていた。
 
  総じて右寄りの人の脳の方が、グロ画像に対して強く反応したという。特に保守的な傾向にある人は嫌な画像をみると、その対象を理解するために必要なものでも、強い拒絶反応を示すようだ。
 
  右寄りの人と左寄りの人の脳スキャンは、あまりにも違っていたため、基本的にわずか1枚のグロ画像に対する脳の反応を見るだけで、95%の確率でその人の政治的傾向を言い当てることができたそうだ。
 
  なぜ政治的に右寄りの人の脳は強くグロ画像に反応するのか?
  その理由やメカニズムについては、さらなる研究が必要だという。
 
  モンタギュー教授は、「政治的傾向は、両親から遺伝で受け継ぐケースが多いと考えられるが、遺伝子に加えて環境や経験の影響も受けます。ただ、政治的思想の違いの原因が、脳の構造の違いにあり、“単なる反応”だと考えれば、政治的な対立や緊張を和らげる効果をもたらすかもしれません」。と話している。
 
via:metro・原文翻訳:mallika
 
追記:一部訂正を修正して再送します。(20141182020
 
 
「グロ画像」への反応で政治的立場がわかるというのは、意外なようですが、納得する部分もあります。
たとえば、ベトナム戦争の枯葉剤の影響によるとされるシャム双生児の「ベトちゃんドクちゃん」は、ずいぶんとマスコミに取り上げられました。この2人を「グロ画像」という言葉で表現するのは申し訳ないのですが、拒絶反応を示す人も多かったはずです。
「ベトちゃんドクちゃん」を取り上げた人たちは、反戦かつ反米の思いがあったのではないかと思われます。
 
また、アウシュビッツなどの、骨と皮だけの死骸が大量にある写真は、それだけで強制収容所の実態を物語っています。こうした写真を取り上げる人たちも、反ナチと反戦の思いがあるのでしょう。
 
一方、右翼はカンボジアのポル・ポト派の虐殺写真を反共プロパガンダに利用すればいいはずですが、あまりやっていません。ただ、虐殺されたのは200万人だとか300万人だとか数字だけを言っています。
 
やはり右翼は「グロ画像」に拒絶反応を起こすようです。
「グロ画像」に拒絶反応を起こすということは、グロい現実にも拒絶反応を起こすということでしょう。
そう考えたとき、私は右翼的思考の本質がわかった気がしました。
 
右翼はグロい現実に拒絶反応を起こすため、それを脳内でグロくないものに変換しないと受け入れることができません。つまりグロい現実を美化してしまうのです。
 
この世でもっともグロい現実は戦争です。戦場で兵士は手足がちぎれ、はらわたは飛び出し、飢えて衰弱した兵士の体には生きたままウジがわくといいます。しかし、右翼はこのような現実は目に入らないのです。右翼の目に映るのは、英雄的に戦う兵士だけですし、戦死者はみな英霊になります。
「特攻に行かされた兵士」というのも悲惨ですから、右翼にとってはすべて「みずから志願して特攻に行った兵士」になってしまいます。
ヒロシマ、ナガサキの悲惨さも右翼は認識できていないのかもしれません。原水爆禁止運動ももっぱら左翼が担ってきました。
 
1日に何十人もの客をとらされた慰安婦もきわめて悲惨です。ですから右翼は「慰安婦は高給を取っていた」などと脳内変換してしまうわけです。
 
このように考えると、右翼の思考が全部説明できます。
 
原発事故の悲惨さも右翼は認識できていないのでしょう。
 
 
ところで、引用した記事は、最初翻訳の誤りで、左翼が「グロい画像」に拒絶反応を起こすというようになっていたようです。そのためコメント欄に「左は現実を見たくないお花畑だということが科学的に証明された」というような書き込みもあります。
しかし、実際は右翼が現実を見たくないお花畑だということが科学的に証明されたわけです。

10月末、リベリアに滞在したことのある日系カナダ人の男性が成田空港で発熱を訴え、エボラ出血熱ではないかと疑われました(結果は陰性)。この男性はジャーナリストであると報じられたことから、ニューヨークタイムズのオオニシ記者ではないかということで、ネットの一部で盛り上がりがありました。
 
