村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

2016年10月

高樹沙耶容疑者が大麻所持の現行犯で逮捕されてから、世の中は例によって高樹容疑者批判があふれています。
 
ちょっと世の中と違う反応をしたのは古舘伊知郎氏です。古舘氏は報道のあり方に対して、「ニュースやワイドショーが、結構ビックリした顔してやってるんですよ。ウソつけ! みんなやってると思ってませんでした?」と語りました。
高樹容疑者は医療用大麻の解禁を訴えて選挙に出馬しましたし、外国で大麻を経験したことをブログで公表していますから、確かに驚くのはわざとらしいです。
 
高樹容疑者が違法行為をして逮捕されるのは当然としても(今のところ本人は容疑を否認)、これをきっかけに大麻合法化について議論してもいいはずですが、そういう議論はほとんどありません。
 
例外は堀江貴文氏ぐらいでしょうか。堀江氏は法律への疑問を表明しています。
しかし、それに対するネットでのリアクションがあまりにもお粗末で、この国の劣化を象徴しています。
 
 
「戦前は合法だったのに…」ホリエモン、高樹容疑者逮捕に持論もネットでは賛否
 
 ホリエモンこと実業家の堀江貴文氏(43)が25日、自身のツイッターを更新。元女優、高樹沙耶容疑者(53)が同日、厚労省関東信越厚生局麻薬取締部に大麻取締法違反の現行犯で逮捕されたことについて、高樹容疑者の擁護とも受け取れる意見をツイート。堀江氏の発言に、ユーザーたちから賛否の声が寄せられている。
 堀江氏は自身のツイッターで高樹容疑者逮捕のニュースを取り上げ、「日本って法律に書いてある事破ると倫理的に悪いことしてるみたいに思われるよね。戦前は合法だったのに…」と持論を展開した。
 これを受け、ユーザーたちからは賛否の声が寄せられたが、「倫理的に悪いから戦後に違法になったのでは?」「法を破る行為自体が倫理に反しています」「倫理観も時代によって異なるので、戦前は合法というのも説得力に欠ける気がします」などと、堀江氏の持論に否定的な意見がやや目立つ結果に。「せめて末期がんに対する医療大麻は合法化してほしいですね」という高樹容疑者と同様の訴えもあったが、中には「自己弁護に聞こえます」という厳しい意見も見られた。
 
 
大麻を合法化するべきか否かについては、むずかしい問題ですから賛否が分かれて当然ですが、堀江氏の主張の眼目は「法律と倫理は別」ということで、当たり前のことです。
ところが、それに対して、倫理よりも法律が上であるかのような反論が寄せられています。「法を破る行為自体が倫理に反しています」というのはその典型です。
 
当たり前のことですが、もともと倫理や道徳があって、それを踏まえて法律がつくられたわけです。法律が倫理を規定するということはありません。
 
倫理・道徳>法律
 
これが原則です。
 
よく「悪法も法なり」という言葉を持ち出して法律を絶対化する人がいますが、「悪法」という以上、悪法と良法(善法?)があるわけで、それを区別する倫理的判断力が必要です。
 
とくに民主主義国では、国民の代表者が法律をつくるわけで、国民も法律の良し悪しを判断する能力を持たなければなりません。
高樹容疑者の逮捕は、大麻取締法の良し悪しについて考えるいい機会です。
 
それなのに、大麻取締法の良し悪しを論じずに高樹容疑者の批判ばかりをするマスコミは、民主主義国にふさわしいとは言えません。

1022日、自衛隊殉職隊員追悼式が行われ、安倍首相が参列して追悼の辞を述べましたが、御霊(みたま)という言葉を連発して、死者をほめちぎりました。
 
 
28年度自衛隊殉職隊員追悼式に当たり、国の存立を担う崇高な職務に殉ぜられた自衛隊員の御霊に対し、ここに謹んで、追悼の誠を捧げます。
 この度、新たに祀られた御霊は、31柱であります。
 御霊は、強い使命感と責任感を持って、職務の遂行に全身全霊を捧げた、かけがえのない自衛隊員でありました。
(中略)
御霊は、立派に使命を果たし、国のために尽くし、大きな足跡を残されました。私たちは、その勇姿と名前を永遠に心に刻み付けてまいります。その尊い犠牲を無にすることなく、御遺志を受け継ぎ、国民の命と平和な暮らしは断固として守り抜いていく。そして、世界の平和と安定に貢献するため、全力を尽くすことをここに固くお誓いいたします。
(後略)
 
