村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2017年03月

2018年度から教科化される小学校道徳の教科書の検定が行われ、文部科学省がパン屋を和菓子屋に、アスレチックの遊具のある公園を和楽器屋に変えさせました。学習指導要領にある「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」という点が足りないからだそうです。
ほかに「しょうぼうだんのおじさん」が「しょうぼうだんのおじいさん」に変えられました。これは感謝する対象に「高齢者」を含めるためだそうです。
 
検定全体では「244の意見がつき、このうち43が指導要領に合わず」ということなので、ここに挙げた例はその一部ですが、検定のバカバカしさはわかります。
 
これまでの道徳の副読本もバカバカしいものばかりでした。
私は道徳副読本についての本の書評を書いたことがあります。
 
「みんなの道徳解体新書」書評
 
ですから、検定に合格した教科書もバカバカしいものであることは想像がつきます。
というのは、教科書に書くべき道徳が定まっていないからです。
 
たとえば、人間性善説と人間性悪説とどちらが正しいのかわかりません。
これは教科書に書くということ以前に、現在の道徳の限界です。
そのため新自由主義的な自己責任論が正しいのかどうかもわからず、みんながいつも論争しているわけです。
 
ですから、道徳の教科で教えることができるのは、「世の中にはこういう道徳があります」ということしかありません。たとえば、儒教道徳やキリスト教道徳があるとか、武士には武士道があって、江戸期の商人には商人道があったとか、カントやニーチェの思想があるとかです。高校の「倫理」はそういうものです。
 
宗教教育というのも、世の中にはどんな宗教があって、その教義はどんなものかということを教えるものでしょう。もし宗教教育と称して、学校でキリスト教会で行われるのと同じような説教が行われたら問題になるでしょう。
 
ところが、日本の道徳教育では、子どもに道徳について教えるのではなく、道徳の説教をしようとしているのです。
 
実際のところは、道徳の説教をすると問題になるので、ほとんどは「〇〇について考えましょう」という形になります。
おとなが考えても結論が出ないので、子どもに考えさせるわけですが、結論の出ないことを考えさせるのは時間のむだです
 
ただ、「日本スゴイデスネー」みたいなのは日本人において最大公約数的な支持がありますし、「親孝行をしましょう」はあまりに儒教的なので反発がありますが、「高齢者に感謝しましょう」は保護者の年齢層には支持されるでしょう。そういうことで今回の検定が行われたのかなと思います。
 
 
そういうことを考えると、教育勅語を支持する人がいまだに多い理由もわかります。
教育勅語は天皇の言葉という権威があったので、そのまま道徳を教えることができました。今の時代にもこういうものがほしいのでしょう。
 
しかし、教育勅語は戦後の国会で否定されましたし、今の天皇陛下が認められるはずもありません。天皇陛下が国民に生き方を教えるということは象徴天皇制に根本的に反します。
 
文部科学省や教科書執筆者はどんな資格で子どもたちに「道徳を」教えるのでしょうか。
道徳の教科は「道徳について」教えるものにするしかありません。

森友学園の籠池泰典理事長が「安倍昭恵夫人から100万円の寄付金をもらった」と主張したことに対して、安倍首相は国会答弁で、「密室でのやり取りなど反証できない事柄を並べ立て、事実と反することが述べられたことは誠に遺憾だ」と反論しました。
 
しかし、昭恵夫人はフェイスブックで「私は、講演などの際に、秘書に席を外してほしいというようなことは言いませんし、そのようなことは行いません」と書いています。つまり密室の状況はなかったはずなのです。
ですから、安倍首相は反論するなら、「ずっと秘書が付き添っていて密室の状況はなかったので、当然100万円の授受もなかった。事実と反することが述べられたのは誠に遺憾だ」と言わなければなりません。
安倍首相と昭恵夫人の口裏合わせができていないようです。
 
