村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2015年09月

北野武著「新しい道徳」(幻冬舎)を読みました。
 
「はじめに」という前置きがあります。
そこには「他人の書いたことを鵜呑みにする性癖のある読者は……これから先は読んではいけない」「これから書くのは、あくまでも俺の考えだ。その考えを誰かに押しつけるつもりはまったくない」「なんだかおかしいなあと思うから書いただけだ」というふうに、毒舌家の北野氏にしては珍しく謙虚な姿勢が打ち出されています。道徳を批判することに対するタブー意識がそれだけ強いということでしょう。
 
「道徳はツッコみ放題」というのが第1章のタイトルですが、これは全編にわたってのテーマでもあります。学校の道徳の教材を初めとして世の道徳に対してどんどん突っ込んでいきます。そこを紹介しましょう。
 
文部科学省の小学1・2年生の道徳の教材には「自分を見つめて」と書いてあるが、これがおかしいといいます。子どもに必要なのは、虫だのカエルだのを追いかけ回したり、野球やプロレスごっこをしたりして、好き勝手に遊ぶことだ。子どもはそこからいろんなことを学ぶ。小学1年生が自分を見つけるわけがないというわけです。
それから、「いちばんうれしかったことを書きなさい」というのもおかしい。そういうのは年を取ってから、昔を振り返ってすることだ。子どもに昔を振り返らしてどうしようっていうんだ。
 
道徳の教科書にはやたら老人とゴミが登場すると北野氏は言います。年寄りに席を譲る。年寄りの荷物を持ってやる。年寄りの道案内をする。道に落ちているゴミを拾う。ゴミを分別して出す。誰かが道にゴミを捨てたら注意する。老人とゴミが、子どもになにかいいことをしろと教えるときの定番になっているのです。
そうすると、老人とゴミはいっしょで、老人は社会の邪魔者だと思う子どもがふえてもしかたがない。
それに、老人だから善人とは限らない。刑務所の中は老人でいっぱいだ。重い荷物を持っているじいさんに声をかけて、家まで運んでやった子どもがそのまま家の中に連れ込まれたら、老人に親切にしろと教えた先生はどうするんだ。
やっぱり毒舌も好調です。
 
道徳はフラクタルだと北野氏は言います。つまり大きい世界の道徳も小さい世界の道徳も相似形のはずだと。
子どもに仲良くしましょうと教えているなら、国と国だって仲良くしないといけない。「隣の席のヤツがナイフを持ってるので、僕も自分の身を守るために学校にナイフを持ってきていいですか」って生徒が質問したら、「それは仕方がないですね」と答える教師はいるわけない。だとしたら、隣の国が軍拡したから我が国も軍拡しようという政策は道徳的に正しくないことになる。いかなる理由があっても喧嘩をしてはいけないと子どもに教えるなら、いかなる理由があっても戦争は許されないということになる。
ところが、おとなたちは戦争は必要悪だとか、自衛のための戦争は許されると言ったりする。もしそれが正しいのなら、子どもにも喧嘩をするなと教えるな。道徳はフラクタルなのだから。
 
さすがに北野氏は鋭く突っ込んでいます。
 
それから北野氏は、道徳は時代によって変わると言います。バブルの時代を経て、若くしてIT長者になることが可能な時代になると、農耕時代のような勤勉の道徳は通用しない。今、ノロマなカメでもコツコツ努力すればウサギに勝てるなんていう幻想を子どもに植えつけたら、まじめなカメはみんな頭のいいウサギの食い物になってしまう。
この指摘も鋭いです。
 
結局、本書の結論は、「道徳がどうのこうのという人間は、信用しちゃいけない」ということと、「道徳は自分でつくる」ということです。
 
私はその結論にだいたい賛成ですが、少し突っ込んでおきます。
 
北野氏は、支配者が庶民に押しつける道徳と親が子に伝える道徳は違うと言います。
北野氏の母親は「食べ物が美味しいとか不味いとかいうのは下品だ」とか「行列に並んでまで食い物を喰うのは卑しい」と教えたそうで、北野氏はその“道徳”を肯定しています。だから、今でも行列には並ばないし、奥さんの料理にも「うまい」と言わないのだそうです。
これはおかしな話です。道徳はフラクタルだと言ったことと矛盾しています。それに、奥さんが心を込めてつくったおいしい料理にも「うまい」と言わない“道徳”がいいわけがありません。
 
北野氏ほどの人でも、自分の母親のことになると客観視できないのです。
 
それから、「道徳は自分でつくる」といったって、どんな道徳をつくってもいいわけではありません。正しい道徳をつくらなければいけないわけで、そのためのヒントや方向性を示さないのは不十分です。
 
今の道徳がどのようにしてつくられたかは、北野氏自身も書いています。
「道徳は社会の秩序を守るためのもの……といえば聞こえはいいけれど、それはつまり支配者がうまいこと社会を支配していくために考え出されたものなんだと思う」
「道徳は時代によって変わる。
誰が変えるのかといえば、もちろん力を持っている奴だ」
「戦争の勝ち負けと、どちらが正しいかは別問題だと思うけれど、現実には勝った方の正義が通って、負けた方は間違っていたってことになる」
 