 
この追悼式の死者はほとんどが訓練中に事故死した人たちと思われ、戦死ではありませんが、安倍首相の頭の中はもうすでに“戦死対応モード”になっているようです。
 
この追悼式について産経新聞はこんな記事を書いています。
 
殉職自衛官追悼式、野党議員で参列したのは1人だけ 安倍晋三首相が追悼「国民の命と平和を守り抜いていく」
 
追悼式に参加した国会議員は13人で、そのうち野党議員は1人だけだったのはけしからんというニュアンスの記事です。
 
しかし、殉職隊員追悼式に出るのは政治家の本来の仕事ではありません。殉職者を出さないようにするのが政治家の仕事です。
政治家なら、自衛隊の訓練の安全管理に問題はなかったかとか、PKOで派遣されている自衛隊に危険はないかとかをただしていくべきです。
 
戦死者や殉職者が出てからの英霊や御霊のことは宗教家に任せるべきで、政治家はもっぱら“現世ご利益”を目指せばいいのです。
 
 
南スーダンのPKOがきわめて重要な任務なら、自衛隊員の命が危険にさらされてもやるべきだという考え方はありえます。
しかし、安倍政権はPKOの重要性を説くのではなく、戦闘を衝突と言い換えて、危険がないからPKOを延長するのだと言っています。
これでは自衛隊員を殺すのが目的としか思えません。
安倍首相や産経新聞の論理もそれと符合しています。今から自衛隊員の戦死に備えているのです。

勝利ではなく戦死を目的に戦争をするとは、人類史にかつてなかった倒錯です。 
安倍首相も産経新聞も軍国主義の悪霊にとりつかれているとしか思えません。
 

アメリカ大統領選挙は11月8日投票ですが、どうやらクリントン候補が勝ちそうです。
トランプ候補が負けるとなると(まだ決まったわけではありませんが)、ちょっとやらせてみたかったなという気がしないでもありません。
 
トランプ候補はロシアのプーチン大統領とウマが合います。それに、NATOの役割をほとんど評価していません。もちろんこのふたつは表裏一体です。
アメリカとロシアが仲良くなれば、NATOの存在価値はほとんどなくなってしまいます。
 
トランプ候補は日米安保もほとんど評価していません。アメリカが金を出して日本を守ってやっているという認識のようです。
 
つまりトランプ候補はアメリカの軍事的覇権に興味がないのです。
彼はアメリカ・ファーストを言いますが、ほとんど経済力のことを言っているのではないかと思われます。
 
ですから、トランプ大統領が誕生すれば世界は平和になるのではないかと、ちょっと期待していたのです。
もっともその反対に、やたら軍事力を行使する最悪の大統領になったかもしれませんが。
 
 
“フィリピンのトランプ”ことドゥテルテ大統領は中国を訪問し、2兆5000億円規模の経済協力で合意したほか、共同声明では南シナ海の領有権問題で国際仲裁裁判所判決に言及せず、「直接の関係国の協議によって解決する」と明記しました。
 
「航行の自由作戦」で南シナ海の領有権問題に首を突っ込んでくるアメリカの梯子を外した格好です。
 
 
トランプ候補もドゥテルテ大統領も、冷戦思考を脱却していて、アメリカの覇権主義に冷淡なところは共通しています。
考えてみれば、冷戦が終わればアメリカとロシアが対立する理由はありませんし、アメリカが南シナ海の領有権問題に首を突っ込む理由もありません(アメリカといっしょになって首を突っ込もうとする日本もバカみたいです)
 
