村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2015年05月

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「チャッピー」(ニール・ブロムカンプ監督)を観ました。
ニール・ブロムカンプ監督といえば、「第9地区」で、宇宙人が地球人に差別されるという意表をついた設定で世の中をあっと言わせました。
ブロムカンプ監督は南アフリカの人です。欧米の人とは物事の見方が正反対です。
 
「エリジウム」では、やはりSF的設定で格差社会と移民問題を描きました。
今回の「チャッピー」では、人工知能を備えたロボットと犯罪を描いています。
 
舞台は2016年の南アフリカのヨハネスブルグです。犯罪が横行し、ギャングと警察が激しく抗争しているというのは、現実そのままでしょう。
ただ、ひとつ違うのはロボット警官が多数導入されているところです。
 
軍用・警察用ロボット製造会社に勤める技術者のディオン(デヴ・パテル)は、ロボットに搭載する人工知能をつくりだしますが、経営責任者(シガニー・ウィーバー)に採用してもらえず、やむなく壊れて廃棄予定のロボット警官に人工知能をインストールします。これがチャッピーです。
 
チャッピーは最初赤ん坊のようなもので、学習しながら成長していきます(実際の人工知能も学習しながら“人格”形成していくもののようです)
しかし、チャッピーはギャングに奪われ、ギャングの男女を親だと思い、そのため自動車泥棒などをするようになります。
 
しかし、チャッピーはもともと壊れたロボットであるために7日間しか生きられません。チャッピーはディオンの力を借りて自分の人工知能をほかのロボットに転送して生き延びようとします。
 
一方、ディオンのライバルである技術者のヴィンセント(ヒュー・ジャックマン)は、人間が操縦する強力な攻撃力を持ったロボットを開発していますが、ディオンが違法なやり方でチャッピーをつくったことに気づきます。そして、ギャングたちはチャッピーを使って現金輸送車襲撃を実行しようとしますが……。
 
チャッピーが学習して成長していくところは、ストーリーが進展しないのでちょっとだれる感じがありますが、それ以外は、“命”を持ってしまった人工生命の“死”の悲しみ、親と子の絆、“命”の創造者となってしまった技術者の苦悩、ギャング同士の抗争、ギャングと警察の闘い、ロボット製造企業のもうけ主義など、さまざまな要素がてんこ盛りで、飽きさせません。
 
 
私がとくにおもしろいと思うのは、ブロムカンプ監督の善と悪についての常識を超えた発想です。
無垢なチャッピーが“親”に教えられた通りに自動車泥棒をすることは誰も責められません。ということは、たとえば南アフリカの犯罪地域で育った者の多くも同じではないかということを考えさせられます。
 
また、キャスティングにもブロムカンプ監督の独特の狙いがあると思われます。
「エリジウム」では、SF映画の王道をいく「コンタクト」で正義の科学者を演じたジョディ・フォスターを、富裕層の社会を守る冷酷な防衛長官に配しましたが、今回は、「エイリアン」でヒロインを演じたシガニー・ウィーバーを、ロボット会社のもうけ主義の経営責任者に配しています。
これは明らかに既成の価値観をひっくり返そうというブロムカンプ監督の狙いではないでしょうか。
 
また、白人のシガニー・ウィーバーとヒュー・ジャックマンを悪役に配し、インド人のデヴ・パテルを人工知能をつくりだした“創造者”に配しているところにも、南アフリカで白人による人種差別を目の当たりにしてきたブロムカンプ監督の意図が感じられます。
 
ハリウッド映画の基本路線は、犯罪者やテロリストを、人を人とも思わずに抹殺していくというものです(アメリカの実際の犯罪対策やテロ対策も同じようなものです)
そうした映画ばかり見ていると、現在問題になっている安保法制についてもまともな判断ができなくなってしまいます。
「チャッピー」は、犯罪者や人工知能も同じ人間であるということを考えさせてくれる映画です。

FIFAの幹部が汚職の疑いで逮捕されました。
FIFAといえば国際的な組織です。それをどこの国の法律で裁くのかということが気になりましたが、どうやら完全にアメリカが主体的に行っているようです。
 
 
FIFA副会長ら9人を収賄の罪で起訴
アメリカ司法省は、27日、FIFA=国際サッカー連盟の副会長2人を含む9人の関係者を、スポーツ関連会社から賄賂を受け取った罪などで起訴したと発表しました。9人がすでに受け取ったり、受け取ろうとした賄賂の金額は合わせて1億5000万ドル、日本円にして185億円を超えるとみられています。
 
