村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2015年12月

日韓両政府は1228日、慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的解決」とすることで合意しました。
年の暮れにふさわしい、いかにもこの1年を象徴するような出来事です。
 
岸田外相は「慰安婦問題は、当時の軍の関与のもとに、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している」と述べました。
軍が関与していたことは、とっくに公文書によって確認されています。河野談話もそれを踏まえて出されました。ですから、これは当たり前のことを述べただけです。
 
ところが、日本では「強制連行」の有無が問題になり、「軍や官憲による強制連行の日本側の証拠がなければ日本はすべて免責される」というトンデモ説が広まりました。これは産経新聞や池田信夫氏のミスリードですが、吉田証言の誤報を朝日新聞がなかなか認めないことも問題を大きくしました。
 
このトンデモ説をもとに、日本の一部勢力が韓国に対抗して「日本の名誉回復」をはかろうと国際社会に発信しました。
つまり、韓国は「女性の人権」を訴えているのに、日本は「日本の名誉回復」を訴えたわけです。
「日本の名誉回復」に関心のある外国人などいるわけがありません。
それに、正確には「日本の名誉回復」ではなく「軍国日本の名誉回復」を訴えたわけですから、やればやるほど外国人は今の日本に軍国主義者がいるのかと疑念を抱きます。
結果、大いに日本の国益を損ねました。
 
ですから、今回の合意は日本にとってよいことです。ネット右翼は大いに不満のようですが、それは「強制連行の証拠がなければ日本は謝罪しなくていい」というトンデモ説にだまされた自分が悪いのです。
 
それにしても、今回の合意は安倍首相がこれまで言ってきたこととまったく違います。安倍首相は「狭義の強制性はなかった」とか「強制性を裏付ける証拠はなかった」とか言って、やはりトンデモ説に固執していたからです。
 
それでも合意したのは、アメリカの強力な働きかけがあったからです。これはマスコミも普通に報道しています。
日韓が兄弟喧嘩ばかりしているので、親のアメリカにむりやり仲直りさせられたという格好です。
 
安倍首相はまるで軍国主義復活を目指しているかのようなことを言い、そのような政策を打ち出しますが、最終的にはアメリカへの従属を深める形で決着します。このパターンの繰り返しです。
 
その典型が安保法制です。憲法改正は安倍首相の悲願であったはずですが、解釈改憲で安保法制を成立させ、アメリカへの協力体制を強化しました。解釈改憲をしてしまったので、もはや改憲をする必要もなくなりました。
 
戦後70年談話も、戦後レジームの脱却を目指すようなことを言いながら、結局アメリカを喜ばす内容になっています。
 
そして、今回もアメリカを喜ばす形で決着しました。だから、この1年を象徴するような出来事だと思ったのです。
 
 
今後、安倍政権が長期化すれば、日本の属国化はさらに進む理屈です。
 
安倍首相は中国に対抗する意識が強いようですが、日本が中国とことを構えることはアメリカが望むはずはなく、そういうことにはならないでしょう。
アメリカが望むことは、日本が対テロ戦争に参加することです。
欧米のキリスト教国なら反イスラム感情や十字軍意識があるので、そういう方向に行くのはまだわかりますが、日本が同じことをやるのはいかにも不思議ですし、国益にも反します。
日本でいちばんテロに脆弱な新幹線で大惨事が起こるようなこともあるかもしれません。
 
今年亡くなった愛川欽也さんや野坂昭如さんは、昔のような戦争が起こることを恐れていたようですが、それは的外れです。
2016年のテーマは、日本がアメリカの対テロ戦争に参加するか否かになるような気がします。

古舘伊知郎キャスターが来年3月に報道ステーションを退任することになりました。理由はいろいろあるかもしれませんが、権力からのプレッシャーを受けて、嫌気がさしたということもあるでしょう。
 
古舘氏は退任発表後の毎日新聞のインタビューで、「キャスターはどういう役割か」と聞かれて、「生意気な言い方だが、権力に対して警鐘を鳴らす、権力を監視する」「基本的にニュースキャスターは反権力であり、反暴力であり、表現の自由を守る側面もある」と語っています。こういう姿勢で続けていくにはそうとうタフでないといけません。
 
とくに今は、権力からの圧力だけでなく、ネットの世論というのもあります。「反権力」という古舘氏の発言に対して、さっそくネットでは「それが中韓を利する偏向だ」といった反応が出ています。
 
古舘氏は視聴者の心をつかむ当意即妙のトーク力が圧倒的で、それが自信になっていたと思われます。久米宏氏もそうです。筑紫哲也氏は幅広い教養が圧倒的でした。
やはりなにか抜きんでたものがある人間でないと、権力からの風圧に耐えられないのではないかという気がします。
 
そうすると、古舘氏の後任に反権力の姿勢はあまり期待できないかもしれません。
 
ただ、しっかりした理論武装があれば、別に抜きんでたものがない人間でも大丈夫です。
理論武装のひとつは、権力性悪説を理解することです。権力は悪い方向に行く傾向があるので制御しなければなりません。これは立憲主義のもとにある考えでもあります。
 
