天皇皇后両陛下は1月26日、フィリピンを公式訪問されました。
陛下は羽田空港での見送り行事においてこう述べておられます。
フィリピンでは、先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き、この度の訪問を果たしていきたいと思っています。
わざわざ「マニラの市街戦」という言葉をおっしゃったところに陛下の見識が現れています。
マニラ市街戦は太平洋戦争でも有数の激戦でしたが、なぜか日本では戦史からはほとんど消されています。私はかなり戦争の本を読んできましたが、マニラ市街戦について書かれたものはありませんでした。ヒストリーチャンネルかなにかで放送されたアメリカ制作のドキュメンタリー番組で初めてマニラ市街戦の実態を知りました。
マニラ市街戦は約1カ月にわたって行われ、アメリカ軍の損害は戦死者約千人、負傷者約五千六百人にのぼりました。
フィリピン戦線における日本軍は、レイテ島などでボロ負けでしたから、日本人としては忘れてしまいたいところですが、マニラ市街戦に限っては1カ月にわたってアメリカ軍を苦しめたということで自慢していいはずです。
しかし、その結果、マニラは瓦礫の山になり、民間人約10万人が犠牲になったとされます。
日本軍が抗日ゲリラの疑いをかけて殺した民間人も多数いたということです。
また、山下奉文大将は、民間人の数が多すぎて避難は不可能なので、かつてアメリカがそうしたように無防備都市宣言をするつもりで現地軍にマニラを放棄するよう命令していたのですが、現地軍が命令に反して市街戦になったという事情もあります。
そんなさまざまなことから、日本人としてはなかったことにしてしまいたい戦闘だったのでしょう。
もっとも、去年NHKでマニラ市街戦についての番組が放送されました。陛下もこれをご覧になっていたのかもしれません。
埋もれた激戦「マニラ市街戦」 70年後の語り継ぎ
フィリピンは軍国日本を賛美したい人にとっては、ほかの点でも不都合な存在です。
というのは、アメリカ議会は1934年にフィリピン独立法を制定し、10年後の独立を約束していたからです。そこに日本軍が1942年に侵攻し、占領しました。ということは、フィリピンにとってはあと2年で独立できるときに日本に占領されたわけで、日本はむしろ独立の妨げでしかありませんでした。
右翼はよく、日本が戦争したことでアジアは植民地から解放されたのだと言いますが、少なくともフィリピンにはぜんぜん当てはまらないわけです。
また、反植民地主義の旗印は、日本ではなくアメリカに握られていたということも言えなくありません。
第二次大戦におけるフィリピン人の死者は111万人とされ、310万人とされる日本人の死者の3分の1余りになります。それも、まったく必要のなかった死者です。
また、フィリピンにおける日本人の死者は約52万人で、中国における死者約46万人よりも多い数です。
両陛下の今回のフィリピン訪問は、国交正常化60周年記念に当たってフィリピンからの招請に応えたものですが、両陛下においては慰霊の旅という思いが強いようです。