村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2017年07月

ようやく稲田朋美防衛相が辞任しました。問題発言や問題行動を連発しても、そのことよりもファッションや化粧のほうに気が向いているような、おかしな人でした。
なぜこういう人が出世したかというと、ひとえに安倍首相の引きがあったからです。
 
安倍首相と稲田氏は思想的にきわめて近いとされます。
どういう思想かというと、次の記事が物語っています。
 
 
「東京裁判史観の克服のため」 稲田防衛相が雑誌に寄稿
 稲田朋美防衛相が4月に亡くなった保守派の論客・故渡部昇一氏の追悼文を月刊誌「月刊Hanada」(7月号)に寄稿。「(渡部)先生のおっしゃる『東京裁判史観の克服』のためにも固定概念にとらわれず、『客観的事実はなにか』を追求する姿勢を持つことが大切だ」と持論を展開した。
 渡部氏は、稲田氏の後援組織「ともみ組」の会長だった。月刊誌の追悼特集に寄せた文章で稲田氏は、会長就任の経緯を回顧。「どうしても会長になってもらいたいと言い出したのは、『ともみ組』の命名者である夫」と明かした。
 そのうえで渡部氏が「ともみ組」のパンフレットに寄せた「日本の政治家に今一番必要なのは東京裁判史観を破砕する知力を基礎にした勇気である」という一文を改めて詳述して紹介。稲田氏は渡部氏の言葉に応じる形で、「『東京裁判史観の克服』のためにも固定概念にとらわれず」などと記した。
 稲田氏は9日の閣議後会見で寄稿の内容について質問され、「防衛大臣として先の大戦の認識を問われると、昨年の8月14日の総理談話で述べられている通り」「(自分を)歴史修正主義者とは思っていない」などと釈明した。
 稲田氏は防衛相就任以前にも保守系雑誌などに頻繁に登場。「子ども手当分を防衛費にそっくり回せば、軍事費の国際水準に近づきます」「長期的には日本独自の核保有を国家戦略として検討すべきではないでしょうか」「文科省の方に『教育勅語のどこがいけないのか』と聞きました」などと持論を展開。これらの言動は政府見解から逸脱するとして、国会で野党の追及を受けている。
 
 
「東京裁判史観の克服」というのは、要するに「戦前回帰」であり、軍国日本を理想化する「歴史修正主義」でもあります。
 
しかし、東京裁判はアメリカ主導の連合国が行ったものですから、「アメリカへの挑戦」でもあります。
これは容易なことではないので、渡部昇一氏も「日本の政治家に今一番必要なのは東京裁判史観を破砕する知力を基礎にした勇気である」と言っているわけです。
 
では、稲田氏にその知力や勇気があるかというと、まったくありません。
稲田氏は防衛大臣になって、アメリカと交渉する機会も多く、アメリカで講演をしたこともあります。そうしたときに自分の政治信条を表明すれば、日本国民に訴えることにもなりますが、なにもやっていません。国内の保守系雑誌になにか書くぐらいです。
渡部先生も草葉の陰で嘆いておられることでしょう。
 
これは安倍首相も同じです。
安倍首相は稲田氏と思想が同じですが、新安保法制や共謀罪や沖縄基地問題などで対米従属政策を進めるばかりです。
 
稲田氏も安倍首相も、アメリカと戦っても勝ち目がないとわかっていて、その点では賢明であるかもしれません。
 
 
賢明でなかったのは、政権を取ったときの民主党でした。
鳩山政権は普天間基地問題で「最低でも県外」を目指して、アメリカと衝突しました。
 
これは渡部氏が求めたことと方向性が違いますが、実現するには知力と勇気が必要なことは同じです。
しかし、鳩山首相には知力も勇気もなくて、アメリカに完敗しました。
 
そして、民主党政権は失敗し、民主党には負け犬のイメージがついて、それは党名を変えても変わりません。
蓮舫代表が辞任したのも、根本原因はそこです。
 
稲田氏と蓮舫氏が続けて辞任したので、“ガラスの天井”ということも言われていますが、少なくとも稲田氏の辞任は個人の資質の問題でしょう。
 
ただ、“ガラスの天井”はともかく、“アメリカのガラスの壁”があるのは確かです。
 
民主党政権はこの壁にぶつかって失敗し、安倍政権は壁にぶつからないようにして、政権の長期化に成功しています。
というか、自民党は本質的にアメリカの壁にぶつからない政党です。
 
