村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2017年06月

稲田朋美防衛相が都議選の応援で「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と発言したのは、まさに“行政の私物化”のきわみです。
 
なぜこんな愚かな発言をするのかというと、稲田防衛相は大臣になってから周りに「大臣、大臣」と持ち上げられ、うれしくてしょうがないのでしょう。そのためつい「防衛大臣として」と言ってしまったのではないかと思われます。
 
稲田防衛相はシンガポールで開かれた国際会議で、オーストラリアとフランスの国防大臣とともに壇上に立ち、「私たち3人には共通点がある。みんな女性で、同世代。そして、全員がグッドルッキング(美しい)」と言って顰蹙を買いましたが、これも浮かれた気分を感じさせます。
また、稲田防衛相はハイヒールをはいて護衛艦を視察したり、リゾートファッションでジブチ視察をしたりということも話題になりましたが、これも同様です。
 
そのため失言も多くなるわけですが、失言によって真実がわかるということもあります。
たとえば、南スーダンで「戦闘行為」があったか否かを問われて、「憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、『武力衝突』という言葉を使っている」と答弁しました。あくまで「『戦闘行為』はありません。あったのは『武力衝突』です」と答弁するべきところで、菅官房長官なら平然とそうしているでしょう。ですから、これも失言の類ですが、おかげで安倍政権の考え方がわかりました。
 
そういう意味では、今回の失言も同じです。
“行政の私物化”は安倍政権の体質です。そこから森友学園や加計学園の問題も生じています。そのことを改めて認識させてくれました。
 
なお、安倍政権は“自衛隊の私物化”もひどいもので、南スーダンで「戦闘行為」を「武力衝突」と言い換えて、なかなか自衛隊を撤収させなかったのは、いきなり米軍指揮下で自衛隊が戦闘をするより、国連指揮下で一度戦闘を経験したほうがいいということからでしょう。自衛隊員にすれば、意味もなく危険にさらされたわけです。
 
そもそも稲田朋美氏が防衛相に起用されたのも、安倍首相のお友だちだったからで、“人事の私物化”です。
稲田氏は右翼ですが、右翼と軍事に詳しいこととはまったく別です。弁護士という経歴と女性であることからして、おそらく軍事にはド素人だったでしょう。
 
稲田防衛相を罷免せよという声が高まっていますが、安倍政権としては、やめさせると求心力が低下するので、むずかしいところです。
 
安倍首相は「日本を取り戻す」と“日本私物化宣言”をしてやってきましたが、そのウミがここにきて一気に噴き出している格好です。
 
 

「このハゲー!」の豊田真由子議員は、世間から総バッシングを受けて入院してしまいました。入院というのはあの暴言キャラにふさわしくありませんが、弱い相手と強い相手で態度が変わる人なのでしょう。
 
この件で思ったのは、録音という証拠の強さです。
あの音声があったから、豊田議員が悪者になり、元秘書は被害者ということになりました。
もし録音という証拠なしに元秘書が豊田議員からパワハラ被害にあったと訴え出ていれば、展開はまったく違っていたでしょう。
 
元秘書は支援者47人分の宛名を間違えて手紙を出して、豊田議員といっしょに支援者の家に車でおわび回りをしているときに、あの暴言を浴び、暴行も受けたということです。
47人分の宛名を間違えた」というのは、どういうことかよくわかりませんが、想像するに、封筒の中に入れる手紙に「〇〇様」と印刷するのを間違えたということでしょうか。いずれにせよ、名前を間違えるというのはたいへん失礼ですし、豊田議員はおわび回りというよけいな仕事をしなければならなくなりました。
元秘書がパワハラ被害を受けたと訴え出れば、世間の反応は「そんなミスをすれば豊田議員が怒るのは当然だ。被害者ヅラをするな」といったものになったでしょう。
ところが、録音された暴言が想像を超えたレベルだったために、元秘書は被害者と認定されました。
 
