村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2018年09月

杉田水脈議員の「LGBTは生産性がない」から始まった騒ぎは、「新潮45」の休刊という事態に至りました。
しかし、これで終わりとは限りません。新潮社の「休刊のお知らせ」にはっきりした謝罪がなかったからです。
 
そもそも杉田議員の「LGBTは生産性がない」が問題になったとき、杉田議員が間違いを認めて謝罪すれば、それだけのことでした。
しかし、杉田議員は「"ゲイを名乗る人物"から脅迫活動を受け」たことを理由に、いっさいの発言をやめ、自民党の二階幹事長は「人それぞれ人生観がある」「こういうことは大げさに騒がないほうがいい」と擁護し、自民党も杉田議員に対してなんの処分もしませんでした。
杉田議員は安倍首相のお気に入りです。当然そこには安倍首相の意向があったものと思われます。
 
杉田議員に今後も活躍してほしいと思う人がいれば、ここは謝罪したほうがいいよとアドバイスするはずです。
しかし、事態は逆に動きました。「新潮45」は『そんなにおかしいか「杉田水脈」論文』という特集を組みました。
 
これを炎上商法という人がいます。そういう意味もあったかもしれませんが、休刊になってしまえば、“商法”としては失敗です。
むしろこれは安倍首相への“忖度”でしょう。安倍首相は杉田議員を応援しているのが明らかだからです。
 
そういう意味では、この騒動の陰の主役は安倍首相です。
「新潮45」の特集に寄稿した7人はほとんどが安倍応援団みたいな人です。
いちばん炎上した小川榮太郎氏は、安倍首相礼賛本を書いています。特集への寄稿では「LGBTという概念については私は詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細など知るつもりもないが」と書いています。知らないテーマについて書くから炎上したのですが、なぜ書いたかというと、安倍首相を応援したいからでしょう。
 
小川氏は特集の文章が炎上したことについてツイッターで「私の文章をそう読める人達の頭が大丈夫でないことだけは確かだ」などと反論して、謝罪はしていません。
 
杉田議員も新潮社も小川氏も、謝罪しない人ばかりです。
 
そして、考えてみれば、安倍首相も謝罪しない人です。
 
前にこのブログで書いたことですが、昭恵夫人は産経新聞紙上で曽野綾子氏と対談したとき、「けんかをしても晋三先生の方がさっさと謝られるのでは? 性格的に」と聞かれて、「そういえば、謝らない! 『ごめんなさい』というのを聞いたことがないです」と答えています。
 
慰安婦問題についての日韓合意は、オバマ政権から迫られていやいやしたものですが、そこには「安倍内閣総理大臣は、日本国の内閣総理大臣として改めて、慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する」という文章があります。しかし、これは岸田外相が読んだだけで、安倍首相の口から語られたことはありません。そのため、謝罪したのかしないのかよくわからないことになっています。
 
同様に安倍首相は、村山談話や河野談話を「継承する」と言っていますが、談話にある「心からのお詫び」という言葉を自分の口で言ったことはありません。
 
LGBT差別も問題ですが、それだけでなく、謝罪するべきことを謝罪しないという風潮が世の中に蔓延しています。
これも安倍長期政権のせいです。
 

インターネットの普及とともにヘイトスピーチ、フェイクニュース、デマ、排外主義、反知性主義、弱者たたき、不謹慎狩りなどが横行し、言論のレベルは明らかに低下しました。
人間は基本的に「気持ちがよくなる情報」を求めます。明らかな嘘の情報は拒否しますが、真実か嘘かわかりにくいグレーゾーンでは、「不都合な真実」よりも「好都合な嘘」や「気持ちがよくなる嘘」を選択します。
そして、「気持ちがよくなる嘘」つまりフェイクニュースを意図的に提供する人も出てきます。
そうした結果、インターネットの言論はフェイクまみれの低レベルなものになるのです。
 
もちろんこれはインターネットの中だけにとどまりません。こうした言論がトランプ政権や安倍政権を生み出しています。
 
人間が「気持ちよくなる情報」を求めるのは生れ持った性質によるので、その克服は容易なことではありませんが、最近のネットの議論を見ていると、解決の方向性が見えてきました。
 