とはいえ、密室の状況があったのかなかったのか、これが実はむずかしい問題です。
昭恵夫人のフェイスブックにはこう書かれています。
 
 
本日、籠池さんは、平成27年9月5日に塚本幼稚園を訪問した際、私が、秘書に「席を外すように言った」とおっしゃいました。しかしながら、私は、講演などの際に、秘書に席を外してほしいというようなことは言いませんし、そのようなことは行いません。この日も、そのようなことを行っていない旨、秘書2名にも確認しました。
 
 
これは実に微妙な文章です。国語の入試問題で「この日、秘書は席を外さなかったと言えるかどうか答えよ」と出題されたら、そうとう悩むでしょう。一般論として行っていないと述べているだけで、秘書が確認したのも一般論のことかもしれません。
 
前回の「森友学園問題はもっと拡大すると思う理由」という記事で紹介した渡辺輝人氏は、この文章を「霞ヶ関文学の華」と評しています。
 
そのため、安倍首相も世の中も、昭恵夫人の文章よりも籠池氏の証言のほうを信じてしまっているようです。
 
 
昭恵夫人のフェイスブックの文章が発表されたのは、籠池氏の証人喚問のあった日の夜です。すぐに反論したほうがいいという判断でしょう。
そして、その翌日には、自民党が昭恵夫人と籠池諄子夫人のメールを公表しました。
しかし、この連携が取れていません。
 
昭恵夫人のフェイスブックの文章の冒頭には「私は、籠池さんに100万円の寄付金をお渡ししたことも、講演料を頂いたこともありません」と書かれています。
 
しかし、昭恵夫人の籠池夫人宛てのメールにはこう書かれています。
 
2月28日
私は講演の謝礼を頂いた記憶がなく、いただいていたのなら教えて頂けますでしょうか。 申し訳ありません。
 
3月16日
100万円の記憶がないのですが。
 
公表を前提としないメールのほうがほんとうでしょう。
あるいは、記憶のないふりをしている可能性もあります(とくに100万円のほう)
 
いずれにしても、フェイスブックの文章とは矛盾します。
あとで記憶がよみがえったのだと主張するかもしれませんが、それではほとんど証言の価値がありません。
 
自民党や安倍夫妻は、真実に依拠せず、ごまかそうとしているので、やればやるほどごまかそうとしていることがわかってしまいます。

森友学園の籠池泰典理事長の証人喚問は、安倍政権にとってはとんだ藪蛇でした。これで安倍政権が崩壊するかもしれません。
 
振り返ると、私は最初のうち森友学園問題の深刻さを理解していませんでした。そのため、安倍政権の対応が不可解に思えたものです。
 
たとえば、安倍首相は国会答弁で「私や妻が関係していたということになれば、私は間違いなく総理大臣も国会議員も辞める」と語りました。唐突な感じでしたし、そこまで言わなくてもいいんじゃないかと思いました。
しかし、その後も安倍首相は森友学園問題になると、やたらに感情的になり、恫喝的な発言を繰り返しました。
つまり、安倍首相はこの問題の深刻さを理解していて、なんとしても拡大を抑えたかったのです。
 
それは稲田防衛相も同じです。稲田防衛相は「森友学園の顧問弁護士だったこともないし、裁判に出たこともない」と断言したため、裁判記録が出てきて、謝罪に追い込まれました。「裁判に出た記憶はない」と言っておけばいいものを断言したのは、どうしても自分は無関係だと主張したかったのでしょう。
 
一方、麻生財務相は、森友学園問題の審議中にニヤニヤすることが多くなりました。安倍政権が崩壊すれば自分にお鉢が回ってくるとでも思っていたのでしょう。
 
つまり政権中枢は、森友学園問題は政権崩壊につながるほどの深刻なことだとわかっていたのです。
財務省が書類を廃棄したと主張し、与党が参考人招致を拒否し続けたのも、問題が深刻なゆえです。
 
つまり政権は必死で問題の封じ込めをはかってきたのですが、籠池氏を追い詰めすぎて、窮鼠猫を噛むで反撃してきたのが誤算でした。
 
 
今は完全に堤防が決壊した状態です。
昭恵夫人の付き人の谷査恵子氏からのフアックスが決定的な証拠です。政権は「谷氏と籠池氏が直接やりとりして昭恵夫人は無関係」という理屈で乗り切ろうとしていますが、そんなことはあるはずがなく、しかも籠池氏の証言とも矛盾します。
 
