村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2018年05月

日大アメフト部の問題と森友加計問題が似ているなと感じる人は多いでしょう。私は日大が安倍政権のやり方を真似しているのだと思っていましたが、そんな表面的なことではなく、もっと根深い問題がありました。
 
日大には危機管理学部があって、そのため「自分のところの危機管理もできないのか」と揶揄されています。
日本には危機管理学部が三つあって、日大のほかは千葉科学大学と倉敷芸術科学大学ですが、千葉科学大学と倉敷芸術科学大学は加計学園の系列です。
しかも、この三つの危機管理学部の上部組織である一般社団法人「日本安全保障・危機管理学会(JSSC)」の名誉会長には「安倍晋三」の名前があり、和田政宗議員や佐藤正久外務副大臣など日本会議系の人たちが名を連ねています。
ということは、安倍首相、日本会議、加計学園、日大がみんなつながっていたのです(日本会議系ということで森友学園もつながっています)
 
日本安全保障・危機管理学会はその中心にあるのかもしれません。
 
日本安全保障・危機管理学会のホームページを見てみました。
 
日本安全保障・危機管理学会
 
 
トップページに二見宣理事長(元陸上自衛隊業務学校副校長)がこんなことを書いています。
 
 強い反日思想を持った北朝鮮や中国は、日本向けて核兵器が、何時ごろ、どのような状況なれば日本に被害を与えるでしょうか。まず北朝鮮が一番危険です。偉大な将軍様の発言からも、「日本」とか「在日米軍」といった言葉が多くなりました。また、北朝鮮は、経済的には悪化します。(原文ママ)
 
文章の推敲ができていません。学会のホームページがこれでいいのでしょうか。
それに、北朝鮮や中国は強い反日思想を持っていると決めつけています。安全保障の専門家の発想とは思えません。
 
二見理事長はまた、こんなことも書いています。
 
アメリカの陸軍情報学校に留学中に、すぐ近くの学校でシェルターに避難する訓練を見学しました。当時はまだベトナム戦争が華やかなりし頃で、米ソ対立の時代でした。アメリカは、小学校から、中学校―高校の順でシェルターを整備したようです。
 欧米各国は対核爆発準備をしているのですが、日本はそういう準備は全くしていないし、核兵器について議論をすることもしません。原発事故や災害についても同じような程度です。
 
 311日の東日本大震災のときに、ちょうどビッグサイトに行く途中でした。外資系企業の社員はヘルメットを着用していました。ところが日本人企業の社員は普段の姿でした。日本人は、企業を含め危機対応が鈍い国民です。今のままでは、犠牲者が増える一方です。
 
欧米に比べて日本は――というお決まりの発想で、これも危機管理の専門家のものとは思えません。
 
渡辺利夫会長(拓殖大学総長)は「憲法第九条問題を正視せよ」と題した文章で改憲論を述べていますが、これはあくまで政治的主張で、安全保障の議論とは違います。
 
全体的に日本会議的なイデオロギー臭が強くて、学会とか学問という感じがしません。
田母神俊雄氏の論文に近いものがあります。
 
危機管理の専門家ということで私が想起するのは佐々淳行氏です。佐々氏は警察官僚のときにあさま山荘事件で指揮をしたということを売りに、危機管理の第一人者としてテレビによく出ていました。
しかし、佐々氏が危機管理の第一人者なら、危機管理学なるもののレベルもわかります。
 
危機管理学部の教員のほとんどは警察と自衛隊の天下りです。
日大も加計学園もまったく危機管理ができていませんが、ただ、不祥事を起こした場合は、警察の追及が甘くなるというメリットは期待できそうです。
 
日大危機管理学部は2016年、倉敷芸術科学大学危機管理学部は2017年に開設されました。
安倍首相が「危機管理学部はいいね」と言ってつくったのかもしれません。
安倍首相も、警察の天下り先をつくることで警察の追及が甘くなるというメリットを期待しているのかもしれません。
 
アメフトのタックルひとつから日本の意外な支配構造が見えてきました。

籠池夫妻が10か月ぶりに釈放され、記者会見をしましたが、久しぶりに“人間”を見たような気がしました。
というのは、森友加計問題で佐川氏や柳瀬氏は完全な“嘘つきマシーン”と化していたからです。
籠池夫妻はいかにも大阪のおっちゃん、おばちゃんという感じで、言うことも官僚答弁とは違います。
籠池泰典氏は昭恵夫人から100万円の寄付金をもらったと繰り返し言っていて、一方昭恵夫人はフェイスブックの文章で一度それを否定したきりです。両者を比較すれば、どちらが正しいかおのずとわかってきます。
 