 
杉田水脈議員の「LGBTは生産性がない」に始まった議論は、「新潮45」が『そんなにおかしいか「杉田水脈」論文』という特集をしてさらに激化しましたが、議論の方向性は、杉田議員やその擁護者の主張を否定する方向で一致しています。
杉田議員の擁護者は、基本的に同性愛を趣味や嗜好(指向)ととらえていますが、今は同性愛者の科学的研究が進んで、同性愛は脳や遺伝子のあり方と関係していることがわかってきて、生まれつきのものとされるようになりました。ですから、杉田議員の擁護派の主張は出発点から科学的に間違っていて、一方的に批判されたのは当然です。
 
「親学」なるものがあって、保守勢力と深いつながりがある親学推進協会が推進していますが、子どもの発達障害の多くは親の育て方が原因なので育て方を変えれば発達障害は治せたり防げたりすると主張して、ネットで大炎上したことがあります。発達障害の多くは脳や遺伝子に原因のある先天的なものとされているので、炎上して当然です。以来、親学はトンデモ学説であるというイメージがつきました。
 
杉田議員の主張や親学の主張を思想的なものととらえて、右翼と左翼が議論すると、議論は堂々巡りになる可能性があります。しかし、科学的事実に対する認識の間違いととらえると、簡単に決着します。
科学の進歩によって、こうしたことがふえてきています。
 
最近、スポーツ界で体罰やパワハラが問題になっていますが、テレビのコメンテーターなどで体罰や暴力を肯定する人はいません。
昔は違いました。2012年、大阪市立桜宮高校の男子バスケットボール部で顧問教師による体罰があり、キャプテンが自殺するという事件が大きく騒がれましたが、このときはスポーツにおける体罰を肯定する声がかなりありました。桑田真澄氏がきっぱりと体罰を否定したのが目立ったぐらいです。
なぜ今は体罰が否定されるようになったかというと、やはり科学的研究が進んで、暴力をふるわれた子どもの脳は萎縮したり変形したりするということがわかってきたからです。
 
厚生労働省は「愛の鞭ゼロ作戦」と称して、子どもへの暴力がいかに子どもを害するかということを周知させようとしています。
 
厚生労働省「愛の鞭ゼロ作戦」
 
しつけのための体罰も、昔はむしろ肯定論のほうが優勢でしたが、今肯定論を言う人はいないでしょう。
松本人志氏はつねづね体罰肯定論を述べていて、2017年に日野皓正氏がドラム演奏をやめない中学生をビンタした事件や、日馬富士の貴ノ岩に対する暴行事件のときも、肯定的な意見を述べていましたが、今後もし同じようなことを言ったら炎上するはずです。
 
 
このように見てくると、ネットの言論はフェイクまみれの低レベルのようですが、科学的事実を尊重するということではまともです。
 
それを踏まえれば、ネットの言論をまともな方向に動かしていくこともできそうです。
たとえば、「韓国人は嘘つきだ、恩知らずだ、感謝しない、すぐ怒る」といったことがネットでよく言われていますが、日本人と韓国人では遺伝子も脳もそんなに違うはずはなく、文化的にもきわめて近いので、「韓国人はうそつきだ(日本人は嘘つきでない)」ということは容易に科学的に否定できるはずです。
 
インターネットの言論はこれから進歩していくのかもしれません。

自民党総裁選は安倍晋三首相の三選という結果でしたが、石破茂氏が意外な善戦をしたのは、やはり安倍首相にうんざりしている議員、党員が多かったからでしょう。
 
総裁選を見ていると、つくづく自民党はおかしな政党だと思います。
たとえば、党本部での投開票が終わったあと、橋本聖子議員の音頭で万歳三唱が行われましたが、橋本議員は「ご唱和お願いいたします。日本国・自由民主党、万歳、万歳、万歳」と言いました。
つまり日本国と自民党を並べたのです。
本物の右翼が聞いたら、日本をバカにしているのかと怒るところです(日本に本物の右翼はほとんどいません)
 
また、自民党は党大会などでいつも日の丸を掲げています。国の行事でもないのに日の丸を掲げるのは、国旗の私物化です。
 
自民党に党旗はないのかと調べてみたら、ありました。
しかし、これは天皇旗の中に「自由民主党」という文字を入れたもので、これについては実際に右翼が激怒したという話があります。そのためかほとんど使われず、自民党のホームページにも載っていません。
 
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自民党はあまりにも長く政権の座にあったために、国家と党の区別がつかなくなっています。共産主義国における国家と共産党の関係と同じです。
「公私混同」ならぬ「国党混同」です。
「日本を取り戻す」というスローガンにもそれが表れています。
自民党の憲法観は、憲法は国家権力を規制するものではなく国民を規制するものだというものですが、これも党と国家が同一視されているからです。
 
