村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2015年08月

安倍首相の戦後70年談話を読み直していたら、それまで「お詫び」だの「侵略」だのばかりに気を取られて、いろいろと見落としていたのに気づきました。
 
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という部分がひじょうに注目されましたが、その前後はこうなっていたのでした。
 
 
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
 
 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
 
 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
 
 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
 
 
「寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました」となっていますが、日本が国際社会に復帰したのは、戦後処理を終わらせた以上は当然の権利です。もし周辺国に「寛容の心」がなければ、日本はいつまでも被占領状態のままでもしかたがないというのでしょうか。
これではあまりに卑屈というか自虐がすぎます。
 
なぜ安倍首相がこんなことを言ったかというと、「子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と言ったことへの反発を極力抑えようとしたからでしょう。
 
そうした低姿勢が安倍談話のすべてに広がっていますが、とりわけひどいのは、「私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた(中略)それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります」というところです。
戦後の食糧難の時代にアメリカ以外に豪州、欧州諸国からも支援があったとは知りませんでしたが、飢えている国に援助するのは、それほど特別なことではありません。これも自虐がすぎます。
 
そして、いちばんの問題は、戦後日本の奇跡ともいえる経済復興への言及がないことです。
焼け野原から奇跡の復興を遂げ、ソニーやトヨタなどのすばらしい製品を生み出した国――というのは世界中の人々が認めるところであり、とりわけ途上国の人々が尊敬するところです。ここは日本人が誇ってもどこからも文句は出ないはずです。
しかし、それへの言及がなく、戦後の援助のことだけ述べているので、まるで外国から援助されたおかげで日本は復興できたように読めてしまいます。
 
改めて安倍談話を通読してみると、日本のことを誇っているのは、「アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」というところと、「自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱き」というところだけです。
 
反対に自虐的な記述は、
 
「私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます」
「私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます」
「私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます」
「私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます」
 
と、くどいほど繰り返されます。
未来志向とは真逆です。

これもすべて安倍首相が「お詫び」しないですまそうとジタバタしたからで、「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」という言葉にならっていえば、「詫びるは一時の恥、詫びぬは末代の恥」というところです。
 
で、結局「お詫び」をしてしまったというオチがついています。

「戦争に行きたくないのは利己的」発言の武藤貴也議員が週刊誌にスキャンダルを書き立てられています。
「未公開株の国会議員枠」などと言って金を集めたのは、ほとんど詐欺事件で、論じる価値もありませんが、ただ武藤議員の“思想”にはいろいろな面で考えさせられます。
 
武藤議員は19歳男性を「買春」したということですが、これ自体は個人的な問題です。ただ、相手の男性にLINEで「俺の言うこと全て言いなりになるなら振り込む」「奴隷だよ」などと書き送っていたということです。
また、武藤議員は自分のブログにおいて、現行憲法が日本的精神を破壊したと主張し、このようなことを書いているということです。
 
「国家や地域を守るためには基本的人権は、例え『生存権』であっても制限されるものだというのがいわば『常識』であった」
 「その根底には『滅私奉公』という『日本精神』があったことは言うまでも無い」
 
こういう思想から「戦争に行きたくないのは利己的」発言が出てきたわけです。
 
政治の場では「滅私奉公」という言葉を使い、性愛の場では「奴隷だよ」という言葉を使う。「滅私奉公」は国民を奴隷化する言葉で、どちらも同じ意味です。これが武藤議員の思想の核心でしょう。
 
こういう人物を招き寄せる自民党も問題です。自民党の改憲草案も国民の権利を制限する方向性を持っています。
 
 
あと、武藤議員の言動を見ていると、政治という公の場と性愛という私的な場とがつながっているということがよくわかります。
 

そこで思い出されるのが、「リテラ」というサイトに出ていた『アッキーが証言!ヤジ問題で謝らない安倍首相は家庭でも「ごめん」と謝ったことがない!』という記事です。

 
 昨年の産経新聞(15日付)に「新春対談 作家・曽野綾子さん×首相夫人・安倍昭恵さん」なる記事が掲載されている。安倍首相夫人の“アッキー”こと昭恵と、アパルトヘイト発言でいま渦中にある曽野の対談だが、そこで昭恵夫人は安倍首相の興味深いエピソードを暴露していたのだ。
 
