村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

2016年09月

安倍首相は衆院本会議の所信表明演説で「現場では夜を徹して、そして、いまこの瞬間も海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が任務に当たっています」「その彼らに対し、いまこの場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」と呼びかけ、自民党議員が一斉に立ち上がって拍手するというシーンがあり、「北朝鮮みたいだ」と批判されています。

安倍首相の呼びかけは、南スーダンで「駆けつけ警護」が実施され、自衛隊員の“戦死者”が出ることに備えているのだという見方があります。
きっとそのときには、国を挙げて“戦死者”を称えようというのでしょう。
 
安倍政権の掲げる「切れ目のない安全保障法制」というのが着々と整えられつつあるようです。日米の物資融通協定が改定されたというニュースがありました。
 
米軍へ「後方支援」拡充 日米が物資融通協定改定 安保法施行受け
 
 
安倍政権は日米地位協定を改定するべきだという声は無視して、代わりにこんなことをしていたのでした。
どういう改定かを示す部分を引用します。
 
 
日本側が主に想定しているのは「燃料を求められるケース」(外務省幹部)。政府が国際平和共同対処事態や重要影響事態と認定すれば、テロとの戦いで中東に展開する米艦船や発進準備中の爆撃機への給油が可能となる。これまでは特別措置法で対応してきたが、今回の改定により、国会での法整備を経ず、世界各地の米軍に給油を行えるようになる。
 
 弾薬提供の範囲も大幅に拡充される。旧ACSAでは自衛隊から米軍への弾薬提供は、日本が相手国から直接武力攻撃を受けた「武力攻撃事態」と、攻撃が予測される「武力攻撃予測事態」に限られていた。
 
 
こうして自衛隊と米軍が「切れ目のない」状態で一体化していくわけです。
 
自衛隊員が中東で米軍に給油中に死ぬかもしれません。そうすると、それはアメリカのために死んだことになります。
 
ただ、安倍政権としては、日本がアメリカに協力することでアメリカがより日本を守ってくれるという考え方で、それが確かなら、自衛隊員は間接的に日本を守るために死んだという理屈が成り立たなくはありません。
 
しかし、アメリカは日本が切れ目のない安保法制をつくってアメリカに協力したからといって、なにか見返りを約束しているわけではありません。
安倍政権は、アメリカから要求されてやっているのに、日本が自発的にやっているようにごまかしているので、肝心のところがあいまいになっています。
 
 
また、つい先日、自衛隊が購入する新鋭戦闘機F35が初公開されたというニュースがありました。
 
 
最新鋭ステルス機「F35」の1号機が初公開 空自に18年配備予定
 
航空自衛隊に配備される最新鋭ステルス戦闘機F35の1号機が23日、テキサス州フォートワースのロッキード・マーチン社の工場で初公開された。F35は他の航空機や艦船と情報共有できる能力が従来機と比べ飛躍的に向上しており、日米一体で防衛力の強化を狙う。
(後略)
 
 
これはもう兵器そのものが「切れ目のない」ものになっているわけです。
なお、こういうアメリカ製のハイテク兵器でアメリカ軍と戦うことはできません。アメリカ軍がなにかの電波を出すだけで兵器を無力化することができるに決まっているからです。
 
このような自衛隊とアメリカ軍の一体化は、自衛隊の本来の役割に反します。
自衛隊員のする「宣誓」には、「私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し」とあります。平和からも独立からも遠ざかっていく今の自衛隊の状態は、自衛隊員にも納得いかないでしょう。
もちろん国民にも納得がいきません。日本人の税金でつくってきた自衛隊がアメリカのために働くのは日本人への裏切りです。
 
蓮舫民進党代表の「二重国籍」問題が一部で騒がれましたが、いつのまにか自衛隊が「二重国籍」状態になっているわけです。

安倍首相は9月21日、国連総会で演説しましたが、演説のほぼ半分が北朝鮮の核の脅威を訴えるものでした。
しかし、世界のほとんどの国にとっては興味がなかったでしょう。インドがパキスタンの核の脅威をいくら訴えても、日本人にとってはどうでもいいのと同じです。
自国のことばかり考えての演説は世界の迷惑です。
 
とはいえ、日本にとって北朝鮮の核は切実な問題です。
安保法制が成立したから安心というわけにはいきません。
 
結局、安倍政権の安全保障政策は、「一国平和主義」という言葉にならって言えば「一国安全保障主義」です。
「一国安全保障主義」というのは要するに、アメリカに軍事的に協力することでアメリカに守ってもらえば日本は安全になるという考え方です。
しかし、世界が平和にならなくて日本だけ安全になるというわけにはいきません。
 
そもそもアメリカは世界を平和にしようとは思っていません。
アメリカが9・11テロから「対テロ戦争」を始めて15年です。これは百年戦争になってもおかしくありません。
日本が対テロ戦争に協力すると、日本がテロの標的になるのは必定です。
 
