このところワイドショーは連日相撲界のことを取り上げていて、相撲記者歴何十年という人がよくコメンテーターとして出てきますが、こういう人は決して相撲協会や相撲界を批判しません。代わりに貴乃花親方を批判します。
いや、相撲記者だけでなく、マスコミ全体が相撲界への批判に及び腰です。
相撲界には横綱審議委員会とか評議員とかに各界の大物がずらりとそろっているので、批判しにくいという事情もありそうです。
 
そうした中、「ひるおび!」にコメンテーターとして出た立川志らく師匠は、横綱審議委員会の北村正任委員長(毎日新聞社名誉顧問)に対して、「こういった人を横綱にしてしまったという責任はないんですか。朝青龍からして2人目ですよ」と鋭い批判をしました。
 
相撲界は実力の世界のようですが、横綱に関しては別です。
横綱昇進基準は「品格・力量抜群で、2場所連続優勝またはこれに準ずる成績」となっていて、あいまいなところがあります。
 
北尾(横綱双羽黒)は2場所連続準優勝で、優勝経験がありませんでしたが、横綱がほしいという相撲協会の都合で横綱昇進が認められました。しかし、「ちゃんこがまずい」と言って親方と喧嘩し、相撲界をやめてしまいました。
 
今はそのときより昇進基準は厳格になっているようですが、「品格」ということはいまだに基準になっています。
 
囲碁界や将棋界は江戸時代の家元制から発展してきて、名人という肩書には独特の権威があり、相撲界と似ているかもしれません。しかし、名人などのタイトルはもちろん段位もすべて成績によって決められ、「品格」などというものが入り込む余地はありません。
囲碁の井山裕太七冠は20歳4か月という史上最年少で名人になり、世間の注目を浴びましたが、当時「今は勝ったから注目されているだけ。これから少しでも名人にふさわしい人間になるよう努力したい」という意味のことを語っていました。
 
ボクシングの世界チャンピオンも、あくまでボクシングの強い人です。チャンピオンだから人格の優れた人だとは見なされません。
  
しかし、相撲界では横綱になると同時に「品格」も備わったとされます。横審がそう認めたからです。
これが相撲界をだめにした元凶だと私は思っています。
 
 
横綱になった力士が「私には品格などないが、世間がそれを期待するなら、そのようにふるまおう」と考えるなら、問題はありません。
しかし、中には「自分は品格のある横綱だ」と勘違いする人もいるでしょう。そういう人は傲慢になってしまいます。
日馬富士、白鵬などはその典型ではないでしょうか。
 
相撲協会のお偉方も、かつては横綱か横綱に近い番付に上った人たちですから、自分は品格ある人間だと勘違いして傲慢になっている気がします。
 
たとえば、相撲界は相撲のことを「国技」だと勝手に称していますが、これも傲慢さの表れです。「国技」というなら柔道のほうがふさわしいかもしれません。
 
「相撲道」という言葉がありますが、どうもそらぞらしく響きます。「道」という言葉のつく芸事には、人格を磨いて向上させるという要素がありますが、相撲にそういうものは感じられません。
反対に「土俵には金が埋まっている」という言葉があって、これが大相撲の現実をよく表現しています。
とくに外国人力士はみな、お金になるスポーツということで相撲をやりにきているはずです。
 
相撲界は「相撲の強さと人格は別」ということを認識して、ボクシングやサッカーのようなプロスポーツとして再出発するべきでしょう。
 
当然、横綱審議委員会は不必要になります。
自分は人の「品格」を評価できる人間だと思っている横綱審議委員も勘違いした人たちです。