 まず、この対談の冒頭で、昭恵夫人は安倍首相のある“振る舞い“に言及する。
 
〈──新年早々ではありますが、安倍晋三首相と昭恵さんの夫婦関係はどうなのか、聞きたいですね
 安倍 そこからですか…(笑)。
 曽野 当分、離婚しそうにはないでしょう(笑)。
 安倍 でも、最近は「夫婦仲が悪いんじゃないか」と言われていて…。〉
 
 その直後、曽野に「けんかをしても晋三先生の方がさっさと謝られるのでは?」と水を向けられた昭恵夫人は、こう切り出す。
 
「そういえば、謝らない!「ごめんなさい」というのを聞いたことがないです」
 
 さらに、ケンカをおさめる方法は?と問われると、「なんとなくで。いつの間にかお互いが忘れてしまうという感じです」と語っている。
 
この対談の時点で、安倍首相と昭恵夫人は結婚して26年目、銀婚式も過ぎている。にもかかわらず、一度も夫人に「ごめんなさい」と謝ったことがないとは……。なかなかの頑固者である。
 
安倍首相の戦後70年談話は、どうしても謝りたくない安倍首相と、謝らせようとする国内外の諸勢力との妥協の産物で、最終的に「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」という表現になりましたが、主語が「我が国は」であるところに、どうしても謝りたくない安倍首相の最後の意地が感じられます。
 
昭恵夫人については、「女性セブン」に布袋寅泰氏と深夜2時にキスをしていたということが報じられていました。家庭で一度も謝ったことがないのでは、夫婦関係がうまくいかなくなって当然です。
 
もし安倍談話に「お詫び」が入っていなければ、外交関係が安倍夫婦の関係みたいになるところでした。

ロシアのメドベージェフ首相が8月22日に択捉島を訪問したことに日本政府は抗議しましたが、それに対してロシアのロゴジン副首相は「切腹」という言葉を持ち出して反論しました。
 
 
「日本人なら切腹して静かに」=首相択捉訪問、抗議に不快感-ロ副首相

【モスクワ時事】ロシアのロゴジン副首相は、メドベージェフ首相による22日の北方領土・択捉島訪問を受けた日本政府の抗議に不快感を示し、「切腹」という言葉を用いて、日本人は静かにすべきだと主張した。23日夜、自身のツイッターに投稿した。
 ロゴジン副首相は「真の(日本の)男なら、伝統に従ってハラキリをして落ち着いたらいい。今は騒いでばかりいる」とやゆした。
(後略)
 
明らかに日本人をバカにした言い方です。
岸田外相はこれに対して記者会見で「非建設的な発言にコメントするのは控える」と述べただけです。
菅官房長官も「びっくりした。非建設的な発言で、コメントする気にもならない」とハンで押したように同じことを言いました。
 
日本政府の反応は、中国や韓国に対するときと違って弱腰です。
そもそもメドベージェフ首相が択捉島を訪問したときから日本政府は弱腰でした。一応抗議はしましたが、きわめて弱い言葉での抗議です。
 
岸田外相はアファナシエフ駐日露大使を外務省に呼び、「日本の立場と相いれず、国民の感情を傷つけるものであり、極めて遺憾だ」と述べました。
菅官房長官は記者会見で「北方四島に関する日本の立場と相いれず、日本国民の感情を逆なでするもので、極めて遺憾だ」と、またしても同じように述べました。
 
検索してみたら、2011年に当時の枝野官房長官が、ロシアのイワノフ副首相が択捉島と国後島を訪問したときに、「我が国の国民感情を傷つけるものであり、大変遺憾である」と述べています。
つまり「国民感情を傷つけるので遺憾だ」というのは、外務省の書いた台本なのです。
ロゴジン副首相の「切腹」発言に岸田外相と菅官房長官がまったく同じことを述べたのも、外務省の台本でしょう。
 
別に外務省の台本通りでもいいのですが、「国民感情を傷つける」という抗議の仕方では、「そんなことで傷つくほうが悪い」と反論することが可能です。つまり相手の行為のどこが悪いかを指摘していないのです。
 