とはいえ、籠池氏もいろいろ問題のある人で、もともと安倍首相と思想的に近い人です。保釈されての会見でも「小学校建設についてはまだあきらめておりません」と言っています。まだ日本会議的な学校をつくりたいのでしょうか。
 
森友問題は、国有地の不正払下げという問題と同時に、教育思想の問題でもあります。
塚本幼稚園では教育勅語暗唱、五箇条の御誓文暗唱、論語唱和、国歌斉唱、整列行進などの軍国主義的教育をしていましたが、昭恵夫人はその教育を見て、このように語りました。
 
「この幼稚園でやってる事が素晴らしいが、それがこの幼稚園で終わってしまう。ここから公立の学校へ行くと、普通の公立小学校の教育を受ける。せっかくここで芯ができたものが、学校に入った途端に揺らいでしまう」
 
この発言は、首相夫人が公立学校を否定しているということで、当時問題になりました。
しかし、この発言のいちばんの問題は、このような教育で「芯ができる」と見ているところです。
 
なお、昭恵夫人は森友学園のホームページに名誉校長として次の文章を載せていたことがあります。
 
「瑞穂の國記念小學院は、優れた道徳教育を基として、日本人としての誇りを持つ、芯の通った子どもを育てます」
 
ここでも「芯」ということを言っています。
 
しかし、塚本幼稚園でやっていたのは、子どもの外側に関することだけです。
つまり「型にはめる」教育です。
これでは人間の芯はできません。型にはめることをやめれば、本来の姿に戻ってしまうのは当然です。
 
「型にはめる」教育は塚本幼稚園だけでなく、程度の違いはあれ、広く行われています。服装や頭髪に細かい校則をつくって守らせているなどもその一例です。
 
 
そもそも人間の「芯」の部分を教育によってつくろうとか変えようとかいうのが間違いです。
DNAを変えられないのと同様に、人間の「芯」も変えられません。

文部科学省の認識も問題です。2008年に改訂された学習指導要領では『子どもたちの「生きる力」をよりいっそう育むことを目指します』とうたわれています。
「生きる力」は生物ならすべて持っているものです。ゴキブリは誰にも「生きる力」を育んでもらわなくてもたくましく生きています。なぜ人間だけ「生きる力」を育む必要があるのでしょうか。
 
熱血教師が生徒の心を変えるというのはフィクションの中の話です。
ほんとうによい教師というのは、生徒を尊重する教師です。
教育にできることは、知識と技術を教えることぐらいです。
教師はそういう謙虚さを持たないといけません。
 
もっとも、富国強兵時代の教育は、「型にはめる」ことで内面までも支配し、お国のために死ねる人間をつくることを目指しました。
軍国主義の時代にはそれがうまくいったように見えたかもしれませんが、人間の「芯」が変わったわけではないので、戦争に負ければ一瞬にして崩壊してしまいます。
 
安倍夫妻や日本会議が理想とするのは、軍国主義時代の教育です。
塚本幼稚園にその理想の姿があったので、次に同じような小学校をつくりたいというのが安倍夫妻や日本会議の目標でした。
そのため安倍夫妻が関係して国有地の不正払下げが行われたのです。
 
今後、国有地不正払下げの実態が明らかになると思われますが、教育思想の間違いも明らかにしていかないといけません。

悪質タックル問題についての日大アメフト部の記者会見が大炎上しています。
 
日大側は安倍政権の森友加計問題の対処法を見て、同じようにやればうまくいくと思ったのでしょう。
しかし、悪質タックル問題では宮川泰介選手がその前日に記者会見で語っていました。
宮川選手が語ったことと、内田正人監督、井上奨コーチが語ったことを比べれば、宮川選手が正直に語っていて、内田監督、井上コーチが嘘を言っていることが歴然です。
日大側が大炎上したのは当然です。
 
そういうこと考えると、森友加計問題がなかなか解決しないのは、宮川選手に当たる人がいないからだということがわかります。
それは本来、佐川宣寿氏と柳瀬唯夫氏の役回りでした。この2人が正直に語れば、安倍首相の嘘は誰の目にも明らかになり、安倍首相はとっくに総理も議員も辞めていました。
 
この2人は、自民党と官僚組織に忠誠を示したほうが自分の利益になると判断したのでしょう。
しかし、そのために森友加計問題が長引き、国政の混乱と停滞を招いています。
 
20歳の若者がいさぎよく自分の罪を認めて真実を語っているのに、一流大学を出たエリートが利己的な嘘をつく。また、アメフトを知り尽くしている監督とコーチが嘘をつく。
これが人間の真実というものです。
人間は若いころは純真ですが、年を取るほど計算高くなり、悪いことをしがちです。
 