アメリカ司法省の発表によりますと、起訴されたのは、FIFAのジェフリー・ウェブ副会長とエウヘニオ・フィゲレド副会長を含むFIFAの関係者9人です。
9人は1990年代はじめからこれまでの間に、スポーツ関連の企業から賄賂を受け取り、その見返りに、中南米で開かれたサッカーの試合を放送する権利やスポンサーの権利などの取得にあたって、便宜を図った罪などに問われています。
9人が24年にわたってすでに受け取ったり、受け取ろうとした金額は合わせて1億5000万ドル、日本円にして185億円を超えるとみられています。
賄賂の受け渡しは、アメリカの銀行を通じて行われたということで、現地時間の27日朝、アメリカの司法当局の要請に基づいて、スイスの司法当局が9人のうち、FIFAの会合のためにチューリヒに集まっていたウェブ副会長ら7人を逮捕したということです。
またサッカーの放映権などを取り次ぐアメリカとアルゼンチンのスポーツ関連企業の幹部ら5人も賄賂を贈った罪などで起訴されました。
一方、FIFAの広報責任者は27日に記者会見し、この事件とは別にワールドカップの2018年のロシア大会と2022年のカタール大会の開催地の選定を巡って、不正が行われた疑いがあるとして、FIFAが去年11月にスイスの司法当局に告訴していたことを明らかにしました。
この告訴についてスイスの司法当局は、27日に声明を出し、ことし3月から捜査を開始し、FIFAから関係資料を押収したほか、開催地の選定に関わった当時のFIFAの幹部10人から事情を聴く方針だとしています。
(後略)
 
 
FIFAの本部はスイスのチューリッヒにあります。なぜアメリカの法律で裁くことになるのか不思議です。
 
かつてIOC(国際オリンピック委員会)も招致活動にまつわる金銭スキャンダルに見舞われたことがありますが、このときは内部に調査委員会をつくって対処しました。どこかの国の法律で裁かれるということはなかったはずです。
 
マスコミの報道を見ても、アメリカの司法当局が裁くことの正当性についてはなんの説明もありません。
私は法律にうといので、説明するまでもない単純な理由があることに気づかないだけなのでしょうか。
 
ウィキリークス創始者であるジュリアン・アサンジ氏は、スウェーデンの司法当局から性的暴行容疑で逮捕状を出され、国際指名手配されています。アサンジ氏はイギリスのエクアドル大使館で保護されていますが、もしスウェーデンに逮捕されたら、身柄はアメリカに移送されるおそれがあると見られています。
 
スウェーデンといいスイスといい、中立的な国であるはずですが、司法当局は完全にアメリカに動かされているようです。
 
FIFAのような権威ある組織は腐敗しがちなもので、逮捕・起訴に値するようなことがきっとあるのでしょう。
しかし、FIFAは特定の国に偏るような運営はしてこなかったと思います。
 
一方、野球においては、国際野球連盟(IBAF)という組織はありますが、世界一を決めるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は、アメリカのメジャーリーグベースボール機構と選手会が主催していて、アメリカ中心の運営になっています。
 
アメリカはFIFAを狙い撃ちにしたのではないかという疑問も残ります。
 
アメリカを「世界の警察官」ということがありますが、これはもちろん皮肉を込めた言い方です。
しかし、いつのまにかほんとうにアメリカは「世界の警察官」になっているのかもしれません。

核拡散防止条約(NPT)再検討会議は5月22日、最終文書を採択できないまま閉幕、つまり失敗に終わりました。
これはけっこう大きなニュースだと思いますが、ネットではほとんど話題になっていません。中国がどうした韓国がああしたということは、小さなことでも話題になるのと対照的です。
もっとも、今回のNPT再検討会議を見ると、日本のダメさがわかるので、あまり話題にしたくないでしょうが。
 
 
日本はこの会議において、最終文書に「世界の政治指導者に被爆地訪問を促す」との記述を入れるように要求し、それに反発する中国とやり合いました。
日本の要求は、世界を平和にすることよりも、被爆国としての自国をアピールしているみたいで、あまり格好いいものではありません(それに反対する中国も同じようなものですが)
 
また、日本は核兵器の非人道性を訴えて、核不拡散を推進する立場です。しかし、日本は“核の傘”に守られる立場でもあります。非人道的兵器に守られながら核の非人道性を訴えるというのは、どう考えても矛盾しています。もちろん日本の主張はまったく説得力がありません。
 
それから、やはり日本のアメリカに対する従属的な関係が露呈してしまいました。
会議が決裂した主な原因はアメリカにありました。
 
 
イスラエルの「核」で溝 米は擁護・アラブ反発 NPT決裂
 ニューヨークの国連本部で開かれていた核不拡散条約(NPT)再検討会議が決裂した背景には、イスラエルの核を念頭においた「中東非核地帯構想」をめぐる各国の立ち位置の違いがある。
 
 エジプト代表は22日、全体会合で「数カ国が、特に米国が最終文書の採択を止めている」と批判。中東の非核化への取り組みが妨害されたとして、全会一致の仕組みの「乱用だ」と痛烈に米国を批判した。
 
 イスラエルの核保有は公然の秘密だが、同国は肯定も否定もしない戦略をとり、NPTにも加盟していない。それが、周辺国からの攻撃を抑止する効果を持ったとされる。イスラエルは約80発の核弾頭を保有すると推定される一方で、周辺国の核保有は認めない方針をとり続けてきた。
 