日本政府が弱腰なだけではありません。日本国民からもメドベージェフ首相の択捉島訪問はけしからんとか、ロゴジン副首相のハラキリ発言はけしからんという声はほとんど上がりません。中国韓国に対するときとは大違いです。
 
この違いはなにかというと、ロシアが白人の国だからではないでしょうか。日本人は人種的コンプレックスを持っていて、ロシアだのアメリカだのには強くものが言えないのです。
 
日本がロシアと戦争したときは、日英同盟によってイギリスが後ろ盾になっていました。日本は世界の一流国であるイギリスと同盟できたことで舞い上がって、イギリスに操られてしまったのです。
日本がアメリカと戦争したときも、三国同盟のドイツ、イタリアが後ろ盾になっていました。
 
私は前回の「『テロとの戦い』よりも『差別との戦い』を」という記事で、国際社会において人種差別の問題がいかに大きいかということを言いました。その流れで今回の記事では、白人コンプレックスの日本のロシアへの態度は弱腰で情けないということを言おうとしたのですが、考えてみれば、このような日本のロシアへの態度は、節度ある外交と言えなくもありません。
むしろ問題なのは、日本の中国韓国に対する態度です。人種差別意識があるためつねに感情的になって、あらゆることがこじれてしまいます。
 
むしろ日本は、ロシアに対するように中国韓国に対していけば、いい外交ができるのではないかと思いました。
 

安倍談話は一応植民地支配について謝罪をしましたが、欧米諸国は植民地支配についていまだに謝罪していません。この違いはなにかというと、白人はいまだに人種差別意識を持っているからでしょう。人間は見下している相手には謝罪する気持ちにならないものです(日本でも中国韓国に差別意識を持っている人は謝罪したがりません)
 
そもそも欧米列強が世界の多くの地域を植民地化したのは、根底に人種差別意識があったからと思われます。黒人を奴隷にしたのももちろんそうです。
 
そうした中で日本は、世界に対して人種差別撤廃を主張してきました。ウィキペディアの「人種差別」の項目にはこう書かれています。
 
第一次世界大戦の講和会議であるパリ講和会議では、日本が「人種的差別撤廃提案」を行なった。イギリスやオーストラリアが強く反対する中で採決が行われ、結果115で賛成多数となったが、議長のアメリカ大統領・ウッドロウ・ウィルソンが例外的に全会一致を求めた為、否決された。
 
なお、ウィキペディアの「人種的差別撤廃提案」の項目には「国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である」とも書かれています。
 
「日本の誇り」にこだわる人たちは、「強制連行はなかった」などと言っているより、こっちを主張したほうがいいはずです。
 
いや、これは「日本の誇り」などというレベルのことではありません。日本が人種差別による被害を受けていることは現在進行形の問題です。
 
たとえば、アメリカ共和党の大統領候補トランプ氏は、差別発言を連発することで大人気となっていますが、日本もやり玉に上げています。
 
トランプ氏、日本に強硬姿勢 ケネディ駐日大使にも矛先 CNN EXCLUSIVE
 
まあ、トランプ氏は色物みたいなものかもしれませんが、次のことは深刻な問題です。
 
ウィキリークスは先月、アメリカ政府は日本の中央省庁や商社など35か所を盗聴していたと公表しました。同盟国なのに盗聴するとはけしからん話ですが、国際政治とはそういうものだという意見もあります。実際、フランス、ドイツもアメリカに盗聴されていました。
 
しかし、アメリカはどの国も盗聴しているわけではないようです。盗聴せずに逆に情報を共有している国があるというのです。
 
 
米、仁義なき情報戦 NSA日本盗聴疑惑
 
 内部告発サイト・ウィキリークスが七月三十一日に公表した米政府の機密文書は、米国家安全保障局(NSA)が日本の経済産業相や日銀総裁、大手商社などの電話を盗聴していたことを明かしており、「安全保障」を盾になりふり構わぬ産業スパイ活動をしていた米国の実態があらためて露呈した。一部の盗聴内容は「ファイブ・アイズ(五つの目)」と呼ばれる米英豪など英語圏五カ国で共有された可能性も指摘され、米国の同盟国の間でも情報をめぐる関係の緊密さの違いが大きいようだ。
(中略)
「ファイブ・アイズ」と呼ばれ、日本政府高官などから盗聴した情報も共有していた可能性のある英語圏五カ国の情報当局は、世界中に通信傍受網「エシュロン」を張り巡らせるなど、諜報(ちょうほう)分野で極めて緊密に連携している。
 