それなのにおとなが子どもに道徳教育をしているのですから、滑稽です。
 
 
ところで、宮川選手が悪質タックルをしたのはよくないことですが、同情すべきところもあります。
 
内田監督は宮川選手に冷たく当たっていたようです。
もし宮川選手が内田監督から直接、悪質タックルをするよう指示されたとしたら、おそらく宮川選手は断っていたでしょう。
 
しかし、井上コーチは宮川選手の高校時代に高校の監督をしていた人です。
宮川選手は、内田監督との信頼関係については「わからない」と言いましたが、井上コーチについては「高校2年生の時から監督をやっていただいていたので、その頃から信頼はしていたかもしれないです」と言っています。
井上コーチも宮川選手のことを気にかけていたようです。宮川選手が試合に出られないために内田監督にかけあい、「相手のクオーターバックをつぶせば使ってやる」という監督の意向を宮川選手に伝えます。宮川選手は井上コーチが自分のために動いてくれているのがわかっているので、それに応えようとしたのでしょう。内田監督から冷たくされている宮川選手は、井上コーチしか頼る人がいませんでした。
なまじ井上コーチとの絆があったために、宮川選手は悪に手を染めてしまったのです。
 
内田監督は日大アメフト部を27年ぶりの優勝に導いて絶対的な権威があり、また日大では常務理事としとてナンバー2の地位にあったということです。
「権力は腐敗する」というのは安倍政権と同じです。

このところ世の中はパワハラとセクハラの話題ばかりのような気がします。
権力を背景に相手のいやがることをするのがパワハラ、セクハラですが、加害者が自分の非を認めようとしないために話が長引きます。
なぜパワハラ、セクハラの加害者が自分の非を認めないかというと、おとなと子ども、親と子の関係に根本的な問題があるからです。
 
たとえばほとんどの親は日常的に子どもに「勉強しなさい」と言って、むりやり勉強させています。親は権力を背景に子どものいやがることをしているので、これは明らかにパワハラです。
 
このことは次の記事でも書きました。
 
「なぜ勉強するのか」と子どもに聞かれたら
 
こういうことはいっぱいあります。「好き嫌いはいけません」と言って、ピーマン嫌いの子どもにむりやりピーマンを食べさせるなどもそうです。
 
親は子どものためだからといって、これをパワハラと認めません。
しかし、パワハラか否かは、された側がいやかどうかで決まるのです。
子どもがいやな思いをしているなら、それはパワハラです。
 
ところが、今は親だけでなく社会全体が、これをパワハラと認めていません。
そのため、パワハラをやっていながら自分の非を認めない人がいっぱい出てくるのです。
 
 
おとなと子ども、親と子の関係のゆがみは、文明論のスケールでとらえる必要があります。
 
たとえば「反抗期」という言葉があります。昔は第一次反抗期、第二次反抗期と言っていました。
最近は第一次反抗期のことを「イヤイヤ期」と呼ぶのが一般的になっています。
しかし、イヤイヤ期というのはおとなの側から見た表現で、否定的な意味があります。これを子どもの側にそった表現に変えたらどうかという投書があり、朝日新聞がイヤイヤ期の別名を募集して、その特集記事を2回にわたって掲載しました。
 
「イヤイヤ期」別名募集、思い様々 共感できる環境大事
 
イヤイヤ期って、ブラブラ期 反響編:下 北海道大・川田学准教授に聞く
 
イヤイヤ期の別名としては、「めばえ期」「自分で期」「やるやる期」に票が集まりました。ほかに「キラキラ期」「2歳の独立宣言期」などもあります。
 
かなり昔ですが、反抗期を「自立期」と言い換えようと提唱していた育児の専門家がいました。これはわかりやすい表現と思いましたが、自立期は消えてしまったようです。
 
川田学准教授は「ブラブラ期」を提唱しておられます。
 
■チベットから着想
 ブラブラ期という言葉は、チベットの留学生の話から着想を得ました。彼女に「第一次反抗期」について説明しても、「そういう子どもの姿は見たことがない」と言って腑(ふ)に落ちないようでした。彼女の実家がある村では、乳児は親と一緒に畑や街の仕事場に行く。4、5歳になると、農耕や牧畜を手伝うこともある。「では2、3歳は?」と聞くと、笑いながら「ブラブラしています」と答えました。私は、2歳児の躍動的な姿とこの自由な語感が、ぴたっと合うように感じました。
 その村では、2歳前後の子は排泄(はいせつ)したくなったら道端でして通りかかった大人にお尻を拭いてもらい、おなかがすいたら近くの家を「コンコン」して「ごはんください」と言うのが日常だそうです。
 心理学は欧米が先行しているため、2歳前後の呼び方は「ネガティビズム」「テリブル・トゥー(魔の2歳児)」など否定的な用語が支配的です。ただ、南米を主なフィールドにした心理学者バーバラ・ロゴフも「世界中のほとんどの国では、2歳児についてマイナスの形容をしていない」と2003年の著書に記しています。
 
