高嶋ちさ子さんが子どものゲーム機をバキバキにしたことで炎上し、それがさまざまな議論を呼んでいます。
私はこのことを「『世界一わかりやすい毒親』高嶋ちさ子」という記事で書きましたが、重要な問題なので再び取り上げることにします。
高嶋さんを批判する意見で、ゲーム機を壊すのはよくないというのがけっこうあります。
一般論として物を壊すのはよくありませんが、この場合、「心より物がたいせつ」と主張しているみたいです。子どもの心への影響を中心に論じてもらいたいものです。
脳科学者の茂木健一郎氏は、物を壊すのは正しいとは思えないと主張したあと、こう語っています。
「これは、親御さんの個性の問題だと思います。高嶋さち子さんのような方は、典型的とは言えないが、一つの個性である。だから、その個性がいいとか、わるいとか、一概には言えない」
「大人の、あるいは母親のふるまいとしてどうなのか、ということですが、一般に、人格(personality)に『正解』はありません」
子どもの教育の良し悪しに関することなのに、高嶋さんの個性の問題にすりかえています。
個性に「正解」はないでしょうが、その子どもに合った教育のやり方に「正解」はあります。しかも、この「正解」はひとつしかないはずです。
もちろんどんな親もどんぴしゃりの「正解」の教育はできません。少しでも「正解」に近づけるよう努力するだけです。
自分には「正解」の教育はできないという自覚が謙虚な姿勢につながります。
爆笑問題の太田光氏と田中裕二氏はこのように語ったということです。
太田は23日深夜放送のラジオ番組「爆笑問題カーボーイ」で高嶋の騒動に触れ、高嶋が新聞のコラムで自ら明かしたことに「バカだなぁ」と笑い飛ばしたが、その内容によって批判を受けていることについては「それはさぁ、他人の家の教育じゃん。だって音楽の人なんて、もっとひどいことやられてるよ、恐らく。スパルタなんてもんじゃないからね」とコメント。相方の田中裕二も「人それぞれ、子育ての仕方は違うからね」と同調した。
家庭によって、人によって子育てのやり方は違っていいという考え方です。
この考え方は親には歓迎されるでしょう。なにをやっても「正解」だというのですから。
しかし、こうした考え方が虐待につながることも否定できません。
茂木氏の考え方も爆笑問題の考え方も、世の親にとってはありがたい考え方ですが、子どもにとってはまったくありがたくありません。
そもそもゲーム機バキバキ事件は、子どもがルール違反をしたことがきっかけだとされます。そのいきさつはこうです。
「ゲーム機バキバキ事件」。タレントのリレー方式で連載している東京新聞のコラムでは、高嶋さんは2016年2月12日にこんな刺激的なタイトルで自らの子育てを語った。
それによると、高嶋さんは、ゲーム機を子供に与えない方針だが、長男の友達の母親からプレゼントされ、特別に許すことにした。息子が2人おり、公平にと考えて、次男には、自らがゲーム機を買い与えた。
ただし、ゲームを許すに当たっては、家庭内にルールを設けた。高嶋さんは、ゲームは週末に宿題が終わって時間が余ったときだけと言い渡した。19時以降に子供は電化製品に触れないルールがあるので、土曜日の17~19時までがゲームの時間になった。
ところが、ある金曜日の夜に長男がゲームをしているのを見つけ、宿題も終わっていないというので、高嶋さんは激怒した。そして、「ゲーム機を手でバキバキと折った」と明かしたのだ。長男は、それを見て悲鳴を上げ、かなり落ち込んでいたという。次男についても、その日はチェロの練習をしていなかったことに怒り、買ったゲーム機も折って壊した。
コラムでは、「約束は守らないといけません」とのキャプションを付けて、2つに折ったゲーム機2台の写真を載せている。
子どもが家のルールを破ったのだから、ゲーム機を壊されるのはしかたがないという意見もかなりあります。
しかし、「家のルール」とはなんでしょうか。
この場合、「家のルール」は高嶋さんがつくっています。ですから、これは「親のルール」というべきです。
子どもは一方的に「親のルール」を守らされ、ゲームをする時間を制限されるだけです。
もちろん親が正しいルールをつくることもありますが、親が一方的にルールをつくっていいとなると、親にとって都合のいいルールになりがちです。
それを避けるにはどうしたらいいでしょう。
それは、「家の憲法」をつくることです。
「家の憲法」は親を縛るものです。つまり家庭における立憲主義です。
政治の世界で立憲主義がたいせつだと思う人は、家庭においても立憲主義のたいせつさを理解するはずです。
もちろん今の世の中に「家の憲法」はありません。
そのため高嶋家ではゲーム機がバキバキにされ、ひどい家では子どもが虐待されてケガしたり殺されたりしているわけです。
「家の憲法」をつくることは今後の政治の課題でもあります。
自民党の改憲草案の「第二十四条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」なんていうのはだめです。