村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2016年06月

上海ディズニーランドがオープンした6月16日は、各ニュース番組がそのことを取り上げていましたが、どこも内容がほとんど同じでした。観客と従業員のマナーが悪いということばかりです。
観客については、行列の割込み、ゴミのポイ捨て、食べ物の持ち込み、落書き、柵やポールへのよじ登り、立ち入り禁止の芝生への立ち入り、寝転がり、果ては子どもにオシッコをさせるなど。
従業員については、座り込んで休んでいる、散乱するゴミを無視している、スマホに没頭しているなど。
 
日本人はどうしても東京ディズニーランドと比較してそういうところに目が行くのかもしれませんが、そういうことに情報として価値があるのでしょうか。中国人のマナーが悪いのは周知の事実です。
 
新しいディズニーランドができたのですから、そこにどういうアトラクションがあって、それはどれくらいおもしろいのかということがいちばん肝心な情報のはずです。
ですから、東京ディズニーランドに詳しい人をレポーターにして、いろんなアトラクションを体験した上で、東京と比較しながらその評価を語ってもらうなどがいいのではないでしょうか。
東京ディズニーランドが好きな人は、上海ディズニーランドに行くべきかどうか迷っているはずで、そういう人には価値のある情報です。
 
ワイドショーなどでは「中国人のマナーが悪い」というのはよくやるネタですが、今回は普通のニュース番組もそればっかりになったので、驚きでした。
 
 
日本人は中国が嫌いです。
世界40か国を対象にした中国への好感度調査というのがあって、それによると中国を世界で一番嫌っているのは日本人です。
 
中国に対する好感度が最も高かったのはパキスタン(82%)で、ガーナ(80%)、ロシア(79%)、マレーシア(78%)が続き、アフリカでは他にも70%を上回る国が多かった。中国を好ましくないとした人が多かったのは日本(89%)、ベトナム(74%)、ヨルダン(64%)、ドイツ(60%)、トルコ(59%)。全体的に見ると、好ましいと考える人の比率は55%、好ましくないと考える人の比率は34%となった。
 
 
日本人が中国を嫌いな理由はいろいろあるでしょうが、やはり世界第二の経済大国だったのが中国に抜かれたというのが大きいでしょう。
 
そう考えると、今まで東京ディズニーランドはアジアで一番で、従業員のおもてなし精神のすばらしさはある意味日本人の誇りともなっていましたから、上海ディズニーランドができたことは日本人にとって脅威です。そのため、ああしたネガティブな報道になったのでしょうか。
 
ともかく、日本人は中国が嫌いですから、報道もそれに迎合したものになりがちです。ネットの情報は前からそうでしたが、最近はテレビのニュース番組までそうなってきたわけです。
そのため国民感情とメディアの相互作用で中国嫌いスパイラルが加速しています。
 
今年3月に公表された内閣府の「外交に関する世論調査」(昨年10月実施)で、中国に対して「親しみを感じない」「どちらかというと親しみを感じない」の割合が83.2%に達した。1975年から続くこの調査で、過去最悪の数字である。かつては「親しみを感じる」が8割近くもあったのに、いまでは全く逆の状態だ。
 
実は世界はまったく逆で、中国好きがふえています。
先の40か国調査ではこうなっています。
 
米調査機関ピュー・リサーチ・センターは先ほど、世界40カ国で中国の好感度に関する調査を実施し、最新データを発表した。中国を好ましいと考える世界の人は、2014年の時点で49%だったが、この数値は2015年に54%に上昇した。中国を好ましくないと考える人は、38%から34%に低下した。IBTimes624日に伝えた。
 
日本の報道だけ見ていると、中国嫌いは世界中でふえているような気がしますが、実際は中国好きがふえているのです。
 
日本人の中国観もガラパゴス化しているのではないでしょうか。

イギリスの国民投票でEU離脱派が勝利したのはびっくりでした。世論調査もブックメーカーのオッズも間違っていました。国民の潜在的な怒りが想像以上だったのでしょう。
 
国民の怒りというのは、ひとつは移民や難民に対するもので、これはよく報道されています。
もうひとつは支配層に対する怒りで、イギリス独立党のファラージュ党首は勝利宣言において「大銀行、大企業、大政党に挑んだ庶民の勝利だ」と言っています。
支配層の中でも、EU官僚に対する怒りがとりわけ大きいようです。
 