日本はなぜか国を挙げて冷戦思考に凝り固まっていて、中国の軍拡が脅威だとか言っています。
しかし、これは安倍首相が中国へ行って習近平主席と笑顔で握手すれば終わってしまう話です。
トランプ候補もドゥテルテ大統領もろくな人物ではないと思いますが、日本人の冷戦思考にはいい解毒剤になります。

沖縄県で米軍のヘリパッド建設を巡る問題で大阪府警から派遣された機動隊員が建設反対派に対して「コラ、ボケ、土人が!」とののしっていることが明らかになりました。
また、同じ大阪府警の別の機動隊員が「「黙れ、コラ、シナ人」という言葉も使っていたことも明らかになりました。
どちらも若い隊員です。「土人」などという言葉を使う差別思想をどこで学んだのでしょうか。
 
松井一郎大阪府知事は「土人」発言について、「表現は悪かったし、反省すべきだと思う」とした上で、「相手もむちゃくちゃ言っている」「売り言葉に買い言葉でついつい口が滑る」などと擁護しました。またツイッターでは「大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」とも投稿していました。
 
松井知事は、警視庁の警官が大阪府民を「土人」呼ばわりしたときも、「一生懸命職務を遂行していたのがわかりました」と言うのでしょうか。
 
日本人が日本人に向かって「土人」「シナ人」とののしるのはおかしなことです。
これを沖縄県民に対する差別だと見なすのは少し違います。沖縄への差別意識は日本人の間に広く薄く存在しますが、そこから「土人」「シナ人」という言葉は出てきません。
 
機動隊員が守っているのは、米軍基地の工事現場です。そして、対峙しているのは日本人(沖縄県民)です。これでは機動隊員は“アメリカの番犬”です。
 
彼ら自身もそのことがわかっているので、なんとかして精神のバランスを取るために対峙する日本人を「土人」「シナ人」と見なすわけです。
 
これは日本がアメリカに従属していることからきています。
普天間基地の危険を除去するために、代わりに辺野古に日本が金を出して米軍基地をつくらねばならず、しかもそれが完成するまで普天間基地の危険が除去できないという不可思議な“日米合意”はその典型です。
 
沖縄に派遣されて“アメリカの番犬”をやらされる機動隊員は、ある意味犠牲者です。
 
 
犠牲者といえば、稲田朋美防衛相もそうです。稲田防衛相は「WILL」2012年1月号においてこう語っていました。

「そこまでアメリカ様の言う事を聞かなきゃいけないんですかと、アメリカに守ってもらっているからと言って何が何でもご機嫌を損ねちゃいけないと、過度に思い込んでいるんじゃないでしょうか。しかもアメリカ軍が日本に駐留している一番の理由はアメリカの利益であって、日本を守る為ではありません。どこまで日本はおめでたいのでしょうか」
 
普通のことを言っていたわけです。
しかし、国会でこのことを追及されると、「事前に質問通告をいただいていないので」とまともに答えませんでした。
 
稲田防衛相の場合は、持論を封じても大臣というポストにありついているので、まだましです。
 
安倍首相も昨年4月にアメリカ議会の上下両院合同会議でひたすらアメリカにこびる演説をし、解釈改憲で「切れ目のない安保法制」をつくって自衛隊をアメリカに協力させることにし、そのため憲法九条を改正する理由がなくなってしまいましたが、自分は長期政権が目指せそうです。
 
日本は構造的な売国国家なので、政治家も生き残ろうとすれば売国政治家にならざるをえません。
政治家はステータスがあるのでまだましですが、売国の第一線に立たされる自衛隊員や機動隊員は気の毒です。

ベッキーさんとの不倫で有名になったゲスの極み乙女の川谷絵音氏が「週刊文春」にタレントのほのかりんさんと交際中だと報じられ、川谷氏は活動自粛を発表しました。
川谷氏は独身ですから、交際には問題ないはずですが、19歳のほのかりんさんがデート中に飲酒していたことが問題視されたようです。
 