では、権力性悪説がなぜ正しいかというと、人間性悪説にかかわってきますが、ここではとても論じきれないので、放送法について少し述べておきます。
 
 
自民党は昨年暮れの衆院選前、各テレビ局に対して選挙報道の「公平中立」を文書で求めました。しかし、放送法には「中立」という言葉はありません。放送法にあるのは、「不偏不党」と「政治的に公平」という言葉です。
勝手に「中立」という言葉をもぐりこませるのが自民党のずるいところです。
 
そういえば、藩儀文国連事務総長が北京の抗日戦勝70周年記念式典に出席したとき、菅官房長官が「国連の中立性に反する」と言ってクレームをつけたことがありましたが、藩儀文氏に「国連が中立であるべきだというのは誤解だ。国連は中立(neutral)ではありえず、公平(impartial)だというべきだ」と反論されて、恥をかきました。
 
「中立」であろうとすると、全体を知って、その真ん中にいなければなりません。しかし、真ん中というのは一点しかないわけで、その位置を見極めるのはたいへんです。
しかし、「不偏不党」であれば、真ん中である必要はなく、いられる領域が広くなります。
酸性、アルカリ性、中性とあるとき、中性は一点しかありませんが、強酸性や強アルカリ性でなければいいとなると、広い領域があるのと同じです。
 
自民党はテレビ局に放送のあり方についてクレームをつけましたが、もしテレビ局がこれに従ったら「不偏不党」に反することになり、自民党の行為こそ放送法違反の疑いがあるわけです。

また、「公平」ということも、あくまで「政治的に公平」と書いてあるわけで、たとえば選挙のとき各党の扱いは公平にしなければならないといった意味でしょう。政策の扱いを公平にしろという意味とは思えません。
政策論争のとき、間違った意見と正しい意見を公平に扱う必要はなく、間違った意見を批判し、正しい意見は称賛すればいいわけです。
同様に、間違った政策を批判することも当然です。
テレビ局が安保法案を間違っていると判断すれば批判すればいいわけで、ここに「公平」を要求するのは筋違いです。
 
もっとも、テレビ局の判断は主観にすぎないという反論があるかもしれませんが、政策論は社会科学の問題だから、客観的判断だと言えばいいわけです(社会科学がほんとうに科学かという問題がありますが、このへんは人間性悪説を認めるか否かにもかかわってきます)
 
ともかく、テレビ局が権力にものを言えなくなると国の存立が危うくなるので、各テレビ局は理論武装をして、権力にめげずにがんばってもらいたいものです。



放送法
第1条 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
 
 
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
 
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
 
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。
 
 
第4条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
 
 
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
 
二 政治的に公平であること。
 
三 報道は事実をまげないですること。
 
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

空爆の実態も知らないで、一方的にテロリストを残忍だ、卑劣だと批判する人は困ったものですが、では、私は空爆の実態を知っているのかというと、そんなことはありません。
私はこのブログでアメリカなど有志連合の空爆についていろいろ書きましたが、映画「ドローン・オブ・ウォー」を根拠にしたり、テロリストと非テロリストの区別はつけられないに違いないという推測を述べたりしただけです。
 
空爆がどのようにして行われているかについては、ちゃんとしたマスメディアやジャーナリストが報道するべきですが、そういう報道がまったくといっていいほどありません。アメリカの報道統制が完全に機能しているようです。
アルジャジーラなどならある程度報道していそうですが、私はそこまでカバーしていられません。
 
そうしたところ、空爆の実態についての記事を見かけました。
ロシアの空爆は誤爆だらけだということを“西側”のメディアは盛んに主張していますが、それに乗っかった形で、まずロシアの空爆を批判し、その次にアメリカなどの空爆を批判しています。
この記事は「epreader」というスペイン語サイトの記事の翻訳のようです。そのサイトにどれだけ権威があるのかよくわかりませんが、記事には「シリア人権ネットワーク」の調査とか「インターセプト」の内部資料とか、一応根拠が示されています。空爆の実態についての貴重な記事なので、少々長いですが、ここに引用しておきます。
 
