村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

2016年05月

舛添要一都知事に対する批判がまだ続いていて、よくネタが尽きないものだと感心します。
今は「ケチ」とか「下品」とか、知事として仕事をする能力や資質とは関係のない批判になっています。
要するに、なんでもいいから批判したい人がいっぱいいて、メディアもそれに対応しているのです。
よくも悪くもそういう時代です。
 
ただ、朝日新聞は相変わらず独自路線です。逆に批判するべきを批判しません。そのため妙にわかりにくい記事になったりします。
 
 
(政治断簡)こすれ合って、成り立っている 政治部次長・高橋純子
 
摩擦がなければ、机の上の物は滑り落ち、紐(ひも)は結べず、人は歩けず、車も進まない。しかし摩擦が大きければ、スケートは滑らず、車輪は回転しない。(「ブリタニカ国際大百科事典」)
 
 なんの気なしに「摩擦」を引いたら、深遠なる世界の一端に触れてしまった。美しい詩の一節のようではないか。やるな、ブリタニカ。
 
 大きな摩擦は困る。だが、なければいいというものでもない。そんなことを考えたのは、駅ビルの中の飲食店が看板の脇に貼っていた「WAR IS OVER!(戦争は終わった)」のポスターに、「政治的過ぎる」とのクレームがついたと聞いたからだ。
 
    *
 
 東京・JR新宿駅東口改札を出て48歩、ルミネエスト地下1階にカフェ「ベルク」はある。天然酵母パンのトースト、ポテトサラダ、コーン、ゆで卵(半熟卵も可)にコーヒーの「モーニング」は税込み410円。カウンターで立食しているサラリーマン、朝からワインでゴキゲンな女性客らで15坪の店は満杯だ。
 
 クレームが入ったのは5月初旬。ルミネに直接申し入れがあったという。店長の井野朋也さん(55)は、「店に言ってくれればいいのに」。
 
 火がつく。ブレーキがかかる。身体が温まる。何かと何かがこすれ合って生まれる、エネルギー。クレームは拒否するしかない。でも相対すれば、「何か」が生まれたかもしれない。ツイッターでクレームを公表した。みんなに考えてほしかった。
 
    *
 
 井野さんは2014年6月末、安倍首相のツイッターにメッセージを送った。「はじめまして。井野碩哉の孫の井野朋也と申します。祖父の臨終の際、岸さんはわざわざいらっしゃって祖父の手を握りしめて下さいました」
 
 井野碩哉(ひろや)。東条内閣の農林相で、A級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに拘禁。第2次岸信介内閣で法相に就く。
 
 「祖父の自伝によれば、東條英機を総理に担いだのは、総理になれば様々な立場の意見に耳を傾けなければならないから、戦争に突っ走らないだろうという狙いがあったそうです。その狙いは裏目に出ました」「総理、明日、私は官邸前での集団的自衛権行使可能の閣議決定への抗議行動に参加します。日本の進むべき道、私たちの命運を勝手に決めないで頂きたいのです」
 
 安倍首相はつるんとしている。政治手法は強権的だが、相手と組み合うのではなく、ものすごいスピードで勝手にコロコロッと転がってゆく。こすれないからいつもピカピカ。それが首相の魅力であり、政治家としての欠点でもある。ならば対峙(たいじ)する側が、摩擦係数を高めていくしかない。さて、いかにして。
 
 「WAR IS OVER!」。その下には、小さくこう添えられている。「IF YOU WANT IT(きみがそう望むなら)」
 
 自分が真に何を望むか見定める。それと誰かの望みがこすれ合う。快も不快も痛みもある。でもそうやって成り立っているのだ、この世界は。
 
 
「ベルク」というカフェには私も何度か行ったことがあります。
私にとっては、ちょいと立ち寄ってビールを一杯飲むのに都合のいい店です。
 
新宿駅東口の駅ビルの中にある名物店です。昔ここは「マイシティ」といって、地下に安いスーパーマーケットや惣菜屋のある庶民的な駅ビルでしたが、「ルミネエスト」と名前を変え、おしゃれなファッション店中心の駅ビルに生まれ変わりました。そのときベルクも追い出されそうになり、ルミネ側とバトルを演じて、存続が決定したといういきさつがあります。
 
そのバトルのいきさつはウィキペディアでも読めます。
 
ビア&カフェBERG
 
朝日新聞の記事は、書き出しがなかなかたくみですし、ベルク店長の祖父が東条内閣と岸内閣で閣僚を務めた人物だったという事実にも興味がわきますし、店に貼っていた「WAR IS OVER!(戦争は終わった)」のポスターにクレームがついたということも放っておけない問題ですから、なかなかいい記事ではあります。
ただ、「摩擦」を中心にまとめたためにわかりにくくなっています。
そもそも「安倍首相はつるんとしている」とか「こすれないからいつもピカピカ」という認識はどうなのでしょう。こすれないのはマスコミが安倍首相との摩擦を避けているからではないでしょうか。
 