会社で上司からパワハラ被害を受けている場合、暴言の内容をメモしておけとはよく言われることです。しかし、メモだけでは十分でないかもしれません。
会社に限らず世の中は上下関係の秩序で成り立っており、部下が上司や会社を訴えるということは、この秩序を壊すことですから、中途半端な証拠では返り討ちにあってしまいます。
 
逆に言うと、明白な証拠があれば強いわけです。
 
アメリカで黒人が白人警官に射殺されたとか暴行されたとかで騒ぎが起こることがありますが、こういう場合は決まって証拠の映像があります。普段は白人警官の言い分がそのまま通っていて、証拠の映像がある場合だけ騒ぎになるわけです。
 
加計学園問題でも、録音という証拠がないために、どんな文書が出てきても、「怪文書」や「個人のメモ」ということにされてしまっています。
 
 
誰であれ自分を守るために、普段から録音録画しておくに越したことはありません。
 
たとえば、取り調べの全面可視化がいまだに実現していないのはふざけた話です。部分的な可視化だと、取り調べ側が自由に編集してしまいます。
逮捕された場合、警察・検察が録画しないなら、弁護士や身内からビデオカメラやレコーダーを差し入れてもらい、自分で録音録画すればいいわけです。
これは個人の権利として認められるべきです。
 
日常生活でも、会社の上司との会話などは全部録音しておけばいいわけです。
記者が取材するとき、録音する場合は相手の了解を得るというのがマナーになっているので、相手に無断で録音するのはよくないというイメージがあるかもしれませんが、自分の身を守るためだけに利用するのであれば問題はないはずです。
 
今は監視社会化が進んで、個人はいたるところで防犯カメラに監視され、警察に盗聴される可能性もあり、それが証拠として使われます。
だったら、個人も自分で録音録画して、万一のときにそれを証拠として使えるようにしていいはずです。
会社でパワハラにあった場合はもちろん、たとえば痴漢冤罪被害にあった場合も、そのときの会話が録音されていれば役に立つかもしれません。
 
スマホのアプリで、人と会話すると自動的に録音されるというものがあれば便利です(もしかしてすでにある?)
 
共謀罪が成立して、個人が冤罪被害にあう可能性が高まっています。
花見に地図や双眼鏡を持っていったために警察に疑われたとしても、日ごろからすべての会話を録音していれば安心です。

6月23日から都議選が始まるのに合わせて、公明党が党機関紙やツイッターを使って共産党批判を強めていますが、その言葉づかいが「実績横取りのハイエナ政党」とか、「汚い、危険、北朝鮮の3つのK」という具合で、品位もなにもありません。トランプ大統領や安倍政権と同じです。
その言葉づかいの中に、今の日本における最大の問題が垣間見えます。
 
公明党は共産党を批判するとき、「国も認めた“お墨付き”」という言葉を使っていました。これは公明党の公式サイトにも書いてあります。
 
 
Kiken(危険!)オウムと同じ公安の調査対象
法務省外局の公安調査庁は、公共の安全確保を図ることを任務として、法律に基づき、共産党や中核派などのほか、オウム真理教を調査の対象としています。
 
このうち共産党について、政府は昨年3月、「警察庁としては現在においても……『暴力革命の方針』に変更はないものと認識している」とする答弁書を閣議決定し、無所属の衆院議員が提出した質問主意書に答えました。
 
答弁書は、共産党が戦後に合法政党になって以降も「日本国内において暴力主義的破壊活動を行った疑いがあるものと認識している」と指摘。「現在においても、破壊活動防止法に基づく調査対象団体である」としています。
 
公安調査庁のホームページ(HP)にも、共産党は「各地で殺人事件や騒擾(騒乱)事件などを引き起こしました」「暴力革命の可能性を否定することなく、現在に至っています」と、同庁の見解が明記されています。共産党の危険性は、国も認めた“お墨付き”です。
 
 
公明党は、公安調査庁と警察庁の判断を「国の“お墨付き”」だと言っています。
 
公安調査庁や警察庁は一行政機関です。
政治は国のあり方を決め、行政は政治の決めた法律を実行するわけですから、政治は行政より上の立場にあります。公安調査庁が政党を評価するというのは本末転倒です。
とはいえ、現実にそういうことが行われているわけですが、それを「国の“お墨付き”」と認めてはいけません。
そんなことをしていると、公安調査庁が公明党を危険な政党と認定したら、公明党はそれも「国の“お墨付き”」として認めなければなりません。
 