 
ロシア空爆、犠牲者の98%が民間人。アメリカは90%が誤爆 シリアの真実
 
人権団体や調査団体によると、ロシアの空爆の98%が誤爆で、米軍無人機の90%が誤爆だった。
 
両軍とも歩兵部隊を展開しておらず、どうやって敵と市民を区別しているのか謎だった。
 
ロシアによる戦争犯罪
 
ロシアによるシリア空爆で誤爆が相次いでいるという報告が、現地で活動する団体などからなされています。
 
正確に言えば誤爆などというレベルではなく、98%の標的がイスラム国と無関係な市民だったという指摘がされています。
 
シリア人権ネットワーク(SNHR)がロシアが空爆した111ヶ所を調査したところ、犠牲者は538人だった。
 
98%に当たる570人が民間人で、戦闘員は13人、学校16、医療機関10、モスク10、市場5が含まれていました。
 
57の空爆現場は住宅地など民間人地域で、爆撃地点の殆どはIS(イスラム国)支配地域では無かった。
 
ロシアがイスラム国への攻撃を開始した初日から、米国などは無関係な地域を攻撃していると指摘していました。
 
 
米国は親米の立場を取る武装勢力と手を組んで掃討作戦を展開していたが、ロシアは親米武装勢力を攻撃していました。
 
イスラム国を攻撃していると言いながら、実際にはイスラム国と対立する親米の武装勢力を攻撃していた。
 
さらにロシア軍の攻撃対象の多くが民間地域や民間人で、軍事拠点や兵士を対象としたものでは無かった。
 
 
ロシア軍の攻撃方法も当初から問題とされていて、レーザー照準で目標だけを破壊する米軍機に対し、町ごと破壊していた。
 
ロシア空軍機は大量の爆弾を空中散布し、第二次大戦やベトナム戦争風に、町ぐるみ丸ごと破壊しています。
 
英国諜報機関によるとロシア空軍の攻撃のうち、ISを狙ったものは5%で、95%が無関係な対象への攻撃だった。
 
最初から目標に命中させる気すら無く、稀に見る凶悪な戦争犯罪と言える。
 
 
アメリカは正義なのか
 
 
では対する欧米軍はもっと『紳士的』なのかといえば、米軍機の攻撃も殆どが誤爆だと指摘されました。
 
アメリカのネットメディア「インターセプト」は201510月「米無人攻撃機の活動の9割は誤爆だった」という内部資料を暴露しました。
 
米国防省とアメリカ政府は資料へのコメントを拒否していて、否定しなかったという事は真実なのでしょう。
 
 
資料は20125月からの5ヶ月間を調査したものですが、他の期間もあまり変わらないと考えられます。
 
無人機ではない有人機でも誤爆が相次いでいて、10月には国境無き医師団の診療所が誤爆されています。
 
アメリカの観察によるとロシアが攻撃しているのは、イスラム国が存在しない地域ばかりで、無関係な人を対象にしているという。
 
 
そう言っているアメリカ軍の方も、これから攻撃しようとしている人間が、一体どこの何者なのか確認していません。
 
無人攻撃機の操縦画面を見て「怪しい人間だ」とか「何かを持っている。武器に違いない」という理由で攻撃します。
 
ベトナム戦争の時、ベトナムの農民は、アメリカ軍が攻撃してきたらそのまま農作業を続けたそうです。
 
 
農作業を止めたら怪しいと攻撃され、逃げれば攻撃され、地面に伏せても攻撃されたからです。
 
アメリカの無人攻撃機の操縦はアメリカ西海岸の基地内で行っていて、ゲームセンターのような装置で操作しています。
 
ゲーム機そっくりの操縦装置に腰掛けて、パイロットはコーラを飲みながら、適当に判断して攻撃しています。
 
ロシアもアメリカも、フランスやイギリスも同じ事をしていますが、こうなる理由は敵の識別が出来ていない事が上げられます。
 
現在シリア周辺には空軍の護衛やミサイル部隊を除けば、地上部隊は展開されていません。
 
数十年前には航空攻撃には事前に地上部隊を派遣し、敵の情報を調査する必要がありましたが、今は必要有りません。
 
 
人工衛星や偵察機、あるいは無人飛行機でかなりの情報が得られるので、空軍だけで作戦行動が可能です。
 
だが一つ問題が生じ、衛星画像や航空写真をいくら眺めても、「敵か味方か市民か」どこにも書いていません。
 
テレビやネットで流れる戦闘機や偵察機の写真あるいは動画を見て、イスラム国兵士か民間人か分かる人は居ません。
 
 
アメリカ空軍もロシア空軍も、フランス空軍も、一体どうやって民間人とイスラム国兵士を区別しているのか説明しません。
 
説明できる筈が無く、上から写真を眺めても分かる筈が無いからです。
 
敵と見方を区別するには地上部隊を派遣するしかなく、攻撃してきたら敵で、攻撃してこないのが民間人です。
 
 
ゲリラ兵やテロリストは正体を隠す為に、必ず民間人に成りすますので、実際それしか識別方法はありません。
 
無線や携帯電話をキャッチして攻撃するのは良く聞きますが、そんな分かり易い敵はごく一部でしょう。
 
98%誤爆のロシアより、90%誤爆のアメリカはマシなのだろうか。
 

ドナルド・トランプ氏のイスラム教徒入国禁止発言で共和党支持層のトランプ支持がさらに高まっています。なぜそうなるとかいうと、報道の仕方にも原因があると思われます。
たとえば次の記事は各国首脳の批判の声を伝えていますが……。
 
 
【米大統領選】トランプ氏の“イスラム教の入国禁止”発言に世界から非難集中
 
 イスラム教徒の米国への入国禁止を主張するトランプ氏に、各国の首脳らから批判の声が相次いでいる。
 
 ロイター通信などによると英国では9日、トランプ氏の入国禁止を求める署名が37万人を超え、議会で議論される可能性も出てきた。
 
 トランプ氏はさらに、「ロンドンの一部では過激思想がはびこり、警察官が身の危険を感じている」とも発言した。キャメロン英首相の報道官は「完全な誤りだ」と否定。ロンドンのジョンソン市長も「私がニューヨークの一部に行かない理由は、トランプ氏に遭遇するという危険があるからだ」と皮肉った。
 