 ■「楽しい」をつなぐ
 2歳児とは、考えてから行動するのではなく、行動しながら考え、小さな楽しみをつなぎ合わせて過ごす人たちなのです。例えば、散歩に行っても、すぐ「こんな所につくしんぼがある」と長い時間触って楽しんだ後、「アリがいる」と気づいて座り込んでじーっと見る。その最中に大人が早く目的地に行こうよと引っ張ると、泣いて嫌がるでしょう。ブラブラ期と呼べば、大人がイヤイヤをどう封じるかという消極的な対処ではなく、どう子どもをブラブラさせるかと積極的に考えられるのではないでしょうか。
 しかし、現実の日本社会はブラブラを阻むものだらけです。「ワンオペ育児」で孤立する母親は、自宅で子どもと長時間1対1で居続ける負担で、ブラブラに付き合えません。
 
 ■道路を遊べる場に
 では、何から始めればよいか。私が提案するのは、まず、道を安全にブラブラさせてあげること。手始めに、子どもが道路や歩道に落書きする自由を保障してはどうでしょう。全ての子にろう石を配り、近所の道路にいっぱい絵を描けばいい。子どものころ、道端で描いていませんでしたか?
 2歳児のブラブラを保障できる社会は、間違いなく他の年齢の人たちも生きやすい社会のはずです。
 
 
親が子どもに不当な抑圧を加えるから反抗期やイヤイヤ期が生じるということが、この文章を読めばよくわかります。
 
たとえばおとなは子どもに「おとなしくしなさい」とよく言います。
「おとなしく」というのは「大人しく」と書き、おとならしくするという意味です。
小さな子どもにおとならしくしろというのは、子どもの発達を無視した不当な要求ですが、ほとんどのおとなにその自覚がありません。
 
今の子育て自体がパワハラ化して、その結果、世の中にパワハラ、セクハラが蔓延しているのです。
 

このところ麻生財務相は失言を連発して、「失言王」の面目躍如です。
安倍首相が嘘まみれになっているので、麻生財務相の失言のハードルも下がっているのでしょう。
 
麻生財務相は5月16日の自民党議員のパーティで、北朝鮮の政府専用機についてこんなことを言いました。
「あの見てくれの悪い飛行機が無事シンガポールまで飛んで行ってくれることを期待するが、途中で落っこちちゃったら話にならん」
 
日本と北朝鮮は国交がないとはいえ、北朝鮮の最高指導者の死を暗示した言葉を口にするとは失礼千万です。北朝鮮の飛行機がちゃんと飛ぶのかという疑いを持った人は多いでしょうが、財務相兼副総理という立場で口に出す言葉ではありません。
 
ただ、この言葉は今の安倍政権の願望を表現したものでしょう。今、日本は“蚊帳の外”ですが、米朝首脳会談が成功すればすっかり置き去りになってしまいます。
 
それから、この言葉は北朝鮮をバカにしています。飛行機もまともに飛ばせない国だという認識です。
 
確かに北朝鮮は愚かなところがいっぱいある国ですが、こと外交力に関しては超一流です。日本と比べると月とスッポンです。
 
 
北朝鮮は拘束していた3人のアメリカ人を解放し、5月10日、空港に3人を出迎えたトランプ大統領は「金委員長に感謝したい」と語り、米朝交渉が進展するムードは最高に高まりました。
ところが、北朝鮮は16日、その日に予定されていた南北閣僚級会議を中止すると一方的に通告しました。まさに当日のドタキャンです。さらに米朝首脳会談の中止の可能性にも言及しました。
 
日本人は自分から空気を壊してはいけないという気持ちがあって、友好ムードが高まっているときに水を差すということはなかなかできませんが、北朝鮮はそういうときにこそ水を差してきます。
小国が大国を振り回すテクニックでしょう。
 
トランプ大統領は17日、「北朝鮮については、リビア方式は全く念頭にない」と北朝鮮に譲歩を示し、米朝首脳会談についても「北朝鮮はなにも変わっていない。会談はとても成功するんじゃないかと思う」と語りました。
トランプ大統領は米朝会談の成功を支持率アップにつなげたいわけです。
 
今の米朝関係をチキンレースにたとえる向きがありますが、チキンレースに関しては北朝鮮は世界最強かもしれません。つねにアメリカと対峙して、毎日が崖っぷちみたいなものだからです。
 
