3年余の人質生活から解放され帰国した安田純平氏に対して、またしてもバッシングが起こっていますが、こうした現象は日本特有のようです。
もちろん日本人にもバッシングする人としない人がいます。この違いはどこからくるのでしょうか。
危険な紛争地の情報は、危険を冒して現地入りするジャーナリストによってしかもたらされません。そういう意味で安田氏のような存在は貴重です。
しかし、日本人の多くは中東情勢にほとんど関心がありません。そういう人は安田氏の仕事の価値がわからないので、「国に迷惑をかけた」というマイナス面だけ見ることになります。
とりわけ右寄りの人は中東情勢に関心がありません。なぜなら中東情勢の混迷は、主にアメリカとイスラエルがもたらしているものだからです。日本の右翼や保守はアメリカべったりなので、そういうことは見たくないわけです。
それから、紛争地からもたらされる情報は、ケガした子どもが病院に運ばれる映像とか、悲惨なものがどうしても多くなります。
右寄りの政治思想を持つ人は、こうした悲惨な映像に拒否反応を示すという科学的研究があります。
グロ画像を見た時の脳の反応で政治的傾向が右なのか左なのかがわかる?(米研究)
こうしたことから、安田氏をバッシングするのは、紛争地を取材する価値のわからない右寄りの人がほとんどです。
それから、権力に対する態度も関係します。
国家権力に従順な人は、安田氏が国の決めた渡航禁止地域に入ったことを批判しますが、それだけではありません。
身代金の問題でも安田氏を批判します。
日本政府は身代金を払っていないと言っていますが、カタール政府が払ったという報道もあり、間接的にせよ日本政府が身代金を払った可能性は高そうです。
日本政府が身代金を払ったという前提に立って話を進めますが、国民の税金を使わせたのはけしからんと安田氏を批判する人がいます。
しかし、身代金を払ったのはあくまで日本政府です。安田氏に日本政府を動かす力はありません。
ですから、身代金を払うべきでないと考える人は、日本政府を批判するべきです。
ところが、私の見る限りでは、身代金を払ったことで日本政府を批判する人はいません。
また、自己責任だから日本政府は安田氏を救出するべきでないと主張する人もいましたが、安田氏が救出された現在、そのことで日本政府を批判する人も見ません。
日本政府は権力があり、安田氏にはまったく権力がないので、権力に従順な人は安田氏のほうを批判するわけです。
身代金以外のことでも安田氏を批判する人がいます。
たとえば立川志らく師匠は「謝罪しなかったら人としておかしい」と言い、松本人志氏は「個人的に道で会ったら文句は言いたい」と言いました。
しかし、安田氏は犯罪被害者です。
安田氏を拘束したシリアの武装勢力は、いちがいに悪いとはいえませんし、テロリストともちょっと違います。ただ、ジャーナリストを拘束して誘拐ビジネスをすることについては単なる犯罪行為です。
犯罪被害者に謝罪しろというのはセカンドレイプと同じです。
シリアの武装勢力には武力や政治力があり、背後にはイスラム教もありますが、安田氏は単なる個人でなんの力もありません。
権力に従順な人は弱い者を批判する方向に行ってしまいます。
結局、安田氏を批判する人というのは、右寄りでかつ権力に従順で、日本政府も批判したくないし、イスラム武装勢力も批判したくないので、いちばん弱い安田氏を批判しているのです。