公明党のこの愚かさは、公明党だけのものではありません。日本全体をおおっています。
公安、警察、検察、裁判など司法関係の行政機関をあがめて、その判断を絶対化する傾向があるのです。
それはとくにマスコミに顕著で、警察や検察が誰かを逮捕するとたちまち犯人扱いしますし、裁判所がおかしな判決を出してもほとんど批判しません。
 
たとえば、6月19日に大阪地検特捜部が森友学園に強制捜査に入りましたが、その容疑は補助金不正受給の詐欺などで、本筋の国有地不正払下げ容疑は入っていません。つまりこの捜査は“籠池つぶし”で、結果的に安倍政権擁護になるわけですが、マスコミはそうしたことにはまったく言及しません。
 
また、共謀罪がなぜいけないかというと、警察が恣意的な捜査を行えるようになり、警察権力が強大化するからですが、共謀罪反対派も警察批判をしないので、その反対の論理に説得力がありません。
 
法律は決して杓子定規に運用されるわけではありません。そこに政治的、倫理的な判断が入り込みます。
政治的、倫理的な判断については、マスコミや国民も警察司法機関と対等です。というか、国民はむしろ警察司法機関を動かす立場です。
 
正しい倫理学を身につければ、警察司法組織を的確に批判できるようになりますし、公安調査庁の判断を「国の“お墨付き”」などと言ってありがたがる公明党も批判できるようになります。

文科省が国立大学に対して文科系学部の廃止を求めたという話があって、一時騒ぎとなりました。この話にはちょっと誤解があったようですが、こういう騒ぎが起こるのは、文科系の学問に対する疑問があるからでしょう。
そして、その疑問の行き着くところは「哲学は役に立つのか」というものです。
 
もちろん哲学は、役に立つことがあります。
権威に弱い人の前でむずかしい哲学用語を使うと、感心させられます(いやみにも思われますが)
しかし、それ以外にはなかなか思いつきません。
 
そうしたところ、6月17日に行われた第9回AKB総選挙において、NMB48の須藤凜々花さんが突然結婚を発表してファンを驚かせるということがありました。
この須藤凜々花さんは、ニーチェを尊敬する“哲学アイドル”として知られています。
 
なぜ突然結婚発表したかというと、週刊文春に交際相手の自宅にお泊りしたところを撮られたため、雑誌が出るより前にということらしいです。
 
恋愛禁止のAKBですが、似たようなスキャンダルは峰岸みなみさんや指原莉乃さんにもありました。峰岸さんは頭を丸刈りにして謝罪したことが話題になりました。指原さんは謝罪してHKT48に“左遷”されました。
 
それと比べると、凜々花さんの反応には驚かされます。
凜々花さんはまだ20歳です。それで結婚を決断したわけです。また、恋愛禁止のルールを無視して、結婚につながるような恋愛をしていたわけです。
アイドルとしてはありえない開き直りですが、アイドルの世界に風穴を開けたと言えるかもしれません。
 
私はAKBなどのアイドルのことはほとんど知りませんが、凜々花さんのことはたまたま知っていました。凜々花さんはTBS系のCS放送で自分がメイン司会の麻雀番組をやっていて、何度か見たことがあるからです。そのときに“哲学アイドル”であることも知りました。
凜々花さんは堀内進之介という政治社会学者と共著で「人生を危険にさらせ!」という本も出しています。
 
凜々花さんの突然の結婚宣言に、ファンを裏切ったという声があるのは当然ですが、そういう予想される世間の反応を恐れない強さはたいしたものです。
この強さの背景には、やはり哲学があるのかなと思いました。
 