EUには28か国が加盟し、公用語として24の言語があるそうです。なにかルールをつくるとき、各国の国情を踏まえて交渉し、まとめあげるのはたいへんな作業ですから、実務を担うEU官僚の権力が強大化するのはわかります。
 
朝日新聞の記事によると、彼らは高給を取っています。
 
 
ユーロ危機以降、欧州各国で緊縮財政が続く中、庶民生活とかけ離れたEU職員の厚遇ぶりが度々、非難を浴びてきた。
 
 年金などを差し引いた平均月給は約6500ユーロ(約75万円)で、最高級の局長クラスになれば約1万6500ユーロ(約190万円)に達する。さらに、子ども1人につき月額約376ユーロ(約4万3千円)など様々な手当が上乗せされ、所得税も免除される。退職後は、最高で最終給与の7割の年金をもらえる。
 
 
アメリカの官僚組織は、民主党と共和党の政権交代のたびに上層部が総入れ替えになるということですから、官僚組織の弊害というのはそれほどないかもしれません。その代わり、二大政党が官僚化して、それに対する怒りがトランプ人気、サンダース人気になっていると思われます。
 
社会が複雑化するにしたがって専門家集団の力が強くなります。その頂点にいるのが官僚組織です。
また、トマ・ピケティの理論が明らかにしたように、金持ちはますます金持ちになっています。
その結果、官僚組織、大企業、富裕層への怒りが世界的に高まっているわけです。
 
 
では、日本はどうかというと、怒りはあるものの、そういうところには向かっていません。
国民の怒りの向かう先は、せいぜい舛添知事ぐらいです。あとは不倫芸能人とか経歴詐称キャスターとか。
 
なぜそうなったかというと、民主党政権の失敗があったからでしょう。
民主党は「官僚主導から政治主導へ」あるいは「脱官僚依存」をスローガンに、国民の怒りを集めて政権を奪取しましたが、政権運営に失敗。そして、失敗の原因を総括していません。
今は党名を変えて、その失敗をなかったことにしたいようです。
 
そのため国民は、官僚に対して怒ることを諦めています。
官僚組織と一体化した自民党政権に対しても同じです。
今、自民党政権を批判するネタは立憲主義ぐらいしかありません。
これでは参院選が盛り上がらないのも当然です。
 
今から民進党に民主党政権の失敗を総括しろといっても、今回の選挙には手遅れです。
 
政治の世界も日本は世界の潮流から取り残され、ガラパゴス化しているのは、寂しい限りです。 

6月23日は「沖縄慰霊の日」でした。
今年は20歳の女性が米軍属の男に殺害された事件もあり、日米地位協定にスポットライトが当たっています。
朝日新聞に前泊博盛教授のインタビューが載っていましたが、日米地位協定について、まったく新しい角度からの事実が述べられていて、驚きました。その部分だけ引用します。
 
 
■動かぬ地位協定、抗うには 前泊博盛さん(沖縄国際大学教授)
 
 いま、地位協定の改定を求める声が高まっていますが、実現性は極めて低いと思います。日本もまた同じように不平等な地位協定を海外で結んでいるからです。
 
 2003年に自衛隊を派兵したイラクの隣国クウェートと、さらに自衛隊が拠点を置くアフリカのジブチとも結んでいます。隊員が現地で罪を犯した場合、公務中か否かに関わらず裁判権を日本がもつなど、日米地位協定と同様の内容です。「ドラえもん」でジャイアンにいじめられたスネ夫がのび太をいじめるようなものでしょう。このため日本は米国に地位協定の改定を求められない。自衛隊の海外派兵・駐留も、地位協定改定を阻む壁になっています。
 
 
アメリカに対して「不当だ」と言っているのに、日本も同じことをしていたのでした。
 
たぶんこのことは一度も報道されていないでしょう。相手がクウェートとジブチですし、ほとんど官僚レベルで決められることですから。
 
とはいえ、明治維新のころから不平等条約に苦しめられてきた日本が、相手を弱いと見るや同じことをしたのでは、人の道に外れますし、「国のかたち」の根幹にもかかわることです。
こういうことは大きく報道して、果たしてこれでよいのか、国民的な議論を巻き起こさないといけません。
 