 中東や北アフリカ諸国などで組織する「アラブ連盟」は1995年、イスラエルのNPT加盟を求める決議を採択。同年のNPT再検討会議では、中東非核地帯の創設やイスラエルのNPT加盟を促す「中東決議」が採択された。
 
 核を持たないエジプトを中心とするアラブ諸国はその後も、イスラエルの核保有を問題視した。2010年の再検討会議では、中東非核地帯構想を実現するための国際会議を12年に開催することで合意。「核なき世界」を掲げるオバマ米政権が、エジプトなどと水面下で折衝した結果だった。
 
 しかし、その後の進展はなく、アラブ諸国は今回の再検討会議でも構想の実現を求めた。イスラエルは4月末に出した声明で、中東地域の「幅広い安全保障課題」をめぐる対話を求めてきたとした。
 
 今回、米国が最終文書案に同意しなかったのは、事実上の同盟国であるイスラエルに配慮したため。イスラエルの有力紙ハアレツの元論説委員アキバ・エルダール氏は、オバマ米政権にとって大詰めのイラン核協議の最終合意が最重要だが、「(核協議に反発する)ネタニヤフ首相や米共和党を敵に回したくはないだろう」とみていた。
 
 イラン核開発に反発する国々を中心に、中東地域で「核ドミノ」が広がることを懸念する声も上がる。イスラエルの国家安全保障研究所上級研究員エミリー・ランダウ氏は「サウジアラビアなども核保有に向かう可能性がある」と語った。
 
 (エルサレム=渡辺丘)
 
 
アメリカはイランの核開発は徹底的に阻止しようとする一方で、イスラエルの核保有は擁護しているわけで、明らかなダブルスタンダードです。
 
エジプトはそのことを痛烈に批判しました。
エジプトはずっとアメリカから軍事支援を受けてきて、モルシ政権がクーデターで崩壊したあと軍事支援は一時凍結されましたが、今年4月に凍結が解除されるという報道がありました。つまりエジプトはアメリカの軍事支援を受けつつもアメリカを批判しているわけです。
 
日本政府はまったくアメリカを批判しません。マスコミもアメリカを批判しません。
 
その一方で、日本政府もマスコミもテロリストは批判しますが、テロの原因をつくっているのはアメリカとイスラエルです。
 
日本はアメリカに従属すればするほど国際的な評価を失います。
今回のNPT再検討会議を見ればそのことがよくわかります。

「大阪都構想」についての住民投票の結果を見て、「シルバーデモクラシー」ということが言われています。「老害投票」とも言うそうですから、否定的な意味です。
マスコミの出口調査では70歳以上の人は「反対」の割合が多く、老人が改革をつぶしたとして批判されているわけです。
 
「リテラ」の記事を読むと、たくさんの有名人が「シルバーデモクラシー」という言葉で老人たたきをしています。そこから一部を引用します。
 
 
「情弱の高齢者が都構想をツブした」というデマをふりまく知識人達よ、情弱はお前らだ!
 たとえばツイッター上では、経済評論家の池田信夫氏が「これが日本の諸悪の根源。老人の老人による老人のための政治」といちゃもんをつけ、また、ブロガーのちきりん氏は「今日負けたのは、橋下さんじゃなくて、日本の若者だよね」「票の価値を平均余命とリンクさせるべきだよね」とあからさまに世代間の分断を煽るツイートを投稿。
 
 ホリエモンも自分の衆院選に出馬した際のことを示唆しながら「なんだかもっと大阪都構想本気で応援してりゃよかった」とつぶやいたし、KADOKAWADWANGO取締役の夏野剛氏も、「結果的にはシルバーデモクラシーだと思うが」と投稿。そして「敗因は生活保護受給者や貧困層を見捨てたことにある」とフォロワーにつっこまれると、「橋下さんっていう何と正しい感覚の持ち主なんだ!」と橋下擁護のリアクションをしている。
 
 若手論客の宇野常寛氏にいたっては「今に始まったことではないけど、選挙とは情弱高齢者をいかに騙すかで決まるゲームになってしまってるのだな、と改めて痛感した次第です。はい」と、“老人=情報に疎いバカ=反対派”とまで言い切っている。
 
 さらに政治家の小泉進次郎氏はトークイベントで「よく、シルバー民主主義って言われることもある。高齢者の意向に左右されているような日本の構造、そのことの象徴的なものだったのかも」と発言しており、あたかも今回の住民投票が“世代間格差”を浮き彫りにしたという分析が定説みたいになっているのだ。
 
 
老人が改革に否定的なのはいつの時代もそうです。
自民党長期政権はまさに「シルバーデモクラシー」の産物です。
自民党長期政権についてはなにも言わず、選挙の結果が自分の気に食わないときだけ「シルバーデモクラシー」という言葉を持ち出して批判する人の頭の中はどうなっているのでしょうか。
 