なにかの哲学の内容が役に立ったということではなく、哲学を知っているということが自信になったのではないかと思うのです。
それこそが哲学の効用かもしれません。

義家弘介文科副大臣が国会答弁で「一般論として告発内容が法令違反に該当しない場合、非公知の行政運営上のプロセスを上司の許可なく外部に流出されることは、国家公務員法違反になる可能性がある」と言って、文科省の内部告発者への処分を示唆して、「部下を売るとはヤンキー先生らしくない」と批判されています。
 
確かに仲間をたいせつにするのが「ヤンキーの論理」です。
もっとも、義家氏においては、官邸や自民党が自分の仲間という認識かもしれません。そうすると、文科省の職員を叩きのめすというのも「ヤンキーの論理」です。
 
こういうところが「ヤンキーの論理」の限界です(なお、義家氏の答弁については、公益通報者保護法の趣旨に反するという指摘がありますし、片山善博元鳥取県知事はテレビで「文書があるとわかっていて『確認できない』と答弁したのが法令違反だ」と指摘していました)
 
「仲間をたいせつにする」というのは原始的な倫理ですが、それだけでは当然限界があります。
そこで必要になるのが「公の論理」です。
義家氏は、ここは「ヤンキーの論理」ではなく、「公の論理」で行動すべきでした。
というか、政治家なのですから、もともとそうするべきです。
 
自民党には昔から「公の論理」に欠けたところがあります。親分子分の関係である派閥の論理で党が運営されてきました。
精神科医の斎藤環氏は数年前に、自民党の政策はヤンキー化して、支持層にもマイルドヤンキーが多いという「自民党ヤンキー論」を唱えたことがあります。
 
安倍首相が森友学園や加計学園でやったことも、「行政の私物化」です。
考えてみれば、安倍首相の最初の選挙のスローガンは「日本を取り戻す」でした。ひじょうに違和感のあるスローガンでしたが、今になれば「日本を私物化する」という意味だったのだとわかります。
 
 
ところで、一般に「公」というのは、せいぜい国家規模のことです。
しかし、今は国家規模では足りません。地球環境問題がそうですし、戦争や安全保障の問題もそうです。
 
これからは「公の論理」も、国家規模から地球や人類規模に変わらなければいけない時代ですが、自民党の場合は逆に「公の論理」が「私の論理」へと退化しています。
 
今の安倍政権を見ていると、国民そっちのけで安倍というお殿様に家臣が奉仕しているようです。

共謀罪が必要な理由として、国際組織犯罪防止条約締結のためとか、テロ対策のためという説明がされてきましたが、まったく説得力がありません。
私は、犯罪減少に対応して警察司法組織の利権を守るためだと主張してきました。
しかし、それだけではなかったようです。刑法学の高山佳奈子京大教授がもうひとつの理由を朝日新聞に書いておられました。
 
 
「共謀罪」 監視拡大、民主主義の危機 高山佳奈子
(前略)
では、テロ対策にも条約締結にも必要のない立法がなぜ、国会で十分な議論もないままに押し通されようとしているのか。
 背景には、02年以降、犯罪の件数が半数未満に減少した一方で、人員が2万人増員されて仕事のない警察が権限拡大を強く求めていることと、米国の圧力とがあるとみられる。
 エドワード・スノーデンほか著『スノーデン 日本への警告』(集英社新書・778円)の指摘どおり、米国の諜報(ちょうほう)機関では日本語を十分に扱えないため、日本の警察が市民を監視して得た情報を入手できれば好都合である。すでに、米国は日本にそのための技術システムを提供したとされる。
 米国の利益が本法案の背景にあることは、平岡秀夫・海渡雄一『新共謀罪の恐怖』にも詳述されている。本来、日本の刑法体系からすれば、国連条約締結のためには、ドイツなどと同様に、共謀罪ではなく結集罪の処罰を(破壊活動防止法や暴力団対策法などを改正し)狭い範囲で設ければ足りた。それなのに犯罪の計画・準備段階にまで極端に捜査権限を拡大する法案が出されたのは、監視を広げるためにほかならない。元警察職員執筆の原田宏二『警察捜査の正体』は、自身の経験から、現在でも人々の通信記録が収集され、社会の至るところに公安警察が密(ひそ)かに入り込んでいるとしている。
 法案が設ける277の犯罪類型は、国連条約の趣旨に反し、警察の職権濫用(らんよう)・暴行陵虐罪や商業賄賂罪を除外している。あらゆる問題を国民に秘匿したままの立法は民主主義への挑戦である。
 