ニューヨークタイムズのオオニシ記者は、ネトウヨの世界では有名人です。ニューヨーク・タイムズにネトウヨにとって都合の悪い記事が載ると、それはたいていオオニシ記者が書いたものです。しかし、ネトウヨはいちいちその記事の内容に反論したりはしません。「またオオニシか!」というひと言で片づけてしまいます。
 
ネトウヨはこうした論法を常用します。都合の悪い記事が朝日新聞に載っていると、「また朝日か!」というひと言でその記事を否定するわけです。
 
「思考のトラップ」(デイヴィッド・マクレイニー著)という本に、こういう論法のことが「人身攻撃の誤謬」として紹介されています。つまり、相手がどんな人物であるか、相手がどんなグループに属しているかによって、相手の主張が正しくないと决めつける論法のことです。
 
たとえば、誰かに車の運転を批判されて、「よく言うよ。自分のほうがよっぽど下手くそじゃないか」と言い返すのも「人身攻撃の誤謬」です。批判した人間が運転下手だとしても、自分の運転が下手でないことの証明にはならないからです。
 
今のは素朴な例ですが、もっと巧妙なものとしては、裁判で被告が無実を主張しているとき、検察側が被告はうそつきで信用ならない人間だと証言する証人を用意するということもあります。
 
こうした論法が有効なのにはそれなりの理由があります。
私たちはみすぼらしい服装の人の言うことよりも立派な服装の人の言うことを信じる傾向があります。言っている内容を検討するよりも外見で判断したほうが「思考の節約」になるからです。こうした性質は進化の過程で獲得されたものと思われます。
しかし、なにが正しいかを議論して決めようとしているときに、「思考の節約」をすることは間違っています。
 
「人身攻撃の誤謬」に陥っているのは、ネトウヨの顕著な特徴です。左翼にはあまり見られません。
 
いや、ネトウヨだけではありません。安倍首相も同じ論法を使っています。
 
衆院予算委員会で枝野民主党幹事長が宮沢経産相の外国人献金の問題を追及したとき、安倍首相は枝野幹事長が革マル派とつながりのあるJR総連から献金を受けていたことを持ち出して反撃しました。これはまさに「人身攻撃の誤謬」です。かりに枝野幹事長に問題があったとしても、宮沢経産相の行為が正当化されるわけではありません。
 
安倍首相はまた、吉田忠智社民党党首が安倍首相の脱税疑惑を追及したときも激高しました。
 
 
安倍首相、「脱税疑惑記事」質問で激高 今度は「週刊誌憎し」の感情が爆発
  国会答弁で感情をあらわにすることが増えている安倍晋三首相が、また質問者に対して激高する場面があった。
 
   2014114日の参院予算委員会で、安倍首相の脱税疑惑を指摘した07年の週刊誌記事をもとに「時効の利益を放棄して自発的に納税してはどうか」などと質問した社民党の吉田忠智党首に対して「ただ今の質問はね、私、見逃すことできませんよ?重大なですね、名誉棄損ですよ!」などと食ってかかったのだ。
 
   この週刊誌の記事は、第1次安倍内閣が退陣に追い込まれた直後に発表されている。安倍首相は、記事を「まったくの捏造」と断じるが、週刊誌では脱税疑惑を「安倍首相を辞任に追い込んだスキャンダル」と自画自賛している。安倍首相としては古傷に塩を塗られた形で、いつもに増して感情が先行したようだ。
 
「時効の利益を放棄していただいてですね、自発的に納税してはいかがかと思いますが」
 
 
   吉田氏が国会で取り上げたのは、「週刊現代」07929日号のトップ項目に「本誌が追い詰めた 安倍晋三『相続税3億円脱税』疑惑」と題して掲載された記事。父親の故・安倍晋太郎元外相が生前に個人資産を自らの政治団体に寄付し、安倍首相はこの政治団体を引き継いだ。その過程で相続税を不正に免れていた疑いを指摘する内容だ。
 
   929日号は915日に発売され、週刊現代が安倍事務所に送った質問状の回答期限は912日だった。だが、安倍首相側は質問状に回答しないまま、91214時に会見を開いて辞意を表明したという経緯がある。
 