100万円の寄付金については、昭恵夫人が証人喚問のあった日にFacebookにコメントを発表し、否定していますが、このコメントは嘘っぽいということを弁護士の渡辺輝人氏が指摘していて、なかなか説得力があります。
 
安倍昭恵氏のフェイスブックでの釈明文の分析と証拠価値
 
政権は昭恵夫人と籠池諄子夫人がやりとりしたメールを公表しました。谷氏のフアックスから関心をそらせるためと思われますが、昭恵夫人と諄子夫人が深いレベルでつながっていることがわかり、またワイドショーに燃料を投下するようなものですから、逆効果でしょう。
 
 
問題はこれだけで終わるとは思えません。
というのは、谷氏のフアックス程度のことなら、昭恵夫人個人の問題として、安倍政権と切り離すことが可能だからです。安倍首相が「私や妻が関係していたということになれば、私は間違いなく総理大臣も国会議員も辞める」と言ったのは、もっと大きい問題があるからに違いありません。
 
そういえば、籠池氏と面談した直後の菅野完氏が「籠池さんが持っている物が全部出てきたら、内閣が2つ分ぐらい飛ぶと思うんです」と言っていました。
今後の展開が楽しみです。
 

森友学園問題は、籠池泰典理事長が「安倍首相から100万円の寄付を受けた」と言ったことから、安倍首相と籠池氏とどちらの言い分が正しいのかという新しいステージに入りました。
それに対して、問題の本筋は国有地払下げと学校認可に不正があったか否かだということが言われています。
また、教育勅語を暗唱させ軍歌を歌わせる“愛国教育”はいいのかという問題もあります。それ以前に、水を飲ませない、トレイに行かせないなどは幼児虐待ではないかということも言われています。
 
このように問題を複雑化させた張本人は、最初は塚本幼稚園の幼児虐待疑惑を追及していたのに、突然籠池理事長のスポークスマンのように変身してしまった著述家の菅野完氏です。
菅野氏はいったいどういうスタンスなのでしょうか。彼はツイッターで次のように発言しています。
 
『僕は、「役所VS籠池なら、籠池側。籠池VS子供・保護者なら、子供・保護者側」です』
 
要するに弱いほうの味方をするということでしょう。
右翼対左翼という図式がほとんど無意味となった今、これがいちばん明快なスタンスです。
菅野氏は自分のスタンスに自信があるので、日本全体を揺るがすような問題の真ん中に突っ込んでいけるのかと思われます。
 
 
私たちは、なにかの対立関係を見ると、どちらが正しいのだろうかと考えます。しかし、夫婦喧嘩や暴力団同士の抗争を思い浮かべればわかりますが、たいていはどちらも正しくないのです。
アメリカ対イスラム系テロリストの対立でも同じです。
正義対悪というのは、ハリウッド映画などのフィクションの世界だけです。
 
籠池対安倍首相の対立は、要するに日本会議の内ゲバです。
ですから、どうでもいいようなものですが、安倍首相のほうがより“巨悪”ですから、とりあえず籠池氏の味方をするのは正しい戦略です。
 
 
ただ、菅野氏は「籠池VS子供・保護者なら、子供・保護者側です」と言っていますが、この言い方では、子供と保護者の区別がついていません。
ここはけっこう重要なところです。
 
塚本幼稚園では、園児をたたくなど明らかに虐待をしていました。しかし、それを承知で子どもを通わせていた親もいるわけです。きびしい教育がいいのだという考え方の親でしょう。
こういう親がいるので、マスコミも塚本幼稚園は幼児虐待をやっていると明確に批判できませんでした。
つまりマスコミは、子供対保護者なら保護者の味方なのです。
 