そして、この記事も摩擦を避けています。
 
この記事が焦点を当てるべきは、ベルク店長の側ではなく、ポスターが政治的だとクレームをつけてきた人間と、そのクレームに対応したルミネの側です。
 
「WAR IS OVER!」のポスターが政治的だとクレームをつけてきたのはどんな人間でしょうか。
 
政治的だとクレームをつける行為がすでに政治的です。つまりこの人間は矛盾したことを言っているのです。
また、この人間は安倍政権支持ではないでしょうか。だったら、そういう立場からクレームをつけるべきです。そうすれば議論が成立します。自分の政治的立場を隠してクレームをつけるのは卑劣なやり方です。
 
ちなみに「放送法遵守を求める視聴者の会」なる団体も、明らかに政治的に偏向した団体であるのに、中立を装って活動するという卑劣なことをしています。

公共の施設ではない自分の店に政治的なポスターを貼るのは本来自由ですから、それにクレームをつけるのは間違っています。ただ、テナント契約の中にそうした制限のある場合があるので、このクレーマーはそこにつけ込んだのでしょう。これもまた卑劣なやり方です。
 
また、ルミネはクレームを受けて、右から左へ伝達しただけなのでしょうか。
ベルク店長は「店に言ってくれればいいのに」と言っているのですから、次に同じようなクレームがあった場合は、ルミネはクレーマーに「店に直接言ってくれ」と言うべきです。
そもそもルミネはクレーマーに対処するとき、テナントを守る姿勢があったのか、それともクレーマーに同調していたのか、それも知りたいところです。
 
このクレーム事件は、ルミネがふたたびベルクを追い出そうとするきっかけになるかもしれません。個性的な店がなくなるのは寂しいことです。
 
朝日新聞はこの記事において、「摩擦」なんていうへんなものを持ち出すより、単純に卑劣なクレーマーや、テナントに冷たいビルオーナーを批判するべきです。
正しい批判ですから、遠慮することはありません。
誰もが人を批判するネタを探している時代ですから、なおさらです。


【追記】
この記事を書いた高橋純子政治部次長は「だまってトレイをつまらせろ」という記事を書いた人でした。
あれはインパクトのあるいい記事でした。今回の記事では、詰まったトイレがふたたび流れ出しそうです。

オバマ大統領は5月27日、広島を訪れ、原爆資料館を視察したのち、17分間のスピーチをしました。謝罪の言葉はありませんでしたが、オバマ大統領ならではのよいスピーチだったと思います。
しかし、核廃絶への具体策があるわけではなく、言葉だけという印象は否めません。
 
オバマ大統領はアメリカの歴史においてきわめてすぐれた大統領だと思いますが、アメリカを大きく変えることはできません。
 
 
ところで、サミットが始まる少し前から、テロ警戒のために東京の街のいたるところに警官の姿を見かけます。ただ、警官は立ったり、歩いたりしているだけです。これは「見せる警備」というのだそうです。警官の姿を見せることがテロの抑止力になるということですが、本気のテロリストには通用するわけがなく、ほとんど気休めでしょう。
 
核廃絶もだいじですが、それよりもテロ廃絶のほうが現実的な課題です。

今回のサミットでも、一応テロ対策なるものが示されましたが、通り一遍のものです。
そもそもテロの原因は、サミット参加国の偏った価値観にあります。それに気づかないでテロ対策を講じてもうまくいきません。
 
サミットにはどんな国が参加しているのでしょうか。
GDP世界第2位の中国と第7位のインドは参加していません(ちなみにサミット参加国のカナダは第10)
なぜ参加できないのかというと、やはりキリスト教国ではないからでしょう。
サミット参加国でキリスト教国でないのは日本だけですが、日本はキリスト教国の価値観に異を唱えない国として認められているからかもしれません。つまり名誉白人みたいなものです。
 
一時ロシアも参加していましたが、クリミア併合が原因で今は排除されています。
ですから、冷戦時代の西側諸国がいまだに排他的に集まっている格好です。
 
サミットはキリスト教国の価値観に染まっているので、必然的に反イスラム主義になります。しかし、これはほとんど自覚されていません。
 
たとえばつい先日、アフガニスタンでタリバンの最高指導者がアメリカの空爆により殺害されました。この殺害がどのようにして行われたかを5月27日の朝日新聞が報じています。
 
 
対立のイランから入国か タリバーン指導者死亡
 
 米軍による空爆でパキスタン国内で死亡したアフガニスタンの反政府勢力タリバーンの最高指導者マンスール幹部は、同じ日にイランから入国していたとみられている。本人はアフガン人だが、パキスタンの旅券を持ち歩いていた疑いも持たれている。
 
 空爆は21日午後3時ごろ、パキスタン西部クエッタとイラン国境を結ぶ国道で起きた。大破した乗用車から見つかった2遺体のうち1体は、現場から約500キロ離れた国境の町タフタンのタクシー運転手と判明した。
 
 マンスール幹部とみられる別の1体について、アジズ外交担当首相顧問は26日、「遺体は本人で、偽の身分証を使って旅行中だった」と確認。イランから入国したとの見方を示した。
 
 タフタンのタクシー会社は朝日新聞の取材に、空爆を受けた車について「入国ゲート前の客引きから連絡があり、客を乗せるため、朝8時半ごろに差し向けた」と証言。マンスール幹部がイランから入国し、タクシーを利用したことを裏付ける。「マンスール幹部はパキスタンでは護衛をつけず、タクシーやバスを使うこともあった」とタリバーン関係者は振り返る。
(後略)
 