つまり道徳とは、力のある者に都合よくできているのです。ですから、自分なりの道徳をつくるとすれば、そこのところを訂正するべきだということになるでしょう。
私は「弱きを助け、強きをくじく」という道徳を最上位に位置づければいいのではないかと思っています。
 
私の考えとは少し違いますが、道徳についてこれほど深く考えた本はまずないでしょう。きわめて読みやすく、ためになります。

訪米中のローマ法王が米議会で演説しました。比較してはいけないかもしれませんが、安倍首相の米議会での演説とは大違いです。
 
 
<ローマ法王>神や宗教の名の下の紛争増加…米議会で演説
 
【ワシントン和田浩明】米国訪問中のフランシスコ・ローマ法王は24日、ローマ法王として初めて米連邦議会上下両院合同会議での演説を行った。法王は人類の「共通の責任」に繰り返し言及し、紛争を悪化させる武器取引の禁止や、難民や移民の保護、貧困者の支援や地球環境の保護などへの取り組みを呼びかけた。
 
  法王は下院本会議場で英語で演説。奴隷解放宣言を行ったリンカーン大統領や人種差別と闘ったキング牧師など米国の歴史的人物に言及しながら「正義と平和」の追求の重要性を説いた。「神や宗教の名の下に犯される紛争、憎しみ、残虐行為が増えている」と原理主義に注意を呼びかけ、「善悪、敵味方と分ける単純な思考」に身を委ねるな、と訴えた。
 
  法王は、世界各地で続く武力紛争終結のためにも武器取引の禁止が必要だと指摘。こうした取引で得られる資金は「罪のない人々の血に浸っている」と述べ、問題に関し「恥ずべき、犯罪的な沈黙」が続いていると批判した。また世界的な死刑廃止を呼びかけた。
 
  さらに米国への欧州からの入植者が現地住民多数を殺害し土地を奪った歴史に間接的に言及。「過去の過ちを繰り返してはならない」として、移民受け入れに関し柔軟な対応を求めた。
 
  欧州に押し寄せている難民については、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」と聖書から引用して人道的対応を求めた。
 
  米国では2016年の大統領選挙を控え、人工妊娠中絶問題への候補者の態度に注目が集まっているが、法王は「人間の生命を、その全ての段階で守るべきだ」と間接的表現にとどめた。
 
 
「善悪、敵味方と分ける単純な思考」「武器取引の禁止」「死刑廃止」「米国への欧州からの入植者が現地住民多数を殺害し土地を奪った歴史」と、アメリカ人には耳の痛いことばかり言っています。

ローマ法王の演説が報道されたのと同じ日に、朝日新聞にマララさんのインタビュー記事が載っていましたが、マララさんもアメリカに対して言うべきことを言っています。
インタビューの一部を引用します。
 
 
マララさん「教育は義務であり責任」 インタビュー全文
 
 ――今年は被爆70年で、一方であなたの国パキスタンも隣国インドも核兵器を持っています。核というもの、あるいは兵器全般についてどう考えますか。
 
 残念なことに、兵器は常に破壊をもたらします。人々を殺害し、破壊する。世界は兵器にお金を費やしすぎています。もし世界の指導者たちが、軍に費やす総額のわずか8日分だけでも支出をやめようと言いさえすれば、その8日分の額だけで、世界中のあらゆる子供が12年間にわたり教育を受けるための1年分を確保できるのです。だから世界の政治指導者たちが軍と兵器、戦争への支出を止めれば事態は実際に大きく変わるはずなのですが、彼らにとっての優先事項として決めてしまっているのです。
 
 でも、私たちは戦いをやめず、彼らに対して、教育や保健衛生こそが人々にとって重要なのだと思い出させる必要があります。銃を製造することで人を助けることはできないのです。子供に銃を渡して、助けていることになりますか。私はこのお金を銃には使わず、代わりに学校や医療に使うと言うことこそ、その人を、その子供を助けることになるのです。
 
 ――オバマ米大統領に対して無人機の問題を提起したそうですが、それが理由ですか。
 
 私が無人機攻撃の問題に触れたのは、無人機がテロリストを殺害できるのは確かですが、テロリズムを、テロリズムの思想自体を殺すことはできないからです。テロリズムに対してそれを止めたければ、あらゆる児童が質の高い教育を受けられるよう保証する必要があります。こうした人たちの多くは教育を受けておらず、職がなく失業中で、希望もないのです。そして彼らは銃を取るのです。子供たちに銃を取らせたくないのであれば、本を与えなければなりません。
 
 
マララさんはオバマ大統領に直接、テロ対策の誤りを指摘したようです。
ローマ法王といいマララさんといい、世界をよくしたいと思うなら、アメリカに意見するのは当然のことです。
 
ひるがえって、わが安倍首相はというと、今年4月に米議会で演説しましたが、自分はいかにアメリカを敬愛しているか、日本はいかにアメリカの恩恵を受けてきたかを言うばかりで、アメリカに対する批判はもちろん要望さえも言いませんでした。
 
米国連邦議会上下両院合同会議における安倍内閣総理大臣演説
 
日本はアメリカと同盟関係だから友好を演出したのだという意見があるかもしれませんが、アメリカと実質的な同盟関係にあるイスラエルのネタニヤフ首相は今年3月、安倍首相と同じく米議会の上下両院合同会議で演説し、オバマ大統領の対イラン政策を痛烈に批判しています。
 