菅野氏はもともと塚本幼稚園の虐待問題を追及していたので、そのへんは大丈夫だと思いますが、もし子供対保護者で保護者の味方をしていたら、スタンスが揺らいでしまいます。
 
たとえば、日本会議の主要メンバーでもある高橋史郎明星大学教授が提唱している「親学」というのがあって、安倍首相など多数の国会議員による親学推進議員連盟が組織され、家庭教育支援法案なるものの制定が進められています。「親学」については、日本の伝統的な子育てをすれば発達障害が治ってしまうという非科学的な部分が批判されていますが、もっと根本的な批判が必要です。
これも右翼対左翼という図式ではとらえられず、親対子供という図式が必要です。
 
ともかく、森友学園問題のような複雑な問題を考えるとき、菅野氏のように弱い者の味方をするというやり方は大いにためになります。
 
 

このところテレビのワイドショーは森友学園問題で持ち切りです。
ついこの間まで、安倍政権批判につながるようなことはほとんど扱わなかっただけに、大きな変化です。
もっとも、単に視聴率が取れるからやっているだけでしょうが(「ミヤネ屋」が視聴率を落としているというニュースがありました。維新の会シンパの宮根氏が森友学園問題を扱うのに消極的だったからでしょう)
 
確かにワイドショー向きのネタではあります。幼稚園のイベントなどの映像がいっぱいあるからです。それに、籠池泰典理事長だけでなく、籠池ファミリーの物語にもなってきています。
ワイドショーは、かつての狂言の和泉流家元ファミリーや大相撲の花田ファミリーなど、スキャンダルにまみれたファミリーの物語が大好きです。
とくに籠池諄子夫人のキャラが立っています。大阪では「ささやく女将」と「ささやかない女将」がいましたが、諄子夫人は「叫ぶ女将」で、“大阪の三女将”というところです。
 
ただ、ワイドショーを見ていると、もどかしい思いもします。
露骨に政権擁護をするコメンテーターがいますが、それだけではありません。
口利きをした政治家が今のところ見当たらないために、役人が国有地払下げと小学校新設認可をスムーズに進めたのはなぜかということについて、誰もはっきりしたことを語らないのです。
 
しかし、特定の誰ということは言わなくても、犯人は指摘できます。
 
 
アガサ・クリスティーの有名な長編小説に、殺人現場に居合わせた全員が犯人というのがあります。
それと同じに、右翼政治家、右翼文化人、右翼勢力の全員が、森友学園国有地不正払下げ事件の犯人です。
 
もちろんその筆頭は、「安倍晋三記念小学校」の名義を一時提供し、妻が名誉校長を務めていた安倍首相です。それから、(たぶん)顧問弁護士を務めていた稲田防衛相の存在も大きいはずです。地元の維新の会の橋下徹氏、松井大阪府知事なども森友学園を大いに持ち上げていました。塚本幼稚園で講演した右翼文化人もいっぱいいます。日本会議も森友学園と密接な関係にありました。
 
園児に軍歌を歌わせ、教育勅語を唱和させるトンデモ幼稚園を持ち上げる右翼政治家、右翼文化人がいっぱいいたために森友学園は脚光を浴び、役人は森友学園のために便宜をはからねばと思って、ありえない価格で国有地を払い下げたのです。
そういう意味では、森友学園を持ち上げた全員が犯人ということになります(特定の政治家が口利きした可能性も排除しません)
 
 
ですから、ワイドショーはこれから、こうした犯人を一人ずつ槍玉にあげていけばいいのです。
たとえば、評論家の竹田恒泰氏は塚本幼稚園で2回も講演して、「園児たちが教育勅語をバーッと暗唱してましたから、凄い幼稚園だと思いました。色々悪く言われてますけれど、園児たちはビシーッと整列してて、ハキハキと挨拶していて。保護者たちも講演を聞き入るような感じでちゃんとした印象を持ちました」と称賛していましたが、森友学園の国有地払下げ問題が表面化すると一転して、「お金の集め方が強引でした」とか「協力は一切しませんと言ったんです。それなのに私の名前が“推薦者“として推薦の言葉もウェブサイトに載ってて」などと批判しています。
 