 
アメリカ軍はタクシー運転手もいっしょに殺害しています。このタクシー運転手はタリバンの協力者でもなんでもありません。
これはただの殺人です。
もしアメリカ国内で、警察が逃走するテロリストを殺害するためタクシー運転手もいっしょに殺したら、警察のやり方はおおいに批判されるはずです。
 
アフガニスタン人のイスラム教徒は殺してもまったく問題はないとされているわけです(朝日新聞の記事も問題とはしていません)
 
テロをするのはイスラム教徒ばかりですから、よくマスコミが普通のイスラム教徒の「テロリストとイスラム教徒をいっしょにしないでほしい」といった声を紹介します。つまり「テロリスト」と「普通のイスラム教徒」は別だというのです。
しかし、普通のイスラム教徒に「あなたはアメリカの中東政策を支持しますか」と聞けば、ほとんどの人は「反対」と答えるでしょう。
その反対の程度ややり方にいろいろあって、黙っている人、言論でやる人、テロでやる人がいるということです。テロリストは決して特別な存在ではありません。
 
サミット参加国の傲慢な反イスラム主義がテロの原因なのですから、それを認識することがテロ対策の第一歩です。
その認識がないと、「見せる警備」などという対策にもならない対策でお茶をにごすことになってしまいます。

オバマ大統領はベトナムを訪問し、5月23日、ベトナムへの武器禁輸を全面解除すると発表しました。
ベトナムは中国と同じく共産党一党支配の国です。冷戦時代のイデオロギーが無意味になったことを象徴するようなニュースです。
 
ベトナムは南沙諸島の領有で中国と争っており、日本と似た立場です。安倍政権はベトナムと軍事面でも連携し、今年4月にはカムラン湾に海自艦船が初寄港したりしています。
 
ベトナムは1979年に中国と中越戦争をしていますから、ベトナム人にとって国境を接する中国との戦争の可能性はかなり現実的なものではないかと思われます。
 
しかし、ベトナムはどこかの国と軍事同盟を結んでいるわけでもありませんし、ストックホルム国際平和研究所の2011年のデータによると軍事予算は24億ドルほどで、日本の545億ドルの20分の1ぐらいしかありません。
 
逆に言えば、日本は島国なのにベトナムの20倍もの軍事予算を出し、米軍も駐留させているわけです。
それでいて安倍政権は中国の軍事費増大などを指摘して、「我が国を取り巻く安全保障環境はいっそうきびしさを増している」ということを理由に集団的自衛権容認と安保法制を実現させました。
 
ベトナムは、中国が軍事力を増強しているからといって、中国に対して卑屈になることはありません。
日本は、中国に対してこそ卑屈にはなりませんが、守ってもらわなければいけないということで、アメリカに対して卑屈になっています。
 
また、日本人の多くは、日本はアメリカの“核の傘”がなければ生きていけないと思っています。
しかし、ベトナムは“核の傘”がなくても中越戦争を戦い、中国を撃退しましたし、今も“核の傘”がなくても中国と領土問題で対立しています。
 
考えてみれば、ベトナムに限らず、世界のほとんどの国は“核の傘”に守られていません。
 
どうやら日本人は、安倍政権も含めて、異様な戦争恐怖症に陥っているのではないでしょうか。
いや、戦争恐怖症ではなくて自立恐怖症かもしれません。
 
問題は、今後です。
トランプ大統領が出現して、日本に米軍駐留費の全額負担を求めてきたとき、日本は“核の傘”がなければ生きていけないとか、日米同盟をやめると日本は何十兆円も防衛費が必要になるとか思っていると、アメリカの言いなりになるしかありません。
そんなときにはベトナムを見て、自立心を学びたいものです。


舛添要一東京都知事へのバッシングがますます激しくなっています。
こういうときこそ冷静に、広い視野でものごとを見たいものです。
 
最初、舛添都知事の海外出張費が高額だということが批判されました。しかし、猪瀬知事や石原知事の時代の出張費と比較しての批判ではありません。石原知事なども十分に高額な出張費を使っていそうです。あるいは、ほかの府県の知事はファーストクラスを使っているのかいないのかということもわかりません。
公用車の問題も、「ほかの知事はこんな使い方をしているのに、舛添知事の使い方はひどい」という批判ではありません(東国原氏や橋下徹氏は自分の公用車の使い方と比較して語っていましたが)
 
私の感想としては、「ほかの知事のことを知らないでは批判のしようがない」というものでした。
公私混同など、ほかの知事や議員もやっているはずです。
 
橋下徹氏は舛添知事を批判しつつ、より広い視野からの批判もしていました。
 
 
橋下徹「舛添さんばかりを追及するのは報道機関の怠慢だ!」

舛添さんのことばかり話題になっているけど、他はどうなっているのかの調査報道が弱い。これがまた日本の報道の弱さ。
 
だいたい舛添さんの公用車利用や出張費の高さについて、東京都庁記者クラブは何してやがったんだ? 記者クラブ解散だよ。
 
週刊文春の記者に特別席を用意してやれよ。週刊文春は個人的には大嫌いだけど、今、権力監視ができるのは文春、新潮ぐらいじゃないか。産経がやっと他の知事にアンケートをした模様。
 