では、アメリカは平和を目指さずになにを目指しているかというと、世界の覇権です。
アメリカの軍事費は世界の軍事費の36%を占め、世界の30か国近くに軍事基地を置いています。
昔はアメリカ帝国主義といっていましたが、帝国主義というのは経済的利益を目指すイメージがあります。アフガン戦争やイラク戦争に経済的利益があったとは思えないので、覇権主義という言い方のほうが適切でしょう。
 
覇権が確立されると世界は平和になります。古代ローマ帝国の覇権が確立されたときは「ローマの平和」といわれました。しかし、これはローマ帝国に支配され、奴隷化されての平和ですから、果たして平和と呼べるのか疑問です。
 
安倍政権はアメリカ覇権主義を応援することで東アジアに「アメリカの平和」が確立されることを目指しているのかもしれませんが、これはアメリカに支配されることですから、たとえばトランプ氏が大統領になって日本に軍事費の負担増を求めてきたら拒否することはできません(現にトランプ候補の日本に負担増を求めるという政策に反論する声は安倍政権サイドからは聞かれません)
アメリカに支配されて日本人は幸福でしょうか。
 
それに、中国の覇権主義も台頭してきたので、これから米中という覇権主義国同士の争いが激化すると予想されます。
9月初めに中国杭州で開かれたG20において、オバマ大統領が空港に到着したときなにかのトラブルが起き、中国職員が米大統領補佐官らに「ここはわれわれの国だ」と怒鳴ったということが報じられました。
今後こういう非理性的な対立がふえていくと、どんな不測の事態が起こるかわかりません。
 
そういう中において、安倍政権は尖閣問題にアメリカを引き込もうとして、米中対立をあおっています。
「一国安全保障主義」がかえって世界の安全を損なっているのです。
 
 
安倍首相は国連総会で演説するなら、北朝鮮の核開発のことよりも、キリスト教勢力とイスラム教勢力の融和を説けば、会場の拍手喝采を浴びたでしょう。これこそが「地球儀を俯瞰する外交」です。
もっとも、安倍首相にも外務省にもまったく不可能なことですが。

高畑裕太氏が逮捕された事件について「フライデー」と「週刊文春」が相次いで記事を書き、ようやく全体像が見えてきました。
その記事を要約したものならネットでも読めます。
 
 
すっかりハメられたことが明らかになった高畑裕太
 
高畑裕太の強姦致傷事件の夜の真実 被害者女性のジーパンを脱がし避妊せずに性行為 彼氏と名乗る暴力団関係者
 

高畑裕太事件で文春、セブン、フライデーが被害女性に“セカンドレイプ”的報道!合意匂わせ知人男性を暴力団と…

 
 
それらによると、高畑氏が女性に歯ブラシを部屋に持ってこさせたという事実はなかった。高畑氏は女性を強引に誘って、いっしょにエレベーターに乗って部屋に向かった。エレベーターの中で高畑氏は女性にキスをした。部屋に入るとき、撮影スタッフに見られることを考慮して、高畑氏が先に入り、あとで女性が入った。性行為はかなり強引に行われた。女性は知人男性に相談し、知人が警察に通報した。知人は元暴力団組長で、二度の逮捕歴がある。知人はホテルのロビーにおいてスタッフの前で高畑氏を訴えると息巻き、高額の示談金が必要な事件だと主張した。文春によると示談金は1500万円だった。
 
これらのことが事実だとすると、高畑氏側の弁護士が声明文で「高畑裕太さんの方では合意があるものと思っていた」「仮に起訴されて裁判になっていれば、無罪主張をしたと思われる事件」と主張したのもわかります。
 
そうすると、マスコミやコメンテーターは推定無罪の原則を無視して、高畑氏が強姦致傷で起訴され有罪になるものという前提で高畑氏を批判してきましたが、このことの罪は重いと言わざるをえません。
 
もっとも、推定無罪といっても、容疑者が逮捕されてすぐ容疑を認めた場合は有罪と見なしてもある程度やむをえないかなと思います(はっきりした証拠なしに逮捕されて最初は否認し長期勾留ののちに自白したという場合は冤罪の可能性が高いですが)
 
高畑氏の場合、逮捕されてすぐに「女性を見て欲求を抑えられなかった」と供述したという情報がマスコミに流れました。これをもって容疑を認めたということでマスコミがいっせいに走ったわけです。
しかし、「女性を見て欲求を抑えられなかった」という言葉は、22歳の男性なら誰でも話の流れで口にしそうな言葉です。もちろん強姦したという意味とは限らず、単に性的な誘いをしたという意味かもしれません。だいたい容疑を認めたときは、「間違いありませんと容疑を認めている」といった報道になりますから、「女性を見て欲求を抑えられなかった」という言葉が出てきたときは、むしろ容疑を認めていないのだなという印象です。
容疑を認めたと解釈したマスコミは、よほど高畑氏を犯罪者にしたかったのでしょう。
 