ワイドショーは、森友学園を持ち上げてきた人たちに、幼稚園児に軍歌を歌わせたり教育勅語を唱和させたりすることのどこがすばらしいのかを問いただして、“犯人追及”の番組づくりをしていけば、視聴率はさらに稼げるはずです。
 

森友学園の籠池泰典理事長は、3月15日午後の外国特派員協会主催の記者会見をキャンセルして、そのままノンフィクション作家の菅野完氏に会いにいきました。そして、菅野氏の口を介して、さまざまなことがマスコミに発信されています。


もとが籠池氏の語ったことだけに、どこまで正しいのかわかりませんが、事件の背後関係が明らかになることを期待したいものです。

 


ところで、菅野氏といえば、森友学園問題を最初から追及してきた人で、「日本会議の研究」という保守批判の著書もあります。


どうして籠池氏と菅野氏がよい関係になったのか不思議でしたが、菅野氏はある市民集会でこんなことを語っていました。


  


その上で菅野氏は、「メディアは籠池氏を主語にしていじめるのをやめよ。これは人権問題だ。役人はなぜこんな無茶な決定をしたのかを取り上げなければ。これこそ安倍政権のもたらす弊害。だから、倒さなければならない」と訴え、喝采を浴びた。

http://blog.livedoor.jp/donnjinngannbohnn/archives/1924482.html


 

籠池氏に関して「人権問題」ということを言ったのは菅野氏ぐらいではないでしょうか。


籠池氏は完全に四面楚歌状態でしたから、菅野氏が「地獄に仏」と見えたのかもしれません。

 


それにしても、これまで籠池氏を支援してきた保守人脈の手のひら返しはむごいものです。


安倍首相、稲田防衛相は籠池氏とほとんど無関係だったようなことを言っています。橋下徹氏、松井大阪府知事など維新の会のメンバーは森友学園の小学校設立を積極的に推してきた張本人なのに、今は「あれはミスだった」とか、逆に「補助金詐欺なら刑事事件だ」などと言っています。塚本幼稚園で講演をやった文化人たちもみんな逃げの姿勢です。


籠池氏が所属する日本会議も冷たい態度です。



籠池泰典氏は6年前に日本会議退会


民間政治団体「日本会議」は14日までに、学校法人「森友学園」(大阪市)の籠池泰典理事長が平成23年1月に同団体を退会していたことを明らかにした。13日付で超党派の保守系議員でつくる「日本会議国会議員懇談会」に加盟する各議員に通知した。


日本会議は1日付でも「森友学園への国有地払い下げと日本会議は無関係です」との見解を同懇談会に伝えていた。

http://www.sankei.com/politics/news/170314/plt1703140036-n1.html



しかし、3月12日に菅野氏が籠池氏の自宅で籠池氏にインタビューした様子をビデオ撮影した作家の赤澤竜也氏は、収録前に籠池氏が「日本会議のバッジ、ほら、してないだろ。外したよ」と言ったのが印象的だったと書いています。

https://news.yahoo.co.jp/byline/akazawatatsuya/20170315-00068712/



つまり籠池氏は自分は日本会議の会員であるという認識でいて、(日本会議に配慮したのか、決別の意思表明か)あえてバッジを外したのです。


日本会議は籠池氏が脱会したとする根拠を示すべきです。



「落ちぶれて、袖に涙のかかるとき、人の心の奥ぞ知らるる」という俗謡がありますが、今の籠池氏の心境かもしれません。


籠池氏を支援してきた人たちは、塚本幼稚園で園児に教育勅語唱和をさせていることに感動したという人がほとんどです。


教育勅語には、「博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ」という言葉もありますが、どうやら彼らは「博愛」とはほど遠く、在日や生活保護受給者や今の籠池氏など弱者イジメだけは達者なようです。