 英BBC放送などによると、ファイブ・アイズの誕生は、第二次大戦中、米英両国が協力して進めた日独の暗号の解読作業に端を発する。米英の協力関係は戦後も続き、一九四六年三月に「UKUSA」と呼ばれる秘密協定が結ばれ、その後、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドが加わった。
 
 米情報当局の元首脳は、中国や北朝鮮の情勢などをめぐり、日本と米国が(1)スパイ活動による情報の交換(2)米国が技術供与した機材で傍受された通信情報の共有-といった協力関係にあるとするが、日本が得られる情報は、米国の諜報活動全体からみれば極めて小さな部分と考えられる。
 
 また、ファイブ・アイズにはその五カ国の中で諜報活動をしない取り決めがあるとされ、米国の同盟国ながら盗聴された日本やドイツとの違いが際立つ。
 
 ウィキリークスの暴露をきっかけとした米国の一連の諜報疑惑では、フランスやドイツ、ブラジルなど、特に非英語圏の国々から米国への風当たりが強い。
 
 (藤川大樹)
 
 
「ファイブ・アイズ」のアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドというのは、要するにアングロサクソンの国です。
これは人種差別意識で結束しているとしか言いようがありません。
このような人種差別意識があるなら、日本がいくら集団的自衛権行使でアメリカに協力しても、ただ使われるだけで終わってしまいます。
 
現在、世界中でテロが吹き荒れているのも、もとはといえばアメリカのアラブ人やイスラム教徒に対する差別意識が生み出したものです。

アメリカ国内でも、黒人が白人警官に射殺される事件が頻発するなど、黒人差別はまだまだ深刻です。
 
安倍首相は価値観外交といって、アメリカと価値観を共有するということをよく言いますが、こういう差別の実態を見て言っているのでしょうか。
 
「テロとの戦い」ではなく「差別との戦い」こそ日本の進む道です。

安倍首相の戦後70年談話は、中国韓国に対していかに形だけ謝罪して実質的には謝罪せずにすませるかということを最大のテーマにして書かれたものだった気がします。安倍支持派の人たちもその点を評価しているようです。
しかし、それは国内問題です(より正確には安倍首相の内面問題です)
それに、関心が日本と中国韓国との関係に集中しているために、日本と欧米の関係がおろそかになり、そこに問題が生じています。
 
それはたとえば、安倍談話のこの部分に表れていると思います。
 
 
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
 
 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
 
 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
 
 そして七十年前。日本は、敗戦しました。
 
 
これは完全にアメリカ中心史観です。安倍談話はそれを受け入れているわけです。
日本の右翼は、あの戦争は自存自衛の戦争だったという靖国史観に立ってきたわけですが、談話はそれを否定しています。
 
靖国史観はもともとデタラメですから、それはいいのですが、問題は、これでは悪いのは日本だけで、欧米は悪くないと読めてしまうことです。
 
「第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました」と書いてありますが、植民地化にブレーキはかかっても、植民地は植民地のままでした。
いや、例外はアメリカです。アメリカは1934年にフィリピン独立法を制定して、10年後にフィリピンを独立させることを決めていました。
しかし、イギリスもフランスも植民地を解放するつもりはありませんでした。イギリスがインドの独立を認めたのは1947年ですし、フランスは1962年までアルジェリア支配を続けました。
アメリカにしても、いち早くフィリピン独立を認めたとはいえ、それまで植民地支配を続けたことの罪はあります。
 
ところが、欧米諸国は植民地支配を謝罪したことはありません。
日本は一応植民地支配を謝罪しましたから、この点で日本は欧米諸国に対して優位に立ったはずです。
ところが、彼らは上から目線で日本の謝罪の仕方を論評しています。
 