一方、高畑氏はハニートラップにかかったのだ、つまり被害者とされる女性のほうが悪いのだという声もネットではありました。
しかし、女性は一度は部屋に行くことを拒否しているのです。それに、フロントで勤務しているだけではトラップを仕掛けていることになりません。
また、元暴力団員の知人が関与したからといって、女性が悪いということにはなりません。知人は女性の彼氏だということで、彼氏に相談するのは普通のことです。
 
部屋の壁は薄かったということで、そのときに声を上げずに、あとになって強姦だと訴え出るのはおかしいのではないかという見方もあるでしょう。
ここがいちばん微妙なところです。
私が想像するに、女性は部屋に行って、ちょっといちゃいちゃする程度で高畑氏を寝かしつけようと思っていたところ、高畑氏に強引に性行為を迫られ、自分から部屋に行った引け目から声を上げることができず、しかし、精神的にショックを受けた(ケガも少しした)ので、恋人に相談したところ、恋人は示談金が取れる案件だと見なして事を大きくしたというところではないでしょうか。
 
ともかく、強姦か否かというのはきわめて微妙な問題です。
 
強姦でないなら示談するなという意見もありますが、裁判になるとどんな判決が出るかわかりませんし、裁判になること自体が不利益ですから、リスク管理としても示談するのは当然です。
 
 
結局、誰が悪かったかといえば、いちばん悪いのは警察です。
警察は、果たして起訴に持ち込めるかどうかあやしい事件で高畑氏を逮捕し、容疑を認めたかのような情報操作をしました。なぜそんなことをしたかというと、芸能人の事件で世間の注目を集めたかったからです。
 
しかし、不起訴になって、警察のやり方が問題視される事態になりました。そこで、警察は元暴力団員の関与などの情報をリークして、「フライデー」と「週刊文春」に女性側が悪かったかのような記事を書かせた――というのが「リテラ」の見立てですが、おおいにありうることです。
 
 
人気商売の芸能人は弱い立場です。元暴力団員はそこにつけ込んで高額な示談金を取ろうとし、警察は芸能人の事件を扱うことで世間の注目を引こうとし、マスコミは芸能人を批判することで視聴率や売り上げを伸ばそうとしたわけです。
かといって、示談金を取られた高畑親子が被害者ということではありません。高畑裕太氏は強引な行為で女性を傷つけたのですし、そんなふうに育てた高畑淳子さんにも責任はあります。
 
結局、北野映画のキャッチコピーを使わせてもらうと、「全員悪人」ということです。
概して世の中とはそういうものです。 
 
 

蓮舫民進党代表の国籍問題で騒ぎが起こったのは、劣化した右翼思想のせいかと思っていましたが、考えてみると、これこそが「ガラスの天井」というやつでした。

そのことに気づかせてくれたのは、辛坊治郎キャスターの言葉です。

 

 

辛坊キャスター、蓮舫氏に「二番じゃなくて良かったですね」 

 
民進党の蓮舫新代表(48)が17日、日テレ系情報番組「ウェークアップ!ぷらす」(土曜・前8時)に生出演し、二重国籍問題について、改めて陳謝した。
 
 司会の辛坊治郎キャスター(60)から「おめでとうございます。二番じゃなくて良かったですね」と祝福されると、蓮舫氏は苦笑い。18歳の時に抜いたとしていた台湾籍が、現在も残っていたことが判明するなど説明が二転三転したことについては、「皆様方に二転三転のイメージを与えてしまったことは率直にお詫びを申し上げます」と謝罪した。
 
 この問題に関連して、辛坊キャスターは「普通みんな名字と名前で政治活動をしている。もうタレントさんでもないわけですから、代表就任を機に「村田蓮舫」と本名にするとか、そんな考えはありませんか」と名字を名乗ることを提案した。しかし蓮舫氏は「昔の父の姓だった時、その後母の姓になって、夫の姓になって、その中でずっと変わらなかったのは蓮舫という名前。私にとってはとても大切なもの。ここは今まで譲らないできたんですけど、いろんな声があると思いますので、参考にさせてください」と述べるにとどめた。
(後略)
 
 
自分がどんな名前を使うかは重要な問題で、当然自分で決めるべきことです。
辛坊氏の口出しは、大きなお世話というものです。
 
それはともかく、辛坊氏は改名を勧める理由として「もうタレントさんでもないわけですから」と言っていますが、蓮舫氏がタレントをやめたのはずっと前のことです。
ですから、辛坊氏の真意は「代表就任を機に」というところにあるのでしょう。
 