森友学園の籠池泰典理事長を見ていると、トランプ大統領に似ているなあと思います。
平気で嘘をつく。嘘を追及されると、マスコミを攻撃する。外国や他民族を敵視する。自分は国のために尽くすすばらしい人間だと主張する。
トランプ大統領は自己愛性人格障害だと言われていますが、籠池氏も同じでしょう。
 
似たような人間はいっぱいいます。前NHK会長の籾井勝人氏、作家の百田尚樹氏、元航空幕僚長の田母神俊雄氏などです。みな言っていることが同じです。
移民排斥を主張するヨーロッパの右翼政党の指導者も同じでしょう。
安倍首相も似ています。
 
ということは、今世界が直面している問題は、根がひとつということです。
 
 
トランプ大統領や籠池理事長は、きわめて利己的で自己中心的な人間です。
人間は基本的に利己的ですが、同時に人に尽くしたり社会に貢献したりすることを喜びとする利他的な面もあって、バランスが取れているものです。
ただ、中には極端に利己的な人間もいます。そういう人間は当然、周りの人から嫌われますが、ひとついい隠れ蓑があります。それが「愛国」です。
 
愛国というのは、個人から見ると利他的ですが、世界から見ると利己的で、二面性があります。ですから、利己的な人間はそのまま愛国者の仮面をかぶることができて、とても好都合です。
そのため、「愛国心はならず者の最後の逃げ場」という言葉があるように、嫌われ者の利己主義者の多くが愛国者の仮面をかぶります。
 
愛国者を装った利己主義者が世界を危機に陥れているのが今の世界情勢です。
 
 
ただ、日本の愛国者には外国の愛国者にはない特殊な事情があります。
トランプ大統領やヨーロッパの右翼政党は移民排斥を主張しますが、これは一応国益のためということになっています(ほんとうに国益になるかはわかりませんが)
しかし、日本の愛国者は国益にはほとんど関心がないばかりか、むしろ国益に反することばかりしています。
 
たとえば、森友学園の塚本幼稚園では園児に教育勅語の唱和をさせています。しかし、教育勅語は戦前のもので、戦後失効しています。
塚本幼稚園ではまた、五箇条の御誓文も園児に唱和させています。これは150年も前のもので、今の日本にはまったくといっていいほど関係がありません。
また、日本の愛国者がもっともこだわるのは慰安婦問題と南京事件ですが、これはどちらも戦前の日本の問題です。
つまり日本の愛国者がこだわるのは、明治維新から終戦までの日本なのです。
 
逆に言うと、今の日本のことはどうでもいいわけです。
彼らが慰安婦問題と南京事件で戦前の日本を持ち上げようとすればするほど、現在の日本をおとしめることになり、国益を損ねます。
 
 
籠池理事長は日本の自称愛国者の典型です。その言動を観察すると、自称愛国者の実態がよくわかります。
ところが、籠池理事長は3月10日に唐突に理事長退任の意向を表明しました。官邸の圧力があったからだと噂されています。
しかし、籠池氏は自己愛性人格障害の人ですから、自分をアピールしたい気持ちは人一倍強いはずです。
これからもいろんなことを発信していってほしいものです。
 

森友学園の運営する塚本幼稚園では、園児が食事中にお茶を飲むことを禁止していて、その理由は昔の海軍がそうしていたからだということです。また、水を飲む時間も決められているそうです。
幼児に水飲みを制限するとはとんでもない話で、幼児虐待とされて当然です。
 
海軍でそうしていたことは初めて知りましたが、陸軍では訓練で水を飲むことをきびしく制限していました。水の補給もままならない状況に体を慣れさせるためです。
 
私が若いころ、学校の運動部では練習中に水を飲むことが許されませんでした。炎天下で練習しているのに水を飲まないのはどう考えても不合理なことで、なぜこんな伝統があるのか不思議でしたが、陸軍がそうだったと知って、腑に落ちました。戦前の学校の運動部が軍隊式を取り入れて、それがずっと続いていたのです。
 