北朝鮮は中国と同盟関係にありますが、軍事的に中国に頼ろうとするところはまったくありません。経済について改革開放をしろとか口を出されるのがいやだからでしょう。
 
日本は軍事的に完全にアメリカに頼り、そのためあらゆる面でアメリカに従属しています。北朝鮮と対照的です。
そのため北朝鮮の考え方がまったく理解できなくなっています。
 
理解できないからといってバカにするのは間違いです。
麻生財務相は北朝鮮の政府専用機を心配しましたが、北朝鮮はICBMを開発するぐらいの国ですから、よけいなお世話です。
 
では、北朝鮮はなにを目指しているかというと、おとなしく核放棄をするとは思えません。
アメリカを手玉にとって時間稼ぎをし、核保有国として生き残るつもりではないでしょうか。
いずれにしても日本は、安倍政権のせいで“蚊帳の外”なので、なにもできずに見ているだけです。

森友加計問題で窮地に追い込まれた安倍首相は、“外交の安倍”をアピールして支持率回復を狙おうとしています。
しかし、安倍首相は北朝鮮問題ですっかり“蚊帳の外”に置かれていて、今さら蚊帳の中に入れてもらうのは不可能です。
そこで、トランプ大統領との親密さをアピールしようという作戦に出たようです。
 
 
米朝首脳会談直後 トランプ大統領が来日へ
来月12日にシンガポールで行われる史上初の米朝首脳会談の直後に、アメリカのトランプ大統領が日本を訪れ安倍首相に直接、会談の内容を説明する方向で調整していることがわかった。
 
これは複数の日本政府関係者が明らかにしたもの。安倍首相は、トランプ大統領から米朝首脳会談の内容を速やかに、そして直接、説明を受けることで強固な日米同盟を内外に示すねらいがあるほか、北朝鮮への対応方針を直ちに検討したい考え。
 
また、安倍首相は米朝首脳会談の直前、来月8日からカナダで行われるG7サミットの際にもトランプ大統領と会談し、拉致問題への協力を念押しするなど事前の擦り合わせを行う方針。
 
米朝首脳会談を挟んで10日間ほどの間に日米の首脳が会談を重ねることになる。
 
 
これは来日が決まったというニュースではなく、あくまで「調整中」ということです。
この段階でリークして記事を書かせるというのは、安倍政権のあせりの表れでしょう。
 
トランプ大統領がシンガポールで米朝首脳会談をしたあとすぐ日本に来るというのは、ありえないことに思えます。トランプ大統領は会談を成功させて、国民から喝采を浴びたがっているからです。日本に寄ったのでは、国民の熱気が冷めてしまいます。
しかし、安倍首相がトランプ大統領に対して、日本が北朝鮮に経済援助するという約束をするなら話は違います。トランプ大統領は北朝鮮と日本と続けさまにディールを成功させたということで、ますます喝采を得ることができるからです。
そういうことにならないようにしてほしいものです。
 
それにしても、トランプ大統領と親密なところを見せると支持率が回復するというのは、もはやありえないのではないでしょうか。日本国民もトランプ大統領がどういう人物かわかってきています。
 
 
これまで安倍首相は“外交の安倍”を売りにしてきました。
しかし、金子勝慶大名誉教授が「安倍首相の外交は“仲良し”を演出するだけで“取引”ができない」と指摘しておられましたが、まったくその通りです。
トランプ大統領と仲良しを演出しますが、取引ではやられっぱなしです。
プーチン大統領とも仲良しを演出してきましたが、北方領土は返ってこないのに経済協力だけされられています。
 
いや、安倍首相はこれまで「地球儀を俯瞰する外交」と称して、中国包囲網づくりに精を出してきました。アメリカをバックにしているとはいえ、この外交はネトウヨから大いに支持されました。
しかし、安倍首相は今月の日中韓首脳会談のあと、李克強首相の北海道視察に同行して手厚いもてなしをし、「両国の戦略的互恵関係を目に見える形で実行に移す」と語りました。
「一帯一路」への協力も表明しています。
最近は「中国包囲網」はおくびにも出しません。
 
安倍政権は、釜山の日本総領事館前に慰安婦像が設置されたことに抗議し、駐韓大使を召還するなどの強硬策をとって、これもネトウヨの熱狂的な支持を得ましたが、今では世界各国に慰安婦像が設置され、さらには徴用工像まで設置されることになり、全面的敗北を喫しています。
 
ネトウヨの喜ぶ外交は全部だめになります。
 
“外交の安倍”といっても、その中身は「緊密な日米関係」をお題目のように唱えることと対北朝鮮強硬策をとることだけですから、トランプ大統領が北朝鮮との対話路線に切り替えたら、すっかり“蚊帳の外”になってしまいます。
 