しかし、代表になったからといってどうして名前を変えなければならないのでしょう。そんな理由はあるわけありません。
 
女性が低い地位にいる場合はいいが、高い地位を目指そうとすると批判され、足を引っ張られるというのが「ガラスの天井」です。
 
辛坊氏は、蓮舫氏が党代表という「天井」に近づいたのでいやがらせを言ったわけで、まさに「ガラスの天井」問題の典型です。
 
考えてみれば、蓮舫氏の国籍問題は前からあったはずなのに、蓮舫氏が民進党代表選に立候補して、当選が確実視されたときから、急に騒がれだしました。
 
 
また、フジテレビ系の9月18日の「ワイドナショー」では、武田鉄矢氏が蓮舫氏についてこんな発言をしたということです。
 
「主役を取れない女優の典型」
「月9の主役になれないタイプ」
「明るい顔で話すことが政治家には必要。蓮舫は残念だが、表情が暗すぎる。自分の潔癖を語る時も暗い。嘘でもいいから明るい表情で語ってほしい」
 
政治家を評価するのに顔とイメージのことばかりです。男性の政治家に対してはこんなことは言わないはずです。
もちろん蓮舫氏が党代表になる前にも言いません。
 
 
女性が党代表になったことでは、土井たか子氏が1986年に日本社会党委員長になった例があります。このときはそれほど足を引っ張る動きはなかったように思います。
土井氏はもともと憲法学者でしたし、「お母さん」的なキャラクターだったということもあったでしょう。
 
それに対して、蓮舫氏はタレント出身で、オヤジ的なキャラクター分類では「女の子」になります。
「女の子」が野党第一党の代表になって、もしかすると首相にもなるかもしれないということで、多くの男が抑え込もうとやっきになっているわけです。
 
人間は序列のある群れをつくる動物なので、序列が乱れたときはマウントポジションを取ろうと争います。
冒頭で引用した辛坊氏と蓮舫氏のやり取りを見ると、辛坊氏の言葉は、政治家のゲストを迎えたキャスターの言葉ではなく、相手に対してマウントポジションを取ろうとするときの言葉です。
こういうことがなにも批判されずにまかり通っていては、日本の政治はよくなりません。

高畑裕太氏が逮捕された件は、検察が起訴猶予などではなく不起訴処分にしたことで完全に終わったわけですが、いまだにマスコミやネットでは高畑氏を批判する声が絶えません。今までさんざん批判してきた手前、急には切り替えられないからでしょう。
 
しかし、批判してきた人たちは高畑氏に謝罪しなければならない立場です。推定無罪の原則を無視して高畑氏を有罪扱いしてきたからです。
これは弁護士の郷原信郎氏も批判しておられます。
 
「推定無罪」を無視した高畑裕太氏事件を巡る報道・放送
 
 
ともかく、不起訴になってちょっと冷静になれたところで、「親の責任」について改めて考えてみたいと思います。
 
高畑氏が有罪と見なされていたときは、「子どもが20歳すぎれば親に責任はない」という意見が優勢でしたが、不起訴・釈放となったとたんに高畑淳子さんへの批判の声が上がっているのもおもしろい現象です。高畑氏の入院先が豪華すぎるということまで批判されています。
 
「甘やかしているのがよくない。もっと叱るべきだ」という意見もよくありました。こういう意見の人は、叱らなかったという「親の責任」を認めているはずですが、そういう自覚はあるのでしょうか。
 
それに、親が叱っていないという認識は正しいでしょうか。逆に母親の淳子さんが叱りすぎていたことを示唆する記事をふたつ紹介します。
 
 
以前、徹子の部屋に高畑淳子さんと姉のこと美さんが出演した際、
裕太さんは、母親から見て『固いお勤めは無理で、芸能界でないと
 働けないのかな』と思っている事、
そして、裕太さんの反抗期が、高畑淳子さんの更年期とかぶってしまい、
 当時はお互いに怒鳴り合っているのが外からでも分かるくらいだったそう。
(参考文献:徹子の部屋※TVでた蔵)
 
当時、裕太さんは中学生。
「家の中では罵声が飛び交い、お互いの仲も泥沼に落ちていった。」
「その日々を見ていた、姉のこと美さんも辛かったと思います。」
と高畑裕太さんブログ、淳子さんのブログには記載されています。
http://話題・.com/takahata_yuta.html
 
 
 
だが、子育ては順調ではなかった。2016826日放送の「とくダネ!」(フジテレビ系)では、高畑容疑者が中学時代に生活が荒れ、部屋からは母と子の怒鳴り合いが聞こえた過去や、全寮制の高校に進学したことに関して、淳子さんが「邪魔だったから出したみたいな感じがちょっとあって、すごく罪悪感みたいなのがあった」と振り返っていた。
 
