村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2016年02月

高嶋ちさ子さんが子どものゲーム機をバキバキにしたことで炎上し、それがさまざまな議論を呼んでいます。
私はこのことを「『世界一わかりやすい毒親』高嶋ちさ子」という記事で書きましたが、重要な問題なので再び取り上げることにします。
 
 
高嶋さんを批判する意見で、ゲーム機を壊すのはよくないというのがけっこうあります。
一般論として物を壊すのはよくありませんが、この場合、「心より物がたいせつ」と主張しているみたいです。子どもの心への影響を中心に論じてもらいたいものです。
 
脳科学者の茂木健一郎氏は、物を壊すのは正しいとは思えないと主張したあと、こう語っています。
 
「これは、親御さんの個性の問題だと思います。高嶋さち子さんのような方は、典型的とは言えないが、一つの個性である。だから、その個性がいいとか、わるいとか、一概には言えない」
「大人の、あるいは母親のふるまいとしてどうなのか、ということですが、一般に、人格(personality)に『正解』はありません」
 
子どもの教育の良し悪しに関することなのに、高嶋さんの個性の問題にすりかえています。
 
個性に「正解」はないでしょうが、その子どもに合った教育のやり方に「正解」はあります。しかも、この「正解」はひとつしかないはずです。
もちろんどんな親もどんぴしゃりの「正解」の教育はできません。少しでも「正解」に近づけるよう努力するだけです。
自分には「正解」の教育はできないという自覚が謙虚な姿勢につながります。
 
 
爆笑問題の太田光氏と田中裕二氏はこのように語ったということです。
 
 太田は23日深夜放送のラジオ番組「爆笑問題カーボーイ」で高嶋の騒動に触れ、高嶋が新聞のコラムで自ら明かしたことに「バカだなぁ」と笑い飛ばしたが、その内容によって批判を受けていることについては「それはさぁ、他人の家の教育じゃん。だって音楽の人なんて、もっとひどいことやられてるよ、恐らく。スパルタなんてもんじゃないからね」とコメント。相方の田中裕二も「人それぞれ、子育ての仕方は違うからね」と同調した。
 
家庭によって、人によって子育てのやり方は違っていいという考え方です。
この考え方は親には歓迎されるでしょう。なにをやっても「正解」だというのですから。
しかし、こうした考え方が虐待につながることも否定できません。
 
茂木氏の考え方も爆笑問題の考え方も、世の親にとってはありがたい考え方ですが、子どもにとってはまったくありがたくありません。
 
 
そもそもゲーム機バキバキ事件は、子どもがルール違反をしたことがきっかけだとされます。そのいきさつはこうです。
 
 
  「ゲーム機バキバキ事件」。タレントのリレー方式で連載している東京新聞のコラムでは、高嶋さんは2016212日にこんな刺激的なタイトルで自らの子育てを語った。
 
   それによると、高嶋さんは、ゲーム機を子供に与えない方針だが、長男の友達の母親からプレゼントされ、特別に許すことにした。息子が2人おり、公平にと考えて、次男には、自らがゲーム機を買い与えた。
 
   ただし、ゲームを許すに当たっては、家庭内にルールを設けた。高嶋さんは、ゲームは週末に宿題が終わって時間が余ったときだけと言い渡した。19時以降に子供は電化製品に触れないルールがあるので、土曜日の1719時までがゲームの時間になった。
 
   ところが、ある金曜日の夜に長男がゲームをしているのを見つけ、宿題も終わっていないというので、高嶋さんは激怒した。そして、「ゲーム機を手でバキバキと折った」と明かしたのだ。長男は、それを見て悲鳴を上げ、かなり落ち込んでいたという。次男についても、その日はチェロの練習をしていなかったことに怒り、買ったゲーム機も折って壊した。
 
   コラムでは、「約束は守らないといけません」とのキャプションを付けて、2つに折ったゲーム機2台の写真を載せている。
 
 
子どもが家のルールを破ったのだから、ゲーム機を壊されるのはしかたがないという意見もかなりあります。
しかし、「家のルール」とはなんでしょうか。
この場合、「家のルール」は高嶋さんがつくっています。ですから、これは「親のルール」というべきです。
子どもは一方的に「親のルール」を守らされ、ゲームをする時間を制限されるだけです。
 