 フランスのバルス首相もツイッターで「トランプ氏は憎悪と誤報をかき立てている」と批判した。
 
 イスラエルでは、ネタニヤフ首相が9日、トランプ氏の主張を「受け入れられない」とする声明を発表した。トランプ氏は28日に同国でネタニヤフ氏と会談する予定で、同氏は会談自体はキャンセルしない意向というが、議員の間では「人種差別主義者だ」などと糾弾する声が上がっている。
 
 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の報道官も8日、難民の再定住計画に「悪影響」だと非難。スコットランドの大学がトランプ氏の名誉学位の剥奪を発表したほか、ボクシング元世界ヘビー級王者のモハメド・アリ氏は9日、「イスラム教を個人の利益追求のために利用する人物に対し、抵抗しなければならない」と暗に批判する声明を出した。(上塚真由)
 
 
ここに出てくるのは欧米の声ばかりです。イスラム圏の声がまったくありません。
モハメド・アリ氏はイスラム教徒ですが、あくまでアメリカ人です。それにアリ氏は過激な言動で知られる人で、イスラム教徒を代表する立場とも思えません。
 
イスラム圏の、たとえばエジプトとかチュニジアとかインドネシアとかの政府首脳の声はなぜ紹介されないのでしょうか。
政府首脳はアメリカに遠慮して発言していないのかもしれませんが、だったらイスラム圏の一般市民や知識人の声を紹介すればいいのです。
トランプ氏は外国のイスラム教徒全員を対象に入国禁止にすると言っているのですから、その対象となる人の意見がまったく紹介されないのはおかしな話です。
 
少なくとも私が探した範囲でそういう記事はありませんでしたが、唯一の例外はマララさんの言葉を紹介したこの記事です。
 
 
■マララさん「憎悪に満ちた発言」
 
 昨年のノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさん(18)が15日、トランプ氏について「憎悪と差別的なイデオロギーに満ちた発言を聞かされるのは本当に悲劇的だ」と批判した。英バーミンガムでAFP通信の取材に答えた。マララさんはこの日、パキスタンで昨年12月に学校がイスラム過激派勢力に襲撃され、生徒ら約150人が殺害された事件の追悼式典に出席していた。
 
 
ひじょうにストレートな言葉で、それだけにこちらの胸に響きます。
 
もしトランプ氏の言うイスラム教徒入国禁止が実行されたら、大きな影響があるはずです。
たとえばアメリカを訪問するイスラム教徒のビジネスマンはいっぱいいるはずですが、そういう人が入国できなくなるとビジネスに支障が出ます。父親がアメリカで働いていて、ときどき故国から家族が会いにくるというケースでは、入国禁止は家族の絆を引き裂きます。アメリカに留学しようと思っている若い人も留学できなくなります。もちろんアメリカに観光旅行するイスラム教徒もいるでしょう。
 
そういう直接影響をこうむる人たちの声を伝えるのがマスコミの役割のはずです。
 
欧米のマスコミはIS(イスラム国)の残虐行為はよく報道し、少女が兵士の妻にされたとか、少女が教育を受けられなくなったとか、“少女ネタ”をよく使います。これはプロパガンダの常套手段です。
同じ手口で、父親に会うのを楽しみにしていた少女が会えなくなるかもしれないと思って胸を痛めているといった具体的な報道をすれば、アメリカでもトランプ氏に対する非難が巻き起こるかもしれません。
 
偏見に満ちた欧米のマスコミ(と日本のマスコミ)は、イスラム教徒がどう思っているかなど報道するに値しないと思っているのでしょう。
こういうマスコミを通して世界を見ているということを忘れてはいけません。

アメリカ共和党の大統領候補ドナルド・トランプ氏が人気になっているのを見ていると、レイ・ブラッドベリの「雷のような音」(「雷のとどろくような声」「いかずちの音」とも)という短編小説を思い出します。
これは「サウンド・オブ・サンダー」というSF大作映画の原作ですが、原作のほうはむしろ小味な作品です。
 
タイムトラベルが商業化されている未来社会。主人公は恐竜狩りツアーに参加します。ちょうど大統領選挙が終わったところで、キースという穏健派の候補が当選しました。主人公がそのことを話題にすると、時間旅行会社の受付の男はこんなことを言います。
「われわれは幸運です。もしドイッチャーが勝っていたら、この国は最悪の独裁国になったでしょうね。あれはすべてに反対する男です。軍国主義者で、キリスト教に反対し、ヒューマニズムに反対し、知性に反対している」

過去になにか影響を与えると今の歴史が変わってしまうから絶対にしてはいけないときびしく注意されて時間旅行に出かけますが、主人公は間違って一羽の蝶を踏みつけてしまいます。これぐらいたいしたことはないだろうと思って帰ってくると、前と微妙に様子が違います。受付の男の感じも違うし、壁に書かれた文字のスペルがでたらめになっています。主人公は恐る恐る受付の男に昨日の選挙の結果をたずねます。
「あんた、それ冗談だろ。よく知ってるくせに、もちろんドイッチャーだよ! あったりめえじゃねえか。あんな軟弱なキースの野郎が大統領になってたまるかよ。ドイッチャーは鉄の男さ。あんなに度胸のある奴は、ほかにいねえよ!」