 
これから民進党の次期代表選びが行われますが、“アメリカのガラスの壁”にどう対応するかがいちばんのテーマになるべきです。
自民党的でない政治を目指すなら、この壁にぶつかるしかありません。
 

7月26日は、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で植松聖被告が入所者19人を殺害した事件からちょうど1周年でした。
 
私は基本的に、こうした犯罪は犯人の生育歴から解明されるべきだと考えていますが、植松被告が抱いていた優生学の問題も無視はできません。
優生学は表向き否定されていますが、いまだに底流として力を持っていて、ネットの書き込みではよく見かけますし、ときにこうした事件として表面化します。
こういうものは、もとから断たないとだめです。

 
「優生学」という言葉をつくったのはフランシス・ゴルトンで、ここから優生学が始まりました。ゴルトンはチャールズ・ダーウィンの従兄弟で、ダーウィンの進化論から影響を受けて優生学を始めたとされます。
 
「ダーウィンの進化論から影響を受けた」というと、ダーウィン自身には問題がないように思えますが、そうではありません。
優生学のもとに優生思想があるとすれば、優生思想を始めたのはダーウィンです。ゴルトンはそれをふくらませただけです。
 
これはダーウィンの著作を読めばわかります。ダーウィンは「種の起源」の12年後に「人間の進化と性淘汰」という本を書いて、進化論を人間に当てはめてさまざまな考察を行いました。
そこから優生思想に当たる部分を引用してみます(引用は文一総合出版刊「人間の進化と性淘汰Ⅰ、Ⅱ」長谷川眞理子訳より。現在は同じものが「人間の由来(上、下)」として講談社学術文庫より刊行されている)
 
 
道徳的傾向が強い遺伝性を持つかもしれないということは、本質的にあり得ないとは私は思わない。多くの家畜動物でさまざまな性質や習性が遺伝することはいうまでもなく、私は、上流階級の家族のなかで、盗みの欲求と嘘をつく傾向とが家族中に見られる例があると聞いたことがある。裕福な階級では盗みは非常に稀な犯罪なので、同じ家族の中で2人、3人とそのような性癖が同時に起こることは、偶然の一致とはとても考えられない。もしも悪い性癖が遺伝するものならば、よい性癖も同様に遺伝するだろう。道徳的傾向が遺伝の原理からはずれているとするならば、さまざまな異なる人種間で、この点に関して存在すると考えられている違いを理解できなくなってしまう。(「人間の進化と性淘汰Ⅰ」95ページ)
 
 
個人や人種に遺伝的な悪が存在するとダーウィンは考えていたわけです。
ここから、社会をよくするために個人を選別するべきだという思想や、たとえば邪悪なユダヤ人を抹殺するべきだという思想が生まれても不思議ではありません(ダーウィンがユダヤ人は邪悪だと言っているわけではありませんが)
 
優生思想と兄弟のような関係にあるのが社会ダーウィン主義ですが、これもダーウィン自身の思想から直接に導かれます。
 
 
人類の福祉をどのように向上させるかは、最も難解な問題である。自分の子どもたちが卑しい貧困状態に陥ることを避けられない人々は、結婚するべきではない。なぜなら、貧困は大きな邪悪であるばかりか、向こう見ずな結婚に導くことによって、それ自体を増加させる傾向があるからである。一方、ゴールトン氏が述べているように、慎み深い人々が結婚を控え、向こう見ずな人々が結婚したならば、社会のよくないメンバーが、よりよいメンバーを凌駕することになるだろう。人間も他の動物と同様に、その速い増殖率からくる存続のための争いを通じて、現在の高い地位に上ったことは疑いない。そして、もしも人間がさらなる高みへと進むべきなのであれば、厳しい競争にさらされ続けていなければならない。そうでなければ、人間はすぐに怠惰に陥り、より高度な才能に恵まれた個人が、そうでない個人よりも、存続のための争いで勝ち残るということがなくなってしまうだろう。(「人間の進化と性淘汰Ⅱ」460461ページ)
 