 
今回の総裁選で安倍陣営は水面下で議員や地方に相当な圧力をかけていたようで、ある神戸市議はフェイスブックに「官邸の幹部でもある、とある国会議員から、露骨な恫喝、脅迫を私達地方議員が受けており、最早地方議員の人格否定ともいえる状態になった」と投稿しましたし、斎藤健農水相は「石破さんを応援するなら辞表を書いてからやれと言われた」と表明しました。また、石破支持派を人事で干すということも語られていました。
それに対して麻生太郎財務相は「冷や飯を食うくらいの覚悟で戦うのが、当たり前」と開き直りました。
 
自民党においては、選挙戦は正々堂々とやるものではありません。
昔の自民党の総裁選はカネが飛び交ったといわれます。総裁選は派閥同士の争いで、派閥そのものが親分が子分に渡すカネで維持されていました。
小選挙区制の導入で自民党の体質も派閥中心から執行部中心に変わったので、今回の総裁選でカネが飛び交ったという話は聞きません。その代わりに人事権を背景にした圧力だの脅迫だの冷や飯だのという話になりました。
要するに金権選挙がパワハラ選挙に変わったのです。
 
スポーツ界のパワハラは若い選手が気の毒ですが、自民党内でのパワハラは、いやなら自民党をやめて別の党に行くこともできるので、麻生財務相が言うように覚悟するべきだということもいえます。
 
しかし、自民党は長期政権の座にあり、「国党混同」の党でもあるので、自民党の体質は日本全体に広がっています。
金権パワハラに加え、森友加計のようにコネのある者が得をし、逆らう者は冷や飯を食わされるという国です。
 
自民党政権を終わらせなければ今の日本の閉塞感もなくなりません。

安倍晋三首相と石破茂氏は9月17日、五つのテレビの報道番組に出て意見を戦わせましたが、大きな政策の違いはありません。私が見ていた範囲で議論がいちばん盛り上がったのは、石破支持の斎藤健農相が安倍陣営の議員から閣僚辞任を迫られたという問題です。
安倍首相は「陣営に聞いたらそんなことはないと言っていた」と斎藤農相の話を否定。石破氏が「斎藤氏はつくり話をする人では絶対にない」と言うと、安倍首相は「もしそういう人がいるなら名前を言ってもらいたい」と名前の公表を迫り、石破氏が「セクハラの被害女性に名乗り出るよう求めた財務省の対応に似ている」と指摘したところが、私個人としてはいちばん受けました。
 
安倍首相は、自分が任命した斎藤農相が嘘をついているかのように言ったわけで、閣僚を誹謗するのも平気なようです。
 
また、安倍首相はプーチン大統領から「前提条件なしに日露平和条約締結」を提案されたときなんの反論もしなかったことを批判されました。すると安倍首相は16日のNHKの番組において、その提案のあとプーチン大統領と二人で話をし、直接反論したと主張しました。しかし、ロシアのペスコフ大統領報道官は「安倍氏本人からの反応はなかった」と語っており、これも嘘くさい話です。
 
どうやら自民党総裁選の最大の争点は「正直、公正」であるようです。
政治は政治家が動かすわけで、政治家の人間性、人格が選挙の争点になるのは当然です。
 
とはいえ、少し前まで「マニフェスト選挙」と称して政策、公約中心の選挙であるべきだという考え方が優勢でした。
また、それ以前には、選挙で投票するときは「人物本位か政党本位か」ということが問題になっていました。そして、人物本位で投票する人が多いというアンケート結果が出ると、有識者は「政党本位で投票するべきだ」と主張するのが常でした。
 
人物よりも政党、政策で選ぶべきだ――というのが昔の常識だったのです。
これは「近代合理主義」というやつでしょう。理性中心の発想なので、人物や人格というような理性でとらえられないものは無視するのです。
 
 
今の政治は政策よりも人間中心で動いています。
いや、昔からそうだったのですが、今はそのことが誰の目にも明らかになってきました。
トランプ大統領はオバマ政権の政策を次々とくつがえしていますが、これは白人至上主義者のトランプ大統領が黒人のオバマ大統領のやったことを否定したいからです。政策の良し悪しとか国益ではなく個人の差別心で政治が動いているのです(安倍首相も総裁選のあとは石破支持派を人事で「干す」といわれていますが、これも似たようなものです)
 