公正な選挙であれば、その結果を受け入れるというのは民主主義の基本です。
 
もっとも、今の選挙が公正かというとそんなことはありません。定数不均衡の問題があるからです。一般に都市部は1票の価値が低く、地方は1票の価値が高くなっています。都市部には若い人が多く、地方には高齢者が多いので、ここに「シルバーデモクラシー」の問題があるといえば、確かにその通りです。
しかし、大阪の住民投票では1票の価値に差はありません。
定数の不均衡がある選挙のときには「シルバーデモクラシー」とは言わず、定数の不均衡のない大阪の住民投票のときに「シルバーデモクラシー」を言うのはあべこべです。
 
「シルバーデモクラシー」という言葉で老人たたきをしている人は、橋下市長を支持している人だと思われます。橋下氏の政界引退を残念がり、都構想が実現しなかったことを残念がっているのでしょうが、大阪市民を平気でたたける神経がよくわかりません。
 
 
ところで、私は橋下市長を好きか嫌いかといえば嫌いですが、今回の住民投票については民主主義の前進として評価しています。
 
これまでの住民投票は、あまりパッとするものがありませんでした。
たとえば住民が首長のリコールを目指して運動し、投票の実施にこぎつけると、負けを予想した首長はたいてい自発的に辞任してしまいます。これでは住民は、自分たちの力で首を取ったという実感があまり持てません。
 
東京都小平市では2014年、都市計画を見直すか否かという住民投票が行われましたが、投票率50%未満だと不成立とする制限が加えられたため、投票率37%で不成立。投票された用紙は開票されず、そのまま封印されています。
 
そもそも住民投票は法的拘束力がなく政治的拘束力しかないとされているため、曖昧なところがあります。

ですから、1997年に名護市で米軍基地受け入れの是非を問う住民投票が行われ、反対が多数となりましたが、当時の名護市長はその結果を無視して米軍基地受け入れを決定するということがありました(市長はその直後に辞任)
 
しかし、今回は僅差であっても結果が絶対的に尊重されました。これはよい前例になったと思います。
 
規模も大きく、結果が尊重されたという点で、今回は日本で初めての本格的住民投票といってもいいのではないかと思います。
 
これをきっかけに直接民主主義である住民投票や国民投票がどんどん行われ、重要なことが投票で決定されるようになればすばらしいことです。
そういう方向を目指すのではなく、「シルバーデモクラシー」などといって投票結果をくさしている人たちは、ほんとうは民主主義が嫌いなのかもしれません。

「大阪都構想」の賛否を問う住民投票で反対が多数となり、大阪維新の会代表で大阪市長の橋下徹氏は政界引退を表明しました。
 
私は東京に住んでいるので、大阪都構想のことがまったくわかりません。私に興味がないということもありますが、中央のマスコミもかなり偏っていると思います。
 
私は京都市の出身ですが、京都府と京都市の二重行政がまったく問題になっていないのはなぜかということもわかりません。京都府と大阪府は違うのか、それとも京都市民に問題意識がないのか。関西ではきっとわかりきったことなのでしょうが。
 
橋下氏が失速したきっかけは、「慰安婦制度が必要なのは誰だってわかる」と発言し、さらに米軍に対して性風俗の活用を勧め、アメリカまで巻き込んでしまったことだと思います。アメリカ政府は橋下氏を政治家ブラックリストに入れたはずで、ということは橋下氏の中央政界での活躍は期待できなくなりました。
橋下氏はいずれ首相になるのではないかという期待がカリスマ性につながっていましたが、このときからカリスマ性がなくなりました。
 
橋下氏がよくも悪くも強引に行政改革を行ってきた政治家であることは間違いありません。
こういう政治家が政界からすっかりいなくなってしまいました。
 
維新の党の江田憲司代表も代表を辞任する意向を表明しました。江田氏は、「官僚国家日本を変える元官僚の会」いわゆる「脱藩官僚の会」代表幹事をやっていて、行政改革に力を入れてきた政治家です。
 
元みんなの党代表の渡辺喜美氏も、江田氏とともに行政改革に力を入れてきた政治家ですが、金銭スキャンダルで衆議院を落選してしまいました。
 
小沢一郎氏が改革派といえるかどうかわかりませんが、少なくとも官僚がもっともいやがるタイプの政治家です。
 
民主党は「官僚主導から政治主導」を掲げて政権交代を実現しましたが、今は「政治主導」の看板を下ろしてしまったようです。
 
今の政治の世界は、官僚支配がどんどん強まっています。
集団的自衛権や安保法制も外務官僚が主導して行っていることです。
安倍政権は官僚のいやがる改革はしません。
行政改革という言葉は死語になっています。
 