 
優生学や社会ダーウィン主義は、進化論を曲解して生まれたものだとされています。
それは確かにそうなのですが、実はダーウィン自身が進化論を曲解していたのです。
 
ダーウィンの著作を読む人はあまり多くないでしょう。多くの人は進化論の解説書を読むわけです。そうするとそこには、ダーウィンは家族思いの人格者であったとか、人種差別思想を持っていたが、当時のヨーロッパでは誰もがそうであり、ダーウィンはむしろ被差別者にも人間的な共感を持っていて、奴隷制反対論者であったということが必ず書かれています。
 
ダーウィンが奴隷制反対論者であったのは事実ですが、だからといって、その人種差別思想がたいしたものでないということにはなりません。
それは次の文章を読めば明らかでしょう。
 
 
奴隷制の大きな罪は世界中いたるところに見られ、奴隷はしばしば恥ずべきやり方で扱われてきた。未開人は自分の妻の意見を尊重しないので、たいていの場合妻は奴隷と同じように扱われている。ほとんどの未開人は、赤の他人の苦難にはまったく無頓着で、むしろそれを見るのを喜ぶ。北アメリカのインディアンでは、敵を拷問するのに女子どもも手伝ったというのはよく知られている。未開人のなかには、動物を残酷に扱うことに恐ろしい喜びを感じるものがあり、彼らの間では、慈悲などという美徳はまったく存在しない。(「人間の進化と性淘汰Ⅰ」89ページ)
 
 
もちろんダーウィンは偉大であり、その進化論は基本的に正しいのですが、ダーウィンの人間についての考え方はきわめて差別的でした。
そのため、進化論は科学上の理論でありながら差別主義にまみれていて、進化論を持ち出すとほとんどつねに差別主義もいっしょについてくるのです。
優生学もそのひとつです。
 
優生学を批判するには、ダーウィンの思想から批判しなければなりません。
  

トランプ大統領が安倍昭恵夫人の英語力を「ハローも言えない」と言ったことがアメリカで話題になっています。
 
7月7日、ドイツでのG20首脳会議の夕食会で、トランプ大統領は昭恵夫人の隣の席になり、途中で席を離れてプーチン大統領と1時間近く“密会”しました。このことが批判されると、「彼女は素晴らしい女性だが、英語を話さない。ハローも言えないぐらいだ」と言って、席を離れたことを正当化しました(そのあと「しかし、私は彼女との夜を楽しんだ。彼女はかわいらしく、素晴らしい夜だった」とフォローもしています)
 
アメリカのメディアは昭恵夫人の英語力について、昭恵夫人が英語でスピーチする映像を流したり、外交関係者の「少なくとも儀礼的な会話はできる」というコメントを紹介したりして、昭恵夫人はトランプ大統領と会話したくなかったために英語ができないふりをしたのではないかといった議論が盛り上がっているそうです。
 
これは日本人にとっても興味ある問題です。昭恵夫人の英語力はどの程度のものかとか、昭恵夫人はトランプ大統領についてどう思っているのかとか、ワイドショーなどで好まれそうです。
そう思っていたら、ニュースとしては一応取り上げらましたが、話題としてはまったく広がりません。
 
なぜかと考えると、トランプ大統領は昭恵夫人の英語力を自己正当化のために利用したわけで、これを追及すると、トランプ大統領批判にならざるをえないからでしょう。
トランプ大統領はパリ協定離脱や保護貿易主義などで世界中で批判されていますが、日本人だけはトランプ大統領を批判したくないのです。
 
「ハローも言えない」というのは明らかに昭恵夫人に対する侮辱です。
昭恵夫人については、森友学園問題で沈黙を守っているのはけしからんと思っている人たちもいますが、安倍首相を支持する人たちは昭恵夫人も支持しているはずです。そういう人たちは「日本のファーストレディをバカにするのか」と怒って当然ですが、そういう声はまったく聞こえません。
 