ただ、人物中心で政治家を選ぶにしても、「正直、公正」だけではだめです。「実行力」が問題です。
いくらいい人物がいい政策を掲げていても、実行力がなければ話になりません。
たとえばかつての民主党政権は、辺野古移設について「国外県外」を掲げましたが、実行力がありませんでした。八ッ場ダム建設中止は純粋な国内問題でしたが、これも実行できません。
民主党が国民から見放されたのは、実行力がなかったからです。
 
立憲民主党は最近、支持率が低下しています。当時の教訓を生かしていないからです。
立憲民主党は安保法制を「違憲」と断定して専守防衛の安保政策を掲げ、「日米地位協定の改定を提起」「辺野古移設について再検証」とも主張しています。しかし、枝野幸男代表は9月初めに訪米した際、「立憲民主党は日米同盟を重視する立場であり、同盟関係をさらに深めていきたい」と語りました。実行力に疑問符がつくのは当然で、民主党政権時代の反省ができているとは思えません。
 
その点、トランプ大統領は、政策を細かく具体化していく能力はなくても、反対を正面から突破していく実行力だけはあります。
こうした実行力は、人のよさからは出てきません。むしろ“人の悪さ”が必要です。
トランプ大統領は恐怖で閣僚やスタッフを支配しているようです。
安倍政権では菅官房長官が、プライベートの飲み会で政権批判をした官僚を左遷するなど人事権を駆使した恐怖支配で官僚組織を牛耳っています。
 
反対派を粛清するとか「干す」とかを極限までやったのがヒトラーやスターリン、織田信長などで、実行力だけはありました。
 
「正直、公正」を追求していくと「実行力」がなくなり、「実行力」を求めると「正直、公平」がなくなるという関係にあります。
「タフでなければ生きていけない。やさしくなければ生きていく資格がない」というレイモンド・チャンドラーの名言はこのことです。
 
政治家の人間性を見きわめることはマニフェストを見きわめるよりもむずかしく、国民の目が試されます。

そのとき、ほとんど死語となった“ジャパニーズスマイル”という言葉を思い出しました。
東方経済フォーラムにおいて安倍首相がプーチン大統領から「前提条件なしに年内に日露平和条約を締結しよう」と提案されて笑みを浮かべるのを見たときです。
 
ジャパニーズスマイルは、日本人が欧米人に対して浮かべる意味不明の笑いのことです。たいていは言葉がわからないためですが、言葉がわからなければ、「わけのわからんことを言うな」と不機嫌な顔をしてもいいはずです。笑みを浮かべるのは、日本人の欧米人に対するコンプレックスです。
安倍首相にも欧米コンプレックスがあるのでしょうか。
 
 
安倍首相は201612月に安倍首相の地元・山口県にプーチン大統領を招いて日露首脳会談を行いましたが、このときは北方領土返還が実現するのではないかという期待が大いに盛り上がっていました。しかし、プーチン大統領は北方領土返還についてはゼロ回答で、3000億円の経済協力だけ合意しました。日本としてはぼったくられた格好です。
 
しかし、安倍首相は会談のあと、各局のニュース番組に出まくって、日露首脳会談は成功したというイメージをふりまきました。で、安倍政権のマスコミ支配がうまくいっていることもあって、そのイメージ戦略がけっこう成功しました。
以来、北方領土返還問題はまったく進展しないのに、安倍首相は日露関係はうまくいっているというイメージ戦略を続けています。
 
そのひとつがプーチン大統領を「ウラジミール」と呼んで親密ぶりをアピールすることですが、プーチン大統領は「シンゾウ」とは呼びません。
中島みゆきの「ひとり上手」という歌が思い出されますが、安倍首相にはたくさんの安倍応援団がついているので、「ひとり大本営発表」といったほうがいいでしょうか。
 
もちろんプーチン大統領はすべて見抜いています。そして、経済協力の進展が遅いことに不満を募らせていて、「前提条件なしに日露平和条約を」という発言が飛び出すのですが、この発言には伏線がありました。
 