川谷氏が法律違反をしたわけではありませんし、19歳での飲酒がそれほど問題かという気もします。
 
そもそも酒、タバコ、ギャンブル、ポルノにおける年齢制限というのは、合理的な理由がありません。
 
酒の場合、適量なら健康にいいという説があり、若いころから飲むとアルコール依存症になりやすいので、どこかの年齢で線引きすることに一応意味はあります。
しかし、タバコの場合、百害あって一利なしですから、20歳すぎれば喫煙が許されるのはおかしなことです。
ギャンブルやポルノにしても、年齢制限のある理由がよくわかりません。
 
酒、タバコ、ギャンブル、ポルノというのは、享楽的で、非生産的で、健康を害することがあり、身を持ち崩すこともあるので、やらないにこしたことはありません。
この点で、同じ年齢制限のある運転免許などとは根本的に違います。
禁止するなら年齢に関わりなく禁止するべきなのです。
 
酒、タバコ、ギャンブル、ポルノについては「未成年禁止」あるいは「18歳未満禁止」と言われていますが、「成人免責」あるいは「成人特権」と言ったほうが正確な表現です。
これが理不尽なため、若者が反発してかえって酒、タバコに手を出したくなったりします。
 
今、一律に禁止すると、特権を享受してきた人たちが反発しますし、タバコなどは簡単にやめられませんから、たとえばタバコの禁止年齢を、今年は20歳ですが、来年は21歳、再来年は22歳と、毎年1年ずつ上げていけばいいのです。
ギャンブルなどは、逆に年齢制限をなくして、子どもでもできるようにするという方法もあるかもしれません。
 
「在日特権」はほとんど妄想ですが、「成人特権」は現実のものです。「成人特権」をなくすことには意味があります

電通の女性新入社員が過労自殺したことについて、武蔵野大学の長谷川秀夫教授が「残業100時間超で自殺は情けない」などとネットに投稿したことが批判されています。
この件はすでに労災認定されていますし、自殺を本人のせいにする主張が賛同を得ないのは当然です。
 
ところが、子どもが自殺した場合はどうでしょう。
子どもの自殺がマスコミで取り上げられると、「子どもに命のたいせつさを教えるべきだ」という反応が必ず出ます。
それから、教師などに叱られたあと自殺した場合、「このごろの子どもは叱られた経験がないから、ちょっと叱られただけですぐ自殺する」という声が出ます。
これらは自殺を本人の愚かさやひ弱さのせいにしています。
長谷川教授の「残業100時間超で自殺は情けない」にならって言えば、「ちょっと叱られただけで自殺は情けない」ということです。
 
しかし、「子どもに命のたいせつさを教えるべきだ」とか「このごろの子どもは叱られたことがないからすぐ自殺する」とか主張する人が長谷川教授のように批判されることはありません。
 
 
電通社員の自殺の場合、過重な残業やパワハラなどで強いストレスのかかったことが自殺の原因と見られています。
 
子どもの自殺の場合、その原因を追及すると、過重な学校の勉強や宿題、塾通い、習い事、親や教師の叱責などが表れてくるはずです。
しかし、それは周りのおとなにとって都合が悪い。そこで、代わりに同級生のイジメが自殺の原因とされるわけです。
 
もちろんイジメも原因なのでしょうが、それだけで自殺するとは思えません。
今回の電通に限らず会社員が自殺した場合、職場の同僚からのイジメが原因だったと発表されて、納得がいくでしょうか。

「死人に口なし」で、子どもの自殺原因は、周りのおとなの都合でねじ曲げられています。

会社員の自殺についてブラック企業の責任が追及されるように、子どもの自殺についてはブラック学校、ブラック家庭の責任が追及されて当然です。

次期国連事務総長に元ポルトガル首相で前国連難民高等弁務官のアントニオ・グレーテス氏が選ばれることが確実になりました。
グレーテス氏について、その経歴とか、家族のこととかが紹介されていますが、宗教について書かれた記事がありません。
 