もちろん親が正しいルールをつくることもありますが、親が一方的にルールをつくっていいとなると、親にとって都合のいいルールになりがちです。
それを避けるにはどうしたらいいでしょう。
それは、「家の憲法」をつくることです。
「家の憲法」は親を縛るものです。つまり家庭における立憲主義です。
政治の世界で立憲主義がたいせつだと思う人は、家庭においても立憲主義のたいせつさを理解するはずです。
 
もちろん今の世の中に「家の憲法」はありません。
そのため高嶋家ではゲーム機がバキバキにされ、ひどい家では子どもが虐待されてケガしたり殺されたりしているわけです。

「家の憲法」をつくることは今後の政治の課題でもあります。
自民党の改憲草案の「第二十四条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」なんていうのはだめです。

ベッキーとゲスの極み川谷氏との不倫問題があまりにも大ごとになったので、その影響がいろんなところに及んでいます。
 
たとえば育休不倫問題で議員辞職に追い込まれた宮崎謙介議員は「ゲス不倫議員」とか「ゲス宮崎」と呼ばれました。「ゲス」はあくまで川谷氏のバンドの名前であって、宮崎議員とは関係ないのですが。
もしベッキー・川谷の不倫騒ぎがなければ、議員辞職にまでならなかったかもしれません。
 
丸山和也議員も黒人差別発言が問題になったときに不倫が発覚しました。週刊誌は差別発言とは関係なしに不倫を追っていたのでしょう。本来なら丸山議員の不倫などたいしたネタではないはずですが、ベッキー・川谷の不倫があまりにも騒がれるので、週刊誌はこれも受けると判断したのではないかと思われます。
 
宮崎議員や丸山議員は政治家ですから、ある程度のモラルを要求されてもしかたありませんが、桂文枝師匠の場合はどうなのでしょうか。
 
「フライデー」は「師匠、あなたもゲスだったのか」と題して、文枝師匠は38歳の演歌歌手と20年間にわたってつきあっていると報じました。
これは演歌歌手が告白したものです。告白は売名行為ではないかと言われていますが、少なくとも今告白すると話題になるだろうという計算はありそうです。
 
芸人の場合、昔は女遊びは“芸の肥やし”などと言われて、本人だけでなく世間も問題にしませんでしたが、こうした流れの中ではやはり「ゲス」にされてしまうようです。
 
今後、不倫ネタはマスコミの好むところとなって、みんな「ゲス」とされてしまうのかもしれません。
それは決してよいことではありません。世の中からまたひとつ寛容が失われたということですから。
 
そもそもベッキー・川谷の不倫は、本来ならベッキー・川谷・妻の三者で解決するべき問題です。「週刊文春」が報道しなければそうなっていたでしょう。
考えてみれば、みんな「週刊文春」にあやつられているわけです。

人権意識などまったくなさそうな安倍首相が、珍しく「人権問題だ」と強い調子で反発しました。どういう事情があったのでしょうか。
 
 
首相、民主の「睡眠障害」発言に反発 「人権問題だ」
 
 安倍晋三首相は19日午前の衆院予算委員会で、民主党の中川正春・元文部科学相が16日に「首相の睡眠障害を勝ち取りましょう」と発言したことに対し、「私をそういう状況に陥れようと考えているのか。人権問題だ。私にだって家族がいる」と強い調子で反発した。
 
自民党の丸山和也参院議員による「アメリカは黒人が大統領になっている。これ、奴隷ですよ」などの発言に対し、民主党の西村智奈美氏が同委で「大変ひどい差別発言だ」と追及したのに反論した。
 
 中川氏は16日の党代議士会で、甘利明・前経済再生相が睡眠障害と診断されたのを受けて発言した。西村氏は「発言者(中川氏)もおわびをし、撤回した」と述べたが、首相は「私に対する謝罪は一切ない」と憤った。
 
 首相はその上で「与党・野党を問わず、人権を侵害する発言をしてはならないことは当然だ。自分たちの発言は影響力があることを肝に銘じながら、発言していくべきだ」と語った。
 
 
民主党の中川正春議員が「首相の睡眠障害を勝ち取りましょう」と言ったのは問題です。世の中の睡眠障害の人たちを傷つけるからです。
で、安倍首相はそういう観点から抗議したのかというと、そうではありません。自分のことだけを言っているのです。
「人権問題だ」というのも、自分の人権のことです。
ということは、安倍首相は民主党の力によって自分が睡眠障害になる可能性があると思っていることになります。
安倍首相は呪術を信じていて、民主党には呪術師がいると思っているのでしょうか。
 