 
記者会見のときも淳子さんは、裕太氏の子ども時代について、「規則をちゃんと守れないところ」「学校時代の遅刻」「うちへの帰宅時間」「学校の授業態度」について悩んでいたことを表明しています。
そして、高校は全寮制のところに行かせたわけですから、甘やかしていたとか、溺愛していたのとは逆です。むしろきびしすぎた、叱りすぎたというべきでしょう。
もし裕太氏が強姦などの犯罪をしていたら、淳子さんの叱りすぎに原因がある可能性があって、責任が問われたところです。
 
なぜ淳子さんは叱りすぎたのかというと、裕太氏はかなり個性の強い子どもだったのでししょう。
裕太氏は発達障害だったという説があります。そうかもしれませんが、そのことと犯罪は無関係です。
しかし、親が個性の強い子を受け入れることができず、叱って矯正しようとすると、人格がゆがんでしまい、そのために犯罪に走るということがありえます。
 
そもそも個性や発達障害は生まれつきのものですから、どうやっても矯正することはできません。
親のするべきことは、生まれつきの性質を全部受け入れることだけです。
淳子さんは「この子は将来大物になる」ぐらいに思っていればよかったのです。
というか、親バカという言葉があるように、本来親というのはそういうものです。
 
個性の強い子は社会に適応するときに苦労するかもしれませんが、それは本人が対処するべきことです。
このように考えれば「親の責任」はないことになります。
 
しかし、今は親が子どもをよくしようと一生懸命教育しています。その結果、子どもが悪くなったら、それは「親の責任」ということになります。当然のことです。


なお、裕太氏が芸能界に入って活躍するようになったのは淳子さんの引き立てがあったからで、そこだけ見ると甘やかしていることになります。それゆえ、世間の人もこの親子にきびしいのでしょう。
しかし、親の間違った教育でだめになりそうだった子どもが芸能界で自分の生きる道を見出したと考えると、私自身は応援したい気持ちになります。

蓮舫氏の国籍問題が一部で騒がれています。蓮舫氏は1985年に日本国籍を取得しましたが、台湾国籍の放棄が不明確ということが問題視されているようです。
 
こういうことで騒ぐのは間違いなく「愛国者」です。
愛国者は国旗国歌にこだわります。さらに国籍にもこだわるというわけです。
 
ここでいちばんたいせつなのは、蓮舫氏の政治姿勢や思想です。過去の言動で日本よりも台湾を優先しているような傾向があれば批判されて当然です。
しかし、そういうことは問題にされず、国籍のことばかりが問題にされています。
 
これは国旗・国歌の問題でも同じです。国歌斉唱のときに口を動かしていないとか、国旗掲揚のときに起立しないとかが問題にされますが、すべて見かけです。
 
国旗・国歌・国籍は国の包装紙みたいなものです。「中身よりも包装紙」というのが愛国者の考え方です。
 
 
なぜそうなるかというと、もともと「愛国心」には「愛」がないからです。それをごまかすために包装紙にこだわるわけです。
 
人間はほかの動物と同じく基本的に利己的な存在で、つねに互いに生存闘争をしています。
生存闘争は、個人間だけでなく、群れと群れでも行われ、その群れが大きくなって国家になりました。「利己心」も国家規模に拡大して、「利国心」になったわけです。
ところが、「利国心」を「愛国心」と言い換えているので、混乱しています。
 
「愛国心」を「利国心」と言い直し、「利己心」と同じものだと考えれば、混乱はなくなるはずです。
 
「愛国心」は「利己心」と同じものですから、抑制しなければならないのです。
 
 
ともかく、私は民進党の代表選に関して、前原誠司氏はなにを謝罪しているのか、謝罪の内容がわからないということを書こうとしたのですが、蓮舫氏の国籍問題がやたらに議論されているので、つい蓮舫氏の国籍問題について書いてしまいました。
しかし、これはどうでもいいことで、書くだけむだだったかもしれません。こういうことに時間を取られていては、日本の政治の劣化がますます進んでしまいます。
 

強姦致傷容疑で逮捕されていた高畑裕太氏が9月9日に釈放され、前橋地検は不起訴処分にしたと発表しました。
被害者との間で示談が成立したことも不起訴の理由ですが、そもそもあまり悪質な事件ではなかったということです。
 
弁護士も強気のコメントを発表しています。その一部を引用します。
 
 
私どもは高畑裕太さんの話は繰り返し聞いていますが、他の関係者の話は聞くことはできませんでしたので、事実関係を解明することはできておりません。
 
 しかしながら、知り得た事実関係に照らせば、高畑裕太さんの方では合意があるものと思っていた可能性が高く、少なくとも、逮捕時報道にあるような電話で「部屋に歯ブラシきて」と呼びつけていきなり引きずり込んだ、などという事実はなかったと考えております。
 