ポルトガル人ですから、まず確実にキリスト教徒で、それもカトリックでしょう。それに、社会党書記長だったりしたので、あまり信仰心は篤くないでしょう。そういうことで書かれないのかもしれませんが、今はイスラム過激派との戦いが世界における最大の問題ですから、次期国連事務総長の信仰する宗教がなにかは重要な情報です。
 
これまで国連事務総長は代理も含めて9人いますが、イスラム教徒は1人もいません(潘基文氏は自分の宗教を明らかにしていないので除く)
 
エジプト人のガーリ氏はキリスト教の一派であるコプト正教会の信者でした。
 
ビルマ人のウ・タント氏は仏教徒でした。キリスト教徒でないのはウ・タント氏だけです。
 
つまり歴代国連事務総長はキリスト教徒に偏っており、イスラム教徒はまったく排除されています。
 
国連事務総長は、慣例として大国からは選ばれません。また、地域が偏らないように配慮されます。今回は潘基文氏の次ですから、アジアはなかったわけです。
これまで東欧からは1人も選ばれていなかったので、今回は東欧から出そうという動きがありました。また、女性は1人もいなかったので、今回は女性を選ぼうという動きもありました。
 
次期国連事務総長選、10人前後が取りざたされる乱戦状態 「東欧出身」か「女性」か初物争いも
 
しかし、イスラム教徒から選ぼうという動きはなかったようです。
 
「クオータ制」といって、人種差別や性差別による偏りをなくすために議員数などを割り当てることが多くの国で行われています。
クオータ制は宗教差別に対しても行われていいはずです。
世界におけるキリスト教徒は約20億人、イスラム教徒は約16億人です。国連など国際機関でこの人口比率が反映されているとは思えません。
 
宗教差別にもクオータ制を採用しようという動きがないのは、宗教差別が隠されているからです。たとえば「これまでイスラム教徒の国連事務総長は1人もいなかった」とか「次期国連事務総長もキリスト教徒だ」といったことはまったく報道されません。
 
イスラム教差別をなくさずにイスラム過激派のテロだけをなくそうとしても、うまくいくはずありません。
 

日弁連は10月7日、人権擁護大会で死刑廃止宣言を採択しましたが、反対・棄権もあって、賛成は7割弱でした。
瀬戸内寂聴さんが採択反対派の弁護士のことを「殺したがるばかども」と呼んだことで物議をかもす一幕もありました。
 
弁護士でありながら死刑賛成とはどういう論理でしょうか。
「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」は採択反対の声明を発表し、その中で「凶悪犯罪の被害者遺族の多くは加害者に死をもって償って欲しいと考えており、宣言は被害者の心からの叫びを封じるものだ」と主張しています。
要するに「被害者遺族の感情」を死刑賛成の理由にしているのです。
 
「感情を理由に殺人を肯定する」というのは殺人犯の論理そのものです。
これでは「殺したがるばかども」と呼ばれてもしかたありません。
 
弁護士法の第一章第一条には「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」とあります。
つまり「人権」と「正義」がうたわれているのです。
しかし、最近は「正義」の価値が下落しているので、もし死刑賛成の理由に「正義」を持ち出したら、「正義とはなんだ」「テロリストの正義とどこが違う」などと反論されてしまうでしょう。
ですから、もっぱら「正義」の代わりに「被害者(遺族)の感情」が死刑に限らず厳罰化の理由に持ち出されるのです。
 
しかし、人間の感情は正しいとは限りません。
傷ついた人間の感情はなおさらです。
 
犯罪被害者が「犯人を死刑にしたい」という感情に駆られるのは自然なことではありますが、これは要するに「暴力の連鎖」です。
弁護士が「暴力の連鎖」に加担することは許されません。
 