安倍首相はプーチン大統領を含む各国首脳の前で講演し、このように語りました。
 
「日本とロシアには、他の二国間に滅多にない可能性があるというのに、その十二分な開花を阻む障害が依然として残存しています。それこそは皆さん、繰り返します、両国がいまだに平和条約締結に至っていないという事実にほかなりません」
「プーチン大統領、もう一度ここで、たくさんの聴衆を証人として、私たちの意思を確かめ合おうではありませんか。今やらないで、いつやるのか、我々がやらないで、他の誰がやるのか、と問いながら、歩んでいきましょう」
「プーチン大統領と私は、今度で会うのが22回目となりました。これからも機会をとらえて、幾度となく会談を続けていきます。平和条約締結に向かう私たちの歩みをどうか御支援を皆さん、頂きたいと思います。力強い拍手を、聴衆の皆さんに求めたいと思います。ありがとうございました」
 
聴衆の拍手まであおって、「平和条約締結を目指す安倍首相」をアピールしています。
安倍首相は総裁選のさなかなので、国際会議の場を自身の選挙運動に利用したのです。
 
ちなみにこの講演で安倍首相は、領土問題に関することは一言もいっていません。
 
プーチン大統領がこの講演を聞いて、領土問題は後回しにして平和条約締結を先にしようと提案したのは当然です。その場の思いつきではあっても、安倍首相の発言に呼応しています。
 
すべては安倍首相の「日露関係はうまくいっている」というイメージ戦略、あるいは「ひとり大本営発表」のせいです。
なぜそんなことをするのかというと、欧米へのコンプレックスとしか考えられません。
安倍首相はトランプ大統領に関しても、個人的な親密さをアピールし、「日米関係はうまくいっている」というイメージをふりまいています。
一方、北朝鮮、韓国、中国に対しては、ぜんぜんそんなことはしません(最近、中国に対しては少し変わってきていますが)
欧米には卑屈になり、アジアには威張るという昔の日本人のままです。
 
麻生太郎財務相は9月5日、盛岡市の講演で、「G7の国の中で、我々は唯一の有色人種であり、アジア人で出ているのは日本だけ」と述べました。
これはなにを言っているのかというと、日本人は有色人種あるいはアジア人の中でいちばんだということを自慢しているのです。
これは白人の有色人種に対する差別を前提としていますから、麻生財務相は白人に対してコンプレックスを持っているに違いありません。
 
安倍首相も麻生財務相も欧米コンプレックスの持ち主なので、まともな外交ができません。
 
安倍首相がプーチン大統領の提案に笑みを浮かべるだけでなにも言えなかったのは、突然のことだからしかたがないと擁護する意見もありますが、日本政府はプーチン大統領の提案に抗議などの反応はしないと決めました。
日本政府がプーチン大統領に対して“ジャパニーズスマイル”を浮かべているのです。
 
人種差別というと、差別する側がもっぱら批判されますが、卑屈に差別を受け入れる側も批判されなければなりません。

相手の立場に立って考える――とよくいいますが、実際はむずかしいものです。

ヤフーのトップページの「あなたは知ってる?Twitterをにぎわす話題」に出ていたツイートを読んで、そのことを改めて感じました。

 
早く抱っこして欲しいもんね
道端でギャン泣きしてる2歳ぐらいの男の子の手を引くお母さんを見て、「ああ…わかる…大変…」って呟いたら、末っ子が「わかるわかる。大変…足の裏が痛くなっちゃうのよね〜あと、早く抱っこして欲しいもんね、ずっと抱っこして欲しいからね…」って、そっち目線!(って、そりゃそっち目線か)
とけいまわり(1085才三姉妹母)
 
私は教育問題などについて子どもの側に立って考えるということを重視していますが、この発想はありませんでした。
2歳の子どもの気持ちになるのはたいへんです。
たいていのおとなは、母親に同情するか、子どもを泣かす母親を非難するかのどちらかでしょう。
 
もっとも、子どもの気持ちがわかったとしても、母親を非難することはできません。荷物を持っていたら子どもをだっこするわけにいきませんし、急いでいればむりをしても子どもを引っ張らなければなりません。
泣く子どもにも事情があり、泣かせる母親にも事情があります。
 
 
このツイートを見たのとほぼ同じときに、朝日新聞の「かあさんのせなか」というコーナーに加藤登紀子さんのインタビューが載っていました。加藤さんは幼児期に満州から引き揚げてきた体験があります。
 
