麺をずるずると音を立てて食べるのは不快だから、そういう食べ方をヌードルハラスメント、略してヌーハラというのだそうです。
最近、ラーメン好きの外国人がふえてきていますが、外国人には麺をすすって食べるという習慣がなく、日本人の音を立てる食べ方に苦情を言うことがあるそうです。
それに対して「日本の食文化について外国人に文句を言われる筋合いはない。それがいやなら食べにくるな」などと反論が出て、一種の文化摩擦になっています。
人がものを食べる音は生理的に不快なので、できる限り音を立てないで食べるというのは世界共通のマナーです。ところが日本では、とくに日本そばについては逆に音を立てて食べるのがマナーとされます。
その類推でラーメンも音を立ててかまわないとされているようです。
世界の常識とまったく逆のマナーがどうしてできたのかについて、前に書いたことがありますが、もう一度書くことにします。
そもそも細く切った麺が食べられるようになったのは江戸時代のことです。ウィキペディアの「蕎麦」の項目にはこう書かれています。
蕎麦粉を麺の形態に加工する調理法は、16世紀末あるいは17世紀初頭に生まれたといわれる。蕎麦掻きと区別するため蕎麦切り(そばきり)と呼ばれた。
(中略)
蕎麦切りという形態が確立されて以降、江戸時代初期には文献に、特に寺院などで「寺方蕎麦」として蕎麦切りが作られ、茶席などで提供されたりした例が見られる。寛永20年(1643年)に書かれた料理書『料理物語』には、饂飩、切麦などと並んで蕎麦切りの製法が載っている。17世紀中期以降に、蕎麦は江戸を中心に急速に普及し、日常的な食物として定着していった。
「江戸を中心に急速に普及し」と書いてあるところがポイントです。
つまり、江戸にはそば切りがあるが田舎にはない、という一時期があったのです。
「すすって食べる」ということは、すぐにはできません。外国人が苦手としているのを見てもわかるように、何度も食べているうちにできるようになります。
江戸に住んでいる人間は、いち早くすすって食べることができるようになります。ところが、田舎から出てきた人間はできません。
ですから、そば切りの食べ方を見れば、その人間が田舎者かどうかわかるわけです。
当時の江戸はどんどん人が流入して人口が増え続けていました。要するにみんな田舎者なのですが、それだけにわずかの違いを見つけて差別化しようとします。そのとき、そば切りの食べ方はいい材料になりました。
そば切りをすすれる人間は、すすれない人間の前で、わざと音を立ててすすって違いを見せつけ、田舎者をバカにしました。
わざと音を立てることは、そば切りはこうして食べたほうがうまいのだと言って正当化しました。
これがそばを食べるときのマナーになり、いまだに続いているのです。
なお、江戸前寿司は手で食べたほうがうまいといって、手づかみがマナーとされたのも同じと思われます。
江戸っ子はせっかちですから手づかみで食べ、箸で食べようとする田舎者をバカにしたのでしょう。
上方では、そばではなくうどんが食べられましたが、うどんについては、音を立ててすするというマナーはありません。上方では田舎者差別がそれほどではなかったからと思われます。
もともと食事のマナーは、人に不快感を与えないためにつくられたものですが、文明の進歩とともに行き過ぎてしまって、差別の道具にも使われるようになりました。
高級な西洋料理や日本料理のマナーは、やたらに細かくて複雑で、人に不快感を与えないということを通り越しています。高級な料理を食べつけている人がそうでない人を差別する道具にしたのです。
麺を音を立ててすするというマナーも差別の道具として生まれましたが、江戸時代の一時期に発達した特殊なもので、本来のマナーと真逆ですから、すたれるのは時間の問題と思われます。
寿司は手づかみのほうがうまいと言って手づかみで食べる人も最近はあまりいません。
日本そばをわざと音を立ててすする人はまだいますが、それが不快だという声はふえてきています。
ヌーハラ論争を外国との文化摩擦ととらえるとおかしなことになります。
本来とは真逆に発達したマナーのおかしさを外国人から指摘されているととらえればいいのです。
もっとも、ラーメンや日本そばは庶民の食べ物ですから、高級西洋料理のような厳格なマナーを要求されても困りますが。