昭恵夫人の名誉を守るべき立場の菅官房長官も同じです。
 
 
トランプ氏と昭恵氏「通訳を使い、有意義な会話」 菅氏
トランプ米大統領が安倍晋三首相夫人の昭恵氏について「英語を話さない」「ハローも言えない」などと米紙のインタビューで語ったことについて、菅義偉官房長官は21日の記者会見で「昭恵夫人は通訳を使ってトランプ大統領と会話した。有意義な会話が進んだと思う」と述べた。
 菅氏は「大統領はインタビューで『昭恵夫人はすてきな女性で、夕食会を楽しんだ』と言っている。素晴らしい印象を与えたのでは」とも語った。米国内で波紋を広げている大統領の発言は問題視しない考えを示した。
 トランプ氏は、今月上旬にドイツであった主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)の夕食会で昭恵氏の隣に着席。この時の様子について、19日の米紙ニューヨーク・タイムズとのインタビューで、会話がないままの2時間近い夕食会は「つらい」などと語った。
 
 
菅官房長官は、安倍夫妻よりもトランプ大統領のほうをたいせつにしているようです。
トランプ大統領の「ハローも言えない」という言葉は、昭恵夫人だけでなく日本人全体の名誉にも関わることですから、少なくとも「日本人なら誰でもハローは言える」ぐらいのことは言うべきです。
官房長官がこれでは、日本の国際的地位は低下する一方です。
 
フランスのマクロン大統領などは平気でトランプ大統領に皮肉を言っています。
日本人が属国根性から脱却するのはまだまだ先のようです。 

堀江貴文氏がヒトラーの絵が描かれたTシャツを着てNHKの番組「ごごナマ」に出演し、騒ぎになっています。
 
その日、たまたま私はめったに見ない「ごごナマ」にチャンネルを合わせ、ホリエモンが出ているなと思い、それよりも船越英一郎氏がなにごともなさそうな顔で司会をしているのに驚きました。そして、ホリエモンが着ているTシャツに、どう見てもヒトラーとしか思えない絵が描かれているのが気になりました。
ただ、その絵の横になにやら文字が見えます。しかし、Tシャツがよじれて、ホリエモンの腹も出ているので、なんと書かれているのか読めません。ヒトラーの顔が描かれただけのTシャツなら、さすがにNHKのスタッフが止めるはずです。なんという文字が書かれているのか気になりましたが、そのときは確かめる前にチャンネルを変えてしまいました。
 
その後、このTシャツのことが騒ぎになり、ヒトラーが「NO WAR」と叫んでいる絵だということがわかりました。
 
そのTシャツの写真入りの記事はこちら。
 
ホリエモンがヒトラーTシャツ着用でNHKが謝罪⇒堀江氏は「頭悪いな」 船越英一郎司会の「ごごナマ」出演
 
NHKは謝罪しましたが、ホリエモンは謝罪していません。
ホリエモンは、このTシャツは反戦のメッセージだと主張しています。この主張は正当でしょうか。
 
 
まず言えるのは、絵と文字では、絵のほうがメッセージ性が強いということです。誰でも「NO WAR」の文字よりもヒトラーの顔のほうが印象づけられます。
 
それから、ヒトラーは実際に「平和」や「戦争は望まない」ということを叫んでいました。
そもそもどんな国の指導者も「戦争を望む」とは言いません。
そのことは、このサイトにも書いてあります。
 
戦争において、国家は必ず国民に嘘を付く
ヒトラーの演説でも「平和」を連呼していた
 
ですから、「NO WARと叫ぶヒトラー」の絵は、実際のヒトラーを描いているだけなので、反戦メッセージにはなりません。
 
その絵にメッセージ性を持たせようとしたら、「NO WARと叫ぶやつを信用するな」といった言葉をつけなければなりません。
あるいは、「NO WARと叫ぶヒトラー」の絵と「積極的平和主義と叫ぶ安倍首相」の絵を並べるという手もあります。
 
ホリエモンはツイッターで「どっからどう見ても平和を祈念しているメッセージTシャツにしか見えないだろこれ笑」と書いていますが、平和を祈念する人はヒトラーの絵は使いません。
ガンジーがNO WARと叫んでいる絵なら平和のメッセージになりますが、ヒトラーの言葉では信用できません(ホリエモンは信用できるのでしょうか)。
このTシャツを着たホリエモンは、「ヒトラーは平和を望むよい人間だった」と訴えようとしているヒトラー崇拝者だと思われるでしょう。
 
