村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

2015年02月

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クリント・イーストウッド監督の「アメリカン・スナイパー」を観ました。
アメリカではクリント・イーストウッド監督の作品としては過去最高の興行収入をあげ、日本でも公開された週の興行成績はトップでした。イスラム国の問題が関心を集めているというタイミングもよかったのでしょう。
 
イラク戦争で160人以上を射殺し、“レジェンド”といわれたスナイパー、クリス・カイルの自伝が原作です。
敵のほうにも、オリンピック出場経験のあるムスタファという凄腕のスナイパーがいて、その対決がストーリーの軸になっていて、多少エンターテインメント色がついています。
 
クリス・カイルはテキサス生まれ、ロデオが好きな、典型的なアメリカ人です。父親からは「人間は羊・狼・番犬の三種類しかいない。お前は羊になるな、羊を守る番犬になれ」という教えを受けます。そして、9.11テロを目の当たりにして、アメリカを守る番犬になるため志願してアメリカ海軍特殊部隊ネイビーシールズに入隊してスナイパーになります。
 
イラクに派遣されると、「仲間を守る」という行動原理で敵をやっつけ、仲間の海兵隊員を救い、功績をあげていきます。
彼らの敵はザルカウィ一派であり、中でもザルカウィの副官で“虐殺者”のあだ名で呼ばれる男です。
“虐殺者”はとにかく残虐で、電気ドリルで子どもを殺したりします。
 
敵が残虐であるということは、こちら側が正義であるという理屈になりがちです。アメリカでは、おおむねこの映画は愛国者に歓迎されたようです。
 
しかし、この映画は単純に「アメリカは正義、敵は悪」というものではありません。「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」をつくったイーストウッド監督がそんな描き方をしないのは明らかです。
 
朝日新聞にイーストウッド監督のインタビューが載っていて、それによると、原作には「野蛮」という言葉はなかったそうですが、クリス・カイルに問いただすと、実際には「野蛮」という言葉を使っていたということで、映画には「野蛮」や「蛮人」という言葉が出てきます。つまりアメリカ兵は敵を「野蛮」と見なしているのです。

「野蛮」といっているのはとりあえず敵の武装グループのことですが、イラク人やイスラム教徒全体を「野蛮」と見なしているということも否定できません。
 
これはイラク戦争の本質だと思います。
イーストウッド監督はちゃんと本質を見抜いて、映画に表現したのです。
 
この映画には、主人公のクリス・カイルとイラク人の人間的な交流は描かれません。
彼が守ろうとするのはあくまで仲間であるアメリカ兵です。イラク人を守ろうとするのではありません。
 
ハリウッドのエンターテインメント映画のお決まりのパターンであれば、まず主人公とイラク人少年の人間的な交流が描かれます。そして、邪悪な敵が現れて少年や町の人々が危機に瀕し、主人公が英雄的な戦いで敵を打ち負かします。ラストシーンは主人公が少年や町の人々の歓呼に迎えられるというものです。
 
しかし、この映画では主人公たちとイラク人との交流がないので、そのような展開にはなりようがないわけです。
 
原作がノンフィクションですし、この映画はイラク戦争の実態をかなり正確に描いているのではないかと思われます。
 
ベトナム戦争のときは多数のジャーナリストが戦場に入り込み、戦争の実態を伝えました。そのため反戦運動が高まったということがあったので、アメリカは湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争では徹底的な情報統制を敷き、私たちは戦争の実態がまるでわかりません。ですから、そういう意味でもこの映画は貴重です。
 
戦場帰りの兵士が精神を病み、家庭生活がうまく営めなくなるというところも描いています(ちなみに自衛隊員でイラクに派遣されたのちに自殺した人は28人にもなるということで、日本人にとっても人ごとではありません)
 
予告編で暗示されているように、クリス・カイルが女性や子どもを射殺するシーンもあります。それでいて戦闘シーンはそれほど派手ではないので、痛快な戦争エンターテインメント映画というわけにはいきません。
しかし、イラク戦争、さらには現在行われているイスラム国との戦いについて考えるにはとてもいい映画です。

現在のテロ対策は根本的に間違っています。
たとえていえは、家にゴキブリが出たとき、大騒ぎしてひたすらゴキブリを叩きまくっているようなものです。
「ゴキブリを1匹見つけたら20匹いる」という俗説もあるように、見つけたゴキブリだけ退治してもほとんど意味はありません。家を清潔にして、ゴキブリが住めないような環境にすることがいちばんの対策です。
 
テロリストをゴキブリにたとえるのは、テロリストに対してたいへん失礼でした。そこで、別のたとえをすることにします。
 
奴隷解放以前のアメリカの南部を想像してください。
黒人奴隷が毎日過酷な労働を強いられています。白人の監督官は無慈悲で暴力的です。あるとき、1人の奴隷がたまりかねて、手近にあった棒をつかんで白人の監督官に殴りかかり、監督官を殺しました。
その奴隷が裁判にかけられたとします(実際は裁判によらずに“処理”されてしまうでしょうが)
もちろん白人の監督官を殺した行為は殺人罪に当たります。殴り殺すという手口も残忍です。被告は常日ごろから乱暴なふるまいをすることが多く、奴隷仲間からも嫌われていることも明らかになります。
 
ただ、弁護人は被告が置かれていた過酷な状況を説明し、情状酌量の余地があると主張します。
それに対して検察は、ほかの奴隷は同じ状況に置かれてもおとなしく働いている。これはあくまで被告の人間性の問題だと主張します。
 