日本の言い分としては、クウェートやジブチのような、司法制度も人権意識も遅れた国の裁判で自衛隊員を裁かせるわけにはいかないということでしょう。しかし、これこそ帝国主義や植民地主義の発想です。そんな遅れた国に軍隊(自衛隊)を常駐させるのはなんのためかということです。その国に貢献しているなら、その国の裁判を恐れる必要はないはずです。
 
安倍首相の「美しい国」とか「新しい国」とかの観点からはどうなのでしょうか。大東亜戦争はアジア解放の戦争だったとか言っている立場からは許せないはずです(朝鮮や中国への植民地主義を正当化する立場からは許せますが)
 
ともかく、今からでも遅くはないので、国のあり方の根幹にかかわることとして、クウェートやジブチとの地位協定はこれでいいのか議論しなければならないと思います。

EU離脱か否かを問う国民投票が迫るイギリスで、残留派の国会議員ジョー・コックス氏が離脱派と思われる男に銃撃され、殺害されました。
それまでの世論調査では離脱派が優勢でしたが、この事件のあとの調査では残留派が優勢となりました。
 
イギリスにとって残留か離脱かどちらがよいのかという問題と、この事件は関係ないはずです。しかし、人間はつねに合理的な判断をしているわけではなく、人の死は重いので、それに影響されてしまいます。
日本でも、候補者が急死して、その奥さんや関係者が急きょ身代わりで立候補して“弔い合戦”などと称すると、票が集まるという傾向があります。
 
人間の投票行動や政治行動が必ずしも合理的なものでないことは明らかです。
民主主義社会では、その不合理さがそのまま政治に反映されて、さまざまな問題が生じます。
 
たとえば、多数派が少数派を差別している社会では、民主主義によって差別は解消されない理屈です。アメリカの黒人差別などはそうです。
移民もその社会では少数派ですから、移民差別の政策も支持を集めやすい傾向にあります
 
また、人間は将来の大きな利益よりも目先の小さな利益を求める傾向がありますから、たとえば減税政策は人気で、増税政策や緊縮政策は不人気です。その結果、ほとんどの国で財政赤字は拡大していきます。
 
人間は防御よりも攻撃を好む傾向があるので、好戦的な政策は人気になります。
また、戦争の危機が迫ると人は団結しようとするので、選挙では政権党が有利になります。それを見越して戦争の危機を演出しようとする政府があるかもしれません。
 
選挙戦でネガティブキャンペーンがよく行われるのも、人間がそういう攻撃的なやり方を好むからでしょう。
ただ、ネガティブキャンペーンでは政策論議は深まりません。
 
民主主義は、人間のだめなところがもろに出る制度です。
むしろだめなところが拡大して出るかもしれません。
 
最近、18歳選挙権の実施に伴って「有権者教育」ということがよく言われます。
その中身が「よく考えて投票しましょう」みたいなことだったら無意味です。
よく考えて投票しても、今のような政治になるだけです。
 
人間は経済行動においても不合理なことをするので、それを研究する「行動経済学」は最近ブームになっています。
政治行動の不合理さを研究する「行動政治学」もあるはずだと思って検索してみましたが、どうやらありません。
経済行動の失敗は数字になって現れますが、政治行動の失敗はごまかしがきくからでしょうか。
 
有権者の行動をよく研究して、そのだめさを教えるほんとうの「有権者教育」が必要です。

舛添要一都知事が辞職を表明しましたが、後任選びの選挙費用が約50億円かかるそうです。“舛添たたき”ゲームに夢中で興じていた人も、少しは目が覚めたでしょうか。
 
「舛添知事は辞任しても、疑惑は解明されないままだ」ということが言われますが、解明されない疑惑というのはなんでしょうか。
家族旅行で会談したとされる出版社社長の名前ぐらいしか思い浮かびません。
 
もともとは海外出張が「豪華すぎる」と批判されることで始まったのですが、最後は逆に「ケチだ」「セコい」と批判されました。
人をセコいと批判する人は、自分はどうなのでしょうか。
「汝らのうちセコくない者、石持て打て」と言いたいところです。
 
「豪華すぎる」とか「公私混同」はもちろん批判されるべきですが、それは舛添知事だけのことではありません。
 
都議団のリオ視察旅行が豪華すぎると批判する記事もあります。
 
舛添知事非難したのに…都議団リオ視察1億円超!?
 