橋下氏については評価が分かれるでしょうが、政治の世界がのっぺりとしたつまらないものになってしまったのは間違いありません。

5月14日夕方6時、たまたまテレビをつけていたら、安倍首相の安保法制についての記者会見が始まりました。
これがなんともつまらない会見で、チャンネルを変えようかなと思っていると、会見の途中で中継が終わってしまいました。
ほかのチャンネルを見てみたら、この時間帯はテレビ東京を除いてすべてニュース番組ですが、どこもすでに会見の中継はやっていません。やっていたのはNHKだけでした。つまらない会見なので視聴率が稼げないとどの局も判断したのでしょう。
 
なぜつまらないかというと、安保法制といい集団的自衛権行使といい、今しなければならない必要性が感じられないからです。
中国が軍拡をしているということが理由として挙げられますが、アメリカ軍の力は圧倒的で、中国軍はその差を少し縮めただけですから、日本人が中国軍に脅威を感じるはずはありません。
 
平成27514
安倍内閣総理大臣記者会見
 
安倍首相は会見において「海外派兵が一般に許されないという従来からの原則も変わりません。自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、今後とも決してない」と言いましたが、これが信用できません。
 
湾岸戦争のときもイラク戦争のときも、国連決議のあるなしということが盛んに議論されました。つまり国連決議という根拠なしに戦争の参加はもちろん支援もしてはいけないという認識が前提としてあったわけです。
 
ところが、現在安倍首相が目指しているのは、アメリカとの集団的自衛権を行使することです。国連決議は関係なく、“アメリカの私戦”に参加しようというのです。
 
安倍首相は「あらゆる事態を想定し、切れ目のない備えを行う」と言います。「切れ目がない」というのはつまり「アメリカべったり」ということです。
 
もしアメリカのすることがすべて正義であるなら「アメリカべったり」でもいいかもしれませんが、もちろんそんなことはありません。イスラム国に対する空爆にしても、なんの大義もありません。
 
ところが、安倍首相や外務省はアメリカを絶対化して、アメリカの戦争を疑うということをしないようです。
つまりアメリカ依存の心理です。
 
ところが、安保法制を批判する人にも、アメリカ依存の心理があるのではないでしょうか。
 
「戦争法案反対」抗議の声 安保法制、官邸前や銀座で
 東京の首相官邸前などでは14日、法案に反対する市民グループや労働組合などが抗議の声を上げた。
 
 午前8時から官邸前で開かれた抗議活動は、作家の鎌田慧さんらが発起人を務める「戦争をさせない1000人委員会」など3グループが呼びかけた。約500人(主催者発表)が集まり、「戦争法案、絶対反対」「閣議決定、勝手に決めるな」などとかけ声を合わせた。
 
 東京都台東区の元教員、吉野典子さん(58)は「戦争のための法律を『平和支援』と呼ぶなど、政権の言葉はごまかしに聞こえる」。東京都八王子市の男子大学生(19)は「自分が社会に出たとき、日本がどうなっているか怖い。選挙に行けない分、ここで意思表明をしたい」と語った。
 
 官邸前の抗議は、全労連系や旧総評系の労組も党派を超えて連携している。民主、共産、社民の国会議員も駆け付け、マイクで「憲法違反の法律を止めよう」などと訴えた。法案の審議に合わせて、今後も毎週木曜日の夜に国会周辺で抗議活動を開き、市民に参加を呼びかけるという。
 
 東京・銀座では14日正午すぎ、法案に反対する女性たち400人余りが抗議の思いを示すため、赤色のTシャツや帽子などを身に着けてパレードした。主催団体によると、「戦争する国づくりと安倍政権への『レッドカード』の意味を込めた」という。
 
 お笑いコンビの爆笑問題の太田光さんの妻で芸能事務所社長の太田光代さんや、音楽評論家の湯川れい子さんらが呼びかけ人になった。「戦争立法とんでもない」「武力で平和は守れません」と訴えながら街を歩いた。
 
この記事には「アメリカ」という言葉がまったく出てきません。
安倍首相や安保法制は批判しても、アメリカは批判したくないのでしょうか。
 
アメリカ依存の心理が日本人に広く存在する限り、日本がアメリカの戦争に参加することを止められないと思います。

「仕事と私、どっちがだいじなの?」というのは、私が子どものころからドラマでよく耳にしたお決まりのセリフです。
そして、これほど答えにくい質問はありません。
そうしたところ、この質問に対する「正解」を教えるというサイトがありました。
 
究極の質問「仕事と私、どっちが大事なの?」の正解
 
これを書いたのはコピーライターで作詞家の佐々木圭一氏です。
直接読んでいただければいいのですが、サワリの部分だけ紹介します。
 
 
翌日の土曜日、ランチをすることになったふたり。そのテーブルには、レストランの店員さえも近づけないほどの緊迫感がありました。グラスの水が、心なしか震えています。彼女は言いました。
 