ちなみに映画「風と共に去りぬ」には、北軍と戦うために銃の代わりにシャベルやツルハシを持ってみずから前線に向かう黒人奴隷の姿が描かれます。原作には、黒人のメイドや執事と白人の主人との人間的な交流も描かれます。
 
つまりほとんどの奴隷は白人に従順な“よい奴隷”なのだから、被告が“悪い奴隷”になったのは本人のせいだということになるでしょう。
 
確かにこれは殺人事件です。
しかし、奴隷制度をそのままにして被告を裁くのは間違っているといわざるをえません。
 
 
現在、テロリストに関する議論は、殺人を犯した黒人奴隷を裁こうとしているのに似ています。
確かにテロリストは残忍で非道な犯罪者です。
イスラム教徒のほとんどは“よいイスラム教徒”で、テロリストは“悪いイスラム教徒”です。
しかし、欧米キリスト教国が中東イスラム国に対して支配的で、パレスチナ人の人権がイスラエルによって侵されても、イスラエルとアメリカの軍事力の前になにもできない状況は、奴隷制にも似ています。
この状況をそのままにしてテロリストだけ裁こうとしているのが、今のテロ対策です。
 
グローバルかつ歴史的な視野でテロをとらえると、おのずと正しい対策が見えてくるはずです。

東京マラソンの警備の人数は、過去最高の1万人以上になったということです。もちろんテロの脅威が高まったからです。
東京オリンピック招致のとき「世界一安全な都市」というのを売りにしていたのに台無しです。
警備にかかったよけいな費用を安倍首相に請求したいものです。すべては安倍首相が勝手に“宣戦布告”したからです。
 
日本はすでに「テロとの戦争」に巻き込まれています。
いや、巻き込まれているのではなく、安倍首相が自分から突っ込んでいったのです。
 
そもそも「テロとの戦争」とはなんでしょうか。これには浅田彰氏が明快な説明をしておられたので、引用します。
 
 
9.11直後に言ったごく当たり前のことを念のために繰り返しておけば、戦争は国家と国家が行なうものであるのに対し、テロは(国家によるものを除き)あくまで犯罪であって警察が検挙し裁判にかけるべきものである。ところがアメリカが「対ドラッグ戦争」や「対テロ戦争」という言葉を一般化した結果、戦争だから裁判なしに敵を殺しても拘束してもいい、しかも、敵は国家ではないから、敵国に宣戦布告することなくその領土で勝手に敵を攻撃(たとえば空爆)してもいい、というような驚くべき無法状態に陥った。民間の論者が議論をわかりやすくするため「ドラッグ・カルテルやテロ組織が国家を超える力をもつケースが増え、国家がそのような非国家と行う非対称戦争が重要になってきた」などと言っても許されるだろうが、法治国家の政治家や軍人が「戦争」という言葉をそうやってメタフォリカルに濫用し、超法規的な実力行使に走るのは、見過ごすことのできない大問題なのだ。
(パリのテロとウエルベックの『服従』より)
 
 
つまり「テロとの戦争」というのは、「犯罪対策」でありながら「戦争」でもあるというヌエみたいなもので、都合のいいところだけつまみ食いできるわけです。
 
安倍首相がエジプトでのスピーチで「ISILと闘う周辺各国」に人道支援を行うと言い、イスラエルで両国国旗の前でネタニヤフ首相と笑顔で握手したことが実質的な宣戦布告で、そのときから日本は「テロとの戦争」に参戦しました。
 
それまで日本は、あまりイスラエル寄りにならないように、周辺のアラブ諸国に配慮した外交をしてきましたが、安倍首相は明らかに路線変更したのです。
 
「テロとの戦争」への参戦は、日本にとってなんの利益もありませんし、世界への貢献にもなりません。イスラム国をやっつけたところで、テロを拡散させるだけですし、中東情勢もますます不安定になるでしょう。
欧米の人々にはイスラムへの憎悪の感情があるので、利害を超えてやっているのでしょうが、日本人にそんな感情はありません。
 
では、安倍首相がなぜ参戦したかというと、アメリカから要請されたということもありそうですが、「選択」2月号の『自衛隊「対イスラム国」参戦の現実味』という記事にはこう書いてあります。
 
 
総選挙に社会の関心が集まっていた昨年暮れ、首相は側近議員にこう告げた。「これから米国がイスラム国との戦いで支援を求めてくることもあるだろう。我々が助ければ、米軍は尖閣諸島有事の時、我々を支援してくれるはずだ」。首相官邸、外務省、防衛省・自衛隊のなかで、「自衛隊の対イスラム国戦闘への参加」の可能性を検討する極秘の研究が始まった。
 
  首相が語ったように、これは全く可能性がない話ではない。ワシントンでは最近、「アベは自衛隊を普通の軍隊にしたいそうじゃないか。いっそ、自衛隊をイスラム国との戦闘に参加させたらどうか」という、冗談とも本音ともつかないような話が一部関係者の間で流れているからだ。
 
 
アメリカに要請される前に安倍首相のほうが前のめりになっていたということです。
 
では、なぜ安倍首相は無意味な「テロとの戦争」に参戦したかったのかというと、安倍首相はつねに戦争か戦争に準じる状況にいないと精神のバランスが保てないからではないかと私は推測しています。
 
安倍首相は就任当初、靖国参拝や慰安婦問題などで中国、韓国と軋轢を起こし、そこで「戦う自分」を打ち出していましたが、おそらくアメリカから止められたのでしょう。そこで、今度は野党との戦いに切り替えて、解散総選挙をしました。
選挙が終わると、すぐに「テロとの戦争」への参戦を画策したというわけです。