   委員会では、吉田氏はこの経緯は特に説明せず、記事の内容を要約して話すにとどめた。その上で、
 
「脱税額3億円について、確かに時効になっています。ぜひ、時効の利益を放棄していただいてですね、自発的に納税してはいかがかと思いますが」
 
とたたみかけた。その直後に安倍首相は激高、一気に吉田氏を責め立てた。安倍首相が怒った原因は、大きく2つあるようだ。ひとつが、吉田氏の質問が週刊現代の記事のみを根拠にしていたという点だ。
 
「ただ今の質問はね、私、見逃すことできませんよ?重大なですね、名誉棄損ですよ!吉田さんは、今その事実をどこで確かめたんですか?まさか週刊誌の記事だけじゃないでしょうね?週刊誌の記事だけですか?週刊誌の記事だけで、私を誹謗中傷するというのは議員として私は恥ずかしいと思いますよ?はっきりと申し上げて。この予算委員会の時間を使って、テレビを使って、恥ずかしくないんですか?自分で調べてくださいよ!それくらいは」
 
   もう一つが、吉田氏の質問が、記事の内容が事実だという前提に立っていたことだ。
 
「これ(記事の内容)は全くの捏造です。はっきりと申し上げておきます。当たり前じゃないですか!これは少し、委員会で問題にしていただきたいと思いますよ?こんな私を、まるで犯罪者扱いじゃないですか!時効とか言って今、吉田さんちゃんと答えてくれなければ、ちゃんと答弁できませんよ!」
 
「政治とカネとか言ったって、結局週刊誌の記事だけじゃありませんか!」
 
   吉田氏は
 
「断定的に申し上げたことは申し訳なく思いますけれども、分からないから聞いてるんですから、答えてください」
 
と食い下がったが、安倍首相にとっては「火に油」だった。
 
「断定するんだったら、この週刊誌以外の証明をしなければならないんです。で、一回一回ですね、週刊誌の記事に私は答えなければいけないんですか?これから、吉田さんが色んな週刊誌を読んで、『安倍さんどうなんですか?』と。いちいち、これからも聞いてくるんですか?私は週刊誌にいろんなこと書かれましたよ!どっかで隠し子がいるということも書かれた。そんなこともいちいち吉田さん、聞くんですか?だいたい失礼ですよ!そんなことに、私は大事な予算委員会の時間を使う...国民の多くの皆さんもウンザリしてると思いますよ?このやりとりには。このやりとりにはね。結局、今の吉田さんの根拠というのは、政治とカネとか言ったって、結局週刊誌の記事だけじゃありませんか!」
 
   一連の答弁からは、安倍首相が「週刊誌の記事」に相当な恨みを持っていることがうかがえる。安倍首相の退陣表明直後に発行された07912日の毎日新聞夕刊には、こうある
 
「首相の辞任をめぐっては、今週末発売の一部週刊誌が安倍首相に関連するスキャンダルを報じる予定だったとの情報もある」(1面)
 「突然辞意を表明した安倍首相については、『週刊現代』が首相自身の政治団体を利用した『脱税疑惑』を追及する取材を進めていた」(社会面)
 
   体調不良だった安倍首相にとって、週刊誌記事の真偽はともかく、記事が出ること自体が「とどめ」になったとの見方もあり、委員会の場で古傷をえぐられたことで激高した可能性もある。
 
 
安倍首相はこのとき、ふたつの「人身攻撃」をしています。
ひとつは、週刊誌の記事だけを根拠に質問した「吉田氏の議員としての姿勢」です。これは確かに国会で質問する議員としてはお粗末です。
もうひとつは、「週刊誌の記事」です。確かに週刊誌の記事にはいい加減なものがあって、信用度は低くなります。
 
しかし、「吉田氏の議員としての姿勢」がお粗末で、「週刊誌の記事」にいい加減なものが多いからといって、安倍首相の脱税疑惑が解消されるわけではありません。
完全に「人身攻撃の誤謬」に陥っています。
 
これは安倍首相だけではありません。菅官房長官も同じです。
 
 
菅長官も大激怒! 社民の脱税追及に「常識がない」
 
 菅義偉(すが・よしひで)官房長官は5日の記者会見で、安倍晋三首相が社民党議員から週刊誌報道に基づいた「脱税疑惑」の追及を受けたことについて「質問する人たちの常識がない」と指弾した。
 