ほら見てよ、愛知県知事をはじめ何人かがファーストクラス乗ってるじゃない。これらの知事は、毎日眠れないだろうね。こうやって権力者の行為が正される。公用車利用状況だってもっと調査報道しないと。
 
それとなんといっても政治資金の使い方。国会議員はもっとでたらめだって。週刊文春の今回の調査くらいのことをしたら、どんどん出てくるよ。
 
そして最後は、文書通信交通滞在費。今回、舛添さんが叩かれているのは、領収書等を付けて報告書に載せていたから。でも文書通信交通滞在費は領収書を一切つけなくていい。
 
おおさか維新の会は領収書をホームページで公開しているけど、自民党の谷垣さんは、適切に使っているから領収書を付ける必要はない! と言い切っていた。民進党も沈黙。適切に使っているなら領収書を付けても問題ないでしょ!!
 
国会議員全員が適切に使っているわけがない。舛添さんが家族旅行で批判を受けていることも国会議員当時のことでしょ。新聞テレビももっと国会議員を追及しろよな。
 
これができないのは記者クラブのせい。文春、新潮の記者に特別席を与えろ。ただし、僕は文春、新潮は大嫌いだけどね。
 
舛添さん批判と同じくらいのエネルギーで、国会議員の文書通信交通滞在費を批判しろ!
 
 
バイト店員や不倫の芸能人を批判することにほとんど意味はありませんが、舛添知事は権力者ですから、批判する意味はあります。
しかし、権力者はほかにもいます。舛添知事を批判することがほかの権力者の利益になる可能性も考えなければなりません。
 
今後、都政においてもっとも重要な問題は、東京オリンピックの経費をいかに削減するかではないかと思います。経費をふくらませたい利権屋がいっぱいいるので、それと戦わなければなりません。
舛添知事がその問題にどういうスタンスかわかりませんが、あまり利権のしがらみはなさそうですし、安倍政権も平気で批判する人ですから、かなり期待できるのではないでしょうか。
最悪なのは、舛添知事が辞職して、官僚出身などの知事に替わってしまうことです。
今の舛添知事批判も、背後に利権屋の陰謀があるのではないかという気がしています。
 
舛添知事にももちろん批判されるべきところはありますが、今は舛添知事に強烈なスポットライトが当たって、ほかの政治家が見えなくなっています。
そのためモグラたたきで、ほかの穴からもモグラが頭を出しているのに、ひとつの穴のモグラばかりをたたき続けているような状態です。
 
もうちょっと広い視野でとらえたいものです。

長野県は47都道府県で唯一、淫行条例(淫行処罰規定)のない県ですが、ここにきて長野県は条例制定に向けて動き出したということです。
しかし、長野県に先駆けて淫行条例を制定した東京都を見ていると、条例制定の意味はほとんどないといえます。
 
淫行条例というのは、18歳未満の子どもに対してみだらな行為をしたおとなを罰するというものですが、条例が成立すると、おとなを罰するよりも、もっぱら少女を補導し、取り締まるために使われます。
 
たとえば次は、「THE PAGE」の『唯一の非条例県 長野県が「淫行条例」制定にかじを切った背景とは』という記事からの引用です。
 
 
 長野県では歴代知事が条例によらない県民運動方式を尊重してきましたが、ここへ来て阿部知事が条例化に大きく舵(かじ)を切ったのはなぜか。県は、インターネットが広がったことなどで青少年が性被害に巻き込まれるおそれが大きくなっていることなどを挙げています。
 
 また、県警が把握した過去2年間のケースとして、大人に誘われたり脅されるなどして性行為に応じた青少年が17件、20人に上り、これらは現行法では摘発できなかったことなども参考例としてこれまでの有識者などの検討会議などに提示。条例制定への地ならしにしてきた経過もあります。
 
 
淫行のケースが17件、20人と書かれていますが、これは被害者側の子どもの数です。加害者側のおとなの数は書いてありません。おとなよりも子どものほうにフォーカスがいっているのです。
「大人に誘われたり脅されるなどして性行為に応じた青少年が17件、20人に上り、これらは現行法では摘発できなかった」という文章も、おとなを取り締まったり罰したりするよりも、青少年を摘発したいという思いが表れています。
 
 
次の記事は、青少年が被害者となった犯罪のデータを紹介する記事ですが、やはり加害者のことが書いてありません。
 
 
交流サイトで被害の18歳未満、最多1652人 警察庁
 インターネットで見知らぬ人と交流できる「コミュニティーサイト」を利用して、昨年事件に巻き込まれた18歳未満の少年・少女は1652人で、前年より231人多く、記録が残る2008年以降で最多だった。有害サイトへのアクセスを制限する「フィルタリング機能」を利用しなかったケースが目立った。警察庁が14日発表した。
 
 被害者の96%は女子。年齢別では、16歳451人▽17歳386人▽15歳315人▽14歳274人――と、14~17歳が86%を占めた。13歳以下は226人で、10歳の少女も4人被害に遭っていた。
 