日本人の人質が殺されたことで安保法制の議論も好戦的な方向に持っていけます。
 
軍事ジャーナリストの神浦元彰氏は自身のホームページで現在の安保法制の議論についてこのように書いておられます。
 
 
安倍首相が安全保障で暴走を続け、家の中の「ちゃぶ台」どころか箪笥(たんす)や本箱や食器棚もひっくり返している。
 
 今まで築きあげた日本の安全保障は、安倍政権で否定されるか上書きされそうである。
 
 当事者の自衛隊員には何の発言もないまま、自衛隊は日米安保体制から脱してすべての友好国軍との共同作戦を行う。周辺事態の縛りをなくし地球規模で作戦が可能にする。これからは自衛隊の海外派遣に国連決議の有無を問わないなど・・・言いたい放題である。
 
 与党の公明党さえ黙らせば、軍事政策は安倍政権のやりたい放題のことができるようだ。
 
ところで安倍首相は自衛隊の現状を見たことがあるのだろうか。戦争のリアルな実態と自衛隊の現状を知った上で、今のような安全保障改革案を提議しているのか。
 
 本日(2月21)の全国紙の1面トップ(東京版)の見出しだけでも暴走している異常さを理解できそうだ。
 
シーレーンで後方支援 周辺事態法改正案・・・・・ 読売新聞
 
 安保関連法案 「周辺」の概念削除・・・・毎日新聞
 
 与党協議に政府案 自衛隊活動 大幅に拡大・・・・朝日新聞
 
 自衛隊派遣法制 全容判明 武器使用権限を拡大・・・・産経新聞
 
 今にも日本が戦争を始めるような騒ぎである。今まで、日本が求めて平和国家の理想は木っ端みじんに吹き飛んだ。
 
 
このような安倍首相の暴走をまともに批判できないマスコミもなさけないものです。
 
ところで、この記事のタイトルの「戦争狂時代」という言葉はチャップリンの「殺人狂時代」をもじったものです。安倍首相にはぴったりの言葉だと思います。
チャップリンには「独裁者」という映画もありました。

共産党の志位委員長が2月17日、衆院本会議場で代表質問している際、議場から「まさにテロ政党」というヤジが飛んだということです。
 
「テロ政党」やじ 共産が「誹謗中傷」と批判 「自民席から」とも指摘
 
 
また、産経新聞は安倍政権批判する人を「イスラム国寄り」とレッテル張りする記事を載せたということです。
 

安倍政権を批判しただけで「イスラム国寄り」人物リストに!戦前並みの言論統制が始まった

 
こういうふうにレッテル張りをする人というのは、要するに頭を使いたくない人です。レッテル張りをした瞬間、そこで思考停止してしまうわけです。
 
共産党とテロがどう結びつくのかわかりませんが、たとえば勤皇の志士はみんなテロリストでしたし、明治政府はテロリストがつくった国家です。
 
そもそもイスラム国がテロリスト集団だということは、誰がどのような根拠で決めたのでしょうか。
 
アルカイダは9.11テロを起こしたので、少なくともその時点でテロリストだということになるでしょう。また、タリバンはアルカイダのリーダーであるビン・ラディンをかくまったということで、アメリカはテロリストと同一視しました。
 
しかし、イスラム国は9.11テロのような欧米を対象にしたテロは行っていません。シリア、イラクで勢力を拡大した武装グループです。
ジャーナリストを人質にしたり殺害したりはしていますが、こういうことは中東の過激派組織では珍しくありません。
 
ただ、イスラム国はイラク政府にとって脅威になりましたから、イラク政府をどうしても支えたいアメリカはイスラム国を空爆することにしました。
空爆してから、その理由づけのためにテロリストのレッテルを張ったという面が大きいのではないでしょうか。
 
タリバンにしても、アメリカは壊滅を諦めて今では交渉相手にしようとしているので、もうテロリストではなく「反政府武装グループ」だとしています。

米、“米兵とテロ容疑者”交換の正当性強調
 
テロリストのレッテルはこのように安易なものです。
 
「犯罪者」というレッテルの場合は、一応司法組織の認定という根拠がありますが、それでも判決が確定するまでは「容疑者」や「被告」と呼ばれます。
「テロリスト」の場合はそういう根拠もなしにレッテル張りがされます。
レッテル張りをするにしても、せめて「テロ容疑者」とするべきでしょう。
 

もともとテロリズムという言葉は、フランス革命のときにジャコバン派が反対派を粛清した恐怖政治が語源となっています。このときは、国家権力の側の行為をテロリズムといったわけです。
 
もちろんテロリズムという言葉は悪いイメージの言葉です。そのため国家権力がこの言葉を利用するようになり、今ではもっぱら反権力派に対して使うようになっています。
 
今、安倍政権や日本のマスメディアはアメリカの言うままにテロリストという言葉を使っています。
しかし、テロリズムという本来の言葉からすれば、イスラエル政府のパレスチナに対する行為こそテロリズムでしょう。
 
ウィキペディアの「テロリズム」の項目を見ると、「100を超える多くの定義が存在している」と書かれています。
 
安倍首相はかつて国会で「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と答弁したことがありますが、「テロに屈しない」と言う以上はテロの定義もはっきりさせるべきです。

曽野綾子氏が産経新聞に書いたコラムが人種差別的であるとして問題になっています。
曽野綾子氏といえば、日本の保守派論客で、2013年から安倍政権の教育再生会議の委員を務めていたこともあり、海外からは日本そのものがこの程度のレベルだと思われかねません。
 