 母と一緒に、中国東北部は何度か訪れています。95年、引き揚げ時に通ったであろう線路を2人で歩きました。その線路の上で母も私も言葉が出なくて。母は荷物もあり、2歳8カ月の私を線路におろして「歩きなさい。歩かないと死ぬことになるのよ!」と言ったと、幼い頃から何度も聞いていました。
 兄と姉、私の3人の子を連れての引き揚げ。「限界は超えるもの。超えられない時は死ぬ時」「人間ってすごいのよ。生き延びるためには何でも超えられる」とよく言っていました。
 
 
幼い子どもにむりやり歩かせるというのは、その場面だけ見ると幼児虐待です。
もちろんそうする事情があるので、虐待とはいえません。子ども(加藤さん)ものちにその事情を理解するので、虐待とは受け止めません。
 
とはいえ、このような場面が子どもにとって不幸であるのは事実です。こうした不幸は人間特有、あるいは文明特有のものです。
たとえば、旧約聖書によるとユダヤ人は民族ごとエジプトを脱出してパレスチナに移住したとされますが、そのとき少しでも歩ける子どもはむりやり歩かされたに違いありません。
原始時代なら子育てしやすい環境が優先されたでしょうが、文明が進むと“おとなの事情”が優先され、そのため子どもが犠牲になります。
 
 
ともかく、冒頭の子どもがギャン泣きしているシーンでいえば、母親が悪いわけでも子どもが悪いわけでもありませんが、悪知恵のあるおとなは、子どもが悪いと主張します。泣いて母親を困らせるのは子どものわがままで、わがままを放置すると子どもは限りなくわがままになるので、きびしく叱らなければならないというわけです。
 
子どものほうもおとなが悪いと主張したいところですが、残念ながらそういう言語能力がないので、おとなが一方的に主張することになります。
そうして今は、「子どもは本質的にわがままであり、おとなが叱らないとまともな人間にならない」というおとな本位の考え方が主流になっています。
 
しかし、動物の子育てを見ればわかりますが、親が叱らないと子どもが限りなくわがままになるということはありません。
 
子どもは本質的にわがままなので叱ってまともな人間にしなければならないという考え方は、幼児虐待の原因にもなります。
また、道徳教育の根拠にもなっています。
 
道徳教育をするべきなのは、悪知恵を発揮するおとなに対してです。

教育はなんのためにあるのかと聞けば、ほとんどの親は「子どもの幸せのため」と答えるでしょう。
実際に子どもから「なんのために勉強するの」と聞かれたとき、「世の中に出たときに役に立つから」などと答えているはずです。
 
しかし、「教育の目的は子どもの幸せ」という考え方は教育界にはありません。
教育基本法にも「子どもの幸せ」とか「子どものため」という言葉は出てきません。
 
教育基本法
 
もともと日本の教育は「富国強兵」という目的のために始まりました。
ですから、「子どものため」ではなく「社会のため」です。
戦後教育も「社会のため」の教育であることは同じです。
教育基本法でも「教育の目的」として「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成」をうたっています。
 
そもそも近代教育は古代ギリシャの教育を理想としています。古代ギリシャのスパルタの教育が軍国主義的なものであったことはよく知られています。アテナイの教育は文化的なものを重視したとされますが、スパルタとの戦いで敗北します。
 
国家や社会のための教育をする国家や社会が生き残り繁栄していくのは当然です。日本の富国強兵の教育もその流れにあるといえます。
そういう意味では、戦後教育は経済戦士をつくる教育と見ることができます。
学校の広告コピーに「明日の社会を担う人材を育成する」といったものをよく見ますが、これは「社会のための教育」をうたっているわけです。
「明日の社会を担いたい」と思っている若者がいるとは思えません。あの広告コピーはおとなにアピールするためのものでしょう。
次の世代が社会を担ってくれれば、親や教師の世代にも恩恵があります。
 
教育をするのはつねにおとなですから、教育がおとなのためのもの、つまり「社会のため」のものになるのは当然です。
親や教師は、教育は「子どものため」だといいますが、それは子どもに対していうだけです。
「社会に役立つ人間になれば結局自分のためになる」ともいいますが、目的の違いをごまかすための理屈です。
 
今の教育は「社会のため」の教育ですから、子どもにストレスがかかってもおかまいなしです。
つまらない勉強をすることも、将来つまらない労働をするときの役に立つという感覚です。
そんな学校には当然イジメが発生しますが、おとなはイジメを解決しようという気もなく、イジメの責任を子どもに負わせています。
 
親や教師は「社会のため」の教育をしているのに、子どもに対しては教育は「子どものため」だと嘘をいっています。
いつまでも嘘をいい続けるのか、それとも教育の大転換をするのか、今こそ考える必要があります。
 

