熊本地震の余震が続く中でも川内原発が稼働を続けたことは、原発安全神話が完全に復活したことを示しましたし、安倍政権の危機管理能力のなさも示しました。
 
このとき原発賛成派はなにをしていたでしょうか。
「週刊新潮」は原発賛成記事をよく載せていますが、その電子版がこんな記事を配信しました。
 
 
今回の地震は織り込み済み 「川内原発停止」を叫ぶ民進、共産、福島瑞穂の見識
デイリー新潮 428()510分配信
 
 人は、見たいと欲する現実しか目にしないと俗に言う。理想に燃える野党の政治家は、大地震に乗じ、現実離れの「川内原発停止」を唱えるばかり。野党と脱原発、その陳腐な取り合わせの見識を問う。
 
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  鹿児島県薩摩川内市にある川内原発。2年余に亘る原子力規制委員会による厳格な審査を通過し、昨年8月から1号機が、10月に2号機が再稼働を始めた。国内で唯一運転中のこの原発に対し、民進党や共産党は、
 
 「九州地方の皆さんが大変不安に思っている」
 
  などと、政府に「川内原発停止」を申し入れ、社民党の福島瑞穂副党首は、
 
 「更なる被害が起きないように原発は止めるべき」
 
  とツイッターで表明している。では、原子力の専門家はどう答えるか。
 
 「川内だけでなく伊方(愛媛県)も玄海(佐賀県)も、原発付近の活断層については活動を想定して耐震の計算をしている」
 
  と話すのは、北海道大学大学院の奈良林直教授。
 
 「もちろん、川内原発の近くの断層が全部連動することまで考慮しています。つまり、今回の地震は規制委からすれば織り込み済み。活断層に結び付けて川内原発が危ないというのは、科学的ではありません」
 
  とし、こう継ぐ。
 
 「規制委により137月に施行された新規制基準は、福島のような惨状を二度と起こすまいと世界中の事例を参考に作られています。地震対策のみならず津波や竜巻、地滑りに火山灰なども勘案しているんです」
 
  東大大学院の岡本孝司教授が後を受けて、
 
 「家屋やビルというものは、岩盤に積もった堆積土の上に建てられる。が、川内原発はその堆積土を掘り返して、岩盤の上に直接建てられている。揺れが遥かに小さくなるからです」
 
  16日未明に起きた本震の「地震動」は川内原発補助建屋1階で126ガルだった。
 
 「川内原発は260ガルで自動停止しますが、2000ガル程度の揺れが来ても耐えられるほど余裕がある設計。ですので今回の場合は、石ころが当たったようなもので安全性への影響は全くありません」
 
  と続けた岡本氏が、野党の不見識をこう喝破する。
 
 「事実や正しい知見を調べようともしない。思想信条に合わせ、有りもしないことを言って国民の不安を煽っているだけです」
 
  見たくない現実にも目を向ける日はいつか。
 
 「ワイド特集 『熊本地震』瓦礫に咲く花」より
 
 
専門家の「原発は安全だ」という意見も載せていますが、どうせ原子力村の専門家の言うことですから、信じる人はほとんどいないでしょう。記事の主旨は民進党、共産党、福島瑞穂氏らを批判することです。
世の中にはつねに誰かを批判したい人がいっぱいいますから、この記事はそのような人に受けるでしょう。
もし記事の主旨が「原発は安全だ」と主張するものであれば、逆に「原子力村のインチキ専門家の説を垂れ流すな」などと批判されてしまいます。
 
原発賛成派はこのように巧妙な記事づくりをしていますが、では、原発反対派のほうはどうでしょうか。
 
朝日新聞は反原発を主張する代表的なメディアです。
4月26日はチェルノブイリ事故から30年でした。その日に合わせて天声人語がこんなことを書いています。
 
 
(天声人語)あるフォークグループの後悔
山形県長井市のアマチュアフォークグループ「影法師」が原発のことを歌い始めたのは、チェルノブイリの事故で浮かんだ疑問からだった。あの国では広大な土地が立ち入り禁止になった。これが日本なら逃げる所はあるのだろうか▼ベースの青木文雄さんはすぐ、こんな詞を書いた。〈汚染が日本中溢(あふ)れたら/いったいどこへ行くのだろう〉。地方にゴミを押しつける都会を批判する歌をつくったときにも、原発に触れた。〈原発みたいな/危ないものは/全てこっちに/押しつけといて……割り合わないね/東北というのは〉▼しばらくして仙台のテレビ局で歌う機会があった。本番前に、局の担当者が駆け寄ってきて言った。立地県のことを考えて、原発の部分だけ遠慮してもらえないでしょうか――。東日本大震災の10年ほど前のことだ▼「情けなかったのは、それを受け入れてしまったこっちの方なんです」と、バンジョーの遠藤孝太郎さんは言う。「福島の事故が起きて最初に思いました。歌っていながらこんな事態を招いてしまった。ちゃんとメッセージを届けられていたのかと」▼後悔と自責。それは、歌うことで何かを変えられるかもしれないと信じる人たちには、自然なことだったのだろう。今度はきちんと歌いたいと、原発を正面から問う「花は咲けども」をつくった。時間の許す限り、福島へ全国へと出向き演奏している▼きょうは旧ソ連で起きたチェルノブイリ事故から30年、福島の事故から5年46日になる。
 
 
この記事は誰も批判していません。逆にフォークグループのメンバーが「後悔と自責」をしています。
 
このフォークグループは福島第一の事故の前からその危険性を歌にしていたので、その慧眼は誇るべきです。テレビ局の担当者に言われて歌詞を変えてしまいますが、アマチュアフォークグループとテレビ局の力関係を考えれば、しかたがないでしょう。そのことで自責の念にかられるのは、犯罪被害者が自責の念にかられるのと同じで、ありがちではありますが、間違った感情です
 
ここで批判されるべきは、テレビ局の担当者です。歌手に対して歌詞を変えろと要求するのは不当なことです。しかも、その理由はおそらく電力会社からの広告収入のためです。カネのために芸術を冒涜しているのです。
これは本来、テレビ局の名前や担当者の個人名をさらして批判するべきことです。
 
批判するべき者を批判しないので、正しい者が自分を責めることになってしまいます。

裁判所が原発稼働停止の仮処分の判決を下すと、原発賛成派は裁判官の個人攻撃をします。
一方、裁判所が原発稼働を認める判決を下したとき、原発反対派は裁判官の個人攻撃はしません。 


両者のやり方はまったく非対称的です。

朝日新聞がほんとうに原発を止めたいなら、賛成派を“委縮”させるぐらいに攻撃的な記事を書くべきです。