ただ、曽野綾子氏の今回のコラムは、差別の本質を考えるのにいい材料を提供してくれています。
 
 
曽野綾子氏、移民について「居住地だけは別にした方がいい」 「アパルトヘイト肯定」「人種差別だ!」と物議
作家で保守論客の1人として知られる曽野綾子氏が2015211日付の産経新聞に寄せたコラムが物議をかもしている。
 
   コラムは、労働移民の受け入れに関して資格や語学力の障壁を取り除くべきだとする一方で、南アフリカの事例をもとに「居住地だけは別にした方がいい」と主張する内容だ。これに対し、一部の読者が「アパルトヘイトを肯定してる」「はっきりと差別を肯定する文章」などとツイッターで反発を広げている。
 
「居住区だけは、白人、アジア、黒人というふうに分けて住む方がいい」
   コラムによると、若い世代の人口が減少する日本では「労働力の補充のためにも、労働移民を認めねばならないという立場に追い込まれている」という。そのため介護の現場では、「今よりもっと資格だの語学能力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない」と訴える。こう議論を展開する中で、
   「ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にすることは至難の業だ。もう2030年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」
と唐突に問題提起した。
 
   発言は、人種差別廃止以降、黒人も入居するようになったヨハネスブルグのあるマンションでの事例を根拠にしている。そこでは大家族主義の黒人たちが身内を集めて1室あたり2030人で住み始めたため、建物の水が確保できなくなり、白人たちは逃げ出したというのだ。「爾来、私は言っている。『人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい』」とコラムを締めくくった。
 
   これに一部の読者が反応し、ツイッターには「アパルトヘイトを肯定してる」「これって人種差別だろ!」と反発する投稿が広がった。
 
「『日本民族』以外はどうだっていい、と」一部では拡大解釈する人も...
   コラムはハフィントンポスト(日本版)が記事で取り上げ、まとめサイトなどでも拡散されている。ジャーナリストや新聞記者もコラムに反応し、
 
「オリンピックを前に随分自国だけに都合の良い理屈だなこれ......」(ジャーナリスト・津田大介氏)
 「これは酷い(T_T)国が崩壊する音が。。。」(ジャーナリスト・木野龍逸氏)
 「読んでびっくりした。こんなことをするくらいなら、移民を入れるのは辞めた方がいい」(朝日新聞記者・鯨岡仁氏)
 
とツイートした。
   ただ、曽野氏の発言はこれまでもたびたび物議をかもしてきただけに、一部の人から目の敵にされることが多い。そうした背景からか今回も、
 
「『日本民族』以外はどうだっていい、と」
 「アパルトヘイト肯定、介護職への蔑視、外国人労働者からの搾取を推奨する曽野綾子」
 
などと、コラムでは使われていない表現を持ち出し、拡大解釈してネット上に拡散する人が出ている。
   こうした批判的な投稿を繰り返す人がいる一方で、
 
「低生活水準かつ生活様式が全く違う外国人が実際に身の回りに増えてくると、こういう声は確実に増えてくると思うよ」
 「移民を受け入れることは単一民族国家である日本社会の常識や不文律を変えることを覚悟しなければならないことを議論している」
 「外国に住んでみて、真っ当な意見と納得。決して差別なんかじゃない」
 
と発言を肯定的に受け止めている人もいる。

 
居住区と差別の問題は密接に関わっているようです。
私は高校生のころ、アメリカに住んでいた日本人主婦が似たようなことを書いているのを読んだことがあります。
その日本人主婦は白人ばかりが住んでいる住宅地に住んでいたのですが、そこに黒人家族が引越ししてきたそうです。すると、周りの白人たちに陰に陽にいやがらせを受け、その黒人家族はまた引っ越していったということです。
なぜ白人たちはいやがらせをしたかというと、黒人が住むとその住宅地の地価が下がるのだそうです。そして、そうなると次々と黒人が住むようになり、今度は白人が出ていかなければならなくなる。そうなるのを避けるために、白人たちのやったことはやむをえないことだったというようなことが書かれていました。
 
私は若くてまだ自分で考える力もなく、これを読んだときは、なるほどそんな事情があるのならやむをえないのかと思いました。
とはいえ、納得いかないものも残り、ずっと気になっていました。そして、あるとき、あの文章は、白人の側のことしか書かれていなかったことに気づきました。
黒人の側に立って考えてみれば、そこに住めば地価が下がって白人が損するからという理由で住む権利が制限されるのはまったく不当です。黒人差別としかいいようがありません。
 
私はこのとき、相手の立場に立って考えれば、それが差別かどうかがよくわかるということに気づきました。
 
ということは、差別主義者というのは、相手の立場に立って考えることができない人ということになります。
そして、相手の立場に立って考えることができないのは、相手を自分と同じ人間と見ていない、つまり相手を見下しているからなのです(これがつまり差別意識です)

曽野綾子氏は南アフリカにおいて名誉白人扱いされて、すっかり白人気分になり、いまだに黒人の立場に立って考えるということができないのでしょう。
 
男はたいてい女を見下していますから、女の立場に立って考えようとしません。これが性差別です。
 
慰安婦問題というのは、性差別、韓国人差別、売春婦差別が積み重なっているので、慰安婦問題を騒ぎ立てる日本人というのは、決して元慰安婦の立場に立って考えることができませんし、国際的に見ると、きわめてみにくい姿になっています。
 
そして、現在問題になっているイスラム過激派のテロリストを見る際にも、やはり差別の問題がからんでいます。
 
私は前回の『不可視化されている「イスラム差別」』という記事で、イスラム過激派を見る欧米や日本の側に、イスラムに対する差別意識があるということを書きましたが、考えてみると、それだけではありません。
中東のイスラム過激派はたいていアラブ人、ペルシャ人、黒人です。ですから、イスラム過激派を見る欧米側の目には、人種差別がないわけありません。
 