この記事によると、リオ・オリンピック視察旅行に行く都議が、予定の20人から27人にふえ、オリンピック会期中はホテルの宿泊料が高騰し、費用が1億円になりそうだということです。なお都議27人のフライトは全員ビジネスクラスだということです。
 
また、豪華すぎると批判された舛添知事のパリ・ロンドン旅行ですが、職員が19人随行していて、全員が豪華ホテルに泊まっています。19人も随行する必要のあるはずがなく、都の職員も税金にたかっているのです。こういう取り巻きが舛添知事を勘違いさせたということもあるはずです。
 
「公私混同」も政治家なら誰でもやっているはずです。
自営業者なら、個人的な支出を経費として計上するということは誰でもやっています。
舛添知事は家族旅行が問題になりましたが、旅行といえば、ある作家は税務署に呼び出され、「あなたはこのときに海外に取材旅行にいってますね」「はい」「○月○日に結婚していますね」「はい」「こういうのは普通新婚旅行といいます」と言われ、経費とは認めてもらえなかったそうです。
もちろんこういうのはいけませんが、舛添知事に石を投げつけられる人はそんなにいないはずです。
 
今回の“舛添たたき”ゲームは、バイト店員炎上騒ぎや不倫芸能人批判と同じ系列のものだと思います。ただ、政治家で税金がからんでいるためより正義心を満たせるので、一段と激しくなりました。
基本は弱い者イジメだと思いますが、あまりにも勢いがついて、最後は自民党や公明党も対応せざるをえなくなりました。
 
世論が政治を動かしたということでは民主主義の勝利ということになりますが、いいほうに動かしたかどうかはわかりません。
「道徳という棍棒を持ったサル」が暴れただけの印象です。

米フロリダ州オーランドのナイトクラブで銃乱射事件があり、49人が死亡、50人以上が負傷しました。
射殺されたオマル・マティーン容疑者(29)は、両親がアフガニスタンからの移民ですが、本人はアメリカ生まれなので、ホームグロウン型のテロリストだとされます。
 
「シャルリー・エブド」襲撃事件、パリ同時多発テロ、今年3月のブリュッセル連続テロなどの容疑者もヨーロッパ生まれの若者で、やはりホームグロウン型のテロリストです。
 
ホームグロウン型のテロリストとはなにかについて、たまたまつい先日の朝日新聞に専門家のインタビューが載っていたので、その一部を引用します。
 
 
(インタビュー)過激派のイスラム化 欧州大学院大学教授、オリビエ・ロワさん
 
「彼らは往々にして『謎めいた存在』と思われがちです。しかし、実際には、彼らに関する捜査当局やメディアの情報は多い。それを検証する限り、過激になる前から敬虔(けいけん)なイスラム教徒だった若者は全くいません。布教にいそしんだ人、イスラム団体の慈善活動に従事した人も、皆無に近い。イスラム教徒への差別に抗議の声を上げもしなければ、学校での女生徒のスカーフ着用を巡る議論に関心も持たなかったのです」
 
 「彼らは礼拝もせず、逆に酒や麻薬におぼれ、イスラム教が禁じる食材も平気で口にしていました。例えば、昨年11月のパリ同時多発テロ現場にかかわったとされるサラ・アブデスラム容疑者はその数カ月前、酒場で酔っ払ってどんちゃん騒ぎをしていたことが、映像から確認されています」
 
 「彼らの多くはまた、自動車盗やけんかや麻薬密売といった犯罪に手を染め、刑務所生活を経験しています。つまり、ごく平凡な『荒ぶる若者』に過ぎません」
 
 ――でも、その多くはイスラム教徒の家庭の出身ですよね。
 
 「データによると、こうした若者の6割以上が移民2世です。移民1世や3世はほとんどいない。残りは、キリスト教家庭からの改宗者が多く、全体の約25%に達します。テロが起きたフランスやベルギーに限らず、欧州各国で同様の傾向がみられます」
 