安倍首相も、アメリカはもっとアジアを重視するべきだとか、北朝鮮に対してもっときびしくするべきだとか、言うべきことがあったはずです。
 
アメリカに対してなにも言えないというのは、安保法案反対派も同じです。
マララさんも言っているように、アメリカの対テロ戦争でテロリズムをなくすことはできません。日本がアメリカの対テロ戦争に協力しても決して勝利することはなく、恨まれてテロの標的になるだけです。
しかし、少なくとも国会の論戦でそういう主張を聞いたことがありません。
政治家は、野党ですらアメリカを批判しないのです。
そういう意味では、安保法制の議論がわかりにくいのは、野党にも責任があります。
 
ローマ法王は権威も権力もありますが、マララさんはあくまで個人としてオバマ大統領に意見しています。日本人もやればできるはずです。
 

安保法案賛成派の主張を聞いていると、要するに「日本一国では台頭する中国に太刀打ちできないので、アメリカに頼るしかない」ということに尽きます。
いろいろ突っ込みたいところはあります。安保条約ではだめなのかとか、アメリカに尽くせばアメリカがお返しをしてくれる保証はあるのかとか。
それでも、この主張が一定の支持を得ているのは事実でしょう。
 
「中国が台頭するのでアメリカに頼るしかない」という主張が一定の支持を得るようになったのはなぜかと考えると、鳩山政権時にさかのぼる必要があると思います。
 
鳩山政権は東アジア共同体構想を外交方針に掲げました。
共同体というとEUのようなものを想像して、とてもむりではないかとも思えましたが、中国や新興国の経済成長が著しいので、アメリカ寄りの外交をアジア寄りにしていこうという方向性は正しいわけです。
 
しかし、これはアメリカにとっては許せません(辺野古移設の日米合意を反故にする動きも同様です)。アメリカの意向を受けた日本の売国勢力が攻撃に出ました。
 
たとえば、200912月に小沢一郎氏率いる大訪中団が中国に行きましたが、このとき胡錦濤国家主席が民主党議員一人一人と握手して写真撮影したことがひどいバッシングの対象になりました。
その後、尖閣諸島で中国船が日本の巡視船と衝突する事件が起きたときは、中国船の船長を釈放したことやビデオを非公開にしたことがバッシングされました。
そして、2012年4月、石原慎太郎都知事がワシントンのヘリテージ財団主催のシンポジウムで講演したときに尖閣諸島購入計画を表明し、これが日本政府による尖閣諸島国有化につながり、日中関係は決定的に悪化しました。
 
ここにはひじょうに巧妙な世論操作の手口があったと思います。「日本は中国よりもアメリカを重視するべきだ」という大きな論陣を張るのではなく、胡錦濤主席と写真を撮ったとか衝突のビデオを非公開にしたとか、小さいけれども具体的なことをバッシングの対象にしたのです。
 
民主党から自民党に政権交代して、安倍首相は本音では「侵略はなかった」とか「南京虐殺はなかった」とか言いたい人ですから、中国と友好関係を結べるはずがありません。とすると、日本はアメリカに依存せざるを得なくなり、安保法制もその流れにあるわけです。
 
アメリカ、官僚組織、マスコミが一体となった、スケールの大きな巧妙な力が働いていると思わざるをえません。
 
振り返ってみると、鳩山政権が目指したアジア重視の外交や辺野古移設の見直しという方向性は正しいものでした。ただ、実行力がなかったのです。
しかし、多くの人は「実行力の欠如」と「方向性の正しさ」が区別できず、ミソもクソもいっしょにして捨ててしまいました。
「方向性の正しさ」を拾い直す必要があります。

9月19日未明、参院本会議で安保法案が可決され、成立しました。
 
国民の理解が得られないまま採決したのはなぜかというと、議論すればするほど反対が増えるので、早いほうがいいからです。
それに、安倍首相は今年4月の米議会での演説で、安保法案を「この夏までに、成就させます」と明言しました。
また、共産党が暴露した文書によると、河野克俊統合幕僚長は昨年末に訪米した際に米軍首脳に対して、安保法制は「来年夏までには終了する」と言っていました。
要するに国民よりもアメリカのほうを向いているのです。
 
しかし、どうやら日本ではこういうのは「売国」とは認められないようです。
たとえば、安保法案審議のさなかにこんなことがありました。
 
 
山本太郎氏「売国条約」不適切発言で怒られ訂正
 
 生活の党と山本太郎となかまたちの山本太郎共同代表が、14日の参院特別委員会で、安倍晋三首相に質問した際の発言の一部内容が不適切だとして、鴻池祥肇委員長から直接、怒られるひと幕があった。
 
 山本氏はこの日、日米地位協定などに関して質問。その中で「売国条約」「利権」などのフレーズを入れ込んだ。
 
 これに対し、鴻池氏は「私も(かつて)相当、暴言を発言してきたが、『売国条約』は不適切だ」といさめた。その上で、「私のような、過去に不適切発言をしてきた人間が、不適切だと思う」と、説得力ある? 注意をした上で、今後の委員会の理事会で山本氏の発言について議事録を精査する考えも示した。
 