たとえばウクライナ問題では、ウクライナ、ロシア、ドイツ、フランスの間で停戦合意が成立しました。
一方、イスラム国との戦争においては、停戦を探る動きなどまったくなく、アメリカはイスラム国壊滅しか考えていないようです。
この違いはなんなのかというと、ウクライナ問題はヨーロッパ同士、キリスト教同士なのに、イスラム国は人種が違い、宗教が違うからとしかいいようがありません。
 
テロを解決するには、欧米側がみずからの人種差別、宗教差別に気づくしかありません。
 
 
日本でも、安倍首相を初めテロリストにきびしいことを言う人たちがいますが、そういう人たちをよく観察すると、ほとんどが人種差別、宗教差別意識の持ち主であるようです。

フランスの風刺新聞「シャルリー・エブド」がムハンマドの風刺画を載せたことについて、いまだに賛否両論がありますが、私はこれを理解するためにわかりやすいたとえを思いつきました。
 
たとえば、シャルリーが身体障害者を風刺する絵を載せたとしたらどうでしょうか。それは差別だとして、誰もが反対するはずです。
では、身障者を風刺する絵を載せたことに対して、過激派身障者団体があって(ないと思いますが)、シャルリーの編集部内で銃を乱射するテロ事件を起こしたらどうでしょうか。シャルリーが再び身障者を風刺する絵を掲載することに賛成したり、「私はシャルリー」と言ったりするでしょうか。
 
身障者とイスラム教徒は別だといわれるかもしれませんが、フランスにおいてイスラム教徒は少数派で、差別されていますから、被差別者という点では同じです。
また、国際社会においても、アメリカとヨーロッパが支配的な立場にあって、イスラム国のほとんどは中進国か後進国で、見下されています。
 
つまり、欧米のキリスト教徒はイスラム教徒やイスラム国を差別しているのです。
 
ところが、差別というのはいつもそうですが、差別する人間は自分が差別しているという自覚がありません。
 
たとえば、公民権法が成立する以前のアメリカ南部では、黒人はレストランはもとより待合室やバスの席まで白人と区別されていましたが、ほとんどの白人はそれが当たり前と思っていて、差別という意識はありません。
そして、日本人はというと、名誉白人扱いされることに、多少は複雑な思いがあっても、満足していたわけです。
 
今の日本人も、欧米のキリスト教徒のイスラム教徒に対する差別を見ても、自分はキリスト教徒の側に立っていると思っているからか、それを差別とは認識していません。
 
イスラム過激派のテロの根本原因はイスラム差別にあるのですが、欧米も日本もイスラム差別を認めないので、テロの原因がわかりません。テロの原因がわからないでテロ対策をしているわけで、うまくいくはずがないわけです。
 
イスラム差別の具体的な現れは、イスラム教徒の命の軽視です。イスラム教徒はたくさん死んでもほとんどニュースにならず、欧米人は少数の死でも大きなニュースになります。
ですから、漫然とニュースを見ていると、どんどん差別主義に染まっていくのです。
 
それでも、たまにはマスメディアにも真実を見せてくれる記事が載ります。次は、フリージャーナリストの土井敏邦氏のインタビューの一部です。
 
(言論空間を考える)人質事件とメディア 土井敏邦さん、森達也さん
 <萎縮は自殺行為> 紛争の現場に行くと、遠い日本では見えなかった、現地の視点が見えてきます。今回の事件の最中、積極的平和主義を唱える安倍晋三首相は、イスラエルの首相と握手をして「テロとの戦い」を宣言した。しかし「テロ」とは何か。私は去年夏、イスラエルが「テロの殲滅(せんめつ)」を大義名分に猛攻撃をかけたガザ地区にいました。F16戦闘機や戦車など最先端の武器が投入され、2100人のパレスチナ人が殺されました。1460人は一般住民で子供が520人、女性が260人です。現地のパレスチナ人は私に「これは国家によるテロだ」と語りました。
 
 そのイスラエルの首相と「テロ対策」で連携する安倍首相と日本を、パレスチナ人などアラブ世界の人々はどう見るでしょうか。それは、現場の空気に触れてはじめて実感できることです。
 
イスラエル軍に殺されるパレスチナ人のことは、日本では小さいニュースにしかならず、話題にもならないということは、日本人がいかにイスラム差別に染まっているかということです。
 
欧米人はみずからの差別意識になかなか気づかないでしょう。
中国は新疆ウイグル自治区などをかかえているので、この問題には中立ではありません。
ですから、日本がいちばんいい位置にいるはずなのですが、安倍首相はもとよりマスメディア、ほとんどの知識人が欧米寄りなので、むしろイスラム差別に加担することになっています。 

2月9日、テレビ朝日の「池上彰が伝えたいこと」という番組で、イスラム国について解説していました。
池上彰氏は比較的広い視野でものごとをとらえられる人だと思っていましたが、今回はがっかりです。
 
イスラム国に焦点を当てれば、いくらでも悪いところを数え上げられます。
しかし、イスラム国の周辺はどうなのでしょうか。
シリアのアサド政権は、アラブの春に際してデモを武力鎮圧して多数の死者を出し、その後、内戦状態となりました。それ以前からアメリカ政府によってテロ支援国家として指定されていますし、核開発で北朝鮮と協力していることもアメリカ政府は公式に認定しています。
イラクでは、マリキ前首相がシーア派優遇政策をとったためにスンニ派の不満が高まるという状況があり、そこにイスラム国が進出しました。
 