また、私は左利きで、小学校二年生までは左手で字を書いていましたが、三年生の担任が左利きは矯正すべきだという考えの人で、両親も同意して、それから右手で字を書く練習をさせられました。慣れない右手で書くのは苦痛で、しかも無意味に思えましたから、いやな思い出として残っています。
昔は箸を持つのと字を書くことについては、左利きを矯正するのが普通に行われていました。
のちに親戚のおじさんが「陸軍では鉄砲を撃つために左利きはみんな矯正された」と言ったのを聞いて、これも学校が軍隊式を取り入れたのではないかと思いました。
 
日本軍の小銃は、右手でボルトをガチャガチャと操作して弾送りするので、右肩に銃を当てて構えなければなりません。
 
ただ、アメリカのテレビドラマ「コンバット」には、左側に銃を構える兵隊が出てきました(アメリカは自動小銃ですから少し事情が違います)。アメリカのドラマでは左手でペンを持ってサインする人もよく出てきます。
それを見ていると、左利きを矯正する日本の文化がばからしくなります。
 
なお、最近はテレビを見ていると、日本人のタレントで左手で字を書く人は普通にいますし、左手で箸を持つ人も見かけます。ようやく左利き矯正というバカらしい文化も終わってきたようです。
 
運動部で練習中に水飲み禁止というのも、今はないでしょう。
もっとも、だいぶ前から医学やスポーツ科学などから体によくないと言われていましたから、遅すぎた気はします。
教育の影響から脱するのはなかなかたいへんです。
 
 
軍国主義の愚かな教育が続いているのは、教育勅語唱和もそうです。
これは学校ではなくなりましたが、代わって企業において社訓唱和という形で行われています。
学校で教育勅語唱和をさせられた世代が会社で部下にやらせているのです。
 
松下電器(現パナソニック)の松下幸之助氏が代表的存在です。松下電器の社訓には「産業報国の精神」や「礼節謙譲の精神」といった言葉があり、毎日の朝礼で社員は社訓唱和と社歌斉唱をさせられます。
 
 
そして、教育勅語唱和は森友学園で復活し、稲田朋美防衛相の脳内でも復活しています。
 
教育勅語というと、その内容が問題になりますが、言葉を唱和することに意味があるという考え方のほうがもっと問題です。
 
ある言葉を唱和していると、その言葉が現実に影響を与えるというのは、お経や祝詞や呪文などの宗教、さらには「思考は現実化する」というあやしい成功哲学と同じです。
そんなことがありえないのは、「夫婦相和し」と唱えていると夫婦仲がよくなるかどうかを考えればわかります。
 
水飲み禁止や左利き矯正は身体の問題ですから、科学的な認識が広がることで是正されました。
教育勅語の内容は精神の問題なので議論するときりがありませんが、教育勅語唱和という行為は身体の問題ですから、科学や合理主義の光を当てれば消滅させることができます。

自民党の鴻池祥肇議員は、森友学園の籠池泰典理事長夫妻からお金を差し出されたとき、「無礼者! 帰れ!」と一喝したそうで、「そんなん教育者ちゃう」と記者会見で言いました。
 
それに対して森友学園側はホームページ上で、「事後的に捏造された文書で、献金や寄付を強要していた事実を揉み消そうとする態度には嫌悪感しか感じません」と反論しました。
 
鴻池議員は同じ記者会見で、「何年前か忘れたけど、講演に来てくれと。そのときの子どもたちの態度はすばらしいなと思った。教育勅語等を全員で言ったり。思想的にはわしに合うなと思いましたよ」とも語っています。
つまりもともと思想的に共鳴していたのです。
似た者同士の泥仕合というところです。
 
森友学園の土地取引が不正であるかどうかは別にしても、籠池理事長のやることはまったくでたらめで、たとえば校舎・体育館の建築費について、国には15億円、大阪府には7億5600万円と報告していたり、愛知県内の中学校に推薦入学枠を提供してもらったと大阪府に報告していたところ、中学校からそんな合意はしていないと否定されたりという具合です。
自分がもうけるためには手段を選ばず、いくらでも嘘をつくということでしょう。
 