 
やっぱり“アメリカの要請”なのでした。
日本で激しい政治的対立が起きるときには、必ず背後にアメリカの要請あります。安保法制にしても、米軍基地の辺野古移設にしてもそうです。
 
金田法相も理解できないようなむずかしい法案を法務官僚が必死でつくったのも、安倍政権がゴリ押ししてまで国会を通そうとするのも、アメリカの要請があったからだとすると納得がいきます。

共謀罪は治安維持法の復活だという反対論は、そういう意味では的外れです。結果的にそうなるかもしれませんが。

 
では、アメリカがなぜ共謀法の成立を求めたのかというと、やはりテロ対策でしょう。
 
アメリカの対テロ戦争は、軍事力で勝利できないのは明らかです。
自爆テロ犯には厳罰化も効果がありません。
ローンウルフ型のテロリストには警察もお手上げでしょう。
 
かといって、アメリカは対テロ戦争の勝利を諦めるわけがありません。
では、どうするかというと、全世界のすべての個人を監視する究極の監視社会の実現しかないと思われます。
メールやインターネット閲覧履歴などすべてがわかれば、その個人の思想傾向がわかり、テロをしそうな人間もわかるというわけです。
 
スノーデン氏の持ち出した機密文書によると、アメリカの情報機関は日本に対して、ネット上の電子メールなどのほぼすべての利用者の情報を収集・検索する監視システムをひそかに提供したということです。
アメリカとしては、日本だけ監視できないというのは具合が悪いので、こうしたシステムや共謀罪で監視することを求めているのでしょう。
 
ですから、安倍政権が共謀罪はテロ対策だというのは、あながち嘘ではありません。
ただし、そのテロ対策はアメリカのためのテロ対策です。日本のためではありません。
 
日本はすでに世界でもっともテロの少ない国になっていて、テロ対策は必要ありません。このことは次の記事に書きました。
 
「テロはへっているという事実」
 
アメリカがテロリストに狙われるのは、アメリカの覇権主義と反イスラム主義のせいであり、自業自得です。
アメリカがテロ対策をする必要があるからといって、日本が協力する必要はまったくありません。
共謀法成立をゴリ押しする安倍政権は売国政権です。

加計学園と共謀罪に隠れがちですが、安倍政権の外交方針が大きく変化しているようです。
 
トランプ大統領がパリ協定からの離脱を表明した翌日の6月2日、麻生太郎財務相は閣議後の記者会見で「その程度の国だということですよ」と語りました。
麻生氏は放言癖のある人ですが、山本公一環境相も記者会見で、「失望に、プラス怒りを覚えている」と語りました。
日本の政府高官が反米的な言葉を口にするのは長らくなかったことで、驚きました。
 
そして、安倍首相は5日、都内で講演した際、中国の「一帯一路」構想に協力する意向を表明しました。
これにもびっくりです。安倍首相はこれまでもっぱら中国包囲網を形成するために世界を飛び回って、バラマキ外交をしてきたからです。
中国包囲網構築をやめたとすれば、外交方針の大転換です。
 
 
安倍政権がトランプ政権に見切りをつけたというのはありそうなことです。トランプ政権は人事すらいまだに固まらず、大統領が弾劾される可能性も高まっています。麻生氏らの発言はその方針にのっとったものだとすれば理解できます。
 
ただ、そうすると、安倍首相がこれまでトランプ大統領にすり寄り、親密さをアピールしてきたのはなんだったのかということになります。
 
 
トランプ政権に見切りをつける一方で中国にすり寄るというのもありそうなことです。
 
自民党の二階俊博幹事長は5月中旬に北京で開かれた「一帯一路」国際協力サミットフォーラムに出席し、習近平主席に安倍首相の親書を手渡し、両国首脳の相互訪問を実現したいとの安倍首相の考えを伝えています。
そのときに二階幹事長は記者団に、アジアインフラ投資銀行(AIIB)に日本政府が早期に参加を決断すべきだとの考えも表明しています。
AIIBに参加していないのは、主要国では日本とアメリカだけです。日本政府はアメリカが参加する事態を恐れているという報道もありました。
 