また、中東の民衆の間には、イスラエルとアメリカに対する大きな不満があり、それがイスラム国に限らずイスラム過激派を生み出すもとになっています。
 
ところが、池上彰氏はシリア情勢もイラク情勢も、イスラエルとアメリカのことにも触れないので、なぜイスラム国がこんなにも力を持ったのかということがまったくわかりません。
外国からの戦闘員が2万人近くも参加していることも、インターネットを巧みに使っているからだといった説明だけです。
 
この番組に限りませんが、日本の報道は(日本だけではありませんが)、あまりにも一方的です。
対立している一方の言い分だけを報道しているのです。
これは夫婦喧嘩について、一方の主張だけを聞かされているみたいなものです。
 
現在、アメリカと有志連合はイスラム国に対する空爆を続けていますが、すでに戦闘員6000人以上を殺害したということです。
すべてが戦闘員であるとは思えません。民間人の被害も出ているに違いありません。
空爆の被害、泣き叫ぶ遺族などの報道もあって然るべきです。
また、イラク政府、シリア政府への批判の声もないわけありません。
そうした報道があれば、人々の判断も変わってくるはずです(そう考えると、外務省がシリアを取材しようしていたカメラマンのパスポートを取り上げた理由もわかります)
 
夫婦喧嘩の場合、浮気した、約束を破った、家事を怠ったなどさまざまな理由があり、双方の言い分をよく聞かないと、どちらが正しいか判断できません。
いや、よく聞いても判断できないことが多いでしょう。長い過去の経緯があるからです。
 
しかし、簡単に判断できる場合があります。それは一方が暴力をふるっている場合です。その場合は、理由のいかんにかかわらず、暴力をふるっているほうが悪いのです。
 
そう考えると、イスラム国とアメリカとどちらが悪いかがはっきりするでしょう。

アメリカと有志連合がやっているのは、ろくに対空能力もない相手を攻撃して一方的に殺戮するという、人類史上かつてない“卑劣な”戦争です。とりあえずこれを止めなければなりません。
 
これは右翼とか左翼とか、イスラムとかキリスト教とかも関係ありません。人間としての当然の判断です。
そうした判断の材料を提供するのが報道の役割ですが、今の報道はあまりにも公正を欠いています。
 

イスラム国は拘束していたヨルダン軍パイロットのカサスベ中尉を焼殺するという残虐な動画を公開しました。
後藤健二氏については、首を切り落とされた画像が公開されました。
イスラム国はほかにもさまざまな残虐な刑罰を行っています。
オバマ大統領は「宗教の名の下に言語に絶する蛮行を行う残忍で卑劣なカルト集団だ」とイスラム国を非難しました。
 
人間はこうした残虐さに強く反応しますから、これによって世論が動かされるのは当然です。
しかし、だからこそ、こういうときには冷静な反応をしなければなりません。
 
そもそもイスラム国は、こうした残虐さを戦略的に利用しています。AFPニュースの「イスラム国の堅固な基盤確立、教訓は米軍の戦略」という記事の中にこんな記述があります。
 
イスラム国は、特定の教本や組織内に所属する聖職者を利用して、自らの暴力行為を宗教的に正当化している。中でも「The Management of Savagery(野蛮の作法)」と題された指南書では、残虐行為は欧米をあおって過剰反応させる有効な方法だと説いている。
 
安倍首相は「テロリストに罪をつぐなわせる」とか「日本人にはこれから先、指一本触れさせない」とか、内容空疎な言葉を吐き散らしていますが、これなどまさに「テロリストの思うツボ」になっている姿です。
 
 
一方、アメリカもまたテロリストの残虐さを戦略的に利用しています。
オバマ大統領はイスラム国の残虐さを非難しますが、こうした残虐さはイスラム国ばかりではありません。
たとえば、サウジアラビアでは死刑制度があり、ウィキペディアによると人口当たりの死刑執行人数は世界最多だということです。しかも、死刑の多くは公開処刑で、首切りという方法がとられます。残虐さにおいてはイスラム国となんら変わりません。
 
また、サウジアラビアではむち打ち刑があって、最近もハフィントンポストに「サウジアラビアでリベラルなサイトを開設したブロガー、むち打ち1000回の刑に」という記事が載っていました。
 
サウジアラビアのブロガー、ライフ・バダウィ氏が、国内でのディベートをすすめるリベラルなオンラインフォーラムを開設した罪で、刑務所に入れられている。116日には2回目のむち打ち刑が予定されているが、彼の妻の話によれば、体力的に持ちこたえられないかもしれないという。
 
ライフ・バダウィ氏は「イスラムを侮辱した」罪で2012年から収監されていたが、20145月に、法廷で禁錮10年とむち打ち1000回の判決を受け、同年9月に判決が確定した。
 
1回目の公開むち打ち刑は、19日に西部の都市ジッダで執行された。バダウィ氏は、長く硬いむちで背中を50回打たれる刑を耐え抜き、116日には、2回目となる50回のむち打ち刑を受けるという。そして、オーストラリアのニュースサイト「News.com.au」によれば、バダウィ氏は今後20週間にわたって、毎週金曜に同じ形で公開むち打ち刑を受けることになっている。
 
バダウィ氏の妻、エンサフ・ハイダルさんは、アムネスティ・インターナショナルに対して次のように語った。「夫の話では、むち打ちのあとの痛みがひどく、健康状態も悪いそうです。きっと次のむち打ち刑には耐えきれないでしょう」
(中略)
AP通信によれば、バダウィ氏はジッダにあるモスクまえの公共広場で、数百人の見物人が見守るなか1回目のむち打ち刑を受けた。50回のむち打ちは、中断することなく続けざまに執行されたと報じられ、刑を目撃した人が、アムネスティ・インターナショナルに詳細を次のように話している。
 