実際のところはどうかというと、ホリエモンは新自由主義的で、弱肉強食を肯定するような発言を繰り返しています。
それに、2015年に「我が闘争」(幻冬舎刊)という本を出しています。
やっぱりホリエモンはヒトラー崇拝者でした。
 

ヒアリが5月に神戸港で見つかって以降、各地の港だけでなく内陸部でも見つかり、女王アリも3匹見つかっています。水際での撃退は失敗に終わるかもしれません。
 
ヒアリは毒性が強いとされますが、毎日新聞の記事によると、「被害が深刻な米国では年間1000万人以上が刺される。このうち8万人が、体が毒に過剰反応し呼吸困難や血圧低下などが急速に表れるアナフィラキシーショックを引き起こす。年間約100人が死亡しているとのデータもある」ということです。
 
年間100人の死亡というとたいへんなようですが、1000万人以上が刺されているので10万人に1人という致死率ですから、たいしたことはないとも言えます。
 
外来種に対しては、最初のうち過剰な危機感を抱きがちです。1995年に大阪府でセアカゴケグモが発見され、危険な毒グモがやってきたということでけっこう騒がれました。しかし、たいした被害もなくて、現在では42都道府県で確認されているのですが、ほとんど忘れられています。
 
環境省や国土交通省はこれからも水際での対策を強化する方針ですが、失敗に終わると、否応なくヒアリと共存していかなければなりません。
これまで駆除を目指していたのが受容へと180度転換するのですから、発想の切り替えがたいへんです。
 
 
自然界が相手だと、受け入れざるをえませんが、人間界のことだとなかなか納得がいきません。
たとえば北朝鮮の核兵器とミサイルです。
今となっては、北朝鮮が核ミサイル開発を諦めるということは、まったくありそうにありません。
かといって、アメリカが武力行使をして北の体制を転覆させるとなると、韓国や日本がたいへんな被害を受けますし、アメリカ軍も損害を受けます。それに、「北が核開発をやめないから攻撃したと」という理屈を国際社会が受け入れるかという問題もあります。
 
北の核兵器の“駆除”に失敗したのですから、受け入れて共存を目指すしかありません。
しかし、今は日本もアメリカも納得がいかなくて、ジタバタしている状況です。
 
 
対テロ戦争でも同じようなことが言えます。
どう考えても、今の状況はテロの“駆除”に失敗しています。
ISという“巣”をひとつつぶすことはできるかもしれませんが、それでテロがなくなるわけではありません。
 
北朝鮮の核といい、イスラム系のテロといい、アメリカの戦略は根本的に間違っています。
おそらくアメリカは、アメリカ先住民を“駆除”したという成功体験から、“駆除”一本やりの戦略から転換できなくなっているのでしょう。
 
人類は毒虫とも共存していかなければなりませんし、北朝鮮のような独裁体制ともイスラム過激派とも共存していかなければなりません。当たり前のことです。
 

 【追記】
「アメリカで年間100人以上死亡」というのは環境省のパンフレットにも載っているのですが、海外での死亡例は確認できなかったとして、この記述は削除されました。山本公一環境相が7月18日の会見で明らかにしました。

安倍内閣の支持率が急落して、軒並み30%台になったと思っていたら、時事通信が7月7~10日に実施した世論調査では29.9%と、30%台も割り込みました。
この急落には、マスコミの影響も大きいでしょう。
 
テレビのワイドショーで政治ネタをやるときは、政権擁護の時事通信特別解説委員の田崎史郎氏と政権に批判的な政治評論家の伊藤惇夫氏が必ずコンビで出演していたものですが、14日のTBS系の「ひるおび!」では、田崎史郎氏が出ていませんでした。
また、BSフジの「プライムニュース」は安倍政権べったりで有名で、かつて安倍首相は「プライムニュースの集い」というパーティに出席して、「こういう良質な番組を地上波でも展開して」と冗談めかして語ったこともあるほどですが、13日の放送では、政権に批判的な中野晃一、飯尾潤、御厨貴、成田憲彦の各教授が出演し、「安倍内閣は回復不可能」と口を揃えて言ったので、ネトウヨに衝撃が走ったとか。
 
確かにこのところのテレビは一斉に安倍批判を始めて、ポスト安倍として石破氏が引っ張りだこになっています。
森友学園が問題になり始めたころ、テレビはほとんど扱おうとしませんでした。そのころと比べると天と地ほどの違いです。
政権支持だった読売新聞と産経新聞も微妙に論調を変えてきているようです。
 