 「フランスを例に取ると、移民1世が信じるイスラム教は、彼らの出身地である北アフリカの農村部に根付いた共同体の文化です。しかし、1世はそれを2世に引き継げない。フランスで育った2世たちは親たちの言語を話せず、仏文化を吸収しているからです」
 
 「親の宗教文化が伝わらないのは、改宗者も同じです。改宗という行為そのものが、引き継ぎを拒否する姿勢なのですから」
 
 ――親子間の断絶ですか。
 
 「今起きている現象は、世代間闘争です。若者たちは、自分たちを理解しない親に反抗し、自分探しの旅に出る。そこで、親のイスラム教文化とは異なるISの世界と出会う。その一員となることによって、荒れた人生をリセットできると考える。彼らが突然、しかも短期間の内にイスラム原理主義にのめり込むのはそのためです」
 
 「彼らが魅せられるのは、ISが振りまく英雄のイメージです。イスラム教社会の代表かのように戦うことで、英雄として殉教できる。そのような考えに染まった彼らは、生きることに関心を持たなくなり、死ぬことばかり考える。自爆を伴うジハード(聖戦)やテロは、このような個人的なニヒリズムに負っています」
 
 
マティーン容疑者は離婚歴があります。イスラム教徒として差別もされているでしょう。警備員として勤務していますが、あまり将来の希望もなさそうです。妻に暴力をふるったという報道があるので、本人も親から虐待されていた可能性が高いと思われます。
彼は同性愛者の集まるクラブを襲撃したわけですが、彼自身がそのクラブの常連で、同性愛者だったという報道もあります。自己嫌悪の現れでしょうか。
人生に希望をなくし、怒りや不満が極限まで高まったとき、イスラム過激思想がちょうどつごうがよかったのでしょう。
 
昔の日本なら、そういう若者は左翼過激思想にはまりました。今は右翼的な排外主義思想や、在日が“特権”をほしいままにして裏で日本を支配しているという妄想にはまるのでしょう。
 
もちろんなんの思想にもはまらない者もいます。たとえば、秋葉原通り魔事件の加藤智大や池田小事件の宅間守です。彼らは自分の人生と世の中に絶望し、親から虐待されて育ったという点で共通しています。
マティーン容疑者は宅間守に似ているのではないでしょうか。ただ、マティーン容疑者はイスラム過激思想で自分を飾ることができました。
 
ですから、イスラム過激思想というのは、ホームグロウン型テロリストにとって表面的なものということになります。
ただ、表面的なものでも、それが犯行に踏み切らせるということがあります。
 
なぜイスラム過激思想が若者にとって力を持ってしまったのかというと、アメリカがテロへの対応を誤ったからです。
.11テロのあと、アメリカはビンラディンらの主張を論破するのではなく、もっぱら軍事力でテロに打ち勝とうとしました。そのため過激派の主張が力を持ってしまったのです。
 
もちろん正面から論争すると、アメリカが論破されてしまうかもしれません。そうならないためには、自身の誤りを正す必要があります。
つまり、テロリストの主張に向き合うことはアメリカのためにもなるのです。
 
今のアメリカは言論でテロリストに負けています。
 
フランスも同じです。テロリストに対して、「シャルリー・エブド」のムハンマドの冒涜みたいなことしかできません。
今回のテロに対しても、パリの市長はこんなことを言っています。
 
 
 パリでは13日、市議会の冒頭に犠牲者らへの黙祷(もくとう)を捧げた。イダルゴ市長は性的少数者が集うナイトクラブが標的になったことを挙げて、「攻撃されたのは『自由』だ」と述べた。
 
 
どんなテロリストも「自由を攻撃する」とは言っていないはずです。
「民主主義への攻撃」とか「文明への挑戦」とかもよく使われる言葉ですが、これもテロリストの主張ではありません。
相手の言い分を聞くという姿勢が最初からないのです。
 
イギリスはIRA(アイルランド共和国軍)と話し合うことでIRAのテロを終わらせました。
テロの解決策は簡単なことです(話し合いをしたのはブレア首相です。サッチャー首相は強硬路線をとってこじらせました)。
ただ、IRAはカトリックで、同じキリスト教です。
 