 サイトへのアクセス手段はスマートフォンが1427人で86%。3年で約9倍になった。フィルタリング機能の利用の有無が確認できた764人のうち、95%は使っていなかったという。
 
 ログイン前の続き事件の罪種別では、淫行などの青少年保護育成条例違反が最多の699人で、裸の写真の撮影など児童ポルノ関連が507人、児童買春が359人だった。
 
 凶悪事件に巻き込まれたケースもあった。横浜市では昨年9月、無職の男(36)がコミュニティーサイトで知り合った少女(当時16)の首を絞めて窒息死させたとして殺人容疑で逮捕された。このほか、強姦(ごうかん)が19人、略取・誘拐と強制わいせつが各9人、強盗が1人だった。
 
 一方、出会い系サイトを利用して事件の被害にあった少年・少女は前年より59人少ない93人だった。08年の法改正でサイトの運営が届け出制になり、利用者の年齢確認が厳格化されるなどしてから減少傾向だ。(八木拓郎)
 
 
青少年の被害者についての記事だといってしまえばそれまでですが、犯罪対策をするなら加害者についてのデータのほうがたいせつです。とくにこの場合、憎むべき“少女の敵”とでもいうべき犯罪者ですから、なおさらです。

「淫行などの青少年保護育成条例違反が最多の699人で」というのも不思議な文章です。加害者であるおとなのことが書かれていないので、被害者である少年少女が悪いことをしたみたいです。
 
それからこの記事は、「昨年事件に巻き込まれた18歳未満の少年・少女」「凶悪事件に巻き込まれたケース」というように「事件に巻き込まれた」という言葉づかいをしていますが、これは日本語として間違っています。
「アメリカの戦争に巻き込まれる」とか「暴力団同士の抗争に巻き込まれる」というように、向こうに加害の意図がないのにこちらが被害にあってしまうときに「巻き込まれる」という言葉を使います。
この記事の場合、明らかに加害者は少年・少女を狙って犯罪をしているのです。とくに「首を絞めて窒息死させた」とか「強姦」といった事件にまで「巻き込まれた」という言葉を使うのは犯罪的ですらあります。
昔、幼女に対する性犯罪を“いたずら”と表現していましたが、それに近いものがあります。
 
どうしてこのようになるのでしょうか。
それは、淫行の犯人が中年オヤジであると単純化していえば、警察もマスコミも中年オヤジが支配しているので、中年オヤジ同士がかばい合うからです。
そのため淫行条例をつくっても、犯人追及はそっちのけで、少女に対する補導にばかり力が入ってしまいます。
 
東京都では淫行条例をつくってから、ガングロやルーズソックスやブルセラなどで話題を提供していたコギャルが一掃され、日本はますます元気がなくなりました。
長野県も、淫行条例をつくってもろくなことはないと思われます。

私は前回の「日本はオバマ大統領に謝罪を求めよ」という記事で、核の先制使用を否定しないアメリカが核廃絶を主張するのは信用できないと書きましたが、どうやら日本ではアメリカの主張する核廃絶はすばらしいことと受け止められているようです。
安倍首相もオバマ大統領が広島を訪問することについて、「被爆の実相に触れ、その時の気持ちを世界に発信することは、『核のない世界』を実現する大きな力になる」と語っています。
 
しかし、ちょうどこの時期に国連で核軍縮について話し合いが行われていたのでした。その議論を知れば、やはりアメリカの主張は欺瞞であることがよくわかります。
 
 
核なき世界、多難の現実 日本は不賛同、米などボイコット 「禁止」議論、国連部会終了

 スイスで開かれてきた国連の核軍縮作業部会が13日、核兵器の禁止を巡って、意見が対立したまま今会期を終えた。オバマ米大統領の広島訪問が近づいているが、世界では、核兵器を法的に禁止すべきだという国々と、段階的に減らすべきだという核保有国や日本などとの亀裂が深まる。
 
 「(日本の意見が)適切に反映されていないのは遺憾」「核兵器保有国の参加がなければならない」
 
 2日からの今会期の冒頭、佐野利男軍縮大使は、作業部会議長のタイの大使が示した議論のたたき台に強い口調で注文をつけた。
 
 焦点は、メキシコなどの非核保有国グループが求める核兵器を法的に禁止する措置だ。核兵器禁止条約を念頭に置く。一方、反対する核保有国は会議をボイコット。日本を含め、米国の「核の傘」の下にある国々も反対や不賛同の立場だ。
 
 日本は、北朝鮮の核実験など周囲の厳しい安全保障環境を理由に挙げ、米国の核抑止力を否定しうる即時の核兵器禁止に反対の立場を表明。ロシアによるクリミア併合を受け、東欧のNATO(北大西洋条約機構)加盟国も「我々の生存がかかっている」(ポーランド)と同調した。
 
 日本などが共同提案するのは、「進歩的アプローチ」と名付けた、安全保障の側面を重視しながら徐々に核廃絶を進める手法だ。しかし、時期目標はなく、メキシコの大使は会期終盤に入った10日、「何も新しいものはない」と切って捨てた。一方、佐野大使は「核兵器の法的禁止について意見を集約する見込みはほとんどなさそうだ」と反発し、平行線となった。
 