いや、睡眠障害というのは心因性の面もあるかもしれません(調べると睡眠障害というのは「広く睡眠に関する病気全般を指す言葉」とあります。こんな診断書で国会を休む甘利前大臣も問題です)
そうすると安倍首相は、野党が精神的に追い込むような追及をしてくると自分は睡眠障害になる可能性があると思っていることになります。
自分は精神的にひ弱であると認めて、公言しているわけです。これでは首相は務まりません。
日本の首相にそういう弱みがあることを知った外国はむしろその弱みをついてくるでしょう。
 
安倍首相は「人権問題だ」と言った以上、民主党の呪術を恐れているのか、野党のきびしい追及で睡眠障害になる精神的な弱さがあることを認めているのか、どちらかはっきりしなければなりません。
 
 
ところで、安倍首相に関してはこんなへんなニュースもありました。
 
民主、維新による安倍首相のトイレ阻止、おおさか維新・松浪氏「衝撃受けた」
 
 おおさか維新の会の松浪健太衆院議員は19日の衆院予算委員会で、トイレに向かう安倍晋三首相を民主党や維新の党が引き留めた問題で、「衝撃を受けた」と述べた。
 
 維新の党の柿沢未途氏の質問中、首相が席を立つと柿沢氏は「時計を止めてください」と述べて引き留め、麻生太郎副総理兼財務相の答弁中に首相がトイレに向かうと民主党の山井和則氏が竹下亘委員長に抗議。戻った首相が「財務相が答弁している間に小用を果たしてきた。トイレに行く時間を与えないのは前代未聞だ」と答弁する場面があった。
 
 松浪氏は「いろんなトラブルがあった。衝撃を受けたのは、首相がなんと、答弁で『小用』という言葉を使った。国民の前で、正直、こういう議論はみっともない」と苦言を呈した。そのうえで、「予算委に首相を1日7時間もはりつけて、これほど、酷使する国はない。首相の待遇改善を議論してほしい」と竹下氏に求めた。
 
 
野党が首相にトイレに行く時間を与えないとすれば問題です。
ここは安倍首相も「前代未聞だ」ではなく「人権問題だ」と言っていいところです。
 
もっとも、安倍首相がわざわざ「小用」という言葉を使ったのは、ストレスに弱い大腸のことを隠そうとしたのかもしれません。だとすると、やはり首相の適格性が疑われることになります。

自民党の丸山和也参議院議員は2月17日の参議院憲法審査会で「今、米国は黒人が大統領になっているんですよ。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ」などと語りました。この発言が問題になり、野党3党は議員辞職勧告決議案を提出しています。
 
それに対して丸山議員は記者団にこう語ったということです。
 
 
だが、丸山氏はこの発言について、奴隷制度の歴史を乗り越え、黒人であるオバマ氏が大統領に就任するに至った米国をたたえたつもりだった、と釈明。「自己変革を遂げた米国への尊敬の念がほとばしった言葉が、どうして人種差別の言葉になるのか。驚きだ」と語った。
 
 
丸山議員の実際の発言の詳細はこちらで読めます。
 
【書き起こし】丸山議員「アメリカは奴隷の黒人が大統領」発言の真意は?
 
 
そもそもは、日本がアメリカの51番目の州になったら憲法的にどうなのか、ということを言っています。
日本はアメリカの属国みたいだから、いっそのことアメリカの州になったらどうかというのはよく言われますが、ほとんど冗談のようなものです。それを国会議員が公の場で語ったというのが驚きです。
 
常識的には日本がアメリカの州になるということはありえないようですが、丸山議員はアメリカにおいてはありえなくないということを主張しようとして、例の問題発言を口にします。
 
 
たとえば、いまアメリカは黒人が大統領になっているんですよ。黒人の血を引く、ね。これは奴隷ですよ、はっきり言って。
 
で、リンカーンが奴隷解放をやったと。でも公民権もない、なにもないと。ルーサー・キングが出てですね、公民権運動のなかで公民権が与えられた。
 
でもですね、まさかアメリカの建国あるいは当初の時代にですね、黒人、奴隷がですね、アメリカの大統領になるようなことは考えもしない。
 
これだけのですね、ダイナミックな変革をしていく国なんですよね。
 
そういう観点からですね、たとえば、日本がそういうことについて憲法上の問題があるのかないのか。どういうことかということについて、お聞きしたい。
 
 
要するにアメリカはダイナミックな変革をする国であるということを主張しています。
ですから、丸山議員が「米国への尊敬の念がほとばしった言葉が、どうして人種差別の言葉になるのか」と語ったのは本音でしょう。
 