キリスト教同士は話し合えるがイスラム教とは話し合えない――こういう姿勢がテロをこじらせているのです。

6月9日の朝日新聞に小さなベタ記事ですが、もしかして日本が大きく変わるきっかけになるかもしれない記事を見つけました。
 
 
渡辺恒雄座長が退任 情報保全諮問会議
 
政府は8日、特定秘密保護法の運用をチェックする有識者会議「情報保全諮問会議」の渡辺恒雄座長(読売新聞グループ本社代表取締役主筆)が7日付で退任し、後任に8日付で同社取締役最高顧問で主筆代理の老川祥一氏が就いたと発表した。渡辺氏から退任の申し出があったといい、後任は渡辺氏の推薦を踏まえ、安倍晋三首相が委嘱した。座長の任期は2年で、渡辺氏は2014年1月から初代座長を務め、今年1月から2期目に入っていた。
 
 
任期途中で辞めるというのはどうしてでしょうか。「渡辺氏から退任の申し出があった」と書かれているだけで、その理由は書かれていません。
 
渡邉恒雄氏は1926年5月30日の生まれで、現在90歳です。健康上の理由からと考えるのが妥当でしょう。
 
渡邉氏は読売新聞グループを独裁的に支配し、政界とりわけ安倍政権に強い影響力を持っています。読売新聞の論調は強い安倍政権支持です。もしその論調が変わったら、内閣支持率は10ポイントぐらい変動するかもしれません。
 
もっとも、健康上の理由から退任したと決めつけるわけにいきません。
調べてみると、こういう人事情報がありました。
 
 
読売新聞社長に山口氏 渡辺恒雄会長は主筆専任
 
 読売新聞グループ本社は24日、取締役会を開き、山口寿一経営主幹・東京担当(59)が社長に昇格する人事を内定したと発表した。白石興二郎社長・編集主幹(69)は代表権のある会長に就く。渡辺恒雄会長・主筆(89)は代表権のある主筆専任となる。6月7日に開く株主総会とその後の取締役会で正式に決める。社長を5年間務めた白石氏から山口氏へと体制を若返らせる。
 
 
5月末に人事案が決まり、6月7日の取締役会で正式に決まり、その翌日に渡邉氏が有識者会議の座長を退任するという流れになっています。既定路線だとすると、健康上の理由で退任したのではなさそうです。
 
とはいえ、会長をやめて主筆専任になったからといって有識者会議の座長を退任する必要はなく、やはり健康上の理由である可能性もあります。
それに、この読売新聞グループの人事そのものが渡邉氏引退への布石かもしれません。
 
そう思って、この人事の意味を調べようとしましたが、ほとんど情報がありません。
唯一見つけたのが「THE PAGE」のこの記事です。
 
読売新聞・渡邉恒雄主筆90歳、新聞の「主筆」とは何をする人なのか?
 
この記事によると、渡邉氏は依然社内の序列ではいちばん上であり、会長を退任して主筆専任になったのは、死ぬまで主筆を続けるという意志の表れだということです。
 
とはいえ、90歳ですから、そんなに長く続けられるはずはありません。
 
カリスマ経営者としてはセブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長兼最高経営責任者(CEO)がいますが、先日、人事の混乱の責任を取って引退を表明し、名誉顧問に就任することになりました。鈴木敏文氏は83歳です。
 
また、スズキの鈴木修会長兼最高経営責任者(CEO)は、燃費不正問題の責任を取ってCEO職を辞任するとつい先日発表しました。鈴木修氏は86歳です。
 
渡邉氏の引退も時間の問題ですが、今どうなのかについてまったくといっていいほど情報がありません。
 
 
一方、舛添要一都知事については、連日山ほどの報道があります。
しかし、舛添知事はいわば一匹オオカミみたいな人です。都知事を辞めたからといって、日本の政治が変わるということはありません。
あまりにも対照的な報道にあきれます。

田野岡大和君が親に山中に置き去りにされ、6日間にわたって行方不明になった事件は、海外でもかなり注目されたようです。「しつけ」の問題が根底にあったからでしょう。
世界中の親がしつけの問題に頭を悩ませていることと思われます。