しかし、マスコミは安倍政権に甘いようです。
北方領土が返らないことも、中国包囲網が失敗したことも、マスコミはまったく追及しません。
ここは野党ががんばって、森友加計問題だけでなく外交問題でも安倍首相を追い込んでほしいものです。
 
 

たいていの親は口ぐせのように子どもに「勉強しなさい」と言っているはずです。
では、子どもから「なぜ勉強しなければいけないの」と聞かれたときにどう答えているでしょうか。
次の記事に、いろいろな答えが書いてありました。
 
「なぜ勉強が必要?」子供への模範回答3
回答内容でバレる、賢い親ダメな親
 
この筆者自身は、次のように答えるそうです。
 
「“大人”をきちんと楽しめる大人になるため」
 
これは教養主義をこの人なりの言葉にしたものでしょう。
教養主義というのは、要するに人間は教養を身につけるべきだという考え方ですが、なぜ教養を身につけるべきかについて納得のいく説明がありません。そこで筆者なりの説明をしたのでしょう。
しかし、この答えで子どもが納得するとは思えません。
 
ある神父さんは次のように言ったそうです。
 
「勉強は自分の窓を開けるということです。学ぶことで、今まで見ていたものとはまた違う何かを見ることになります。視界を広げるために学ぶのです」
 
これも教養主義の答えです。
 
教養主義の反対語は実利主義です。
漫画家の西原理恵子さんは次のように書いているそうです。
 
「大事なのは自分の幸せを人任せにしないこと。そのためには、ちゃんと自分で稼げるようになること。食いっぱぐれないためには最低限の学歴は確保する」
 
これはわかりやすく、説得力があるでしょう。
誰でもお金はほしいし、異性にもてたいし、世の中に認められたいので、そのために勉強するというわけです。
 
しかし、どうしても勉強が嫌いな子どもは、「学歴がなくても生きていける」などと主張するかもしれません。そういう子には結局教養主義で説得しなければならないことになります。
 
 
ところで、「なぜ勉強しなければならないか」を子どもに説明しなければならなくなったのは、明治時代に義務教育が始まってからです。
 
江戸時代の寺子屋は、実利のための教育でした。読み書きソロバンは、その子どもが生きていくために必要なことですから、説明するのは簡単でした。
しかし、明治以降の学校教育は富国強兵のためですから、子どもが納得いく説明はできません。教養主義の説明も実利主義の説明も、所詮はおためごかしです。
最後はむりやり勉強させるわけです。
 
戦後の教育は、富国強兵のためではありませんが、義務教育という点では同じです。
親は教養主義の説明をしたり実利主義の説明をしたりしますが、どうせ最後はむりやり勉強させるわけです(高校以降は義務教育ではありませんが、親は惰性で同じように対処しています)
 
「義務」という規定がよくありません。
憲法改正をして、義務教育を廃止して、代わりに学習権を設定すれば、親はむりやり子どもに勉強させる必要はなくなります。
子どもに勉強させたければ、ちゃんと子どもが納得いく説明をしなければなりません。
教師も同じです。学習塾や予備校の教師は子どもを引きつける教え方を知っています。義務教育を廃止したほうが学校のレベルは上がります。
 
単純な話、親が「勉強しろ」と言わなくなれば、子どもは自発的に勉強するようになります。人間には好奇心や知識欲があり、幸せになりたい欲求があるからです。
将来稼げるようになるために勉強するのか、教養を身につけるために勉強するのかは、子どもが考えることですから、親が考える必要はありません。

小泉純一郎首相は2005年の日米首脳会談に際して「日米関係が良ければ中韓はじめ世界各国と良好な関係が築ける」と語ったことがありました。
小泉氏らしい直観の言葉ですが、半分ぐらいは当たっていそうです。
安倍首相も同じ考えで外交をやってきたのではないでしょうか。
 
日韓関係は慰安婦問題でかなりぎくしゃくしましたが、結局アメリカが仲裁して日韓合意が成立しました。
また、安倍首相は靖国参拝にこだわっていましたが、アメリカに止められて、おかげで中国との関係がそれほど悪化しませんでした。
アメリカは日本よりも大局的見地があるので、アメリカに従うことでうまくいったケースです。
 
しかし、アメリカ一辺倒の外交のマイナスも当然あります。
たとえば対ロシア外交で、北方領土返還がうまくいきそうでしたが、最後まで日本は「北方領土に米軍基地はつくらせない」と言うことができなかったために、結局だめになりました。
 