蝶を踏みつぶすという「ほんのちょっとしたこと」が、大統領選の当選者が変わるという「ちょっとしたこと」につながり、それが独裁制の恐怖と、もしかして核戦争による世界の破滅にもつながるかもしれないという恐怖が描かれるわけです(映画「サウンド・オブ・サンダー」では過去からショック・ウェーブが襲ってきて、世の中が大パニックになるというストーリーです)

ブラッドベリには、書物が禁止された未来社会を描く「華氏451度」がありますが、それ以外に政治的な小説はほとんどなく、それだけに印象に残っています。
 
日本でこれを収録した短編集が刊行されたのは1962年ですが、今調べると、アメリカで発表されたのは1952年だということです。明らかにヒトラーを念頭に書かれた作品と思えますが、ちょうどマッカーシズムが吹き荒れているさ中ですから、それに対する思いもあったのかもしれません。

私がこの短編小説を読んだのは高校生のときですが、そのときからアメリカにヒトラーのような大統領が出現する可能性というのはつねに念頭にありました(対米追随主義者はまったく考えないのでしょうね)。
トランプ氏はもちろんヒトラーとは違いますが、イスラム教徒入国禁止というのはユダヤ人差別にも匹敵する差別政策ですし、大戦中の日系人強制収容所を肯定するかのような発言もしています。
 
もしトランプ氏が大統領になると、テロリストに対する強硬姿勢というのは絶対に変えないでしょう。そして、軍事力でテロリストを一掃するというのは明らかに不可能ですから、どこかの時点で行き詰まり、自暴自棄になって、たとえば核兵器を使用するようなこともやりかねないと思います。
 
ドローンによる空爆とかサイバー攻撃とか、戦争のやり方もSF的になっていますが、アメリカの大統領選挙もSF的になってきました。

今年の漢字は「安」に決まりました。「安保法案」に加えて「とにかく明るい安村」もあったからかと思いましたが、安倍首相は「『安』を倍増すると『安倍』になる」と自分自身のこともアピールしています。
 
私自身は今年の漢字は「戦」ではないかと思っていました(実際は「戦」は3位、「爆」が2位)。今年は「戦争法案」に加えて「対テロ戦争」の話題ばかりでしたから。
 
戦後70年ということもあって、テレビ局も戦争関連の特番をいくつもやっていましたが、NHKやTBSなどが戦場の死体の映像を流したのが印象に残りました。死体の映像は東日本大震災のときもまったくありませんでした。サイパンのバンザイクリフから女性が飛び降りる映像も久しぶりに見ました。テレビ局も戦争の真の姿を伝えなければという意識になったのでしょう。
 
それにしても、安保法案のことを「平和安全法案」と言い、一方で「戦争法案」と言ったように、言葉の問題は重要です。
 
たとえば、「集団的自衛権」と言いますが、アメリカが中東で戦争をするのは自衛のためではなく、イラクやイスラエルの自衛を助けるためです。アメリカが助けないと、イラクやイスラエルは存立が根底から覆されるかもしれません。
では、日本がアメリカを助けるのはなんのためでしょうか。日本が助けないからといってアメリカの存立が根底から覆されるということはありません。
ということは、日本は実はアメリカの自衛を助けるのではなく、イラクやイスラエルの自衛を助けるわけです。
「又貸し」という言葉がありますが、これは「又集団的自衛権」と言うべきです。
 
いや、アメリカといっしょになって中東のどこかを攻撃するのですから、「集団的攻撃権」と言ったほうが正確です。
 
そもそも安保法案を巡る議論でも、朝鮮半島とかホルムズ湾とか南沙諸島に出ていく話ばかりで、日本の防衛の話はまったく出ませんでした。せいせい尖閣諸島を念頭に置いてか、離島奪還の演習が行われたぐらいです。
中国の軍拡に対抗しなければという人はいましたが、中国軍が攻撃してきたら自衛隊はどうやって防衛するのかという話は誰もしませんでした。
 
ということは、日本人は実は日本の防衛に危機感は持っていないのです。
 
考えてみれば日本は明治維新以来、自分から攻撃するばかりで、日本が攻撃されて自衛のための戦争をしたという経験は一度もありません。
すべての歴史を通しても、2度の元寇と薩英戦争、下関戦争ぐらいです。
島国ですから当然といえば当然です。
 
では、昨今の安全保障論議はなんのためにしているのかというと、島国にこもっているのではおもしろくないので、外に打って出ていくためです。
それは、朝鮮半島とかホルムズ湾とか南沙諸島とかに出ていく話ばかりしていることを見てもわかりますし、また、「離島防衛」ではなく「離島奪還」の演習をしているのも、どこかに出ていくことを想定しているからでしょう。
これは明治維新以来、日本の歩み慣れた道です。
 
もっとも、今はアメリカがあまりにも強大なので、日本は主体的になにかをするということはなく、あくまでアメリカに従うだけでしょうが。
 
ともかく、今の国際情勢を見ていると、来年の漢字こそ「戦」になりそうな気がします。 

アメリカ大統領選共和党候補のドナルド・トランプ氏の暴言が止まりません。「すべてのイスラム教徒の米国への入国を禁止するべきだ」という発言には国際社会からも批判の声が上がりました。
しかし、この発言のあとの世論調査でもトランプ氏は高支持率を保っています。
 