 
今回のケースは、最初の報道では大和君が「公園で人や車に石を投げつけたため」、両親はしつけのためにちょっと怖い思いをさせようと置き去りにしたということでした。
 
「人や車に石を投げつけた」という状況がよくわかりません。もしその通りなら、すぐにやめさせて、その場で叱るはずです。そうすれば、あとになって車で置き去りにするという必要もなさそうです。
 
この状況がよくわからないせいか、2ちゃんねるにこんな書き込みがありました。
 
子どもが人や車に石を投げて面白がったんだろ。
これを思いっきり叱らないと人が嫌がることを楽しむような立派なサイコパスに育つだろ。
親のしつけは正しいよ。
 
子どもが「面白がった」と話がふくらんでいます。
 
実際の状況は違ったようです。
父親は、大和君が発見されて病院に収容されてからの取材に対しては、こう説明しました。
 
 また、置き去りにするまでの経緯も説明した。大和さんが土手に向かって石を投げていたので「土手の向こうに車が走り人もいるかもしれないから、投げてはいけない」と注意。以前から言いつけを守らない時に「山に連れていくよ」と叱ったことがあり、「二度とやらないようにとの思いと父親の威厳を示すため初めて実際に車から降ろした」と語った。
 
これならなんとなくわかります。
大和君は退院するとき、記者から「今なにがしたい?」と聞かれて「野球です」と答えているぐらいですから、大の野球好きのようです。広い場所で、石があって、誰もいない土手があれば、そこに向かって石を投げるのは楽しいでしょう。投球力も鍛えられます。
また、「土手の向こう」は見えなかったようです。そうすると、そこに人や車が通っているということもよく理解していなかったかもしれません。
 
もちろんおとなの認識は違います。土手の向こうに人や車が通っていることがわかっていますし、もし人や車に石が当たったら、大きなトラブルが起こることもわかります。
子どもは、車には所有者がいて、少しでも傷つくと所有者は怒って、高い修理代を請求されるかもしれないということはほとんど理解していませんし、いくら言い聞かせたところでたいして理解できません。
 
おとなと子どもの認識は違います。おとなは視野が広いので、そのことはわかっていなければなりません。
ところが、中にはわからないおとながいるわけです。
そういうおとなは、子どもがただ石を投げることを楽しんでいるだけなのに、それを「悪」と認識してしまいます。
先の2ちゃんねるの書き込みがその代表的な例です。
 
「美は見る者の目に宿る」という言葉があります。
それにならっていえば、「善悪は見る者の目に宿る」です。
 
子どもに「悪」はないのに、子どもを見るおとなが「悪」を認識してしまう。
このような目こそが「悪」なのです。
 
この父親は最初、「山菜採りをしているときに子どもがはぐれた」と嘘をつき、その後も「子どもが人や車に石を投げつけた」と嘘をつきました。自己保身のために人をだましたのです。
子どもはただ石投げを楽しんでいただけです。

おとなは子どもをしつけようとする前に、子どもを見る自分の目が正しいかどうかを考えなければなりません。

北海道七飯町で両親に置き去りにされて行方不明になっていた7歳の田野岡大和君が6日ぶりに無事発見され、とりあえずよい結末となりました。
 
発見が遅れたのは、発見場所が行方不明になった場所から直線で約6キロ離れたところで、7歳の子どもの脚力を見誤っていたことに加え、車が去ったのとは逆方向に大和君が歩いていったこともあるようです。
 
父親は一度大和君を降ろして車を走らせ、大和君が泣きながら追ってきたために車に乗せましたが、約500メートル走って再び大和君を降ろして車を走らせ、そして、5分ほどして降ろした地点に歩いて戻ったところ大和君の姿はなく、約30分周辺を探しても見つからなかったため警察に通報したということです。
 
大和君の心情を推察するに、親から捨てられたかと思って、必死に泣きながら車を追いかけ、車に乗せてもらってホッとしたところで再び降ろされたため、今度こそほんとうに捨てられたと思ったのでしょう。そのため車を追いかけることはやめ、その場で待つこともやめて、1人で生きていこうと思ったのかどうかわかりませんが、反対方向に歩き出したのでしょう。
おとなは軽い脅しのつもりでも、子どもは真に受けます。2度も繰り返したのではなおさらです
 