ともかく、マスコミが一斉に変化するというのがいかにも日本的ですが、まさか談合しているとも思えません。なにがきっかけだったのでしょうか。
 
 
私が思うに、読売新聞が前文科省事務次官の前川喜平氏の出会い系バー通いを記事にしたことがいちばん大きかったのではないでしょうか。
あの記事は、安倍政権に不都合な動きをする前川氏を攻撃するという意図が明白で、読売新聞の報道は公正を欠いているということがバレてしまいました(それに、安倍首相の「読売新聞を熟読して」という発言もありました)
 
それから、ジャーナリストの山口敬之氏がレイプ容疑で逮捕されるところを安倍政権に救われていたということが明らかになり、それまで山口氏を重用していた各テレビ局が公正性を疑われるということもありました。
 
政権によるメディア支配というのは、裏側でやるのが当たり前なのに、表面化してしまったのです。
そのため各社は、公正性を示すために、それまでのやり方を改めたということではないでしょうか。
 
そして、そのことが世論に影響し、世論の変化がまたマスコミを変化させるという相互作用で、一気に内閣支持率が急落したのではないかと思います。
 
政権が裏でマスコミをあやつっているというのはあってはいけないことで、本来の姿になってきたということですが、政権のほうも巻き返しに出ているようです。
 
 
首相動静―7月13日
(前略)
6時49分、東京・紀尾井町のホテル「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」。レストラン「WASHOKU 蒼天」で曽我豪・朝日新聞編集委員、山田孝男・毎日新聞特別編集委員、小田尚・読売新聞グループ本社論説主幹、石川一郎・BSジャパン社長、島田敏男・NHK解説副委員長、粕谷賢之・日本テレビ報道解説委員長、田崎史郎・時事通信特別解説委員と食事。10時10分、東京・富ケ谷の自宅。
 
 
安倍首相がこの時期にマスコミの主要各社を集めていっしょに食事をして、なにを話したのでしょうか。
 
マスコミの公正性について国民の監視が必要です。

共謀罪法が7月11日に施行されました。成立から施行まで、あっというまです。
テロ対策にはほとんど役に立たず、国際組織犯罪防止条約(パレルモ条約)に参加するために必要だという説明も多くの専門家が否定しています。どうしてごり押しで成立させたのでしょうか。
 
これについては、刑法学の高山佳奈子京大教授の説がいちばん納得いきました。
高山教授によると、統計的に犯罪はこのところ激減しており、それに危機感を持った警察司法組織が「犯罪のないところに犯罪を創り出し、取締権限を保持するため」と、アメリカの圧力があって、警察が市民を監視して得た情報をアメリカに提供するためだということです。
この説はこのブログでも紹介しました。
 
共謀罪反対が盛り上がらない理由
 
共謀法成立を喜ぶアメリカ
 
しかし、このふたつの理由はまったく別物です。このふたつの関係を整理してみました。
 
共謀罪の最初の法案は2003年に提出され、3度廃案になっています。このころは、警察の権限拡大だけが目的だったのではないかと思われます。そのため、野党はもちろん与党の政治家も成立させる熱意がなかったのでしょう。
 
そこで、法務官僚は、「アメリカの要請」という理由を持ち出しました。
嘘ではありません。前からアメリカの要請はあったからです。
 
アメリカがなにを求めたかというと、イスラム系テロリストに関する情報です。
 
2010年に警視庁公安部の国際テロリズムに関するデータがネット上に流出するという事件があり、それによって警察が在日イスラム教徒600人以上の個人情報を集めていたことが明らかになりました。もちろんこれは問題になり、訴訟も起きました。
しかし、凶暴罪があれば、誰にでも犯罪の嫌疑をかけて、情報収集や捜査をすることが可能になります。
 
法務官僚がアメリカが共謀罪の成立を求めているというと、安倍政権にとって共謀罪成立は至上命令となりました。
テロ対策はアメリカにとって重要なことですから、安倍政権としても協力しがいがあります。
 