しかし、丸山議員が挙げた例は、アメリカのダイナミックさを表しているどころか、むしろ逆です。アメリカは建国から250年近くたっているのにたった1人しか黒人が大統領になっていないというべきです。
 
それに、オバマ氏が大統領になったことについて、差別を乗り越えたオバマ氏をたたえるのではなく、いまだに差別を残すアメリカをたたえるのは、論理が転倒しています。米国への尊敬の念はほとばしっても、黒人への思いはなにもないのでしょう。つまり、丸山議員の中に差別意識があるのです。
その証拠に、「これは奴隷ですよ」とオバマ大統領を「これ」呼ばわりしています。

 
人種差別はアメリカの宿痾です。
昔はヨーロッパにも黒人奴隷がいないではありませんでしたが、ごく少数でした。ヨーロッパの人たちは、肌の色が違うだけで自分たちと変わらない存在を奴隷として扱うことを好まなかったようです。
 
アメリカでは綿花栽培の農場などの単純労働が多かったという事情もありますが、黒人奴隷は召使として家庭にも入っていました。アメリカの独立宣言の起草者の1人であるトーマス・ジェファーソンは、奴隷との間に子どもをもうけたことがDNA検査によりわかっています。
 
リンカーン大統領は奴隷解放をしましたが、黒人に対して謝罪も賠償もしていません。上から恩恵を施したみたいな感覚のようです。
 
公民権が認められても、黒人はいまだに差別され、多くは貧困にあえいでいます。
オバマ氏が大統領になっても、それによって黒人の地位が向上したということもありません。
 
そういう現実を隠すために、アメリカでは黒人差別に関する言葉狩りには熱心です。共和党の大統領候補であるトランプ氏も、メキシコ人や日本人やイスラム教徒には暴言を吐いても、黒人差別の言葉だけは口にしません。
 
ですから、アメリカがダイナミックな変革をしていく国であることは事実だとしても、こと人種差別に関しては、あまりにも変革が遅いのが実情です。
 
丸山議員はそれがまったくわかっていないので、日本がアメリカの州になれば日本州出身の人間がアメリカ大統領になる可能性があるなどと能天気なことを言っています。
確かに人口3億1千万人のアメリカに1億2千万人の日本が加わればそうなるかもしれませんが、だからこそアメリカは日本を51番目の州にするはずがありません。
 
 
丸山議員はアメリカの人種差別がわかっていないのも問題ですが、それよりも問題なのは、「米国への尊敬の念がほとばしった」と語ったり、日本がアメリカの51番目の州になることを「ユートピア的」と表現したりしていることです。
丸山議員はアメリカ議会の議員になるべき人です。
日本の国会にいると売国議員といわざるをえません。

バイオリニストの高嶋ちさ子さんが、子どもが約束を破ったからとゲーム機を壊し、これはDVではないかと炎上騒ぎになっています。
 
私の偏見と思われてけっこうですが、クラシック界の人には変人が多いです。幼少時からきびしいトレーニングをしないと一流になれない世界なので、親から強制されてやることが多く、そのため人格がゆがんでしまいます。モーツアルトなどその典型です。
高嶋ちさ子さんもそうとう変人なようです。
 
 
怒り狂って息子のゲーム機をバキバキに破壊 高嶋ちさ子の“しつけ”に非難殺到
 
バイオリニストの高嶋ちさ子が寄稿し、212日の東京新聞に掲載されたコラム「ゲーム機バキバキ事件」に非難が殺到し、炎上状態となっている。
 
コラムによると、高嶋の家では子どもが平日にゲームすることを禁止しており、週末宿題が終わって時間が余ったらゲームをして良いというルールにしていた。にも関わらず、金曜の夜に長男(小学校低学年)がゲームをしているところを発見、怒り狂った高嶋は「ゲーム機を手でバキバキと折った」という。長男は悲鳴を上げ、すごく落ち込んだとしている。また、次男(小学校低学年)も、その日はチェロの練習をしていなかったため、「次男の分もへし折って壊しました」とのこと。そして、「自分で働いたお金で買ったゲーム機を自分で壊す気持ち、あなたに分かるの?あなたはゲームが一生できないことを嘆くより、ママからもう二度と信用されないということを心配しなさい!」と二人に怒ったと明かしている。
 