 つまり、先ほど述べたような、違法性の顕著な悪質な事件ではなかったし、仮に起訴されて裁判になっていれば、無罪主張をしたと思われる事件であります。以上のこともあり、不起訴という結論に至ったと考えております。
 
 
私は前に、強姦致傷容疑というのは警察によって“かさ上げ”された部分であり、あまり悪質性はないのではないかということを書きました。
 
高畑容疑者を批判する芸能人の無節操
 
ところが、マスコミやコメンテーターは「警察が強姦致傷容疑で逮捕した」という一点を頼りに、その容疑に匹敵する事実があるのだろうと勝手に推測して高畑裕太氏を猛烈に批判しました。
人を批判するときは確かな事実に基づきたいものです。
 
今後、高畑氏はどうなるのでしょうか。
示談が成立したということはそれなりの犯罪的行為があったのだと見なすこともできますが、不起訴になったということはなにもなかったのだと見なすこともできます。
これは警察に頼らずに一人一人が判断しなければなりません。芸能界やテレビ局がどう判断するかで、高畑氏の今後が決まります。
 
 
今回のことで思ったのは、みんなは親の七光りの二世芸能人にきびしいなあということです。
警察はそこにつけ込んできます――というのは私の想像ですが、十分にありうることです。
 
このところ凶悪犯罪の件数はどんどんへっています。たとえば殺人事件による死亡者の数は、2003年は705人でしたが、2015年は313人と過去最少になっています。
 
他殺による死亡者数の推移
 
犯罪がへると警察や法務省は予算をへらされるかもしれないので、犯罪がふえているようなイメージ操作をします。そこで利用されるのが、芸能人犯罪と少年犯罪です(実は少年犯罪もへり続けています)
 
マスコミにとっても犯罪報道は優良コンテンツですから、警察とマスコミの共同作業で芸能人犯罪と少年犯罪が大々的に扱われるわけです。
 
警察とマスコミがそういう操作をしているとあらかじめ頭に入れておけば、今回の高畑氏の逮捕劇も冷静に見られるはずです。

高畑裕太容疑者(22)が逮捕されたことで母親の高畑淳子さんが謝罪の記者会見を行い、それがきっかけで「親の責任」ということが改めて議論されています。
「子どもが20歳すぎれば親に責任はない」というのが今の主流の考え方です。とくに有識者とか知識人はみなその考えです。
しかし、こんなおかしな理屈はありません。
19歳と20歳とどこが違うのでしょうか。
 
法律はどこかで線引きをしなければなりませんから、未成年者が責任無能力者であった場合は、親などの監督義務者が損害賠償責任を負うことになりますが、道義的責任にそんな線引きがあるはずありません。
 
たとえば20歳すぎの若者がオリンピックで金メダルを取ったとき、親にも脚光が当たり、親が出てきて、その教育法を語ったりします。「子どもはもう20歳すぎですから、親は関係ありません」と言う親はまずいません。
ところが、若者が不祥事を起こすと、「もう20歳すぎですから、親は関係ありません」ということがまかり通っているのです。
いいときだけ出てきて、悪いときは無関係を装うというのは、あまりにもご都合主義です。
 
これは親だけのことではありません。
人間は一人では生きられない、互いに支え合っているのだとはよく言われることです。
これに20歳未満、20歳以上ということは関係ありません。
ところが、誰か一人が犯罪などの不祥事を起こすと、周りの人間は「本人の責任だ。私は関係ない」と言うのです。
これは当然、「十分に支えてやれなかった私にも責任がある」と言うべきです。少なくとも親しかった人間はそうです。
 
芸能界で高畑裕太容疑者と共演していた人たちも、「支えてやれなかった」「助言してやればよかった」などと反省の言葉があってしかるべきですが、逆に批判する声ばかりが聞こえてきます。
 
 
欧米では「子どもが20歳すぎれば親に責任はない」という考え方が一般的だと言われます。
ほんとうにそうなのかあやしい気がしますが、一応そうだという前提で話を進めます。
 
欧米で「子どもが20歳すぎれば親に責任はない」という考えが一般化したのは、欧米では子どものしつけ方が確立していて、どの家庭でも同じようにしつけているからではないかと思われます。
 
日本では江戸時代までは、武士階級は別として、子どもをきびしくしつけるという習慣がありませんでした。そこに明治政府により欧米流のしつけや教育が持ち込まれましたが、日本流と欧米流が混在し、いまだに各家庭でしつけのやり方がバラバラです。そのため「よいしつけ」と「悪いしつけ」という認識があり、親のしつけや教育のあり方が問われます。
しつけや教育が悪かったら、子どもは悪いおとなになります。これは当然親の責任です。どもが20歳すぎれば関係ないとは言えません。
 