このように考えると、安倍首相、菅官房長官、金田法務相らが「一般人は対象にならない」と繰り返したのが理解できます。あれはまんざら嘘ではなかったのです。彼らとしては、「外国人イスラム教徒が対象の法律だから、一般の日本人は対象にならない」という意味で言っていたのです。
ですから、共謀罪に反対する人はよく「治安維持法と同じで、戦前の日本みたいになる」と言いますが、安倍政権の意図とはちょっと違います。
 
「共謀罪法は外国人イスラム教徒を対象にした法律だ」ということを、賛成派も含めて誰も言わないのは不思議です。
 
ただ、成立した法律をどう使うかは、警察や政権の考えひとつですが。

さまざまな問題を引き起こしている稲田朋美防衛相が今度は、九州北部の豪雨で自衛隊が捜索救助活動に当たっているときに政務で約1時間防衛省を離れたことで、また問題を引き起こしています。
反安倍派が批判するのは当然ですが、今回は読売新聞、産経新聞などの保守派からもきびしく批判されています。
 
実際のところは、稲田防衛相がその場にいなかったところでとくに問題はないでしょう。しかし、戦における指揮官はその存在感がだいじです。戦いが劣勢になったり、思いがけない事態が起こったりしたとき、大将が本陣の真ん中にどっしり構えて、動じない姿勢を見せることもひとつの役割です。
稲田防衛相は「15分程度で戻れるところにいた」とか「食事せずに戻った」とか弁解をしていますが、そういう問題ではありません。
軍事を重視する保守派からすれば、稲田防衛相は指揮官の資質がないとして批判するのは当然です。
 
 
では、安倍首相はどうでしょうか。
安倍首相は都議選の最終日に秋葉原の街頭で演説しましたが、聴衆から「安倍辞めろ」や「帰れ」コールが起こったのにキレて、聴衆を指さして「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と叫びました。
 
国民を「こんな人たち」呼ばわりするのはけしからんという批判もありますが、「帰れ」コールの聴衆はしばき隊などの「プロの活動家」だから、安倍首相が「こんな人たち」と言ったのは当然だという声もあります。
 
秋葉原街頭といえば、かつては安倍人気で聴衆があふれたこともあります。しかし、今回は安倍首相の演説を盛り上げるのは自民党青年局などの、それこそ「プロの活動家」ぐらいでした。その人気の凋落が根本の問題で、「帰れ」コールをしたのが誰かということは問題ではありません。
 
安倍首相は大将として敵の城の本丸を攻めなければならないときに、出城から出てきた少人数の雑兵をむきになって攻撃したみたいなものです。
当然、指揮官としての資質が疑われます。安倍首相の指揮下の人たちは、これでは勝てないと思ったでしょう。
 
しかし、自民党内から少しは批判の声が上がっていますが、広がりはありません。菅官房長官は安倍首相の発言を擁護していますし、産経新聞はあの聴衆の中にしばき隊が入っていたということを強調しています。
稲田防衛相は批判できても、安倍首相は批判できないということでしょうか。
 
そのため安倍首相はまったく反省していません。
安倍首相は、あの聴衆を「選挙妨害の左翼活動家」とバッシングするフェイスブックに「いいね!」を押していましたし、昭恵夫人も聴衆を「プロの妨害」と表現したフェイスブックに「いいね!」を押していました。
 
ほんとうは安倍首相を応援する人こそ安倍首相に苦言を呈さなければならないのですが、どうやらそういう人は遠ざけられて、周りはイエスマンばかりになっているようです。
 

北朝鮮が7月4日に発射したミサイルはICBMとわかりました。
これまで北朝鮮がミサイルを発射するたびに、挑発だとか牽制だとか、その意図についていろいろな解説が行われてきましたが、実際はなんの意図もなく、ただミサイル開発を続けてきただけなのでしょう。
そのうちさらに長い射程のICBMもでき、搭載可能な小型の核弾頭もできるはずです。
 
こういう事態を倫理学的に考えるとどうなるでしょうか。
 
北朝鮮のような貧しい国が核ミサイルを開発するというのは愚かなことですが、北朝鮮にも自衛権があって、核武装する権利もあります。北朝鮮は核拡散防止条約を脱退しており、法的にやめさせることはできません。国連は非難決議をしますが、国連にも国家の自衛権を侵すことはできないはずです。
 