9月1日と4月8日は統計的に子どもの自殺が多い「自殺の特異日」ということで、8月末にメディアでいろいろな人が「つらければ学校へ行かなくてもいいよ」という呼びかけを行っていました。
 
学校へ行かなくてもいい――という考え方は、ひと昔前はありえないものでした。
ほとんどの親は、子どもが不登校になるとパニックになり、むりやり子どもを学校に行かせようとして修羅場を演じました。
といって、世の中の価値観が変わったというより、「自殺の特異日」という概念がよかったのでしょう。子どもの命より学校がたいせつというわけにはいきません。
 
今でも親にとって学校は子どもの命の次ぐらいにたいせつなのではないでしょうか。
というのは、憲法に義務教育の規定があるからです。
この義務は子どもが負うのではなく親が負うわけで、子どもが学校に行かないと親が憲法違反をすることになります。憲法違反をしたくなければ、親はむりにでも子どもを学校に行かせなければならないわけで、憲法が親子対立を生むことになります。
 
これはもちろん義務教育という規定が間違っているわけです。
憲法には「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」とあり、もともと教育を受けることは権利なのです。
ですから、義務教育の規定をなくして権利のままでいいのです。
 
さらに、「教育を受ける権利」というのも、今は「学習権」という考え方が定着しているので、時代遅れになっています。
憲法改正をやるなら、義務教育を廃止して、学習権を明記する改正をやるべきでしょう。
これは実質的な意味があります。
 
 
今は義務教育の規定があるので、かりに子どもがイジメにあっていても、親は子どもを学校に行かせなければなりません。それ自体が子どもには不幸なことですし、自殺につながることもあります。
また、義務教育であれば、どんな教え方をしても子どもは学校にくるわけで、これは教師の堕落につながります。
 
今あるのは「教育を受ける権利」ですから、親や子どもは教育の中身を選ぶことができません。しかし、「学習権」になれば、子どもは学習したいものを学習できることになります。
たとえば小学校ではプログラミング教育の必修化が予定されていますが、子どもには適性があるので、全員にさせるのは疑問です。かといって、どの子に適性があるかを見きわめるのもたいへんです。これは子どもに選ばせればいいわけです。
 
今の教育は、能力も適性も違う子どもを同じ教室に入れて一律に教えています。また、年1回の入学ですから、実質的に6歳の子どもと7歳の子どもが同じ教室にいます。教える側の効率しか考えていないのです。
その結果、ほとんどの子どもにとって教室は苦痛で退屈な場所となり、そこからイジメや不登校が生じるのは当然です。
 
子どもに選ばせればいいというと、それでは子どもがわがままになってだめだという反論がありがちですが、それは人間性も人権も民主主義も否定する考え方です。
 
「自殺の特異日」という発想で学校絶対主義みたいなものは少し揺らぎましたが、自殺を回避すればいいというものではありません。
教える側主体の「教育」から学ぶ側主体の「学習」へと、学校制度の根本的な改革が必要です。

トランプ大統領の政策は、その多くが人種差別的です。メキシコの壁建設や移民排斥はもちろん、オバマ政権の政策を次々とくつがえしていったのも、オバマ大統領が黒人だったからです。
そして、トランプ大統領の政策は、宗教的でもあります。イスラエルの首都をエルサレムと認定し、アメリカ大使館をエルサレムに移転しました。イランを徹底的に敵視し、同盟国であるトルコとも対立している裏には、反イスラム感情があることは明らかです。
 
ところが、日本のマスコミはトランプ大統領の政策が人種差別的で、宗教的であるという事実をまったく伝えようとしません。
朝日新聞は比較的トランプ政権に批判的かと思いますが、批判的なのは主に社説や解説などで、事実を伝えるニュースではまったく逆です。
 
たとえば、トランプ政権は国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)への拠出金を完全に停止することを決め、これによってUNRWAの資金が9月末に尽き、パレスチナ難民とその子孫約530万人の人道危機が深刻化するという記事を朝日新聞が書いています。
 
米、拠出金を完全停止か 国連のパレスチナ難民支援
 
なぜトランプ大統領がこうしたことをするのかというと、なによりもパレスチナ人を差別していて、パレスチナ人のために金など出したくないからです。もちろんパレスチナに人道危機が生じても平気です。
ところが、朝日新聞の記事ではトランプ政権の意図をこのように“忖度”します。
 