「反イスラム」発言しても…トランプ氏、共和党の首位キープ 最新世論調査
 
 ロイター通信は11日、来年11月の米大統領選に向けた最新の世論調査結果を発表し、共和党指名争いで実業家トランプ氏(69)が支持率35%で首位を維持した。イスラム教徒の入国拒否という極端に排外的な主張を打ち出した後も、人気が揺らいでいないことが分かった。
 
 調査は8~11日に実施。カリフォルニア州の銃乱射事件を受け、トランプ氏が7日表明した入国禁止の主張はオバマ政権や共和党指導部だけでなく、英仏首相ら同盟国の指導者からも非難を浴びている。しかし、共和党支持者のうち64%は問題視せず、「不快」としたのは29%にとどまった。
 
 ただ、全体では47%、民主党支持者の間では72%が「不快」と回答。民主党、共和党支持者の間で受け止め方が大きく異なることが浮き彫りになった。(共同)
 
どうやらアメリカ国民全体では、トランプ氏の反イスラム発言の支持と不支持は半々ぐらいのようです。しかし、本音の部分では反イスラム感情はもっと幅広く存在しているはずです。
 
これまでもこういう差別主義の発言をする大統領候補や政治家はいましたが、たいてい差別語を言って批判され、消えていきました。アメリカではポリティカル・コレクトネスといって、差別語を使うときびしく批判されます。
しかし、トランプ氏はテレビ番組の司会を10年以上やっていたので、差別語を使わないことには習熟しています。差別語を使わずに差別発言をしているわけです(日本の橋下徹氏も似ています)
 
たとえばトランプ氏はニューヨーク・タイムズの障害のある記者のものまねをしながらその記者を批判したことがあり、これは障害者差別ではないかと言われました。
 



 
映像を見ると、明らかに障害者をあざけっていると思われます。しかし、トランプ氏はその記者のことは知らないとして否定し、そのまま通ってしまいました。要するにものまねだけでは、つまり差別語を使っていなければ、問題とされないのです。
 
ポリティカル・コレクトネスというのは、要するに差別語をなくせばいいわけで、結果的に差別の実態を温存するものです。
 
トランプ氏はイスラム教徒入国禁止発言を批判されると、「第二次世界大戦中の日系人強制収容の方がはるかに悪い」と言って自身の発言を正当化し、また当時のルーズベルト大統領について「非常に尊敬されている大統領だ」とも言いました。
 
日系人強制収容所については、レーガン大統領が「深刻な不法行為」であるとして1人当たり2万ドルの賠償金を払うことを決定しています
これをもってアメリカは国として人種差別を反省したと思われるかもしれませんが、これはあくまで日系人がアメリカ国民だったから賠償したのです。アメリカ国民でないところの日本人やその他の人種が差別されないわけではありません。
 
アメリカにおいては、アメリカ国旗に忠誠を誓ったアメリカ国民と他国民とはまったく違うものと認識されています(ですから、空爆で他国民を何人殺そうがアメリカではほとんど問題になりません)。
つまり、アメリカ国民と他国民の間に差別があり、さらにアメリカ国民の中でも人種差別やイスラム教徒差別があるというわけです。


トランプ氏は1210日、「警察官を殺害した者には一律死刑を科す」という公約を発表しました。
アメリカの警察官といえば白人が多く、武器を持たない無抵抗の黒人を射殺するなどが差別的だとして問題になっています。トランプ氏の公約は、こうした差別と同じ方向にあるものです。

さらに、アメリカは「世界の警察官」であるということも思い出されます。
アメリカを攻撃する者には徹底報復するということも、トランプ氏の頭の中にはあるのでしょう。

ともかく、トランプ氏の発言を聞いていると、アメリカが世界に冠たる人種差別大国であることがよくわかります。

私の場合、インターネットで癒されるのは、犬や猫など動物の動画を見るときです。ヤフーのトップページの「ネットで話題の無料動画」に動物動画があればたいてい見ますし、「ハフィントンポスト」にもその手の動画や画像がしばしば紹介されています。
 
こうした動画は多くの人に人気のようで、たとえばビールの箱にスライディングして飛び込むところがテレビCMでも紹介された猫の「まる」は、世界的にも人気だということです。
 


 
 今は誰でも簡単に動画が撮れるので、世の中にはおもしろいハプニング動画がいっぱいあります。動物動画にもそうした種類のものがありますが、まるの動画など多くの動物動画のおもしろさはそれとはちょっと違います。
 
このおもしろさはどこからきているのかと考えていたところ、フジテレビ系「めざましテレビ」の「きょうのわんこ」という名物コーナーが五千回を迎えたという記事が朝日新聞に載っていました。
「きょうのわんこ」は日替わりで1匹の犬を紹介するもので、私は夜型の生活をしているので、何度か寝る前に見たことがあります。週に5匹も紹介するわけですから、ネットの人気動画と違って、そんなにおもしろい犬が出てくるわけではありませんが、見るとなんとなく癒されます。
 
きょうのわんこ - フジテレビの人気番組を動画配信 ...
 