 
ネットでは、高嶋のゲーム機を壊して叱るというやり方に否定的な声が多く寄せられている。
「子育てではなくただの虐待」
「そもそも何故子供が親に信用されなければならないのか。本来は子供が親を信用するもの」
「働けもしない子供に働いて稼いだものを壊す気持ち?」
「そもそも子供がこうなったのも親の指導力不足でしょ」
「子供の所有物を勝手に壊す権利は親には無いと思う」
「躾と称して子供の自由を奪う行為で躾けた気になっている親は醜い」
「息子という奴隷が欲しかったんですね」
「下手すれば子供から報復されてもおかしくないほど危険」
「ものをたいせつにという大事な教育観点が抜けている」
 
 
一方、「約束守らなかったのが発端だから、悪いのは子供 極端すぎるのは確かだけど」、「そう思われても、結果的に子供のためになるからこうしてるんじゃないですか?」と一定の理解を示す声もある。
 
 
ニートの息子のゲーム機をハンマーや芝刈り機などで壊す海外の親をたまに見かけるど、日本にもいた。ただ、「あなたはゲームが一生出来ないことを嘆くより、ママから二度と信用されないことを心配しなさい」という発言に関しては異論反論ありそう。 pic.twitter.com/QFgguoZTuN

—キネ (@djgicc) 2016, 2 12

 
 
もちろんこれは批判されて当然です。物を壊して恐怖心を与えるのもDVの一種です。
 
ただ、約束を守らなかった子どもも悪いので、ある程度のことはしつけのためにも必要だという意見もあるようです。
 
しかし、「約束を守らない子どもも悪い」という考え方は、根本的に間違っています。
約束というのは、契約もそうですが、対等の関係でするものです。
この場合、親と子ですから、対等ではありません。子どもはほんとうは週末しかゲームをしてはいけないという約束などしたくなかったのですが、お母さんが怖いので、やむをえずしたのです。もし「そんな約束はしない」と言ったら、お母さんは怒り狂って、その場でゲーム機をバキバキにしたかもしれません。
 
ですから、これは「強要された約束」で、ほんとうの約束ではありませんから、約束を破ったから悪いとはいえないわけです。
 
 
では、高嶋ちさ子さんが一方的に悪いかというと、単純にそう言い切れないところがあります。
 
「あなたはゲームが一生できないことを嘆くより、ママからもう二度と信用されないということを心配しなさい!」というのはひどい言葉です。母親というのは無条件で子どもを愛するものですが、この母親は条件をつけています。
これは典型的な「毒親」の姿です。
「勉強のできない子は私の子じゃない」「親の言うことを素直に聞かない子は愛してやらない」というように、愛情に条件をつけることで子どもを支配するのが毒親です。
しかし、実際はこのような言葉を発することはありません。あくまで態度で示すだけです。言葉だけ聞いていると、むしろよい親のようです。
そのため子どもは、毒親を毒親と認識することができず、心を病んでしまうことが多いのです。
 
その点、高嶋ちさ子さんは自分の愛情に条件があることを公言していますから、子どもにとってとてもわかりやすい毒親です。
こんな毒親はほかにいないと思われます。
 
高嶋ちさ子さんは、テレビ番組でのトークがとてもおもしろいので、私は好んで見ています。
高嶋ちさ子さんの子どもは、将来大きくなったとき、心を病むこともなく、「自分の母親はこんなひどい母親だった」とおもしろおかしく語ることができるのではないでしょうか。
そういう意味では、高嶋ちさ子さんはそんなにひどい母親ではないということになります。
 

自民党の宮崎謙介衆院議員は2月12日、記者会見して議員辞職を表明しました。
不倫で議員を辞めるとは前代未聞です。
 
不倫というのは昔風にいえば浮気です。もちろん犯罪でもなんでもありません。
不倫をしても、政治家として有能であれば問題ないという考え方もあるはずです。たとえばビル・クリントン大統領は、大統領執務室で研修中の女子大生といやらしいことをして、そうしたことがすべて明らかになっても、大統領として評価されています。
 
甘利明衆院議員は口利き疑惑で経済再生担当相を辞めましたが、議員は辞めていません。しかし、こちらは犯罪の疑いですし、はるかに悪質です。宮崎議員とバランスが取れません。
 
しかし、考えてみると、宮崎議員もなかなか悪質です。育休を取ると言い出したときは、家族をたいせつにする人だと多くの人は思ったでしょう。しかし、実際は妻が妊娠中に不倫をしていたわけで、ぜんぜん家族思いではなかったわけです。
 