こういう籠池理事長の教育に共感していたのが安倍首相夫妻であり、稲田朋美防衛相です。
 
鴻池議員もそうですが、とりわけ教育勅語を園児に唱和させるところに右翼政治家は感激するようです。
稲田防衛相は衆院予算委員会の答弁で「教育勅語の中の親孝行とかは良い面だ。文科省が言う、丸覚えさせることに問題があるということはどうなのかと思う」と言って、教育勅語唱和を擁護しています。
 
教育勅語は昔の修身の根拠とされたもので、修身は今の道徳教育です。
日本会議など右翼勢力は、道徳教育の強化を目指してきました。
「愛国心はならず者の最後の逃げ場」という言葉がありますが、「道徳教育はならず者の最後の逃げ場」でもあります。
というのは、道徳教育の結果というのは評価のしようがないので、どんなでたらめでも通用するからです。
また、人に道徳を説くというのは、自分自身を顧みない人間だからできることでもあります。
 
 
森友学園の塚本幼稚園を見ていると、愛国教育や右翼教育のおぞましさがわかりますが、自民党によって日本の教育全体がそうしたものに変えられようとしています。
道徳の教科化が小学校では2018年度から、中学校では2019年度から実施されます。
さらに、2018年度から幼稚園と保育園でも「国旗や国歌に親しむ」という方針が打ち出されました。
つまり「日本全体の森友学園化」が進行しているのです。
 
土地不正取引問題の追及とあわせて、日本会議や安倍首相や稲田防衛相の思想も追及して、「日本全体の森友学園化」を阻止しなければなりません。
 

国有地不正払下げ疑惑の森友学園傘下の塚本幼稚園では、園児に教育勅語を唱和させています。こうしたことが安倍首相ら右翼政治家を感激させたようです。
 
教育勅語は1948年に国会で失効が決議されています。現在の皇室や天皇陛下が認めるはずもありません。これを持ち出すのは、右翼の好きな“戦前ごっこ”です。
 
とはいえ、教育勅語にもいいところがあるという意見があり、もちろん否定する意見もあります。
ここで改めて教育勅語について考えてみます。
 
議論が集中するのは、次の部分です。
 
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁󠄁アレハ義勇󠄁󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ
 
現代語訳はいくつかあり、ここでは明治神宮のサイトから引用します。
 
国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。
 
肯定派は、道徳の基本が述べられていることのどこが悪いのかと主張します。
否定派は、最後の部分の、戦争になれば天皇のために命を捧げろというのはけしからんと主張します。
 
ですから、最後の部分を別にすれば、ほとんどの人はここに書かれていることを肯定していることになります。
これは十二の徳目とも言われています。
 
孝行
友愛
夫婦の和
朋友の信
謙遜
博愛
修業習学
知能啓発
徳器成就
公益世務
遵法
義勇
 
これを全体として否定する意見はあります。「お前に言われたくない」と「今さら言われたくない」です。
しかし、内容を否定する人はまずいません。
 
実際はこの内容そのものに根本的な欠陥があります。
どんな欠陥かわかるでしょうか。
 
それは、いちばん重要な徳目が欠けていることです。
その徳目というのは、「親は子を慈しみ」です。
表現は「親は子を愛し」でも「親は子をよく育て」でもかまいません。
 
親が子を愛し、たいせつに育てるというのは、人の道の根本です。教育勅語にはそれが欠けています。これでは道徳の教えとして欠陥品です。
 
もっとも、それは教育勅語に限らず儒教道徳に共通した問題でもあります。
儒教道徳は、子どもに対して親孝行は説きますが、親に対して子どもを愛せよとは説きません。

現実には子どもを愛さない親もいます。そういうとき儒教道徳は「親、親たらずとも、子、子たれ」と教えます。だめな親でも子どもは親孝行をしろというのです。
むちゃくちゃな理窟です。
 
今の世の中、幼児虐待が大きな問題となっていますが、儒教道徳や教育勅語がそれを生み出してきたともいえます。
 
このような欠陥のある教育勅語は捨て去るのが当然です。 

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