 「仕事と私、どっちが大事なの?」
 
究極の質問です。
答え方によっては、ふたりの関係に、修復不可能なヒビが入るでしょう。
 
そこでもし、永井さんが、
 
 「ごめん。でも俺だって、好きで仕事ばかりしてる訳じゃないし」
 
 ……と言っていたら、きっと完全にアウトだったでしょう。
彼女は血管をぶちぶち切りながら怒ったに違いありません。
グラスの水は、鋭く波だってこぼれていたでしょう。
 
ですが、そこで永井さんはこう言ったのです。
 
 「ごめん。でも誰より優子にだけはそんなふうに思わせたくなかった。ごめんな。じぶんが情けないよ」
 
思わぬ優しいコトバ……彼女は徐々に怒りが消えていくのがわかりました。
そして、「言い過ぎたかな。彼だって仕事、がんばってるんだし」とも思い、ちょっと反省。
 
永井さんに大切に思われていることがわかり、以前よりも彼への愛が深まることさえ感じました。
 
ピンチを「コンマ1ミリで逆転」した彼のひとこと。
決して狙って口先で言っただけではなく心から湧き上がったコトバでした。
そしてそのコトバは、「ノー」を「イエス」に変える技術の切り口「あなた限定」だったのです。
 
 
これが「正解」と言うのはどうなのでしょうか。ごまかしのテクニックを言っているような気がします。
 
とはいえ、「仕事と私、どっちがだいじなの?」という質問にひじょうに答えにくいのは事実です。
男が女性とつきあったり結婚生活を維持したりできているのは、男が仕事をして生活の糧を稼いでいるからです。男が仕事を辞めて無職になれば、女性も逃げていくはずです。ですから、仕事と女性とどちらがだいじか、どうしても答えろと言われれば、仕事と答えるしかありません。
しかし、目の前の女性にそれを言うわけにはいきません。女性は自分をだいじにしてくれることを望んでいるからです
そこで、なんとかしてごまかすしかないということになります。
 
ですからこの問題は、私が考えるに、女性が質問を変えなければなりません。
「その仕事と私、どっちがだいじなの?」あるいは「その会社と私、どっちがだいじなの?」と言うべきです。
 
こう言えば、男としては、上司に言ってその仕事を断るとか、あまり残業のない会社に転職するとか、現実的な選択肢があるので、ごまかしてばかりはいられません。真剣に対応せざるをえないでしょう。
 
女性がこのように言うようになれば、ワーク・ライフ・バランスも自然と進展して、世の中がよくなっていきます。
 
もっとも、女性が「その仕事(会社)と私、どっちがだいじなの?」と言ったために男が会社を辞め、なかなか再就職できないとか、再就職したものの給料が下がったとか、前の仕事のほうがやりがいがあったとかという問題が生じることは十分に考えられます。そうすると、それに対して女性にも責任が生じてきます。
そういうことがあるので、女性は昔から「仕事と私、どっちがだいじなの?」という答えようのない質問を続けているのかもしれません。
 
それにしても、何十年と同じ質問を続けているのも芸のない話です。
こうなれば男性のほうも思い切ったことを言うべきかもしれません。
 
「仕事と私、どっちがだいじなの?」と言われたら、「仕事に決まってるだろう。君は俺に給料を払ってくれるのか?」と言い返すのです。
これこそが「正解」だと思います。2人の関係がどうなるかは知りませんが。

高崎山自然動物園で生まれたばかりの赤ちゃんザルに英国王女と同じ「シャーロット」という名前をつけたところ、英国王室に失礼だという批判の声が上がり、海外にも報道される騒ぎとなりました。結局、英国王室が寛大な対応をしたこともあり、名前は変更しないということで一件落着したようです。
 
こうした騒動が起きたのには、日本人と欧米人の差別意識の違いがあるでしょう。
 
まずひとつ言えるのは、これはサルだから問題になったのであって、キリンやゾウやレッサーパンダだったりしたら、おそらく問題にはならなかっただろうということです。
 
それともうひとつ言えるのは、これはウィリアム王子とキャサリン妃の子、つまり白人の子だから問題にならなかったのだろうということです。
もしこれがオバマ大統領とミシェル夫人の子、つまり黒人の子だったらたいへんです。黒人の名前をサルにつけたら、それは人種差別的だとして世界的に批判されたでしょう。
 
つまり「黒人とサル」という組み合わせは最悪なのです。今回は「白人とサル」でしたから、あまり問題になりませんでした。
 
このへんに欧米人独特の差別意識があって、日本人には理解しにくいところです。
 
この差別意識はキリスト教思想からきているものと思われます。
 
旧約聖書創世記  第1章 第1節~第31節
神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
 神は彼ら を祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空 の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
 
人間は神に似せてつくられたので動物よりも偉いというだけではなく、すべての生き物を支配せよと命じられています。つまり人間と動物は支配者と被支配者という関係にあるわけで、人間と動物は画然と区別されます。
したがって、人間と動物の間のどこに線を引くかが大きな問題になります。
大航海時代に黒人と出会った白人は、黒人は人間ではなく動物に属すると判断しました。とすれば、白人は黒人を支配しなければなりません。そうして黒人を奴隷にしたわけです。
 