 山本氏の発言に強く抗議する与党側に対し、さすがの野党側も、民主党の福山哲郎議員が山本氏に注意を促し、たしなめた。山本氏もその後の答弁で、「売国は訂正します」と述べた。
 
 「利権」に関しては、質問を受けた首相自ら、「その言葉は取り消していただきたい」と、強い口調で反論した。
 
 山本氏はこのほかにも、沖縄県の米軍普天間飛行場の移設問題に関し、移設先の辺野古地区で座り込みを続ける女性が首相にあてたという手紙の原本を、委員会の場で首相に手渡したいと述べたり、それを委員長に拒否されると、朗読を要請。これも拒否された。
 
 質問の最後は「委員長、失礼いたしました」と、謝罪で締めくくった。
 
 
つまりアメリカへの売国は売国と認められないのです。
 
ウィキリークスが明らかにしたところによると、鳩山政権が辺野古問題でアメリカと交渉していたとき、外務官僚がアメリカ側に対して「妥協すべきでない」「早期に柔軟さを見せるべきではない」と助言していたそうです。まさに売国官僚というしかありません。しかし、このときも外務官僚を批判する声はほとんど上がりませんでした。
日本人の大勢は、アメリカへの売国は売国でないと思っているのでしょう。
 
ですから、安倍首相としては、今は多少世論の逆風はあっても、そのうち沈静化するとたかをくくっているのでしょう。
 
 
安保法案に賛成する人たちは、中国の台頭を理由に挙げます。
安倍首相も同じだと思いますが、こういう人たちの考えを、私は「よき家来」戦略と呼んでいます。
つまり、中国が台頭してきて、日本はアメリカに頼りたいが、アメリカはそれに応えてくれるかわからない。そこで、アメリカの「よき家来」になって、アメリカの寵愛を得ようという戦略です。
 
しかし、この戦略が成功するのは、アメリカが「よき殿様」である場合だけです。
アメリカが「悪しき殿様」だと、日本がいくら「よき家来」になっても、なにもしてくれません。それどころか、日本は殿様といっしょになって悪事に手を染めることになってしまいます。
 
そもそもこの戦略は、中国が台頭してきたからアメリカに頼ろうというところからしてだめです。
一国で中国に立ち向かう覚悟がない国は、アメリカから利用されるだけです。
所詮は売国思想なのです。

916日、国会で安保法案採決が山場となり、反対デモが盛り上がっています。
夕方、京都に住んでいる高校時代の友人から、今国会前にいるというメールがきました。わざわざ京都から出てきたようです(「ケガをしないように私の分もがんばってくれ」と返信しておきました)。
 
その友人とは何度かいっしょにデモに行ったことがあります。68年、69年ごろのことです。50年近くたっても昔と同じことをしているわけです。
 
昔は東西冷戦の時代でしたから、右翼と左翼が対立していると思っていました。しかし、冷戦が終わっても同じことをしているのですから、もともと右翼と左翼ということではなかったのかもしれません。
 
私がよくデモに行った68年、69年はベトナム反戦デモ、70年の安保自動延長を阻止する反安保デモ、それから沖縄返還要求デモが混然一体となって行われていました(あと、日大闘争のように大学当局になにかを要求するデモ)
考えてみれば、どれもアメリカがらみです。
それ以前の60年安保闘争や反基地闘争もそうです。
 
そして、現在の安保法案反対デモも、アメリカがらみです。
辺野古移設反対デモもそうです。
やはりずっと同じことをやっているのです。
 
昔は社会主義思想があり、ソ連や中国の存在もありましたから、それらは「反米」デモととらえることもできましたが、今は「反米」という意識はないでしょう。日本人は誰もがアメリカとうまくやっていきたいと思っているはずです。
 
ですから、安保法案を巡る対立は、「対米依存派」対「対米自立派」の対立ととらえるのがいいと思います。
 
日米安保条約は、ベルリンの壁が崩壊して東西冷戦が終わったときにその存在意義が失われ、したがって当時は「安保条約の再定義」ということがよく言われていました。しかし、それがいつの間にかあいまいになり、やがて北朝鮮による拉致や核開発が問題になると、北朝鮮があるから安保条約が必要だと言われ、その後は中国が軍拡するから安保条約が必要だと言われるようになりました(なぜかロシアのことは言われません)
結局、対米依存派が北朝鮮や中国の脅威を理由に挙げているだけなのです。
 
戦後日本は、ずっと対米依存派が国を支配してきました。
そのためずっと同じようなデモをしているわけです。
もういい加減に終わらせなければなりません。

元少年Aが長文の手紙を送りつけてきたということで、週刊文春と週刊新潮がその記事を載せています。私は両誌とも立ち読みしましたが、内容はほとんど同じです。
 
ネットではここが詳しく書いています。
 
ナメクジだらけのHPよりもスゴい中身…少年Aが『絶歌』出版から逃げ出した幻冬舎・見城徹社長の裏切りを告発!
 