考えてみれば、中国は今でも6~7%の経済成長を続けており、包囲網に収まるわけがないのです。
 
もっとも、産経新聞などは、安倍首相の「一帯一路」への協力表明は透明性、公正性という条件づきであって、中国へのすり寄りではなく、中国を牽制する狙いなのだと解説しています。
 
安倍政権がトランプ政権に見切りをつけて中国へすり寄っているとすれば、安倍政権は想像以上にしたたかで、政権の長期化を狙っていることになります。
実際はどうなのでしょうか。国会でも追及してほしいところです。

教育勅語について私は、「子は親に孝行せよ」という徳目はあるが、「親は子を愛せよ」という徳目はなく、親子関係が一方通行になっているのが欠陥だと書いたことがあります。
 
「教育勅語の欠陥とはなにか」
 
しかし、そんなことよりもっと根本的な欠陥があったのでした。
朝日新聞の6月10日の「声」欄に載った投書が指摘していました。
教育勅語の内容についての批判としてはもっとも的確なものではないかと思います。
消えてしまってはもったいないので、このブログに張っておくことにします。
 
教育勅語に関しては、天皇が国民に与えたもので国民主権に反するという批判があります。それから、戦後の国会で失効・排除が決議されているので、それを復活させることへの批判もあります。
また、子どもに丸暗記させて、唱和させるという使い方がされましたが、それによって子どもがその言葉通りの行動をするようになるという根拠がなにもありませんし、子どもの主体性を無視しているという批判もあります。
 
そして、教育勅語の内容についての批判があるわけですが、次の投書が簡潔にして言い尽くしていると思われます。
 
 
(声)「教育勅語」、切り売りは無意味
無職 花輪紅一郎(東京都 67)
 
 「殺すな」「盗むな」「うそをつくな」「淫行するな」の四つは、仏教の五戒と旧約聖書の十戒に共通する徳目であり、万古不易の人の道の基本と言っていい。
 近頃、「教育勅語」には時代を超え、世界に通用する道徳があると持ち上げる人たちがいるが、この四つが含まれていないことをご存じだろうか。逆に、勅語の1丁目1番地である冒頭の「君への忠」をなぜ無視するのだろうか。
 教育勅語は「君への忠」から始まり、「皇運扶翼」まで一貫した徳の体系の中に他の徳目を組み込む構造になっている。「兄弟仲良く」したり「学を修め」たりするのは何のためか、究極の目的を抜きに個々の徳を切り売りしても意味はない。勅語の核心は、すべては君のために命をなげうつ忠誠心を持った人になることだ。そこに「殺すな」や「盗むな」は入り込む余地はなかったのだ。
 もし人命尊重や略奪禁止を掲げていたら、侵略戦争や日本兵の残虐行為はなかっただろう。人の道の基本を抜きに、天皇への忠誠心のみを求めた勅語の過ちは戦後反省したはずだ。私は高校で倫理を教えていた。道徳に「殺すな」「うそをつくな」は欠かせない。
 

加計学園問題について文科省内からさまざまな文書や証言が出てきて、内閣支持率も急落しています。
きっかけは、前文科省事務次官の前川喜平氏を安倍政権が個人攻撃したことだと思います。国家権力が個人攻撃をするということが平然と行われるようになれば、これはテロリズムの本来の意味である恐怖政治です。マスコミ関係者も、次は攻撃が自分に向けられるかもしれないと思ったのではないでしょうか。
 
個人攻撃の最初は、読売新聞が5月22日に掲載した「前川前次官 出会い系バー通い 文科省在職中、平日夜」と題する記事です。
出会い系バーに通うこと自体にはなんの問題もなく、前川氏は公金を使ったわけでもないし、勤務中に通ったわけでもありません。
読売新聞は「元文部官僚のある市民は現役時代に出会い系バー通いをしていた」というだけの個人の過去のプライバシーを記事にしたわけです。
ですから、官邸の意向があったのだろうと誰もが推測するところです。
 