今の時代、家族の価値がとても高くなっています。ハリウッド映画も、恋愛ものは少なくなって、家族ものとか、家族を守るために犯罪組織と戦う、みたいなものが全盛です。
ですから、宮崎議員みたいに家族をたいせつにする格好を見せれば、大いにイメージアップがはかれるわけです。
 
実際は家族思いではなかったということで、宮崎議員は“家族思い偽装罪”になります。これは道義的にはけっこう重い罪かもしれません。そうすると議員辞職もありということになります。
 
 
最近、家族思いであることをアピールする人がいっぱいいますが、実際に家族をたいせつにしているかどうかはなかなかわかりません。
たとえば覚せい剤取締法違反で逮捕された清原和博容疑者は、ことあるごとに息子への思いを語っていました。その思いは本物かもしれませんが、清原容疑者がよい父親であるかどうかはわかりません。よい父親であれば、たいていよい夫でありそうなものですが(田代まさし氏も最初に逮捕されたときは家族への思いを熱く語っていましたが、その後離婚しました)
 
女性の芸能人で、子育てをブログで発信している人もよくいます。それによって家族をたいせつにしていることをアピールしているのでしょう。
 
また、芸能人に限らず、子どものためにキャラ弁をつくっている母親もよくいます。キャラ弁は子どものためのようですが、ほんとうに子どものためになる弁当は、栄養があっておいしい弁当です。キャラ弁は時間がかかるので、衛生上の難点も指摘されます。子ども思いをアピールするためにキャラ弁が利用されている面もありそうです。
 
“家族思い偽装罪”は宮崎議員に限らず広く蔓延しているのではないでしょうか。

高市早苗総務相は2月8日の衆院予算委員会で、放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法4条違反を理由に電波停止を命じることもあると言いました。
 
政治的な公平性を欠くと誰が判断するのでしょう。高市総務相が自分で判断するのでしょうか。高市総務相はもちろん自民党の人間で、しかも自民党の中でも右寄りです。そんな偏向した人間が、放送法にある「政治的に公平」とか「不偏不党」とかを判断できるわけがありません。
 
いや、誰であっても「政治的に公平」や「不偏不党」を正しく判断することはできません。
ですから、どうしてもやるなら有識者会議をつくらなければなりませんが、その人選に偏りをなくすこともほぼ不可能です。
 
そもそも「政治的に公平」や「不偏不党」というのはあいまいな概念ですから、そんなことで電波停止という重大事を命じるのにはむりがあります。これは倫理規定と見なす法解釈が妥当でしょう。
 
 
自分が偏向した人間であるという自覚のない高市総務相も問題ですが、それに対して、相変わらず「メディアが委縮する」という理由で批判するマスコミや有識者や野党も情けないものです。
「メディアが委縮する」という言い方に対しては、「そんなことで委縮するほうが悪い」とか、安倍首相のように「そんなこと言うのは報道機関に失礼だ」と言い返されて終わりです。
 
「メディアが委縮する」という言い方は、高市総務相を直接批判することを避けた、腰の引けた言い方です。昔はこれでもよかったのかもしれませんが、今はまったく通用しません。今も言い続けるのは思考停止です。

高市発言は「放送局に対する脅迫」というべきです。
放送法には「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること」とありますから、高市発言は「自律を保障する」に明らかに反します。
 
今や世の中は、私の言う「道徳という棍棒を持ったサル」が殴り合う様相をますます強めています。
こういう世の中では正しく相手を殴らなければなりません。

覚せい剤取締法違反で逮捕された清原和博氏は、現役時代に「覚せい剤打たずにホームラン打とう」という覚せい剤追放ポスターに起用されていました。その本人が覚せい剤にはまるのですから、皮肉なことです。
 
このポスターがつくられたのは1987年のことです。
その前年、清原選手はルーキーとして打率0.30431本塁打、78打点、シーズン終盤には4番打者となりチームの日本一に貢献、新人王となりました。高卒ルーキーとしては驚異的な成績です。それに、ドラフト指名のときに巨人に裏切られたといういきさつから同情も集めて、たいへんな人気者になりました。その人気にあやかってキャンペーンに起用されたと思われます。
 
ただ、そのときに期待値が高くなりすぎたのかもしれません。その後も一流選手といえる成績でしたが、世間の期待には少し届かない感じで、清原選手と世間とがずれていきました。
 