また、元少年Aが開設したホームページはこちらです。
 
元少年A公式ホームページ
存在の耐えられない透明さ
 
元少年Aがこの時期に週刊誌などに手紙を送ってきたのは、ホームページを開設したことの宣伝と、「絶歌」の宣伝という意図が根底にあると思われます。ここで取り上げるのは宣伝の片棒を担ぐ格好になりますが、「絶歌」についていろいろと書いてきたいきさつがあるので、やはり取り上げることにします。
 
元少年Aは幻冬舎の見城徹社長のことをひじょうに批判していて、それが手紙の主旨であるようです。
見城社長は最初は「絶歌」の出版に前向きだったのに、途中で態度が変わりました。世間の反応を気づかったものと思われますが、元少年Aはそれを裏切りととらえたわけです。しかし、見城社長は太田出版の岡社長を紹介して、最終的に出版を実現させているので、それほど不誠実とも思えません。
 
元少年Aは「かつては『心の父』と慕い、尊敬していた人物のみっともない醜態を見せつけられることほど辛いものはありません」と書いています。
「心の父」という言葉が元少年Aの思考と感情を解明するキーワードです。
 
元少年Aは両親から虐待されて育ちました。つまり親の愛を十分には受けていないわけです。そういう人は世の中に出てから、親代わりの人を見つけて足りなかった愛を獲得しようとしますが、たいていうまくいかずに人間関係のトラブルを引き起こします。心理学用語の「転移」というやつです。
 
■転移
 transference
 
 カウンセリングや心理療法をしていく中で、クライアントが無意識にカウンセラー・治療者に対して、親など過去に出会った人物に対して抱いたものと同様の感情や態度を示すときがある。
 
 これを転移といい、陽性と陰性に分かれる。陽性転移の場合は信頼、感謝、尊敬、情愛などで、陰性転移の場合は敵意、不信、恨み、攻撃性などの感情である。
 
 治療者は、これらの感情を分析することでクライアントの心の中核に迫っていき、治療に活かすことができる。
 
 クライアントが自分の依存や不安に気づき、こうした転移を乗り越えたとき、治療者との信頼が深まりカウンセリングもスムーズに進む。
 
 クライアントの転移感情は複雑で、甘えと恨みが裏表になっていたり、恋愛感情のあとに攻撃性を示したりなど、両方が現れ、陽性でも陰性でも、そうした感情が強く表れると、反対に治療者が巻き込まれてしまうことがある。
 
 治療過程で、反対に治療者の側がクライアントに特殊な感情(恋愛感情など)を持つようになることを逆転移という。
 
この解説は主にカウンセラーとクライアントの関係のことを言っていますが、見城社長のような権威ある人と新人作家の関係でも当然起こりえます。見城社長にとっては迷惑な話です。
問題は、元少年Aは自分の心理がわかっているのかどうかということです。
 
 
元少年A公式ホームページには「ギャラリー」というコーナーがあって、自作のイラストや写真が多数掲載されています。
同じモチーフのイラストが延々と続いていたり、ナメクジの写真が多数あったりして、見ていると辟易します。
 
私はその中の写真入りのイラストに注目しました。
そこには手書きで高村光太郎の有名な「道程」という詩が書かれています。
しかし、「父」という字が「母」に変えられています。
 
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
僕を一人立ちにさせた広大な
僕から目を離さないで守る事をせよ
常にの気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
 
この詩の横にあるイラストは、巨大なナメクジに後ろ姿の裸の男がまたがっていて、ナメクジは向こうのほうに遠ざかっていき、ナメクジの光る軌跡が手前から続いているというものです。
これは母親に対して、お前が育てた息子はナメクジと化して人生の道を歩んでいるのだということを言おうとしたものでしょう。
 
ですから、元少年Aは母親への恨みは自覚しているようです(「絶歌」においては「たっぷり愛情を注いでくれた」「僕は今でも、母親のことが大好きだ」などと書かれていましたが、やはり本心ではなかったのでしょう)
 
母親への恨みは自覚しているが、父親への恨みはあまり自覚していないので、見城社長を恨むことになっているのではないかというのが私の見立てです。
元少年Aはもっともっと自分の生育歴を顧みないといけないと思います。
 
それにしても、元少年Aは「絶歌」の出版ではひどいバッシングを受けたので、もしかして落ち込んでいるのではないかと思ったのですが、どうやら元気いっぱいのようです。常人にはない精神力の持ち主です。
しかし、前向きの気持ちがあれば再犯はないと思います。
落ち込んで、自暴自棄になって犯罪に走るというのが、犯罪の基本的なパターンです。
 
今回の手紙とホームページの開設についても、反省がない、謝罪がないという声が多数上がっています。しかし、そういう人は、元少年Aが反省や謝罪をしたら許すのでしょうか。許す覚悟のある人だけが反省や謝罪を求めるべきです。 

世界が難民受け入れに向けて動いています。
きっかけはシリア難民の幼児の遺体を写した1枚の写真だったということに複雑な思いがしますが、なんであれ難民受け入れが進むのはけっこうなことです。
 
しかし、難民受け入れというのは、いわば対症療法です。ほんとうの難民対策は、難民が出ないようにすることです。
しかし、そういう議論はまったくなされていないように見えます。
 