おそらくはこの記事がきっかけで前川氏が記者会見を開き、それに対して菅官房長官が「常識的に、教育行政の最高の責任者がそうした店に出入りし、小遣いを渡すようなことはとうてい考えられない」とか、「自ら辞める意向を全く示さず、地位に恋々としがみついておりました」などと個人攻撃をしました。
 
出会い系バーに通うことについて、前川氏は「女性の貧困問題の調査のため」という弁解をし、「それは嘘だろう」とか、「いや、ほんとうらしい」という議論がありますが、それはおいておくことにします。
 
出会い系バーは合法的に営業しているのですから、客が行ってもなんの問題もありませんが、読売新聞の記事は巧みな印象操作をしています。
 
「売春や援助交際の交渉の場になっている東京都新宿区歌舞伎町の出会い系バー」
『女性らは、「割り切り」と称して、売春や援助交際を男性客に持ちかけることが多い』
『「出会い系バー」や「出会い系喫茶」は売春の温床とも指摘される』
 
つまり出会い系バーと売春を結びつけ、出会い系バーに通っている前川氏が買春や援助交際をしているように印象づけているのです。
出会い系バーが売春の温床となっているとしても、出会い系バーの客すべてが買春をしているはずがなく、なんの証拠もなしにこのような印象づけをするのは悪質な記事です。
 
そして、菅官房長官は、出会い系バーに通うような人物の言うことは信用できないという印象操作をして前川氏の主張を否定しています。
菅官房長官のやり方は、出会い系バーに通う人にも、出会い系バーの経営者や従業員にも失礼で、謝罪するべきです。
 
 
ただ、菅官房長官の言うことを真っ向から批判する人は意外といません。
それは、前川氏が教育関係者であったということがあるからでしょう。
 
私の学生時代の友人で教師になった男は、教師になるとパチンコにも行けないとぼやいていました。人に見られると、いろいろ言われるらしいのです。当然、風俗店にも行けません。行きたいときは地元からかなり離れたところまで行くそうです。
 
教育者は品行方正でなければならない――そういう社会通念があるのです(警官、裁判官なども同じです)
菅官房長官はその社会通念を利用しています。
 
しかし、この社会通念はバカバカしいもので、ふたつの視点から批判できます。
ひとつは人間としてのホンネから、「教師も人間だから、パチンコや風俗に行ってもいいじゃないか」というものです。
もうひとつは、人権思想や法の精神から、「教師にもパチンコや風俗に行く権利がある」というものです。
 
したがって、「教師はパチンコや風俗に行くべきでない」ということを公然と言う人はいないはずです。
 
昔、生徒がイジメで自殺したとき、生徒の担任がちょうど麻雀荘にいたということがありました。もちろん生徒が自殺すれば担任の責任が問われますが、マスコミは「そのとき担任は麻雀荘にいた」ということをひじょうに強調しました。いかにもけしからんという調子です。
しかし、「教師は麻雀をするべきではない」とか「教師は麻雀荘に行くべきではない」という主張をする人はいませんでした。
つまりそれは、口に出せるようなまともな主張ではないのです。
 
菅官房長官が前川氏の出会い系バー通いを批判することも、同様にまともな主張ではありません。
 
 
ともかく、政権の延命のために前川氏という一個人を攻撃することに多くの人があきれていて、それがマスコミの論調の変化となって表れている気がします。

俳優の橋爪遼容疑者が覚醒剤取締法違反容疑で逮捕されました。
「俳優の橋爪遼」と言っても、知らない人が多いでしょう。ほとんど無名の俳優ですから、これではニュースになりません。しかし、「橋爪功さんの息子」ということなら話は別です。
時事通信の記事はこうなっています。
 