 作業部会は8月に再度開かれ、秋の国連総会に提出する勧告をまとめる。メキシコなどは、この勧告に「2017年に核兵器禁止の法的措置を交渉する会議を開くこと」を盛り込むよう要求。作業部会に参加した約100の国々の大半が賛同する可能性がある。
 
 「進歩的アプローチ」は日本など「核の傘」の下にある国々を中心に二十数カ国程度の賛同にとどまる見通し。日本政府は、勧告の採決方法を、全会一致にすることを求めている。(ジュネーブ=松尾一郎)
 
 
要するに核兵器を法的に禁止しようという多数の国々に対して、アメリカや日本などが反対しているのです。
「進歩的アプローチ」などというインチキくさい名前をつけて、時期目標もないというのでは、核廃絶は言葉だけと言われてもしかたありません。
 
ちなみに核兵器の法的禁止というのは、すでに国連に提案されている核兵器禁止条約のことです。これには核保有国の中国、北朝鮮、インド、パキスタンも賛成しているのですが、日本は棄権しています。
ほかにも世界では核兵器禁止や核軍縮についてさまざまな取り組みが行われていますが、日本はアメリカに追随しているために、あまり熱心ではありません。
そうしたことは、日本反核法律家協会理事である宮武嶺氏のブログで知りました。
 
中国・北朝鮮が賛成している核兵器禁止条約に反対する日本に広島・長崎への訪問を呼び掛ける資格はない
 
 
日本は「世界で唯一の被爆国」をアピールしながら、核軍縮には熱心でないという欺瞞性を持っています。
 
こうした中でオバマ大統領が広島を訪れ、なんらかのコメントを出し、それに対して安倍首相がなんらかの反応をするわけです。
日本の欺瞞性を世界に発信することになるかもしれません。
 

オバマ大統領がサミットのついでに広島を訪問することが決まりましたが、原爆投下についての謝罪はしないということです。
これでは無意味というしかありません。安倍首相がアーリントン墓地やヴェルダンの墓地を訪問して献花することが無意味なのと同じです。
 
いや、無意味だけではすみません。アメリカではいまだに原爆投下は正しかったという考えが支配的です。日本政府が謝罪なしの広島訪問を受け入れたということは、原爆投下正当論を受け入れたと誤解されかねません。
 
ただ、日本政府が「謝罪」を要求すると、パールハーバーはどうなのだという議論になります。宣戦布告のあるなしに関わらず、先制攻撃はパリ不戦条約違反です。
日本は東京裁判で裁かれたので、法的には終わっているわけですが、「法的に裁かれたから謝罪しない」というのは傲慢な犯人の態度です。罪を認めるなら謝罪するのは当然です。
 
なにも首相がパールハーバーまで出向く必要はありません。安倍首相は米議会で演説したのですから、そのとき先制攻撃の非を認めて、謝罪しておけばよかったのです。
アメリカに対して一度も謝罪しなくて、日米の信頼関係を語る安倍首相の頭の中が不思議です。
 
 
多くの日本人は、謝罪なしでもオバマ大統領の広島訪問を歓迎しているようです。アメリカの大統領が犠牲者を追悼してくれるだけでうれしいのでしょうか。
 
朝日新聞などは、これを契機に「核なき世界」の理想へと向かっていこうということで評価しています。
しかし、私は核廃絶がいいことだとはとても思えません。「核廃絶」ということは裏を返せば「戦争温存」だからです。
 
それに、核廃絶を主張しているのがアメリカの大統領だという点で信用できません。
アメリカは核の先制使用を否定していません(北朝鮮ですら先制使用は否定しています)。オバマ大統領はまず核の先制使用を否定してから核廃絶を語るべきです。
 
もし「核なき世界」が実現したら、通常兵器でいちばん強いアメリカが断然有利になります。北朝鮮なんか簡単にやられてしまいますから、北朝鮮が核を手離すわけがありません。
 
私の考えでは、「核廃絶」のような中途半端なことをするより「戦争廃絶」を目指すほうが現実的です。
ただ、それはアメリカ主導ではなく国連主導でやらなければなりません。もともと国連はそのために設立されたのです。
 
アメリカは国連を軽視して、勝手に戦争をして、世界を混乱に陥れてきました。
日本がアメリカに原爆投下の謝罪を求めることは、世界を正しい方向に導く一歩でもあります。

保育園をつくろうとすると、「子どもの声がうるさい」という苦情がくる日本ですが、もちろん保育園だけの問題ではありません。たとえば電車の中で子どもが泣いたりすると、子どもを連れている母親が周囲の冷たい視線にさらされます。
要するに子どもはおとなに迷惑をかけてはならないし、親は子どもをしっかりと管理したりしつけしたりしなければならないというのが今の社会の価値観です。
 
こういう社会では親に大きな負担がかかります。これも少子化の原因になっているに違いありません。
 
こういう社会が当たり前だと思うと大きな間違いです。
たとえばお隣の中国はこんな具合です。
 
 
中国の子育て 大声で走り回るなども温かく見守られる理由とは
 
現役ママが「子育てしづらい環境」と語る人が多い、わが国の子育て事情。海外ではどうなっているのだろうか? 大気汚染や食への不安など、住みづらそうな中国も実は、一人っ子政策のもと、子育て天国だと語ってくれたのは、中国・北京在住のジャーナリスト相田美奈子さん(仮名)。
 