犯罪被害者支援に取り組む弁護士は、被害者の傷ついた心をいやすことを優先し、被害者の思いを社会に発信するのは、被害者の心がいやされてからにするべきです。
 
 
今のように「被害者の感情」が重視されるようになったのは、法務省など司法当局が厳罰化を進める道具に利用してきたからです。
司法当局は死刑制度の維持のために「国民感情」も利用しています。
マスコミも容疑者バッシングのために「被害者の感情」を利用しています。
そのため日本は「感情を理由に殺人を肯定する」という殺人犯の論理がまかり通る国になってしまいました。
 
最近はアメリカも死刑制度を廃止する州がふえています。
そのうち先進国で死刑制度のある国は中国と日本だけということになりそうです。

稲田朋美防衛相は、過去の核武装容認発言と今の考えとの違いを追及されてしどろもどろになり、蓮舫民進党代表に「気持ちいいぐらいの変節ですね」と決めつけられました。
その前には、海外出張を理由に全国戦没者追悼式を欠席したことを辻元議員に追及され、涙ぐむという場面がありました。
 
これは稲田防衛相の個人的な問題だけではなく、右翼政治家の宿命みたいなものです。
つまり一政治家としては言いたいことを言っていても、アメリカからその発言が注目される立場になると、アメリカの意向に反することは言えなくなるのです。
 
これは安倍首相も同じです。右翼的主張を封印してアメリカに迎合することで政権の長期化をはかってきました。
 
 
ところで、稲田防衛相が全国戦没者追悼式を欠席したのはジブチの自衛隊基地を訪問するためでした。終戦記念日に靖国神社に参拝するとアメリカに怒られるし、参拝しないと国内の右翼勢力に怒られるので、海外出張でごまかそうとしたわけです。
 
ジブチには自衛隊唯一の海外基地があります。この基地をつくったときにすでに日本は専守防衛を捨てていたわけです。
もっとも、ジブチに基地をつくったのはソマリア沖の海賊対策のためという名目です。
海賊対策というと、軍事というより警察行為というイメージがあります。
 
それにしても、海賊対策のために基地までつくる必要があるのでしょうか。
外務省のデータによると、ソマリア沖の海賊事件はへり続け、2011年に237件あったのが、2015年には0件になっています。
 
しかし、これは各国の海賊対策が功を奏しているためだから、海賊対策をやめるわけにはいかないという理屈のようです。
 
ジブチにはアメリカ軍の基地もあります。「日経ビジネスオンライン」の「ジブチに集う欧米と日本の自衛隊」という記事から引用します。
 
 
 レモニエ基地はアメリカにとって、アフリカにおける唯一の軍事基地だ。面積は500エーカー(約202ヘクタール)。ジブチにある自衛隊の拠点の20倍弱に及ぶ。その威容は、ジブチのアンブリ国際空港に立つと分かる。3500メートルの滑走路を持つ同空港施設の片側1面がすべて米軍基地なのだ。
 
 実は、この基地の活動目的は海賊対処ではない。海賊対処はバーレーンに拠点を置く米中央軍が管轄している。レモニエ基地が担っているのはアフリカの角地域を安定化させる任務だ。主に、テロリスト攻撃作戦、各国軍のキャパシティビルディング支援、そして民生支援活動を行っている。
 
 
なお、ジブチには旧宗主国のフランスも基地を持っています。
さらに、今年に入って中国も基地建設を始めました。これは中国にとって初めての海外基地です(ジブチは基地ビジネスで稼いでいるようです)
 
ともかく、自衛隊の基地は海賊対策のためだけとは思えません。むしろアメリカ軍の助けをするための基地ではないかと思われます。
要するに「思いやり予算」の海外版で、予算のほかに人員も出しているということです。
 
民進党にはここも追及してもらいたいところですが、実はジブチに自衛隊基地をつくると決めたのは2011年で、菅政権のときです。ですから、ジブチの自衛隊基地は与野党の争点になりません(共産党は別です)
そのため、日本の唯一の海外基地にもかかわらず、その存在を知らない人も多いのではないでしょうか。
 