 
橋爪功さんの息子逮捕=知人宅で覚せい剤所持容疑―警視庁
 俳優の橋爪遼容疑者(30)が覚せい剤を所持したとして、覚せい剤取締法違反容疑で警視庁に現行犯逮捕されていたことが3日、同庁築地署への取材で分かった。同容疑者は俳優の橋爪功さん(75)の息子。容疑を認めているという。
 逮捕容疑は2日午後9時半ごろ、埼玉県内に住む知人の男の共同住宅で、覚せい剤若干量を所持した疑い。
 築地署によると、男が他人に覚せい剤を譲り渡した疑いがあり、家宅捜索しようとしたところ橋爪容疑者と男が部屋から出てきた。室内から白い粉末が見つかり、簡易鑑定で覚せい剤と判明したため、所持容疑などで2人を逮捕した。
 所属事務所のホームページによると、橋爪容疑者は2004年にデビュー。「映画クローズZERO」やテレビドラマなどに出演していた。(2017/06/03-22:53
 
20歳すぎた子どもの行為に親の責任はないという考え方がありますが、必ずしもそうとはいえません。凶悪な殺人事件を起こした20代の男が実家で親と同居していたとすれば、親の影響があるに違いなく、どんな親子関係だったのかということは解明されるべきです。
 
しかし、橋爪遼容疑者は30歳ですし、親と同居はしているようですが、覚醒剤犯罪に親の影響があるとも思えません。
それに、この記事は親子関係のあり方についてはなにも言っていません。
 
本来なら、30歳の俳優が逮捕されたというだけの記事です。末尾に「なお、容疑者は橋爪功さんの息子である」という説明があってもいいし、なくてもいいというところです。
 
しかし、どのメディアも同じような記事を書いています。
共同通信が配信したものが同じになるのは当然として、独自に記事を書いたと思われるメディアも、ほとんど同じタイトルになっています。
 
 
俳優・橋爪功さんの息子を覚醒剤所持容疑で逮捕 警視庁(朝日新聞)
 
橋爪功さん長男の遼容疑者、覚醒剤所持の疑い(読売新聞)
 
覚醒剤所持容疑で俳優の橋爪遼容疑者を逮捕 橋爪功さんの息子 警視庁(産経新聞)
 
俳優・橋爪功さんの息子 覚醒剤所持で逮捕[日本テレビ系(NNN)]
 
橋爪功さんの息子、遼容疑者 覚醒剤所持の疑い[テレビ朝日系(ANN)]
 
俳優・橋爪功さんの息子、覚醒剤所持容疑で逮捕[TBS系(JNN)]
 
橋爪功さんの息子、覚せい剤所持で逮捕[フジテレビ系(FNN)]
 
 
どの記事にも「橋爪功さんの息子」という言葉が入っています(ひとつだけ「橋爪功さん長男」ですが)
これは警察の発表が「今日、橋爪功さんの息子を逮捕しました」といった感じで始まって、各記者がメモしたままを記事にしたからでしょうか。
 
ともかく、「30歳の俳優が逮捕された」というほとんどニュースバリューのない記事が、見出しに「橋爪功」という名前を入れることで世間の注目を集める記事になったわけです。
 
ということは、報道各社は橋爪功さんに名前を使ったことのギャラを支払うべきではないでしょうか。
企業が商品の宣伝などに有名人を使う場合は、当然ギャラが発生します。それと同じです。
息子さんが逮捕されたから、勝手に名前を使っていいという理屈はないはずです。
 
 
こうしたことの背景には、犯罪がへり続けているという事情があります。
平成28年版の「犯罪白書」によると、刑法犯の認知件数は平成14年のピークから13年連続で減少し、ピーク時の4割弱になりました。ニュースになるような凶悪犯罪もへっています。
そのためマスコミは芸能人犯罪を大きく扱うようになりました。
 
それは警察も同じで、芸能人の犯罪はとくに熱心に摘発しています。
共謀罪も、警察が少ない犯罪でメシを食うための手段です。
 
ともかく、マスコミは橋爪功さんの名前を勝手に使って儲けただけでなく、橋爪功さんに悪いイメージを与えたわけで、ギャラのほかに損害賠償金を払ってもいいぐらいです。
 

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