ここまで書いたところで最新の報道を見たら、病室の大和君の説明では、泣きじゃくったために方向がわからなくなったということです。私の推測とは違いますが、よほどのパニックになったということです。
 
大和君の受けた精神的苦痛は計り知れないものがあり、そのことを理解すれば、父親の行為の罪深さがわかります。

そもそもこの父親は、取材に対して語ったところによると、「しつけのために、ちょっと怖い思いをさせようと思った」「父親としての威厳を示さなければ」と思ったために車から降ろしたということです。
 
「父親としての威厳を示さなければ」というのは、自分の体面を保ちたいということで、子どものためではなく自分のためです。
この父親は最初、山菜取りにきてはぐれたと嘘をついていましたが、これも自分の体面のためです。
うわべばかりを見て、子どもの心が見えない人なのかなという気がします。
 
 
そもそも「しつけ」というのは、うわべを保つためにすることです。
「しつけ」は「躾」という字を書きます。「身を美しく」ということでつくられた国字です。
「身を美しく」であって、「心を美しく」ではありません。
 
父親は「子どもが公園で人や車に石を投げつけた」と主張し、それをしつけの理由としていました。
しかし、最新の報道によると、子どもが土手に向かって石を投げていたので「土手の向こうに車が走り人もいるかもしれないから、投げてはいけない」と注意したということで、これもかなり説明が違っています。
 
いずれにせよ、置き去りにされる恐怖でその行動をやめさせようとしたことは間違っています。これでは、その行動をやめたとしても、なぜその行動が悪いのかということがわかっていません。親に見つからなければいいのかということになります。
 
「躾」は「身を美しく」することであっても「心を美しく」することではないということが常識になってほしいものです。

小学校でプログラミング教育が2020年度から必修化される見通しだということです。このニュースを聞いて、私はいろいろな意味でびっくりしました。
 
ひとつは、今プログラミング能力はそれほど広く必要とされているのかということです。
確かにいろいろなアプリがどんどんつくられて、大きな産業になっているようですが、つくるのは一部の専門家で、一般の人はユーザーとして享受するものと私は思っていました。
 
それから、プログラミングというのは数学的、抽象的な能力が必要なはずで、一般の人(子ども)が対応できるのかということです。算数でマイナス計算が出てくるだけでとまどう人が少なくないのが実情です。
 
あと、小学校の教師が教えられるのだろうかとか、プログラミングを教えた分ほかの教科が削られるはずで、そっちは大丈夫なのだろうかとか、いろいろ疑問はあります。
 
プログラミング能力の必要性はひじょうに高まっているのでしょう。そのへんは私の認識不足だと思います。
しかし、必修化、つまり全員にやらせる必要があるとは思えません。
 
 
英語教育については、すでに2011年から小学校5、6年生で必修化されています。
そして、文科省は2020年までに3年生から必修化する方針を固めたということです。
 
これもかなり疑問です。
英語教育の効果も疑問ですが、これからは翻訳機や翻訳ソフトが進歩して、日常会話はそれで用が足りるようになると思われます。
ですから、英語はグローバルに活躍したいという人だけがやればいいのではないでしょうか。
 
つまり、プログラミングにせよ英語にせよ、必修化せずに選択制にすればいいのです。
 
たとえばプログラミングを選択制にすれば、選択する子どもはそんなに多くないはずですから、教師も一部だけ対応すればよく、楽に実施できます。
 
 
今の義務教育は必修化にこだわりすぎです。
必修の科目は、読み書き計算と体育ぐらいで、あとは全部選択制でいいはずです。
そうすれば、子どもはたとえば数学と理科とプログラミングばかり選択するということもできます。
選択制なら英語だけでなく中国語やスペイン語も取り入れられます。
 
もちろん1人の教師がすべて教えるということはできませんから、中学校みたいにある程度専門化し、さらには学校外の塾やインターネットで学ぶことも可能にすればいいわけです。
 
今の義務教育は、子どもを均一な“品質”に仕上げなければいけないという思い込みがあるようです。
子どもはそれぞれ個性があるのですから、仕上がりもバラバラでいいはずです。
個性を無視する必修化は、教えるほうも教えられるほうも不幸です。

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