なぜこんなことになっているのでしょう。
それは日本の謝罪の仕方が中途半端であり、かつ侵略や慰安婦問題についてろくに謝罪してこなかったからです。
侵略や慰安婦問題については、日本と欧米は違います。これについてはちゃんと謝罪し、問題を終わらせておく必要がありました。そうすれば、植民地支配について先に謝罪した日本が優位に立てるわけです。
 
安倍首相は中国韓国への謝罪をごまかすことばかり考えて、欧米に対して優位に立つチャンスを逃してしまいました。

安倍首相が発表した戦後70年談話について、さまざまな評価が出ましたが、私が注目したのはアメリカ政府の公式見解とも思える次の記事です。
 
 
「日本はすべての国の模範」、米が戦後70年談話歓迎
 
[ワシントン 14日 ロイター] - 安倍晋三首相が発表した戦後70年談話について、米国家安全保障会議(NSC)は14日、歓迎する意向を表明した。
 
ネッド・プライス報道官は「戦後70年間、日本は平和や民主主義、法の支配に対する揺るぎない献身を行動で示しており、すべての国の模範だ」とした上で、世界の平和と繁栄への貢献を首相が約束したことを評価。「安倍首相が、大戦中に日本が引き起こした苦しみに対して痛惜の念を示したことや、歴代内閣の立場を踏襲したことを歓迎する」と述べた。
 
手放しともいえる賛辞です。
考えてみれば、安倍談話を書いたのは外務官僚のはずで、彼らはつねにアメリカと連絡を取り合っているので、アメリカにほめられないことを書くわけがありません。
 
そのため“安倍カラー”は封印されてしまいました。
唯一“安倍カラー”らしいと思われるのは談話のこの部分でしょう。
 
 
 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
 
 
この部分はあまり評判がよくないようです。確かに「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」という表現は、最近テレビや出版物でよくある「日本はすごい」というのと同じで、自画自賛、自己満足です。
 
どうせ書くなら、「日露戦争とともに、日本軍による真珠湾攻撃は、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と書いてもいいはずですが、それはアメリカ様がお許しになりません。
 
そもそも植民地主義の始まりから書き起こしたのは、植民地主義に走ったのは日本だけではないのに、日本だけ謝罪するのはおかしい、ということを(安倍首相は)言いたいからでしょう。しかし、この書き方ではそうはなりません(外務官僚が書いているので)。むしろ植民地主義のおかげで日本は近代化を達成することができたと読めます。
 
この書き方のなにがだめかというと、「圧倒的な技術優位」という言葉を使っているところです。これは「圧倒的な軍事力」と書くべきです。西洋諸国は圧倒的な軍事力を背景に次々と植民地化を進めたのです。日本にしても、黒船による脅し、薩英戦争、下関戦争と被害にあっています。
つまり、最近はやりの言葉でいえば「力による現状変更」を西洋諸国は行ってきたのです。しかし、「技術優位」なんていう言葉を使ったのではなにも伝わってきません。
 
それから、植民地主義の背景には人種差別もありましたが、人種差別については言及がありません。
「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」という表現は、「日露戦争は、植民地支配のもとで白人による人種差別に苦しんでいた多くの有色人種の人々を勇気づけました」と書けば、それなりに伝わります。
 
しかし、「欧米諸国は軍事力と人種差別でアジア、アフリカ、南アメリカを植民地化した」と主張すれば、欧米諸国の反発を買います。今の安倍政権にそれを言う勇気はありません。
 
日本が欧米にそれを言うのは、日本がまず植民地支配や侵略で苦しめた国に謝罪し、それらの国を味方につけてからのことです。
ところが、安倍首相や日本の右翼勢力は、ただアジアに謝罪したくないために欧米も同じことをやったと言っているわけで、こういう自国本位の発想では味方になってくれる国はありません。

 
アメリカは、日本が中国韓国と関係改善してくれることを望んでいますが、あまりにも関係が改善されて東アジア共同体みたいな方向に行くのは望んでいません。ある程度仲が悪くて、日本がアメリカに依存するというのがいちばんいいわけです。
今回の安倍談話は、その点でちょうどいい具合になっていて、それもアメリカが絶賛した理由でしょう。