 そのうえで「週刊誌の記事で脱税したと断定されて、反撃しなければ認めていることになる。事実と異なる質問を受けたら、答える側も明らかにする権利がある」と述べた。
 
 社民党の吉田忠智党首が4日の参院予算委員会で平成19年に週刊誌が報じた「3億円脱税疑惑」の記事を取り上げ、「時効だが自発的に納税してはいかがか」と迫ったことに、首相が「捏造(ねつぞう)だ」と反発していた。
 
菅官房長官はここで「反撃」という言葉を使っています。「反論」でないところが、まさに語るに落ちるというところです。
「質問する人たちの常識がない」というのもまさに「人身攻撃の誤謬」です。
 
安倍首相も菅官房長官もみずから「思考のトラップ」あるいは「詭弁の論理」にはまりこんで、言論の府としての基本が失われています。
内閣全体がネトウヨクオリティになっているわけです。

「バカの壁」(養老孟司著)400万部を超える記録的ベストセラーですが、これだけ売れたのはタイトルの効果も大きかったでしょう。
「バカの壁」というのは、自分の頭の中に「バカの壁」があって、正しい認識を妨げているという意味ですから、「認知バイアス」という言葉で表現できます。しかし、「認知バイアス」というタイトルの本では売れないでしょう。
 
また、「バカの壁」という言葉を、自分のことは棚に上げて、もっぱら人のバカを責めるために使っている人もいます。
「自分のバカは棚に上げて他人のバカを批判する」というのも、「バカの壁」のひとつの現れです。
というか、「自分と他人を公平に比較できない」「なんでも自分に都合よく考える」ということこそ「バカの壁」の最たるものでしょう。
 
そういう意味では、最近の出版界では“バカの壁本”あるいは“バカ本”とでもいうべき本があふれているように思えます。
そう思ったきっかけは、この本が週間ベストセラーの中に顔を出していたことです。
 
「住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち」(川口マーン恵美著)
 
著者はドイツ在住30年の日本人で、「住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち」という本も出しています。
 
この本のタイトルがおかしいのは、日本人が日本とヨーロッパを比較して勝ち負けを判定しているところです。それでは客観的・中立的な判定のできるわけがありません。
スポーツの世界では、国際試合の審判は中立的な国の人間が務めるというのが常識ですが、それでも審判は、ホームタウンデシジョンといって、地元に有利な判定をしがちです。
 
ちなみにアマゾンで「住んでみたヨーロッパ――」のレビューを見ると、かなり評価は低いです。
それでもベストセラーになるのですから、こうしたタイトルの本に引きつけられる人が多いのでしょう。
 
竹田恒泰氏が評論家としてメジャーな存在になったのは、「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」という本を出したことがきっかけです。この本のタイトルもいかにもへんですが、これがベストセラーになりました。
 
今、書店には嫌韓本があふれていますが、もちろんほとんどは日本人が書いたものです。その内容は、日本人に都合のよいものになっているに決まっています。
日本と優劣を比較せずに韓国を紹介する本なら読む価値がありますが、嫌韓本はそういうものではないはずです。
 
「日本人が日本と外国を比較して日本を持ち上げる本」がよく売れているというわけですが、こういう本を読んでも偏った知識しか得られません。
おそらくもともと偏見を持っている人が読んで、ますます自分の偏見を強化しているのでしょう。
 
テレビ番組でも、外国人に評価される日本文化や、外国で活躍する日本人を紹介するものがやたらにふえています。もちろんその番組をつくっているのは日本人ですから、これもまた偏見を強めるだけのものでしょう。
 
「バカの壁」を乗り越えるのではなく、「バカの壁」の前であぐらをかいている格好です。
 
こういう人がふえたのでは、日本が沈滞するのは当然です。
そうなった原因は、右翼思想が蔓延したからであり、自民党の治世が長く続いたからだと思っています。
 

安倍首相は1030日の衆院予算委員会において、『今日の朝日新聞ですかね。「撃ち方止め」と私が言ったと。そういう報道がありました。これは捏造です』と語りました。
しかし、実際のところは、朝日新聞だけでなく産経新聞、日経新聞、毎日新聞、共同通信の各社が報道していました。
あやふやな記憶をもとに名指しで批判するというのは大いに問題ですが、この時点では勘違いという弁解もできたでしょう。
 