 「妊婦さんは、100%電車で席を譲ってもらえますし、バスでは譲らないと、切符売りの人が、『そこの若い人、ちょっと立って。ありがとうね』と強制的に世話をしてくれるほど。それは10才以下の子供を連れた親子連れにも同じことがいえ、子供に席を譲るのは、老人以外のすべての大人に求められるエチケットとなっています」(相田さん)
 
  さらに、公共の場で大声で走り回る、ベビーカーで電車に乗り込むなどに関しても、やりたい放題。それでも周りは温かく見守り、サポートをしてくれる。なぜそこまで大切にされるかは、社会事情によるところが大きいという。
 
 「福利厚生が発達していない中国では、年金の恩恵を受けられる層はごくわずかですから、老後に安心感を持っている人は、ほとんどいません。
 
  雇用形態が不安定なので、大卒でもよく失業しますし、40才過ぎたら職業人生が終わり、雇ってくれるところがない、なんてことも。   
 
  そこで、最大の保険が子供なんです。社会全体が、若い世代の育成を、自らの『年金』だと思って、労力を投資しているようなところがあるのだと思います」(相田さん)
 
 ※女性セブン20141120日号
 
 
中国は子どもに寛容な社会であるようです。日本とは対照的です。
 
いや、昔の日本も今の中国と同じように子どもに寛容な社会でした。
中江和恵著「江戸の子育て」という本にそのことが書かれていたので、このブログで紹介したことがあります。
 
江戸の子育て
 
おそらくアジアはみな同じような感じだったのでしょう。
むしろ欧米が子どもにきびしい特殊な社会なのだと思います。
日本は過剰に欧米化してしまったのです。
 
上の記事では、中国の社会が子どもに寛容なのは年金制度が不備だからだと書かれていますが、こんなおかしな理屈はありません。親が子どもに老後の世話をしてもらおうと思っているなら、自分の子どもだけたいせつにするはずです。
 
日本人は「子どもに寛容な社会」というのが当たり前のことに思えなくなって、むりやり「年金」みたいな理屈をくっつけたようです。
 
「子どもに不寛容な社会」では、親に負担がかかるだけではなく、子どもも不寛容になって、その子が将来はヘイトスピーチをしたりするようになるのではないでしょうか。

米共和党の大統領候補がトランプ氏に決まり、本番はトランプ対クリントンという構図になるようです。
今のところクリントン氏が有利と言われていますが、トランプ氏はずっとすぐに失速すると言われながら、逆に次々とライバル候補をたたきのめしてのし上がってきました。クリントン氏との対決でも、たとえばテレビ討論などで相手をボコボコにして優勢になるということがあるかもしれません。
 
テレビとインターネットの発達で、政治のあり方は大きく変わりました。
おそらく日露戦争や二次大戦のころは、政治家は自分の発言が新聞に載ったときのことを考えて発言していたのではないでしょうか。
テレビの影響力が言われたのは、1960年にケネディとニクソンが初めて大統領選でテレビ討論を行ったときです。これでケネディの人気が高まったとされますが、このときは顔色や服装や若さなど、もっぱら視覚的な要素のたいせつさが言われました(討論をラジオで聞いた人はニクソンのほうを評価したそうです)
 
今はテレビ討論がひんぱんに行われるようになり、インターネットでの論争も行われています。
そうなると、その場で相手を言い負かすということがひじょうに重要になります。
 
これはディベートとは違うものだと思います。ディベートは事実に基づくことや論理を第三者が評価して勝敗を決めますが、政治家のテレビ討論というのは、その場で相手をやりこめて、「勝った」ということを視聴者に印象づければいいわけです。極端な話、間違った事実を持ち出して相手をやり込めてもいいわけですし、暴言で相手を混乱させてもいいわけです。
トランプ氏はそれが巧みです。クリントン氏にとってもむずかしい相手でしょう。
 
 
トランプ氏はまともな交渉力も持っています。

日本や韓国に米軍駐留経費の全額負担を要求していますが、それを実現するためのカードも用意しています。
費用を負担しないのなら米軍を撤退させるというのです。
 
ちなみに日本の核武装容認論もカードのひとつとして出されたものです。
トランプ氏は3月26日のニューヨークタイムズに掲載されたインタビューで、日本が駐留経費の大幅増額を拒否した場合は米軍を撤退させるのかと質問されると、「イエス」と答えました。そして、米軍撤退が日本の核武装につながってもいいのかと質問され、このとき日本の核武装容認発言をしました。
もしこのときトランプ氏が日本の核武装は許せないと言ったら、今度は日本が交渉の有力なカードを持つことになります。そうさせないために核武装容認発言をしたのでしょう。
 
トランプ氏はCNNの5月4日のインタビューでも、日本に米軍駐留経費の全額負担を求めると語り、同時に日本の核武装についても「覚悟はできている」と語っています。
 
これは実際に日本の核武装を認めるということではないと思います。日本が実際にやろうとすると、陰に陽に強烈な反対を受けるでしょう。要は日本に交渉のカードを持たせないために言っているのです。
 