ちなみに長嶋茂雄氏は大卒ルーキー年に本塁打王と打点王を獲得し、新人王にもなり、たいへんな人気者になりましたが、その後も世間の期待に応える活躍をしました。
 
また、桑田真澄氏は巨人入団のいきさつからヒールのイメージがつき、不動産投資の失敗でつくった借金を球団に肩代わりしてもらって、「投げる不動産屋」などと揶揄されました。しかし、そうした世間の逆風の中で生きてきたことが逆によかったのか、へんな祈りのポーズをしたりしながら次第に自己のイメージアップに成功してきました。
 
清原氏と桑田氏は奇妙にクロスする人生を歩んできました。そして、桑田氏が清原氏に説教する立場になりましたが、それは清原氏にとってがまんならないことだったかもしれません。
 
清原氏が長嶋氏のような超一流選手になれなかったのは、人間が違うのだから当然だと私は思いますが、中には1年目の好成績で慢心したからだと考える人もいるかもしれません。
 
 
今、世間は清原氏を犯罪者として批判しています(今は起訴前なので容疑者というべきですが)
しかし、麻薬犯罪というのは「被害者なき犯罪」と言われ、普通の犯罪とは違います。
いや、麻薬犯罪の被害者は本人自身であるとも言えます。
そうすると世間は被害者を批判していることになります。
 
日本ではアルコール依存症者は犯罪者ではありません。病人として治療の対象になります。しかし、国によっては飲酒するだけで犯罪者とされます。
日本ではマリファナを使用すると犯罪者ですが、アメリカでは今、マリファナの合法化が進んでいます。
日本でも、覚せい剤依存症者をアルコール依存症者と同じに見なす時代がきてもおかしくありません。
今でも清原氏のためを考えるなら、覚せい剤依存症者という病人と見なして対応するべきです。
 
もっとも今の清原氏は、巨人に裏切られて涙を流した高校生ではなく、ヤクザとのつきあいが噂されるコワモテのオヤジですから、世間の人が冷たい対応をするのもしかたのないことかもしれません。
ただ、そういう冷たい対応は本人のためにならないということは認識しているべきです。

清原和博氏が覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕されました。ビッグネームだけに驚きましたが、これからはお決まりのパターンをたどるのでしょう。
 
初犯ですから、たぶん執行猶予つきの判決でしょうが、有名人として今後のことを考えたら、保釈のときか判決確定のときにマスコミの前で謝罪し、更生を誓わなければなりません。
それに対してワイドショーのコメンテーターやらが、ちゃんと反省して、更生してまた活躍することを期待しています、みたいなことを言うのでしょう。
しかし、こういうやり取りがだめなのです。
 
そもそも、清原氏に限りませんが、こういう状況で謝罪して更生を誓うのは、マスコミや世間に対してそうしなければいけないからで、本心からではありません。本心から更生を誓う言葉が出てくるにはもっと時間がかかります。
世間は上辺の部分にだけ注目しますから、本心は置き去りになってしまいます。
 
清原氏はきわめてコワモテのイメージがありますが、身近な人が語るように、実はナイーブで、泣き虫で、やさしい面があります。勝負の世界で生きるためにコワモテのイメージをつくってきたのでしょう。その内面と外面の乖離が心の負担になって、覚せい剤にはまったのではないかと想像されます。
 
そして、マスコミの前で更生を誓ったときも、内面と外面が乖離しているわけです。
 
覚せい剤使用の場合、更生は簡単にできることではありません。再犯率がひじょうに高いのです。
 
 
警察庁が発表した2013年度の覚せい剤事件の摘発件数を年代別で見ると、2040代が前年に比べ減少する一方、50歳以上は約6%も増えている。中高年による覚せい剤汚染が広がりつつある実態がうかがえる。また再犯率は20代が39%なのに対し、50歳以上は79%にものぼる。
 
 
この再犯率は警察に捕捉された数ですから、実際はもっと高いわけです。
清原氏は48歳ですが、自宅から注射器やパイプやストローが発見され、ヘビーユーザーだったと見なされていますから、更生するのはきわめて少ない確率です。
 
朝日新聞に専門家の言葉が載っていました。
 
 
全国薬物依存症者家族会連合会の林隆雄理事長は「今までの生活をすべて投げ出し、ゼロからやり直す覚悟が無いと薬物依存からは抜け出せない。有名人だと難しい」と心配する。薬物の多幸感を味わうと、自分一人ではやめるのが難しく、施設などで時間をかけて治療する必要がある。
 