なぜそういう議論がなされないのかというと、私が思うに、アメリカに対する遠慮や怖れがあるからです。
 
今、難民が発生するのは、イスラム国やシリア政府に原因があるように見えます。しかし、これらの地域、あるいは中東全域は今やアメリカの圧倒的な影響力のもとにあます。中東で表立ってアメリカに逆らう国はありません。そこからどんどん難民が出てくるのですから、これはアメリカに責任があると言わざるをえません。
 
たとえばアメリカは昨年9月からイスラム国への空爆を行っていますが、1年たっても少しも地域は平和になりません。逆にどんどん難民が流出しています。
これはアメリカの政策の誤りというしかありません。
 
しかし、そういうことを言っても、アメリカは絶対に聞く耳を持ちません。それがわかっているので、そういう議論が起こってこないのだと思います。
 
 
アメリカに文句を言ってもどうせ聞いてくれないので最初から言わない――というのは日本における辺野古移設問題もそうですし、安保法案もそうです。
 
安保法案については、ヤフー「みんなの政治」に解説記事が載っていました。
 
ホントにわかってる? 安保法案の論点
 
各論点について賛成派、中立派、反対派の代表的な意見を取り上げ、解説するというものです。
最初にもっとも基本的な賛成意見が載っています。
 
賛成意見の全体解説
 今回の安全保障関連法案の柱は、集団的自衛権の行使が可能となった点にあります。現在の法律では、日本は、自分自身が攻め込まれた場合に限り、武力行使が認められています。これを法改正することにより、アメリカ等の同盟国が攻められた場合にも、日本が武力を行使することが可能となります。これにより、わが国の安全保障の基軸である日米間の協力関係が強化され、争いを未然に防ぐ力である抑止力を高めることが期待できます。
 
ここに「アメリカ等の同盟国が攻められた場合」と書いてありますが、これはアメリカの国土が侵略された場合という意味ではありません(そんなことあるわけないし、あっても助けは無用)。アメリカがたとえば中東で空爆をしたり、地上作戦をしたりしているときに反撃された場合という意味です。
これはアメリカが先制攻撃ないし侵略をしていて、向こうが自衛権ないしは正当防衛権を行使しているわけです。
そんな状況で日本がアメリカと一体になって武力行使をしたり後方支援をしたりするのはまったく愚かなことです。アメリカからなにか見返りがあったとしても、うらまれたりテロ攻撃をされたりします。
 
反対派の代表的な意見も載っています。
 
反対意見の全体解説
 今回の安全保障関連法案は、これまで政府が認めてこなかった集団的自衛権の行使を可能とするものであり、個別的自衛権のみを許容してきた憲法9条に明らかに違反するので、違憲といわざるを得ません。また、戦争中である他国軍の後方支援のために自衛隊が派遣されると、隊員が相手から攻撃されるだけでなく、日本が戦争に巻き込まれ、国民の生命と安全が脅かされる事態をまねく可能性もあります。
 
これは日本のことばかり書かれていて、「他国軍」(アメリカ)を評価するという視点がありません。ですから、賛成派は「アメリカは正義だ」とは言わなくても「国際社会で役割を果たすため」とは言うわけで、そう言われたときに反論ができません。
 
つまり賛成派も反対派も、アメリカは雲の上の存在で、自分たちがその行動の良し悪しを評価するような対象ではないと思っているのです。
 
実際のところは、アメリカは覇権主義国で(昔は帝国主義国といっていた)、世界に圧倒的な影響力を持ち、その結果暴力の連鎖を招き、難民を生み出しています。
ところが、日本も西ヨーロッパもアメリカとの一体化が進んで、アメリカを客観的に見ることができないわけです(ロシアや中国のほうが客観的に見ています)
 
最近、日本人は中国のことばかり論じていますが、中国よりも先にアメリカのことを論じるのが物事の順序というものです。

藩儀文国連事務総長が北京の抗日戦争勝利記念式典に出席したことが妙にこじれています。
 
きっかけは、菅官房長官が潘基文氏の式典出席を批判したことでした。
菅官房長官に続いて自民党の外交部門などが潘基文氏に対して抗議文を送付することを決めました。また、岸田外相は国会で「国連は中立性を大事にしなければいけない」と不快感を示しました。
 
潘基文氏がこれに対して反論しました。


基文・国連事務総長「国連は中立ではありえない」 日本からの批判に反論
 
国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長は、95日の中国中央テレビ(CCTV)に出演した。抗日戦争勝利70周年の記念パレード参観に対し、日本などから「中立性に問題がある」と批判されていたことについて「国連や事務総長は中立ではありえない」と反論した。
(中略)
「国連や事務総長は中立であるべきだとの誤解があるが、中立(neutral)ではありえず、公平(impartial)だというべきだ」と述べた。
(後略)
 
 
同じことを産経新聞が書くと、こうなります。
 
 
潘国連総長「国連は中立ではなく公平」と反論 抗日行事出席を正当化
 
【北京=川越一】国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長は5日付の中国の英字紙チャイナ・デーリー紙上で、中国の抗日戦争勝利70年記念行事に出席したことに日本政府などから批判が出ていることについて、「過去から学び、よりよい未来を目指すことが、今回の訪中の主たる目的だ」と述べ、自らの判断を正当化した。
 
 菅義偉官房長官は潘氏の出席について、「国連は中立であるべきだ」などと不快感を表明していた。潘氏は「国連事務総長や国連の組織は中立でなければならないという誤解がある。国連は公平な組織だ」と反発。事務総長に求められるのは「中立性」ではなく「公平性」だと居直った。
 