そして、トランプ大統領の登場で、アメリカ一辺倒の外交は完全に破たんしました。
 
安倍首相はトランプ大統領と個人的に親密な関係を築こうとがんばってきましたが、トランプ政権は鉄鋼・アルミの輸入制限を発動して追加関税を課し、日本はアメリカの同盟国で唯一適用除外国から外されました。安倍首相がこれまでやってきたことはなんだったのかということになります。
 
トランプ大統領は3月22日、対日貿易赤字に関して、「安倍晋三首相と話をすると、ほほ笑んでいる。『こんなに長い間、米国を出し抜くことができたとは信じられない』という笑みだ」と語りました。これに対して、安倍首相はもとより日本政府高官の誰一人として反論をしませんでした。これではなめられて当然です。
トランプ大統領はディールを得意としています。安倍首相はディールの対象ではなく、「なにをやってもいい相手」と認識されたのでしょう。
トランプ大統領に媚びる作戦が完全に裏目に出ました。

「日米関係がよければ世界各国とよい関係になる」という考え方だったのに、日米関係が悪くなっては土台から崩れてしまいます。
かりに日米関係がうまくいっても、トランプ大統領には大局的見地がないので、日本はアメリカに利用されるだけになります。
 
トランプ大統領は日本にとって、さらには世界にとって最大のリスクです。
 
トランプ大統領はイラン核合意から離脱することを表明しましたが、この調子では、米朝合意がなされてもいつトランプ大統領は離脱を表明するかわかりません。
北朝鮮もそれはわかっているはずです。
ということは、北朝鮮は本気で米朝合意を目指しているのではなく、時間稼ぎをしているのではないかということになります。
 
北朝鮮の真意はわかりませんが、トランプ大統領の真意はもっとわかりません。
安倍首相はそんなトランプ大統領をいまだに頼りにしています。
拉致問題の解決もトランプ大統領頼みです(日中韓首脳会談では中国と韓国にも頼みました)
日本人拉致問題は、日本と北朝鮮との問題ですから、他国に頼むことではありません。
アメリカ依存の外交を続けてきた安倍首相は、そういうこともわからなくなっているようです。
 
日本外交の立て直しのためにも安倍首相には退陣してもらうしかありません。

このところ、セクハラや大相撲の女人禁制など、性差別からくる問題がクローズアップされていますが、議論は迷走しがちです。
その根本原因は、性差別がどうして生じたのかについて明確な認識がないからです。
なにごとも発生の過程がわかると、ことの本質もわかるものです。
 
男と女では、体の強さが違います。
体の強さといってもいろいろあって、たとえば持久力では男女差はそれほどありません。
マラソンの世界最高記録は、男子は2時間2分57秒、女子は2時間1525秒です。
男の走る速さを100とすれば、女の走る速さは90というところです。
 
重量挙げの世界記録は、男子の69キロ級のスナッチは166キロ、女子の69キロ級のスナッチは128キロです。
男子の持ち上げる力を100とすれば、女子の持ち上げる力は77です。
こちらについてはかなり男女差があります。
 
平均寿命は、女性のほうが男性よりも長いです。
“長生き力”というものを想定すれば、女性のほうが強いことになります。
 
ですから、男と女の体の強さの違いは一概には言えませんが、もし男と女が喧嘩をすれば、男が圧倒的に強いでしょう。重量挙げのような筋肉の力が直接に働くからです(あと、骨の強さなども関係するような気がします)
それに、攻撃性や闘争心も男のほうがはるかに強いので(男性ホルモンのテストステロンが影響しています)、それも喧嘩には有利です。
 
世の中にはか弱い男もいて、たくましい女もいますが、男と女が喧嘩して女が勝つということはきわめてまれだと思われます。
 
こうした違いは、女は妊娠、出産、授乳などに体の資源を使わねばならず、一方男は、狩りにおいて獲物と格闘して仕留めなければならないという生物学的条件からきています。
ですから、こうしたことは人間だけではなく、ある程度高等な動物では雄のほうが雌よりも一回り体が大きくてたくましいのが普通です。
 
しかし、動物においては、雄のほうが力が強いからといって雌をレイプするようなことはありません。
男が女をレイプするのは人間特有の“文化”です。
 
もともとどんな動物も、公平よりはほんの少し利己的に振る舞う傾向があり、そのためつねに生存闘争をしています。
しかし、動物は同じ本能レベルの生存闘争を繰り返しているだけですが、人間の場合は、「ほんの少し利己的に振る舞う傾向」が文化に蓄積され、「大いに利己的に振る舞う傾向」を有するようになりました。
そのため戦争したり、帝国を築いたり、奴隷制をつくったりしてきたわけです。