 林さんは「日本社会は薬物犯罪者に対して刑罰を科すだけで、社会復帰を支えるシステムが未成熟だ」と指摘。「芸能人が逮捕される度にマスコミが騒ぎ、罰せられて終わり。その繰り返しでは、薬物依存者の再発を防げない」と話す。(後藤遼太)
 
 
ちなみに全国薬物依存症者家族会連合会のホームページにはこのような言葉が書かれています。
 
薬物依存症は罰では治らない。
 
説得、説論、叱責、脅しは、薬物依存者にとってほとんど効果がない。
 
 
ところが、世の中の人は効果のないことばかりするわけです。
「デイリースポーツ」によると、桑田真澄氏も同じです。
 
 
 桑田氏は清原容疑者と、2~3年前に既に連絡を取らなくなっていたことを明かした。それまでは清原容疑者に「スポーツマンである以上、暴力、ドラッグからは遠い存在でいるべき」などと「小姑のように言い続けてきた」という。しかし3年ほど前、清原容疑者から「一切関わらないでくれ」と言われ、「お互い大人だし、おまえがそう言うならそうしようと」と、“決別”したという。「小言を言われるのは嫌気が差したんでしょうね」と当時を振り返り、「言い続ければよかった」と後悔の念も口にした。
 
 
言い続けてもだめだったでしょう。逆に、それを言うことがよけいに薬物に走らせていたのかもしれません。
 
 
私は「入口政策」と「出口政策」という言葉を使っています。
刑務所の入口には多くの人が群がって、「死刑にしろ」「厳罰にしろ」と叫んでいます。
しかし、刑務所の出口には誰もいなくて、出所者は自力で更生しなければなりません(ボランティアの保護司とごく少数の保護観察官がいるだけです)
ほんとうにたいせつなのは「入口政策」ではなく「出口政策」です。「出口政策」がなく、更生させるノウハウがないので、出所者はまた入口に戻ってきてしまいます。
 
清原氏が更生するか否か、私たちの社会が試されているとも言えます。 

ベッキーの不倫騒動ですが、この問題のそもそもの始まりは、週刊文春がベッキーと川谷氏のLINEのやり取りを公表したことです。
その時点では、なぜLINEのやり取りが流出したのか不明でした。ハッキングされたのか、2人がセキュリティ対策をなおざりにしていたのかということも疑われました。
しかし、LINE社はそうした可能性を否定し、そのため流出原因はかなり絞られました。
 
「デイリースポーツ」によると、長谷川豊アナウンサーはなにか自信のあるニュースソースがあるらしく、「川谷の妻については、状況からいってLINE流出と文春への提供の実行者に間違いないと断定」し、「そしてこのLINE流出は不正アクセス禁止法に違反する行為で、『ゴリゴリの犯罪行為です。刑事事件なんです』」とし、「すでにサイバー警察が動いています」ということです。
 
川谷氏の妻が流出元であるとは簡単に断定できませんが、少なくとも誰かが不正に流出させたようです。
そうすると、それを掲載した文春にも問題がありそうです。不倫とはいえ完全にプライベートな問題ですし、それを公表することに公益性もなにもないからです。
 
そして、いちばんの問題は、一般の人やテレビのコメンテーターです。
誰でも他人のプライバシーをのぞき見たいという気持ちがありますから、文春を読むのはしかたないと思います。しかし、それで得た情報をもとにベッキーや川谷氏を公の場で批判するのは、裁判で不正な捜査で得た証拠を採用して有罪判決を出すのと同じようなものです。
 
だいたい不倫といっても、不倫相手の配偶者に対しては悪いことですが、社会的に批判されるいわれはありません。ベッキーが日ごろから、不倫をしてはいけないと人の生き方を説いていたなら別ですが。
それに、この件を最初に報じた文春の記事では、2人は川谷氏の郷里である長崎に旅行して、川谷氏は実家でベッキーを両親に引き合わせていたということです。つまり最初から結婚を前提にしていて、離婚の方向も決まっていたのでしょう(ですから、流出元は妻ではないかと疑われるわけです)
 
ベッキーはこれまで恋愛の話がまったくありませんでした。これは30歳をすぎた女性としてはかなり問題です。ですから、今回の恋愛話は、不倫とはいえ、祝福されてもいいぐらいです。
 
「センテンススプリング」とか「レッツポジティブ」といった言葉もやり玉に挙げられていますが、2人のプライベートなやり取りを公の場に引き出して笑いものにするというのは、笑いものにする人の人間性が疑われます。
不正な手口でプライベートなやり取りが流出したのだとすれば、なおさらです。

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