 胸に勲章を下げた老兵の姿が式典で印象に残ったとする潘氏は、「彼らの貢献と犠牲を忘れてはならない」と強調。「過去から正しく学ばなければ正しい方向に向かうことは難しい」と述べ、中国に迎合した。
 
 
「自らの判断を正当化した」「居直った」「中国に迎合した」と、ジャーナリズムにあるまじき主観的価値判断の文章です。
 
しかし、潘基文氏に対して菅官房長官が反論しました。
 
 
菅官房長官、「言葉遊びに受け取れる」と不快感 国連事務総長「国連は中立ではない」発言受け
 
 菅義偉官房長官は7日午前の記者会見で、国連の藩基文(パン・ギムン)事務総長が抗日戦争勝利70年記念行事への出席で受けた日本政府などからの批判に「国連は中立でなく、公平な組織だ」と反発していることに関し、「国連は中立で、当然、公平公正なのは当たり前のことだ。何か言葉の遊びをしている感じにさえ受けとれる」と述べた。
 
 菅氏は「(国連事務総長が)軍事パレードに参加したことは極めて残念だ」と強調。国連のあり方について「国連は加盟国に対し、いたずらに特定の過去に焦点をあてるのではなく、自由、人権、法の支配を含め国際社会の融和と発展を推進する立場だ」と改めて主張した。
 
 
ひじょうにくだらない論争になっていますが、考えてみると、最初に菅官房長官が潘基文氏を批判したのが間違いでした。潘基文氏が北京の式典に参加したからといって日本になにか不利益があるわけではなく、まったく無用の口出しです。
 
菅官房長官や自民党や産経新聞が潘基文氏を批判するのは、潘基文氏が韓国人だからでしょう。日本が国際機関の要人を批判するということは、これまでなかったはずです。その批判も、無能だとか、韓国の大統領選に出るためのスタンドプレーだとか、人格批判になっています。
これは韓国人に対するレイシズムです。
 
潘基文氏は歴代事務総長と比べると無能なほうでしょう。しかし、もともと潘基文氏は有能なゆえに選ばれたのではなく、アメリカに盾突かない人物であるがゆえに選ばれたのです。
 
そのアメリカは、潘基文氏を擁護しています。
 
 
米「戦争犠牲者を敬うのは適切」国連事務総長訪中で
 
中国の戦勝記念式典に国連の潘基文事務総長が出席することについて、日本政府が懸念を表明しているのに対し、アメリカの国務省は「戦争の犠牲者を敬うことは適切だ」と述べました。
 
  米国務省・トナー副報道官:「米国は悲劇的な戦争を戦い、命を落とした犠牲者を敬うのは適切だと考えている」
  トナー副報道官は1日の記者会見で、「アジア各国が連帯を強め、平和と繁栄の新しい時代をもたらすことを期待する」と述べました。日本政府は「国連はあくまで中立であるべきだ」としていて、訪米した衆議院の大島理森議長も潘事務総長に日本の政府や国民が懸念を示していると伝えていました。
 
 
こうしたアメリカの発言に反論する声は、日本ではまったく上がりません。
 
菅官房長官らの言動を見ると、日本の中枢までレイシズムに冒されていることがわかります。

9月3日、北京で抗日戦争勝利70年記念式典の軍事パレードが行われましたが、日本では中国は日本に勝利してないのだから「抗日戦争勝利」をうたうのはおかしいという声があります。
戦勝国に名を連ねたのは国民党政府で、今の共産党政府とは違うという問題もありますが、それよりも日本軍は米英軍やソ連軍には負けたが中国軍には負けていないというのです。
実際、日本軍は中国戦線においては最後まで勝ち続けていました。大戦末期の1944年の4月から12月にかけて行われた大陸打通作戦という大規模な作戦も、勝利のうちに終わりました。
 
しかし、個々の戦闘に勝つことと戦争に勝つことは違います。
 
1937年の盧溝橋事件から始まった日中戦争は泥沼化し、日本は国家財政も国民生活も困窮しました。
日本はアメリカと4年間も戦争したから困窮したというイメージがありますが、そうではありません。
 
たとえば米穀配給制度は41年4月から始まっています。
金属を供出させる金属類回収令は419月からの施行です。
国民を無償労働に動員する国民勤労報国協力令は41121日からの施行です。
どれも真珠湾攻撃の前です。
 
最大時100万人を越える兵力を送り込んでいて、その負担のためにもはやまともな国家運営ができなくなっていたのです。
しかも、戦争を続けても勝てるという見通しはまったくありませんでした。
となれば、国民党政府と講和するか否かという問題はありますが、とにかく戦争をやめて、兵を引くしかありません。
 
しかし、それを決断する人が誰もいませんでした。
兵を引くということは、負けを認めるということです。
人間はなかなか負けを認めるということができません。
 
当時の日本とよく似た状況にあったのが、ベトナム戦争の泥沼にはまり込んだアメリカです。
しかし、このときはニクソン大統領が兵を引く決断をしました。
実態としては、兵を引くしか選択肢はなかったのですが、彼はやるべきことをやったわけです。
ニクソン大統領はあまり評判のよくない大統領ですが、この点は評価してもいいはずです。
 