「バダウィ氏はバスから下ろされて、群衆の真ん中に連れて行かれました。8人か9人の警官が警備していて、バダウィ氏には手錠と足枷をかけられていましたが、顔は隠されていなかったので、その場にいた全員から彼の顔が見えました」
 
この匿名の目撃者は、さらにこう続けている。「大きなむちを持った執行人が背後から近づいてバダウィ氏をむちで打ち始めました。バダウィ氏は頭を空に向けて上げ、目を閉じ、背を反らせていました。声は立てていませんでしたが、その顔と体を見れば、ひどい痛みを感じているのがわかりました」
 
イスラム国の残虐な刑罰は大々的に報道されますが、サウジアラビアの残虐な刑罰は小さなニュースにしかなりませんし、オバマ大統領もなにも言いません。
 
アメリカは「自由と民主主義」を普遍的な価値として掲げていますが、サウジアラビアは民主主義からもっとも遠い国ですし、9.11テロの実行犯19人中15人はサウジアラビア国籍でした。ほとんどイスラム原理主義国といってもいいぐらいですが、アメリカはそんな国を中東におけるもっとも重要な同盟国としています。
 
アメリカがイスラム国の残虐さを非難するのは、まったくご都合主義です。
 
日本がいっしょになってイスラム国の残虐さを非難するのは、まさに「アメリカの思うツボ」です。
 
日本は「テロリストの思うツボ」になり、同時に「アメリカの思うツボ」になっているというわけです。

イスラム国の人質になっていた後藤健二さんが殺害されました。これほどつらいニュースはありません。
殺したイスラム国を非難する人も多いでしょう。しかし、私にはその気持ちはほとんどありません。
というのは、イスラム国側の人間も日々空爆により殺され続けているからです。
 
そういう殺し殺される場にみずから頭を突っ込んでいったのが安倍首相です。エジプトでのスピーチで「ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるため(中略)ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します」とイスラム国への敵対姿勢を明確にしました。
 
安倍首相の戦争好きの性格は前からわかっていました。しかし、東アジアではアメリカが重しになって安倍首相の好きなようにはできませんし、中東に自衛隊を派遣するにしても、安保法制の整備に時間がかかるので、まだかなり先のことだと思っていました。
 
それでも、なにがなんでも戦いがしたい安倍首相は、解散総選挙をすることで野党との戦いをしました。
そして、今度はテロリストに喧嘩を売り、テロとの戦いに参入したというわけです。
 
ここまで戦いがしたいとは、偏執狂的性格というべきでしょうか。
 
 
世の中には安倍首相を擁護する人もいますが、そういう人は必ず「イスラム国は残虐で卑劣な悪」というレッテル張りをした上で主張しています。
つまり向こうが「悪」だから、それと戦うのは「正義」というわけですが、こういう単純な頭の人は、政治や外交や軍事を論じるのはやめて、ハリウッド映画や「水戸黄門」を楽しんでいるほうがいいでしょう。
 
たとえば、イスラム国を空爆して弱体化させることは、シリアのアサド政権を利することになる理屈ですが、そういうことを考えた上で「イスラム国は悪」と主張しているのでしょうか。
 
現にこういうことが起こっています。
 
イスラム国からのコバニ奪還、シリア人の多くは疑問視「アメリカの戦略が理解できない」
 
 
では、イスラム国をどうとらえればいいのでしょうか。
もちろん善悪で判断してはだめです。
ここでは「利己的な遺伝子」で有名なリチャード・ドーキンスの提唱する「ミーム」(文化の遺伝子)という概念を使って説明してみましょう。
 
シリアは2011年から内戦状態にあります。反アサド政権派は一枚岩ではなく、さまざまな勢力が入り乱れていました。そうした中から急速に台頭してきたのがイスラム国です。
 
アフガニスタンはソ連が撤退したあと軍閥が群雄割拠する状態となり、その中からタリバンが台頭しました。
 
これは日本の戦国時代に織田信長が台頭してきたのに似ています。あるいはワイマール体制下の政治的混乱から弱小政党だったナチス党が台頭してきたのにも似ています。
 
つまり、多くの勢力が互いに生存闘争をするという状況では進化のメカニズムがより強く働くのです。
 
ニューギニア高地やアマゾン奥地など、あまり互いに闘争せず、異文化も入ってこないところは、もっとも進化が起こりにくいわけです。
 
考えてみれば、中東は東西文化の交流するところで、戦争も多く、従って昔はもっとも進化した地域でした。
 
その後、ヨーロッパは小国が互いに戦う時代が長く続き、その中からナポレオンが生まれるなどして近代文明を生み出しました。
 
今では、ヨーロッパとアメリカが中東を実質的に支配し、中東のイスラム教徒は屈辱的な思いを強いられています。
 
そうした中から誕生したイスラム国は、欧米の支配を排除した真のイスラム国を目指しているようです。
そして、それを許せないのが欧米で、なんとかつぶそうと空爆をしているというわけです(有志連合にはイスラム教の国も参加していますが、欧米の分断支配の成果です)

混乱からおのずと秩序は生まれます。ですから、中東のことは中東の人に、イスラムのことはイスラムの人に任せればいいのです。
ところが、アメリカは自分に都合のよい秩序をつくろうとしているわけです。
 
つまり、ここで起こっているのは「文明の衝突」です。
イスラム文明が西欧文明に立ち向かおうとしているのです。
今の中東はきわめて混沌とした状況になっており、かりにイスラム国を崩壊させたところで、またより進化した勢力が出てくるに違いありません。
 