居酒屋大手のワタミが8月11日に発表した決算は15億円の赤字で、前年の9億円の赤字から赤字幅が拡大しました。ブラック企業のイメージが響いたようです。
 
ワタミといえば、自社農園を持つなどして「食の安全」をいち早く打ち出し、居酒屋チェーンの中でもひじょうにイメージがよかったものです。それがどうしてここまで転落してしまったのでしょうか。
私の勝手な想像ですが、創業者の渡邉美樹氏が学校経営に手を出したのがつまずきの原因ではないかと思います。
 
渡邉氏は2003年、経営赤字だった私立郁文館 (学校法人郁文館学園)の理事長に就任し、中学・高校の経営に乗り出しました。ウィキペディアの「渡邉美樹」の項目によると、「赤字経営から脱却した」と書いてあるので、経営的には成功したのでしょう。
その後、渡邉氏は教育再生会議委員(第一次安倍内閣)、神奈川県教育委員会委員を務めるなどして、教育に力を入れていきます。
 
現役の大企業経営者が同時に学校経営をするというのはひじょうに珍しいのではないでしょうか(ソニーの井深大氏のように社会貢献という形で教育問題に取り組む人はいましたが)
 
「渡邉(わたなべ)美樹公式ウェブサイト」のプロフィールを見ると、『現在、「学校法人郁文館夢学園」理事長、「公益財団法人みんなの夢をかなえる会」代表理事、「公益財団法人School Aid Japan」代表理事として、カンボジア・バングラデシュの学校建設・孤児院運営にも携わり、現在合計225校(2014年度末)の教育支援に携わる』とあり、企業経営よりも教育のほうに熱心であるようです。
 
なぜそれがつまずきの原因になったと思うのかというと、企業経営と学校経営は真逆のものだからです。
企業経営は、顧客や消費者に喜んでもらうことがたいせつで、それが企業の利益になります。
学校経営では、生徒が喜ぶことは関係ありません。むしろ生徒にきびしく当たることが求められます。生徒が喜ぶような教育は、生徒を甘やかしていると批判されます。
 
教育の世界では、たとえば生徒が不登校になると、学校や教師に問題があるのではないかと考えるのではなく、生徒に問題があるという発想になります。
生徒が宿題をやってこないと、生徒が怠けているからということになり、もっときびしく指導してくださいと親から頼まれたりします。生徒がやりたくなるような宿題を出そうという発想にはならないので、教育のやり方はいっこうに進歩しません。

渡邉氏が理事長を務める郁文館夢学園では、生徒に反省文100枚を書かせるなどして退学者が続出しているという報道がありました。反省文100枚というのはさすがに驚きですが、問題を起こした生徒に反省文を書かせるというのはどこの学校でも行われていることです。

渡邉氏は教育の世界と企業経営の区別がつかなくなり、教育の世界でのやり方を企業経営の世界に持ち込み、従業員をきびしく教育しようとして、それがブラック企業化を招いたのではないかというのが私の考えです。
 
現在、渡邉氏は自民党の参議院議員です。族議員の分類でいえば、文教族ということになるのでしょう。
ちなみに安倍首相も森元首相も自民党の文教族です。
 
「愛国心はならず者の最後のよりどころ」という言葉がありますが、教育というのは、抵抗も反論もできない子どもを相手にして、結果は問われないという無責任な営みなので、「教育もまたならず者の最後のよりどころ」であるようです。

今年は広島、長崎の原爆記念日に合わせたように核問題がいろいろ話題になりました。
 
安倍首相は広島の平和記念式典で非核三原則に言及しなかったために憶測を呼びましたが、長崎では「非核三原則を堅持」と明言し、単なるお騒がせで終わりました。
とくに今回は、中谷防衛相が国会答弁で「核兵器や生物化学兵器を輸送することは法案で排除はされていない」と言ったので、よけい憶測を呼びます。
ですから安倍首相は「核をつくらず、持たず、持ち込ませず、運ばず」の非核四原則に変更すると言明すればよかったのですが。
 