それから、欧米の人は自分たちの文化に自信を持っています。
自信だけならいいのですが、それが傲慢になり、自分勝手になります。
ですから、植民地主義についても、優れた文化を教えてやったと思っていて、謝罪しません。
それと同じで、子どもを教育することは優れた文化を教えてやることだと思っているので、その結果子どもが悪くなったら、それは子ども自身の責任だという理屈で、親である自分を正当化して謝罪しません(欧米でもまともな親なら、子どもが悪くなったのは自分の責任だと認めるはずです)。
 
つまり「子どもが20歳すぎれば親に責任はない」というのは、身勝手な親がつくりだした理屈なのです。
 
日本の社会が絆をたいせつにし、互いに支え合う社会なら、子どもが20歳すぎれば親に責任はない」などという理屈が認められるはずありません。
 

9月1日は「子どもの自殺の特異日」です。
夏休み明けの最初の登校日に自殺が多いというわけです。
これはある意味当然ではありますが、もちろん自殺はなくしたほうがいいに決まっています。
菅官房長官も記者会見で異例の呼びかけをしました。
 
 
菅官房長官、悩みを持つ子どもに自殺を思いとどまるよう呼び掛け
 
自殺を思いとどまるよう呼び掛けた。
菅官房長官は、「大切なことは、決して1人でなく、そうした悩みや苦しみを、誰でもいいから打ち明けてほしいと思いますし、そうすることによって、きっと誰かが助けてくれる」と語った。
菅官房長官は1日、夏休み明けに、児童・生徒の自殺が増える傾向にあることに関し、悩みを持つ子どもに対し、誰かに相談するよう呼び掛けた。
政府の自殺対策白書によると、18歳以下の子どもの自殺は、91日が突出している。
菅長官は、「休み明けは、児童・生徒にとって生活環境が大きく変わり、プレッシャーが生じやすい」と指摘し、「学校、地域、家庭が連携して、児童・生徒の変化を適切に把握していくことが重要」との認識を示した。
 
 
呼びかける対象が違います。
親に対して、新学期が始まるに際して子どもの様子をよく見るように呼びかけるべきです。
 
菅官房長官は、悩みを打ち明ければ「きっと誰かが助けてくれる」と言いましたが、なんの根拠もない無責任な言葉です。
助けてくれる人がいたら、きっとすでに相談して助かっています。誰も助けてくれない状況にいる子が自殺するのです。
 
 
ロンブーの淳さんも自殺特異日に合わせて、次のようなツイートをして、話題になりました。
 
 
  田村淳
 ‎@atsushilonboo 
気持ちが乗らないなら
学校なんて
無理して行くことない
その代わり
他の場所を探す努力を
学校以外にも
学ぶ場所は沢山ある。
 
201691 00:44
 
 
これも子どもに呼びかけています。
「学校なんて無理して行くことない」と言いますが、子どもが学校に行きたくないと言えば、ほとんどの親は必死で子どもを学校に行かせようとしますから、親子で深刻なバトルが生じます。
ですから、むしろ親に「子どもを無理して学校に行かせないでください」と言うべきです。
 
子どもはほとんど自己決定権のない状況に置かれているのですから、子どもに呼びかけて問題が解決するはずありません。
 
とくに菅官房長官は、子どもや親に呼びかけるよりも、その立場からして学校に呼びかけるべきでしょう(一応「学校、地域、家庭が連携して、児童・生徒の変化を適切に把握して」とは言っていますが、具体性がありません)
 
イジメ問題についても、「イジメはよくないことだとわからせる」とか「命のたいせつさを教える」など、もっぱら子どもへの働きかけが行われています。
これは、学校や家庭はそのままで、子どもを変えることでイジメを解決しようという横着な発想です。
 
おとながみんなこうした発想でいる限り、子どもの自殺もイジメもなくせるわけがありません。 

強姦致傷の容疑で逮捕された高畑裕太容疑者ですが、その犯行がどれだけ悪質なものであったかについては疑問があります。
といって、ハニートラップにあったとかいうのではありません。警察がことを大げさにしている可能性があると思うのです。
 
みのもんたさんの次男が窃盗未遂容疑で逮捕されたときがそうです。あれだけ大騒ぎしたのに、結局不起訴(起訴猶予処分)になりました。もともと現行犯でもないのに窃盗未遂で逮捕したのが不自然でした。このごろの警察は有名人がターゲットだと妙に張り切るようです。
 
高畑容疑者の場合、被害女性は指をケガして全治1週間の診断書を提出し、これにより強姦致傷の容疑になりました。
高畑容疑者は8月23日の午前2時すぎにホテル従業員の女性に歯ブラシを持ってくるように言い、午前3時32分に女性の知人男性から警察に110番通報があり、午後1時40分に高畑裕太容疑者が逮捕されています。
 