朝日新聞の記事には『犬を選ぶ基準の一つは、飼い主から教え込まれた技をするのではなく、「犬自らがやりたくてやっている」ことだそうだ』と書かれていました。
 
「犬自らがやりたくてやっている」という言葉が、さまざまな動物動画のおもしろさを一言で表現していると思いました。
 
考えてみれば、昔のテレビで犬が紹介される場合は、よく訓練された犬がなにかの芸をするみたいなのがほとんどでした。
そういう犬を見ると、感心はしますが、おもしろくはありません。
しかし、「きょうのわんこ」に出てくる犬は、へんなくせがあるとか、散歩中に勝手な動きをするとかで、むしろ人間にとっては困った犬かもしれませんが、見ているとおもしろさがあります。
「まるです」のまるもやりたいことをやっているだけで、そこにおもしろさがあります。
 
 
「自らがやりたくてやっている」というところにおもしろさが現れるのは、人間においても同じです。
 
ウインドウズ10のテレビCMを見て、そのことを感じました。
 
 

 
 
このCMに出てくるのは、「きょうのわんこ」と同じで、「自らがやりたくてやっている」子どもばかりです。
 
今の世の中、おとなが推奨するのは、行儀のいい子ども、あいさつのできる子ども、ピアノなど習い事をやる子ども、スポーツの練習をがんばる子どもなどです。つまりおとなが決めたことをやる子ども、おとなの価値観に合わせている子どもです。
しかし、こういう子どもを見ていてもおもしろくありません。
それがなんであれ「自らがやりたくてやっている」子どもを見ているとおもしろいものです。
 
そして、才能というのは「自らがやりたくてやっている」うちに開花するものだと思います。

12月2日にカリフォルニア州サンバーナディーノで起きた14人死亡の銃乱射事件はテロ事件と認定されました。IS(イスラム国)への空爆を強化する足元でテロが起きたわけです。空爆ではテロが防げないというより、むしろ空爆がテロの原因になっているというべきでしょう。
 
こんなときでも日本で「テロは許せない」と言う人がいるのは不思議です。ガンジー的な非暴力主義の人が言うのならわかりますが、「テロは許せない」と言うだけなら空爆は許しているのかということになります。「テロも空爆も許せない」というべきです。
 
 
空爆ではよく誤爆が問題になりますが、誤爆は意図したものではないので、意図して罪もない人を狙うテロとは違うという意見があります。
しかし、そもそも誤爆でないところの“正爆”というのがあるのでしょうか。
 
たとえばテロリストと非テロリストの線引きはどうなっているのでしょう。
イスラム国はその名の通り国としての行政組織を持っています。そこがほかの原始的な武装勢力と違うところです。
ですから、空爆の対象にせずに育てていけば、テロ組織にならずに国際社会の一員になった可能性があります(アメリカはむしろそれを恐れたのかもしれません)
 
ともかく、イスラム国は行政組織を持っているので、たとえば税務署員もいるわけです(たいていはフセイン政権時代の役人です)。銃を持たずもっぱら税務署員として仕事をしている人間もテロリストとして空爆の対象なのでしょうか。
これについてはなんの報道もないのでわかりませんが、こういう基本的なこともわからずに空爆を支持している人がいるのは不思議です。
 
それに、テロリストはいつも仲間で固まっているわけではなく、一般の人といっしょにいることもあれば、家族といっしょにいることもあります。テロリストだけ殺害して、絶対ほかの人を巻き込まないということがあるはずありません。
このへんのことについては、フィクションであるとはいえ「ドローン・オブ・ウォー」という映画に描かれています。
 
「ドローン・オブ・ウォー」映画評
 
それに、テロリストという認定が正しいのかという問題もあります。
テロリストという認定は、上空からの監視のほかに、特殊部隊やCIAが内通者や盗聴などの手段を使って決定します。そして、その決定通りに空爆します。これは検察が死刑を求刑したら裁判なしにそのまま死刑執行がされるのと同じです。被告には弁明する機会すらなく、“誤審”がいっぱいあるに違いありません(ただでさえアメリカは誤審が多く、DNA検査でそれがどんどん明らかになっています)
 
つまりもともと空爆には誤爆も“正爆”もないのです。
たとえばアメリカの田舎町にテロリストが逃げ込んだという情報があっただけで、そこにミサイルを撃ち込んで周囲の住民といっしょに殺しているみたいなものです。
もし実際にそれをやったら、アメリカ国民は憤激するでしょう。
 
今、アメリカ人やヨーロッパ人が空爆に対して憤激していないのは、アラブ人や黒人やイスラム教徒への差別意識があるからです。
 
 
なお、パリ同時多発テロのとき、「民間人を狙うのは卑怯だ」と言われました。
しかし、アメリカ軍を直接攻撃することは実質的に不可能です。
「民間人を狙うのは卑怯だ」と言う人は、「お前たちはやられっ放しでいろ」と言っているのと同じです。
 
