7月26日は、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で植松聖被告が入所者19人を殺害した事件からちょうど1周年でした。
 
私は基本的に、こうした犯罪は犯人の生育歴から解明されるべきだと考えていますが、植松被告が抱いていた優生学の問題も無視はできません。
優生学は表向き否定されていますが、いまだに底流として力を持っていて、ネットの書き込みではよく見かけますし、ときにこうした事件として表面化します。
こういうものは、もとから断たないとだめです。

 
「優生学」という言葉をつくったのはフランシス・ゴルトンで、ここから優生学が始まりました。ゴルトンはチャールズ・ダーウィンの従兄弟で、ダーウィンの進化論から影響を受けて優生学を始めたとされます。
 
「ダーウィンの進化論から影響を受けた」というと、ダーウィン自身には問題がないように思えますが、そうではありません。
優生学のもとに優生思想があるとすれば、優生思想を始めたのはダーウィンです。ゴルトンはそれをふくらませただけです。
 
これはダーウィンの著作を読めばわかります。ダーウィンは「種の起源」の12年後に「人間の進化と性淘汰」という本を書いて、進化論を人間に当てはめてさまざまな考察を行いました。
そこから優生思想に当たる部分を引用してみます(引用は文一総合出版刊「人間の進化と性淘汰Ⅰ、Ⅱ」長谷川眞理子訳より。現在は同じものが「人間の由来(上、下)」として講談社学術文庫より刊行されている)
 
 
道徳的傾向が強い遺伝性を持つかもしれないということは、本質的にあり得ないとは私は思わない。多くの家畜動物でさまざまな性質や習性が遺伝することはいうまでもなく、私は、上流階級の家族のなかで、盗みの欲求と嘘をつく傾向とが家族中に見られる例があると聞いたことがある。裕福な階級では盗みは非常に稀な犯罪なので、同じ家族の中で2人、3人とそのような性癖が同時に起こることは、偶然の一致とはとても考えられない。もしも悪い性癖が遺伝するものならば、よい性癖も同様に遺伝するだろう。道徳的傾向が遺伝の原理からはずれているとするならば、さまざまな異なる人種間で、この点に関して存在すると考えられている違いを理解できなくなってしまう。(「人間の進化と性淘汰Ⅰ」95ページ)
 
 
個人や人種に遺伝的な悪が存在するとダーウィンは考えていたわけです。
ここから、社会をよくするために個人を選別するべきだという思想や、たとえば邪悪なユダヤ人を抹殺するべきだという思想が生まれても不思議ではありません(ダーウィンがユダヤ人は邪悪だと言っているわけではありませんが)
 
優生思想と兄弟のような関係にあるのが社会ダーウィン主義ですが、これもダーウィン自身の思想から直接に導かれます。
 
 
人類の福祉をどのように向上させるかは、最も難解な問題である。自分の子どもたちが卑しい貧困状態に陥ることを避けられない人々は、結婚するべきではない。なぜなら、貧困は大きな邪悪であるばかりか、向こう見ずな結婚に導くことによって、それ自体を増加させる傾向があるからである。一方、ゴールトン氏が述べているように、慎み深い人々が結婚を控え、向こう見ずな人々が結婚したならば、社会のよくないメンバーが、よりよいメンバーを凌駕することになるだろう。人間も他の動物と同様に、その速い増殖率からくる存続のための争いを通じて、現在の高い地位に上ったことは疑いない。そして、もしも人間がさらなる高みへと進むべきなのであれば、厳しい競争にさらされ続けていなければならない。そうでなければ、人間はすぐに怠惰に陥り、より高度な才能に恵まれた個人が、そうでない個人よりも、存続のための争いで勝ち残るということがなくなってしまうだろう。(「人間の進化と性淘汰Ⅱ」460461ページ)
 
 
優生学や社会ダーウィン主義は、進化論を曲解して生まれたものだとされています。
それは確かにそうなのですが、実はダーウィン自身が進化論を曲解していたのです。
 
ダーウィンの著作を読む人はあまり多くないでしょう。多くの人は進化論の解説書を読むわけです。そうするとそこには、ダーウィンは家族思いの人格者であったとか、人種差別思想を持っていたが、当時のヨーロッパでは誰もがそうであり、ダーウィンはむしろ被差別者にも人間的な共感を持っていて、奴隷制反対論者であったということが必ず書かれています。
 
ダーウィンが奴隷制反対論者であったのは事実ですが、だからといって、その人種差別思想がたいしたものでないということにはなりません。
それは次の文章を読めば明らかでしょう。
 
 
奴隷制の大きな罪は世界中いたるところに見られ、奴隷はしばしば恥ずべきやり方で扱われてきた。未開人は自分の妻の意見を尊重しないので、たいていの場合妻は奴隷と同じように扱われている。ほとんどの未開人は、赤の他人の苦難にはまったく無頓着で、むしろそれを見るのを喜ぶ。北アメリカのインディアンでは、敵を拷問するのに女子どもも手伝ったというのはよく知られている。未開人のなかには、動物を残酷に扱うことに恐ろしい喜びを感じるものがあり、彼らの間では、慈悲などという美徳はまったく存在しない。(「人間の進化と性淘汰Ⅰ」89ページ)
 
 
もちろんダーウィンは偉大であり、その進化論は基本的に正しいのですが、ダーウィンの人間についての考え方はきわめて差別的でした。
そのため、進化論は科学上の理論でありながら差別主義にまみれていて、進化論を持ち出すとほとんどつねに差別主義もいっしょについてくるのです。
優生学もそのひとつです。
 
優生学を批判するには、ダーウィンの思想から批判しなければなりません。