男と女の関係においても、生殖のためにお互いを必要としつつも、いっしょに生活していると利己的な傾向がぶつかり、闘争が起きます。闘争においては体の強い男が有利ですが、男にも利他的な本能があるので、男がほんの少し利己的に振る舞う程度でした。
しかし、男がほんの少し利己的に振る舞う傾向が文化の中に蓄積され、男の中のやさしさや思いやりという利他的な本能は抑圧され、男は女に対してきわめて利己的に振る舞うようになりました。こうした文化を性差別と呼ぶわけです。
 
これが生物学的性差=セックスと社会的文化的性差=ジェンダーの関係です。
 
ところが、フェミニストなどは男女平等を主張するあまり、男女の生物学的性差を認めようとしない傾向があり、そうするとどこから性差別が生じたかを説明できません。
そのため性差別や男女平等などの議論は混迷しがちです。
 
「男は女より生物学的に喧嘩が強いためにわがままに振る舞い、性差別が生まれた」と考えると、レイプやセクハラが横行する世の中がうまく説明できますし、それがバカバカしいものであることもわかります。

今回の憲法記念日で憲法施行から71年たちましたが、改憲論議はますます混迷を深めています。
なぜ混迷するかを考えたとき、改憲論議に「世界観」がないからだと気づきました。
憲法論議には「国家観」がだいじだと一般には考えられていますが、「国家観」の上位にあるのが「世界観」です。「世界観」なしに憲法九条の論議はできません。
 
今の世界は、唯一のスーパーパワーであるアメリカが主導しています。
トランプ政権は昨年12月に発表した国家安全保障戦略で「力による平和」をうたいました。
「力による平和」はレーガン政権のときにもうたわれていました。というか、アメリカの一貫した戦略といえます。
 
もっとも、戦後の一時期は違いました。「国連軍による平和」という理念があったのです。
 
「日本はなぜ、『戦争ができる国』になったのか」(矢部宏治著)によると、国連の安全保障理事会のもとに国連軍を創設し、「平和に対する脅威」や「侵略行為」があった場合は、勧告や非軍事的措置の対処をしたあと、それでもまだ状況が改善されなければ国連軍による軍事攻撃を行うという構想がありました。1946年2月にはロンドンで国連軍創設のための第一回会議が行われています。マッカーサーはそれを踏まえて日本国憲法の基本原則を考えました。ジョン・ダワーは、「マッカーサーの構想では、日本の『非武装中立』は、沖縄を含む太平洋の主要な島々に、国連軍を配置することによってまもられることになっていた」と述べています。
憲法九条の戦争放棄、戦力不保持は、国連軍を前提としていたとすればよく理解できます。
 
二度の悲惨な世界大戦を経験した世界は、一時は「国連軍による平和」を目指すと結論を出したわけです。
しかし、アメリカは戦争の悲惨さをあまり経験していないので、国際連盟にも加盟しませんでしたし、国際連合もないがしろにして、「国連軍による平和」構想を反故にしてしまいました。
結局、国連軍は創設されず、「朝鮮国連軍」というへんなものができただけです。

そして、日本はひたすらアメリカに頼って安全保障をすることになりました。
しかし、アメリカの「力による平和」は、アメリカが覇権国だから可能なのです。アメリカの覇権が揺らげば、平和も危機に瀕します。また、覇権国がアメリカから中国に移れば、日本は中国に頼るのかという問題に直面します。
 
覇権国が世界を支配するか、民主的に運営される国連が世界を支配するかという二者択一であれば、答えは決まっています。
しかし、国際政治学者はこのような問題提起はしません。みんなアメリカの影響下にあるからです。彼らはもっぱら「国連は頼りにならない」というイメージを振りまいて、日本をアメリカ依存に向かわせようとしています。
 
自民党の改憲論議にも、こうした世界秩序に関する認識がありません。2012年の自民党改憲草案の「前文」で世界観に関する記述は、「わが国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する」とあるだけです。これでは世界がどういう原理で動いているのかわかりません(改憲派はアメリカに追随していくだけですから、世界観はどうでもいいのでしょう)。
 
護憲派も、憲法九条が国連軍を前提としていたことを忘れて、アメリカに頼ることを前提にしているようです。アメリカに頼ると、外国から攻められる危険はありませんが、アメリカが日本を戦争に巻き込む危険はあるので、もっぱらアメリカの戦争に巻き込まれないことを目標にしてきました。
しかし、これは「一国平和主義」と批判されることになります。
 
九条の改憲論議は、世界をどう平和にするのかという世界観がなければなりません。
とすると、やはり終戦直後に構想された「国連軍による平和」を目指すしかないと思われます。
そうすると、九条を改憲するのは逆方向であり、世界を九条に合わせるべきだという結論になります。
 

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