実際のところは、米軍は核兵器を厳密に管理しているので、自衛隊に運ばせるはずがありません。しかし、日本の重要な原則が書き込まれず、アメリカの選択肢をいっぱいに広げている法案が問題なのです。
 

この時季になると、新聞紙面に「核廃絶」という文字が踊ります。オバマ大統領は核廃絶を訴えたことでノーベル平和賞を受賞しましたし、ローマ法王も核廃絶を訴えています。まるで核廃絶は崇高な理想であるかのようです。
 
しかし、安倍首相も広島の式典で「核兵器のない世界」を目指して、9月の国連総会で新たな核兵器廃絶決議案を提出すると表明しました。
安倍首相に崇高な平和の理想があるとは思えません。
 
考えてみれば、アメリカは通常兵器では圧倒的に強いので、アメリカとともにロシアや中国が核兵器を放棄すれば、ますますアメリカが優位になります。
つまり核廃絶というのは、単なるアメリカの戦略であって、安倍首相が核廃絶を支持するのもいつもの対米従属路線ということになります。
 
 
山本太郎議員が国会で「原発に弾道ミサイルを撃ち込まれたらどう対処するのか」と質問し、ネットで話題になりました(というか、一般のメディアはほとんど報道しなかったので、ネットでしか話題になりませんでした)
実際のところは、そんな正確に原発に命中する弾道ミサイルはないようです。巡行ミサイルは正確ですが、北朝鮮は巡行ミサイルを持っていません。
 
ですから、ミサイルの心配はそれほどないのですが、テロの心配はあります。
 
いや、テロよりも巨大地震が発生して稼働中の原発がまた事故を起こすということのほうが現実的な恐怖です。
 
そうした中、川内原発が8月11日にも再稼働します。
安倍首相は、米軍の輸送艦に邦人が乗っていて、米軍が守れないときに自衛艦が守らなくていいのかというように、まったく想定できないような例を持ち出しますが、日本の安全保障を真剣に考えるなら、原発再稼働をしないことが最優先でしょう。
 

自民党の武藤貴也衆議院議員が戦争に行きたくないという若者をツイッターで「自分中心、極端な利己的考え」と批判し、物議をかもしています。
そのツイッターの文章は以下の通りです。
 
SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。」(武藤貴也 ?@takaya_mutou Jul 30
 
突っ込みどころが満載です。
いったい何歳の人かと思ったら、36歳でした。自分自身が戦後教育の産物なわけです。
それに、戦後教育を進めてきたのは自民党政権です。
戦争に行きたくないという気持ちが「極端な利己的考え」だというのなら、自分には戦争に行きたくないという気持ちはないのでしょうか。
 
要するにこの人は「自分」というものが見えていないのです。自分を棚に上げて人を批判しているわけです。
 
 
そもそも「利己的」という言葉は扱いがむずかしい言葉です。「科学的倫理学」を標榜する私が少し解説してみましょう。
 
人間はみな生まれながらに利己的です。資本主義は利己的な人間を前提としているので、うまく機能しています。利己的がいけないというのなら、資本主義を否定しないといけません。
 
とはいえ、利己的な行為のすべてが肯定できるわけではありません。
ですから、「正当に利己的」と「不当に利己的」と分けて考えるべきなのです。
 
英語にはegoisticという言葉のほかにselfishという言葉があります。egoistic は「不当に利己的」という意味で、selfishは「正当に利己的」か、少なくとも中立的で悪い意味のない言葉です。
ちなみにドーキンスの「利己的な遺伝子」の「利己的」はselfishです。
 
英語にならって「利己主義的」と「利己的」とを使い分ければいいのですが、「利己主義的」という言葉は一般的ではなく、現状はほとんど「利己的」という言葉が使われています。そして、「利己的」という言葉は悪い意味です。
そのため「利己的」という言葉を基準に考えると、周りの人間はみんな悪く見えます。
 
これを避けるには、まず自分が利己的な人間だと認めることです。そうすれば、他人が利己的でも許せますし、なにが公平かということも正しく判断できます。
 
自分が利己的だということを認めないと、周りの人間がみんな(不当に)利己的に見えます。実際よりも2倍利己的に見える理屈です。そのため本来の性質以上に利己的に、つまり利己主義的にふるまってしまいます。
 