 UNRWAは49年設立。パレスチナ自治区や隣国のヨルダン、レバノン、シリアで教育や医療、食料配布などを行っている。米国は、2016年の拠出金総額約12億4千万ドル(約1364億円)のうち、3割にあたる3億6千万ドル(約396億円)超を拠出する最大の支援国だった。だが今年は6千万ドル(約66億円)しか拠出していない。トランプ政権は24日、これとは別にパレスチナ自治政府に向けた2億ドル(約220億円)の経済支援の撤回を表明。米国が仲介するイスラエルとの和平交渉を拒否するパレスチナ自治政府に圧力をかける「兵糧攻め」が狙いだ。
 トランプ政権が難民問題でもイスラエル寄りの姿勢を鮮明にしているのは、11月の米中間選挙を前にキリスト教福音派の支持を確実にしたい思惑があるとみられる。
 
トランプ政権の「狙い」と「思惑」を書いていますが、その根拠は示されません。
そもそもこの記事はニュース解説ではないので、トランプ政権の「狙い」とか「思惑」を推測して書く必要はありません。
しかし、事実だけを書くと、トランプ政権はパレスチナに人道危機を引き起こすひどい政策をしているということがあらわになってしまいます。そのため「狙い」や「思惑」を書き足して、悪い印象を中和していると思われます。
 
この記事は9月2日付のもので、トランプ政権が拠出金を停止することはまだ確定的でありませんでした。アメリカ国務省が公式に発表したのを受けて、翌日に同じような記事が書かれています。
 
米、パレスチナへ再び圧力 難民支援への拠出金、完全停止
 
この記事にもやはり、根拠のない「狙い」と「思惑」が書かれています。
 
 トランプ政権は、米国が仲介するイスラエルとの和平交渉を拒否するパレスチナ自治政府に圧力をかける狙いがある。11月の米中間選挙に向け、イスラエル支持者が多いキリスト教福音派の支持を確実にする思惑もあるとみられる。
 
朝日新聞はどうしてもトランプ政権が人種差別的で反イスラム的であるという印象を消し去りたいようです。
 
 
そもそもパレスチナ支援の問題は、オバマ大統領の時代からオバマ対トランプの争いの種でした。
 
オバマ大統領は大統領の座にある最後の日にパレスチナ支援を決めました。これは小さなニュースでしたが、深い意味がありそうで印象に残っています。
 
大統領最後の日、オバマはパレスチナに2億ドルを贈った
 
この記事から3か所を引用します。
 
 バラク・オバマ前大統領はその任期最終日に、22100万ドルをパレスチナに拠出していたことがわかった。
(中略)
 パレスチナへの資金拠出は、2015年と2016年に議会で承認されたものだが、多数派の共和党議員が拠出の実施に反対していた。この反対には法的拘束力がないため、オバマ政権は、120日にドナルド・トランプ新大統領がホワイトハウス入りする数時間前に手続きを進めた。
(中略)
オバマが大統領としての最終日にパレスチナ寄りのジェスチャーを見せた背景には、トランプの政権移行チームが、在イスラエル米国大使館をテルアビブからエルサレムへ移すと公言していたという状況がある。エルサレムは将来のパレスチナ国家の首都としても望まれている聖地であり、もし実行されれば、和平協議は完全にとん挫しかねない。
 
 
しかし、それに対してトランプ大統領は、2017年1月20日に就任すると1月24日にはパレスチナへの拠出を見直すと発表しました。
 
 
トランプ大統領がオバマ前大統領の「22100万ドル」の供出を凍結した理由
 
 
要するにトランプ大統領がパレスチナ支援をしたくないのは、反オバマ、反パレスチナ、反イスラム、親イスラエルの感情からで、これは就任のときから一貫しています。
朝日新聞が書く「米国が仲介するイスラエルとの和平交渉を拒否するパレスチナ自治政府に圧力をかける狙い」というような立派な政治的意図があるはずありません。
 
朝日新聞に限らず日本のマスコミはつねにアメリカ、そしてトランプ政権を美化しています。
米軍基地の辺野古移設の問題にしても、代替基地を日本がつくるまで危険な普天間基地を維持し続けるというアメリカの日本人の命を軽視する姿勢が根本にあるのに、そのことにはまったく触れません。
こういうマスコミの姿勢が日本とアメリカの関係をゆがめ、日本の自立をはばむ大きな原因になっています。
 

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