こうした交渉術はビジネスマンとしての経験からもきているのでしょう。
 
一方、安倍首相はというと、まったく交渉力はなさそうです。
安倍首相はこんなことを語っています。
 
 
トランプ氏米軍撤退発言に安倍首相「米軍が不要となる状況は考えられない」 米紙インタビュー
 
【ニューヨーク=黒沢潤】安倍晋三首相は、米大統領選の共和党候補指名争いで先行する不動産王、ドナルド・トランプ氏が在日米軍撤退の可能性に言及したことに関し、「予見できる将来、米国の存在が不必要となる状況は考えられない」と強調した。5日掲載された米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)とのインタビュー記事で述べた。安倍首相はまた、日米同盟の強化で「抑止力を強化でき、日本のみならず地域の平和と安定にも寄与する」と語った。
 
 安倍首相は、中国に南シナ海への進出をやめるよう呼びかけ、5月の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)について、「あからさまな愛国主義」に対抗する指導力を国際社会に見せつける場になると指摘した。
 
 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)については「参加国は大きな利益を上げ、成長の機会も得られる」と改めて強調した。
 
 
トランプ氏を相手に「米国の存在が必要」とか「日米同盟の強化」とか言ったら、とことん足元を見られます。
 
また、トランプ氏は中国に対して、対中貿易赤字や為替操作で批判していますが、軍事的なことではほとんど発言していません。南沙諸島のことなどまったく興味がなさそうです。軍事的ライバルではなく経済的ライバルという位置づけなのでしょう。
したがって、トランプ氏にとって日米安保もほとんど価値がなく、米軍撤退も平気で口にできるわけです。
 
トランプ氏と安倍首相を比べると、トランプ氏のほうがまともに思えてきます。
少なくともトランプ氏の言いたいことは明白ですが、安倍首相がなにを目指しているのかよくわかりません。

千葉県市川市で開園予定だった保育園が「子どもの声がうるさい」などの理由で開園断念に追い込まれてから、子どもの騒音問題が議論になっています。
 
そもそも子どもの立てる音は騒音なのかということがあります。
 
「自然音」という概念があります。風の音、川のせせらぎ、小鳥のさえずりなどです。
人は自然音を騒音とは感じません。騒音は不快ですが、自然音には逆にやすらぎを感じます。職場のBGMに自然音を使うと作業能率が上がるという話もあります。
暴風雨の音にやすらぎは感じないでしょうが、受け入れるしかないので、不快とは感じません。
 
一方、人の立てる音は「生活音」または「生活騒音」と言い、概して不快なものとされます。
ただ、自分が好感を持っている人の立てる音はそう不快ではなく、自分の嫌いな人の立てる音は不快だということがあります。つまり心理的な要素もあるのです。
 
では、子どもの立てる音はどうかというと、子どもはおとなよりも自然に近い存在です。子どもの遊ぶ声は小鳥のさえずりみたいなものだと思えば、これは自然音になります。
しかし、子ども嫌いの人にとっては、子どもの遊ぶ声は不快でしょう。
 
「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」と「梁塵秘抄」にあるように、昔の日本人は子どもの遊ぶ声を聞くと、自分の子ども時代を思い出して、共感していました。
しかし、今の日本人は違います。騒音と感じる人がふえています。
子どものころ、遊んでいると「静かにしなさい」などと叱られた人が多いからではないかと思われます。
 
私はこれまで何回か引っ越ししてきましたが、家の周りで子どもの遊ぶ声を不快に思ったことはありません。それよりも、子どもを叱る母親の声を不快に思ったことは何度かあります。子どもを叱る母親はほとんど毎日のように叱るので、この不快感はかなりのものです。
 
子どもの遊ぶ声を騒音と思うおとなのほうが問題だ――と言いたいところですが、自分が保育園や幼稚園の近所に住んでいたら、きっと騒音と思うだろうなという気がしています。
 
考えてみれば、保育園や幼稚園に子どもを集めるというのが自然な状態ではないのです。
工場と同じで、効率よく子どもを“生産”しようというシステムです(学校も同じです)
子どもが広く薄く地域に存在していた昔とは違います。
 
近代社会は「おとなと子どもの共生」ということを放棄しました。子どもの騒音問題というのは、その帰結です。
 
とはいえ、とりあえずなにか対策をしなければなりません。
テレビを見ていたら、ある保育園では子どもに、「遊ぶときに大きな声を出さないように」と言い聞かせていましたが、これは最悪の対応です。子どもの発達に悪影響があるに決まっています。
 
最近、老人ホームと保育園を併設した施設がつくられ、老人にも喜ばれているということが報道されています。
「おとなと子どもの共生」ということは、おとなにもメリットがあるのです。
 
今の保育園は防音設備などをして、周辺との隔離を強める方向にあるようですが、この方向では少子化がさらに進んでしまいます。
保育園に周辺の住民を招き入れ、子どもとふれ合ってもらうとか、保育園の設置基準を改めて、もっと小さい保育園をいっぱいつくるとか、職場に保育園を併設するとか、そういう方向で解決するしかないと思います。

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