30日の夕方、最初の記事の情報提供者であった首相側近議員は、「私が『これで、撃ち方やめですよね』と言ったら、総理たちも理解を示した」というふうに説明を修正しました。側近議員がほんとうのことを言っているとは限りませんが、いずれにしても朝日新聞やその他の新聞社が捏造したものでないことは明らかです。
そして、このことは31日の朝刊で記事になりました。
 
これで安倍首相は自分の発言の間違いを認めるかと思ったら、31日の午前にまた同じような発言をしました。
 
「撃ち方やめ」発言、首相が重ねて否定 衆院特別委で
201410311422
   安倍晋三首相は31日午前の衆院地方創生特別委員会で、首相が「撃ち方やめになればいい」と発言したと朝日新聞や他の全国紙などが30日付朝刊で報じたことについて「私は『撃ち方やめ』とは言っていない。火がないところに火をおこしている。記事としては捏造(ねつぞう)だろうというのが率直な感想だ」と述べ、発言を重ねて否定した。
 
 首相はこれに関連し、朝日新聞の報道について「自分が思う方向にもって行きたい、安倍政権を倒したいという方向にもっていくから、そういう間違いが起こる」と語った。
 
 朝日新聞をはじめ他の全国紙は、29日の首相と側近議員の昼食会の様子を出席者に取材して記事化した。首相は30日の衆院予算委員会集中審議で朝日新聞を名指しして「捏造だ」と発言を否定した。一方で、「誹謗(ひぼう)中傷はやめるべきではないかという趣旨のことは話した」と述べた。
 
 朝日新聞が取材した出席者は同日夕、「撃ち方やめ」は自身の発言だったとして、首相の発言だったという説明を修正した。
 
再び「捏造だ」と言ったわけです。これはどういうことなのでしょうか。その日の朝刊を読んでいなかったのかもしれません。しかし、自分の「朝日新聞の捏造」発言が問題化していることはわかっているはずです。
 
安倍首相はまともな精神状態にないのかもしれません。
 
小渕優子経産相と松島みどり法相のダブル辞任で安倍首相はピンチに陥っています。こういうときに攻撃的になるのが安倍首相の常套手段であるようです。つまり「強い自分」を演じることで精神のバランスを保とうとしているのではないかと思われます。
 
考えてみれば、タカ派というのはみな同じ精神構造なのでしょう。
 
さらにいうと、ヘイトスピーチにも通じるものがあると思います。
というのは、橋下徹大阪市長対桜井誠在特会会長の対面を思い出したからです。
相手の言うことを聞かず、ただ攻撃的に自分の主張を述べるところが似ています。
 
橋下徹市長、ブチギレ大激怒!vs 在特会・桜井誠会長【まるで子供の喧嘩状態】
 
 
 
日本の首相がヘイトスピーチの親玉と似たような喋り方をしているというのは(私の感想ですが)、実に困ったことです。
 
 
しかし、安倍首相がこのようになっているのは、朝日新聞のほうにも原因があります。適切な反論ができていないのです。
 
たとえば、上で引用した記事のタイトルは、『「撃ち方やめ」発言、首相が重ねて否定 衆院特別委で』となっていますが、これは焦点がずれています。「撃ち方やめ」発言は首相側近議員もすでに否定しているからです。ここでのタイトルは、『首相重ねて「朝日が捏造」発言』となるはずです。
つまり明らかに朝日新聞の捏造ではないのに、安倍首相は捏造と言っているのですから、ここは朝日新聞の攻めどころであるわけです。
 
また、安倍首相は『「朝日新聞は安倍政権を倒すことを社是としている」と。かつて主筆がしゃべったと』とも答弁しています。これに対して朝日新聞は「朝日新聞社に『安倍政権を倒す』という社是はなく、主筆が話したこともありません」と否定の記事を書いています。
こういうところも、「首相ともあろう者が不確かな伝聞をもとに批判するのは許されない」と追及すれば朝日新聞が有利になるはずです。
 
小さなことほどごまかしが利かないので、相手の小さな間違いを追及して、訂正と謝罪を要求するのが論争のコツでもあります。
 
朝日新聞にはさまざまな問題がありますが、論争力や攻撃力の欠如もそのひとつです。
 
とはいえ、安倍首相の答弁や橋下市長対桜井在特会会長の論争を見ていると、世の中が殺伐としてきたと思わざるをえません。
まさに「道徳という棍棒を持ったサル」が殴り合う世の中です。

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