ちなみに右翼というのはみんな利己主義者です。国家主義というのは国家規模の利己主義だからです。
そういう意味では、自民党には利己主義者が多いことになります。
 
利己主義者は道徳教育に賛成です。若者が利己的にふるまうのを阻止したいからです。
しかし、実際は道徳教育は利己主義の連鎖を招きます。
武藤議員はそうした自民党教育の犠牲者かと思われます。

磯崎陽輔総理補佐官が安保法案について「法的安定性は関係ない」と発言して批判され、発言撤回に追い込まれました。
 
この発言が批判されたのは、今が平和だからでしょう。もし戦争の危機が迫っているか戦争中であれば、「この非常時に法律論なんかしている場合か」などと、批判するほうが逆に批判されるということも十分に考えられます。
 
そんなことを考えていたら、産経新聞も同じことを考えたのでしょう。次の記事はどう考えても磯崎補佐官の発言を踏まえたものです。
 
 
社民系組織メンバーの「拉致より憲法」発言に家族会反発 秋田街頭で隣で活動中、「被害者家族の思い踏みにじる」
 
 秋田市で4日に行われた北朝鮮による拉致被害者家族会の街頭活動中、隣で活動していた安全保障関連法案に反対する社民党系組織のメンバーが「拉致より憲法だ」と発言し、家族会が反発する一幕があった。増元るみ子さん(61)=拉致当時(24)=の弟で、家族会元事務局長の照明さん(59)は「拉致被害者や家族の実情を考えてほしい」と話している。
 
 家族会の街頭活動は、秋田竿燈(かんとう)まつりに訪れた観光客らに被害者救出を訴えるため、照明さんのほか、田口八重子さん(59)=拉致当時(22)=の兄で家族会代表の飯塚繁雄さん(77)、松本京子さん(66)=同(29)=の兄の孟(はじめ)さん(68)や秋田県内の特定失踪者家族が参加してJR秋田駅前で行われた。
 
 すぐ隣で、社民党支持者が中心の「秋田・戦争をさせない1000人委員会」(代表・山縣稔県教組委員長)が街頭活動を始めたため、救う会秋田メンバーの男性が1000人委員会メンバーの男性に署名を求めたところ、「拉致より憲法だ」と拒否されたという。
 話を聞いた照明さんは「旧社会党、社民党は拉致問題解決の障害になり、被害者家族の思いを踏みにじってきた」と演説。1000人委員会側に抗議する救う会秋田幹部もいた。
 
 照明さんはその後の県庁での記者会見で「被害者家族の多くは安保法案の議論に違和感を覚えている。約40年前に日本人が北朝鮮に拉致された時点で戦争が始まっている。戦っている被害者を放置している状況が平和なのか」と訴えた。
 
 飯塚さんは「国民にとって重要な問題なのに、署名活動をしても、横目でちらっと見て通り過ぎる人がいるのが気になる。だが、政府と北朝鮮に対するメッセージとして活動を続けていきたい」と述べた。
 
 家族会の反発について、1000人委員会の山縣代表は「拉致問題について、会としての見解はない。それぞれのメンバーの考えで対応している」と話している。
 
 
家族会の一員の発言とはいえ、「日本人が北朝鮮に拉致された時点で戦争が始まっている」というのはトンデモ理屈です。産経新聞がそんなトンデモ理屈を記事に書いたのは、これと磯崎補佐官の発言を結びつけたいからと思われます。
 
産経新聞は「戦争に際しては法的安定性は関係ない」と主張して、磯崎補佐官の援護射撃をしようとしたのでしょう。
 
しかし、今は戦時下ではありませんし、「拉致=戦争」というのもトンデモ理屈ですから、磯崎補佐官や産経新聞の言い分に国民の支持はありません。
 
磯崎補佐官は安全保障担当なので安保法案づくりに関わりました。やっているうちに頭の中が戦争モードになったのでしょう。あるいは安倍首相の気分に感化されたのかもしれません。そのため問題発言をしてしまいました。
 
しかし、経新聞の記事は、ほんとうに戦争が起こると、こうした発言に反対しにくくなるということも考えさせてくれます。

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