日本が文明の衝突の中に頭を突っ込んでいくのは愚かなことです。
関わるとすれば、欧米に加担するよりイスラム勢力に感謝される援助をしたほうが将来のリターンが大きくなるはずです。

イスラム国に拘束されている後藤健二氏について、どうやら交渉が停滞しているようです(この文章をアップした直後に後藤さん殺害の情報がありました。残念です)。
 
交渉の一方で、アメリカと有志連合によるイスラム国への空爆は続行されています。
ということは、イスラム国の交渉担当者が空爆で死んでしまったという可能性もあるわけです。
いや、後藤さんが死んでしまった可能性もありますし、今後死ぬ可能性もあります。
この際、日本はアメリカに対して空爆の中止を要請するべきではないでしょうか。アメリカが要請に応えなくても、日本がその姿勢を見せるだけで後藤さんの身の安全に資するはずですし、日本が平和国家であることもアピールできます。
もっとも、安倍首相にも外務省にもそういう発想のあるわけがありませんが
 
 
ところで、イスラム国とはなんでしょうか。これについては1月27日の報道ステーションが特集をやっていました。その内容を一口で言うと、イスラム国はちゃんとした行政組織を持っていて、民衆の支持も得ていて、だからこそ急速に勢力を拡大したのだ、というものです。
 
こうしたことは書籍ではとっくに紹介されていました。

 
イスラム国の正体 (朝日新書)  国枝昌樹 ()
内容紹介
 
世界を騒がす「イスラム国」を元シリア大使が解説!
 
イラク・シリア国境を横断する広大な砂漠地域に「イスラム国」という「国家」がその存在を一方的に宣言したのは、2014629日のことでした。
 現在、イスラム国は世界で最も残虐な行為を重ねるイスラム過激派といわれ、首切り動画や奴隷市場など、盛んにその非人道的行為が報道されています。特に人質となった欧米人の首切り動画や奴隷市は、世界中にショックを与えました。
 一躍、世界の脅威となったイスラム国ですが、これまでの過激派、テロ組織と大きく異なるのは、次の3点です。
1.「国」を名乗り、領土を主張し、行政を敷いていること
2.インターネット上で効果的にメッセージを発信していること
3.欧米人を含む外国人の参加が多いこと
 
本書では、謎に包まれているイスラム国について、散在するさまざまな情報から、その実態を解き明かしていきたいと思います。
 
 
 
イスラム国テロリストが国家をつくる時 単行本  ロレッタ ナポリオーニ ()
内容紹介
 
中東の国境線をひきなおす。
 
アルカイダの失敗は、アメリカというあまりに遠い敵と
第二戦線を開いたことにあった。
バグダッド大学で神学の学位をとった一人の男、バグダディは
 そう考えた。
 英米、ロシア、サウジ、イラン、複雑な代理戦争をくりひろげる
 シリアという崩壊国家に目をつけた、そのテロリストは
国家をつくること目指した。
 領土をとり、石油を確保し、経済的に自立
 電力をひき、食料配給所を儲け、予防接種まで行なう。
その最終目標は、失われたイスラム国家の建設だと言う。
 
 対テロファイナンス専門のエコノミストが放つ
 まったく新しい角度からの「イスラム国」。
 
 池上彰が渾身の解説。
 
はじめに中東の地図を塗り替える
 
欧米の多くの専門家は「イスラム国」をタリバンと同じ時代錯誤の組織だと考えている。しかし、それは違う。彼らは、グローバル化し多極化した世界を熟知し、大国の限界を驚くべきほど明確に理解している

  
ですから、報道ステーションの特集を見たときは、テレビもようやくまともにイスラム国のことを報道するようになったなと思いました。
 
ところが、この特集に対して「こんな放送はイスラム国のプロパガンダだ」といった批判が多数あったそうです。そのためか、28日の報道ステーションはかなりトーンダウンしていました。
 
また、31日のTBSの「ニュースキャスター」を見ると、イスラム国は残虐な刑罰を行い、人々を恐怖支配しているという報道に終始していました。
 
しかし、サウジアラビアやイランなど厳格なイスラム国では残虐な刑罰はよく行われていることですし、そもそもイスラム国を評価するなら、シリアのアサド政権やイラクのマリキ政権と比べてどうかということを見なければなりませんが、そういう視点がまったくありません。
 
残虐な刑罰ということに注目して報道すれば、日本も「絞首刑という残虐な刑を次々と執行する野蛮な国」ということになってしまいます(ヨーロッパではそういう報道がされていそうです)
 
考えてみれば、イスラム国は欧米に対するテロはしたことがないはずです。
 
アルカイダは9.11テロをしたので明らかにテロ組織です。タリバンは、9.11テロを首謀したビン・ラディンをかくまったということで、アメリカによってテロ組織に認定されました。
しかし、アメリカは昨年6月、アメリカ兵1人とタリバン幹部5人の捕虜交換を行いました。
一方、アメリカは日本などに対してテロリストと取引するべきではないと主張しています。
ホワイトハウスのシュルツ副報道官は記者にその矛盾をつかれ、「タリバンはテロ組織ではないのか」と質問されたとき、「タリバンは反政府武装グループだ」と述べました。
 
アメリカのテロ組織認定はこの程度のものです。
 
今、イスラム国はテロ組織と認定されていますが、その根拠はありませんし、今後その認定が変わる可能性もあります。
 
日本のマスコミもイスラム国はテロ組織かということを疑うべきですし、「イスラム国=悪玉」という紋切り型の報道はやめるべきです。

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