アメリカや日本は北朝鮮の核開発を非難しますが、これは「俺たちは核武装するが、お前が核武装するのは許さん」という理屈で、これが間違った理屈であることは、子どもでもわかります。
というか、子どものほうがよくわかります。おとなはおかしな理屈をいっぱい知っているので、かえってわからないのです。
 
北朝鮮を非難する人が、安倍政権の防衛費増大やトランプ政権の国防費増大を非難しないのもおかしなことです。両方非難するならわかりますが。
 
ともかく、アメリカや日本が自分勝手な理屈を主張している限り、世界が平和になることはありません。
 
 
とはいえ、各国の国家主権を尊重し、核武装も国家の権利であるとすると、核武装国がどんどんふえていき、最終的に筒井康隆氏の「アフリカの爆弾」みたいなことになるかもしれません。
ちなみに「アフリカの爆弾」というのは、アフリカの原始的な部族までがギガトン級の核爆弾を持ってしまった未来社会を描いたドタバタ小説です。
 
そうなってはいけないということは誰でもわかるので、国連によって国家主権を制限し、核兵器を含む軍備も管理して、最終的に国連軍が各国の安全を保障するという体制に向うことになるはずです(もともとそのために国連はつくられたのです)
 
実際にそうなるかはわかりませんが、「俺たちは核武装するが、お前が核武装するのは許さん」というアメリカや日本の自分勝手な理屈がだめなことは明白です。

東京都議選の結果は、小池百合子都知事率いる「都民ファーストの会」の圧勝、自民党の惨敗でした。
このところの安倍政権のやり方はあまりにも傲慢で、失言も相次いでいましたから、自民党が負けたのは当然です。反自民の票が都民ファーストに向かった格好です。
 
しかし、都民ファーストの会と自民党と政策的にどう違うかと言われてもよくわかりません
では、今回の選挙でなにが争点になったかというと、小池都知事に「実行力」があるか否かです。
 
たとえば、築地市場の豊洲移転問題がありましたが、移転するのがいいのか、築地にとどまるのがいいのか、話があまりにも専門的で、都民も判断できない人が多かったでしょう。自民党はこの問題で小池知事を「決められない知事」として攻撃しました。そして、小池知事は市場を豊洲に移転し、5年後をめどに再び築地に戻すという不思議な案を考え出して、「決められる知事」をアピールしました。
 
小池知事が知事に就任したのは昨年8月ですから、まだ1年たっていないのですが、抵抗勢力とのバトルをうまく演出して、実行力をアピールすることに成功したと思います。今回の勝利はその結果です。
 
 
一方、民進党は反自民票を集めてもいい立場でしたが、やはり惨敗でした。
民主党政権の失敗で、民進党には実行力がないというレッテルが張られているからです。
民主党政権は、官僚、アメリカ、マスコミとぶつかって、ことごとく負けてしまいました。そして、そのことを総括していないので、期待されないのは当然です。
 
安倍政権は民主党政権と違って、官僚と最初からぶつかるようなことはせず、人事権を握るなどしてしだいに官僚を支配していきました。マスコミは懐柔と恫喝で支配し、アメリカには徹底して従属しました。それが今までは成功してきたわけです。
 
そのため、自民党は改憲という理念が一応あったのですが、アメリカのために解釈改憲をして、その理念すらなくしてしまいました。
今の安倍政権は、政権維持が自己目的化しています。
政治主導が実現できて実行力があるといっても、お友だちのために利益誘導をするのが関の山です。
 
日本維新の会もなんの理念も持っていません。
 
小池知事は「都民ファースト」を掲げていますが、これも理念というに値しません。
今回は実行力をアピールして勝っただけです。
 
 
近ごろの安倍政権のやり方はあまりにもひどいので、自民党大敗はとりあえずいいことですし、自民党内で政権交代が起これば、誰が総理になるにせよ、今よりはましでしょう。
しかし、自民党からの政権交代ということを考えると、受け皿が見当たりません。都民ファーストや維新の会では自民党と変わりません(自民党との連立予備軍でしかありません)
 
トランプ政権を見ていると、政治理念の喪失は日本だけの問題ではないようです。というか、日本の政治はアメリカの政治の後追いをしているのかもしれません。

人間性や社会についての根本な思想が問われる時代です。
 

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