診断書の提出が早すぎるのではないかということからハニートラップ説が出てきたようです。
確かにわずかのケガで病院の夜間救急外来に行って診断書を取ったとすれば不自然な感じがします。しかし、私が思うに、被害女性は警察の指示か助言で病院に行って診断書をもらったのではないでしょうか(実際にケガをしたのですから、警察は間違ったことをしているわけではありませんが)
テレビでコメンテーターが強姦致傷がいかに重い罪であるかを解説しているのを見ると、それは警察によって“かさ上げ”された部分かもしれないのになあと思ってしまいます。
 
 
ともかく、高畑容疑者を徹底的に批判するのはためらってしまいます。
しかし、芸能界の人は昨日までいっしょに仕事をしていた仲間を、警察が逮捕したとたんに手の平を返したように批判しています。
 
たとえば高畑容疑者と共演したことのある中尾彬氏は、「人の話は聞かない、あいさつはできない。私は50年仕事してきてるけど、初めて怒鳴ったね」と激怒したそうです。
坂上忍氏も、タメ口、下ネタを連発した高畑容疑者について、「オレ、親だったら絶対ブン殴ってる」「ガチで怒った」と語りました。
 
しかし、高畑容疑者がバラエティ番組で人気になったのは、そういうタメ口のキャラだったからではないかと思われます。そもそもバラエティ番組というのはそういうものです。先輩にきちんとした口を利いていたらおもしろくありません。ローラさんなんか黒柳徹子さんにもタメ口でしたが、逆に評判になりました。
中尾彬氏や坂上忍氏もそういうバラエティ番組の論理をわかっているはずなのに、逮捕されたとたんに批判するのはどうかと思われます。
 
それに、先輩にタメ口というのは、それほど悪いことではありません。ほんとうに悪いのは、弱い立場の者に偉そうにしたり、傷つけるようなことを言ったりすることです(礼儀正しいといい人間だと思われますが、いい人間になれるわけではありません。日本でいちばん礼儀にうるさいのはヤクザ社会で、その次が芸能界です)
 
 
松本人志氏は母親の高畑淳子さんについて、「もうちょっと息子に怒らないといといけないと思います」とコメントしています。
ほかにも、甘やかしたのがよくない、もっと叱るべきだという意見はよくあります。
高畑親子で共演したことが何度もあるようで、そのときにタメ口の息子を叱らなかったということを言っているのかもしれません。
 
しかし、テレビカメラがあってもなくても、人前で親が成人した子どもを叱れるものではありません。もし叱ったら、その場の雰囲気をぶち壊してしまいます。
 
高畑淳子さんの記者会見の言葉から判断すると、淳子さんは子どものころの裕太容疑者の素行にずっと悩んでいて、逆に叱りすぎていたのではないかと思われます。
 
「もっと叱るべきだ」というのは、実態に合わない無責任なコメントです。
 
 
ところで、いろいろ検索していると、高畑容疑者が今年6月に日本テレビの「24時間テレビ」の番組パーソナリティに決定したときの記事を見つけました。そのときから高畑容疑者のキャラはみんなわかっていたわけです。
 
 
キャラかぶった!?高畑裕太に小山慶一郎「手越が2人いる」
 
 俳優の高畑裕太(22)が8月27、28日に放送される日本テレビ「24時間テレビ39」で番組パーソナリティーとして初参加することになり、23日に東京・汐留の同局で行われた会見に、メーンパーソナリティーの「NEWS」、スペシャルサポーターのタレント今田耕司(50)らと出席。
 
 番組への初参加に高畑は「本当嬉しいんですよね、マジで。めちゃめちゃ光栄。純粋にパッションです」とハイテンション。会見では高畑に「生放送怖い」(今田)、「怖いなぁ。途中からいなくなっている可能性がある」(羽鳥アナ)、「発言だけ気をつけていただければ」と口々に心配の声が上がった。小山慶一郎(32)も「心配なやつが1人いる…発言だけ気をつけて」と続けた。高畑自身でもその自覚はあるようで「僕という存在が生の公共の電波に映っていい存在なのかという葛藤(はある)。やっぱ緊張する」と本音をもらし、「マジで心配です。母親(高畑淳子)に話したら『やめさない』って言われた」と母から止められたことを告白した。
 
 そんな高畑の姿に小山は「手越が2人いる、ジャンルは一緒」とハイテンションキャラのメンバー、手越祐也(28)と重ね合わせしみじみ。「オレ、あんな感じ?」と首をひねる手越をよそに、高畑は「ちょっとだけ下宿した感じ」と独特の表現で受け、笑わせた。番組パーソナリティーはお笑いコンビ「オリエンタルラジオ」とともに務めることになる。  
 

[2016623 14:21 ]

 
 
どういうキャラかわかっていたのに、いざ警察に逮捕されるとみんな手の平返しです。
マスコミや世間が警察の判断に完全依存しているのも情けないですが、芸能界ぐらいは仲間をかばうところがあってもいいのではないでしょうか。

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