また、パリ同時多発テロは「無差別テロ」とも呼ばれました。
しかし、フランス国民を狙ったテロですから、決して「無差別」ではありません。
フランス政府は空爆に参加していましたし、フランスは民主主義国ですから、その決定に対してフランス国民は責任があります。
空爆で多数の人間を殺しながら自分たちは平和で豊かな生活をいつまでも享受していられると思っていたとすれば、あまりに甘いと言わねばなりません。
 
こういうことを書くと、「お前はテロに賛成なのか」と言う人が出てきそうですが、私はテロにも空爆(つまり一方的な軍事力行使)にも反対しているだけです。

賢い人は学び、愚かな人は学ばせる――というのは、今私が思いついた格言(風の言葉)です。
水木しげるさんは賢い人ですから、ニューギニアの未開人から学びますが、愚かな人は未開人を文明化しようと学ばせるわけです。
 
子どもに対するときも同じです。子どもから学ぶ人と、なにも学ばず、学ばせることしか考えない人がいます。
 
たとえば次のニュースから、いろんなことが学べるはずです。
 
 
マラソン中の女性に男性客がセクハラ野次→ひとりの男の子が見せた勇気ある行動に絶賛の嵐
 
マラソン大会に出場していた女性選手に野次を飛ばしていた男性に、勇気をもって注意した男の子に称賛の声が高まっている。
 
サンタモニカ在住のジュリア・プライスさんがマラソン大会に出場した時のこと。走行中、観客から「ヘイ、セクシー姉ちゃん!」などとセクハラ野次を飛ばされたのだという。ヘッドフォン越しにも聞こえるくらい大きな声だったが、もちろん無視していたジュリアさん。しかしこの男性がさらに下品な野次を飛ばしてきたのだそうだ。
 
すると、まだ幼い男の子が、母親、妹と一緒にこの男性のそばにやってくると、こう注意したのだという。
 
「おじさん、そういうことは言わない方がいいと思います。よくないことです。彼女は悪い人じゃないし、知らない誰かにヒドイことを言うのはやめてほしいです。あのお姉さんは僕の妹と同じ女の子です。だから僕はお姉さんを守ります」。
 
この男性は恥ずかしさのあまり、その場を去っていったそう。この一部始終をジュリアさんも見ており、後にFacebookでこの男の子の勇気ある行動に感謝の言葉を述べている。
 
 

Iwas on my usual running path when I heard an older man yelling loudly enoughfor me to hear through my headphones. "...

Postedby Julia Price on Wednesday, November 18, 2015

 
周囲の観客たちも感動と絶賛だったそうだ。
 
 
この幼い男の子が何歳かよくわかりませんが、いわゆる「道徳教育」は受けていないのではないでしょうか。
むしろ「道徳教育」を受けていないからこそこうしたことができたのかもしれません。
 
おとながこの男の子から学ぶべきことは、ヤジを飛ばした男性を非難するのは抑制的で、ヤジられた女性を守ろうという気持ちが前面に出ているところです。
これはなかなかできないことです。たいていの人は、男性を非難するほうに力が入るからです。
 
凶悪な殺人事件が起こったとき、犯人を死刑にしろという声が上がります。その理由として被害者や被害者遺族への同情ということが挙げられます。しかし、ほんとうに同情心があるのかあやしいことが少なくありません。被害者遺族に対する同情心があるなら、死刑にされる犯人やそのゆかりの人に対する同情心はないのかという疑問もあります。
 
つまり、加害者への怒りと被害者への同情心は、本来釣り合っているはずのものですが、今は怒りが強く、同情心が少なくなっていると思えるのです。
 
電車の中で若者が年寄りに席を譲るべきであるのは、年寄りが立っているのはつらいことだからです。当然、年寄りに対する思いやりや同情心があるのが前提です。
 
ちなみに電車の中で年寄りが立っていて若者が席を譲らないという状況に出くわした場合、年寄りへの同情心があるのなら、若者に対して「このお年寄りを座らせてあげてくれませんか」と低姿勢で頼むはずです。そうしたほうが若者も譲ってくれるはずです。
ところが、今の時代、席を譲らない若者を非難する声ばかりが目立ち、年寄りに対する同情心はほとんどうかがえません。
 
そうした中、この男の子の言葉は女性への同情心を前面に出しているので、周りの人の感動を呼んだのではないでしょうか。
 
賢いおとなはこの男の子の言動から人間の生き方を学びますが、愚かなおとなは子どもに道徳教育をしなければならないと考えるわけです。
 
ということを結論にしようと思ったのですが、書いている途中で、これはほんとうの話なのかという疑問がわいてきました。
女性はマラソンで道路を走っていたわけです。男性のヤジは聞こえても、男の子が男性のそばに寄って話しかける声は聞こえるでしょうか。しかも、女性はヘッドフォンをしていたのです。
「周囲の観客たちも感動と絶賛だった」というのも、見ていてわかることでしょうか。
 
この話は女性のFacebookだけが根拠となっているようです。ヤジられたのはたぶん事実で、そのあとのことは、こんなことがあればいいなという女性の想像であるような気がします(走りながら腹立たしい気持ちを収めるためにいろいろ想像したというのはありそうなことです)
 
一般論として、おとなは子どもよりも信用できません。
そういう意味でもおとなは子どもから学びたいものです。

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