このときの影響がいまだに残っていて、それを人種差別というわけです。
ですから、人種差別のもとには動物差別があることになります。
 
「動物差別」という概念はあまり一般的ではありませんが、動物差別から人種差別が発生したと考えるとわかりやすくなります。
 
なお、最近は大型類人猿にも人権を認めるべきだという考え方が出ています。
 
「大型類人猿の権利宣言」パオラ カヴァリエリ ()  ピーター シンガー ()
内容(「MARC」データベースより)
私たちは人間であると同時に大型類人猿である。チンパンジー、ゴリラ、オランウータンと人間との境界をなくし、彼らも「人権」をもつべきとする既存のモラルへの警鐘の書。
 
チンパンジーを使った動物実験に対して過激な反対運動をする動物保護団体がありますが、そのもとにはこうした思想があるわけです。
 
これは、人間と動物の間の線を引き直そうというものでしょうが、そもそも人間と動物の間に線を引こうという考え方が進化論からすると間違っています。
 
日本人は「生きとし生けるものいずれか歌を詠まざりける」という歌もあるように、人間と動物の間に線を引こうという発想はあまりありません。ですから、ダーウィンの進化論もたいした抵抗なく受け入れることができます。
また、人種差別の意識も日本人のほうがはるかに少ないといえます。
 
日本人は欧米の文化をなんでもありがたがって、ヘイトスピーチ対策みたいな反差別運動も欧米のほうが優れていると考えがちですが、そもそも欧米の人種差別がひどいから反差別運動も盛んになるわけです。
 
サルの赤ちゃんに「シャーロット」という名前をつける日本人の、人間と動物を区別しないおおらかさをもっと評価していいはずです。

教育のやり方を決めるのはすべておとなです。そうすると、そのやり方はおとなにとって都合のいいものになりがちです。
ただ、おとなはそういうことには気づかないものです。
 
スクール水着というと、セーラー服、ブルマーと並んで、AVではスケベ男の妄想をかき立てるアイテムですが、それにニュータイプのものがお目見えしたということです。
 
 
スクール水着、中学生と開発 「肌の露出イヤ」の声反映
 水泳用品メーカーのフットマーク(東京)は、中学生4人と共同開発したスクール水着「イデアルスイミング」を24日に売り出す。「素早く着替えたい」「肌が見えるのはイヤ」など、4人の意見や中学生360人へのアンケートで集めた声を盛り込んだ。
 
 開発に加わったのは、東京都立両国高校付属中3年の薄井美佳さん、太田梨々香さん、北畠和哉さん、齊藤昌弘さん。昨年11月、職場体験でフットマークを訪れたのがきっかけだ。デザイナーが要望を聞き、試作を繰り返した。
 
 女子からは「短い休憩時間で素早く着替えたい」「肌が見えないワンピース型がいい」という相反する願いが多かったため、脱ぎ着しやすく上下に分けた水着を腰のボタンで留める形に。上着の後ろ側を長くして、体育座りでも背中が露出しない工夫もした。
朝日新聞デジタル 417()2326分配信
 
 
この記事はリンク切れになっています。水着の写真は、次のメーカーのサイトで見ることができます。
 
スーパー中学生ものづくりプロジェクト
 
この女子用水着は、太ももまで覆う形で、上下が別れています。太ももの露出がなくて、上下に別れているので着替えるときも肌の露出が避けられるというわけです。
 
スクール水着というのは、もっともセクシーさを排したデザインになっていると思っていましたが、考えてみると、太ももは露出しますし、シンプルなデザインだけに体型も際立ちます。
男が妄想をかき立てるだけのことはあります。
 
ブルマーもそうでした。あれも太ももを露出します。
しかし、本来のブルマーはそういうものではなかったということです。
 
ニコニコ大百科 単語記事:ブルマー
ブルマーとは、下半身に着用する女性用の衣類の一種である。ブルマとも呼ぶ。
 
起源は諸説あるが、最も有力な説とされているのが19世紀アメリカの女性解放運動家のアメリア・ジェンクス・ブルーマーが発案したという説である。当時の女性の衣服にはヨーロッパ式のコルセットで無理に肉体を絞めつけたりするスカートやズボンが多く、そうした衣服の発想から転換した衣服として画期的なものであった。なお写真や画像で見る限り、丈は膝あたりまであるだぶつきのある物であった。
 
ブルマーは日本でも女子の体操着として導入されたが、導入初期はプリーツがつけられていてだぶつきのある形状のものが多く、その形状から「ちょうちんブルマー」という俗称もつけられた。
 
昭和中期頃にだぶつきが無い物に変更、太もも部を露出し体型にフィットした「ショーツ型」とも称されるタイプの動きやすいブルマーが一般的となり普及した。色は濃紺が多かったが、えんじ色や緑色をはじめ様々なカラーバリエーションも存在した。
 