もっとも、ベトナム戦争に負けたことで、アメリカ人の自尊心、とりわけアメリカ軍人の自尊心は大きく傷つきました。
 
当時の日本にはニクソン大統領の役回りを演じる人間がいませんでした。
当時の日本軍は不敗神話を誇っていて、軍人の自尊心は極限にまでにふくれあがっていたからです。
 
日本は中国戦線での負けを認めなかったために、どうしようもない状況に陥り、真珠湾攻撃という最後の賭けに出たわけです。
 
日本人の負けを認めたくない心理はそのあとも続いて、敗戦を終戦と言い換えるなど、アメリカに負けたこともごまかしています。ですから、米軍の駐留という実質的占領状態の継続も、日本が望んでやってもらっている形にしているわけです。
白井聡氏は「永続敗戦論」という本で、これを「敗戦の否認」と言っています。
 
安倍首相が「侵略」や慰安婦問題を認めて謝罪しようとしない心理も、負けを認められない心理と共通しています。
 
中国の抗日戦争勝利70年記念式典を見て日本人が「中国は日本に勝っていない」などと言うのでは、当時からなんの進歩もないことになります。

国連の潘基文事務総長が9月3日に北京で行われる抗日戦争勝利記念の行事に出席することになりましたが、これに菅官房長官がかみつきました。
 
 
中国・軍事パレードに「のこのこと」出掛けていく国連事務総長の主張、菅官房長官が瞬殺
 
 菅義偉(すがよしひで)官房長官は31日の記者会見で、国連の潘(パン)基文(ギムン)事務総長が3日に北京で行われる抗日戦争勝利記念の行事に出席することについて「国連は中立であるべきだ。国際社会の融和と発展、未来志向の姿勢を強調することこそ、国連に求められている」と強い不快感を示した。国連の役割を「世界唯一の真に普遍的な機関」とする潘氏だが、その姿勢は国連の中立性に疑義を生じさせている。
 
 菅氏は記者会見で、「いたずらに特定の過去に焦点を当てるのではなく、未来志向の姿勢をとるよう促すべきだ。国連には190カ国以上が加盟している」と述べた。言葉を選びながらも、潘氏の「軽率な対応」(官邸筋)を強く牽制した格好だ。
(中略)
 潘氏は日本が行事出席への懸念を示したことに、「国際社会にとって過去から学び、前進することは非常に重要だ」と反論した。これに聞いた菅氏は「国連は特定の過去に焦点を当てるべきではない」と記者会見で繰り返し、潘氏の主張を一蹴した。(坂本一之)
 
 
これは産経新聞の記事ですから、菅官房長官が潘氏を批判したことをいかにも格好よく書いています。
しかし、つい1週間ほど前に菅官房長官は記者会見でこんなことを言っていたのです。
 
 
安倍首相、「抗日戦争式典」時の訪中を見送り
「国会対応を優先」などを理由に
 
 安倍首相は、来月3日に中国政府が開催する「抗日戦争勝利70年記念式典」に合わせた中国訪問を見送ることを決めた。
 
菅官房長官「安倍首相は93日の中国主催式典には出席はしません」
 
菅官房長官は24日の記者会見で、国会対応を優先させることなどを理由に、来月3日に中国政府が北京で「抗日戦争勝利70年を記念する」として行う式典に合わせた安倍首相の中国訪問を見送ることを明らかにした。
 
日中間では反日色の強い式典当日を避ける形での訪中を調整していたが、折り合いがつかなかったものとみられる。
 
 
つまりこの時まで官邸は安倍首相の式典出席を検討していたのです。
出席しないと決めたとたん、潘氏の出席を批判するとは、今まで自分たちが検討していたのはなんだったのかということになります。

それに、菅官房長官は出席しない理由に「国会対応を優先させる」ということを挙げているだけで、式典の内容がけしからんからだとは言っていません。中国は批判せず、潘氏だけ批判しているのです。
 
潘氏はいうまでもなく韓国人です。最近の日本政府が批判できるのは韓国か韓国人だけです。
 
ロシアのロゴジン副首相が「ハラキリ」という言葉を使って日本人を侮辱したときも、菅官房長官らはなにも言い返しませんでした。このことはこのブログでも書きました。
 
露副首相の「ハラキリ」発言に弱腰な日本
 
最近は、日本政府は中国にもあまりものが言えません。尖閣諸島や南沙諸島の問題にしても、アメリカの態度をうかがい、アメリカの背中に隠れて言っている格好です。
 
もともと日本人は、欧米コンプレックスと、その裏返しのアジア蔑視という傾向がありましたが、最近は日本人の自尊心レベルがどんどん低下して、批判的なことが言える相手は韓国だけになっています(あと北朝鮮と)
慰安婦問題があれだけ盛り上がったのも、相手が韓国だったからです。オランダや中国も慰安婦の強制連行があったと主張していますが、日本の右翼が反論するのを見たことがありません。
 
安保法案も、アメリカの背中に隠れたいということで出されたものでしょう。
ですから、安保法案が成立すれば、日本人はますますアメリカ依存を強めて、自尊心を失っていく理屈です。

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