それにしても、ジブチに派遣された自衛隊員はつらいところです。
この任務は、国を守るためではないし、海賊対策の意味もなくなって、やっぱりアメリカのためかと思っているでしょう。
 
稲田防衛相はジブチを視察してなにを感じたのでしょうか――と言いたいところですが、なにを感じようと、アメリカに追随していくのが安倍政権の進む道です。

フィリピンのドゥテルテ大統領は、「ヒトラーは300万人のユダヤ人を虐殺したが、(フィリピンには)同じ数の麻薬中毒者がいる。彼らを虐殺できれば幸せだ」と発言しました。
国際社会から非難を浴びると、ユダヤ人社会に対しては謝罪しましたが、麻薬中毒者を殺すと言ったことについては謝罪していません(ドゥテルテ大統領は10月下旬に来日することになっていますが、安倍首相は笑顔で握手するつもりでしょうか)
 
これと似ているなと思ったのが、人工透析患者を殺せとブログで発言したフリーアナウンサーの長谷川豊氏です。
 
長谷川氏は、人工透析患者の多くは医師からの注意を無視して自堕落な生活を送り続けた結果人工透析を受けざるを得なくなった患者であると主張し、「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」という過激なタイトルのブログ記事を書きました。
これに抗議が殺到して炎上しました。
長谷川氏は、タイトルに「殺せ」という言葉を使ったのは誤解を招いたと反省していますが、「保育園落ちた日本死ね!!!」と同じで、過激な言葉で自分の主張を拡散したかったからだとし、「今でも間違った内容を書いたつもりはない」、全国腎臓病協議会(全腎協)が公開抗議文で謝罪を要求していることについても、「謝罪については断固拒否する」と語っています。
 
ヒトラーはユダヤ人という人種を抹殺しようとしました。
「ヒトラーの思想が降りてきた」という相模原19人殺しの植松聖容疑者は、知的障害者を殺しました。
「人種」や生まれつきの「障害」というのは、本人の意志ではどうにもならないことです。こうしたことを理由に迫害や蔑視をすることは差別であるとコンセンサスができています。
 
その点、ドゥテルテ大統領が殺すと言っているのは犯罪者ですし、長谷川氏が殺せと言ったのは自堕落な生活をしてきた人工透析患者です。
「犯罪」や「自堕落」な生活というのは本人の意志によるものだから差別ではないというのが、ドゥテルテ大統領や長谷川氏の考えでしょう。
 
しかし、このような本人の意志、つまり「自由意志」を前提とした考え方は今や破綻しつつあります。
 
たとえば糖尿病が原因で人工透析になる患者が多いのですが、1型糖尿病はもちろん2型糖尿病も遺伝的要素が強いことがわかってきています。
また、糖尿病の原因に肥満も挙げられます。昔は「身長は遺伝だが体重は本人の意志」という考えが支配的でしたが、今は肥満遺伝子が発見されるなど、生まれつき太りやすい体質のあることがわかっています。
「自堕落」などという道徳概念を病気の原因と見なす長谷川氏の主張が炎上を招くのは当然です。
 
ドゥテルテ大統領も麻薬中毒者を殺すと言っています。麻薬使用は犯罪なのでしょうが、麻薬中毒は病気です。ドゥテルテ大統領の主張も破綻していると言わざるをえません。
 
 
病気については医学的研究が進んで「自由意志」の範囲はどんどん狭まっています。最終的には「自由意志」は消滅するはずです。
 
ただ、犯罪や貧困などの社会的問題については科学が及ばないので、いまだに「自由意志」のせいにされています。
そのため貧困や格差は「自己責任」だとする新自由主義的主張がまかり通っています。
 
しかし、社会科学がほんとうの科学になれば、こうした事態もなくなるでしょう。今は過渡期であり、ドゥテルテ大統領や長谷川氏の主張はあだ花みたいなものです。

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