こうして多くの学校で使用されていたブルマーだったが、太もも部を露出し、かつ殆ど下着と変わらない事や激しく動くとパンツがはみ出るなど抵抗を感じる人も多かった。また、ジェンダーフリーの視点からも体操着が男女別である必要は無いという意見が出された。更には運動会での盗撮行為や写真集の販売といった、ブルマーを性的好奇心の対象として見るケースが広く知れ渡り、廃止運動に拍車をかけた。その結果、19972001年あたりまでに殆どの小中高の学校で女子の体操着はクォーターパンツ等に切り替わり、体操着としてのブルマーは終焉を迎えた。
 
あのような太ももを露出するブルマーを考案して普及させたのは、どうやら日本の教育関係者であるようです。
 
スクール水着も、ブルマーと同じ運命をたどってもおかしくありません。
 
なお、中学校の健康診断でも、昔は女子は上半身裸を強制されることが普通でした。若い男性の医者は、学校の健康診断というと競って行きたがったという話を聞いたことがあります。
 
要するにスケベ男の考えが学校の常識となっていたのです。
 
ところで、新しいスクール水着は中学生の意見を取り入れてつくられたものです。
中学生が意見表明することで、これまでの常識が打ち壊されました。
 
これまで教育改革についてさまざまな議論が行われてきましたが、驚くことに、教育される側の小学生、中学生、高校生にアンケート調査が行われたことは1度もありません。教育改革はすべておとなの考えで行われているのです。
 
教育の世界には、ブルマーやスクール水着みたいなことがいっぱいあるはずです。

5月3日は憲法記念日だったので、改憲についてのさまざまな議論がありました。
しかし、改憲派のやっていることは支離滅裂なので、改憲の可能性はうんと遠のいたと思います。
 
たとえば、朝日新聞の世論調査によると、憲法9条に関してはこういう結果になっています。
 
憲法記念日を前に朝日新聞社は憲法に関する全国郵送世論調査を実施し、有権者の意識を探った。
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◆以下は、憲法第9条の条文です。(憲法9条条文は省略)憲法第9条を変える方がよいと思いますか。変えない方がよいと思いますか。
 
 変える方がよい 29
 変えない方がよい 63
 
◆憲法第9条を変えて、自衛隊を正式な軍隊である国防軍にすることに賛成ですか。反対ですか。
 
 賛成 23
 反対 69
 
 
このアンケートも、改憲案の条文は示していません。改憲案が具体的な条文となって出てくれば、もっと反対が多くなるはずです。
 
改憲派は、「現行憲法はアメリカの押しつけだから、自主憲法を制定したい」と主張して、自立した国を目指しているようですが、現実にやっているのは解釈改憲で自衛隊をますますアメリカのために用立てることです。こんな矛盾したことをやっていては、改憲はますます困難になります。
 
改憲派の矛盾は、憲法前文の「日本国民は……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という部分を批判することにも現れています。
つまり他国は信頼できないというわけですが、一方で改憲派は同盟国たるアメリカは信頼して、とりわけ日本が核攻撃されたらアメリカは報復してくれるという“核の傘”を信頼しているわけです。
これも矛盾というしかありません。
 
実際のところは、誰が考えても“核の傘”ほど信頼できないものはありません。アメリカが自国が核攻撃されることを覚悟して日本のために報復してくれるとは到底思えないからです。
 
日本はアメリカと自由と民主主義という価値観を共有しているとしても、日本が中国と対立するときは自由と民主主義という価値観を巡って対立するわけではありません。領土問題や歴史認識問題や経済問題で対立するわけです。そういうときアメリカはどちらにも肩入れしたくないはずです。
そして、中国がアメリカに「どうしても日本を許せないので核ミサイルを一発撃ち込むが、アメリカはなにもしないでくれ」と通告して日本に核ミサイルを撃ち込んだ場合、アメリカは中国に核ミサイルを撃ち返すかというと、そんなことはしないでしょう。
 
「平和を愛する諸国民の公正と信義」は信頼できないが、アメリカの“核の傘”は信頼するというのは、どう考えても矛盾です(というか、アメリカの“核の傘”よりは「諸国民の公正と信義」のほうがまだ信頼できると思われます)
 
アメリカの“核の傘”という信頼できないものをなんとか信頼できるものにしようと思って、安倍首相らはひたすらアメリカに忠義を尽くそうとしているのでしょう。
日本がアメリカにとってのイギリスぐらいの存在になれば、それは可能かもしれませんが、日本とイギリスは歴史が違うのですから、所詮不可能なことです。
 
日本人はアメリカに対して、平和や民主主義や食糧をもたらしてくれたことに感謝する一方で、戦争に負けたという敗北感や屈辱感を持っています。
こうした矛盾した心情が改憲問題にも現れているわけです。
ですから、改憲問題を考えるには、日米関係から考えていかないといけないことになります。

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